職員朝礼での社長訓話集 一つ戻る 最新版へ戻る
進んで苦労する (4・30)
アドリブと囲碁 (4・27)
アドリブと英会話 (4・25
顧問が代わると (4・21)
新しいパソコンとの格闘 (4・19)
音楽と勝負事 (4・14)
難しい勉強の攻略 (4・10)
実力者とチンピラ (4・ 8)
続・電脳楽器 (4・ 6)
電脳楽器に一言 (4・ 4)
続々・専門外 (4・ 3)
続・専門外 (4・ 2)
パソコンが順調に動き出して、ちょっと淋しい気分です。何度も壁に突き当たっては、それを乗り越え、そのたびにパソコンの知識が豊富になるという経験を繰り返すうちに、それが快感にさえなってしまったようです。どうも新しいソフトがすんなり走ったり、新しいハードウエアがすんなり使えるようになると、何だか物足りん! 秋留台のビル・ゲイツと言われたN先生も、何となくそんな感じでした。私のノートパソコンにSCSIカードを取り付ける時、ついに降参してN先生にお願いに行った時のことです。さすがのN先生をもってしても、すんなりとは行かなそうな様子で、学年主任でもあり多忙なN先生に、これ以上お時間を割いていただくのも心苦しいので、「パソコン屋さんに持っていくから、もういいです」と言おうとして、言い出せません。N先生の眼はすでにビル・ゲイツの眼になっていて、獲物を前にしたライオンのように欄欄と輝くのでした。
私は最近パソコンに限らず、すべてにおいてそういう感覚を持つようになってしまいました。ブラバンを教えていても、最初の合奏が上手いとつまらん・・・。ヘタであればあるほど嬉しくなります。あちこち指導しながら演奏者をより深く知ることができるのは、パソコンの場合と似ています。学校でも、問題を起こす生徒との方が緊密な関係を築けるもので、三沢中で同僚だったT先生など、「クラスで問題が発生すると、シメタと思う」なんて話してらっしゃいました。自分のクラスで問題なんか一つも起きないのがいいに決まってるのに、この人マゾヒストかしらなんて当時は思ったものですが、今は何となくわかります。
苦労することによって、新しいことがたくさんわかり、世界が広がり、ひと回り強くなれます。以前は、その苦労を終えて余裕ができてから、しみじみそんなことを感じたものですが、最近は苦労の渦中にいながらにして、うすら笑いを浮かべられるようになりました。ひとつ心配なのは、こういう人は、あらゆる苦労から解放されたときに、生きがいを失うことが多いとか・・・。何とか一生苦労を続けて行こうと思っています。
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秋留台のクムクム先生は、私の囲碁の師匠でもありまして、休日ともなれば、朝から晩まで碁会所で過ごすような方です。私も以前は将棋会館に通ったこともある身なので、「クムクム先生は、1日に何局くらい打たれるんですか」と何気なく尋ねたら、そのお答えは、「20局は打ちますかねえ」とのことでした。将棋でも1局に1時間くらいはかかるものだし、囲碁はもっと時間を食うはずなので、この数字はかなり驚異的な印象でした。クムクム先生いわく、「あまり考えていないんですよ。こういう形のときはこう打つ、というセオリーみたいなものに従っているので、ぱっぱっと打てるんです」。ううむ・・・なるほど、達人というのはそういうものなのか、と感心しましたが、話には続きがありました。「でもねえ。形だけで打っていたら、せいぜい四段が限界です。五段以上になるには、そのセオリーからどう抜け出すかが課題なんですよ」
この話を伺って、私はジャズのアドリブと余りにも似ていることに驚きました。アドリブは、とっさに作曲をしているわけですが、実はそんなに頭を使う作業ではありません。コード進行のセオリーに従って、お決まりのフレーズを埋め込んでいく限り、頭はまったく使わないと言ってもいいくらいです。ところが、そういうありふれたフレーズを並べただけのアドリブは、ある程度聴きこんでいる人には、新鮮味のないつまらないものになってしまいます。このレベルが、アドリブ道四段というところになるのでしょうか。お客さんの意表を突いて、スリリングな展開を演出するには、セオリーからわざと逸脱する必要があります。これが難しくて、ヘタするとアサッテの方向に行っちゃったきり、戻ってこれないアドリブになったり、単なるメチャクチャ弾きと変わらないものに陥りがちです。しっかりした意図、計画性をもった逸脱ができるようなら、アドリブの腕前も五段以上と言えるでしょう。
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「アドリブができるようになりたいのだが・・・どうすればいいの?」という相談を、過去何十回されたことでしょう。私自身、そんなに弾けるわけでもないのに、「教えてくれそうな人」と思われてしまうのは、やはり職業柄でしょうか。アドリブに関して、私は一つの持論があります。それは「理論より先に実践あり」ということです。音楽は、やればやるほど会話と似ていることに気づきます。というより、会話そのものでしょう。クラシックは、台本の決まったセリフを、どう自分なりに表現するかというようなもので、ジャズのアドリブは、その瞬間の気持ちをとっさに言葉にする即興劇です。いずれにしろ、楽器を使った会話なのです。
だとすれば、英語がペラペラになる近道が、いきなり海外生活をすればいいのと同じで、自由自在にアドリブができるには、まずはメチャクチャでいいからやってみることでしょう。理論をいくら勉強しても、アドリブができるようにならないのは、英語の授業でいくら高度な文法を勉強しても、ペラペラ話せることにつながらないのと同じです。さて、この説の正しさを確信して、多くの若者に「アドリブ講座」を実施して参りましたが、やはり目覚ましい進歩をとげる者と、まったくできるようにならない者がいました。この差が何に起因するかも、英会話の場合とまったく同じと言えます。言葉を習得するコツは、赤ん坊になったつもりでやるのがいいわけで、恥をかくことを怖れる人には向かないのです。
まずはジャムセッションごっこから始めて、何かしら自分流の表現方法が見えてきたら、それから文法にあたる「コードとスケールの理論」を勉強してみてはいかがでしょう。言い忘れましたが、語学修得に「暗記」は欠かせません。英語は最大の暗記科目です。アドリブも、いいのをどんどんコピーして自分のものにしましょう。
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転勤して半月が過ぎ、青梅東でのブラバン顧問生活が本格的に始まっています。おかげさまで、ほとんど何の違和感もない状態で、何だか5年くらい前からここの学校にいたような錯覚さえ覚えています。私の今までの常識では、新しく顧問として着任すると、自分の思い通りの部活にできるまでに、2年はかかるはずでした。いろいろな学校での実例が、そのことを証明しています。
だいたい、顧問が変わるということは、部員たちにしてみれば、例えが適切で無いかもしれませんが他人の心臓を移植されるようなものです。部の生命を維持し、発展させたいという願いだけは共通でも、拒絶反応とまで行かないにしろ、あちこちに違和感を抱えたスタートにならざるを得ません。教員側もどこか遠慮の混じった指導になります。本当にしっくり行き始めるのは、その顧問が赴任するのと同時に入学した生徒たちが3年生になった時からです。だから丸2年はかかるわけです。これはどんな大先生の場合でも言えることで、15年くらい前でしょうか、ブラバンの当時名門の、豊島十中と赤塚三中で顧問の交換トレードが行われた時も、3年目くらいになると、ものの見事にそれぞれの先生のカラーに染まったものでした。出てくる音といい、生徒たちの顔つきといい、それは両校の生徒がそっくり入れ替わったのではないかと思わせるほどでした。現在の都立片倉高校も、数年前の永山高校と余りにも似ています。偉大な顧問の影響力というのは、そのくらい大きいものなのです。
私が違和感無く入れたのは、比較的順応性に富んだ性質もあるでしょうが、やっぱりそれほど偉大では無いからでしょう。偉大な先生方というのは、同時に強い個性というかクセを持っているというか、信念を貫く人であり、素晴らしい成果を上げられるまでには、数多く生徒との衝突を経ています。私なんぞは、毒にも薬にもならない教員なのかなあ、と思えてしまいます。でも、音楽が好きで気持ちの優しい生徒たちに囲まれて、秋留台の時と同じくらい、毎日を楽しく過ごしております。ほーっほっほっ・・・。
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今日はちょっと音楽の話題から離れます。このページを何日か更新しないと、とたんに「お体の具合はいかがですか」なんてメールが届くようになりました。この数日間、PCの入れ替えで悪戦苦闘しておりました。だいたい今回に限らず、何か新しい周辺機器を増設するたびに、出口の無い迷路を経験するのですが、皆さんこんなに苦労されるのでしょうか。マニュアル通りつないで設定して、一発で正常に働いたことなんかまず無くて、エラーメッセージの連打に打ちのめされるのです。このエラーメッセージというやつが、また不親切というかアテにならないというか・・・。そしてマニュアルやヘルプを見ると「詳しくはハードの方のマニュアルを見ろ」ってことになって、そっちを読んでいくと、最後には「詳しくはウインドウズのヘルプを見ろ」とかなっていて、もはや堂々巡りの状態。こういうときはホント泣きたくなります。ただ私はもともとパズル好きで、壁に突き当たっても、それが案外快感だったりする部分もあるので、めげずにさらなるチャレンジを続けることができます。行き詰まった時、ある程度時間をおいてから再挑戦するのは有効です。詰め将棋作家の野口益男氏が著書の中で「夜解けなかった問題を次の朝やり直すと、ひょっこり解けることが多い」と述べていますが、これには私も同感。たいてい正しい設定が完成するのは、我が社の場合は日曜日の午前中なのです。
迷路から抜け出せた時は、何ともいえない満足感があり、それが次回にも「サポートセンターに泣きつかずに自力でやってやろう」という気持ちの原動力になります。今まで最も大変だった思い出は、ルーターを買ってきて2台のPCでネットワークを作った時ですが、「リソースの競合」という事態に遭遇し、マニュアルをほぼ全部読み切るほどの巨大迷路でした。抜け出した時は、これで私も一人前に「パソコンの扱いなら任して!」って言える立場になれたかな、なんてほくそ笑んでいましたが、翌日学校でこの話をしたら、同僚の理科の先生が、「ああ、リソースね。あれちょっと面倒くさいよね」ですって。あれだけ苦しんだ問題が「ちょっと面倒」とは、この先生の強がりと見るべきか、私が本当に機械音痴なのか、未だによくわかりません。何はともあれ、やっとこ新しいPCも我が家の一員になった感じです。
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4月14日 音楽と勝負事
私は将棋の腕前が初段位なのですが、それ以上進歩がありません。勝負よりもパズル性が好きなようで、詰め将棋の方は、30手詰めを超えるような、やや難しいのでも攻略します。思うに音楽は、勝負事と相容れない世界なのではないでしょうか。
私は学生時代に初めて、将棋会館というところで他流試合を経験しました。初段といっても、家族や周りのお友達の中では、もう王様ですから、少しは歯ごたえのある相手を求めていたのと、もう一つの大きな動機は、社交場として見ず知らずの人たちと将棋を楽しめるということでした。入場料も丸1日いて数百円なら安いもんです。さてさて、実際に他流試合をやった感想はですねえ・・・。社交場なんてものじゃあ無いですよ。あれは正に食うか食われるかの真剣勝負の世界。実際やってみるとわかりますが、あの場で楽しい思いをするためには勝つ以外にありません。負ければ不愉快になります。自分が楽しくなるためには、相手を不愉快にせざるを得ないのが勝負の世界。音楽のように、相手を楽しませることで、自分も楽しくなるというわけにはいきません。私にはやっぱり勝負事は向いていないようで、私ほどの頭脳を持ってすれば、五段くらいになってもおかしくないのですが、未だに強くなれないのはそういう事情でしょう。ほーっほっほっほっ。
理数系の人々は、音楽を好むか勝負事を好むか、だいたい2通りに分かれるようです。秋留台高校では、囲碁や麻雀や競馬に才能を発揮するのは、やはり物理や数学の先生方でした。音楽が好きで勝負事も好きという人を、あまり知りません。例外的なのは、ジャズで時たま見かける「ドラム合戦」とか「アドリブバトル」なんかですが、相手をやっつけようというよりは、相手と違ったカラーを出して、お互いの個性を際立たせて、結局はみんなが楽しい思いをするように考えてやっていますから、勝負という感覚ではないと思います。かなり偏見に満ちているので、勝負事の好きな方の反論をお待ちしてます。論戦しましょうぞ。
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ニューサウンドジャズオーケストラに、新しい顔ぶれが次々と入団してきています。楽器そのものに関してまったくの初心者という方もいれば、ブラスバンドで管楽器を経験していたり、クラシックのピアノならかなりの腕前という方などいろいろですが、共通しているのは、「ゆくゆくは、自由自在にアドリブをできるようになりたい」という気持ちでしょう。私自身、アドリブをマスターしたなんて口が裂けても言えない身分ですが、初心者の皆さんに、アドバイスもどきをお届けしましょう。
私もよく楽器屋さんに行っては、「アドリブ入門」とか「1週間で誰でもアドリブができる」なんて本を買いあさったものです。しかし「1週間で痩せる本」で実際に痩せられる人がいないように、教則本を1回読んだくらいでは、わからない言葉の方が多すぎて、まず挫折するでしょう。コードやスケールの理論の勉強は、かけ算の九九から一気に二次方程式へ行くようなギャップがあるように思えます。じゃあ、その間を段階的に埋めるような教材を使って、コツコツ勉強すればよさそうなものですが、そういうものが本質的に存在しない分野ってあるようです。例えば古典力学から量子力学へのギャップがそうで、どんなに教え方の上手い教授の講義を受けても、「あっ、そうだったのか」とすんなり理解できるというものではありません。では、こういう全く新しい概念を必要とする勉強はどうすればいいのかというと、京都大学の某先生が「はじめは意味が解らなくても、とにかくその言葉が使われる環境に身を置くことだ」とおっしゃっていました。講義を受けたり本を読んだりという勉強法より、研究室に所属して、そこで教授や大学院生たちとコーヒーを飲んでいる方が良いということですが、私もまったく同感です。
コードの理論がわかるようになりたい皆さん。ニューサウンドに入って、「オレのメジャーセブンとぶつかる?」とか「それ気持ち悪いねえ。おっとシャープイレブンでやんの。OKOK」なんて会話に混じってみて下さい。ここの空気を吸うだけで、十分良い勉強ができます。新学期を迎えて、難しい勉強に挑まなければならない皆さんも、そういう環境で長い時間を過ごせば、いつの間にか解るようになりますよ。
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今日は、すでに古巣となった秋留台高校でOB合同練習を行い、私の後任である柳澤先生が初めて指揮をとりました。柳澤先生の指揮は堅実で、指摘される内容もまさに的確そのもの。以前に渡部先生に文化祭の指揮をお願いしたときにも思ったのですが、ピアノや声楽がご専門の方は、ろくに指揮というものを経験しないで来ているはずなのに、私のデビュー戦のような悲惨な状況に陥ることもなく、演奏の細部まで気を配りながら、見事に統率できるものなんですね。それでいて私に「いろいろ教えて下さい」なんて言うもんだから、私としては本当に恥ずかしくなってしまいます。いつも思いますが、実力のある人ほど謙虚なものです。渡部先生も柳澤先生も、真の実力者と言えるでしょう。じゃあ、その反対に、ニセ物っていうのが存在するのかというと、これがいるんですな。
数年前、都立☆☆高校の役員生徒から、合奏のコーチを頼まれたときのことです。☆☆高校吹奏楽部は、顧問の先生はまったくノータッチですが、某音大卒業の優秀なコーチ陣を雇っていて、コンクールではなかなかの成績をおさめています。何名かが秋留台に武者修行に来たりして知り合いになり、ポップスステージ用のジャズ系の曲を、是非ともこの私に見て欲しいと言い出したわけでした。日程調整も終わってお互い楽しみにしていた頃、部長の子から「先生、困ったことになりました」と緊急連絡。私をコーチに呼んだことが、他のコーチたちにバレてしまい、たいそう気を悪くされているとのこと。「オレたちという立派な専門家がいるのに、そんな音大も出てない、どこの馬の骨かわからんような素人にコーチを頼むとは何たること」というわけです。部員たちは2つの選択肢を用意しました。コトを丸く収めるために私を呼ぶのを中止するか、「誰を呼ぼうがオレたち部員の勝手だろ。雇ってやってるあんたらにとやかく言われる筋合いは無いっつうの。ギャラの分しっかり働くことだけ考えてりゃいいんだよ。」と開き直るかです。私は、☆☆高校の今後のことを考えて前者を勧めました。「私達が間違っていました。これからも先生方のすばらしい教えだけを受けとうございます」と言って頭を下げておくように指示したのです。
思うに、私の招聘にクレームをつけた先生方はまだ若くて、実力的にもチンピラの部類でしょう。だから気持ちに余裕が無いのです。本当に力のある方々だったら、自分の縄張りを侵される心配をするどころか、☆☆高生たちの支持を得た私のジャズ指導というものを見学でもして、いっちょ勉強してやろうくらいの好奇心さえ持って下さると思うのです。☆☆高の役員は礼儀正しい子たちで、私に対して「気を悪くさせた」とずいぶん自責の念を持ってしまいましたが、「全然気にしてないよ。また今度こっそり指揮しに行くからさ」と言っておきました。私は傷つくどころか、会ったこともないチンピラ先生方に対して、何となく優越感を抱くことができ、ご機嫌なのでした。
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エレクトーンがつまらなくなったとボヤく私は、もしかすると、オートマ車が主流になった世の中で、頑なにマニュアル車を乗り続けるドライバーみたいなものかもしれません。ただマニュアル派にも言い分はあります。オートマ免許で運転している人の多くは、エンジンブレーキなどの概念が乏しいので、やはり危険が大きいのではないでしょうか。楽器の場合は生命に危険が降りかかることこそありませんが、私は最近のオートマ楽器の隆盛に、警鐘を鳴らしておきたいと思います。
義妹がエレクトーンを習っていたので、久しぶりに発表会というものを見る機会がありました。「ピアノ・エレクトーン発表会」という名目で、子供達はピアノかエレクトーンのどちらかを披露してくれます。エレクトーンの方が、半々より少し多いくらいだったと思いますが、ピアノ派にとっては辛い発表会のようでした。4,5才の子供がピアノを弾くといったって、「ちょうちょ」や「チューリップ」くらいのものですが、同じ4,5才の子が弾くエレクトーンは、前回述べたように本格的です。「今のエレクトーンはこういうこともできるんだ」と割り切って聴ける立場の人はいいですが、親となるとそうもいきません。自分の子がピアノで「ちいちいぱっぱ」の時に、同じ年のよその子が「A列車で行こう」では我慢ならんでしょう。我が子もエレクトーンに転向させたくなるのは当然です。そうして転向した我が子の演奏は見た目飛躍的に向上するわけですが、それでいいのでしょうか。
私が思うに、今のエレクトーンは「大きな部品をいくつか組み合わせてできるプラモデル」のような音楽を作っています。出来上がりはかっこいいですが、個性の入り込む余地が殆どありません。子供の作る物というのは、もっともっと「手形付きまくりの粘土細工」のようであるべきです。川を飛び越そうとして落ちた経験も無いうちに、自分の身長の何倍も飛べるスーパーマリオで遊ぶのも良くないです。子供には「自分で身体を動かした分が、そのまま結果として返ってくるもの」を与える、いわゆる実物教育をすべきだと思うのですが、いかがでしょう。
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4月 4日 電脳楽器に一言
エレクトーンというのは、たしかヤマハの登録商標で、ビクターはビクトロン、カワイはドリマトーンというそうですな。以前、カワイ音楽教室で講師をされている方に、何気なく「ピアノだけでなく、エレクトーンも教えてらっしゃるんですね」と言ったら、「ドリマトーンとおっしゃって下さい」と訂正を求められました。愛社精神と帰属意識の強い関係者の方々は、一定のこだわりをもってらっしゃるようですが、私にしてみれば全部一緒で、ついでに誰が弾いても出てくる音楽まで皆一緒です。電子楽器はパソコンと同様、急速な発達を見せましたが、進化の方向が間違っていたように思えてなりません。エレクトーンは、今や究極のつまらない楽器に成り下がったと感じるのは私だけでしょうか。
私がエレクトーンの修行に励んでいたのは、20年くらい前のことになりますが、4年間レッスンを受けてそれなりのレベルに到達していながら、スパっと足を洗ってしまいました。凝り性の人は往々にしてこういうやめ方をするみたいですが、私が引退したのには正当な理由がありました。4級の受験要項が大きく変更され、JOCとかいう組織の天才少年少女たちが作った曲が課題に出されるようになったのでした。また、別の課題として設定されたクラシック曲のアレンジ物は、ベースが2オクターブ必要で、100万円以上する楽器が新たに必要になります。ヤマハから「4級受けたきゃ、楽器買い直せ。子供の作った曲集の譜面を買え」って言われてるに等しいわけで、このミエミエの商業主義にこれ以上おつき合いする気が無くなったのです。また、機械の機能が充実してきた分、演奏に個性を出すことがより困難になることも実感していました。そのことを先生にお伝えしたら、「君はそれに気づいてしまったんだね。ならばジャズピアノの方へ行くべきだよ」とおっしゃいました。
「僕にも弾けた」「指1本で弾けた」なんてキャッチフレーズに示されるように、音楽の大衆化という点でヤマハが果たしてきた役割は大きいでしょう。今やシーケンサー機能によって、それこそ指1本でどんな曲だって弾けてしまいます。発表会なんかを見ても、小さな子供から大人まで、演奏にそんな差がありません。ただ、全部の車が自動操縦でやってるF1レースを見ているような気がしてしまうのです。
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4月 3日 続々・専門外
三沢中卓球部の顧問としての私は、なかなか上手くやっていたと思います。もちろん卓球なんて、温泉で浴衣着てやったくらいの経験しかないので、生徒と対決しても歯が立たないのは当然ですが、ちょっと違った形で存在感を示すことができました。
私は将棋が初段というので解るとおり、勝負事はけっこう好きです。競技の中味に関する高度な作戦なんか知らなくても、いろんなトーナメント戦やリーグ戦を組織して、「さあ優勝するのは誰か!」というドキドキ感を演出するのは得意です。卓球部の40人ほどをA級からE級の5段階に分けた番付表を作成し、毎週土曜日にリーグ戦を行いました。番付は実力主義ですから1年生でA級もいれば、3年生のE級もいます。欠席は「休場」扱いですから、当然猛スピードで順位が落ちます。最も多くのギャラリーに見守られて盛り上がる試合は、意外なことにA級の優勝決定戦ではありません。各級の優勝者は上の級のビリと入れ替え戦をやりますが、この入れ替え戦こそが、人生の光と影を感じさせる、最大のクライマックスです。A級のメンバーは自動的に対外試合の選手になりますから、A級から陥落する生徒のショックは大きかったでしょう。でも、これは最も公正な決め方で、オリンピックの選手決定方法よりずっといいと思います。私はさらに「名人戦」「十段戦」など、次々と大会を組織し、基礎トレーニングを度外視した、試合がすべての卓球部を作り上げました。いつの間にか生徒は60人に増え、朝練の希望者も続出し、特にA級を指定席化しているメンバーは、対外試合に意欲を見せ始めました。この卓球部は、翌年に着任された大御所のW先生が引き継いで下さり、全都有数の強豪に成長したのです。
ブラバン顧問のあり方には、指揮者として指導者としてバリバリやる以外に、一緒に楽しく楽器を吹くという道もあることを述べましたが、他にもマネージャー的に世話を焼くのが好きな先生や、クラブ通信作りに命を賭ける先生など、様々な形が考えられます。4月はあちこちで顧問の先生が替わるでしょう。お互いが最もやり甲斐を感じられる形態を見つけて、楽しい活動を作ってほしいと願っています。
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4月 2日 続・専門外
秋留台に着任した年、私は男子バレーの顧問になりました。初めて体育館での練習を見に行った私の回りに、練習を中断した部員全員が全力ダッシュで集合し、元気良くあいさつしてくれて、それはそれは爽やかな光景でした。女子バレーの顧問でこの道の大家であらせられるT先生も、「基本から教えて上げるから、生徒と一緒にがんばりなさい。絶対に生徒より上手くなれるよ」とおっしゃってくれて、ブラバンしか知らなかった私にとって、この溌剌とした雰囲気は新鮮でもあったし、だんだんその気になってきました。
ただ非常に困ったことがありました。それは試合の時です。バレー部の生徒は1セット終わるたびに私のところへ集まって来るのです。よその監督さんたちは、何だかすごい有効なアドバイスをしているようですが、こっちはまるっきり言う言葉が思い浮かびません。「引き続きがんばれよ」とか「もっと声を出していこう」くらいが限度です。ところが、バレーの試合は3セットのうち2セット取れば勝ちなので、1試合のうちには最低2回、生徒が集まってくるのです。フルセットにもつれ込めば3回だし、何試合か続けてやる日は、当然その数に試合数がかけ算され、おまけに最後には相手チームまで来てしまいます。こちらのメチャクチャな感想に対し、非常に礼儀正しくお礼を言って帰る彼らの姿が、なおさら私の自己嫌悪を増大させました。自分は先生なのに、ちっとも生徒の役に立ってあげられないというのは、本当に苦痛です。
ふとした誘惑から音楽室に足を踏み入れた日、気が付いたら私は、基礎練習のメニューなど目に付いたことを次々にアドバイスしていました。やはり自分の居場所はここだ、と思いました。バレー部の生徒には本当に悪かったと思いますが、6月中旬に突き指したのを境に、まったくの幽霊顧問になり果てました。
今思えば、私がバレーの世界に留まることはできたような気がします。まったくの初心者なのですから、監督のように崇められてしまわずに、一緒に仲間としてバレーを楽しんでいれば良かったのです。ブラバンでも、「楽器のことはわからない」という方が顧問の先生になることがありますが、そういう場合、いきなり指揮を任せたりしない方がいいでしょう。何か楽器を始めてもらって、新入部員と一緒に特訓してあげましょう。先生の側としても、生徒より進歩が遅いことは十分あり得ますが、一生懸命やって少しずつでも進歩の跡が見られれば、生徒は決してバカにはしないものです。プライドを捨ててがんばってみましょう。
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