短編小説 「ムカデ競走の極意」

全国の「ムカデ競走で勝ちたい」と願っている学生諸君に朗報だ!
この小説は、都立高校教員である作者が、事実に基づいて書き下ろした短編小説である。
精神論、根性論だけではない、科学的見地に基づいた必勝法が、ここにはある。
これを読んだ者は、間違いなくムカデ競走を征するであろう。(2012年9月記)


一.
2012年9月27日。
東京の最西端付近に位置する高校で、体育祭予行の最中に奇跡は起こった。
どのクラスのムカデチームも、自分たちが走ることを忘れてしまったかのように、
ただ呆然と一点を見つめていた。
それらの視線の先には、3年6組のムカデチームがいた。

「な、何?あの人たち・・・」
「どうして、あんな事ができるのよ?」
「あれって・・・ムカデじゃないか・・・。」
「まったくだ。ムカデそのものだ・・・」

6組のメンバーは、いやでもその熱い視線を感じて、感無量だった。
中には、まだ予行だというのに、感激で涙を流す者さえいた。
「ついに私たちのムカデが完成したのよ!」
「本当によく頑張ったわ」 

どこからともなく沸き起こった祝福の拍手が、だんだんと大きくなるのだった。
体育祭実行委員の里香も、この上ない達成感を満喫しつつも、
3ヶ月ほど前の、ある日のことが頭をよぎっていた・・・。

二.
合唱コンが終わり、いよいよ文化祭・体育祭に向けた準備が始動した6月下旬・・・。
それは里香にとって、気が重い日々だった。
一緒に実行委員を務める亮太郎も、委員会の中では幹部だが、
クラスの方をなかなか勝利に導くことができず、歯がゆい思いを持っていた。
そんな里香に、思いも寄らぬ出来事が待ち受けていた。

「里香、体育祭のこと、いつも大変そうだね。」
里香に声をかけてきたのは麻衣子だった。
麻衣子はおとなしく、活発な里香とは普段あまり接点が無かったので、
里香はやや戸惑った。
麻衣子は、里香の返事を待たずに先を続けた。

「実はね、里香に見て欲しいものがあるの。
ちょっとだけ時間ある?10分くらい」
「えっ、見て欲しいものって?」
「体育祭に関係があるものよ。そぐそこの教室だから」

里香は、ますます不思議な気持ちにさせられたが、
大した手間でも無さそうだし、何よりも体育祭に関係があると聞いて、
とにかく麻衣子に付いて行ってみることにした。
「さあどうぞ。こっちよ」
麻衣子の行く先は、同じ2階の生物室だった。

麻衣子は生物室のドアを開けながら、
「お客様よ。うちのクラスの里香さん」と言った。
麻衣子は科学部の部員だから、生物室を気兼ねなく使えるようだったが、
対照的に里香は緊張した面持ちになっていた。
麻衣子は「ここへ座って。里香に見て欲しいものはこれよ」
と言って、パソコンの画面を指さした。
そこには「3年6組 体育祭制覇プロジェクト 作戦X」
という題名が浮かび上がっていた。

里香は思わず笑い出した。
「なに?この作戦エックスって」
里香は麻衣子の方を見たが、麻衣子は真剣な表情をしていた。

「里香、私ね、去年の体育祭のこと、すごく申し訳なく思ってるの。
里香や亮太郎があんなに頑張ってくれたのに全然ダメで・・・。
私は運動は苦手。でも、何か自分なりにやれることがあったんじゃないか
と思って、いろいろ考えてみたんだ。それで、思いついたのがこれ。
ここに入っている内容、実はムカデ競走の必勝法なの。
ムカデは運動神経とか関係なく、それなりの準備さえすれば必ず勝てる。
ハッキリ言うわ。今年の体育祭、ムカデだけは6組が圧勝する」

里香は早くその中味を見てみたいと思った。
麻衣子がパワーポイントを再生し始めた。

「ええ〜っ、これ・・・もしかして」
「うふふ。ビックリした?」
「あたし・・・こういうの、苦手なんだけど・・・」
「大丈夫、この子たの相手は、生物選択のメンバーがやるわ。」

麻衣子が画面の中で指さしたのは、本物のムカデが動き回る映像だった。
「ごめん里香、もう少しだけ我慢してね。ムカデの足をよく見て。
全部の足が同時に動いていないの判る?」
「うん、ウェーブっていうか、波打ってる」
「そう。だから、私たちが体育祭でイッチニ、イッチニって掛け声かけて、
全員の歩調を揃えてしまうのは、ムカデの歩き方とは似ても似つかないものなの。
もうここから先は、ただの数値とグラフだから大丈夫。でも、ここからが本題よ」

10分位と言っておきながら、麻衣子の説明は、たっぷり30分以上かかった。
ようやく説明が一段落したところで、里香は大きく溜め息をついた。

「ごめん、説明がヘタで。難しかったよね」
「いや、凄いよ、麻衣子。これ、凄すぎる。」
「ほんと?嬉しいわ。今年のムカデの勝者は決まったわ。
後はこのプラン通りに、みんなが練習すればいい」
「わかった。私が実行委員として、しっかり練習させる。
麻衣子、今日は本当にありがとうね」

里香は教室に戻った後も、興奮が収まらなかった。
これで勝てる。絶対に勝てる・・・。
里香は何度も心の中で呟いた。

三.
麻衣子から秘策を知らされた夜、里香はなかなか寝付けなかった。
麻衣子の難解な説明を、何度も頭の中でおさらいした後、紙に書いてみて、
あらためてその緻密さ、完全さに脱帽するばかりだった。

麻衣子の提案は、本物のムカデの動きを、人間に真似させようというものだった。
里香にとって、それは非常に難しいことのように思えた。
しかし、麻衣子はパソコン画面に、満員のスタジアムで起きる応援ウエーブや、
EXILEのダンスを映しだすと、

「これらは、同じ動作を僅かな時間差をつけて繰り返すことによって作られる例だけど、
ムカデの足を真似するとなると、その時間差にヒト桁小さい精度が必要よ。そこで・・・」

麻衣子が取り出したのは、電子メトロノームだった。

「前にいる人の動作を見てから判断したのでは遅すぎる。だからこれを使うの。
標準的なムカデ競走の歩調は、毎分140歩くらい。
それをこの機械で正確に刻ませて、かけ声をかける者は、
この音を聞きながらイッチニ、イッチニを叫ぶ。
そしてここがポイント。
かけ声を聞いてから、2番目に並ぶ者は0.1秒遅れ、3番目に並ぶ者は0.2秒遅れで走る、
という具合に、動作に0.1秒刻みの時間差を設けるの。
こうすると10人目でジャスト1秒の時間差ができる。」

「ええ〜っ!そんな!人間の体内時計で、0.1秒を正確に測るなんて・・・」
「私も最初は無理だと思った。」
「ってことは、できるの?」
「里香、反応時間って知ってる?」
「ピストルの音を聞いてから、スタート動作を開始するまでの時間とか、そういうやつ?」
「そう。或いは、危険を察知してからブレーキをかけ始めるまでの空白の時間。
感覚神経から脳、脳から運動神経っていうルートを、信号が伝わる所要時間のことね。
これが平均的な高校生で0.2秒くらいって言われてる」
「わかった!声を聞いてから動けば、自動的に0.2秒の遅れを作り出せるってことね?
それは解る。でも、全員が0.2秒遅れで真似したら、動きが揃っちゃうよ」
「さあ、どうかしら?」

麻衣子は黒板に、A、B、C・・・という記号と共に一列に丸印を並べて描き始めた。
それがムカデ競走の選手を表すことはすぐに解った。

「先頭のAが掛け声をかけて、それを聞いたBが0.2秒遅れで反応する。
Cは、Aの掛け声ではなくBの動作に反応する・・・としたら?」
「そうか。Cはかけ声に対して0.4秒遅れることになる。
えっ、でも、そうすると0.2秒刻みの遅れは創り出せるけど、
その中間の0.3秒とか0.5秒の遅れは作れない・・・」
「いいえ、それも作れるわ。0.1秒遅れのXという人の動作に
反応すれば、0.3秒遅れになるわよ」

「待って、Xは何を基準に行動すればいいの?」
「そこが最大の難問だった。でもそれが可能なのよ。
Aの掛け声より0.9秒遅れのZという人を考えてみて。
彼はXよりも後ろに並んでいるから、Xからは見えないけど、
Xに聞こえるように別の掛け声を発するの。
これはAの掛け声から0.9秒遅れの掛け声になるわね。
その0.1秒後には、Aの次の声が来る。
ということは、Aより0.1秒先行してる掛け声とも言えるわ。
Xは、Aから見て−0.1秒のかけ声Zに反応することによって、
Aから+0.1秒遅れを達成する。どう?可能でしょ?」

「あ、でも、一番最初はどうするの?大元はAの掛け声だから、
どこかでZを作る方法が必要なはず」
「その通りよ。さあ、里香はどうすればいいと思う?」
「ううん、まったく解らないわ」

「反応時間は0.2秒が平均だから、当然0.3秒くらいかかる人もいる。
反射神経が鈍い人も、この作戦上では無くてはならない存在なの。
この鈍い人をBの真後ろに置いて、仮にB’とするわ。
現在の並び順は、A、X、B、B’、C・・・。
Aが大元の掛け声。
これを基準に取ると、それに反応したBが0.2秒遅れ、B’が0.3秒遅れ。
CはBに反応するので0.4秒遅れ。
この時、Xはまだ何もしないで、Aと同じペースで構わない。
0.9秒遅れのZが掛け声を開始したらXは反応する。
これで、Aを先頭とした、0.1秒刻みの歩調が完成したわ。
作戦エックスの概要は、以上で終わりよ。」
「凄い・・・、凄いわ。麻衣子」

里香は、もう一度ノートを開いて、
数直線上に並んだA、X、B、B’・・・の文字を見つめた。
不安が無いわけではなかった。
本物のムカデの動きを取り入れる完璧なプランだと、理屈では解っていても、
実際そんなことができるのか、見当もつかなかったのだ。

数分後、里香は勢い良くノートを閉じると、
最後は自分に言い聞かせるかのように、「練習あるのみ!」と一声叫んで、
そのまま布団に潜り込んでしまった。
階下で、里香の母親が「なぁにぃ?」と言った。


四.
9月28日、体育祭当日・・・。ついに決戦の時は来た。
アナウンスが「プログラム8番 ムカデ競走」と告げると、
場内は異様とも言える歓声に包まれた。
昨日のあの光景は、3年6組を除く全ての生徒にとって、
にわかには信じがたいものだった。
本物のムカデの動きをそのまま再現した6組の芸術が、
再び目の前に現れようとしていた。
昨日は職員室で仕事をしていて、予行の場に居合わせなかった先生たちも、
今日は全員が顔を揃えていた。
参観に訪れた保護者の数も例年の倍は下らないだろうと思われた。
フェンスの外には、噂を聞きつけた近隣住民が押し寄せて、
その瞬間を今か今かと待ちわびていた。

「さあ、いよいよだ。オレたちのムカデを見せてやろうぜ!」
体育祭委員の亮太郎が叫ぶと、6組の全員が「オーっ!」と応えた。
グランドの大観衆から、再び大きな声援が沸き起こった。

思えば今日までの道のりは決して順風満帆という訳ではなかった。
先頭役を務める俊一は、夏休み一杯を電子メトロノームと共に過ごした。
自分よりコンマ0.1秒前に掛け声を発する翔につられずに、
メトロノームだけを聞いて、正確な合図を出すのは至難の業だった。
そこにいる誰もが、コンマ1秒の精度を実現するため、
文字通り朝から晩まで練習に励んだ。

練習メニューの中には、イメージトレーニングも取り入れられた。
ムカデが活発に動き回る姿を、常時実物観察できるように、
生物Uを選択している光太や和美たちが、
毎日生物室に通って飼っているムカデの世話をした。
そんな中、チームでどうしてもスムースな足の動きができなくて
一人悩んでいた達哉は、ムカデを1匹譲ってくれと言い出した。
「身も心もムカデになりきらないとダメだと思うんだ」と言う達哉は、
自宅でムカデを飼い始めた。
みんな必死の努力の末、今日を迎えていたのだった。

スタートのピストルが鳴った。1年6組は大きく出遅れたが、
3年6組にとって、1周程度のビハインドは射程圏内だ。
バトンが2年生に渡ると、レースは俄然白熱してきた。
ただ、多くのクラスが、動きが固くなっていた。
3年6組にバトンが渡る前に、少しでも貯金を作っておきたいという焦りが、
どのクラスにも多くのミスを誘発させていた。

いよいよ3年生がスタートした!先頭4組・・・。
6組は20m遅れの2位でこれを追うことになった。
全員の足にストッキングがセットされ、先頭の俊一が「行きま〜す」と宣言し、
「イチ・ニ」の掛け声を開始した。
その響きは他のクラスと決定的に違った。
「イチッ、ニッ、・・・」と、非常に短く正確なテンポで刻まれた。
そして・・・。6組チームの足が、ゆらりと動き出した!

それは、競走には全く似つかわしくない、美しく滑らかな動きだった。
場内から「あああ〜っ!」と、声にならない声が漏れた。
前日の予行を見ていた生徒たちでさえ、一瞬立ち止まって6組の方を注目した。
まるで窓辺のカーテンがそよ風に揺れているような、
柔らかさと優しさに満ちあふれた奇跡のムカデダンス・・・。
周囲がそれに見とれている間に6組は悠々と前進を続け、
第1コーナー過ぎで4組を逆転!先頭が入れ替わる。
残り半周は、3年6組のために敷かれたビクトリーロードだった。
ところが・・・。

6組の背後から、「エッホ、エッホ・・・」という掛け声が忍び寄っていた。
6組のリアルムカデ走法とは対照的に、ザッ、ザッ、と
一糸乱れず全員の足音を響かせてきたのは1組だった。
その歩は一切緩むことなく、6組に追いついたと思ったら、
次の瞬間には一気に抜き去っていた。
場内から落胆と失望のどよめきが起こった。
1組が先頭のままゴール!2位・・・6組。
あっけない幕切れだった。
6組は必勝を期して臨んだムカデを落とし、
結局今年も優勝争いに絡むことがなかった・・・。


五.
午後3時、たくさんの表彰が済んで、閉会式も間もなく終わろうとしていた。
「閉会宣言!」のアナウンスに続いて、実行委員長の道郎が登壇した。

「皆さん、体育祭を終了する前に、少しだけ時間を下さい。
今回の体育祭では、特筆すべき出来事がありました。
皆さんもお分かりだと思いますが、ムカデ競走において、
あるクラスが本当に一致団結した、見事な演技を披露してくれました。
そのクラスは、1位にはなりませんでしたが、
先ほど実行委員会で検討して、特別賞を出そうということになりました。
3年6組の代表者、前へお願いします。」

里香が登場して、賞状を受け取ると、場内は割れんばかりの拍手に包まれた。

午後3時30分、6組担任の見栄春は、教室に向かいながら、生徒にかける言葉を考えていた。
文化祭ではあわや上映不可能かという大トラブルに見舞われ、
今回のムカデも結局は2位に終わってしまったから、
生徒はさぞやガッカリしていることだろうと心配したのだ。
教室では既に全員が集合して、亮太郎や里香のスピーチが始まっていた。
不思議なことに、表情は一様に明るく、まるで優勝したクラスのようであった。

里香が見栄春に気づいて、
「あ、先生、狙い通り、最高の体育祭でしたよ!」と言った。
見栄春は思わず聞き返した。
「え?狙い通りって?」

「勝つことよりも、注目度を優先したんです。記録より記憶に残ろうって」
「ええっ!じゃあ、作戦エックスで勝てないのは承知の上だったのか?
みんな、それで納得してたのかい?」
「それを教えてくれたのは貴史です。貴史は毎年1500m走に出て、
最初の1周だけ世界記録ペースで走るんです」
「うん、それはもう有名だから、よく知ってる」
「今年もクラス全員一致で、貴史にはそのパフォーマンスをお願いしたんですけど、
私たちも何かそういう、勝敗を超えた感動をお客さんに届けられたらな、って思って・・・。
もちろん最初は勝とうと思って始めたんです。
でも、やってるうちに、ムカデの美を追究したくなったんです。」

「そうかそうか・・・。勝敗を超えた感動って、素晴らしいじゃないか。
それより、作戦エックスにみんなが協力して、リアルムカデショーを創り上げた、
その過程が君たちの財産になるんだ。よく頑張ったな。お疲れさま!」

見栄春は、いかにも先生っぽい月並みな言葉しか思い浮かばず、
ただただ、高校生たちのパワーに圧倒されるばかりだった。
(完)