今日の一言(2000年8月分)

  職員朝礼での社長訓話集   一つ戻る  最新版へ戻る


続・反復練習     (8・30)
テレパシー      (8・26)
フォルテとピアノ   (8・22)

耳コピー       (8・18)
反復練習       (8・14)
コンクール(7)    (8・11)
コンクール(6)    (8・ 9)
コンクール(5)    (8・ 8)
コンクール(4)    (8・ 7)
コンクール(3)    (8・ 5)
コンクール(2)    (8・ 3)
コンクール(1)    (8・ 2)

8月30日  続・反復練習 

 プレイステーション2は、我が社で大活躍しております。ゲームソフトも、買ったり友達から貰ったりして、だいぶ種類が増えてきましたが、やはり稼働時間の9割以上が「ドラムマニア」です。私もようやく1千万点の大台に乗せられるまでに上達し、これならゲーセンでも、ある程度ギャラリーをうならせることができそうです。ところで、私以上に熱中している郁恵部長が、約2時間の集中練習の後、疲れきった表情でポツリと言いました。「これやってて、実際の音楽に何か役に立つかなあ?」 以前、私はこの問いに「NO」と言い切っていましたが、最近そうとばかりも言えないと思うようになりました。
 このゲームは、最初からトレーニングモードに入れないしくみになっています。まず本来のスピードで通す、いわゆる初見演奏を経験してからでないと、その曲のテンポを落としたり、苦手な個所だけを抜き出して練習できません。まず初見で曲の全体像を知り、次にテンポを大幅に落とし、順次上げていき、苦手な個所がハッキリしてきたら、部分練習を行う・・・。そして、大部分攻略できたら、ひたすら通し練習に入ります。すべての音符について、どの程度しっかりとビートにはまっているかが判定され、得点化されるので、2拍とか1小節単位とかの、大きなグルーブを感じて演奏できるようになると、得点が上がります。そんなことが、説明書にも書いてあるし、ゲーセンの小学生どもも、そういうプロセスで難曲をクリアしているのですが、それこそまさに、楽器で難しいパッセージを攻略する方法とまったく同じなのです。「ドラムマニア」が流行して、多くの小学生がこのプロセスを経験すると、タテ笛のテストで簡単に諦めちゃう子が減るのではないか、と期待していいかもしれません。でもそんなこと言い出したら、算数も体育も、みんなそうなんですけどね。
 ゲームをただのゲームで終わらせるか、そこで得た達成感を、他のもっと役に立つことに転用できるか、はその人次第です。郁恵さんはどうだかわかりませんが、私自身はこのゲームを通じて、さらに楽器の腕を上げるでしょう。ほーっほっほっ・・・。

8月26日  テレパシー 

 アンサンブルの極意は、テレパシーの送信と受信にあります。奏者どうし、或いは指揮者から奏者へ。私がこのことを痛切に感じたのは、多摩市のあるオーケストラで、エキストラとしてティンパニを叩いた時のことです。ブラバンの楽器は、基本的に破裂音を使用するため、指揮者は明確に「打点」を指示することが多いのですが、弦楽器主体のオーケストラや合唱となると、事態は大きく異なります。流れるように動く指揮棒に合わせて、譜面上では同時に発せられるはずの音が、0コンマ数秒、時には1秒くらいの時間差で出ることがあります。そもそも摩擦音ですから、その方が理にかなっているわけなんですが、そんな中で一人ドカーンとやらねばならないティンパニは、どうすればいいのでしょう。全体が大きな流れで演奏されている中、私一人のために点で指示してくれるはずもありません。拍の頭になる可能性がある瞬間が、一点ではなく1秒くらいの幅を持っているのです。その1秒くらいの中で、「ここだ!」と思う瞬間にイチかバチかでドカーンといくのは勇気がいります。ところがですねえ、実際にやってみると、これが意外と的を絞ることが可能なもんなんです。指揮者の手の動きをいくら見ていても無理なんです。顔というか目の動きというか、あらゆる挙動を観察して心の中を読み取るとでも言うのが適当かもしれません。そういうつもりで、指揮者が心の中に描いている音楽を読み取ると、「ここだ!」というテレパシーを感じることができます。また、もっと面白いのは、「ここはお前に任せた!」っていうテレパシーが来ることがあるんです。そういう時は、私の感性によって遠慮なくドカーンと行かせてもらい、何とその次には「よっしゃ、そう来たか。後は任せろ」というテレパシーが来て、私のドカーンを活かすような事後処理をしてくれたりします。もちろんこういうやりとりができるのは、良い指揮者のもとでプレイする場合に限ります。本当にそんなテレパシーを送ったのか、次の休憩時間に確かめたりしたことはありませんが、それは野暮なことでしょう。ご挨拶がてら、自分のプレイについて「いかがなもんでしょう?」とお伺いに行くことはあり、「うん、君なかなかやるねえ」という返事を貰えれば、それがすべてを物語っているのです。「自分の送信したテレパシーを正しく受信してくれて嬉しいよ」という意味なのですから。合奏中にたくさんの送受信ができるようになりたいものです。

8月22日  フォルテとピアノ 

 強弱の変化は、音楽表現の中心といえることは間違いなく、いかに大きいフォルテと、いかに小さいピアノを使い分けられるかが、その人の表現力の幅を決めると言っても過言ではありません。フォルテとピアノは、絶対的な音量(何デシベル以上がメゾフォルテ・・・みたいな)を示すのではなく、その曲中での相対的な大きさですから、どうしてもフォルテが大きくないバンドは、逆にその分ピアノの音量を絞ればいいわけです。ストレートが120km/h台の投手でも、70km/hくらいの変化球と混ぜて使えば、打者を惑わすに十分な速度差をつくることができるのと同じです。
 さらに注意すべきは、フォルテは音量だけを表すものではないということです。強弱記号というより「雰囲気記号」って言った方が的を得ているように、私は最近感じています。1曲の中に何箇所も出てくるフォルテの音量が、すべて同じということは無いんですね。その時その時のバランスを考えて、適切な音量というのがあって、ただ雰囲気だけはフォルテと思っておいた方が、うまく演奏できるようです。特にアマチュアの打楽器奏者は、フォルテの記号を見ると条件反射的にドカーンと行く人が多いですが、絶対に禁物です。
 今私が練習しているロックの何曲かには、強弱記号は存在せず、頭から終わりまですべてフォルテの音量で突っ走ります。そう言ってしまうと面白くもおかしくもない音楽だと思われがちですが、オールフォルテの中に、雰囲気的に差があるんですよ。音量ではなく、なんて言うか、やっぱり雰囲気ですね。譜面を使わないミュージシャンたちは、そういうのを敏感に演出します。物心ついた時から譜面通りに演奏することを叩き込まれてきた人は、フォルテやピアノの記号の奥に潜む意味を、自分で解釈し直して演奏する習慣をつけたいものです。ロックの練習は、いろいろ勉強になることが多いですねえ。では今から行って参ります。

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8月18日  耳コピー 

 ロックの人ってホント暗譜が強いですね。昨日から始まった教員バンドの練習で、改めて「みんなすごいなあ」と驚愕しております。私だけが、自分用にメモ程度の譜面を用意していて、他は全員完全暗譜です。自分も中学高校時代は、バンド組んでしょっちゅうスタジオに通ってた口ですから、その当時、楽譜持参で練習に行った記憶も無いし、練習から本番までまったく譜面ナシは当たり前でした。
 私の高校時代、文化祭に出演できるバンドを決めるオーディションの時、面白いことがありました。審査員の一人である音楽の先生が、全バンドに譜面の提出を求めたのですが、20バンドくらいあったうち、この求めに応じられたバンドはゼロ。それに対し先生が、「譜面の存在しない音楽なんて考えられない。そんなの音楽と言えるか」みたいな発言をして、一時険悪なムードに包まれましたが、審査委員会の委員長だった私が、「世の中には、譜面を使わない音楽家も多数存在するし、それらは立派に音楽ジャンルとして認知されている」ということを、よーうく説明して解っていただいたものでした。(委員長の所属するバンドが、ぶっちぎりのトップ合格を果たしたのに、誰も文句を言わなかったのは、これはひとえに私の人徳ですかねえ。ほーっほっほっ・・・)
 ふだん譜面を使っている人が暗譜するのと違って、もともと譜面を使わない人は、その分、音楽に関する記憶力が発達しているようです。1、2回聞いただけで、曲の構成から何からほとんど頭の中に入っちゃうんですね。ジャズの人にもそういう人はいて、以前うちのバンドの合宿に参加したドラマーが、譜面をほとんど読めない人で、合奏中呆然としていたのですが、「ちょっと時間を下さい」と言って、2時間ほど自分の車に閉じこもってデモテープを聴いて、帰ってきた時の彼はまさしく別人!どんな細かいオカズも、変拍子のフレーズも完璧に叩きこなしました。ただし彼には、「58の1小節前から」とかいう言い方が通用しないので、
「タタッタッターが3回続く所から」みたいに言わなくてはならず、楽譜を使う人々と一緒に練習する上では、何かと大変でした。
 私個人的には、練習を進める上で楽譜は非常に便利なものなので、どのジャンルの人も有効利用したらいいと思いますが、とりあえず今は、早くみんなに追いつけるよう、がんばって曲を覚えこもうと思います。
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8月14日  反復練習 

 家族で買い物に行くと、ちょっとゲームセンターに寄ったりすることがあります。最近、ギターやキーボードやドラムの腕を競うゲームがあるので、天才ミュージシャンの私としては、黙ってられない状況があります。先日ドラムのゲームに挑戦してみたのですが、結果は惨憺たるものでした。普通の音符で表示してくれれば、まだ何とかなりそうなのですが、あの変てこりんな「チップ」というやつが落下してくるタイミングに合わせて叩くというのは、いくら初見が利くドラマーでも厳しいものがあります。ところが、そこいらの小学生風のガキが上手いんですよね。ホント憎たらしくなりました。あいつら決して音感がいいとかじゃないんですよ。単に曲やリズムパターンを覚えてしまうくらいに、練習を積んだだけなのです。それは解っているのですが、こっちも引っ込みがつかないので、ついに本日買いました。プレステ2の本体と、「ドラムマニア」のソフト他一式、しめて5万円強也。ガキども、今に見てろよ。目に物見せてくれようぞ。
 ゲームセンターでヒーローになる連中は、天才ではありません。私も学生時代は豊田駅北口のゲーセンで、多くの機種のハイスコアを樹立して、私がプレイを始めればギャラリーが集まって来る、といった経験をしています。ハイスコアと共に掲示された私の名札は、教育実習が始まる直前に、お店に頼んではずしてもらいましたが、とっくに名前が売れていて、150万点出す人が先生になってやってきた、なんて評判になったものです。結局練習あるのみ。すべての状況をパターン化して対処できるようになるまで、ひたすら反復練習すれば、おそらく誰でも「ぷよぷよ」で10連鎖を組めるようになるはずです。ゲーセン通いの小学生たちは、ゲームの上達を通じてある意味貴重な体験をしているわけですから、勉強もその勢いでやればいいのにねえ。楽器の練習も同じですね。基本的な部分はいちいち頭を使わずに、自然に体が動くように反復練習を積んでおいて、その上の次元で頭を使って演奏できるようにしたいものです。

 最後に、あのドラムゲームの練習は、ホンモノのドラムの上達に役立つかというと、これは明らかにNOでしょう。せっかくだから、ホンモノの楽器に直結するようなゲームにしたらいいのにと思います。簡単なのからクリアしていって、最後の面でデイブ・ウエックルのドラムソロかなんかクリアすると、「ドラムマスター」の称号を貰えたりするの、いかがでしょう。今日のところは、家族3人でプレステの順番待ち状態ですけど、夏休みいっぱいがんばるぞと。
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8月11日  コンクール(7) 

 コンクールの光と陰、なんて言ったら大げさですが、私の体験をもとに、コンクールの一長一短を述べてまいりました。そろそろ総まとめに近づいております。結局結論は、音楽をやる目的を見失わずに、コンクールを上手に利用しなさい、ということなのです。音楽はケンカをする道具ではないですよね。楽器を通して自分を表現するものです。アンサンブルでは、やはり楽器を使って会話を楽しもうというものでしょう。すべては「楽しむ」という一点に向かっています。より楽しむために、技術の向上は必要ですから、その手段としてコンクールは非常に有効なのです。個々の技術もさることながら、合奏としても一つの曲にこれだけミッチリ取り組める機会は、他にありません。指揮者の立場から言っても、他に職業を持つ私など、スコアの研究なんて普段はやるヒマがありませんが(これを聞いた奏者たちは怒るでしょうが) コンクールで振る曲だけは、十分に研究できます。私が過去2回コンクールで振った、スウェアリンジェンの「センチュリア」のスコアを今書いてみろって言われたら、楽勝じゃないかしら。マーチ「エイプリル・メイ」も絶対書けそうだな。分析の内容はともかくとしても、とりあえずスコアを完全暗譜しちゃうほど、その曲と共に過ごす時間は長くなるのです。
 コンクールの結果がすべて、という雰囲気でやっているバンドは、可哀想で仕方ありません。
素晴らしい演奏をした高校生たちが、表彰式で「ダメ金」だったということで、「私たちの今までの努力は何だったのよ」と泣きじゃくり、「○○高校は、審査員にいくらつかませたんだ」とか、根拠の無いグチをこぼしたりします。自分たちの立派な演奏とここまでの努力に対して、素直に満足してよいはずなのに。ズバリ言わせてもらえば、そういうひねくれた気持にさせてしまったのは、指導者の責任ですよ。勝って達成感を味わわせることも大切でしょうが、音楽は楽しむものなんだぞってことは、常に基本として押さえたいものです。
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8月 9日  コンクール(6) 

 コンクール会場の雰囲気は、普通の演奏会よりも冷酷な感じがします。まあ当然と言えば当然で、「間違えろ〜」と念じながら聞いている客もいるでしょうし、自分たちよりヘタな学校を見つけて、あからさまに喜んでいる者も少なくありません。「いろんな学校の関係者が、どこに座っているかわかったものではない。だから他校の批評とか失礼な内容は話さないこと」という指導が、行き届いている学校ばかりではありませんから。勝敗にこだわると、どうしても殺伐とした雰囲気になりがちです。一度中学校の全国大会を聴きに言ったとき、たまたま○○県立△△中の大群のすぐそばに座っていたのですが、表彰式の後が大変なことになってしまいました。その中学校は銅賞(最下位)と発表され、そこではまだおとなしくしてたのですが、隣の県の☆☆中が金賞と発表されたとたんに騒ぎ出しました。ふだんからライバル関係にあって、絶対自分たちが一枚上だという自負があったのでしょう。丸刈りの男子生徒たちが○○弁で「審査員、耳おかしいんちゃうか!」みたいなことを、ぶつぶつ文句なんてレベルではなく、聞こえよがしにヤジってる感じでした。「教育がなっちょらんなあ。この学校はもう先が長くないぞ」なんて思いましたが、その後も全国大会の常連校として、素晴らしい演奏を続けています。こういうケンカ腰の気持で練習しなければ、上手くならないってことでしょうかねえ。
 秋留台の生徒と共に、コンクールの係員(裏方)をやった時にも、殺伐としたものを感じました。チューニング室の使用時間は20分
と決まっていて、なにしろコンクールですから、公平を期すために前が空いてても入れないし、後が来なくてもキッカリ20分で追い出す取り決めになっていました。ところがやっぱり、「前に誰も入っていないんだから、部屋に入れろ」と詰め寄って来られるのです。生徒が可哀想なので私が直接対応しても、まだ「カタイこと言わないで、臨機応変にやろうよ」なんて言ってる有様。逆に「早く出て下さ〜い」と急かしたら、「今出ようとしてるだろ。見えねえのか!」と怒鳴られた生徒もいました。こういう態度の悪い大人は、その学校の顧問の先生ではなく、雇われた指揮者です。ということは、ある程度演奏レベルの高い学校なんですね。残念なことに(?)、これらの学校はその日、金賞のトロフィーを持って帰りました。うちの生徒たちが、その翌年に「コンクールには出たくない。演奏会がやりたい」と言い出したのには、この日の裏方体験がかなりの部分影響していると思います。
 金賞を取って、人間的にも立派という学校も多いです。しかし、ここに例をあげたような歪みが存在するのも事実です。一体何のためのコンクールなのか、指導者はよく考える必要があるのではないでしょうか。
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8月 8日  コンクール(5) 

 コンクールを一つの演奏の場として考えると、これほど悪条件の重なっている本番も類を見ません。演奏時間は課題曲の頭から自由曲の終わりまでが12分と決められていて、1秒でもオーバーすると失格です。ギリギリ12分の曲なんか選ぶと、ティンパニのチューニングに手間取ったり、曲間がいつもよりちょっとでも延びれば、もうハラハラドキドキです。だいたい合計12分に収まるような曲ばかりでは新鮮味が無いので、大曲を途中カットして演奏する学校も多いです。これは作曲者が聴いたら泣きたくなるような話ですね。
 朝からぶっ通しで20校以上が演奏するので、ステージの入れ替え作業は、1分少々で行います。これは一度ご覧になっていただければ分かりますが、奇跡的というか曲芸的です。演奏直前の指揮者は、舞台袖で深呼吸しているヒマはありません。戦場のような舞台の中央で、演奏位置の微調整を大声で指示します。そのホールでリハーサルができないということは、セッティングについても博打なら、響き具合に関しては大博打です。指揮棒を振り下ろした瞬間、「えっ!」と思うこともあります。
 出番が朝一番だと演奏開始は9時半頃ですから、さかのぼってホール入りは8時でしょう。会場で音が出せるのは20分だけなので、自分の学校で少し練習してから会場へ向かうとすると、会場まで電車で2時間もかかるような学校は、まず始発で登校でしょう。秋留台で一度そういう経験がありますが、3時半か4時には起床することになります。ところがこれだけ苦労しても、朝の9時台に良い音を出すってのは、ほとんど不可能に近いことです。だいたい午前のクジを引いたら、その年は結果には期待できません。また、午前の出番で気苦労が多いのは、楽器車が都心の交通渋滞
に巻き込まれる可能性です。実際に楽器の到着が間に合わなくなった学校もありました。秋留台から江戸川文化センターまで、自分で楽器車を運転した時は、まさに東京を横断する長旅でしたが、もしも遅れたり事故を起こしたら、楽器も指揮者も両方アウトですから、緊張しました。とにかく、連盟の役員さんたちがあれほど献身的に運営して下さっても、まだまだ演奏だけに気を配っていられない諸々の事情があるわけです。理想的には、各校が存分に持ち味を発揮できる演奏環境の中で、ここが上手い、あそこが上手いってやれたらいいですけどね。
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8月 7日  コンクール(4) 

 コンクールに出ると、金銀銅の賞状やトロフィーの他に、審査員のコメント用紙が付いてきます。バンドの良い所や弱点を専門家の目から鋭く指摘したこの紙の束をいただけるだけでも、コンクールに出る価値はあります。表彰式が終了すると、早くこれを読みたくて楽しみにしている生徒も多いのですが、まずは顧問教諭がすべてに目を通して、生徒にそのまま見せて差し支え無いものかどうかチェックしなければなりません。というのは、審査員にもいろいろいて、ケチョンパにけなすだけで何のフォローも無い、というコメントをくれる人もいるんですよ。そういうのは、生徒が読んでも明日への活力になるどころか、ヤル気を失うだけの逆効果になりかねないので、場合によってはワープロで打ち直すときに、若干アレンジして配ったりする必要もあるかと思います。私の場合は、とりあえず原文をそのまま公表して、その後その審査員の真意を解説したりして生徒の気持をフォローしました。ヘタなんだということは、金賞じゃ無かったという事実で十分突きつけられています。奨励賞にしておいて、さらにケチョンパのコメントじゃあ、死者にムチ打つみたいで、受け取り方によっちゃあ「もうオマエラ、ブラバンやめろ」って言われてるようにさえ思えるものです。ダメバンドも誉め方によっては将来の金賞バンドになるわけですから、審査員の皆さんは是非とも、暖かいコメントを捻り出して欲しいものですねえ。
 暖かいコメントという点では、全日本吹奏楽連盟理事長の酒井先生は、さすがご自身が中学校のバンドを苦労して育て上げた、というより吹奏楽指導の草分け的存在であるだけに、どんなダメダメバンドにも長所を見出し、向上のヒントになるような素晴らしいコメントを書いてくださいます。ホルン奏者の小沢先生のも何度かいただいてますが、とっても暖かいコメントで元気が出ます。逆に最悪なのが、某評論家の○○とか、某△△交響楽団の■■ですね。書かれてるのは事実だから反論の余地は無いけど、もうちょっと他に言い方ないの?って感じ。○○なんて「悪い演奏の見本」とか平気で書くもんね。■■は閉会式の講評に登場した時、「音程合わない、タテの線揃わない。こんな状態で本番を迎えられる顧問の先生方の神経を疑う」とまで言いました。初心者の1年生や、受験でやめようか迷ってる3年生を引っ張って、少ない予算で壊れかけた楽器をダマシダマシ使って、何とかここまでの演奏ができるようになったのよ!という顧問の気持なんて、あんたにゃわからないでしょ。ねえ■■先生サマ。と、愚痴ればキリがありませんが、要はこちらの受け取り方次第。プロの奏者はそれだけ厳しい態度で音楽に臨んでるんだし、アマチュアと言えども良い音楽が作りたければ、甘えは禁物なんだよ、なんてフォローしましたけど。キツいコメント貰っちゃた皆さん、そんな風に考えてみてはいかがですか。
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8月 5日  コンクール(3) 

 吹奏楽連盟の機関紙を見ると、全国大会の採点が公表されています。審査員名は伏せてありますが、AからEまでの5段階評価が一覧になっていて、あるバンドの演奏に対して、ほぼ全員がAをつけていたり、逆に全員がEをつけていれば、特に問題は無いと思いますが、AやEが入り混じっているのが少なからずあるんですね。音楽に上手いヘタの絶対的な基準が無く、採点が審査員の好みに左右されていることがわかります。これは全国大会レベルに限ったことではなく、地区大会のC組あたりでもそうなのです。かなり大雑把に言うと、「技術は2の次で、大胆な表現を好む」か「音程やバランスさえ良ければ、平坦な演奏でもよしとする」の2通りの審査員がいます。これは演奏する側とすれば大変困ったことで、前の年にのびのび演奏したら「こんなのどこが面白いんだ?」みたいな演奏の学校に金賞を持っていかれ、じゃあ今年はキッチリキッチリやったら、今度は「中学生らしいのびのびとした演奏に、高い点をつけました」なんて言われると、じゃあ来年がどっちなのかは、まさに博打みたいなものですね。私の教えた学校なんかだったら、「おっと、うちと相性が悪い審査員に当たっちゃった」で済ませられますが、コンクールの結果に、補助金の額やコーチの首がかかってたりする学校だと、そんな呑気なことは言ってられません。どんな審査員に当たっても、確実に金賞を取る必要があるのです。そんな方法があるのかというと、あるような気がします。自由曲に「心で歌う余地がないような」現代曲を選べば、採点は技術的な部分に偏らざるを得ませんから、テクニックがあれば金賞、無ければ銅賞という、比較的ハッキリした戦いが可能です。コンクールで上に行くほど不協和音、変拍子だらけの曲を演奏する学校が多いのは、そんな事情じゃないでしょうか。勝つための選曲ね。違ってます?まあ、コンクールという注目度の高い場を利用して、新作を紹介するということにも大きく貢献していることは認めます。ただ、やっている生徒さんたちが、本当に心から楽しく音楽しているのか、私には疑問でならないのです。ひと夏延々と同じ曲を練習していくわけですから、自分の心で歌える曲をやらせてあげたいと、私は思いますけどねえ。そのかわり審査結果は、ホームランか三振の清原みたいになりますけど・・・。
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8月 3日  コンクール(2) 

 その1974年の吹奏楽コンクールから、表彰方式が革命的に変化しました。全部の学校が、金賞か銀賞か銅賞のどれかをいただけることになったのです。前年までは1位から3位までを表彰し、その他大勢は賞外でした。誰もが賞状とトロフィーを貰えるという方式は、一見良心的な改革でしたが、銅賞になった学校は「一番ヘタ」という評価を突きつけられる結果となりました。3位までの表彰であれば、その他の学校は皆、「4位はオレ達だったに違いない」と思っていられたから、逆に良かったのです。その後、努力賞や奨励賞が登場したことにより、銅賞の価値はやや復活し、銅賞から上を「カナモノ」というようになりました。しかし、出場ブロックや地方によっては、最下位が努力賞だったり、銅賞だったりと、評価段階がまちまちで、「銅賞だったよ!」と言われても、「よかったねえ」と言っていいものやら、よくわからない事態が発生しています。私が三沢中をコンクールに出して、学校に戻ってすぐ校長先生に「銅賞でした」と報告したら、校長さんは顔色ひとつ変えずに、「それは、何校中の何番目ですか?」と訊き返してきて、参りましたって感じ。この校長さんは、吹奏楽コンクールのことをよくご存知だったようです。私としては、取りあえず「ほお、それはスゴイですねえ」と言って貰っておいてから、「いやあ、実は22校中の10番目くらいなんですけどね」と付け加えたかったのに・・・。
 金賞は最高であり、究極の賞であるはずでした。ところが、バンドのレベルが軒並みアップしているからということで、A組の金賞が乱発され始めました。以前は、金賞を貰った6校だけが上部大会へ進出だったのが、金賞が多くなったために「金賞受賞校の中から6校を推薦」に変わったのです。そうなると、審査結果発表で「金賞」になっても、まだ喜べません。全国大会を狙う学校にとっては、次の「代表校発表」が最大の関心事になるのです。「金賞!」と言われて大喜びの学校が、1〜2分後くらいに代表から漏れたことを知って悔し泣きという不思議な光景が見られるのです。こういうのは「ダメ金」と呼ばれているようですが、よくわからない言葉です。
 私は、大昔の「1位から3位まで表彰。その他は皆何もナシ」の方が、何だかスッキリしてるような気がしています。
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8月 2日  コンクール(1) 

 吹奏楽コンクールの季節です。朝から晩まで練習してきた2曲を演奏し、金賞から奨励賞までの結果に一喜一憂する光景が、あちこちで見られます。まず初めにお断りしておきますが、私自身はコンクールに賛成反対どちらでもありません。一長一短であり、利用法によって毒にも薬にもなり得るという立場です。ですから本編も、多くのバンドに薬として利用していただきたい、という所が趣旨なのです。
 私の初めてのコンクール体験は、中学1年生だった1974年になります。この年コンクールに出ていなければ、今の私は無いでしょう。それくらい、私はコンクールを目標とすることによって上手くなりました。この頃、私にとってスネアドラム(小太鼓)という楽器は、正にスポーツ的なもので、いかに速く打てるか、いかに細かい正確なロールを打てるかが、上手さの基準と考えていました。コンクールの課題曲は当時2つしかなく、うち一つは難しすぎてどこも手を出さないので、事実上すべての学校が同じ曲を演奏し、中学校のA組からC組まですべてが、同じステージで1日で終了していた時代ですから、小太鼓奏者では誰が東京で一番上手いのかハッキリするのです。さらに当時は、夏休みに入ってすぐに2日間、コンクールの前哨戦として吹奏楽教室というのがありました。多摩地区の打楽器奏者が1箇所に集まって講習を受けるのです。ライバル意識をあおる材料は非常に豊富でした。講習会の初めに、いろんな打ち方をやらされてチェックを受けた結果、我が日野四中打楽器軍団のレベルはなかなか高いことがわかりました。特に私は1年生としてはなかなかのもんで、だからこそ小太鼓を任されたわけなんですけど、他校の2、3年生をライバル視していました。我々の行く手を阻んだのは三鷹四中軍団でした。6人くらいで来ていましたが、3年から1年まで粒ぞろいで上手かったですね。あの時のパートリーダー格の女の子は、その後も立川市の吹奏楽団で活躍されていると記憶しています。私たちは講習会の帰り道、多摩平第八公園でアイスクリームを食べながら、コンクールまでに練習を積んで、三鷹四中を負かすぞ!と誓いあいました。
 楽器演奏の中の純粋に技術的な部分は、スポーツと全く同じで「より速く、高く、強く」の世界ですから、負けず嫌いな生徒は、コンクールによって飛躍的に上手くなるはずです。創部まもなかったり、技術的に初心者ばかりのバンドは、どんどんコンクールに出ましょう、というのが本日の結論です。
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