職員朝礼での社長訓話集 一つ戻る 最新版へ戻る
続・合宿 (7・31)
合宿 (7・26)
続々・打楽器奏者 (7・24)
続・打楽器奏者 (7・22)
打楽器奏者は1曲に賭ける(7・21)
音楽環境 (7・18)
プロデビュー (7・17)
8進法 (7・14)
どんでん返し (7・13)
野球応援 (7・10)
先制攻撃 (7・ 6)
悪役 (7・ 3)
ファンタジア (7・ 1)
ただ今〜!というわけで、まずは合宿の無事終了、そして大成功をご報告いたします。毎年のように、行く間際まで「こんな状態で合宿ができるんだろか?」「行っても意味がないからやめちゃおか?」という悲観的な気持が頭をよぎります。今年は転勤してきたばかりなので、尚さらそうでしたが、帰ってくると、これまた毎年のように「こんなに成果が上がるとは思わなかった」という嬉しい誤算を感じます。楽器が得意な自分と、同じ尺度で進歩を期待するのは禁物、と常日頃自分に言い聞かせていますが、逆に自分の年齢の尺度で考えてもいけませんね。若い高校生は進歩が早いのです。ホント、生徒たちがこんなに上達するとは思いませんでした。
ブラバンで合宿に参加したのは6名でした。私の持つ自己最少記録は、秋留台で一昨年樹立した4名です。ブラバンの合宿として、この少なさは多分、日本記録だと思います。練習メニューは大部分が個人練習(個人レッスンも含む)で、合奏は1日1時間位でした。合宿の位置付けは、バンドごとに様々で、曲の仕上げを目的として行くならば、合奏を増やすのは当然ですが、私は合宿を基礎力増強の場と考えているので、何なら全部個人練習でもいいとさえ思うくらいです。だって、ふだんだったらロングトーンに1時間以上かけたり、全調のスケールやったり、なかなかできないでしょ? こういうまとまった時間が取れる時こそ、基本に帰る絶好のチャンスなのです。少なくとも私自身は、何の楽器でどんなバンドの合宿に参加しても、「個人練習の時間がもっと欲しい」と感じます。秋留台でコンクールに出た年に、4泊5日の合宿では基礎練と易しい曲ばかりやって、帰って来てから自由曲の譜面を配ったことがありました。私の勝手な思い込みかもしれませんが、合宿中から延々とコンクールの曲の練習をやるよりも、いい演奏ができたと自負しています。とにかく何事も基本が大事ですから、合宿中の練習メニューをどうするか、ということは重大問題として、よ〜く考えておく必要があります。
最後に、こんな少人数でどんな演奏ができるのか、興味を持たれた方は是非、9月23日のお昼頃本校にいらして下さい。ポップスは、やり方を工夫すれば、ヒト桁人数でもけっこう御機嫌な演奏になる、ということがお判りいただけるでしょう。また、来年以降も最少催行人数2名という線で、合宿は続けるつもりです。少人数ブラバンの皆さん、お互いがんばりましょう!
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明日からブラバンの合宿引率です。三俣という場所は、スキーで何度か訪れたことがある場所ですが、ブラバンの練習に適した場所かどうかは全くの未知数・・・。どんなことになるのやら、期待と不安が入り混じります。でも、いろんな合宿を経験しているので、何とかなるとは思いますが・・・。何年前だったか、秋留台のブラバンで長野県の木崎湖に合宿に行った時には、練習場が宿舎から500m位離れた体育館だったのですが、湖の近くで心地よい風が吹き抜けているのに、体育館の中だけがどういうわけだか灼熱地獄なのでした。建物の構造上の問題でしょうが、運動部だったら大変だったと思います。たまらず予定を変更して、宿舎の大広間で合奏することにしました。去年、ニューサウンドで泊まった河口湖の民宿も、体育館というか道場で、グランドピアノ有りということでしたが、何年も使ってなさそうなシロモノで、自分のシンセサイザーを持参していて正解でした。また、部屋でパート練習可能というフレコミにも関わらず、リコーダー程度の音量を想定していたのでしょうか、我々のトランペットの音を聞いたとたんに、「ダメー!」って言われた宿舎も何件かありました。事前に下見に行って、宿のご主人さんと細かい打ち合わせをしてもこの有様ですから、初めての宿では、何が起こるかわかったものではありません。
最近、音楽専用ホールを備えた民宿が増えていて、我々にとっては有り難いことです。ただこれには裏事情があって、「私をスキーに連れてって」の頃の大ブームが去った今、あの苗場地区でさえスキー客だけでは宿の経営が成り立たないのだそうです。苗場ではすでに、夏の宿泊者数が冬を上回っており、テニスコート、グランド、音楽ホールを整備して、夏の客集めに力点が移っています。
ニューサウンドの場合、毎年のように宿舎を変更していますが、理想的には良い設備の宿に固定化して、毎年同時期に実施し、帰り際に翌年の予約を入れるのがいいですよね。アマチュアミュージシャンにとって、合宿は1年間に進歩する分の大半を稼ぐ場(1年間で退化した分を取り戻す場?)ですからね。では行ってきまーす。
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打楽器奏者というのは、ブラバンの中で少数職種と言えます。一歩間違えば、仲間はずれのような感覚に陥りやすく、逆に打楽器奏者どうしは、固く結束します。入部して間もない頃、新入生全員が腹式呼吸の練習やってるのに、自分だけ別の所へ連れて行かれます。この段階ですでに疎外感を覚えます。合奏が始まって、全員でロングトーンやりながら、指揮者の先生が「あれが高い、これが低い」とバシバシ指摘する時も、「ああ、パーカッションは、何か適当にリズム打ってて」なんて言われるわけです。私の先輩は、指揮者にかまって欲しかったのか、わざとずれたリズムを打ったことがあって、その時はさすがに指揮者もこっちを向いてくれましたが、「もういい。叩くな!」と言われ、6人全員が失業しました。
打楽器の最大の特徴は、口を使わないことです。ということは、ブラバンにおいては、演奏しながら話をすることが可能な唯一のパートであるわけで、しかもやたらと休みの小節が多いとくれば、練習中に最もワイワイガヤガヤやりがちなのが打楽器なのです。調子に乗りすぎて、木管の恐い先輩にプールサイドに呼び出されて、打楽器全員正座させられてお説教されたことがあります。しかしこの休みの小節の多さというのは本当にケタ違いで、シンバルなんか受け持てば16や32なんて当たり前。64なんてのも珍しくなく、ヘタすると1楽章まるまる休みなんてのもあります。そういう長い休みが連続する部分で、他のパートが指揮者につかまってたりすると、練習は限りなくヒマになり、バスドラムの陰にかくれて熟睡した経験もずいぶんあります。
まあ、そんな経験から、打楽器奏者の気持ちを理解してってわけでも無いんですが、私くらい練習中に打楽器をかまってあげる(?)指揮者も珍しいかなあと思います。やっぱり気になるし、打楽器奏者は指揮者の次にその曲の雰囲気に影響を与えるキーマンだと考えていますし・・・。今いろんな楽器に手を染めていても、やはり私の本籍は打楽器かな、と思うこのごろです。
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打楽器の中で、正直言って私がやりたくないのはシンバルとトライアングルです。お猿さんでもできそうに見られてしまうからではなく、単純に言って難しすぎるからです。特にトライアングルなんて、合奏の中で自分の納得の行く音が出せた試しがありません。ビーター(バチ)選びから、叩く場所、叩き方について、相当な研究を必要とするでしょう。小物箱に入ってたやつをちょこっと取り出してきて、いきなり合奏で叩いて、曲想にマッチする音が出せることはまず期待できません。さて、逆に好きな楽器はバスドラム、いわゆる大ダイコです。こいつは奥が深いというか面白いというか・・・。バスドラに目覚めたキッカケは、たまたま南米の民謡みたいなのを聴いた時なんですが、笛(ケーナっていうの?)とギターと大ダイコ(バスタムみたいなの)の3人という不思議な編成でした。笛がメロディーで、ギターが和音の伴奏なのは解りますが、残る一人がリズム楽器であるなら、なぜバスドラ一つなのでしょう?ドラムセットとかの方が良いに決まってますが・・・。という疑問を持って聴いてみると、これが実に良いんですね。ドンドコドンドコやってるだけなのですが、リズムキープと同時に、通奏低音としてサウンド全体に厚みを持たせているんです。これを聴いた直後から、私はある実験をしたくてたまらなくなりました。チューバのいないブラバンでバスドラムを叩いてみたくなったのです。幸いというか不幸にしてというか、私の周りにそういうブラバンはいくつかありましたので、さっそく実験開始。曲は「シンコペイテッド・クロック」と「ワシントン・ポスト」でしたが、チューニングを若干調整して、何回か試しているうちに、チューバに近い雰囲気が出せるようになり、当然チューバの不在をかなりの部分補えることが確認できました。このことは、逆にしっかりしたチューバ奏者が存在するバンドでバスドラムを叩く時に、「チューバと共に」アンサンブルに溶け込む面白さを教えてくれました。
打楽器の音は、他の管楽器の出すすべてのユニゾンやハーモニーから独立しているように見えます。どんな小さいppのトライアングル一発でも、必ず聴き取れます。一曲の頭からケツまで、全部ソロみたいなもんです。だから目立ちたがり屋とか協調性の無い人に向いていると思われがちですが、実は違うんですね。アンサンブル全体に常に注意を払って、全く毛色の違う音色を、どう溶け込ますかという、最も高度なことを要求されるんです。打楽器が上手いバンドは、間違いなくレベルの高いバンドなんですよ。
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今日は八王子の中学校に臨時コーチで行って参りました。明日、町内会のお祭りで演奏する曲をいくつか練習してきたわけですが、父母の皆様もさぞ楽しみになさっていることと思います。さて、私も中学時代からブラバン部員として、多くのステージを踏んできておりますが、打楽器奏者に特有の苦労と悲哀をお話ししましょう。
トランペット奏者は、どんなに簡単なパートを吹かされても、もしくは練習が間に合わなくて吹けない個所だらけでも、とりあえずはトランペットを持って座っているので、外見上は上手い奏者と何ら変わりない「トランペッター」です。ところが、打楽器というパートは、一人一人違う楽器を担当するので、ある曲の中でドラムセットをやる人、ティンパニをやる人、トライアングルをやる人・・・等がいるわけで、これらすべて重要なパートであるにもかかわらず、人々の目にはそうは映らないんですね。私もたまにジャーンと打つシンバルをやったときに、クラスの友達から「お前不器用だから、あのお猿さんの楽器なの?」と尋ねられ、たいそうショックを受けた覚えがあります。実は打楽器の難しさは見た目とは大違いで、シンバルやトライアングルは最も高度な技術とセンスが必要です。でも、そんな苦労とはウラハラに、おもちゃの猿でも叩けるものと思われてしまうから、こりゃたまらん。特に中学生くらいだと、やってる本人ですらそういう認識を持っている場合もあるので、パート割りには公平を期さねばなりません。最も華やかな楽器から、猿でもやれると思われてる楽器までが、一回のコンサートで均等に当たるようにするわけです。そうしないと、本人が納得してても、親が納得しない場合もあるので・・・。すると、カッコいいドラムセットは、だいたい一人一曲回ってくるくらいでしょう。これが決まった夜はですねえ・・・、「オレ、○○の曲でドラムやるからさぁ。○○だけはちゃんと聴いててよね」なんて親に言うわけです。そして本人の頭の中は、その曲をどう料理するかということで一杯になります。少ないチャンスで自分をアピールしなくてはならない・・・まるで代打の切り札、阪神の川藤さんみたいです。
どうか皆さん、特にブラバン中学生をお持ちのお父さんお母さん、シンバルやトライアングルが簡単だなんて、誤った認識を持たないようにお願いしたいと思います。そして、本人が賭けている1曲があったら、「ようわからんかった」なんて(私の父のように)言わずに、耳を皿のように(?)して細部まで聴いていただき、その後是非あたたかい誉め言葉をかけてください。
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私は幼少の頃から、恵まれた音楽環境の中で育って、現在のような天才的な音楽家(ほーっほっほっ・・・)になったと思われているようですが、実家に初めてレコードを聞ける設備が導入されたのは、高校1年の時でした。中学校で吹奏楽部に入ったといっても、ドラムセットを持っている学校が東京じゅうに、ほんのいくつかしか無い時代です。ラテンやジャズの叩き方なんて教わる術も無く、数少ないレコードを擦り切れるほど聞いて、テレビの音楽番組を目を皿にして凝視するしかなかったのです。(ビデオなんて当然無かった) それに比べると、今は本当に恵まれた時代です。知りたい情報が、非常に多く、しかも素早く手に入ります。最近の中学生高校生のドラマーたちは、私が苦労に苦労を重ねてコピーしたフレーズ(今にして思えば、何でもないようなもの)を、いとも簡単に知り、使うことができるので、少々嫉妬したくなることもあります。
さて極めつけは、我が社の最年少若手社員、弦太の置かれている環境です。週1回以上バンドの練習を見学し、家では毎日毎日ジャズのビデオを見て、CDやMDを聴いて、お父さんの部活に遊びに行けばホンモノのドラムもピアノも使い放題・・・。星一徹みたいなつもりでやってるわけでは無いのですが、夫婦で音楽に熱中してると、どうしてもそんな環境が出来上がってしまうのです。ニューサウンドのメンバーは、「これは一つの壮大な実験だよ。どうなるかすごく楽しみだね」と言っています。音楽漬けの環境にいる子供が、将来スーパースターになるとかよりも、どんな育ち方をするのかが興味津々というわけです。では、本人は今どんな状況かというと、子供の記憶力というのはスゴイもので、かなりの曲を覚えこんでいて、それに合わせてドラムを叩くことができるようになっています。親バカの分を差し引いても、なかなか正確なリズム刻むんですよ。シーケンサーにピッタリ合わせて叩くなんて、僕がやったってかなり難しいのに・・・。まあ、皆さん、そのうち弦太さんの成長ぶりを見に来て下さい。
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私の所属するバンドには、多くのプロミュージシャンや、プロを目指してがんばっている若者や、元プロの方などいろいろ存在します。そういう人たちと接しながらわかったことは、プロの音楽家というのが決して華やかな世界ではないということです。私の仲間の方々は、そのへんのことを十分理解した上で、ただ音楽が好きで職業にしているから問題はありません。しかし、気になるのは、全然そのへんを知らないで、「1曲ミリオンセラーを当てれば、遊んで暮らせるぞ」みたいな感覚で「歌手になりたい」とか言う若者が多いことです。「GLAY」とか「ゆず」なんかのサクセスストーリーを聞けば聞くほど、誰にでもチャンスがある・・・という気にさせられてしまいます。成功したミュージシャンには失礼な言い方でしょうが、これらのサクセスストーリーは、「来る日も来る日も同じ台に座り続け、10万スッても20万スッても諦めずに打ちつづけてたら、ある日500円から30連チャンした」というパチンカーの話とダブって見えてしまいます。誰にでもチャンスがあるとは言っても、ものにできる可能性は30連チャンよりさらに低いことは肝に銘じておく必要があります。
バブルの頃、ミュージシャンたちもずいぶん甘い汁を吸ったそうです。バブルがはじけると、デパートの客寄せコンサートや、お金持ちのホームコンサートなんてのが無くなっていきました。ピアノの生演奏をやっていたレストランが、自動演奏ピアノに切り替わったり、音楽家の仕事場は急減します。追い討ちをかけるように、シーケンサーが発達して、人間の代わりに機械の打ち込みが多用される時代です。ミュージシャンでやっていけずに、転業する人も多いのが現実です。
好きならそれでもいいでしょう。しかし、音楽家でちょっと成功すれば、大邸宅に住んで外車乗りまわせると思ったらトンデモナイ間違いなのです。高いレッスン料を払って娘を音大に進学させる皆さんの中にも、そのことを「投機目的」みたいに考える方が少なからずいらっしゃるようなので、本当に子供の希望する進路かどうか、今一度よく考えてみましょう。生意気なことを言いましたが、どんな進路を選ぶ場合でも、その道の本業の方から一度、実情を聞いておくことは必要だと思います。
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多くの曲は、8小節を一つのかたまりとして進行するものが多いようです。繰り返しも16小節分だったり32小節分だったりするので、ジャズの演奏でソロの打ち合わせをするときも、「そこ32行ってくれ」「16ずつにしない?」なんて調子です。ジャズではワンコーラスが8の倍数だと何かと好都合です。4小節ずつのソロを回す場合、ちゃんと元に戻ってくるからなわけで、12小節単位のブルースだと2コーラス分やらないと戻らないし、「オール・ザ・シングス・ユーアー」という曲は、ワンコーラスが20小節ですが、うっかりセッションし始めて、ドラムソロと掛け合いに突入してから「あれ?」っと思うミュージシャンは少なくありません。譜面上に付いてる練習番号も、だいたい8小節とか16小節毎のことが多いです。初見の時に長い休みがあったりすると、つい迷子になりがちですが、曲想が一段落したり転換するところにたいてい小節番号が打ってあるもので、しかも8か16かは雰囲気で何となく察知できるので、復活することができるのです。
トンデモナイ作曲家が一人存在します。吹奏楽のオリジナルを書いているネリベルという人です。彼の代表作「フェスティーボ」を私が初めて演奏したのは、高校1年生の時でしたが、中間部で何度となく迷子になり、エライ苦労したものです。その原因は、小節番号の位置が不思議な場所にあるので、曲の雰囲気から譜面上の現在位置を知る手がかりが得にくい・・・。そして、よくよく譜面を見て気が付いたことは、小節番号が全部5の倍数なのです! ナント彼は、曲の進行と一切関係なく、5小節ごとに区切りを入れているのでした。数値はあくまで「5,10、15・・・」と、10進法に準じた計数で、というこだわりでもあるみたいですが、これってスゴく迷惑なことではないでしょうかねえ。指揮者が曲の途中から練習を再開しようとすると、番号の付いているところの大半が中途半端なところになので、「Aから」といった簡単な指示が少なく、「120の2小節前から」みたいな言い方だらけになるし、何よりも譜面から曲の全体像を把握したり整理するのが難しくなるのです。先日、青梅の吹奏楽団でネリベルの曲を練習しましたが、どの曲でも5進法をやってるようです。もう最初から最後まで迷子になりまくり! ネリベルさんの音楽は十分個性的ですから、書き方まで個性的にする必要は無いんじゃない?と言いたい。ネリベルさんのファンの方、何か文句あるぅ?
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「THE SIXTH SENSE」は、皆さんもうご覧になりましたか。郁恵さんはいつも7泊8日で借りてくるので、ゆっくり見るのですが、これは新作で1日しか借りられないので、アルコールが回っている状態ではありましたが、何とか眠らずに見終えました。しかしこのドンデン返しにはド肝を抜かれましたね。推理小説なんか好きだし、ミステリードラマの大抵の結末には「なあんだ。オレにはとっくに読めてた」なんて言う私ですが、今回ばかりはビックリ仰天の一言でした。これ以上は言えないので、是非見てください。
ところで、このドンデン返しというやつを、例によって音楽に当てはめて考察してみましょう。ドンデン返しを含んだ音楽はあるのでしょうか。いろんな曲を聴いてみると、何となくそういう「意外な結末」を意図して作られたようなものが、無いこともないようです。たいていの曲が、ラストはジャーン!と終わりますが、いわゆる現代音楽の中には、終わったのかどうかわからないようなエンディングの曲があります。指揮者がこっちを向いて礼をして、やっと「ああ、終わったんだ・・・」ってわかるようなの、けっこう多いですよ。あれは何を狙ってるのでしょうねえ。個人的には好きじゃないですけど・・・。新世界の4楽章って、終わりそうでなかなか終わんないと思いません?指揮した時に、「さあいよいよクライマックス」みたいな所が何回も出てくるので、そのたびにお客さんをダマしてるような気持になりました。ベートーベンの第九とか、マーラーの1番て、最後の最後がジャーンでなくて、ジャン!なんですよね。あれほどの大曲だから、最終楽章の最後は、ジャーーーーーン!に決まってると思う人のウラを書いてるのでしょうか? これも私としてはちょっと納得の行かない終わり方です。
物語のドンデン返しは大好きですが、音楽となると話は別で、「なるようになってほしい」という気持が強いです。ジャズでもエンディングは何通りかのやり方を使い分けて、気分を変えることはありますが、あまりにも意外性を狙いすぎると、客の反応は「???」になってしまいます。ドンデン返しの結果、何を伝えたいのか不明になってしまったらオシマイです。私の頭が古くて保守的なのかもしれませんが、現代曲は苦手でございます。
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いよいよ高校野球の季節になりました。青梅東でも、本日から野球応援用の曲の練習に突入。14日の第1試合では、せめて敵のブラバンだけは木っ端微塵に粉砕して帰って来る予定です。夏の応援をやり始めて、かれこれ10年以上になりますが、野球向けの効果的なアレンジというものが、私には見えてきたような気がします。
実際いろんな応援団があって、トランペット1〜2本だけの学校や、トランペットとトロンボーンだけの10人くらいの所、また東海大学菅生高校のようにフル編成でシンフォニックにやるところなどなど・・・。果たしてどの編成が、最も効果的な応援を演出できるでしょうか? プロ野球の応援なんて、すごく気合が入ってるように見えても、実はトランペットだけのことが多いんですよ。トランペットっていうのはそれほど強力な楽器で、一人で野球場の隅ずみまで響き渡らせることが可能です。しかし、聞き比べていただけるとわかりますが、トランペットのオクターブ下にトロンボーンがいると、ぐんと厚みが加わります。だから、応援団を編成する上での優先順位は、まずトランペットであり、次にオクターブ下のトロンボーンかユーフォ、ホルンなど・・・。これで一応はサマになります。そして欲を言うと、次に欲しいのがチューバです。ここまで揃えば、金管の3オクターブユニゾンが実現し、最強のサウンドになります。こういう言い方をすると、木管は不要みたいに聞こえてしまいますが、実は木管の役割もいろいろです。テナーサックス、バリトンサックスなどは金管に匹敵する音量が出せるし、音域的にも貴重です。アルトサックスは、トランペットをサポートできる楽器です。フルートやクラは確かに影が薄いですね。特にクラは直射日光に当てられない楽器でもあるし、野球応援はいっそのことお休みすべきでしょう。オーボエ、ファゴットに至っては、応援なんてもっての他。
しかしピッコロは意外にも貴重です。以前、立川高校の応援団にピッコロがいて、トランペットのさらにオクターブ上を行くので、都合4オクターブのサウンドがするんですが、これは強力でした。
結論は、野球応援に限っては、低音から高音まで揃ったユニゾンが鳴っていれば、総人数10名でも50名でも大差ないパワーが出せます。アレンジにこりすぎて、ハーモニーや掛け合いなんか使うのは逆効果です。あとはトランペッターがどれだけバテずにハイトーンを使えるかの勝負でしょう。今年も私が「仕事人のテーマ」を担当します。トランペッター冥利に尽きる瞬間ですよ、これは。
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夏休みになると、あちこちに合同練習に出かける機会が増え、その先々で光栄にも指揮棒を振らせていただけることが多くなります。初対面のバンドを指揮するのは、4月の最初の授業みたいで刺激的である反面、恐い部分もあります。高校生くらいでもけっこう生意気ですから、相手が先生だろうが「こいつ、どの程度の力量なんだろか?」みたいに、試そうとするような視線を感じることもあります。こんな時に遠慮がちにやったりしたら、ナメられっぱなしになりますから、私は先制攻撃をすることにしています。音の間違いを発見して指摘してやるのが、一番手っ取り早いので、いつもこんなふうにします。「じゃあ、ちょっと皆さんのサウンドを聞かせてください。Aの1小節前のフェルマータの音を全員で下さい」 ばばーん! 「みんなきれいな音出しますね。でも誰か音違ってるねえ。アルトの2番さん、シャープ落ちてますよ」 アルトサックス奏者があわてて修正すると、次は「トロンボーンだけでどうぞ」 ばばーん!「1番さん、ほんの少し高め。2番さんは、ちょっと低めにとってみましょう。はいどうぞ」 ばばーん! たいていこれで全員の私を見る目が変わります。50人くらいが同時に出した音の中の、一人の読み間違えや、ほんの数ヘルツの音程のずれを指摘するという技は、初めて見たら「神の出現!」くらい驚くでしょう。でもこれには種明かしがあります。まず、比較的難しい和音で試すと、たいていのスクールバンドではシャープやフラットを見落としています。アルトサックスとトロンボーンには、あらかじめ狙いをつけておきます。どちらも臨時記号が多いから、ミスが出やすいのです。その意味ではユーフォも同じ条件ですが、ユーフォ奏者はどこでも不思議とミスが少ないので、ターゲットからはずします。特にアルトの2番やトロンボーンの3番は、たいてい下級生が担当しますから、絶好のカモなのです。さてトロンボーンの3和音を美しくハモらせるのは、高校生レベルではちょっとキツいでしょう。「純正率」に関する勉強なんかやっていないのが普通ですから、たまたま臨時記号はクリアできても、ここで私の毒牙につかまることになります。私のほんの一つ二つの指摘で、手品のように美しい和音に早変わりし、私は神のように崇められることになります。
本業の方ですが、入学後間もない1年生をすぐに実験室に連れて行くのも、一種の先制攻撃です。ガスバーナーを鮮やかに点火してみせたり、顕微鏡のピントを一瞬で合わせたり、生徒が手間取る作業を、何気ない動作でサポートします。こんな些細なことでも、先生としての威厳が一気にレベルアップします。今後もいろいろな先制攻撃の技を研究しようと思っています。
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突然プロ野球の話題ですが、巨人強いですね。実は私はアンチ巨人なんですが、ここ3年程巨人が優勝から遠ざかる間に、世間では凶悪な犯罪が増え、ますます殺伐としてきました。(巨人が弱いせいじゃないんだろうけど) 巨人ファンの心理は、私には理解できないのですが、水戸黄門が大好きな日本人は、プロ野球の世界にも絶対的に強いチームを求めるのではないでしょうか。プロレスなんかもそうですよね。馬場や猪木が、デストロイヤーとかタイガージェットシンの反則攻撃に立ち向かい、最後は必ず勝つという展開が、予定の筋書きだとわかっちゃいてもプロレスは必ず見るとか・・・。究極の例は「ローラーゲーム」でした。「ローラーゲーム」って聞いて、すぐにあの土居まさるの実況を思い出す人は、私と同世代仲間です。ローラースケートで敵の攻撃をかいくぐり、何人追い抜いたかが得点になるという簡単なゲームですが、正義の味方「東京ボンバーズ」に襲いかかる悪役で、「ニューヨークチーフス」とか「デトロイトデビルス」とかあるわけで、やっぱり最後は必ずといっていいくらい、東京ボンバーズが1点差で勝つんです。こうなったらプロ野球も、巨人1チームだけを正義の味方にして、他の5チームは覆面させたりした方が盛り上がるんじゃないか、なんて思うんですが、このアイデアはいかがでしょう。
音楽に物語性があって、日本人が水戸黄門型の物語を好むとなれば、私たちミュージシャンの取るべき道は決まります。そう! 合奏の中に悪役パートを作るのです。サックスのアドリブバトルなんかで、必ず一方に覆面させといて、相手のプレイに傍若無人にからんで、いかにもイジワルなフレーズを並べる・・・。それでいて実力はあったりして、ほんと憎たらしいプレイヤー。それに正義のプレイヤーが敢然と立ち向かう、という筋書きです。このアイデアいかがでしょう? 余計なことですが、私は幼稚園の学芸会からずっと3枚目を演じつづけてきたので、演奏まで3枚目っぽいんですよ。学芸会で悪役ばかりやってきたプレイヤーのアドリブを聞いてみたいものです。
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ていうビデオを家で見ました。最近、郁恵さんがディズニー系のビデオを大量に借りてくるので、たてつづけに見ています。その中でも「ファンタジア」はちょっと異色で、クラシックの名曲の数々にイメージ映像を付けたものです。「魔法使いの弟子」なんかだと、そのものズバリのストーリーがアニメで展開されるだけですが、「トッカータとフーガ」には登場人物も何も無く、光や図形が踊り狂う抽象的な世界です。以前にも音楽の持つストーリー性についてここで論じましたが、「ファンタジア」はまさにそれを視覚化したものなので、借りてきた本人が眠ってしまった横で、けっこう興味深く見ていました。中でも「春の祭典」が始まった時には、これをどう視覚化するのか興味津々でしたが、「いけにえの踊り」とかそういう本来のテーマを度外視して、「地球上の生命進化の歴史」の音楽にしてしまったのは勇気あるアイデアです。しかし、私は「やっぱりそう来たか・・・」とも思ったのです。
実は私もある曲を解釈するときに、生命進化に見立てたことがあったのです。何年か前に吹奏楽コンクールの課題曲だった「パルスモーション」という曲でした。単調な8分音符が延々と続き、それにからむパートがいくつかあるので、リズムとしての面白みはあるでしょうが、音符にどう気持を入れていったらいいのかサッパリわからない曲でした。ところがこれを「地球に生命が誕生してから現代までの物語」と考えると、すべてがつながってきて、音符があるべきところにある、って感じがしたのです。我ながら名解釈だと喜んで、あちこちの学校で「進化論」の授業の合間に指揮をするような練習を繰り広げました。その後いろんな曲が「生命進化」になっていきました。いわゆる現代曲、よくわからん曲はみんな「ええい、どいつもこいつもまとめて進化論だ」ってな感じ。「ファンタジア」の作者は、安易に「進化」に走っていないことは百も承知ですが、何となく自分と同じ手を使った人がいて、嬉しかったです。超前衛的な音楽のリハーサル風景って、見たことないんですが、どんな物語が展開されているんでしょう?興味あります。
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