職員朝礼での社長訓話集 一つ戻る 最新版へ戻る
表現力 (1・31)
ホンネを喋れ (1・29)
続・予備拍 (1・24)
予備拍 (1・22)
続・著作権 (1・17)
藍より青くなっちゃイヤ(1・14)
著作権 (1・11)
駅伝 (1・ 7)
続・利き腕 (1・ 6)
利き腕 (1・ 4)
1月31日 表現力
前回の続編になります。音楽の2大要素は技術と表現であると言われます。本来こういうふうに2つに分けて考えられないはずですが、コンクールでは技術点と表現点は区別して採点されていて、現実にどちらか一方だけが秀でた採点も存在します。技術はあくまで良い表現を生み出すためのものですが、コンクールを目指して練習するうちに、技術を磨くことがすべてだと錯覚してしまう人も出てきます。コンクールだけが悪いわけではありません。ピアノ教室などでは、初心者に対して、バイエルの譜面をまず正確に弾くことを要求する場合が多いでしょう。この訓練は、私も経験がありますが、音楽をゲーセンの反射神経型ゲームと同じもののような誤解を与えてしまいます。バイエル方式に、ハッキリ言って私は賛成できません。技術を磨くことはもちろん大切ですが、どういう表現を目指したいのか、それにはどんな技術が要求されるのか、という動機付けは絶対に必要です。
打楽器奏者のツトム・ヤマシタ氏が修行時代に、先生から「窓の外に広がる夕暮れのニューヨークの風景を、スネアドラム1台で表現せよ」と命じられて困ったという話をしていました。ヤマシタ氏は、風景を見ながらトントントン・・・とか叩くわけですが、目を閉じて聴いている先生は「まだ伝わって来ない!」とか言うわけです。私の想像ですが、おそらくこの時の演奏には、速打ちとかパラディドルとかいったような難しい技術は無く、純然たる表現の訓練だったことでしょう。こんなふうに、ただ1種類の打楽器だけで、いろいろな表現をするという練習は、他の楽器の人がやるのもなかなかいいと思いますので、挑戦してみて下さい。一つ一つの音に、より細かい神経を使い、生命力を吹き込むというクセがつくはずです。ただし一人でやる場合は、他人に見られないように注意しましょう。あいつ、ついにプッツンしちまったか、などと誤解されます。
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1月29日 ホンネを喋れ
青梅東高校フォーク部(軽音楽部)の中の1グループが、関東大会で準優勝に輝きました。吹奏楽コンクールの銀賞のようにたくさん出されるのと違って、何十団体もの中での正真正銘の2位なので、これはスゴいことです。審査した先生方も1位2位を決めるのはたいへんだったでしょうが、私には何となく想像がつきました。引率して全団体の演奏を聴かれた顧問の先生に伺ったところ、やはり技術的にはどっこいどっこいか、もしかするとかなりレベルが上のバンドも多かったのですが、自己満足に陥ったり単なるコピーに終わっていたようです。素直さというか自分たちらしさを出せたのが、好意的な評価を呼んだのではないかとのことで、吹奏楽のコンクールと同じだなあと思いました。私も吹奏楽コンクールを聴きに行くと、審査員になったつもりで細かいところを聞き分けようと、耳を皿のようにして(?)いた時期がありましたが、最近はすごく大ざっぱに聞くようになりました。居眠りしてもいいや、くらいのつもりでリラックスして聴きつづけると、「あ〜、早く終わってくんないかなあ」というのと、「ここの演奏は、まだまだ聴き足りないなあ」という2通りがあります。技術面がもちろん最大の要因には違いありませんが、そればかりでもありません。このように大別すると、たいてい「もっと聴きたい」と思った団体がいい賞を取ります。たまに全然違う結果になることもありますが、それは私と徹底的に相性の悪い審査員の日でしょう。その審査員は、たぶんつまらない演奏をする人だと思います。私が通っているバンドの練習で、時々こんなことがあります。あるフレーズをみんなが顔を真っ赤にして必死に吹き終わった直後、指揮者やコーチの先生が「それでどうしたの?」とか「うんうんそれはわかった。じゃあ今度は、ホンネを喋ってみよう」なんて言います。伝わってくるものが無いということなのですね。コンクールがどうこうを別にして、音楽創りのポイントを突いた言葉だと思います。
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1月24日 続・予備拍
よそのブラバンにコーチに行く場合、高校の部活だと合奏全体を見ることが多く、中学校では各パート毎に見ることが殆どです。顧問の先生と指導方法が違うのは当然ですが、高校生ならうまく取捨選択できても、中学生だと、どっちの言うことを聞いたらよいのか迷ってしまう危険があります。だから、せっかくコーチに行っても、結果的に迷惑がられることもあるのですが、その一例としてこんなことがありました。「直井先生、出だしの余拍が多すぎるのだけは何とかなりませんか。日頃、空振り1拍だけで入れるように訓練しているものですから・・・」 この時練習していたのはポップスで、私は全曲「ワン、トゥ、ワントゥスリーフォー」とカウントを出していたのです。言われてみれば、どんな曲でも指揮棒がサッと上がった次の瞬間にババーンと入るよう指導している所に、余拍を8拍も出す先生が突然現れたら、混乱するに決まっています。私は、「それはうかつでした。以後気をつけます」とお約束しましたが、もう呼ばれなくなってしまいました。
この先生に反論というか、教えてあげればよかったことなのですが、ポップスやジャズの、出だしからビートが決まっている曲を振る時、最低8拍のカウントは当然で、8拍どころかもっと多いのが普通です。速い曲だと「ワーーン、トゥーーウ、ワン、トゥ、ワントゥスリーフォー」とかやるので、16拍カウントすることになります。MCが喋っている間に、次の曲のテンポをずーっとカウントし続ける指揮者も多く、これだと余拍は何十拍あるかわからない位あります。なぜこうするかというと、カウントを聴きながら、演奏者が体の中にビートを作っておくというか、波長を合わせておいて、曲の頭から共通のビートでドカーンと入るのがカッコイイからなのですね。だから、クラシックをやる時はもちろん少ない余拍でいいのですが、ポップスでそれをやると、頭だけはタテが揃っても、ビート感がバラバラになる危険が大きいのです。伝説的ドラマーで、自らのオーケストラのリーダーであったバディ・リッチは、指揮者としてカウントを出すかわりに、殆どの曲で8小節くらいハイハットのソロを叩いてバンド全体をリードしています。ポップスの予備拍としては、理想的な形といえます。
最後に付け加えると、ポップスでせっかくたくさんカウントを出しても、それと違うテンポやビートで入ってくるバンドがありますが、これは単に最悪でございます。
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1月22日 予備拍
クラス対抗の合唱コンクールでは、「大地讃頌」みたいなゆっくりした曲を歌うときでさえ、指揮者は1小節分を空振りすることが多いようです。「いっせーのーせー」と指示するわけですね。4拍くらい出さないとテンポが定まらず、安全に歌い出せないという事情があるのです。だから、「せーのー」で済んだり、「のー」だけで入れたりするクラスは集中力があって、たいてい優秀指揮者賞かなんかを持っていきます。というわけで、予備拍が少ないほど難しくなり、またカッコイイということが言えるので、「出だしがバラける危険を冒してまで、1拍空振りでやろうとする指揮者がいるのは困ったことだなあ。カッコ悪くても2拍振ればいいのに」と思っていました。しかし、吹奏楽界の大御所、ヨハン・デ・メイ氏が、自らの作品「指輪物語」を指揮しながら解説しているのを聞いたとき、ちょっと認識を改めました。この曲の何楽章だったかの出だしに難しい6連符があるのですが、空振りは絶対に1拍だけで振るべきだというのです。心の中で「せーの」とつぶやくと、ついそれが棒の小さな動きに表われて、緊張感が台無しになるから、安全策とかそういう問題と関係なく、1拍以外の予備拍は有り得ないのだそうです。これはナルホドと思いました。言われてみればベートーベンの「運命」なんて、どんなにきれいに入れても、「いっせーのーせ、ジャジャジャジャーン」なんてやったら、曲の根幹が揺らぐほど間抜けですよね。ただ一方で、そんなにこだわることでもないかな、という気がするのも確かで、目をつぶって聴いているお客さんに対して良い音楽を提供できるなら、どんなズルイ振り方だろうが関係ないとも言えます。私自身、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を振った時に、カッコつけて出だしのホルンには1拍しか合図をしないでやろうと思っていたのですが、大友直人さんがきちんと2拍出してるのを見て、やめにしました。2拍出した方が、ブレスしやすいんじゃないでしょうか。ポップスやジャズでは、予備拍についての考え方が根本から違います。次回はそれをお話しましょう。
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1月17日 続・著作権
一度だけ、不思議な体験をしました。それは、ある大学のビッグバンドのコンサートを聴きに行った時のことです。プログラムに、カウントベイシーもので、ピアノのソロが見せ場の非常にアップテンポの曲がありました。その曲は、その2ヶ月前に私自身も弾いたことがあって、ソロで苦労したのを覚えています。だいたい、自分がやったことがある曲を他人の演奏で聴くときは、非常に興味津々となるものです。しかも演奏者は、有り余るほどの時間を練習に充てられる学生さんたちですから、私が苦労した個所をどう料理してくれるのか、興味はひとしおでした。さて演奏が始まった時、私は「えっ!」と言わずにはいられませんでした。その時のピアニストの弾いたソロは、2ヶ月私が弾いたフレーズそっくりというか、そのものだったのです。この曲の譜面にはコードしか書いてなくて、模範演奏のCDを探しても見つからなかったので、アドリブなんてろくに出来なかった私は、あれこれ捻り出したフレーズを繋ぎあわせて、ソロの譜面を自作したのでした。それなのになぜ同じ物が発生するのでしょう。このコードの流れからすると、誰が弾いても必然的にああいうフレーズに行き着くってことでしょうか?私と余ほど似た感覚を持った人だったのでしょうか?いずれにしても、部分的に似るとかいうのでなくて、16小節丸まる同じになる可能性は、極めて低いでしょう。となると、残された可能性はただ一つ。コンサートマスターに尋ねたところやはり、ニューサウンドのコンサートをビデオに撮ったものからのコピーだったそうです。私もついに自分のアドリブがコピーの対象になるほど偉くなったのだなあ、と一瞬感慨にふけりました。普通だったらばそれでおしまいで、こっちもいい気分なのですが、あれはアドリブとは言えず、どちらかというと編曲です。そうなってくると今度は、「おれが苦労して書いたソロを無断で使いやがって」という気持も湧いてきて、結局この日は、塩酸と水酸化ナトリウムが混ざって食塩水になったような気分でした。
まあ、ジャズのアドリブやアドリブもどきのフレーズには、一般的に著作権は無いと見るべきでしょう。そんなのをいちいち真似するなとか言ってたら、何もできなくなりますし、真似されるということは、きっといいフレーズなんでしょう。真似されるのがイヤな人は、絶対に誰にも真似できないような超絶技巧、或いはクセのあるフレーズを編み出せばよいのでしょう。
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1月14日 藍より青くなっちゃイヤ!
昨日は「フェルベール管楽合奏団」の演奏会に行ってきました。「展覧会の絵」を指揮したN島君は、中学1年の時に私が顧問を務める吹奏楽部に入部してきた生徒で、本人いわく「当時は、音楽のオの字も知らない状態だった」そうです。そんな彼が高校でも大学でも吹奏楽を続け、本格的にサックスや指揮法を学ぶようになり、昨日の演奏会では、それはそれは堂々たるものでした。中1の時の彼とダブラせてみることは不可能です。あのマエストロが、自分が教えたN島君と同一人物とは信じられん・・・。
もう16年も教員をやっているので、昔教えた生徒が、自分をどんどん超えていくという経験をしてもおかしくない頃だし、またそういう実例には事欠きません。そしてそれは喜ぶべきことのはずです。実際、理科系に進んで大学院まで行って、今や第一線の研究でバリバリ活躍しているような生徒が「中学の時の、直井先生の授業で理科に目覚めた」なんて言ってくれると、本当に嬉しいものです。しかし、音楽に限っては、私は素直に喜べない! 自分でもなぜだかわからないのですが、私を追い越した生徒に対して、ライバル心が芽生えて、「もう一度抜き返すぞ」って思うのです。やはり中1の時に私がスティックの持ち方から教えて、今やプロドラマーとして活躍中のナベちゃんの時もそうでした。私がハッキリとナベちゃんに抜かれたことを意識したのは、彼が高校3年くらいの時で、それは同時に、私がドラムの練習を再開した時でもあります。ナベちゃんに対抗して始めたというわけで、今現在もナベちゃんには遠く及びませんが、おかげさまで私のドラムはあれからずいぶん上達しました。
音楽部門では、私はまだ後進の指導に徹するという気にはなれず、現役プレーヤーでありたいのです。だから自分より上のレベルの者がいれば、かつての教え子であっても、追い越す目標にしていきたいと思います。N島君!いいものを見せてくれてありがとう。もう一度、指揮と音楽作りというものをしっかり勉強しようという気持ちが湧いてきました。今日からはライバルよ〜ん!
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1月11日 著作権
私が中学生の頃、コピー機というものは存在していなかったように思います。学校に1台、青焼きコピーというのがあったかもしれませんが、きっと高価で、よほど重要な書類くらいにしか使わなかったはずで、私たち吹奏楽部員一人一人のパート譜をコピーして、自分専用の譜面を持つなんて考えられないことでした。じゃあどうしていたのかというと、練習のたんびに譜面係が原譜を取り出して並べ、私たちはそこから毎回自分の譜面を取って、練習が終われば返却するのでした。書き込みは黒の鉛筆でのみ許され、家に持ち帰ることはしていなかったと思います。現在の恵まれた状況に比べてだいぶ非能率的ですが、その分練習時の集中度は高くならざるを得ず、一概に今の方がいいとばかりも言えません。
コピー機の普及は、他の問題も生みました。ある曲の譜面をどっかの学校が持っているとわかれば、借りてきて丸ごとコピーして使うことが可能になってしまったのです。こういうことは立派な法律違反であると知りつつも、少ない予算にあえぎ苦しむ多くのバンドが、なかば公然とやっているのが実情で、コピーのコピーのまたコピーで、3つか4つの学校名の印が押してある譜面にお目にかかることもしばしば・・・。正直なところ私自身、長いブラバン生活の中で、こういう譜面のコピーをやったことは少なくありません。しかし、罪悪感があるのが救いかな、と自分を合理化しています。もちろん予算がある時は、譜面は必ず新品を購入することにしており、他から借りるのは、予算が尽きた後に新曲が決まったり、絶版になった曲をやりたい時などです。
自分で作曲や編曲を経験すると、著作権に対する意識というものがガラリと変わります。自分の書いた譜面を、それなりの礼を尽くした上で「演奏させてください」と来るなら、こっちも演奏して貰えて嬉しいという気持もあるので、「喜んでどうぞ」となりますが、勝手にコピーされたりしたら、これはかなり頭に来ます。私の「それなりに礼を」という言い方が、相手にそのまま伝えられてしまったことがあって、「何を偉そうに!」って言われてしまいましたが、作編曲者は偉そうじゃなくホントに偉いのです。「どうしてもって頼むんなら、演奏させてやるって気が無くもないがなぁ」くらいの気持は持っているし、それは当然でしょう。楽譜を買ったり、著作権料を払うという行為が、作者に礼を尽くすことになるので、そのへんをケチるのは良くないことです。ただ、中にはレンタルオンリーで1曲10万円近いという、法外な値段を付けている楽譜もあります。これにはちょっと「偉そうにすんな」と言いたいですが・・・。
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1月 7日 駅伝
今年の正月は、箱根駅伝を全部見ました。優勝タイムが約11時間。それとスタート前やゴール後の様子まで見るので、12時間近くテレビの前にクギ付けだったことになります。今年は1区のダンゴ状態、2区のスター対決、5区の法政ド根性、9区のデッドヒートを始め、本当に目が放せないレースでした。というわけで、何を隠そう私は大の駅伝ファンです。数年前に早稲田がぶっちぎりで強かった頃、山梨学院を応援するために、横浜駅前まで一人で出かけていって旗を振り、さらにレースの展開によっては電車で小田原へ回って応援を続けたりもしました。たかが大学生のかけっこの、何にこんなに熱中してしまうのか、自分でも不思議です。まあ元来スポーツ観戦は好きですし、箱根を目指してまる1年やってきた学生たちの、必死さ真剣さに打たれるのでしょう。これは高校野球についても、同じことがいえます。一昨年の夏の甲子園は、全試合見ました。プロの試合よりもレベル的に低かろうと、そこにドラマ性があれば十分に楽しめるようです。近所の公園で子供たちがやってる三角ベース野球も、もしも全選手についての十分な情報提供がなされ、勝負にこだわる因縁みたいなものが存在して、テレビ中継が行われれば、けっこう見る人っているんじゃないでしょうか。どっかのチャンネルでやってる、「おはようモーニングス」とかいう野球チームの試合中継って、そんなもんでしょ。逆に、いくら駅伝ファンが増えたからといって、旭化成や富士通やコニカをプロ駅伝チームにして「E リーグ」とかやっても、いい演出が無いとV リーグの二の舞でしょう。
吹奏楽コンクールを、出演校の関係者でない人までが熱心に見に行くのも、駅伝や高校野球と通じる何かがあるのでしょう。私たちアマチュアの音楽会は、演奏の中身ももちろんですが、曲のどこらへんでどんな苦労があったか、なんていうエピソードをどんどんお客さんに公開してもいいのではないでしょうか。プロの演奏会とは違った興奮を、お客さんに伝えることができるかもしれません。
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1月 6日 続・利き腕
だいたい、人間は生まれつき右利きが多いものなのでしょうか。利き目というのは間違いなくあるようです。眼の検査をしに行った時に、私は右の方が視力が低いのに、「あなたの利き目は右です」と言われたので、すぐさま疑問をぶつけてみたら、眼科のお医者さんがいろいろ説明して下さいました。脳の左右の役割と関係があるとかいう話ですが、しかし!手の右利きというものは、右利きが多い世の中だから、親から右手で何でもやるようにしつけられた結果、大量に作り出されているように思えてならないのです。練習しだいで、後天的にどっち利きにでもなれるということは、多くの事例で証明されています。元近鉄の鈴木投手は、将来左投手の方が有利だからと、父親がわざわざ左利きに直したというのは有名な話です。また昔、万国ビックリショーという番組がありました。(皆さん知ってます?八木治郎アナウンサーが淡々と司会するやつ・・・) 剣道の達人で右利きだったが事故で右腕を切断してしまい、その後剣道への想いを捨てきれず、左手1本で練習し、なんと六段を取得したという人が出演していました。
トランペットやトロンボーン、ユーフォ、チューバは、左手の役目は楽器を支えるだけで、主な操作は右手が行います。(厳密には、唇や呼吸の方が重要とも言えるけど・・・) まあ、右利きを想定した造りになっています。しかし、ホルンだとこれがまったく逆です。ホルンを最初に考案した人が左利きだったのでしょうか。不思議なことに、演奏者でこういったことを気にする人はいないようで、「オレは右利きなんだから」と、逆向きホルンを特注したという話は聞いたことないです。結局、初心者の時から左手で操作しているから、それが当たり前になってて普通にできるというだけのことでしょう。木管楽器に至っては、どっち利きなんてことはまさに関係ありません。どっちの手も同じくらい難しい! ギターではよく弦を反対に張って、右手で押さえて左手で弾くという人を見かけます。でも、ギターって弾く方と押さえる方のどっちが難しいなんて言えるでしょうか。最初にどう持ったかで決まってしまうだけでしょう。
余談ですが、歌手の松崎しげるさんの弾き方は、大きな特徴があります。右利き用に弦を張ったやつを、そのままひっくり返して左手で弾くのです。当然弾き方そのものが普通の人とは著しく異なってきますが、自己流で始めてからかなりの期間、誰にも指摘されなかったのでしょう。しかしこれがむちゃくちゃ上手い! 楽器をやるときは、利き腕をあまり気にしなくてよいし、自分の一番やりやすいようにやればいいというのが、私の持論になっています。
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2001年1月4日 利き腕
弦太のスティックの持ち方は、ジャズのプレイヤーに多いレギュラーグリップというやつで、右と左の持ち方が違うのですが、だいぶ前から普通の人と逆に持つようになってしまいました。ビデオの画面に出てくるドラマーは、こっちを向いて座っているので、そのまま真似すると逆になってしまうようなのです。ところが、実際にドラムの前に座ると、これが普通の持ち方に直るんですねえ。このままいけば、両利きに育つかもしれません。そういう私が、実は完全ではないですが両利きでございます。たいていの動作は右利きとして行いますが、野球はかなりの期間左打者でしたし、打楽器も「タカタカタカタカ・・・」と打つ場合、左手から叩き始めていたのです。中学のブラバンに入部する時点で、自分でもすでにそのことは知っていたので、「普通の人と逆の持ち方でやらせて欲しい」という希望を申し出ました。そのときの1級上の先輩は、中2とは思えぬ頭脳明晰な方でしたが、私に出した命令は「右利きとして練習せよ」でした。基礎練習がスタートして2ヶ月くらい経過してもまだ、逆の順番で叩いた方がはるかに速く正確に叩けるという状況で、私自身としては、余計な苦労をさせられてるように感じたものですが、その後いろいろな場面で、この先輩の判断の正しさを思い知っています。だいたい、打楽器というのは右利きも左利きも無いんですよ。右利きとして練習していても、左から始めなければならないフレーズなんて山ほどあるし、右でも左でも均等にアクセントをつけなければなりません。あらゆるフレーズは左右を逆にして叩けなければならない、と言っても過言ではないでしょう。だから、私の場合は元が左利きだったおかげで、ずいぶん楽な思いをすることになったのです。また、学校の部活などでは大勢の奏者がかわりばんこに使うので、左利き奏者のためにいちいちドラムセットやティンパニの配置をさかさまにする手間をかけていられません。左利きに固執していたら、行く先々のスタジオとかで苦労することになっていたでしょう。
でも世の中に、反対の配置にして叩いているドラマーも少なくありません。なぜ直さなかったのか、ちょっと興味があります。
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