都立秋留台高校 研究紀要第6号(1999.3)掲載

超少編成ブラスバンドと共に

(はじめに)
 本校吹奏楽部の今年度の部員数は総勢12名である。本校に赴任してからの9年間、最も多いときでも20名。3年生が引退して次の新入生を迎えるまでの期間など、最小6名でやっていた時期もある。8名で4泊5日の合宿もやった。
 ブラバンの部員数はもちろん多いに越したことはなく、この間というもの、増やす努力を怠ってきたわけではない。「一生懸命活動していれば自然と人が集まってくるものだ」とか、ズバリ「部員が増えないのは指導者に魅力が無いからだ」という批判も受けた。確かにそれは当たっているのだろうが、自分の非力を素直に認め、今後研修に励むことを誓ったところで、今すぐどうにかなるものではない。あの手この手を試みたし、悩んでもみた。前任校で、何の宣伝も勧誘活動もしないのに常時60名以上の部員数を確保していた経験があるばかりに、私自身の戸惑いは一層大きかった。しかし、目の前には10名余りの部員達が、楽しい合奏練習と充実した学校生活を求めて待っている。あれこれ悩んでいるヒマがあったら、この人数でも練習を成立させることが先決だ。私はいつしか悟りの境地というか、開き直りの心境に達していた。
 そうして昨年、第2回の定期演奏会を開けるまでになったことで、今までの努力が一応実を結んだ段階という感触を得ている。これから述べる内容は、その実践報告に他ならないが、どうやってたくさんの新入生を獲得し、部員数を増やそうかと頭をかかえている先生方には、少々期待はずれであることをまずはじめにお断りしておく。「まず増やしてから」というお考えの先生は、他を当たっていただくしかない。私の目的は、少子化がますます進む中で、どうしても増えなくて困っているバンドの人々、部員数が20名を割り込んだくらいで「存続の危機だ〜」なんてうろたえている人々に勇気を与えることである。さあ皆さん、元気を出して!


T.小編成器楽の考え方(一般論)
(1)ブラバンに必要な人数
 野球は9人、サッカーなら11人というように、1チームの人数がよく知られている競技については、その人数以下の部員数では、試合に出られないからピンチであり、逆に倍以上の部員数がいれば校内で紅白戦ができたりして都合が良いであろうことは容易に想像がつく。では吹奏楽の1チームの定員とは何人なのだろう。これは、実はなかなか微妙な問題なのだが、まあ25名というところが妥当であろう。その根拠は、吹奏楽のために市販されている譜面の中で、最も編成の小さいものが大体25パートという点である。普通は35パート位で、40パート以上のものも多い。25パートということは、25種類の音が同時に鳴らねばならない瞬間があるわけだから、単純に考えても25人の演奏者が必要で、1人でも少なければ編曲者の意図を忠実に表現することはできない理屈である。ただ、よほど高度で完成度の高い演奏を目指す場合を除けば、25パートのうちの何パートかが欠けていても、とりあえず演奏はできる。例えは悪いが、野球チームが8人しか揃わないときに、比較的ボールの飛んでこない右翼手をカットして試合をしても、レクリエーションだったら大きな問題にはならない。完全な形では無いが、一応みんなで野球を楽しむことはできるのと同じである。

(2)20名を割り込むと絶望する原因
 前述のように、25パートのうちの何パートかは、実のところいるに越したことはないが、いなくても致命的ではない。先程の右翼手的な存在である。誤解されるといけないので説明がくどくなるが、完成度の高い演奏を目指すにはどのパートもすべて重要である。しかし、とりあえず何の曲だか判別できて、最後まで止まらないで演奏するだけの目的ならば、その何パートかが欠けても大丈夫という意味である。ところが、一人欠け二人欠け、投手、捕手、一塁手などがいなくなっては、もう野球の試合は成り立たない。ブラバンでも、そう言う意味で欠けたら致命的なパートがいくつかある。多くの場合にメロディーを担当するトランペット、クラリネットは投手であり、最低音のチューバは捕手である。マーチではホルンや打楽器の不在が致命的だし、ポップスでサックスやトロンボーンがいないのは実に寂しい。
 20名を下回ってくると、25パート以上の譜面をそのまま演奏した時に、そういった致命的パート不足の、どれかしらがまず間違い無く該当してしまう。そして不満足な合奏練習を余儀なくされ、いつしか「いくら努力しても、音が足りないのはどうしようもない」という諦めの気持ちが芽生えてくるのである。

(3)小編成器楽合奏のいろいろな形態
ブラバンの枠を取り去って、器楽合奏というものを広く考えてみると、小は二重奏から大は100人以上のフルオーケストラまで、様々な形があることは皆さんご存知のはずだ。多様な編成に各々の持ち味があるからこそ、これらは成り立っているのであって、「モーツァルトの弦楽四重奏曲より、マーラーの交響曲の方が演奏者の人数が多いから良い音楽だ」なんて思っている人はいないだろう。ジャズのセッションは、ドラム、ベース、ピアノの3人さえいれば、一晩中でも合奏が楽しめるし、そこにサックスやトランペットでも入れば、大編成にひけを取らない迫力、表現力を持つことができる。マンハッタン・ジャズ・クインテットのCDを生徒に聴かせて、「何人で演奏してると思うか」と尋ねると、皆10人とか20人と答える。「たったの5人」という正解はめったに出てこない。
 私自身が木管五重奏のフルート奏者や、ジャズピアノでいろいろなセッションに参加した経験があったので、発想の切り替えが可能だった。人数が少ないならば、その少ない人数にふさわしい演奏方法が必ずあるのであって、それを目指せばよいのである。ブラバン部員の多くは、中学校あたりでブラバンに入って以来ブラバン一筋で、他の編成による楽しみ方を知らない。これは大きな問題である。たまには練習漬けの毎日から解放されて、室内楽のコンサートを聴いたり、オペラを鑑賞しに行ったりという余裕があっても良いのではないか。特に活動熱心な学校にお願いしたい点である。

(4)楽しい合奏の条件 その1・編成
結局、合奏の面白さは人数に関係ないということが言いたかったわけだが、それにはもちろん条件がある。どんな編成で合奏する場合にも、高音、中音、低音を担当するパートが、バランス良く存在しなければならない。少人数合奏がつまらなくなる原因の8割位は、バランスがとれていないままやっていることにある。25人以上いたとしても、その中にチューバ、バリトンサックス、バスクラリネットのいずれも存在しなければ、心地よいハーモニーは得られず、殆ど音楽として成り立たないと言ってもよいくらいでなのである。原因の残り2割は演奏者の技量不足などであるが、これはそのうちに解決できる問題だ。
 要するに、人数が不足したら楽器編成のことを直ちに考えなければならない。チューバ奏者が不在ならば、他のパートの誰かを説得してチューバにコンバートする努力をするべきだし、アルトサックス1人に対してテナーサックス2人なんて場合は、即テナーの1人をアルトに回すべきである。情が絡んでそういうことが難しい場合も多々あろうが、少しでも高中低のバランスが良くなるように、あの手この手で工作する。

(5)楽しい合奏の条件 その2・編曲
何パートかが欠けた編成でも、我慢して演奏しているバンドは多いが、メロディーが欠けてたりしたら、聴く方はもう我慢できない。「いないものは仕方が無い。譜面通り吹いてんだから文句あっか」とでも言いたげに、平然とやっちゃうバンドの演奏は、カラオケのように伴奏だけが淡々と流れて行き、聴衆にしてみれば、目と鼻と口の無い顔を見せられているようなもので、真に異様な世界である。
 トランペットのメロディーがいなければ、クラやサックスにその部分を回すというような対策を講じてもよかろう。和音についても配慮した方が良い場合がある。フル編成でホルンのドミソが鳴るはずのときに、一人足りなければ、ドソかドミかミソになる。この時スコアを見て、他のパートでミを吹いている者が多いと判れば、ホルンの2人にドソを吹かせると、バランスの良いドミソが得られるであろう。またこんなこともある。フルート、クラリネット、アルトサックスが各1人ずつしかいないときに、普通はみんなが1stのパートを吹くだろう。するとドミソになるべき部分が、ソソソになってしまうことが多々ある。そんな時、アルトサックスに2nd、クラリネットに3rdの譜面を吹かせてドミソを完成させた方が面白くなることがある。
 これらはすべてケースバイケースであるから、スコアを見ながら、あるいは実際に音を出させながら、あれこれ工夫するのである。こういったことは一見面倒くさそうだが、案外難しくない。日常やっているうちに生徒同士で「今の8小節さびしいねえ。あたしが下吹こうか?」なんて勝手にやれるようになるもので、全体の和声、バランスに気を配りながら演奏できるようになるというのは、むしろ小編成の強みといってもよい。


U.コンクール出場(実践報告)

ではいよいよ、本校でのあゆみを紹介させていただくが、下表が部員数の変遷である。
20名をピークとして、10数名でいったりきたりしているのがわかるが、私たちが超小編成の活動に、決定的な自信を得たポイントになる年のことを、いくつか報告する。

1年生 2年生 3年生
90 13
91 11 20*
92 20*
93 16*
94 17
95 11*
96 13*
97 16
98 12

*印はコンクール出場時の人数。それ以外の年はコンクールに参加してい ないので、文化祭時点の人数を記した。

A.93年のコンクール
(1)15人でもコンクール出場へ
93年は、試練続きの歴史の中でも、第1期氷河期というべき年であった。表を御覧になってお気づきかもしれないが、私が赴任した翌年、翌々年は新入生の数もまずまずで、その後辞めてはいったものの、夏のコンクール時点で20名を維持していた。コンクールにはボクシングのヘビー級、ライト級みたいな分類があり、最も編成の小さいC組が定員20名であるから、91,92年の2年間だけは、本校も定員ちょうどの部員数が揃っていたことになる。うまいヘタの問題は別にして人数面だけでは、とりあえず他のC組出場校にヒケを取っていなかった。
ところが93年は16名になり、さらに夏休みに入院予定の部員がでたりして、コンクール時には15名しかいないことが決定的となった。前の年に20名で銀賞を取る演奏をしていた部員たちの間に、明らかに不安やあきらめの気持ちが芽生えて始めていた。ここで引き下がるのは、今後の活動を余計衰退させる要因になると感じ、私はあえて15名で出場させる事に決めた。
この15名の楽器編成は次のとおりである。
フルート3 クラリネット4 アルトサックス2 テナーサックス1
ホルン2 トロンボーン1 ユーフォニアム1 チューバ1

(2)選曲の方針
 この編成で特徴的なのは、ブラバンの花形であるトランペットと、打楽器が不在という点である。(トランペット奏者は実はいたのだが、直前に退部した)これらは、マーチのような軽快なテンポの曲を演奏するには不可欠なパートであるから、そういう曲をいくら練習しても、それらのパートがすべて揃ったバンドと比べれば聴き劣りがする。残念ながら、ブラバン用に出版されている譜面は大半がそういうタイプの曲なので、選曲上の制約は非常に大きい。
 しかし、ここでも少々発想を転換すれば十分に希望は持てた。世の中にトランペットも打楽器も含まない楽曲はゴマンと存在するし、それらの中には迫力があるものも、軽快なものもある。私が選んだのはオリバードウティ作曲「薔薇の謝肉祭」であった。この曲は木管楽器の美しい歌わせ方がカギになるので、本校のトランペット抜き編成でも十分に聴かせられる可能性がある。曲の中盤から終盤にかけて、金管がパワフルに鳴らす箇所もあるのだが、ここはトロンボーンやホルンを中心に頑張れると読んだ。かの有名なグレンミラー楽団が、けがをしたトランペット奏者を抜いて、急遽トロンボーン中心のアレンジで大喝采を浴びたという逸話があるではないか。

(3)キララホールでのリハーサル、そして本番
 「薔薇の謝肉祭」は、結局どうしても省略不可能なトランペットのほんの数カ所を編曲
しただけで、ほぼ原譜どおりに演奏すれば和声的に問題は無かった。だが、完全な編成に比べると、どうしてもメロディーと伴奏の音量バランスが崩れる。また人数が少ないと、フォルテ〜ピアノの強弱レンジが小さくなり、ホールの隅々まで表現を伝達するのが難しい。ちょっと贅沢かなとは思ったが、キララホールを丸1日借り切ってリハーサルを行った。私は客席後方からマイクで指示しながら指揮をした。この位置まで表現を伝えるには、一人一人がよほど目鼻立ちのクッキリした演奏をしなければならない。朝9時から昼食を挟んで午後5時までやって値段も高くついたが、とても有意義な練習であったと思う。キララホールの舞台係りの人から「見る見る良くなっていったねえ」とお世辞を言われたほどだ。(ホールが良いからという意味だろうか?) 付け加えると、この「ホール練習」は、全国大会を狙うような学校は皆やっていることで、それもたった一日では無く、何日間もやるのが当然になっている。
いよいよコンクール当日。出演は朝1番で、本校集合は午前6時、1時間練習して、7時過ぎに出発。武蔵野文化会館に8時30分に入るというハードスケジュールである。管楽器というものは、どんな名人でも朝は良い音が出ない。これはどうしようもないことなので、朝一のクジを引いた時点で結果には期待するまいと決めていた。逆に、自分たちの演奏が終わった後で他のすべての演奏をゆっくり聴けるというのは、恵まれいるのかなあなんて思ったりもした。武蔵野文化会館の近くに、たまたま卓球部の引率で来ていらしていた木下先生が、うちの出番の時だけ抜け出して聴きに来られ、(いいのか?こんなことして)「心にジーンとくる演奏だった」と感想を述べて下さった。正直者の彼からこういう一言を引き出すことができれば、もう結果はどうでもよくなってしまうもので、演奏者全員100%満足であった。
 この日「薔薇の謝肉祭」を演奏した学校は他に3つもあり、どこも完全な編成で立派な演奏をした。そんな中で本校は銀賞を受賞した。これは感激というより、キョトンとさせられた。15人ではムリだと思いこんでいたのに、曙と渡り合う舞の海の心境を味わったのである。この時以来、超小編成はもはやハンデでは無くなり、秋留台ブラバンは、一層力強く歩みだしたのである。


B.95年のコンクール
16期生はうちの部にしては当たり年で、卒業時まで9人が熱心に活動した。彼らが卒業してからが、本当の試練の始まりだったかもしれない。15人で銀賞を取った2年後の95年は、さらに少ない11人でのコンクール出場となった。この時の編成は次の通り。
クラリネット3  アルトサックス1  バリトンサックス1
トランペット2  ホルン2   ユーフォニアム1   ティンパニー1
 念願のトランペット奏者と打楽器奏者が育った頃には、今度はチューバがいないという、
何とも歯がゆいことの繰り返しである。

(4)譜面の全面的な書き換え
私が選んだアルフレッド・リード作曲「ラッシュモア」は6分弱の曲で、終始ゆっくりしたテンポで進行する。ノリよりも歌心で勝負したいという考え方は、前回の「バラ肉」と同じだが、この曲の大きな特徴はホルンの活躍であり、95年は少ないながらもホルン奏者に恵まれたので、それが選曲の決め手となった。ただ「ラッシュモア」は40パート以上の大編成向けなので、11人はいくら何でも少な過ぎる。このまま演奏したら虫食いだらけで、まったく曲にならない部分が殆どなので、私は覚悟を決めて編曲に臨むことにした。私の頭にはあるイメージあった。その当時毎日聴いていたモーツアルトの交響曲も、使われている打楽器はティンパニだけである。こんな響きを出したい。私はモーツアルトになった気分でサラサラとペンを走らせるのだった。職員室で編曲に没頭した2日間の私の様子について、先の木下先生は「鬼気迫るものを感じ、近寄り難かった」とおっしゃっていた。モーツァルトよりもベートーベンに近い顔をしていたらしい。
本来、このように楽曲を勝手に編曲し直すことは著作権上の問題がある。そこで高吹連の事務局に問い合わせたところ、「すでに演奏者が存在するパートの音を、技量不足などを理由に他のパートに回すのは問題があるが、足りないものはやむを得ないでしょう」との暖かい御返事をいただいた。

(5)ムリだらけの編曲
少々専門的な話になってしまうが、私が譜面を書いた際の苦肉の策をいくつか例をあげて紹介しよう。「ラッシュモア」の出だしは、低音金管の和音で始まる(譜例1)。この時点ですでにチューバ2本が不足するため、私は譜例2のように書き直した。また曲のラストでは、トランペット3本が高らかに鳴り響くのだが、やはり1本不足なので、かといって音を一つ省くこともできない箇所なので、譜例3のように1stトランペットの替わりにクラリネットを用いた。これはちょっとばかし、ずるいっぽい。






和音を吹くときに最もハモリ易い組み合わせは何と言っても同族楽器で、例えばクラリネット3重奏とか、サックス4重奏などだ。次にハモる組み合わせは木管同士、金管同士などで、血縁関係が遠くなるほどハモりにくくなるといえる。だから、譜例2のように木管、金管、打楽器という組み合わせで3和音をハモらせようなどというのは、常識はずれの最たるものなのである。譜例4についても似たり寄ったりだ。私の力作の中には、こういう箇所が他にもヤマほどある。しかし、これらはハモりにくいのは確かだが、絶対にハモらないという事ではない。かなりな所までハモらせることは可能なのである。

(6)ウイーンフィルを目指す秋留台ブラス
あちこちでブラバンの練習を見ていると、凄まじくハモらないバンドによく出会う。チューナーなどのハイテク機器によって、全ての楽器を完全にA=440Hzにチューニングして、確かにピッチは合っているのに、なぜかバラバラに聞こえる。実はこの原因は一人一人の音色にある。悪い音色(オシロスコープで見たとき、曲線が汚い音ともいえる)で吹くと、ピッチが正確でなおかつ同じ楽器同士でもハモって聞こえない。
 ところがプロのオーケストラの優秀なフルート、オーボエ、クラリネット奏者が発する3和音は、溶け合って一つの響きを作ることができる。もっと大勢でも然りで、最高の例はウイーンフィルハーモニー管弦楽団のサウンドであろう。木管、金管、弦までが混在した100人が鳴らしているにも関わらず、それらの音が見事にブレンドされる。
ファゴットという木管楽器の音色は非常に特徴的で、溶け込むということに関しては最も難しい音色ではなかろうか。ファゴット4重奏のコンサートがあるというので、興味深く出かけてみて、私は目からウロコを落とした。上手い人たちはやはりハモらせる。
 バリトンサックスの音色も、ヘタするとその名の通り「バリバリ」で、チューバのように丸く暖かみのある最低音は出しにくい。だからチューバのパートをバリトンサックスで代用すると、金管低音のトロンボーンやユーフォニアムとの音色の違いが歴然としてしまって、ハモリにくいのであるが、これも努力次第でかなりいい線まで行ける。別にオシロスコープで波形をチェックする必要は無く、周りの音をよく聴いて「溶け込め〜」と念じながら吹くと、自然とそういう音色になるのである。まさに精神論で非科学的だが、ウイーンフィルがオシロスコープを使っているという話も聞かない。

(7)褒め言葉の嵐
コンクールの3日前、青梅市青少年吹奏楽団の方々が激励に駆けつけて下さった。吹き抜けの生徒ホールという場所で合奏中の私たちを発見した後も、辺りを見回して誰かを探しているようだ。「他のパートはどこから聞こえてくるの?」「他って? うちはここにいる11人で全部だよ」「えっ、そうなの! 40人位で吹いてるような音だったよ」
大編成と錯覚させるサウンドが、着々と出来上がりつつあった。
コンクール当日、知り合いの学校がいくつか同じ日の出演で、顧問の先生同士おきまりの挨拶をした。うちは11人で出るんだと言ったときの反応は、大部分は同情に近い感じで、11人でどういう演奏をするか期待してますよという感じの人はいなかった。
 ステージに上がった私たちを見て、場内がどよめく。他の学校の約半分だから、その少なさに驚いたのか、あるいは賞にこだわる学校が、ここは安全牌だなどと話し合っているのだろう。演奏が始まる。さっきどよめいた人々が今はどんな顔して聴いているのか、私は背を向けて指揮しているのでわからない。演奏が終わってすぐ、仲の良い先生の一人に声をかけられた。「いやあ、良かったですよ。音が足りなくありませんでしたねえ」....。なあんだ、やはりこの先生も音が足りない虫食いだらけの演奏を予想していたのか。結果はまたまた銀賞。さらに翌96年も13名でシェルドン作曲「オーシャンリッヂラプソディー」を演奏し銀賞であった。バンドの一人一人の顔を思い浮かべながら書いた譜面を前にして、実際にその面々を相手に音楽を作り上げて行く作業は、何とも言えないくらい楽しいものであった。

(8)編曲のススメ
10人そこそこで銀賞を取って、舞の海の心境などと有頂天になっている我々だが、実はもっと上がいる。東京電機大学付属高校と日体荏原高校が9人で金賞を取っている。その演奏を私自身も聴かせていただいたが、やはり自分たち専用に編曲されたものを、全員が立派な音で演奏していた。こうしてみると、少人数でもやっていけるんだという実例には事欠かず、皆さんも勇気づけられたでしょうという論旨になるようだが、今現実に困っていらっしゃる先生方は逆にこう言いたいに違いない。「結局、編曲法の知識が無ければダメってことなんでしょ? この忙しい中で今から勉強するヒマも無いし、やはり諦めるしかないんですね」と。確かに、いきなりストラビンスキーの「春の祭典」をブラバン用に書き直すために編曲の勉強をしろとか言われたら、誰でもやる気を無くす。だが、小編成の場合はもっともっと手軽なのである。初めての方は、クラリネット2重奏とかサックスアンサンブルなどで、簡単な曲を書いて生徒に吹かせてみるとよい。自分の書いた譜面が、イメージ通りの音になって出てくることの面白さに目覚めること請け合いだ。例えるならば、パソコンのプログラムが予想通りに走った時とか、我が子が予想通りの優等生に育ち、100点の答案を持って帰ってきた時の快感と同じである。(うちの子はまだ1歳なので、この例えは自分でもよくわからずに使ったことをお断りしておく)
私が編曲を勧める理由はもう一つある。合奏を指揮するからには、スコアを熟読して、すべての音どうしの関連を把握しておく必要があるが、それこそなかなかヒマが無い。編成が揃ったバンドでは、そんなことお構いなしに棒を振り下ろしても、大抵それっぽい響きになるので、なおさらスコアの分析を怠りやすくなる。超小編成で、常に足りない音をどう補うか考えながら一部書き換えなどをしているうちに、私にはスコアを綿密に読むクセがついてしまった。これは超小編成が与えてくれた宝物だと思う。


V.練習方法(実践報告)
(1)シーケンサーって何だ?
本校が小人数での練習を成り立たせてきた、もう一本の大きな柱が「シーケンサー」の利用である。シーケンサーは俗に「打ち込み」と言われるマシンで、3.5インチフロッピーディスクのいくつかのトラックにパート毎の演奏データを記録し、再生できるもののことである。カセットテープの録音と何が違うのかというと、再生時にテンポや調性やピッチを自由に変更でき、パートを選択して再生(カラオケやマイナスワン)がボタン一つでできる点である。
だいぶ前に私が、「歌麿」という怪しげな名前のバンドにキーボード奏者として呼ばれた時のことである。Tスクエアの曲をいくつかやるというのに、川崎のスタジオに集まったのは、私とベースとサックスの3人だけだった。ギターとドラムは今日は他の用事で来ないのだという。でもリーダーのサックス奏者は、平然として「では始めましょう」という。何をどうするのかと思っていると、彼はおもむろに箱のようなものを取り出して、アンプにつなぎ、スタートボタンを押した。もうおわかりだろう。その箱がシーケンサーで、練習予定の曲のすべてのパートが完全に打ち込んであり、今日はドラムとギターのパートだけをONにしてあったのだ。私とシーケンサーの出会いとも言うべき日である。その時の曲の中にすごく難しいのがあって、初見では全然弾けず、今日は無理そうだと申し出たら、リーダーは「あはは、じゃあ今日はいいですよ」と許してくれて、シーケンサーのピアノパートもONにした。今日、自分は不要だったのではないかと思うと、ちょっと寂しかった。

(2)ポップスのリズムセクションを打ち込む
「歌麿」のように、機械に人間の替わりをさせて不在パートを補うという方法が、ブラバンでポップスをやる場合にも使える。ジャズやポップスは、ドラム、ベースとコードを弾くためのピアノかギター(これらを総称してリズムセクションという)さえあれば、曲の構成上、骨格と筋肉くらいは出来上がっているものが多い。またメドレーものなどを除けば、殆ど一定の拍子とテンポで通せるので、機械の手を借りるには好都合である。
 本校の音楽室には、ヤマハクラビノーバCVP65という機種がすでに存在していた。これに内蔵されているシーケンサー機能は、現在出回っている本格的な機械に比べれば子供のオモチャ程度のものだが、ブラバンの練習には十分過ぎるほどであった。というより、オモチャであるが故に、1曲のリズムパートをすべて打ち込み、修正を完了するまでが、20〜30分で済むというメリットがあった。本格的な機械だったら1曲に何日も費やしてしまうだろう。私は、練習している曲の殆どすべてを打ち込み、今では1枚に10曲以上入る3.5インチディスクも、20枚位になった。
 これをかけながら演奏すると、殆どのポップスは5人程度でサマになる演奏ができ、大ざっぱな譜読みや、曲に慣れるための通し程度ならば、ご機嫌な練習となる。チューバがいるならベースのパートをOFFにし、ドラムがいる場合にはドラムをOFFにしてクリック音(拍だけを示すメトロノームの音)だけを出すこともでき、利用法は先の「歌麿」の場合と同じだ。本校の場合、少人数というやむにやまれぬ事情からシーケンサー利用を始めたのだが、実際使ってみて、その効用は大編成バンドの皆様にも是非お勧めしたくなるほどのものがあった。代表的な効能を2つばかりご紹介しよう。

(3)シーケンサーのススメ 其の@ リズムを意識しながら吹く練習
同じ4分の4でも、8ビートと4ビートとボサノバと....とでは、吹き方が違ってくる。この違いというのは言葉で説明不可能なので、いろいろな演奏を実際に聴き比べて納得していただく他無い。演奏する者は、今吹いている曲のリズムは何なのかを意識していなければ、吹き分けることも不可能である。そこで、カチカチ一本槍のメトロノームよりは、4ビートなら4ビートらしいリズムパターンのドラムスとそれらしいベースラインで伴奏してくれるシーケンサーの方が勝っているという理屈だ。
こう説明しても、使用経験が無い方にはピンと来ないだろう。申し訳ないが、私の経験を信じていただくしかない。私がジャズピアノの練習を始めた頃、弾いていたのはもちろん普通のピアノで、リズムキープの道具はメトロノームであった。才能豊かだったので、まあ上達はしたのだが、その後シーケンサー付きの電子ピアノを購入してからは、それのさらに10倍の速さで上達した。これは本当だ。常にドラム、ベースの伴奏付きでピアノトリオがやれるから、やってて飽きないという要素も見逃せない。

(4)シーケンサーのススメ 其のA コードを意識しながら吹く練習
 ポップスをやる人の中でも、さらに上を目指してアドリブが吹けるようになりたいと思う人にとって、コード進行の知識は不可欠である。また、別にそこまでなれなくてもいいというプレーヤーにとっても、コードを理解しながら吹くのと吹かないのとでは、音程やバランス感覚の善し悪しにかなりの差が出てくる。
 今でこそ、シーケンサーの伴奏でジャズのアドリブを練習する人は珍しくなくなり、そのためのソフトが市販されるような時代になっているが、ちょっと前までは腕のたつプレーヤーたちは涙ぐましい苦労を強いられていた。私のいるジャズのビッグバンドでは、毎週日曜日の7時過ぎから合奏練習で、それまでの時間は皆思い思いに個人練習に励んでいる。ところがベース、ドラム、ピアノの3人は5時からフル稼働である。意欲あるプレーヤーの、アドリブ練習につきあわされるのである。練習時間の殆どを個人でさらう事に費やし、ほんのつかの間、リズムセクションを独占使用できる瞬間に、飢えた野獣のようにアドリブしまくって、みんな上達してきたのだ。ところで、私はそのバンドでピアニストだったので、何とか自分の労力を軽減しようと考えていたわけでは無いが、ある日シーケンサーで簡単なブルースを打ち込んで、テープに落としたものをサックス奏者の熊ちゃんに渡した。翌週の熊ちゃんの感動ぶりは予想以上で、彼はすでに私に発注するための、何十曲分ものコードを書いたノートまで作ってきていた。いつでも思いのままに使える自家用伴奏隊が、アドリブプレーヤーにとってこれほど貴重なものなのかと改めて実感させられたものだが、スコッチウイスキー1本で作らされるハメになって、自分で毎週弾くのとどっちが楽だったのか考えると、少々複雑な気分になった。

(5)利用方法の実際
本校でのシ−ケンサ−を使った練習例を報告する。まず、ポップスの初見合奏である。
1回目は情け容赦の無いインテンポ(指定通り)、2回目は大幅に落として、3回目以降徐々に元のテンポに近づけるようにする。やっていくうちに、ほぼ吹ける部分と全くお手上げの部分が明確になるので、それから個人やパ−トで練習する。
 次に個人練習での使い方だが、チュ−バ以外の管楽器はそのまま使えば良い。やはりいろいろテンポ設定を変えて使うと効果が大きい。しょっちゅうソロが回ってくるアルトサックスなどは、ソロパ−トもあらかじめ打ち込んでおいて、初めのうちはそれと一緒に吹き、慣れてきたらお手本を削除するという使い方をすると、恐ろしく早くマスタ−できる。チュ−バや、パ−カッションの場合はマイナスワンにして使う。打楽器パ−トを抜いたシ−ケンサ−に合わせてドラムを叩くのは、やってみるとわかるが至難の業である。合同練習などで、他校の腕自慢の生徒ドラマ−が来たときにやらせてみると、まず誰一人としてできない。私もたまに挑戦してみるが、すぐにズレが生じてきて、いかに自分のテンポキ−プがいい加減かが暴露される。ところが本校で1年生の時からずっとこの練習をしている生徒だと、何の違和感も無く叩けてしまい、ドラマ−として必要なタイム感が身についているのである。世界一のテクニックを持つジャズドラマ−、デイブ・ウエックル氏もこの練習方法を勧めている。

(6)使用上の注意
 シ−ケンサ−の良い面ばかりを強調してきたが、便利だからといって濫用するのが危険なのは、開発と環境破壊の関係と同じである。最近の歌謡曲の伴奏が、何となく味気ないと皆さんはお感じにならないだろうか。あまりにもスッキリし過ぎていて、加山雄三の伴奏のような人間臭さが無い。これは言ってみれば当然の事で、最近の伴奏は人間が弾いていないからである。音楽界にもついにハイテク化の波が押し寄せ、音質や微妙な強弱をつけたりする技術が飛躍的に向上し、経費節減が合言葉のご時世ともなれば、ドラムやベ−スを始めとして、今では殆どが打ち込みなのだそうだ。これが高じて、ついにはすべての楽器を打ち込みで済ませてしまった「ハイテク・ビッグバンド」という名の無人バンドがCDを発売した。サインして貰うのが不可能なバンドだ。我々がこれらを味気ないと感じているうちは良いが、いつしか慣れて心地よくなってしまう日が来るのかもしれないと思うと、不気味な気もする。
私がエレクト−ン教室に通っている頃、発表会の時だけプロのドラマ−が一緒に叩いてくれるサ−ビスがあった。普段はリズムマシンの単調な伴奏だから、これは非常に貴重な体験であり、楽しみな日であった。プロドラマーを独占してのソロ演奏は、最高に気分がよく、とっても弾きやすい。不思議なくらい弾きやすい。弾きやす過ぎる。思わず私がドラマーの先生にその謎を尋ねたところ、先生はこう答えられた。「当たり前だよ。君が先走っても遅れても、私がそれに付いていってるからね」 要するに私がヘタなのを、人間ならフォロ−できるが、機械では無理だっただけということか。その時はそれで納得して終わったが、その後うんと上達したあとで解ったことがある。良い演奏というのは必ずしも一定のテンポを守ってはいないという事だ。ショパンのピアノ曲を弾くときのような、テンポの揺らしを言っているのでは無い。ポップスのインテンポの部分でも、機械で測定してやっと判別可能な程度、微妙にaccelした方が臨場感が高まる場合がある。そういう曲は、ドラムマシンで完全にテンポ一定にキ−プしてしまうと、かえってカッタルく聞こえるものだ。
 チェスでは人間の方が負けたらしいが、音楽の世界では、やはり機械は人間を超えられるものではない。音楽は人間の意志と意志の、ぶつかり合いを楽しむものである。シ−ケンサ−を導入するにあたっては、ここまで述べてきた個々の練習目的のみに利用する便利な機械として、割り切った考えで臨むことが肝心ではなかろうか。

(7)音楽の視野を広げよう
ジャズのプレーヤーの間で、これほどポピュラーになり、しかもその効果について太鼓判が押されている方法であるにも関わらず、ブラバンでは未だにシーケンサーの存在すら知らない人の方が多い。ブラバンはジャズとは違うからなのだろうか。それならそれでスッキリするが、現実にいろいろな演奏会のプログラムを見ると、本格的なジャズを取り上げている学校は非常に多い。結局のところ、やろうという意気込みに対して、練習方法や演奏法のノウハウが追いついていないのが現状なのではないか。これは物質的な面よりも気持ちの面に原因がある。どういう事かといえば、ポップス演奏法を扱ったビデオやCDの良い教材も出回っているのに、それを利用しようとする指導者が少ないのではないか。
 ポップスはテキトーでいいんだとまでは言わないにしても、よくあるのは「私はポップスのことはまるでわかりませんから」という言い方だ。また「クラシックの方が、音楽的な解釈をいくらでも深めてゆける面白みがある。ポップスは奥が浅い」という人も少なくない。実は学生時代の私も、そう思っていた一人だった。しかしジャズバンドの活動を通じて、それが全くの誤りであることを知った。音楽は、ジャンルを問わずすべて奥が深いのである。ブラバンが若い世代を中心に、ジャズやポップスをこれだけ好んで演奏する時代である。指導者側としても、「わかりませんから」の食わず嫌いで済まさず、かじってみようという姿勢はあってもよいと思う。私も、N響演奏会の定期会員を続けながらブル−ノ−ト東京のライブに通い、フル−トでモ−ツアルトを奏でながらビルエバンズのピアノをコピ−していて、音楽の楽しみが相乗的に増加することを実感している。

 最後に、シ−ケンサ−を使った練習方法の存在だけでも、多くのブラバンの人たちに知っていただこうと思い、ヤマハミュ−ジックメディア(株)に提言を行ったところ、今年発行のヤマハ・ニュ−サウンズ・イン・ブラス98の全10曲について、打ち込みデ−タソフトを試験的に発売してみようという事になった。ポップスに力を入れてみようというバンドは、是非一度お試しいただきたい。


W.運営上の工夫・雑感
 超小編成だと、何一つするにしても、大編成のバンドとは違った工夫と苦労が必要になる。大編成で上手くいった実践が、そのまま適用できることは非常に少ない。そんな苦労話を、思いつくままに列挙してみよう。

(1)演奏会とエキストラメンバ−
 コンク−ルでは、そもそも現役生徒以外を入れて演奏することができないので、前述のように、編曲によって切り抜けるのが唯一の生きる道であったわけだが、そういった制約の無い自主コンサ−トでは、足りないパ−トを外部の人間で埋めるのが普通である。これはプロのオ−ケストラでも日常やっていることで、通称トラと呼ばれる人(エキストラの略)を、技術に応じた金銭契約で、一時的にそのオケやバンドで演奏させる。トラがむしろ本業に近くなってしまっているミュ−ジシャンもいるくらい、極く普通のことである。
 さて、アマチュアバンドでトラを使おうとすると、いろいろな問題が生じる。アマチュアが演奏活動をするときは、部費や団費などのお金を払う立場である。ところがトラはお金を貰って演奏する。呼んだトラの技量が正団員とドッコイドッコイの場合でも、タダでというのは失礼だから、交通費くらいは出すだろう。払う者と貰う者という水と油の関係が、同じステ−ジで仲良くやりましょうということ自体が難しいし、ましてやそのトラがヘタだったり、生意気だったりした日には、もうメンバ−の怒り爆発は避けられない。
 本校では、極く親しい関係にあるはずのOBばかりをトラに呼んだときでさえ、こういう問題を何度となく繰り返してきた。特に私が指揮者権限を発動して、良かれと思って呼んだトラの方が、かえって危険なケ−スが目立つ。そこで、第1回の定期演奏会をやろうというとき、私はトラの人事権を放棄し、部員の役員会に一任してしまった。「君たちの納得のゆく人選をしたまえ。私は集められたメンバーでできる限りの音楽を作る....」もちろんこれは邪道である。指揮者は演奏に関する全責任を負う立場であるから、人事権の放棄は責任の放棄にも近い。このことについては後述するが、結果から言わせてもらうと、この判断は正しかった。生徒は生徒なりによく考え、またよく動き、自分たちの責任で演奏会を成功させるんだという意気込みが感じられた。我々教員の世界と同じなのかもしれない。校長の権限を強化するだけが能じゃ無いだろう。

(2)名物となったジャズステージ
 本校ほどの少人数バンドが演奏会を開こうとするとき、せっかくだから大曲も入れようなんて張り切るのは良いが、その結果として出演者の半分以上がトラという事態になることがある。それで演奏がうまくいったとして、果たしてそれが良いことなのだろうか。実際にそういう経験を何度かしたが、トラが多くなればなるほど、全員のスケジュールを調整してリハーサルの日程を組むのは難しく、極端な場合、全員揃うのは本番のみなんてことさえ起きてくる。そんな演奏会は、どうしてもある種の不完全燃焼に陥るものである。本校の場合、何曲かはそれでも仕方がないが、毎日一緒に練習している現役部員だけでやる曲も入れようという方針を固めた。第1回定期演奏会での現役ステージは次の3曲であった。
 @「いそしぎ」 1年生6名 FL CL2 AS TB TUBA
A「A列車で行こう」 2,3年生6名 TP2 TS TB Piano DS
B「オーシャンリッジ・ラプソディー」 現役全員12名
学年別にやろうというアイデアは、生徒から出されたものだが、私も賛同してすぐさま編曲にとりかかった。どうせ少ないなら、とことん少ない人数でやった方が面白いかもしれない。釣りキチ三平が、魚に見破られそうな太めのテグスに、わざとイモがらをかぶせてもっと太くして使ったのと同じ発想である。予想通りこれは好評だった。アンケートに多かった御意見は「こんな少ない人数で演奏できるのはすごい」とか「5,6人の演奏とは思えない」というものだったが、前述したとおりで、ジャズのアレンジなのだから5,6人は十分な人数である。とにかく好評なので、翌年の第2回では「ジャイアントグローブ」「マンテカ」の2曲を披露した。この路線は、伝統的名物となった感がある。

(3)野球場で自信をつけろ
 2月の定期演奏会でジャズステージをぶちかました後は、部員達も大きな自信を得ることができるが、新学期になって世代交代した直後は、やはり心細いものだ。こんな少なくてやっていけるのだろうか、という不安は、誰の気持ちの中にも常に存在する。だからそれを吹き飛ばすような場面が必要であり、野球応援はその絶好の機会なのである。
野球部の夏の大会には、どこの学校でもブラバンが駆けつけるのが当たり前のようになっているが、自由意志に基づいていたり、強制的にやらされていたり、その動機は様々なようだ。本校では、ブラバンの中の野球好きな者だけが勝手に行くという、典型的な自由方式だったのを、91年に私がツルの一声で強制参加方式に変えた。野球場には多くの人が集まり、テレビ局が来ることさえある。本番経験を積むには、またとない良い環境である。確かに、あんな炎天下でひたすらデカい音で吹き続けるのは、音楽的でも何でも無く、かえって音が雑になる危険があるから、野球の応援にブラバンが利用されることに、反対の御意見をお持ちの先生方もいらっしゃると思う。だが逆に言うと、音をはずしまくっても平気な本番というのは、これをおいて他には無い。まだ演奏に自信の無い1年生にとっては、貴重なステ−ジだと思うのである。
 野球応援の曲は、先発メンバ−からリクエストをとって、私が編曲するのだが、ほとんどがユニゾン(全員で同じメロディ−を吹く)なので、編曲と言えるものではない。ユニゾンにする利点はたくさんある。ハ−モニ−よりも強力な音になるから、相手が50人のブラバンでも、そんなに引けを取らないし、誰かが疲れて少しサボッても曲が止まらない。2回戦以降に勝ち進むと、ブラバンの中にも応援に来れない者が出てくるが、(2回戦は無いだろうと予想して、他の予定を入れてしまっていたり等)ユニゾンだからメンバ−が欠けても影響が少ない。これも相手が上手いほどやりがいがあるもので、東海大菅生高校と当たった試合が、最も白熱したブラバン合戦であったと思う。
 何事に於いても、強制するということは何かしらの歪みを生み出す。93年頃には、野球なんぞに興味も無いのに、無報酬で駆り出されて釈然としないというブラバン部員と、応援して貰うのが当然のように思い始めた野球部員の、意識のズレが表面化し始めていた。両クラブの関係を望ましい形に改善し、お互いに気持ちよく活動できるように調整する必要があり、都立日野高校がそのヒントを与えてくれた。現在は、野球部の全員が自主的にブラバン定期演奏会の受付やステ−ジセッティング、楽器運搬などの裏方すべてを引き受けてくれており、ブラバンの方は、夏の応援を自由参加方式に戻したにも関わらず、今年も全員が球場に駆けつけた。 

(4)こうなりゃ顧問も吹く
「投手は9人目の野手」と言われている。それとは何の関係も無いが、「顧問を最後のプレーヤー」として駆り出せば、1〜2名の演奏者を余計に確保でき、しかもこの1〜2名には卒業が無い。(本校の場合は異動も無いに等しいから、更に好都合?)
 少人数ブラバンの学校には、生徒に混じって楽器を吹く先生が多い。元多摩高校の馬場先生はトロンボーン、久留米高校の田村先生はオーボエやフルートの名手だ。元青梅東高校の岡田先生は打楽器奏者である。この方々は学生時代からそれらの楽器をなされていたから、すでにセミプロ級の腕前をお持ちだったのだが、ブラバン顧問となってから一念発起で始めて、優秀な奏者に成長された方もいる。拝島高校の伊藤先生のチューバや、本校の岩政先生のトロンボーンなどはその部類である。私の場合も元々は打楽器奏者で、ブラバン顧問となってからサックス、フルート、トロンボーン、トランペットの順に手を染めていった。編成が揃っていたら、このクソ忙しいのに新たに楽器の練習を始めようなんて気にはならなかっただろう。いないよりはマシだからと、窮余の策で練習をしてゆくうちにハマってしまうのである。楽器に興味さえあれば、始める年齢は関係なく、1〜2年でどの生徒よりも上手くなるので(保証はできない)、挑戦されてみてはどうだろう。
 楽器を実際に吹けるようになると、指導上有利なことが多いのはもちろんである。各楽器の音域は、教則本等を見れば一目瞭然だが、実際どのあたりの音が出しやすくて、どこら辺からがキツイのかということは、自分で吹ければてっとり早く理解できる。また、生徒がヘンな音ばかり出していて、吹き方のせいなのか楽器のせいなのか判定しづらい場合なども、自分が吹いみればすぐに解決する。顧問がプレーヤーになることのデメリットがあるとすれば、自分の練習に夢中になりすぎて、指導がおろそかになることくらいであろうか。
 
(5)合同演奏会の役割り 其の一
 11人しかいないサッカ−チ−ムは、言い方は悪いが、何の努力も無しにレギュラ−の座が約束される。少ないのだから、一人一人が余計しっかりしなければならないのに、競争の無い社会が逆に甘えを誘発する。わがまま放題を言い始めて周囲を困らす者が出てくることもある。切り札は「やめてやる」の一言だ。少人数チ−ムの泣き所で、こういった事態を根本的に防ぐには人数を増やすしか無いのであるが、ある程度予防する方法はある。
 とにかく井の中の蛙にさせないことが肝心だ。同じ学校の中にはライバルはおろか、目標とすべき先輩さえいない場合が多い。すこしでも広い世界に連れだし、ライバル意識とあこがれの気持ちを植え付けてやりたい。青梅ブラスフェスティバルには、本校以外に都立多摩高校、都立久留米高校、青梅市青少年吹奏楽団、その他一般参加の方々が集まってきて、9月の合同演奏会に向けて夏の間に5回程度の練習を行っていて、本校にとって最も重要な「外との接触の場」となっている。夏のたった2ヶ月間だけのことではあるが、生徒達はここで巡り会ったライバルに対して、「来年までには抜かしてやろう」などの長期的な展望を持つので、その後1年間の練習の動機づけとして十分な役割を果たしている。
 また、他校の練習を見学したり、合奏に参加させてもらいに行くことも、精力的に行ってきた。運動部が練習試合を通じて、他校と交流を深めるのは当然のことなのに、文化部は、どうしても校内だけで静かに活動するというイメ−ジがある。文化部だって合同練習という形で、少しでも他の良いところを吸収するよう努力すべきだと思う。

(6)合同演奏会の役割 其の二
 少子化等による部活存続の危機ということでは、高校よりもむしろ小中学校の方が事態は深刻ではないだろうか。募集定員というものがある高校では、統廃合されてしまえば別だが、そう急激に生徒数が減ることは無い。ところが小中学校の場合、単純にその学区域に居住している子供しか来ないわけであるから、ついこの間まで8クラスだったのが、あれよあれよという間に、半分の4クラスなんて事も起きてしまう。また先生方の異動サイクルも高校よりは早いから、顧問が不在となった部活をどうするかといった問題は、高校の何倍もの頻度で発生する。全日本吹奏楽連盟も、このことを重大な問題として受け止めるコメントを発表しており、「今後21世紀に向けて、学校の枠を越え、生涯教育としても機能する、地域社会に根ざしたコミュニティー・バンドの育成」という政策を掲げている。私も前任校を転出した際に、残されたブラバンの存廃問題が持ち上げられ、かなりスッタモンダしたのを、遠くから見守りながら心を痛めた経験があるので、連盟が提案するこの政策には、諸手を挙げて大賛成である。
 コミュニティー・バンドの代表格として、市民バンドというものが各市町村に存在するが、最近増加の傾向が著しく、その中には音楽の指向性が強く、誰でも受け入れられるという訳には行かないバンドが多々ある。以前住んでいた多摩市には、私が知っているだけでも8つの市民バンドがあった。目指す音楽が異なるという理由で、さらに分派分裂が進行したという噂も聞いている。細分化現象は、これから入ろうとする者からすれば、選択肢が増えるから良いことなのかもしれない。だが分裂しかかっているバンドの中では、一部の革命家と扇動者以外、愉快な思いをしている人は余りいない。両派の板挟みになってしまうのである。そうしてできた新バンドは再び分裂するのが常である。人間一人一人違うのだから、どこかに妥協点を見いだそうとしなければ、キリが無いだろう。
本校が参加している青梅ブラスフェスティバルは、まさにそのコミュニティー・バンドの有るべき姿であると思う。青梅市青少年吹奏楽団を昔から支えてきた、社会人の方々の人柄によるところが大きい。各自が音楽に対する深い情熱を持ち、そして互いを認め合うことによって、バンド全体にある種の包容力が備わっている。私は昨年から青梅市民になったので、将来本校から転勤してしまった後も、この団体を大切にして行きたいと思う。

(7)なぜコンクールに出なくなったか。
 96年にオーシャンリッジ・ラプソディーをやって銀賞をもらったときのメンバー、18期生から20期生までは、それぞれ数は多くないが、意欲の面では過去最高の粒ぞろいといって良かった。このときの演奏は、秋留台ブラバン史上に残る名演であることは間違いない。この直後に、悲願の第1回定期演奏会を成功させ、翌年の新入生である21期生も8人中5人が意欲満々の当たり年。飛ぶ鳥をも落とす勢いとは、この事だろう。97年にコンクールに出場していれば、前年以上の結果は約束されていたと誰もが考えた。
私自身はコンクール出場を推進もしないし、反対もしない。音楽は個人の好みであるから、100点満点で点数化して争うのはナンセンスだとも思う。だが、そういう目標に向かって練習して行くことは上達の早道だし、1曲をミッチリ仕上げるという経験も、コンクールが無ければなかなかできないに違いない。一長一短だと思っている。だから、最後は生徒達の話し合いの結果を尊重している。
 過去数年、「あの何とも言えない緊張感と、賞を取る喜びを最後の思い出に」という3年生からの意見で、出場する方向に決まっていたが、この年の3年生である19期生5人の意見は少し違っていた。「コンクールの客はノリが悪い。聴衆との一体感が全然無い」「コンクールよりも演奏会の方が、盛り上がって楽しい」 ナルホドと思わされる。音楽は他人を蹴落としたり、ケンカをするための道具では無く、人を楽しませるための物だということを、お客さんを楽しませる喜びを、いつの間にか彼らは学びとっていたのだ。
 この年、目に見えるピカピカのトロフィーは貰えなかったが、私の心はそれの何百倍も素晴らしいものをいただくことができたような気がする。

(8)ミーティングのあり方
 反省会とかミーティングというと、なかなか活発な討論が沸き起こらず、ついイライラして「端から順番に発言せよ」と命じても、出てくる言葉はその場しのぎの当たり障り無いものばかりで、結局「反省のための反省」みたいなものに終わってしまうことがある。教員の存在が自由な意見交換を阻害しているのかとも思い、「私は職員室にいるから、君たちだけで結論を出しなさい」なんてやると、あっという間に報告が来て、「意見が出ないのでいきなり採決した」なんて言うし、時には部長が「みんな話し合いに参加してくれない」とエンエン泣きながら駆け込んで来たりする。あげくの果てに「おまえら話し合いもできんのか。もういい、オレが決める」と怒る教員。自主性尊重を放任とハキ違え、それが上手く行かないと今度は一転してワンマン政治に走るという愚を、私も何度繰り返したことであろうか。管理主義にも放任主義にも陥らず、どこかでバランスを取りながら指導することの難しさは、学級担任として、クラブ顧問として、或いは子供を持つ親の立場として、誰もが味わっているに違いない。
私のたどり着いた結論はこうだ。教員は責任者として最終決断を下す必要がある。何でも生徒任せにはできない。重要な話し合いの場には必ず出席して、自分にビジョンがあれば述べ、理解を得るよう努力する。生徒の意見も取り入れ、活かして行く柔軟な姿勢も必要である。こうして見ると、教員の立場というのは、一般社会に於けるリーダーと何ら変わりがないことに気づく。指導してやるんだという傲慢姿勢が、上意下達のギスギスした関係を生み、生徒をロボット化するし、指導責任の放棄は生徒集団を迷走させ、最後はやる気を失わせる。校長と平教員の関係もそういう意味で正常化して欲しいものだ。学校がワンマン校長の命令だけで動くのも、逆に職員会議が最高議決機関で校長がそれに服従するというのも、どちらも極端で良くないと私は感じている。
もう一つ重要なのは、十分な時間をかけることだ。5分や10分のミーティングでは到底内容深めることが無理なのは明らかだ。お互いの意志を十分に確認し合いながら、よりよい結論、納得のゆく妥協点を見いだすには、時間を惜しんでいては始まらない。本校では野球部が、毎日の練習が終わり着替え等もすべて済んだ後で、延々とミーティングを行う光景が見られる。殆どのクラブは、ミーティングといっても中味は諸連絡かそれに毛が生えた程度だと思われるが、野球部のそれはまさしく討論会である。それが成り立つ背景は、顧問教諭のトコトン付き合うという姿勢であり、誰にでも真似のできることではない。私も見習って、せめて役員生徒たちとは、昼休みなんて慌ただしい時間帯でない時に、ゆっくりと話し合いをしたいと思うが、こう雑務が多くては夢のまた夢だ。行政には、教員定数を増やすなど、少しでもゆとりを回復する措置を講じていただきたいと切に願う。

(9)崩壊する合宿
 夏合宿は例年、五日市の国民宿舎に寝泊まりし、そこから本校へ練習に通う「学校合宿」という形を取っている。何らかの事情で宿泊参加が不可能な生徒でも、自宅から練習にだけは参加でき、OBなども手軽に顔を出せるというメリットがあるが、今年98年の合宿は、かなり特殊な形態となった。12名の部員中、宿泊組は役員格の2年生4名だけで、残り8人が通い参加を希望した。昼間の練習は滞り無く進行するが、それが終わると、8人は「ハイさようなら」で、あとの4人は宿舎へ向かい、夜のミーティングもこの4人だけで行うという、何だか不思議な合宿である。
 宿泊不可能になった者には、それぞれに事情があった。3万円余の宿泊参加費がネックとなる経済的な理由は、以前からあったものの近年急増している。また、集団生活恐怖症とでもいうのだろうか、特別な理由は無いのに宿泊行事は勘弁という生徒が増えている。私の赴任当時では、普段の練習の出席率は良くないのに、合宿だけは楽しみにして来るという方が主流だったが、今は逆なのである。長野県木崎湖へ出かける運動部の方も、以前バス5,6台を連ねていたが、今年は2台で済んだ。クラブ合宿に限らない。修学旅行を欠席する生徒の数も今や学年で20人、30人は当たり前だ。生徒のこういった変化は本校に特有のものなのだろうか。
 在籍部員の3分の1で宿泊という事態に、一時は合宿そのものの廃止も頭をよぎったが、前項で述べた役員ミーティングという位置付けとして、とにかくやってみた。そうしたら意外なことに、これは大変有意義な4泊5日となった。4人の2年生が、ほとんど無制限とも言える夜の時間を利用して議論したテーマは、その日の反省と翌日の計画にとどまらず、個々の部員のかかえる技術的あるいは精神面の問題点や、文化祭や演奏会の計画全般に至るまで、多岐に及んだ。これを通して、4人には役員としての強い自覚が生まれたと思う。彼女らは「来年から役員合宿か、ミーティング合宿をやるといいね」などと言っている。これには勇気づけられた。


(最後に)
 この原稿を書き終えようとしている今も、うちのブラバンは氷河期にさしかかっている。かれこれ第何期目の氷河期だか数え切れない。今年の1年生部員が全滅し、2年生6名だけで活動している現在、第3回定期演奏会の開催は極めて危うい状況だ。先輩達の伝統を引き継ぎ、年々発展を続けるという通常の法則もここでは成り立たない。常に廃部と紙一重の状態で栄枯盛衰が繰り返されるのだ。だがおそらく、一人でも部員が残っている限り、秋留台ブラスは不滅であろう。私自身が、何が起きても驚かない体質を身につけてしまったし、悪条件をハネ返すことが快感にすらなりつつある。どんな状況でも、常に聴衆を満足させる演奏をお届けしてみせようぞ!

 こんな文章を最後まで読んで下さった皆様の、まず辛抱強さに敬意を表し、そして心から感謝申し上げたい。皆様の中にはこんな感想をお持ちになった方もいらっしゃると思う。「実践例といっても、ある程度直井さんの特殊技能によっていることが多いから、我々に参考なるかどうか。読んで損したかも」 そう言われてしまえばそれだけのことだ。だが私の本意は自慢話ではない。
 超小編成ブラバンに、大編成の常識は通用しない。こちらの予測を越える不測の事態に次々と遭遇する。そんな時、「活動不可能」「計画中止」「時期尚早」....等々の否定的な結論を出すことは余りにもたやすい。だがそこからは何も生まれて来ない。その事態を打開する過程こそが、これまた予測を越える大収穫をもたらすのである。
 この役に立たない実践報告から、一つ見いだせる普遍的な教訓とは「逆境から得る物の方が、至れり尽くせりの環境から得る物より大きい」ということではないだろうか。それを皆様にお伝えしたかったのである。     (1998.11記)   戻る