職員朝礼での社長訓話集 一つ戻る 最新版へ戻る
話し方 (11・29)
慣れ・・・麻痺・・・ (11・24)
曲順・・・順番・・・ (11・22)
宝クジ (11・20)
花束 (11・18)
アンケート (11・16)
続・司会のコツ (11・14)
司会のコツ (11・12)
暗記のコツ (11・ 8)
挑戦する気持 (11・ 6)
キリ番 (11・ 1)
11月29日 話し方
今日は「芸術鑑賞教室」という行事で、アフリカ音楽の演奏と、オスマン・サンコン氏の講演というセットを鑑賞してきました。私自身が、アフリカ圏にいかに関心が薄かったかを痛感しましたし、アフリカに行ってみたくなりましたから、とても面白い内容でした。例えば、「世界の国の数が200足らずなのに、アフリカ大陸にその4分の1以上の53カ国もある」「アフリカの主食は朝昼晩お米」「アフリカ大陸とヨーロッパのスペインは見えるほどに近い」「野生動物もいるけど、大都会も多い」「サンコンさんは22人兄弟の12番目。大家族が多く、分かち合いの精神を徹底的にしつけられる」などなど。ただ、欲を言って超厳しい評価をさせてもらえば、サンコンさんはそれらの話のネタを順不同にポンポン話されたので、いまいち効果が弱くなってしまったのが残念でした。テレビ出演などが多くなり、話し慣れていらっしゃるのが逆にアダになっているのかもしれません。
私が話し方とか話の順番にこだわるようになったのは、中学2年の苦い経験からです。目立とう根性旺盛で、どんな場でも物怖じせずに話せた私は、はじめて生徒会選挙の応援演説という大役をおおせつかりました。クラスから4人も立候補者が出たのですが、4人全部の応援演説を一人で引き受けたのです。実は全校生徒の前で喋るのは初めてで、しかもお笑い系でないフォーマルな場というのも初めてなので、何を言ったらサマになるのかサッパリわからなかったのですが、他の子たちのように原稿を作ってそれを読むなんてみっともないマネできるか!というプライドだけが先走り、何を言うか考えることさえせずに当日を迎えました。予想通り、演壇に立った私は途方に暮れるばかり。それでも一人目の時は何とか適当に喋れましたが、後の方は無残としか言い様が無く、穴があったら入りたい心境でした。そして4人全員落選・・・。もちろんすべてが私のせいではないでしょうが、「撃墜王」という異名を取ってしまいました。裏付けの無い自信というものが、いかに危険かということを、私は痛いほど学んだのです。
アドリブで上手に話す人は、決して適当に喋ってはいません。十分に吟味したネタを用意してあって、順番もある程度計算しています。細かい部分で、お客さんの反応を見ながらバリエーションを加えているだけなのです。話し慣れている人ほど、初心に帰って計画性のあるスピーチを心がけた方がいいと思います。でもサンコンさんの話は良かったです。
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11月24日 慣れ・・・麻痺・・・
寒くなりました。学校でもストーブをつけて授業をやるようになりましたが、教室のガスストーブには水を入れるタンクがあります。乾燥しすぎるのを防止するためで、当番が毎朝2リットルくらい入れても放課後にはカラッポです。このタンクに牛乳を入れたらどういうことが起こるでしょう? 試してみたいという好奇心は評価すべきでしょうが、その代償というか犠牲は余りにも大きいものがあります。毎年必ずどこかの教室でこの実験は行われ、以後その教室は1週間以上にわたって極限状態の悪臭地獄になり果てます。その臭いがどんなものか、言葉で皆さんにお伝えするのは不可能です。一度体験していただく他ありません。
私が初めて牛乳教室の授業に行ってドアを開けた時、臭いの凄さもさることながら、教室内の生徒たちが案外平然としていることに大きな驚きを感じました。最初は「こいつら自業自得ってわけで、文句も言わずにおとなしくしてるんだな・・・」と思いましたが、やがて真相が判明しました。授業を開始して5分も経つと、そんなに臭いという気がしなくなりました。そして授業終了の頃には、もはや何も感じないといっていいくらいに慣れてきたのです。どうやら人間の嗅覚というのはそういうしくみのようです。嗅覚に限らず、味覚なんかもきっとそうなんでしょう。激辛を食べつづけているうちに、辛さを感じなくなってきて、唐辛子を丸ごとボリボリ食べられるようになったりするのではないでしょうか。
音に関しても同じ事が言えると思います。中学校のブラバンの合奏をいきなり聴くと、あまりにも音程が合ってなくて、聴くに耐えないというふうに思うことがありますが、その合奏を2時間も聴きつづけていると、そんなに不快ではなくなってくるのです。さらに恐ろしいことには、そういうことを繰り返した後に自分で演奏すると、音程が悪くなってたりするんですよ。言い方は悪いですが、「ヘタな演奏を聴くと耳が悪くなる」というのは本当なのです。当然、うまい演奏を聴けばすぐに矯正されますので、理想は部員全員にいい演奏をたくさん聴かせることですが、せめて指導者だけは月1回くらいはコンサートホールに足を運ぶようなことをしておきたいものです。
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11月22日 曲順・・・順番・・・
演奏会の曲目が決まり、それをどういう順番で演奏するかということは、非常に重要な問題です。曲順検討の際、演出効果を重視する指揮者と、トランペットを中心とした金管奏者の意見が対立することはよくあります。同じトランペットでも、オケでは休みの小節が多いため、そういう問題が起こるのを聞いた事がありませんが、ブラバンのトランペッターは常に大活躍です。ほとんど吹きっぱなしのマーチを続けられたりすると、ばててしまって力が出し切れません。演出効果よりも自分が気持ちよく吹ける順番の方がいいのです。
ただ私自身は、曲順というものは全体の演出効果が最優先されるべきで、トランペッターの泣き言は黙殺すべきと考えています。きつい曲が続くなら、そこはメンバー紹介や祝電披露で時間を稼ぐとか、やりかたはいろいろありますから。だいたい物事の順番と言うのは、これがBestっていうのがあると思うんですよ。お相撲の取組みだって、初日から横綱対大関なんてやらないで、後になるほど盛り上がって好取組みが出てくるし、それだけだと序盤がつまらなくなるので、時々いいのを混ぜて、その日までの勝敗なども考慮しながら、苦労して決め手いるのがわかります。また、私は花火が好きなのですが、千円くらいで買ってきたファミリー向け花火セットを見て、まず考えることは「どれを大トリにするか」です。それが決まれば、あとは全体のストーリー性に沿って、打つ順番がだいたい決まります。けっこう真剣に考えます。同じ量の花火でも、打つ順番が適切であれば楽しさが倍増するもので、当然のことながら、私が参加する花火大会は私が司会しながら打ちますが、良い順番をさらに活かすのは司会の役目でしょう。
1週間の夕食こんだて、デートコース、、お風呂で洗う部分の順番、歯磨きで磨く歯の順番など、今まで何気なくとか、行き当たりバッタリでやっていたことの順番を、もう一度見直してみてはいかがでしょう?
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11月20日 宝クジ
年末が近づき、ジャンボ宝くじの季節です。私の父が大の宝くじ狂(常に1枚しか買わず、1等と4千3百番違いだった・・・惜しい惜しいと喜ぶような、珍しいタイプ)だった影響で、ジャンボは30枚くらいは買っていたのですが、期待値の余りの低さに絶望して、かなり前からパチンコに乗り換えていました。しかし、最高4億円のロト6がスタートしてから、再び買い始めました。この興奮はたまらん。どうせ当たらないとわかっちゃいるけど、当たったらどうしようと考えてドキドキするだけでも楽しめます。ロトは、自分の好きな番号を選ぶので、我が社の社員全員の誕生日をからめた数字の一点張り。1週間で一口200円で、毎日のドキドキ感が買えるなら安いもんです。
夕食時に、うちの郁恵さんがふと「もし4億円当たったら仕事やめる?」と尋ねてきました。私は「そうねえ・・・」と考え込んでしまいました。そんなことまで考えたことは無かったですが、言われてみればたしかに当たった4億円には所得税もかからず、まるまる懐に入りますから、まったく仕事をしないで年間1千万円の生活費を使っても40年もつわけです。しばらく真面目に考えてから、私は「仕事は仕事として続けるだろうな」と答えました。「じゃあ4億円は何に使うの?」「音楽ホール付きの家でも建てるか」「4億円のおうちって凄そうだね」「固定資産税も凄いぞ」「何それ?」・・・ってな会話が続きます。改めて考えました。4億円の家を建てるかどうかはわかりませんし、多分建てないと思います。要は、突然に分不相応なお金を持って、自分の生活がそれに振り回されるのって良くないと思うのです。4億円なら、超低金利の今でさえも、もしかしたら利息が私の給料より多いでしょう。遊んで暮らせる可能性大です。でも人間というのは、毎日行く場所が決まってて、自分を必要としてくれる所がある(自分がそう思い込んでるだけかも・・・)ってことが幸せのような気がするのです。こういうことは、本当に当たってから言わないと説得力ゼロだな・・・。実は当たったら速攻仕事やめたりして・・・。
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11月18日 花束
演奏会につきものなのが花束で、ホールの最寄り駅近くの花屋さんは、大きな演奏会当日は大忙しになり、会場に着くと、受付の後ろの机にはすでにたくさんの花束が積まれていたりします。受付係も、よほど神経を使っていないと、誰から誰への花束だかわからなくなってしまうことも起こり得ますし、きちんと受け渡された後でウッカリ付箋紙をはずしてしまって、誰から貰ったかわからなくなる危険もあります。(私はバレンタインチョコでよくそういう経験をしたものです。ほーっほっほっほっ・・・。) 一晩の演奏会でいただく花束が一つ二つならば、そういう危険は少ないでしょうが、多い人は20とか30なんて数になります。私の大学時代の合唱団では、部長や渉外といった役員クラスの者と、特にカッコイイ者、また、私のようにその両方であった者は、本当にそんな数をいただいたものでした。数を競って、誰が一位だなんて発表したりしましたが、正真正銘の0個の人もいたので、今思えばバレンタインチョコと同様、残酷な話です。
個人宛てではなく、団宛ての花束というのも、数個から時には数十個になりますが、これの最終的な行き先というのが、正直な話いつも悩みのタネなんですよね。誰かが代表して持って帰るに決まってますが、指揮者とか団長なんて人々は個人宛てのを貰ってる可能性が高いですから、さらに持って帰ると言っても限度があります。そこでたいていは、1個も貰わなかった人に分け与えるとかします。家に持ち帰って、さも彼女から貰ったように見栄を張るという使い道もありますが、なかなか空しいものがありますね。そこで、団体宛ての贈答品が花束でなく、お菓子とかだったら、打ち上げの時に出すこともできるし、みんなに均等に分けることもしやすいでしょう。花屋さんの連盟からお叱りを受けることを覚悟で言えば、私は団体宛てにいつも花ではなく、お菓子や飲み物を差し入れることにしており、皆さんにもそちらを勧めたいと思っています。ただ、自分が貰って一番嬉しいというか助かるのは、なんと言っても「金一封」ですけどね。
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11月16日 アンケート
先日の青梅ブラスフェスティバルのアンケートを、まだ見ていないのですが、見たい気持ちと見たくない気持ちが入り混じって、複雑な心境になります。たいていの吹奏楽のコンサートでは、プログラムの中にアンケート用紙が挟まっています。誉め言葉ばかりの時は、お世辞とわかっていても気分がいいものですし、今後に向けて役に立つ批評をしてくださる方のものは、たいへん有り難く貴重です。私も偉そうなのは百も承知で、そういう立場で書くことを心がけています。しかし、アラ探しを趣味にしていると思われるような、いわゆる「批判屋」という人種もいて、これは「おっしゃることはモットモなんですが・・・。読むと落ち込んでしまいます」っていうタイプですね。書きながら得意満面でストレスも発散している様子が目に浮かぶようです。まあ、アンケート用紙を配って「ご自由にお書きください」と公言した以上、何を書かれたって文句を言える立場ではありませんので、あらゆる批判を厳粛に受け止めるべきですが、批判屋についてちょっと感じたことを述べてみましょう。
私が指揮した演奏会で、大量の「批判屋」が発生したことがありました。批判の中身は、音程、タテ線といったアンサンブル技術から、テンポ、曲想など指揮者の音楽性に関わる部分、さらに私の司会の仕方に至るまで多岐に及んでおり、みんなが相談しながら書いたとか、私に恨みを持って書いたとは思えないのですが、不思議なことに「批判屋」はすべて同一高校の生徒なのでした。そしてある情報によれば、この高校の生徒さんたちは行く先々で、大量の批判アンケートを製造しているそうです。そしてその内容を一言でまとめるならば、「自分たちのやっていることだけが正しく、それ以外はすべて間違いである」というニュアンスになるようです。おそらくこの高校では、あくまで私の想像ですが、顧問の先生かコーチがそういう教育をしてしまっているのですね。その学校の演奏レベルは確かに非常に高いですが、せっかく他校の演奏会を聴きにいっても何も吸収できずに帰っていかなくてはならないというのは、かわいそうな気がします。アンケートには、書いた人の人柄やおかれている環境までが如実に反映されてしまいます。アンケートに限らず、文章を残すという時には注意が必要です。
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11月14日 続・司会のコツ
木管五重奏のコンサートを見に行った時、司会を兼ねていたファゴットのYさんが、「ライネッケという作曲家がおりまして・・・」と話し出されて、その作曲家の多作ぶりと、70歳を過ぎても尚バリバリ書きつづけたパワーなどに言及されました。これはある意味、たいへんな名司会で、ほとんど知られていないような曲を演奏したにも関わらず、とても印象深いものになりました。そのコンサートから数年後に偶然、まったく別の五重奏団が同じ曲をやったのに出くわしたのですが、私がこの曲を以前に聴いたことがあると言ったら、ホルン奏者の人がビックリしました。「こういうマイナーな曲を(ライネッケ氏には失礼だが・・・)コンサートのプログラムにに入れる人がいることにも驚くが、それをしっかり覚えている人がいるのにもビックリだ」というわけです。
日本の聴衆を批判する論調の中に必ずあるのが、「日本人は音楽を教養として捉えるので、好き嫌いとか良い悪いでなく、解る解らないという言い方が目立つ」というものです。他国のコンサートの様子を見たことがありませんが、この説はたぶん合っているでしょう。そして我々司会者は、そのことを十分肝に銘じておく必要があります。先のY氏が、もし単に「ライネッケ作曲の五重奏曲をお贈りします」とやっていたら、ライネッケという名を聞いたことのない人は、「自分は知らない側の人間だ」と思ったり、「今日のプログラムについていけなかった」みたいな劣等感を持ってしまい、気を悪くされてしまうのです。だから、よほど有名な曲でも「皆様よくご存知の〜」なんていうセリフは危険を伴います。「どこかで耳にされたことがあるかもしれませんね」なんて風な言い回しが絶妙だと思います。その会場にいるお客さん全員が、「自分だけが蚊帳の外だ」と思ってしまわないようなフォローを、言葉の端々に混ぜていくように心がけねばなりません。実は、これは私の本業の「授業」というものと非常によく似ています。どんなに解りきった復習をやる時でも、忘れてしまった者や本当に初耳の者までを相手にしている話し方をすることが、教室全体を一つのムードにまとめ上げるための決め手です。私以外の、本業が先生の司会者という人の司会ぶりが見たいこの頃です。
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11月12日 司会のコツ
11日にニューサウンド、12日はUnisonの本番で、連日MCを務めました。この2日間の自分の司会ぶりは、まあ合格点かなと感じています。よく「直井さんの司会はプロ級だ」とお世辞を言われることが多いですが、実際には出来不出来の差が大きくて、自分でも上手くやれたと思う日だけを見れば、確かにプロに引けをとらない出来でしょう。しかし本当のプロだったら不出来の日があってはなりません。やっぱり私はまだまだセミプロ級止まりなのです。そこらへんをお断りした上で、司会のコツを伝授しましょう。
私は司会台本を作らず、すべてアドリブでやっているように見えますが、実は話す内容をかなり細かく決めています。曲の紹介だけでなく、バンドやメンバーに関するエピソードなどを用意しておき、それらの一つ一つを、どの曲間で話すかもだいたい考えています。その瞬間瞬間で、お客さんが最も欲しがっている情報は何か、を考えてゆくのがいいでしょう。ジャズマニアみたいな人ばかりが客席を埋めている日は、「余計な話はいらねえから、さっさと演奏しろ」的な雰囲気になっているでしょうし、団員の家族や友達ばかり集まっているときは、演奏そのものよりも、「アマチュアバンドっていうけど、皆さん本職は何なのかなあ」とか「あの人若く見えるけど、いくつなのかなあ」なんてことが最大の関心事だったりするものです。その日のプログラム、曲順と客層の関係から、どこらへんが一番飽きてくるポイントかを見定めておき、単調に演奏だけが続いていくことのないようにします。それさえ注意すれば、たいていの演奏会は楽しい雰囲気に持っていくことができるでしょう。以前に、弦楽四重奏のサロンコンサートを司会した時ですが、メンバーとも初対面ならやる曲も現代曲ばかりで、私にとってすべてが未知の情報ばかりという厳しい状況だったことがありました。その日はリハーサルを聴いて、メンバーと30分程お話をさせていただく中で、司会用のネタをまとめました。非常に不安な中でやった司会は、何と私の司会史上最高の出来になりました。まったく未知の分野だったために、お客さんと同じ視点に立てたことが、かえって幸いしたのでした。お客さんの反応によって、臨機応変に中身を変えていくことがあるのはもちろんです。ただ、自分がお客さんに向かって話している時は、たいていピンスポが当たっているので、客席が見えません。演奏中にこっそり客席の雰囲気を観察したり、拍手の大きさや、入るタイミングと残り具合などで、聴衆のノリを判断しています。
まあ、何よりも重要なのは、場数を踏むことでしょう。人前で話すことに快感を覚えるくらいにならないと辛いです。私は小学校3年の時から、日直でも無いのに「帰りの会」の司会を志願して務めていた程ですから、天性のものかもしれませんけど・・・。
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11月 8日 暗記のコツ
たいていの男の子が、動くモノに興味を持つようで、うちの弦太も例外ではありません。特に、自動車よりも大きくて豪快に走り去る電車は、大のお気に入りです。幸いうちの窓から見える所を青梅線が走っているので、ご機嫌が悪いときなどは、ちょっと線路ぎわまでお散歩すればもう大喜びです。実は私も物心ついた頃から電車大好きでした。ある程度の年齢になると、さすがに動くから面白いとか、かっこいいからとかいう気持は消えて、別の意味で興味深くなってきます。小学生以降の私にとっての重大な関心事は、運行ダイヤでした。ある便が、何時何分頃どこらへんを通過中で、どこの駅で後続便に抜かれて、とかいうことが、やたらと気になったものです。
私の実家は、中央線の豊田駅を利用していました。現在、中央線や青梅線のダイヤは非常に規則的で、駅の時刻表がタテに揃って見えます。つまり、何時台であっても、快速が来て、特別快速が来て、特急に抜かれて、というパターンが一定です。私鉄の方がうんと昔からその傾向がありましたが、JRもそれに近づいてきたわけです。一昔前の中央線のダイヤは、そんな味気ないものではなく、実に風情がありました。ダイヤにほどよい不規則性があって、一つ一つの便に表情を感じることができました。特別快速は今みたいに朝から晩までではなく、9時台から15時台前半という限られた時間帯にしか走っていなかったので、朝9:17の通称「一番特快」が来るときは、後光がさして見えたものです。大学生になって初めて電車通学というものを始めたのですが、信じられないことに、私は豊田駅の標準時刻表(平日上り)をすべて暗唱できるようになっていたのでした。
最近の電車の運行ダイヤは、無味乾燥で淋しい想いがします。非常に単純な青梅線の時刻表さえ、覚えることができません。興味関心を持って、気になったことは自然に身につき、嫌いな科目の試験勉強で無理やり覚えこもうとしても、なかなかはかどらないっていう現象と通じるものがありますね。鉄道マニアを引退したような私ですが、今なぜか西東京バスの奥多摩方面の、それこそ日に数本しか走ってないような路線に不思議と興味を持ってしまい、だいぶ覚えてしまいました。
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11月 6日 挑戦する気持ち
日米野球が開幕し、かつての「ハマの大魔神」佐々木投手の投球を久しぶりに見ることができました。この大魔神といい、来年メジャーに移籍することが確定的となったイチローといい、より高い次元で自分を試そうとする姿勢は見習うべきものがあります。この2人は、日本ではもはや向かうところ敵ナシという状態にまで登りつめた感があり、勝負師としては物足りないという気持は十分理解できます。しかし一方では、日本にいる限り毎年のようにMVPの候補になり、5億円以上の年俸が約束されているのに、あえて危険な挑戦をするのはなぜだろうという疑問を抱く方もいるのではないでしょうか。
昨夜のテレビで、ジャズピアニストである小曽根真さんの特集番組をやっていました。彼は最後に「挑戦する立場の時は、恐いものナシで攻めることができるが、ある程度の地位を得ると、人間は守りに入ってしまう。それが一番恐い」と言っていました。私は小曽根さんのファンであると同時に、完全に同世代の人間なので、彼の一言一言に共感してしまいます。
私の本業の話になりますが、理科がもともと得意な生徒に「よくわかった。面白い授業だった」と言わせるのは、イチローがパリーグで首位打者になるようなものです。今勤務している学校も前任校も、どちらかと言えば中学時代に理科が苦手だった生徒が多い学校です。そういう生徒たちに「理科ってこんなに面白かったんだね」と言わせることは、大リーグの強打者を三振に取ることに相当します。実際それは難しいことです。時にはサヨナラホームランを浴びたりもしますが、ズバっと締めくくれた時の感動も大きいのです。完全に自惚れですが、私はもう大リーグで通用すると自負しているので、今さらパリーグに戻る気はしません。
たぶんこれを読んだいわゆる進学校の先生方は怒るでしょう。「あなた方の仕事は簡単なのよ」と言ってるに等しいですからねえ。でも実際そう思ってますから仕方ありません。よかったら一緒に大リーグで勝負してみませんか?
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11月 1日 キリ番
キリ番というのは、インターネットの専門用語でしょうか。要するにあるHPのアクセスカウンターが、1000とか10000みたいな、キリの良い数字の時に「キリ番Getだぜぇ!」などと言うわけです。実を申しますと、私は物心ついた頃からの「キリ番マニア」でして、当時もちろんこんな言葉は存在していませんが、生活のあらゆる場面のキリ番が、昔から気になって仕方がないのです。例えば、平成8年の冬、私は「その瞬間」を迎える直前から、一種の興奮状態に陥っておりました。前の愛車シビックの通算走行距離が、99900kmを過ぎた頃です。普段の走行ペースから、あと何日後がエックスデーか、大体予想できました。しかし! 5つの「9」が同時に「0」に変わり、6ケタ目には5年に渡る長い沈黙を守ってきた「1」が陽の目を見る瞬間を、一刻も早く見たい! そして同時に正反対の気持も芽生えます。決定的瞬間を、わざと長距離ドライブに出て早く見るようなことはしたくない・・・。あくまで自然な形で迎えてこそ、この5年の月日を感慨深く振り返ることができるのではないか・・・。たかが距離計の数字に、こんなにまで興奮することはないでしょうけど、10万kmを表示したその時、私は車を止め、しばしその感動に酔ったのでした。なぜこんな変わった性格になったのでしょう?私が幼少の頃、家になぜか「ナンバリング機」がありました。健康診断かなんかの時に押される、ガチャって押して番号を打つやつです。下の位が懸命に回転し、やっとの思いで上のケタを1つ動かす姿に感動し、ガチャガチャ押しまくって、大喜びしていました。1時間もがんばれば10000まで押せるものです。あの時の私の姿を見て、親はきっと心配したことでしょう。
キリ番が持つ意味と価値は、「チリも積もれば山となる」の「山になった瞬間」で、今までの苦労が報われた瞬間であり、それまでの道程を省みる節目であります。だから、お誕生日もお正月も卒業式も、ある種のキリ番と言えます。だからそういう観点から言うと、1111とか1234という数字は、私にとってはそんな重要なキリ番ではないし、今年が西暦2000年という特別な年であっても、私自身が2000年間生きてきたわけではないので、例年のお正月より興奮したということもありませんでした。というわけで、当HPの次の大きな節目は4000アクセスですので、GETされた方は是非掲示板に一言お願いいたします。
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