職員朝礼での社長訓話集 一つ戻る 最新版へ戻る
人間秤 (7・25)
子守唄 (7・17)
消化試合 (7・10)
さらに・謎のランキング(7・ 2)
続々・謎のランキング(6・30)
続・謎のランキング (6・26)
謎のランキング (6・23)
めぐり合わせ (6・19)
利回り (6・13)
あそび (6・ 7)
小学校の同窓会 (6・ 3)
7月25日 人間秤(はかり)
テレビを見ていたら、特技の持ち主が次々登場する番組をやっていて、「人間秤」と言われる女性が出てきました。ふつうの商店街の、お惣菜屋さんの店員さんですが、たしかにすごかったです。ポテトサラダを200g注文すると、適当に容器の上に盛り付けて、「はい、200g」と言います。実際に秤に乗せると、これが本当にドンピシャリ200gなんですね。レポーターの人が、意地悪く「120g下さい」という注文を出すと、これも楽々クリア。手のひらが精密な秤の感覚を持っているのです。しかし、解説が進むにつれて、これがそれほど驚異的な能力でないことが明らかになりました。その店に勤める他のパートの女性たちも、みんなこの能力を持っていて、「お惣菜の計り売りを毎日やってれば、誰でもできるようになりますよ」というわけです。なあんだ、という感じですが、この人たちが「目方でドン」という番組に出たら、商品総なめ確実でしょう。
言われてみれば、ある作業を繰り返し行っているうちに、精密な感覚が身につくことは、誰でも経験しているはずです。例えば車の車庫入れとかですね。実は私にも、人間秤に近い精密感覚が一つあります。私のは「縮小コピーの倍率決定」の能力です。ピンと来ないだろうと思うので、詳しく説明すると、ある大きさの書類を渡されて、B5の大きさに縮小コピーし、しかも余白をできるだけ小さくするために、倍率を何%にすべきかという時、一発で完璧な倍率を選べるのです。ブラスバンドの顧問をやっていると、違法コピーをやっていなくても、週に数時間はコピー機の前に立っています。生徒全員の個人用のパート譜を作ってやるわけですね。印刷室のコピー機を、生徒だけで勝手に使うことを許可しているような幸せな学校でない限り、これは宿命で、ブラバン顧問はいつしかコピーの鉄人と化してゆきます。楽譜には、実にいろいろな大きさのものが混在していて、A4とかB4みたいな規格にあてはまるものの方が珍しいです。コピーをやりにくくするためなのでしょうか。だとしたら無駄なことで、我々は瞬時に適切な倍率を見抜き、美しいコピーを生み出すのです。明日もきっと職員室で、ミスコピーを連発してイラついてる先生に、「ああ、それだったら、93%で端を5ミリかければいいんじゃない?」なんてアドバイスをして回りますかねえ・・・。
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7月17日 子守唄
子供を寝かしつける時に歌うと効果が大きい歌を「子守唄」と呼ぶのでしょうが、ではどんなテンポのどんな歌がそういう「寝かしつけ効果」に富んでいるのでしょう? スタンダードな子守唄には、共通する何かがあるのでしょうか? 私は以前からこの問題に興味があったのですが、実際に弦太を育ててみてわかったことをご報告しましょう。結論からいうと、子守唄は何でもいいようです。これは一種の条件反射ですね。「この歌が流れ始めたら、寝なくてはならない」という、キーワードのようなものではないでしょうか。うちでは子守唄を歌ってやったためしが無いかわりに、よくジャズのビデオを流していました。主な目的は、私が難解なフレーズの奏法を解読するためだったのですが、毎日毎日同じビデオを流していると、横で一緒に見ている弦太が飽きてきて寝てしまいます。ところが不思議なことに、いつも同じシーンにさしかかる頃に寝付くのですねえ。「則竹裕行のドラムユニバース」というビデオでは、最初のソロが終わって、則竹氏の説明が始まると寝ます。大阪昌彦のビデオ(後編)では、ワイヤブラシを使ったテクニックという所で寝ました。私自身も昔よく、毎晩同じCDをかけながら寝ると、3曲目のダルセーニョしてコーダへ飛ぶ直前・・・みたいな、不思議なほど同じ箇所で入眠するという経験をしたことがあります。
子守唄が条件反射によるものであるならば、別に歌でなくてもいいわけで、絵本を読んでやってもきっと同じ場面で寝始めるでしょう。何なら意味不明な暗号とか「お経」でもいいかもしれません。催眠術では、あるキーワードを聞いた瞬間に特別な行動を起こすような暗示をかけられるようですが、入眠のキーワードは自分でいつの間にかかけてしまった暗示なのでしょうか。現在、うちの郁恵さんの入眠Keyは、目覚まし時計の音でしょうか?(謎) 私の入眠Keyは、「これから職員会議を始めます」という司会の言葉です。(謎謎謎・・・・)
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7月10日 消化試合
プロ野球ではまだちょっと早いですが、優勝が決まってしまった後、優勝争いに関係無いゲームを「消化試合」といいます。野球でなくてもリーグ戦であれば必ずあるわけで、それはそれは盛り下がったものになります。一度、日本ハム対近鉄の消化試合を見に行きましたが、昔の後楽園球場で観客1500人は、本当に閑散とした雰囲気ですが、この試合に1500人も集まったことの方に、むしろ驚きを感じたものです。音楽の世界に消化試合はありません。勝負では無いので当然といえば当然ですが、プロの演奏集団の中には、地方公演を消化試合のように考えている人も少なからずいるようです。某交響楽団の演奏会を、サントリーホールと、八王子市民会館の両方で観たのですが、何か気合が違うように思えてなりませんでした。逆に受け取れば、八王子は秋田や青森と変わらないことの証かもしれません。
学校の授業には、実は消化試合があります。少なくとも生徒側がそうとらえているのは、期末テストが終わってから終業式までの期間にある授業です。要するに、成績に関係無いから、がんばってもがんばらなくても変わらないってことですが、授業をやる方の私たち教員としてはそれじゃ困るので、「今日の内容は来学期の試験範囲である」なんて宣言してからやるわけですね。姑息な手段ですが、テストに出るからちゃんと聞く・・・出ないなら聞かない・・・というのが現実です。ところが困るのは3学期です。それでも私たちは、「これは来年役に立つ」とか言います。さて中3の2学期で高校受験の内申が確定すると、こういう脅しは通用しません。理科教員の私などは、都立の入試に出題されそうな範囲を復習させたりして、やる気を持続させられますが、入試と関係なくなった教科では、真面目だった生徒が、あからさまに態度を変えることも珍しくありません。本当の消化試合はここからです。そして都立入試が終わり、生徒は最後の学年末テストのための勉強などやるわけないですが、「指導要録に残る成績は3年3学期のものである。このテストで手を抜くなよ」とか言って、最後の抵抗を試みます。ついにそのテストが終わっても、授業はまだあるんです!消化試合中の消化試合・・・この中で授業を行うには2通りの方法があります。一つは教員の方も割り切って、理科と関係無い時間潰しをさせてしまう・・・。頭の体操みたいなパズルをやらせたり、視聴覚室で「ロボコップ」を見せた理科の先生もいました。もう一つは、授業の内容そのものに学習の動機付けがあるような、「素晴らしい授業」をすることです。私が三沢中に5年間いる間に、この3年3学期スーパー消化試合を2回経験しましたが、私はもちろん後者の道を選びました。「消化試合」は、見方を変えれば勝敗を気にせず、気楽にやれる時期でもあります。教科書の進度に縛られず、本当に伝えたい話ができるというのは、教員として楽しい時間でもありました。都立高校にも今年から「消化試合」ができました。どんな消化の仕方をするか、腕の見せ所でもあります。皆さんの中3の最後の授業はいかがでした?
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7月 2日 さらに・謎のランキング
前回の続きが早く知りたいという要望にお答えして・・・。我ら白組は、100対98で勝利し、史上初の満点を出した翌日も、良い子の集団であり続けることができましたが、負けた赤組はそれにも増してがんばりました。先に満点を取られて、やる気を無くしてしまうことが無いようにもっていったのも、ベテラン担任の力であり、同時に私たちの無邪気さでした。その日の得点は、いったいどういう結果になるのか、非常に興味がありました。私たちは前日に較べて悪くなった点は一つもありません。しかし敵もそれに勝るとも劣らぬガンバリを見せたのです。順当に行けば双方満点で、最後に先生が「競うことが目的では無かったのだ。こうしてクラス全体が良くなった。それが素晴らしいことだ。みんな!お互いの努力を拍手で称え合おうではないか!」ってなところでお茶を濁すところでしょう。または、あくまで競争させるなら、今回は敵が満点で、こっちは少し落とされるということもあるかもしれません。「自分たちはがんばった。でも相手がもっとがんばっちゃえば、結果は負け」・・・。それも世の中というものです。しかし、実際の得点はそのいずれでも無く、私たちは度肝を抜かれたのです。(ここで、つづくってやったら怒ります?)得点発表は我々白組からでした。「100点!」「わ〜い!」2日連続の満点・・・。「次に赤組だが・・・」(しばしの沈黙)「白組以上にがんばっていて、同じく100点にしたいところだったが、余りにも素晴らしい。そこで・・・」(また沈黙)「赤組、102点!」「うお〜っ!」
こういうのを私は「評価のインフレーション」と呼んでいます。安易に満点を放出してしまうと、やがてそれ以上のランキングを新設せざるを得ない状況になり、価値がどんどん下がっていくわけですね。吹奏楽コンクールでも、以前は金賞が究極だったのですが、ある時期に金賞を乱発したために、金賞団体の中からさらに代表選考をする、という事態が生じてきました。そして「ダメ金」(金賞ではあったけど、代表にはなれなかった)という言葉が生まれたわけです。以前に紹介した「5 ×」みたいな雰囲気ですね。オリンピックでもやたら「10.0」が出まくる大会があって、私はつい心配になってしまいます。
小学校2年のクラスは、130点を少し超えた頃に、クラス替えとなってしまい、翌年はその先生のクラスにはなれませんでした。たまにその先生の教室をのぞいて見ると、前の黒板に「赤組○○点 白組▲▲点」という字が書かれていて、懐かしく思ったものです。いつだったか、書かれていた数字は、あわや1000点の大台に達しようとしていました。バブル崩壊は起きなかったでしょうか・・・。
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6月30日 続々・謎のランキング
私が小学校2年の時の担任の先生だったと思います。ベテランの男の先生で、子供の心理をつかんで巧みな学級運営をしていました。クラスを窓側と廊下側の2つに大きく分けて、赤組と白組にして、1日の生活態度の点数を帰りの会で発表する、ということを毎日やっていました。授業態度、給食の食べ方、掃除をサボった者がいないか、等々・・・。私たちは得点発表の瞬間に一喜一憂しながら、「今日こそは赤組に勝つぞ」とか「歴代最高得点を更新するぞ」という意気込みで、がんばって真面目に生活したものです。別に勝ったから何かご褒美が貰えるというわけでもないし、放課後から翌日いっぱい、点数が前の黒板に残る名誉のためだけにやっているので、、マンネリ化すれば、「勝っても負けてもいいや」となる危険性はあります。しかし、ベテラン先生はそのへんのことも十分わかっていて、巧みな演出を仕組んでいたのでした。
ある時期、クラス内は異様な興奮に包まれていました。赤組白組がともに90点台で、激しいデッドヒートを繰り広げていたのです。95対93で赤が勝てば、翌日には96対95で白が勝ち、しかも勝つ方の点数は常に世界新記録を塗り替えています。生徒たちの関心は、単に勝つこと以上に、どちらのチームが究極の点数「100点」をゲットするか、に移行しつつありました。100点とは、「文句なし!」という意味です。たった一つでもケチを付けられるような生活態度があってはなりません。私は授業中、よく教科書の隅っこにパラパラマンガを作ったりしていましたが、この時期だけは真面目に授業に集中しました。敵軍の誰かに「あっ!直井君が手遊びしてる!」とかスッパ抜かれれば、それだけで自軍の100点は消滅してしまいます。
ついにその日はやってきました。たまたま私のいたチームが100点を叩きだしたのです。その時の喜びようと言ったら、それはそれは凄まじいものでした。ちょっとヒネクレ者だった私さえ、家でまっさきに親に報告したほどです。かくしてこのゲームは終了したかに見えました。あとは、何日連続で100点取れるかとか、月間最多得点の更新を狙うとか、いろいろありますが、100点までの道のりに較べたら、トーンダウンするのは確かです。しかしその翌日、私たちが信じがたい大ドンデン返しに遭うことになろうとは・・・。(つづく)
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6月26日 続・謎のランキング
準特急は、気に入らない名前ではありますが、可愛い部分もあります。特急の威厳を損なうことだけは避けているからです。それに引き換え、快速特急はいけません。「特急」はあくまで王様であるべきで、それより速いのが出てきてしまったら、もはや特急の意味がなくなります。最高ランクの称号に、安易に「超」だの「極」をつけて、新たな最高ランクを設けるのは、ランキング全体をわかりにくいものにします。
三沢中では、通知表の評定を書くときに、「3 ○」とか「4 ×」という書き方がありました。5段階評価では、3を取る生徒が全体の38%もいるので、同じ3でも上の方と下の方では、相当な違いがあります。そこで、「あとちょっとで4だったんだよ。惜しいねえ」という気持をこめて、3の右上に小さい○をつけたり、「ギリギリ3だったんだよ。油断したら2に落ちるよ」という警告の意味で、×を書いたりしていたのです。この方式じたいは、生徒が自分の位置をより詳しく知ることができ、悪くはないと思うのですが、やはり不思議なランクを作り出してしまう例が多々見受けられ、首をかしげてしまうことがありました。例えば3の右上に△がついているのは、どう解釈するのでしょう?書いた先生は、×ほどギリギリではないが、けっこうギリギリだった・・・という意味合いだったようですが、△は○と×のちょうど中間という意味にも使われます。この△は「3を取った生徒のちょうど真中なのか、危ないのだとしたらどの程度危ないのか?」と質問してくる親の気持は、まったくご尤もです。「4 ◎」っていうのもありました。あまりにも惜しい・・・という意味合いは伝わっていますが、今度は○と◎の差が気になりだします。
あと気に入らないのは、「5 ×」っていうやつ。5っていうのは究極の評定でしょう。たしかに4との境目に近い5は存在するでしょうが、5は5なのであって、そこにわざわざケチを付ける必要があるのでしょうか? こういう細分化をやりたいなら、いっそのこと10段階とか15段階評定にすればいいと思うのですけど・・・。こういうのって、やり出すとエスカレートする性質があると思うので、最近三沢中で通信簿を貰った世代は、ひょっとすると「3 ××」とか「2 ○▲」なんてのを貰って解読しているのではないか、と余計な心配をしてしまいます。
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6月23日 謎のランキング
お寿司屋さんへ行くと、「上、中、並」あるいは「松、竹、梅」というメニューにお目にかかります。上のさらに上には、たいてい特上があるので、4段階評価の中から、予算に合わせて選べばよいのですが、最近困ったお店が増えつつあるような気がします。4段階の他に、「特選にぎり」とか、「店主のおすすめにぎり」とかあって、ネーミングだけだと4段階のどれとどれの間にランキングされるのか不明なのです。仕方なく、よ〜くネタの種類と値段を見て判定しなければならず、メニュー選びに膨大なエネルギーを要します。まあお寿司だから、特選と特上のどっちが上にあって、それを間違えて注文したところで別に実害はありませんが、電車のランキングを間違えて乗ると、降りたい駅で止まらなかったりするので、注意が必要です。
京王線の「準特急」ってどういうネーミングなんざんしょ。「急行」が基本にあって、それより速いと特急、遅ければ準急というのは、自然なネーミングですが、準特急はいかにもランクの間にムリヤリ挿入した名前ですねえ。京王線だけ責めるのは可哀想ですから、他にも日頃気になっている電車をあげてみますと・・・、最悪なのは京浜急行の「快速特急」と、西武新宿線の「快速急行」でしょう。快速というのは、文字通りだと「速い」というだけのことですが、急行の下の準急のも一つ下という暗黙の了解が確立していると思うのです。つまり「速いんだけど、たいして速くない」というニュアンスなんですね。この言葉を特急や急行の上にくっつけると、初めて聞いた人は混乱するに決まっていると思うのです。関西のJRには「新快速」という、猛烈に速い電車が存在します。中央線にも「特別快速」があります。すごく速いんだけど普通料金で乗せるので、急行には昇格させるわけにはいかない、ギリギリの葛藤が伝わってくるので、これはよしとしましょう。ただし、「青梅特快」というネーミングはいかがなものか。ちょっと前は、青梅特快だけが立川〜三鷹ノンストップでした。「青梅は遠いから、青梅へ行く人のために急いであげよう」という心配りだったのでしょうか。この場合の「青梅」は、「さらに」とか「極めて」という副詞みたいな役目をしていました。ところが、現在のダイヤでは特別快速の停車駅はすべて統一されましたので、ことさらに「青梅特快」という必要はなく、「特別快速青梅行き」で十分意味は通じます。「青梅特快」っていう緑色の看板をたくさん作っちゃったから、利用せざるをえないってことなのでしょうかねえ。
まあ、どんなネーミングだろうと、「電車に乗る前によく停車駅等を調べてから乗ればいいじゃん」て言われれば、確かにそれだけのことだか、別にいいんですけどね。
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6月19日 めぐり合わせ
今日は組合の定期大会で、3時間目が終わってすぐ学校を出ました。小作という駅までは片道2kmくらいで、今日みたいに蒸し暑い日は、自転車をこいで行くと汗ビッショリになります。620円の切符を買ってホームへ降りて、自分が乗る電車が入って来た瞬間!「わっ・・・忘れ物だ!」 何と今日の会場へ入るための入場券である「代議員証」を、学校に置いてきてしまったことに気づいたのです。私を代議員として認めた証の印とか押してある重要書類で、無いじゃ絶対済まされず、ダフ屋でも取り扱っていません。「ええい、もう面倒くさいから、今日はやめて帰るか・・・。でもそれももったいない話だ。都心で遊んでいくか・・・。いや、まずい。職免の届けを出してるから、会場に行かなかったってことがバレたら処分ものだ。しょうがない、取ってくるか・・・」という数秒間の思考の末、私はその電車に乗らず、もう一度自転車で往復4km走ることにしました。幸い駅員さんが優しくて、切符を買い直さなくて済みましたが、自転車置き場までの距離もけっこうあるので、たっぷり30分のロスです。でも、昔バンドの大切な楽譜を忘れて、河口湖の合宿所から家まで取りに帰ったという経験を持つ私にとっては、このくらいではそれほどヘコたれませんでした。
気を取り直して電車に乗ると、もうすぐ立川という頃、中央線人身事故のアナウンスが流れました。立川では、すでに振り替え輸送の案内が放送されていて、しばらく復旧の見込みが立たない雰囲気です。「ふんだりけったりだなあ」と思いながら、南武線に回り、京王線で新宿に向かうことにしました。京王線はスピード自慢なので、思いのほか早く着くことができました。そこでふと思ったのは、もしも忘れ物せずに30分早い電車に乗っていたら、間違いなく立川を過ぎてから事故による運転見合わせのタイミングで、もはや迂回できない位置で足止めを食っていたことになります。もう一つラッキーだったのは、分倍河原で貰った「振り替え乗車票」という、行き先も料金も何も書いてない切符は、行く先々でフリーパスという恐るべきオールマイティ切符で、九段下までそれで行けて、結局地下鉄代が浮いたのです。何が幸いするかわからないもんだなあ、とつくづく思いました。
旅行の当日に高熱出してキャンセル・・・なんて時は、泣くに泣けない気持をグッとこらえて、「もし行ってたら事故に遭遇してたのを、神様か守護霊が守ってくれたのかも・・・」とか考えるといいかもしれません。
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6月13日 利回り
最近、都立大学の同窓会名簿が各方面に流出しているらしく、私の所にはいろんなセールスマンから、ひっきりなしに電話がかかってきます。投資に関するものが多く、ほとんどのセールスマンが「利回り」という言葉を使います。「定期預金で置いておいても、1%もいかないご時世に、うちの商品だったら5%は固いですよ」みたいな調子・・・。そこでふと考えました。自分の子供を投資の対象と考えている親も少なくないですが、だとすると最も利回りの良い育て方とは、いかなるものなのだろうか・・・と。これはあるミュージシャンが、ライブの時に面白おかしく話されたことですが、「うちの子は音楽の才能があるので、立派な音楽家に育てていい暮らしをさせたい」と相談に来る親が時々いて、そんな時彼は、こうアドバイスするそうです。「音大に通わせるのに年200万くらい。それまでのレッスン料が、1回数万はあたりまえ。それでプロの音楽家になったとして、ほとんどは食うのがやっとの生活。投資目的で音楽をやらせるなら、やめた方がいいですよ」と・・・。音楽家に育てるのは、利回りから言えば最悪なわけです。では逆に、少ない投資で大きいリターンが得られる育て方はというと、プロゴルファーなんかケタ違いにいいですが、誰でもトッププロになって年収何千万も取れるわけではありません。現実的な所を考えたら、やっぱり小さい時から塾に通わせて、附属中学高校に入れちゃって、有名大学を卒業させて一部上場企業に就職させるのが、投資方法としては順当と考えられます。
私自身について考えると、自分はけっこう高利回りの人間だと自負しています。塾は行かず、小中高大すべて公立で、公務員になっていますから、うちの親が私に投資した分の何十倍かは稼ぎ出す計算です。でもちっとも親にリターンしていないから、親にしてみれば丸損と怒っているかもしれません。弦太にも極力投資金額を抑えて育てようと思っています。とか言いつつ、来年から幼稚園だ〜(大泣)。お金の損得勘定ばかり話しましたが、一番大事なのは心ですよね。いくら金をかけても、他人に迷惑をかけるような人間に育ったら意味がありません。最近起きている凶悪事件の数々を見て、そんなことを思いました。
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6月 7日 あそび
いわゆる「遊び」(play)という意味以外で使われるのは、「車のハンドルのあそび」など、ゆとりという意味ですね。私はこの「ハンドルのあそび」という言い方は、教習所に通いはじめてから知ったのですが、要するに車のハンドルは、回してもその動きがすぐにタイヤに連動しないようにできていて、その空回り部分の長さを「あそび」と言います。もしもあそびが無いと、ほんの1ミリ程度の手の動きまでがテイヤに伝えられるので、車の動きがかえってぎこちなくなります。車に限らず人間の生活全般においても、この「あそび部分」が無いと、ちょっとしたことでキレまくったり絶望しなければならなくなるでしょう。
人間の集団の場合にも、あそびに相当する部分が必要です。聞いた話ですが、アリさんの社会は「アリとキリギリス」の話に象徴されるように、100%猛烈社員の集団だと思われがちですが、実は全員が働き者じゃないんですね。詳しい研究によると、非常に良く働く者、まあまあ働く者、全く働かない怠け者の割合が、おおよそ3:6:1だそうです。そこで科学者としての興味は、その1割の怠け者を集団から隔離したらどうなるかということで、これを実験した結果、ナント超優秀なアリ集団にはならず、残り9割のうちのまた1割が立派な怠け者に変貌したのです。そして除外された1割の怠け者の方はというと、そっちの方でも3:6:1の比率が構成されたというんですね。結局、この比率はアリ社会にとって必要不可欠のモノと考えるしかないようです。それにしても、1割の怠け者の中でまた怠け者の1割に入るアリさんてスゴイですね。
全員を優秀にさせようとして、しのぎを削る争いを煽るのは、追い詰められ疲れ、のびのびと力を発揮できなくなる危険があるような気がしてなりません。1割の怠けアリがいて、その存在が認められているから、優秀なアリは「あんなふうでもこの巣ではやっていけるんだ」という安心感の中で、いい仕事を続けられるのかなあ、なんてアリさんの気持を想像してみました。ここからは問題発言ですが、いい会社はたいてい何%かのダメ社員をキープしているものでしょう。京都大学の数学科だって、全員がフィールズ賞を狙える頭脳の持ち主なわけがありません。何割かのダメ学生も一緒に公費で教育するゆとりが、世界に通用する人材を多数輩出する原動力ではないかとさえ思えます。学校の先生たちも風当たりが強いですが、ダメ教師を排除した後は、きっと一定の割合で新たなダメ教師が発生するでしょう。効率第一主義が本当にいい結果を生むのかどうか、よく考えて見る必要があると思います。
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6月 3日 小学校の同窓会
今、青梅行きの終電で帰ってきました。なんと、小学校6年生の時のクラス会で、昼の1時からスタートして、4次会まで飲んだくれていたというわけです。私の卒業した日野六小は、卒業後日野四中と日野二中に分かれてしまうので、今日会ったメンバーの中には、正真正銘28年ぶり再会組も多く、それはそれはお互いいくら語っても語り尽くせぬ人生を背負っているんですねえ。
私達の小学生時代はファミコンも無く、休み時間、放課後、帰宅後、いつもクラスのほぼ全員が集結して、身体を動かして本当によく遊んだ時代です。先生たちもおおらかで、雪が降れば授業をカットして雪合戦をするのが当たり前。親からも教育委員会からも、よくクレームがつかないで済んだものですが、そんなゆとりある教育環境の中から、私達のような優秀な人材が育っていったのですねえ。ほ〜っほっほっほっ・・・。
クラス会は、単に昔を懐かしむにとどまらず、人生に疲れかけた40才の男女が、互いに励ましあい元気づけあう、極めて有意義な場だと思いました。本当は書きたいことがヤマほどありますけど、酔っぱらっているので今日はこのへんで・・・。
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