今日の一言(2000年2月分)

  職員朝礼での社長訓話集   一つ戻る  最新版へ戻る     

山ごもり特訓       (2・28)
ダラダラ会        (2・26)
続・身分制度?      (2・24)

身分制度?        (2・22)
あきる野市の音楽祭   (2・20)
続々・男声合唱      (2・18)
続・男声合唱       (2・17)

男声合唱         (2・16)
座席の選び方      (2・14)
筋書きのないコンサート (2・13)
よいお返事         (2・12)
続・インチキ指揮者を斬る(2・11)
インチキ指揮者を斬る  (2・10)
謎の1曲          (2・ 9)
続・怖い職業       (2・ 8)
怖い職業         (2・ 7)
続・一発レコーディング  (2・ 3)
一発レコーディング    (2・ 2)

2月28日  山ごもり特訓

 ダラダラ合宿の最中に、私は1人でトランペットを持って、ちょっと高い所に上がり、山に向かって吹きます。峰谷川の反対側にたくさんの山々がそびえ、時折、雲取山方面へ登るハイカーの姿が、点のように見えます。ここでの練習は非常に効果があります。(少なくともそういう気だけはします) ロングトーンの練習は、1kmくらい先まで音を飛ばすつもりで吹け、とよく言われますが、この場所から見える目標物は、実際に1kmどころか10kmくらい先にまで広がっています。遠くに飛ぶ音を作るという練習には、最も好都合です。山ごもり特訓のメリットを、もう少し考えてみましょう。
 基礎練習をやるための環境選びっていうのは、実は難しいと思うのです。人が大勢いる場所は、まずだめ。公園のはずれとか、河原とかで実際に吹いてみればわかりますが、通行人などを意識してしまい、ロングトーンやっている場合では無くなります。トランペットだったら、ハイトーン。サックスとかだったら速いフレーズばっかりやりがちになります。(そういうのは私だけ?) では逆にたった1人で、スタジオか音楽室でやるのはどうかというと、これは虚しくなってくる。やっぱり誰かに聴かせたい。んじゃあ、やれる場所なんかねえじゃんか! ということになってしまいますが、ちょうどいいのが自然のまっただ中だと思うのです。山では人けがなくても、何となく虚しくならないのです。なぜだか考えてみたのですが、木々がみんなでこっちを向いているような感覚に陥り、虫や鳥などの小動物も含めて、実に多くの聴衆の存在を感じることができるのです。人間相手と違って、かっこつける必要がありません。大自然が喜んでくれるような、澄んだ音を出すことだけに専念できるのです。武満徹さんなどは、逆に自然の声を聞き取って、作曲をしていたのでしょう。
 自然といえば山だけではありません。しかし、山以外はあまり勧められないと思います。海に向かって楽器を吹いたら、さぞカッコ良さそうですが、水は無機物ですし、カモメ以外の聴衆を探すには潜らねばなりません。また、潮風を受ければどんな楽器でも錆びるに決まってますから、私だったら絶対やりません。皆様は楽器の練習の良い場所をお持ちですか? 穴場があったら是非教えて下さい。
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2月26日  ダラダラ会

 多摩ライフ21吹奏楽団が母体となって5年位前に旗揚げした、多摩ウインドフィルハーモニーオーケストラは、若い意欲的なメンバーに恵まれ、ずっと活発な活動を続けています。何かの用事で、ある土曜の夜に代表のSさんのお宅を訪ねたとき、若い団員たちが所狭しと終結していました。役員会という感じではなく、何かの打ち上げという雰囲気でもありません。思い思いにお菓子を食べながら、音楽を聴いたり話したりしていました。「皆さんお揃いで、今日は何の集まりですか?」と一応尋ねる私に、Sさんからの返事は予想通り、「土曜の夜から日曜にかけて、ただ集まるだけ。ダラダラ会っていうんだ。直井さんもよかったらどうぞ」 ダラダラ会とは、的を得たネーミングだと思います。多くのサークルでは、若い人を中心にこういう集まりを持つことがあり、私も日野市民吹奏楽団時代には、ずいぶん精力的にダラダラ会を主催しました。そして、今所属している、ウインドオーケストラ・Unisonも、他に引けを取らないダラダラ行事を誇ります。それは「ダラダラ合宿」
 Unisonのメンバーの多くが、毎年夏の終わりに、奥多摩町の峰谷に出掛けます。知り合いの知り合いの、そのまた知り合いの別荘とでも言うのかしら、そんな場所に2泊か3泊くらいで出掛け、ひたすらダラダラします。我が社では、ダラダラ合宿には、弦タンがまだ小さいこともあって、日帰りで参加しているのですが、郁恵部長は本当に上手にダラダラできる人です。私の方はと言えば、いつの間にか、とことんダラダラするのが苦手になっているのです。せっかく山へ行くなら、ちょっと散策するかとか、ついつい楽器を持っていって、「山に向かって吹いてこよう」って調子。目的を設定してしまうわけです。こうなってくると、人間そのものが忙しく、いつも何か考えながら、歩くのも速足になってきたりして、余裕が無くなってきて、いいヒラメキにも逃げられちゃいそうで、コワいです。現代人の多くは、出掛けると言えば必ず何らかの目的を持っているわけですが、何かをするためでなく、何もしないためにどこかへ行くというのも、余裕を持つためには大切なような気がします。変な話ですが、1年のうち1日か2日でいいから、時計を見るのをやめて、腹が減ったらつまみ食い、眠くなったらうたた寝、そんな日を作るように務めようと思っています。皆様の組織でも、ダラダラ会の企画に、力を入れてみてはいかがでしょう。
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2月24日  続・身分制度?

 クラシックとジャズは、どちらの方が高尚ということは無く、対等であると思います。技術的に見ても、どっちがより難しいということは無く、例えばクラシックの人はアドリブはできないだろうし、ジャズの人はあんなにたくさんの音符を正確に弾けないでしょう。両者は対等であると思っていました。ところが、やっぱりクラシックの勝ちではないかと思えるようなことが、いくつかあるのです。
 私は大学に入ったと同時に、念願のエレクトーンの練習を開始しました。1人でベースからコードから全部やれるなんて、楽器の王様であるような気がして、前々からやってみたかったのです。そしてまたまた自慢です。上達の速さは自分で言うのも何ですが、驚異的なものでありました。ヤマハではグレードテストというのがあって、確か下は13級から、上は3級までです。(なぜ、最高位が1級でなくて3級なのかは未だに謎・・・)。この段階は比例的ではありません。13級から6級までは、普通はトントン拍子で駆け上れます。(10年習っても6級まで行けない人もいます。その方々はどうか気を悪くしないで下さい。) 6級から5級の間に大きな壁が立ちはだかります。実は5級というのは事実上の指導員免許で、ひとつの重要な資格でもあるのです。だからおいそれとは受からさない仕組みなのかもしれません。ここまで順調に来た人も、5級では最低2〜3回は落っこちるようです。テストは毎月やっていますが、少々の練習し直し期間も必要ですから、まあ半年くらいはかかるものでしょう。私の場合は5級合格が、エレクトーンを弾き始めてから1年10ヶ月目でした。6級までの試験は結局一つも受けることなく、いきなりの5級挑戦で一発合格です。こんな経験をしてしまうと、天狗になるなという方が無理だっていうの、どうか解って下さいな。ところがですねえ、上には上がいらっしゃるんです。多摩地区大会の代表として出てきたある女性の方が、エレクトーンを初めて何と1年未満だったのです。私が代表になったのは、3年以上たってからでした。その方は音大生で、クラシックピアノをバリバリ弾ける人です。その後似たような天才的な人とたくさん出会いましたが、結局わかったことは、クラシックをみっちりやった人がポップスに転向するのは簡単で、その逆は困難ということです。クラシックの方が古い分、基礎練習のメソッドも確立されていて、いきなりジャズから入ってジャズだけやってる人は、基礎練習が不足してしまうという分析は違ってるでしょうか。どのジャンルで上を目指す場合でも、まずクラシックの教本をしっかり勉強するのが近道だよと、最近私は勧めるようにしています。
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2月22日  身分制度?

 音楽愛好家の中に、士農工商ならぬ「クラシック、ジャズ、ロック、カラオケ」の身分制度を感じているのは、私だけでしょうか? どうも、クラシック派が威張っているように思えてならず、実際、「クラシック以外は音楽じゃない」みたいな言い方をする人に、私はよく出くわすのです。「クラシック以外には興味がありません」なら問題なし。「クラシック以外、あまり聴いたことが無いので、良さがわかりません」と言ってくれる人は、かなりいい性格の人。「音楽じゃない」はいくら何でも言い過ぎです。だったらジャズやロックの人たちも、逆襲すればよさそうなものですが、どうも犬の遠吠えみたいに聞こえてしまう・・・。特に、カラオケで得意の演歌を歌いまくるだけの人が、一番卑屈になっていて、「私なんか、音楽っていってもカラオケぐらいのもんです」なんてセリフには、「自分は音楽はまったくダメ」というニュアンスがこめられています。何でこうなっちゃうのでしょう・・・。
 これってやっぱり日本の学歴偏重主義の現れなんでしょうか? クラシックの音楽家というのは、たいてい音大を出ています。ところが、ジャズやロックの専門教育をやっている大学はありません。これだけでも、多くの日本人は「クラシックの方が偉い」と思い込む可能性としては十分です。まあ、百歩譲ってそれがある程度仕方ないこととしても、クラシックの方々の中には、そうした傲慢さの度が過ぎている人がいるのは確かです。ポップス系の方々には、他のジャンルを馬鹿にするような人に、不思議と出会いません。まあ、こういうことを取り上げて、ケンカしようと思っているわけではありませんが、自分のやっていることだけが正しいと思って、自分から世界を狭めてしまう人の作り出す芸術は、やっぱりつまらないだろうと思うのです。一つお断りしておくと、私はクラシックの偉さをある面では認めています。明日はそのへんについて触れてみましょう。
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2月20日  あきる野市の音楽祭

 今日は、第5回あきる野市青少年音楽の祭典でした。午後2時35分が本番だというのに、その2時間前にメンバー変更があり、私が急遽1stトランペットに入りました。思った通り、出来はボロボロ。練習の時はまあまあ吹けたのですが、本番という緊張した状況下では、やはりある程度の準備は必要です。実は一昨年にも同様のことがあって、本番30分前に、私がフルートのソロを何カ所か吹くことに決まりました、というか決めました。なぜこういうことになるかというと、この時期は風邪とかインフルエンザのピークなのですね。何十人もの部員がいれば、ちょうど本番の日に39度以上の熱で動くこともできない者の1人や2人、出るんですよ。うちの学校は、2度にわたり、私をピンチヒッターに起用することで切り抜けてきましたが、そういう都合のいい代役がいない団体では、1stトランペットに倒れられたら、演奏そのものを諦めざるを得ないケースも起きてきます。実際、昨年には、当日の朝になって4つもの団体が出場辞退となりました。今年のうちの演奏は、そういう意味では、不幸中の幸いといったところでしょうか。
 さて、この音楽祭は第5回とはいっても、実際には8回目になります。本当の意味での第1回は、秋川市時代に行われていて、3回やったところで五日市町と合併。その時にカウンターがリセットされたのです。私は最初の回から、我が校を率いて毎回欠かさず参加してきましたが、この演奏会がどんどんよくなっていることを、実感しています。その功労者は我が校ではないかと、真面目に自惚れたりもしております。はじめの頃は、中学校はみんなコンクールの課題曲や自由曲を演奏していました。課題曲も4つくらいあるうちの、特に怪しい現代曲タイプばっかり選んでやるもんだから、お客さんの多くは「???」という状態です。他のレパートリーが不足しているというのも理由としてあるでしょう。しかしこれでは、本番経験を積める出演者のための演奏会ではあっても、お客さんのことを第一に考えた演奏会とはいえません。我が校はそんな頃から、「一番上手いとは言われなくても、一番楽しかったと言われよう」をスローガンにやってきました。それを見習ったのか、ここ最近他の学校も、選曲や演出に工夫が感じられるようになり、演奏会全体がお客さんを飽きさせないものになってきています。この背景には各校の先生方の努力があることはもちろんですが、あきる野市の、ハンパじゃない熱の入れようも見逃せません。財政面から運営面に至るまで、市の社会教育課の方々が徹底的にサポートしてくれます。こんな市は他に無いですよ。ホント。これは私にとって、あきる野市の学校に関われて良かったな、と思える要素の一つです。これからもよろしく頼みます。
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2月18日  続々・男声合唱

 さて、男声合唱団員と混声合唱団員が仲が悪い理由も、これで理解していただけたでしょう。要するに水と油の関係なのです。もちろん表面上は、友好関係を結んでいて、お互いの演奏会には、差し入れを持って駆けつけたりするわけですが、ふだんはたいてい悪口言いまくりです。ただ、男声側から言うと、多分に「ねたみ」の要素はあると思います。「常に女の子たちと一緒に活動できて、いいなあ」というのがホンネにしても、それを見せたら負けです。「夏合宿の中日は練習しないで、ハイキングだってよ。夜は★◎◇△○放題らしいぜ。軟弱で乱れた連中だ。俺たちゃ音楽一筋だぜ。」なんて具合です。今考えれば、絶対に男声の方が乱れていました。混声の中の男達の方が、はるかに禁欲的に過ごしていたと言えます。その最たる例が、合コンです。
 合コンだけは、男声合唱団と女声合唱団の特権です。混声合唱団に合コンを行う権利はありません。一度、ある大学の混声合唱団の男どもが、よその女声合唱団のメンバーとこっそり合コンをやったのがばれて、部の存続に関わるほどの騒動に発展したのを知っています。そりゃあそうでしょう。そこの女の子たちにしてみれば、「お前らじゃ物たりん。外のかわいこちゃんと仲良くしてくるぜ」と言われたに等しいわけですから、ダンナの浮気がばれた状態なのです。逆に、同じ内容のことをやった男子部員に対して、まったく目くじらを立てることなく済ました合唱団も知っています。これも人それぞれなのでしょうか。都立大グリークラブの合コンのペースは、月1回よりは多かったと記憶しています。現在のように、女子高生ばかりがチヤホヤされておらず、主役はあくまで女子大生の時代でしたから、こりゃやめられん。これだけの数をこなすとですねぇ、田舎の男子校出身のウブな男でも、キャピキャピを手玉に取る話術が身に付いたりするもので、これほど有意義なお勉強も他に無いでしょう。実際、合コンで出会った相手とおつき合いを始める例は多く、我が団では各学年1人か2人は結婚まで行き着きます。こんな環境で5年間も生活した私が、36才まで独身を通したのも不思議ですが、私は万年幹事みたいなもので、自分が幹事で無くても、つい「私利私欲に走らず、全体に奉仕する」という精神を発揮してしまうクセがついていたのです。でも本当の幹事の時に「職権濫用」※はよくやりました。
※注・・・相手の幹事の電話番号を、労せずして知ることができる立場を利用し、打ち合わせと称して幹事同士で勝手に合コンすること。
話がどんどん音楽からずれて行くなあ。都立大グリークラブの思い出は、いくら語っても尽きないと思いますので、またそのうち特集します。
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2月17日  続・男声合唱

 男声合唱団の男と、混声合唱団の男では、明らかにタイプが違うようです。混声のメンバーの方が、いかにも合唱団員という雰囲気を持っていて、幼少からピアノを習っていたとか、音楽的素養も高く、上品な感じがします。男声合唱団は、それとは対照的で、もうこれは野獣ですね。とにかくよく酒を飲み、頭の中はひたすらエッチなことだけで満たされています。この違いは、昨日も指摘したように、男声合唱がマイナーであることに起因します。高校時代までに合唱の面白さに目覚めた者は、結局混声で目覚めているわけなので、大学でも合唱のサークルに入ろうと思うなら、当然混声合唱団の門を叩くことになります。男声の方は、新入部員争奪戦で、大変なハンデを負っています。そこで、本業の音楽は一時置いといて、「酒が飲める」「女子大と月1回合コンできる」などを売りに、とにかく頭数を確保する方向へ行かざるを得ません。当然、そういう勧誘方法に適合する野獣たちが、数多く入部してくることになります。例外と言えば、東北の男子校である福島、会津、磐城の3校だけは、ハイレベルな男声合唱団を持っているので、「男声合唱を続けたくて」入ってきます。そしてこれは都立大に特有なことではなく、全国的な傾向です。特に大阪府立大グリークラブの野獣ぶりは、確実に1ケタ上のレベルでした。ただ私の場合に限っては、数々の偶然に左右されて、結果的に男声合唱団に入部したわけで、もともと野獣の性質を持っていたわけではないことをお断りしておきます。
 一つ不思議なのは、そういう不純だらけの動機で入部してきた新入部員も、一年も経たないうちに歌うことに喜びを見いだし、立派な合唱団員に成長することです。音楽を始めるのは、いくつになってからでも遅くないし、音符が読めるとか読めないとか、ピアノを習ったことがあるとか無いとかは、全然関係ないのです。このことは、私がブラスバンドに部員を勧誘したり、指導して行く上での基本になっています。どの子も名手になれる・・・、これは本当です。
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2月16日  男声合唱

 あちこちから反発が来るのを覚悟の上で言っちゃいますが、男声合唱、女声合唱、混声合唱の中で、何と言っても一番は男声合唱だと思っています。あのウォーンとハモる感覚は、男性合唱以外では味わえません。混声合唱にも何回も参加していますが、一度男声を味わった私には、ハッキリ言ってもうダメです。常に欲求不満なのです。管楽器のアンサンブルに例えるなら、女声合唱はフルート3重奏と似ていて、良くハモるのですが低音が足りず、厚いハーモニーにはなりません。混声はフルート2本とサックス2本でアンサンブルしているような感じで、表現のバリエーションは多彩でしょうが、もともと同族楽器では無いのが致命的な欠点です。そこへいくと男声合唱は、サックス4重奏と同じで、同族楽器で高音から低音までカバーしています。そうすると倍音も多くなるので、和声学的に見ても、男声合唱が一番やってて気持ちいいのは当然なのです。ところが、銀座のヤマハみたいな大きい楽器店で、合唱曲の譜面を探すと、混声合唱が全体の8割以上を占めていて、残りの大半は女声。そして男声の少ないこと少ないこと・・・。これはちょっと悲しいものがあります。まあこうなっちゃってる事情は、ある程度理解できます。中学や高校は男女共学が主流で、授業であれ部活であれ、合唱といえば当然混声をやるわけだし、市民サークルの方では、ママさんコーラスは盛んでも、パパさんコーラスは滅多にありません。男声合唱用の譜面を並べても、買う人口が極端に少なくならざるをえないということでしょう。
 男声合唱の経験者は、多かれ少なかれ私と同意見ではないか、と思っていますが、違います? 私が所属していたのは、東京都立大学グリークラブという所です。同じ大学の中に、エリカ混声合唱団というのがありました。この2つの合唱団はとっても仲が悪かったのですが、私が3年で部長をやっている時に、一度だけエリカの部長がうちのステージに賛助出演することがありました。彼はずいぶんハマッたみたいで、連盟を組んでいた5つの大学の混声合唱団の男達に、男声合唱のコンサートをやろうと呼びかけました。そしたら集まった集まった・・・、男声合唱の魅力を知ってて、隙あらば男声だけでやりたいと思ってる者が、相当数いることがわかります。私達男声合唱団も、他の女声合唱団と合同で、混声合唱を企画することはありましたが、この場合の動機は100%不純です。
 混声や女声の魅力について語っていただける方がなかなかいないので、もしいらしたら是非お話を伺ってみたいと思っています。
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2月14日  座席の選び方

 野球場へ行くと、最も料金の高い席はネット裏で、逆に安いのは外野席でしょう。では、自分の懐が許せば、常にネット裏に座ることを目指すべきかというと、必ずしもそうばかりとは言えません。解説者のような気持ちで、試合全体に目を配りたい人には、確かにネット裏が特等席ですが、お目当ての選手を間近で見たい人にとっては、ダッグアウトの真上が最高なのです。ここも値段的には結構高く、私も一度何の気なしに買ったのですが、目の前の金網が邪魔で邪魔で、結局自由席に移ってしまいました。最近は、各球団の応援団が外野席に陣取るので、盛大な応援に加わりたい人は、とにかく外野に行くでしょう。要するに、人それぞれの好みによって、特等席は違うのが当然だと言いたいのです。野球場に於ける、そういったことを知りながら、コンサートホールではS席が一番音が良いはずだと、私は長いこと思い続けていて、ずいぶん無駄なお金を使ったと後悔しています。まあ好みの問題ですから、S席が実際一番音が良いと感じる人は、いて当然だと思います。
 N響の定期を、しばらく2階席のやや左よりで聴き続けていました。もちろんS席です。私は何となく物足りなさを感じていました。ブラバンやジャズで慣れた耳には、どうしてもババーンという大音響が欲しいのですね。以前に座っていた1階のA席の方が、私にとっては良かったのです。同じNHKホールで年末の第九を聴きに行ったとき、D席しか取れなくて、それは3階席の前の方でした。全然期待していなかったのですが、けっこう音がバンバン来るので、感動しました。NHKホールはくせ者です。あちこち座り較べて、自分好みの音が聴ける席を発見すべきだと思いました。渋谷のオーチャードホールは、どう考えても2階がいいです。特に、2階席の真下にあたる1階後方の席は、絶対に買わないことにしています。赤坂のサントリーホールは不思議なホールですよね。相撲だったら「向こう正面」ていうところ、つまり演奏者を真後ろから見ながら聴ける席が存在するのです。そんな所で聴いても、音は全部反対方向へ飛んで行っちゃうから、よく聞こえないんじゃないかと思われるでしょう。あんな場所で聴いてるのは、あらゆる席を買い損ねた、最後の可哀想な人々だと思われているかもしれません。または、指揮者を正面から見ることができるメリットを活かして、指揮者志望の学生など、一部のマニア専用の席だと思っている人も多いようです。しかし・・・。実はですねえ、私も向こう正面派なんですよ。あそこはたいていC席とかで、料金ランクの真ん中へんです。でも、一度あそこに座って以来、もう病みつき。私にとって紛れもない特等席であります。何がいいのかというと、指揮者の表情から何から、すべてがダイレクトに伝わってきて、まるで自分が演奏しているかのような気分なのです。何百小節もひたすら待ち続ける打楽器奏者の、すぐ後ろで一緒にパート譜を追ったりすることもできます。彼がいよいよシンバルを手にし、立ち上がる時には、こっちも気分が高ぶってきます。そしていよいよ「ジャーン!」 何しろすぐ目の前でやられますから、全体の響きを重視して聴きたい人には向いていない席かなあ、という気もします。でも私は、演奏者と一体になった感覚が好きなので、そのくらいの欠点は許容範囲です。向こう正面に座るにあたって、一つ注意すべきなのは、テレビ中継が入っているときは、かなりの頻度で映っているので、みっともない表情や居眠りなどは禁物です。向こう正面・・・是非一度お試し下さい。
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2月13日  筋書きの無いコンサート

 普通、コンサートでは、プログラムとかが配られ(或いは買わされ)、その日の演奏曲目が順に書き記されています。当然、演奏者は、その曲目を中心に周到に準備を重ねてきているはずです。ところが、非常にレベルが高くて、レパートリーが多いグループでは、その日のお客さんの雰囲気を見ながら演奏する曲を決めたり、お客さんからその場でリクエストを取ったりすることができます。こういうことができるようになると、なかなか玄人っぽくてカッコイイですよね。
 ところが、ジャズの場合は、特に優れたプロでなくて、普通のアマチュアミュージシャンでも、そういうことが可能です。少人数のセッションでは、メロディー1回分とコードだけを書いた紙切れ(リフ帳という)を人数分用意して、それを元にしてアドリブしながら曲を構成してゆきます。その場で変奏曲を作曲する、といえばカッコイイですが、ある程度の決まり事に従ってやっていくので、天才的な作業ではありません。そして、セッション好きな人だと、リフ帳を常に何十枚くらいか持ち歩いていたり、いわゆるスタンダードの中でもよく演奏される曲は、覚えてる場合が多いです。だから、ジャムセッションでは、初対面のメンバーどうしが、いきなり「じゃあ枯葉いきましょうか」なんてやっても、サマになる合奏ができるというわけです。私が参加した、ハーパージャズバンドというコンボで、何回か開いた演奏会では、だいたい本番の1時間前に集合し、メンバー同士の自己紹介、選曲会議、大まかな曲順と進行の決定を行っていました。
 そのハーパーバンドが、埼玉県蕨市でライヴをやった時は、ちょっと悪ノリ気味でした。曲順どころか、曲目も決めないままステージに登場。さらに、司会が曲目を告げたりもしないまま、演奏は始まったのでした。何かの曲の頭のソロを吹き始めた、テナーサックスの坂川さん以外、何を演奏するのか誰も知らない状態なわけで、これこそが究極のぶっつけ本番と言えるでしょう。まあ、こういう進め方をするということは、スタンダードしかやらないという条件が必要ですから、幸い私にとっては知っている曲ばかりで、ちょっと怪しいコードもベースラインを聴けばすぐに解ったので助かりました。ただベースの方は、ピアノを聴いてから弾くというわけにいかないので、大変だったと思います。リフ帳をステージまで持っていっておいて、出だしの部分何小節かを聴きながら、「あっ、あれだ」とか言いながら、そのページを探し出します。1曲だけどうしても間に合わなくて、とりあえずそれっぽいラインを弾きながら、他の誰かにリフ帳をめくってもらっていました。
 ハーパーバンドはちょっと極端な例であり、ここまで行き当たりバッタリなのは、当然お勧めできません。でも、こういうことが可能で、初対面のミュージシャンどうしが、楽器さえあればすぐに合奏することができ、打ち解けあえるというのも、ジャズの良さの一つだと思うのです。
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2月12日  よいお返事

 コンクールで全国大会を目指すような吹奏楽クラブともなると、練習風景からして一味違います。指揮者の指示に対して、全員が大きな声で「はい!」と返事をします。(全国レベルでなくても、そうしているところはある) 合奏練習の雰囲気が良くなるし、集中力が増すから、とてもよいことだと思うのですが、実は私自身はこれが大の苦手なのです。
 合奏練習がのって来ると、指揮者は次から次と注文を出します。それが、この「はい!」でさえぎられてしまうことが多いのです。うまくさえぎられれば、「はい」を待ってから続きを言えばいいのでしょうが、たいていは何か言いかけたり、言い終わりそうな時にやられるものですから、結局は言い直すことになり、時間が無駄になること甚だしいのです。こんな風に感じるのは私だけでしょうか。実際、プロのオーケストラなんかで、奏者全員が指揮者の注文に対して、いちいち返事をすることはありません。要するに、合奏中の「よいお返事」というのは、合理性よりは、教育的な面から多くの学校に定着しているのでしょう。私はそれを否定するつもりなど、毛頭ありませんでした。
 ところがある時、某高校の吹奏楽部員の生徒から、驚くべき発言が飛び出したのです。その高校は、よく返事をする学校の中でも、特に声が大きくて、全員が一糸乱れず返事するのが特徴でした。私がそのことを褒め称える発言をしたところ、こんな答が返ってきたのです。「先生、あれねぇ。ただハイハイ言ってるだけで、あんまり聞いちゃいないですよ」 これは謙遜かもしれませんから、鵜呑みにはしませんでした。しかし、その後実際にその学校の合奏を指揮した時に、この返事の何割かは、明らかに生返事であることを突き止めました。もう少し言うと、指摘された内容を理解しているいないに関わらず、反射的に「はい」と言ってしまうクセがついているようで、私としては大変困ったことでした。奏者の顔色を伺うことが全くできません。わかった、わからない、できる、できそうもない、そりゃごもっとも、そんなアホな・・・等々の反応が、すべて全員の「はい!」の陰に隠れてしまうのですから。この学校を指揮した他の先生にも、本音の感想を聞いてみたいものです。
 返事というのは「あなたのおっしゃることを理解しました」という意思表示ですから、その本来の用途からはずれて、形式的なものになっては、やはりいけないのではないでしょうか。指摘を受けた当人が、軽く返事を返す程度が、私は一番自然で好きな練習風景です。

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2月11日  続・インチキ指揮者を斬る

 もう一人だけ、指揮者を攻撃させていただきます。それは、吹奏楽の指導者クリニックでのことです。全国から意欲あるブラバン顧問の先生方を集めて、まる1日いろんなクリニックが続く中で、新作発表みたいなコーナーがありました。オーケストラに比べると、ブラバンの方が、現代曲への関心が高い感じがします。それは、純粋に吹奏楽というジャンルの新たな可能性をい探るという要素もさることながら、コンクールで勝ち上がるための材料探しという面もあると思います。とにかくその場では、極く最近作曲されたものが2曲ほど披露されました。指揮はこの世界ではまあまあ名の通った大先生。演奏は、音大の学生によって、このクリニックのために編成されたモデルバンドです。
 現代曲というのは、たいてい変拍子や不協和音が多くて、指揮するほうも大変だろうと思います。問題の曲も、速い4分の3拍子の中で、わけのわからないフレーズが2拍目や3拍目から入ったり、さらにそのウラ拍から入ったり、どこが小節の境目だかわからなくなりそうな危険をはらんでいました。ただ、指揮者の大先生は、こういうタイプの曲に定評のある方です。だいぶ前に私自身が、大先生の指揮で打楽器を演奏したことがありましたが、的確な棒さばきで、安心してプレイできたことを覚えています。ところがその日、事件は起こったのです。
 実は私はあまり真剣に聴いていませんでした。半分ウトウトしかけてて、ステージ上のただならぬ気配を感じて覚醒したのです。指揮が、ひたすら単調な3拍子を振り続け、奏者への合図も何もありません。そればかりか、左手は必死にスコアをめくっていて、それも何ページかめくっては、また何ページか戻るのを、尋常でない頻度で繰り返しています。指揮者が迷子(今どこを振っているのかわからない状態)になったのは明らかでした。その状態はかなり続き、結局最後までその状態でした。音大の学生諸君が、自力で最後まで演奏できたから事無きを得ましたが、いつもはゆっくりおじぎする大先生も、この時は逃げるようでありました。
 私はこの大先生も、インチキであると考えます。スコアが手元にあるのに迷子になるというのは、準備不足に決まっています。時々、奏者の誰かが1拍とか1小節とか間違えて入って、別の何人かがそれにつられるとかして、バンド全体の演奏が空中分解しそうになることがあります。そういう時でさえ、指揮者は即座に状況を把握して、修正を試みなければなりません。指揮者一人が迷子になるなど、言語道断なのです。この先生は人柄は素晴らしい方です。学生の皆さんには、楽屋あたりできっと必死に謝罪されたのではと想像していますが・・・。しかし、まったく仕事をしなかったに等しい状態で、ギャラだけ受け取るということに関して、悪徳指揮者の皆様は、もう少し深刻に受け止めてもらいたいものです。
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2月10日  インチキ指揮者を斬る

 音楽家の中で唯一、インチキが可能なのが指揮者であると、プロ指揮者の岩城宏之さん自身が認めています。それは、他のすべての奏者と違って、実際に音を出すことが無いので、間違えてもバレにくいことと、さらには、しっかりと演奏者集団を統率しているか、曲に合わせて踊っているだけなのか、外見上区別がつきにくいこともあげられます。では、実際にいい加減な仕事をして、ギャラだけをガッポリ持って行く悪徳指揮者は存在するのかというと、これがいるんですよ。本当に。
 それは、ある地区の吹奏楽祭で、中学生の合同バンドを組織したときのことでした。客演指揮者にお呼びしたのは、雲の上の存在のような大先生でございます。通常この先生が指揮するときのギャラは、ワンステージん十万てとこじゃないでしょうか。普段からつながりを持っていたので、随分安く引き受けていただいたのですが、さすがに大先生だけあってご多忙。練習1回とリハ、本番だけお出ましになるのが精一杯でした。曲はシェルドン作曲の「飛行の幻想」。選曲したのは私です。中学生にはちょっときつい曲かな、とも思いましたが、各中学校から意欲満々の精鋭が集まっているバンドですから、少しくらい歯応えがあった方がいいと判断したのです。大先生の練習を意義あるものにするために、私が下振り(予備練習の指揮)を務め、大体の形を作っておき、いよいよ大先生にバトンタッチすると、何だかおかしいのです。
 大きくリタルダンド(遅くなる)する部分で、生徒たちが勝手にテンポを変化させ、大先生の指揮棒がそれを追っかけています。また、この曲は見た目は普通の4分の4ですが、いろいんなパートが次々と追っかけ合いをするので、正確に合図してやらないと迷子になるパートが出る危険が大きいのですが、そういった合図が殆どありません。これはもう火を見るより明らか。一度でも指揮というものをやったことがある人ならすぐにわかりますが、大先生はこの曲のスコアを見るのが、その時が初めてに違いないのでした。驚いたことに、本番でも似たり寄ったりの状態のままだったのです。
 大先生は、プロの奏者相手だったら、絶対にこんな手抜きはしないはずです。見抜かれるに決まってますから。相手が中学生だからこんなもんでいいや、と思ったんでしょうか。高いギャラを貰っていながら、何もわからないアマチュアを食い物にするとは、ひどい話です。ネームバリューによる集客効果だけは期待通りでしたが、今度からは無名でもいいから、ひたむきに仕事をしてくれる小先生をお願いしようと思っています。さあ、続編があるよ。これを読んでるプロ指揮者の方・・・。明日斬られるのは貴方かもしれないよ。楽しみに待っててよ。
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2月 9日  謎の1曲

 この季節の風物詩、日の丸君が代論争が始まっています。昨年、校長先生の自殺という痛ましい事件まで起きたほどの大問題ですが、昨日は本部委員会で4時間、今日は職場で延べ2時間余りと、この問題ばかり・・・。君が代フルコースを3人前くらい食べさせられた心境で、正直どうにかしてくれって感じです。校長先生はもっとお疲れでしょう。いやはや頭が痛い・・・。
 さて、前任の三沢中学校での話。音楽室の楽譜棚に、誰も演奏したことのない謎の1曲というのがありました。吹奏楽部が発足して最初に購入する楽譜は、たいていヘンデルの得賞歌です。運動会の表彰なんかで流れるあれですね。謎の1曲はそれとセットになっていて、題名も2つ並べて表示してあります。ところが、得賞歌の横にあるはずのその曲の題名が、黒く塗りつぶされています。緻密な作業によって、全パート譜にその黒塗りは施されていました。購入してすぐ音楽の先生が、生徒の目に触れる以前に、この作業を終えたようです。もちろん私はそれが何の曲か知っていました。時たま生徒から聞かれたりもしたのですが、黒塗りした先生のお気持ちも考えて、「ううむ。謎の1曲だ」とか誤魔化していましたが、それがいけなかったようです。私達であれば、メロディーパートの譜面を見れば、すぐに何の曲だか判りますが、生徒の読譜力だと、演奏してみないとなかなか判らないものです。「謎の1曲」という言い方は、生徒たちの好奇心に火をつけました。
 私が3年の担任で、高校訪問の出張から帰ってくると、音楽室の窓からロングトーンの音。ふむふむ、自分たちだけでよくやれるようになったわい、と感心した次の瞬間、ロングトーンの基礎合奏だとばかり思ってたのが、ちょっと違うことに気がつきました。ドーレーミーまでは普通のCdurのスケールでしたが、その後がソーミーレーと続き、ミーソーラーソラと八分音符が混ざるに至って、これはまぎれもない君が代だとわかりました。私がちょっと慌てて音楽室に駆け込んでみると、生徒たちが「なあんだ。これスポーツの時に流れるのじゃん」と、永年の謎の答のあっけなさに拍子抜けしていました。私が不在のチャンスに、誰からともなく謎の1曲を解明しようという提案がなされたとのことでした。その頃、職員室ではちょっとした騒ぎになっていて、私は必死の弁解をしなければならなかったのですが、よくよく考えたら、何でこんなに大騒ぎしなけりゃなんないのか不思議です。黒塗りしてなければ、滅多に演奏されないかわいそうなただの曲だったはずです。それに黒塗りというのが、戦時中の教科書みたいで、何だか異様です。君が代という曲をめぐって、推進派も反対派も意地になっていて、結果的に寄ってたかって国民に受け入れられにくくしているように感じるのは私だけでしょうか。1つの曲に対して、もっと普通にさりげなく接することは、できないものなのでしょうかねえ。
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2月 8日  続・怖い職業

 フルート奏者の中川昌三さんが、某タバコのCMで、チャイコフスキーのヴァイオリン・コンチェルトをジャズ風にして演奏していたのを、皆さんはご記憶されていますか。それを見て、フルートを始めたという人も多かったはずで、何を隠そう私もその一人でした。ちょうどその頃、中川さんのライヴを聴きに行くと、必ずその曲を演奏してくれたものです。
 ある日の、確か六本木でのライヴだったと思いますが、その曲を演奏し終わった後、中川さんは面白いウラ話を聞かせてくれました。彼はクラシックの世界でも大活躍されていた方で、このコンチェルトが、実はフルート奏者にとっても大変な曲であるというお話です。「長い長いソロ・ヴァイオリンのカデンツァが終わると同時に、フルートがソロでこのテーマを吹くんです。ヴァイオリンのカデンツァが進行している間、主席フルート奏者は、心臓が口から飛び出しそうなくらい緊張しまくっているんですよ。今度この曲をお聴きになるときは、是非そわそわしているフルート奏者にご注目下さい」(場内・笑) いわれて見れば確かにそうでした。N響アワーをビデオに取ったのを見たとき、カデンツァが終わんないうちに、もう画面はフルートを追っていたのを思い出しました。これはめちゃくちゃオイシイ部分で、当然、絶対にミスが許されない個所です。フルート奏者は、この曲を演奏するたびに、大変な思いをしていたのだということを知りました。
 その後しばらくして、これを生で聴く機会がやってきました。N響定期で、ヴァイオリンは漆原朝子さん。1億円とか2億円とか、値が付かないとも言われるヴァイオリンの「鳴り」は凄いもので、大感激の演奏でしたが、私の興味はもう一つありました。その日の主席フルートは小出さんです。あの中川さんのトークを聞いてしまった以上、フルートに注目しないわけにはいきません。カデンツァが佳境に入る頃から、小出さんの動きがやや忙しくなります。楽器を温めるために、やたら息を吹き込む動作が多くなります。すでに脈拍は180位なのでしょうか。私までがなぜか、いても立ってもいられない心境になってしまいます。小出さんなら大丈夫だろう・・・。がんばれ! 祈るような気持の中で、フルートは完璧なソロを演じました。
 いやあ、何とも疲れたコンサートでした。この演奏は後日テレビ放映され、問題の個所ではヴァイオリンとフルートの手の部分が半ボカシの二重映像みたいな、絶妙のカメラワークで演出されています。うぅぅ・・・、カッコ良すぎる・・・。どう考えても、ここでトチることはできない・・・。音楽家はやはり、最も怖い職業だなあ。そして、こういうウラ話は知らないでおく方が、演奏を楽しむ上では、いいような気もしています。
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2月 7日  怖い職業         

 怖い職業というと、真っ先に思い浮かべるのは、犯人と撃ち合いになったりする警察官とか、爆弾の処理班みたいなものでしょう。或いは、団地の4階で曲芸まがいの動きを見せてくれたペンキ塗りのお兄さんも、私にとっては怖い職業の代表として、印象づけられています。
 ある雑誌のインタビューで、N響クラリネット奏者の横川さんが、「世の中で最も怖い職業は、音楽家だ」と言い切っていました。カデンツァみたいに、アドリブ性が濃い部分は、目立つとはいっても、お客さんが聴いたことのないフレーズなので、ごまかせる要素もありますが、クラシック曲の有名なソロとなると、誰もが知っているわけですから、一つのミスが曲全体をぶち壊すのに十分な威力をもってきます。たった1音符のミスは、ペンキ屋さんが4階から落ちるのと同じ、プロの世界での死を意味しますから、横川さんの言い方は、大げさではないでしょう。
 もう15年くらい前ですが、ドラムの猪俣猛さんが率いるforceというカルテットのライヴでの出来事です。場所は銀座で、このライヴはそのままアルバムになるとのことでした。お正月の雰囲気でお馴染み「春の海」のジャズ版を演奏開始後まもなく、ビブラホンの浜田均太さんが一つの音を打ち間違えました。これはお客さん全員にわかるミスで、私も一瞬はっとしましたが、「長いライヴの中には、こういうのの一つや二つはあるだろう」くらいに思っただけでした。しかし数秒後、猪俣さんはストップをかけ、「ははは、もう1回やろう。今日のお客さんはついてますねえ。均太のおかげで1曲余計に聴けます」なんて冗談まじりに言いました。場内はとても和らいだ雰囲気になりましたが、猪俣さんのトークには続きがありました。「プロといっても人間ですから、こういうことは有るんですよ。ただ、ここで同じことをもう一度やると、彼はクビです」・・・。ほのぼのとしたトークの中には、真実の響きがありました。同じ個所でもう1回間違えたら、もうこの世界から足を洗わなければならない・・・。そう思っただけで、私だったらもう身体が硬直して、何もできなくなってしまうでしょう。テイク2で、浜田さんが問題の個所を無事通過し、得意の速いアドリブに入ったとき、私も一緒に緊張から解放された思いでした。プロの音楽家は、常にこういう綱渡りのような緊張を乗り越えているのだとわかりました。
 私自身の職業は「怖い職業」とは到底思えません。(時たま身の危険を感じる場面も、無くはないですが) 黒板の字を間違えても、すぐクビになる心配はありません。だから、逆に安心してしまって、じわじわと堕落する可能性があります。自分に厳しくしていないと、いつの間にかダメ教師に転落してしまうというのは、ある意味で「怖い職業」なのかと思ったりもしています。
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2月 3日  続・一発レコーディング

 カウントベイシーのCDを聴いていて、ウインドマシーンという曲の、リードトランペットの音が、恐ろしく上ずるのでビックリしたことがあります。半音近く上ずる個所もあります。私が顧問を務めるブラバンなら、完全にNGを出すでしょう。「チューニングし直して、頭っからもう一度取り直し!」とか言うところです。あのCDは、なぜOKが出て売り物になったのか、最初は不思議でしたが、だんだん解かってきました。
 だいぶ前のことですが、私たちの所属するニューサウンド・ジャズオーケストラが、ニッポン放送のスタジオを1日借りきって、レコーディングを行ったことがあります。その日に向けての最後の練習で、気合入りまくった代表が、「レコーディングでは、ミストーンは許されない!」と喝を入れました。するとどうでしょう。その言葉を境に、演奏はボロボロになってしまったのです。「間違えちゃいけない」という強迫観念に縛られて、自分たち本来の演奏が、全くできなくなってしまったのでした。あわてた代表が、「こまかいミスを怖れず、思いきって行こう!」と修正し、演奏は息を吹き返したのです。カウントベイシー楽団の録音担当者は、トランペットの音程が上ずった、その勢いをヨシとしたのでしょう。取り直しを命じたとき、トランペッターが音程を気にしながら吹いて、演奏に勢いが無くなる方を、逆に心配したのだと思います。
 ニッポン放送で、2回目のレコーディング当日のことです。高橋朋史君編曲のスイングジャズメドレーは、真中へんにアイムゲッティングセンチメンタルオーバーユーという難曲が登場します。トロンボーンソロは最高音C♯でのロングトーン。まさにトロンボーン奏者にとっての鬼門です。長い曲を何とかここまでノーミスで来たのが、惜しくもリードトロンボーンのKさん、鬼門に足をすくわれます。C♯がかすれてしまったその瞬間、Kさんの「うわあーっ!ごめんなさい」という絶叫とともに、演奏は止まりました。ごめんなさいと謝られても、これは誰も責めることはできません。この部分の難しさはみんなよく解かっています。指揮者の下堀先生も、明るい表情でエンジニアの人に声をかけています。。ここを飛ばして先を録音し、後からパンチイン(別個に録音しておいてつなぐ)しようかという相談です。ところが、エンジニア氏はこれに反対。「この曲はパンチインすべきでない。勢いが死んでしまう。最初から取り直しましょう」というのです。なるほど、レコーディングの現場では、演奏者以外にいろいろな人が、いろいろな見地から意見を出し合って、一つの作品を作りあげているのです。
 人間のやることですから、何もかも完璧ということは滅多に無いでしょう。3割バッターが4打席連続安打できるのは、年に1度あるかどうかです。あちこちに気になるポイントがある時、何を幹とし、何を枝葉と見るかが、担当者のセンスなのだと思いました。

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2月 2日  一発レコーディング

 手書きからワープロへの流れは、レコーディングの世界でも同様です。今や録音は、つぎはぎ修整だらけが常識。時々吹奏楽のCDなんかに、ホールで一発どりしたものが見られますが、音をはずしてたり、シンバルが半拍早くジャーンと行っちゃってたり、ミスがそのままになっています。ああいうのは永久に語り継がれるに決まってますから、演奏家も大変だなあと思います。さて、私も究極の一発レコーディングに挑んだ思い出があります。今でも毎年何百人という人が、その作品を聴くことによって、健全な魂と身体に育っているでしょう。私の編曲とピアノ独奏で、曲の名は「三沢中体操」。
 私の実弟が卒業した南多摩高校には、「なんこうたいそう」なるものが存在しました。伝統芸能のような形で、こういう体操がある学校は少なくないようです。前任の三沢中学校でも、三沢中体操へのこだわりは相当なものでした。運動会の練習のかなりの部分がこれの練習に充てられ、授業中にテストもやっていたようです。開校当時に作られたと見られる体操用のカセットテープは、10年間にわたる毎時間の酷使と度重なるダビングによって、雑音や歪みが極限状態でした。たまたま放送担当だった私に、体育の山本先生が「何とかならないかしら」と相談に来たので、「じゃあ僕が新たに弾いて、録音し直そうか」ということになったのです。そしてどうせやるなら、少しアレンジしてやろうと思い、三沢中体操リニューアルプロジェクトはスタートしたのです。
 三沢中体操の第1版は、すべて単音でした。「ソソソソソソソソ、ソソラー、ソソラー」という出だしで、ソの部分は軽くジャンプ、ラーの所で思いっきり高くジャンプです。その後、動きは風雲急を告げ、人を飛び越えたりくぐったり逆立ちしたり、と大変な運動量です。私はすべて和音に書き換え、出だしの部分はG7からCへ。大きくジャンプの所で、Cdimを使いました。おどろおどろしいコードで、これから始まる恐ろしい出来事を暗示するためです。あれこれ考えながら和音を付け、自分で弾けるようになって、さあ録音という段階で、大変困ったことに気付きました。これは体操の伴奏です。身体の自然な動きを誘導するための、テンポと間が最も重要で、自分の頭の中でいくら体操を想像しながら弾いても、やっぱり無理で、実際に身体を動かす状態に合わせて弾くしかないのでした。
 ある日の放課後の音楽室には、私の他に体育の伊藤先生と、ジャージに着替えた3年体育委員の生徒が集結。当時第2音楽室は絨毯敷きだったので、横で体操をさせながらピアノを録音することが可能でした。すごいプレッシャーの中でレコーディングがスタート。三沢中体操はハードです。そう何回もやり直しはできません。私がNGを出すことは、協力してくれる生徒に精神的にも大きなダメージを与えるでしょう。今思い出しても、こんなに集中してピアノを弾いたことは、他にありません。
 今だったら、シーケンサーを使えば、0.0何秒のずれまで簡単に修整できます。体操をビデオにでも撮って、それに完全に合わせてしまうことが可能です。三沢中体操はその後誰かが第3版を作ったでしょうか。今度誰かに訊いてみようと思います。 

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