職員朝礼での社長訓話集 一つ戻る 最新版へ戻る
続・白衣の話 (9・27)
白衣の話 (9・23)
英才教育の効用 (9・15)
続・嫌いな指揮者 (9・10)
嫌いな指揮者 (9・ 6)
捨て上手 (9・ 3)
時間の缶詰 (8・18)
続・お片づけ (8・13)
お片づけ (8・ 7)
弱り目にたたり目 (8・ 4)
9月27日 続・白衣の話
学校の中では理科教員の正装である白衣も、一歩外に出ると「怪しいおじさん」になりかねません。秋留台高校の近くの農道は「変質者銀座」といわれるほど、多くの変質者が出没するスポットでしたが、その中の一人は白衣姿だったそうです。全裸に白衣だけをまとって、女生徒が通りかかると前を開けて・・・っていうパターンですね。だから、うっかり白衣のまま学校の外に出ると、あらぬ疑いをかけられ、ヘタするといきなり110番通報される危険もありました。でも、ついつい白衣のまま校門の外に出ることはあります。クラブ対抗駅伝大会というのがあって、寒い季節に学校を周回するコースでやるので、私はやっぱり白衣姿で、門の外にいたわけです。ブラバンの女生徒がカメラを持ってきて、「先生、みんなで一緒に写真撮って〜」というので、「はい、じゃあこっちむいて」と言ってカメラを構えると、「いやだあ」とか言って反対方向を向いてしまう子がいるではありませんか。「こら、撮るぞ!こっち向け」と言うと、さらに逃げます。逃げ惑う女生徒を、カメラを持った白衣の中年男が追いまわすという光景は、やっぱり異常でしょうねえ。近所のおばさんらしき人たちが、私の方を向いてヒソヒソ話をしていました。クラブ駅伝では、さらに悲惨な体験があります。身体が弱くて、ふだん長距離なんか走ってないのに、どうしても走りたいという子がいました。心配なので、私が伴走することにしました。周回コースは1周2kmほどで、もともと長距離が苦手でない私は白衣のままスタート。五日市街道に出たところで、通るすべての車から私の方に注がれる視線に気がつきました。体操着で走る女生徒を、白衣姿の中年男が後ろから追う光景はどんなもんだったでしょうねえ。通報はされなかったようです。
青梅東に移ってから、家と学校が近いので、白衣のままちょこっと家に寄ることがあります。たまたま会った近所の人に、「あら、お医者さんだったんですか」と言われました。「ええ、まあ・・・」とか答えときましたけど、「何科ですか」とか「どこの病院にお勤めですか」なんて突っ込まれたらどうするんでしょ。ウソはいけませんねえ。白衣の私を見て、犬の散歩中の人が一目散に逃げたことがあります。保健所の犬狩りと思ったんでしょうかね。とにかく、職場の外で白衣を着ると、ろくなことがないのは確かです。
9月23日 白衣の話
文化祭の前の日に、生徒たちから念を押されていたことがあります。「先生、白衣で指揮するのだけはおやめ下され」というものです。こっちは「白衣でするぞ」なんて言った覚えはないどころか、そんなことする気は毛頭無かったのに、そういう念押しをされるというのは、私の白衣姿がよほど板についているというか、白衣の私しか見たことがないということでしょう。そうなのです。私は暑い時期を除いては殆ど1年中、学校に着くとまず白衣を着て、帰るまで白衣を着ています。当然ブラバンの練習中も白衣で指揮しているわけです。
理科の先生で白衣を愛用する人が多いのは周知の通りですが、そのウラ事情をご説明いたしましょう。理科の先生は当然のことながら薬品を扱います。薬品の中でも危険なのは強酸と強アルカリで、これらが衣服に着くと穴があきます。これは体験してみて初めて知りましたが、目に見えないほどの量(注ぐ時の飛沫など)でも、立派な穴が開くんですね。けっこう恐るべき破壊力です。だから、私たち理科教員は、「被服貸与」といって、年間3着の白衣を支給されるのです。「貸与」だから返却するのかというと、実は貰いっぱなし。薬品でボロボロになった白衣は、他の洗濯物と一緒に洗うこともできないので使い捨てです。いくら汚しても平気で、次々新しいのを貰えるという背景があるからこそ、熱烈な白衣愛用者が多いのです。実験嫌いの先生だと、白衣が余りがちになり、他の先生にあげちゃうので、国語の先生などが意味もなく白衣を着ていたりします。
白衣のメリットは絶大です。白衣そのものに、理科教員としての正装というイメージがあるため、下に何を着ていようと、白衣さえ着てしまえばOK。中がスーツでも、アロハシャツでも、大差なくなってしまいます。私は、なんと授業中にズボンの尻が10センチ以上も破れるというアクシデントに見舞われたことがありましたが、白衣を着ていたおかげで事なきを得た、というキワドイ経験もしています。また、防寒具としても非常に優れていますね。上から下までつながった構造で、熱が逃げないのですね。秋留台も青梅東も、冬のマラソン大会を昭和記念公園でやっていますが、途中審判の先生はあの吹きさらしの中で1時間以上も立っていなければならず、完全武装が要求されます。私は必ず白衣を持参することにしています。コートの中に白衣を着込むと最強の防寒になるのです。次回は、白衣のデメリットについて考察しましょう。
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9月15日 英才教育の効用
うちの弦太は、生後間もなくからホンモノのドラムを触りながら育っている、珍しい子供です。再三にわたって力説しているように、意図的に英才教育を施しているわけではなく、親の趣味に付き合っているうちに、楽器がオモチャ代わりになっているに過ぎません。それにしても、間もなく4歳になる今は、ペダルに足も届き、基本的なビートなら叩きこなすまでになりました。これが他の分野にも応用されて、運動神経が良くなったり、勉強が得意になるとかだと、親としても嬉しいですが、「オレは学校を中退して、プロを目指すんだ!オヤジ、オフクロ、いくら反対したって無駄だぜ。もう決めたんだ」みたいになるかも・・・。でも今日は、いいことがありました。
実は弦太は三輪車で遊んだことが無く、ペダルをこいで前進させるという概念がありませんでした。案の定、補助輪つき自転車にまたがらせても、地面を両足で蹴るだけで、こげないのです。知り合いの保母さんに聞いたら、「みんな最初はそうよ。気長にやってるうちに、すいすいこぐようになるわよ」と言われました。しかし私は気長に待つのがどうも苦手で、つい特訓コーナーを開設します。今日も天気が良かったので、朝から青梅市の交通公園へ出かけ、一番小さい自転車を借りて特訓が開始されました。弦太はとりあえず、両足をペダルに乗せて踏ん張ることはするのですが、両足同時に力を入れちゃうんですね。いくら説明しても見本を見せても、なかなか進展がありません。弦太もそろそろヤル気をなくして、自転車を前進させる以外のことに関心が移っていました。ナント、右足のペダルを何回も踏みながら、「ドン・・・ド、ドン・・・」とか言ってるではありませんか。ドラムセットごっこになってしまったのです。ところがその時、私の頭に素晴らしいアイデアがひらめいたのです。「弦太!ハイハットも踏んでみろ!ドン・・・チッ・・・ドン・・・チッ・・・だ」・・・。この指示は一発で理解され、ウソみたいな話ですが、こげるようになったのです。最初のうちは弦太がこいでる横で、父親の私が「ドン・・・チッ・・・」と掛け声をかけてやり、そのうち弦太は自分で「ドン・・・チッ・・・」と言いながら交互に力を入れて、見事クリアしました。他のお父さんお母さんたちが、不思議そうに見ていました。これから子供に自転車を練習させようという皆さんは、まず先にドラムを教えておくことをオススメしたいと思います。
9月10日 続・嫌いな指揮者
やたら停める指揮者は嫌いですけど、中でも「いやな停め方」をする人が嫌いです。いやな停め方というのは、そうですねえ、意表を突く停め方と言ってもいいでしょうかねえ。例えば、頭からずーっと通してきて、あと残り1割くらいのところで停めるとか・・・。合奏が空中分解を起こして、停めるしかない状況だったら話は別ですが、普通そこまでやったら最後まで通すでしょ。それからですねえ・・・。ある部分を重点的に練習させていて、「ではそこをもう一度」と言って演奏させて、こっちは「どうせ停めるだろ」と思っていると、いきなりその先まで行っちゃったり・・・。こういう時は、「うまく行ったら、停めません」とか、初めに断っておいてくれると嬉しいですね。とか言いつつ私もよく、振りながら「先行く〜!」と叫びながら、休憩モードに入っている奏者たちを慌てさせることがあります。あと、長い休みの小節が明けて、さあ行くぞというところで必ず停められる、ってことありますよね。私は打楽器でしたから、長い休みは椅子に座っていて、そろそろという頃に立ち上がります。何人かの打楽器奏者が一斉に立ち上がる動きは、指揮者にも絶対に見えているはずですから、何度もそういう同じ停め方をされると、嫌がらせをされているのかと疑いたくもなります。昔、某市民吹奏楽団で、明らかに嫌がらせされたことがありました。曲はネリベルの「フェスティーボ」だったと思いますが、中間部の小太鼓の出る小説までを数えるのが難しくて、苦労して数え終わって「さあ」と立ち上がると、必ず停められるんですね。もういい加減疲れて、次も停めるだろうと思って真剣に数えてなかったら、さっきより少しだけ進んだ地点で停めて、何と「今のは、スネアが入れなかったので、もう一度同じ場所から!」と、私のせいにされてしまいました。みんなが一斉に私を睨みます。「なんだよ〜、入りの合図もしてくれないで・・・。これは絶対にワナだ」と思いました。余談ですが、同じ曲の同じ場面でこういうこともありました。長い休みでは、スネアドラムのスネアをはずしておくのですが、入る2小節前くらいにそ〜っとセットするわけです。かすかに「バシャっ」みたいな音が出ます。するといきなり停めて、「そのバシャって音は、スコアには書かれていない」ですって。これをやられたのは私ではありませんでした。嫌いな指揮者というテーマに当てはまらない、ちょっと例外的なケースですね。この打楽器VS指揮者の戦いは、他にも幾度と無く繰り広げられましたが、今となっては懐かしい思い出でございます。
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9月 6日 嫌いな指揮者
ギクリとするタイトルですが、「最近過激な論調が影を潜めているぞ」、という厳しいご指摘が増加しているので、久しぶりに辛口に攻めてみましょう。このコーナーで、2000年3月に「指揮者デビュー」特集を組みましたが、最近私のまわりでは、指揮者デビューされる方が多くなっています。皆さんもともと音楽的素養の豊かな方々ばかりなので、私みたいな苦労はしなくて済むのですが、やっぱり不安は不安みたいで、私ごときのアドバイスにまで耳を傾けて下さいます。中でも一番よくきかれるのは、リハーサル(練習)の進め方についてですね。このことについて、逆説的に考えてみることにしましょう。自分が奏者の立場で、一番嫌いな指揮者はどういうタイプかを思いうかべて、そうならないように気をつければいいのです。
私が出会った指揮者の中で嫌いなタイプは「すぐに演奏を停める」、何と言ってもこれです。もちろん練習ですから、停めるのはいくら停めてもかまいません。でも停める必然性がないのに停めるのは、絶対に良くありません。やたらと停めたがる人の中には、どうも初めから通す気なんかなくて、アラ探しに明け暮れて、停めるために停めるとしか思えない人もいます。たくさん停めて、細かい指摘をするのが良い指揮者だと思っているのかもしれません。特に初見合奏ですぐに停めちゃうのは、最高にストレスが溜まりますし、初級バンドでそういう練習を繰り返していたら、いつまでたっても初見力、読譜力がつかないですね。ある程度のレベルのバンドだと、初見合奏は料理の試食会みたいな、うきうきするひと時です。とりあえず一度賞味させていただいてから、どんな食材や隠し味があったのかな?と分析にかかりたいものなのです。
初見の時だけでなく、とりあえずその日の合奏で最初にやることは通しでしょう。長い曲だったら全部は無理ですが、ある程度の長さを連続して演奏しないと、全体像がわからないまま細部をほじくることになり、そういう合奏練習は正に忍耐力養成訓練です。全体像を十分に把握させてから、今度は1つの音符に至るまで表現を緻密に揃え、最後にそれを全体につなげる、っていうふうにやってくれる指揮者が、私は好きですねえ。自分はそうしたいと思いつつ、けっこう停めまくりますが・・・。ごめんなさい。
9月 3日 捨て下手
「abandon=捨てる」・・・豆単と呼ばれる名著で受験勉強に励んだ方々の、8割位はこの1個で挫折するそうですが、私は2個目の「able=能力」までは覚えたので、まあまあ優秀でしょうか。さて、私が散らかし魔であることを、以前にご報告いたしましたが、散らかし魔に共通することは「捨てることができない」のだということを、何かで読みました。部屋や仕事机をきれいに保つ秘訣は、不要なものをどんどん思い切りよく捨てることに他ならないそうです。言われてみれば、私はあまりものを捨てません。いつか使うかもしれないから・・・と思うとなかなかふんぎりが付かないんですね。「1年間一度も手を触れなかったものは捨てよう」と決めて、がんばってみたこともあるのですが、やっぱり3年、5年たって必要になることもあるかも・・・なんて思ってしまいます。
生活スタイルにも、この性質は反映されるかもしれません。ある音楽祭に関わると、たいてい翌年の同じ時期にもあるもので、「また来年もよろしく」なんて言われて、いつの間にか常連になります。1年のうちのある時期に、新たな固定スケジュールが加わるわけですね。そういう中のいくつかを、「いやあ最近忙しくなっちゃって・・・」とか言って切り捨てて、そして新たなものに手を出していけばいいのでしょうけれど、切るに切れないので、これはどんどん増えていく一方です。中でも11月〜3月は、いろんな演奏会や音楽祭が集中するので、1日に2つ以上の本番が重なることが珍しくなくなります。(すでに11月のある日曜日には3つ重なることが判明) スケジュールまで散らかし魔になっていくのです。
私は青梅に引っ越してくるとき、絶対に読みそうもない本とか、着そうもな服を山ほど持ってきてしまいました。ついでに音楽仲間も捨てられませんでした。青梅に来ても多摩のバンドに通い続け、2度転勤しても前任校、前々任校とのつながりが切れないのです。散らかし魔は、きっと古い友達も大事にする人かもしれません。というわけで、今日もうまく自己弁護に持ってゆけました。
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8月18日 時間の缶詰
「アルミニウムは、単体として取り出すのに、膨大な電力を必要とすることから、電気の缶詰と言われている。ならば、詰め将棋は時間の缶詰であろう」というのは、詰め将棋作家の野口益男さんの言葉です。詰め将棋というパズルは、5分で解けるような問題でも、作るのに要する時間の方は、とても5分というわけにはいきません。私も以前に、何題か駄作を作ったことがありますが、まずテーマを設定し、解答者が迷うような紛れ(落とし穴というか、ワナのようなもの)を随所に仕掛けます。余詰(別ルートであっさり解かれてしまうこと)が無いかのチェックが特に大変です。さらに、解答者が「あっ、そうだったのか〜」「ううむ・・・なるほどねえ」という声を上げてくれるような流れがあったり、いったん袋小路に陥ったような場面から、わずかな手がかりで先へ進めたり、正解にたどり着いた時の満足感が大きい作品が、優れたものということになるでしょう。パズルの芸術性という一面ですが、これを納得の行くまで追求しようとすれば、やはり膨大な時間がかかるのです。さて、作曲や編曲の作業もこれと似ていて、多くの人に好んで演奏される名曲や名アレンジは、やはり相当な時間をかけられていて、作者の執念のようなものを感じますね。やっつけ仕事で次々と秀作を生み出した例外的存在は、モーツアルトくらいのものでしょう。
ところで、パズル作家の作る作品には2通りあるそうです。とことんいい作品を目指したものと、新聞や雑誌に毎週載せるための、「ええい、こんなもんでいいや」という妥協だらけの作品です。編曲作品の場合も、音の重ね方にすごい工夫が感じられ、作者の狙いが織り込まれているものと、「えいや!」って作られたであろうものが存在します。あくまで想像ですが、忙しいプロのアレンジャーが、一時の流行歌をアレンジする時なんて、たぶん「えいや!」だろうと思います。
パズル雑誌などでは、アマチュアの優秀な作品が多数登場しています。アマの場合、作りたい作品だけ作ればよいという、絶対的に有利な条件のもとで、たっぷり時間をかけて取り組めますからねえ。編曲の方も、アマチュアだからこそ書ける秀作って、ありうると思います。そういうの発表できる場があったら面白いかも、と思う今日この頃ですが、夏休みもあと僅か。9月になったら、また譜面書きどころじゃない生活に戻されてしまいます。いやじゃ〜!
8月13日 続・お片づけ
学校によっては、職員室の全員の机の上に、何一つ置いていないという所があるそうです。どの学校にも、そういうキレイ好きの先生が一人や二人はいるものですが、全員というのは凄いですね。すべて引き出しの中に片付けておき、使うものだけを机上に出す、そして仕事が終わればまた引き出しにしまう習慣さえつければ、どの学校でも物理的に十分可能です。実際に、散らかし魔の私の引出しの中は、殆ど何も入っていないといえる程、すっきりしています。この空間を上手に活用すれば、机上をきれいにしておけるわけです。余談ですが、知らない学校に一歩入っただけで、その学校の雰囲気を察知するウラ業というのがあります。例えば、来客用のゲタ箱にスリッパが殆ど入っていない学校・・・これは間違いなく生徒が荒れている学校ですね。こんな学校に用事で行った日は、玄関からもう一度駐車場に戻り、車を郊外の敷地に移動します。バックミラーが盗られちゃうくらいで済めばいいですが、あお向けにひっくり返されてた、なんて体験をお持ちの先生もいました。そして、職員室の机ですが、今述べたようにすっきり整頓されている学校・・・これは組合の力が弱くて、校長先生の権力が強い学校であります。あくまで、私の知る範囲での統計によりますので、絶対とは言えません。私が勤務した3つの学校は、幸いにして散らかし魔が生きてゆける所ばかりでした。私の一桁上を行くくらいの散らかし間の先生に、日曜大工で作った大きな本棚をプレゼントしてくれた、優しい校長先生もいました。
前回に続いて、自分を弁護するわけではありませんが、私の場合、片付けない方が仕事の能率がいいようです。パソコンを使うようになってからも、自分のファイルを「ディレクトリ」とか「フォルダ」に分類しようとはするのですが、分類上ちょうど境目にあたるようなやつを、どっちのフォルダに入れようかで1時間悩んだり、挙句の果ては、どのフォルダに入れたか忘れたり・・・。結局、フォルダなんてものを作らず、ずら〜っと名前順で並べた方が、あっという間に探せることに気づきました。「フォルダ作って分類した方が、絶対楽だよ」って反論される方は、きっと机の整理も上手なのだと思います。
今週は郁恵さんの方が3日間家を空けておりました。我が家の変わり果てた姿に愕然とし、旅の疲れも倍増でしょうな。ごめんなさい。私は、自分の手の届く範囲に、必要なもの殆どを置き、快適に仕事をこなしております。
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8月 7日 お片づけ
合宿から帰ってみると、家の中がすっきりと片付いていました。散らかし魔が4日も留守にしたので、片付ける勢力がだいぶ前進したということでしょう。そうです。私は大の散らかし魔で、お片付けが超苦手な人なのです。
学校の職員室には、先生方全員の机があるので、誰が整理整頓が上手で、誰が散らかし魔か、一目瞭然です。土地の少ない東京で、新たに建造物を建てようとすれば、高層化せざるを得ませんが、本棚の上にまた本棚を置いて、あわや天井に届きそうなくらい高層建築を施す人もヒンシュクものですが、ホンモノの散らかし魔はそういう建築的なことはしません。書類の上に書類を乗せ、微妙なバランスを保ちながら、表層雪崩が発生する直前まで積みます。そして、仕事をするときは、たいていは他の机でやってしまいますが、それが無理な時は、積んだ書類の上でやります。これが地盤が悪いせいか、やっぱりバランスをとるのが難しい・・・。この15年間、ずいぶん多くの方から、ご指導を受けました。でも直りません、というか、直す気が無いのです。散らかすことには、それなりのメリットを感じているからなのです。
秋留台の物理室で8年間ご一緒したクムクム先生は、私に勝るとも劣らぬ散らかし魔でした。この2人が共同で使う物理準備室が、どんな有様だったかは想像に難くありません。しかし私にとって、これほど使いやすい部屋はありませんでした。なぜなら、すべての実験用具が、使った後引出しに戻されることなく、手近な場所に放置してあるので、次に使う時にさっと取れるのです。物理は毎年2年生に履修させるので、1年たてば同じ道具が必要になります。我々は、「去年やりましたよね。じゃあそのへんにあるはず・・・ああ、あったあった」という感じで、すぐに必要なセットを発見します。机上の書類についても、どんどん積んでさえ行けば、無くすということは絶対にありません。必要になったときは、だいたいの貰った時期さえ判れば、発見できるものです。たま〜に下の方を掘り返して、5年くらい前の書類を発見した時など、タイムカプセルを開封した瞬間か、考古学者になったような気分です。青梅東では、机は1年毎に代わってしまうので、こうした歴史の醍醐味を味わうことはできません。
明日から、また2泊3日の合宿です。うちの中は、さらにきれいになることでしょう。郁恵さん、ご苦労様・・・(感謝)。
8月 4日 弱り目にたたり目
悪いことが、次のもっと大きな悪いことを誘発した場合を、こういうんでしたっけ?泣きっ面に蜂というのもあります。要するにヒドイ目にあったのです。8月1日から3泊4日で、新潟県の三俣という所に行ってました。部活の合宿なのですが、1日目の夜に事件は起きました。消灯時刻を過ぎ、先生方でビールを飲んでいる時、私の目にゴミが入ったらしく、右目の目じりのあたりが少し痛くなりました。何の気なしに、右手で目じりをこすると、痛みが10倍くらいに跳ね上がり、目をあけていられないほどになるではありませんか。こすればこするほどに痛みは増し、ついに目じりが少し切れてしまいました。この原因に気づいたのは、その後です。私の右手は、枝豆を食べている最中で、塩まみれだったのです。塩のかたまりがついた目じりを、さらにこすって、傷に塩をすり込んでいたことになります。おかげで合宿中、ずっと右目が開きにくくて参りました。
こんなことがあって、私は過去の「悪いことが重なった体験」を思い出していました。けっこうあるものです。大きな例をあげますと、咳が止まらないので龍角散を飲んだのですが、口に入れた直後に咳が出てしまい、龍角散の粉が飛び出してしまった時です。龍角散はものすごく細かい微粒子で、あたり一面真っ白になり、視界がさえぎられるような感じで噴射して、びっくりしました。だいぶ時間を置いてから、部屋中に舞い降りた粉を処理にかかりましたが、咳で苦しい身体を引きずって、部屋の拭き掃除をする姿というものを想像してください。一人暮らしの時ですから、笑ってくれる人もいません。誰を恨むこともできず、黙々と処理に励みつつも私は、「ここでもう一発くしゃみでもして、せっかく集まってきた粉が再び舞ったら、もう自分はおしまいだ」と、冷静に最悪のシナリオを想定し、処理中の龍角散を鼻から吸い込まないように、ハンカチで鼻を押さえながら作業したのです。今回も、ビールで酔っていなければ、きれいな手で目をいじったはずでした。
悪いことはだいたい重なる傾向があります。悪いことが一つ発生した時に、まず落ち着いて対処することが肝心ですね。1日約7時間の練習、毎晩の飲み会という、厳しいスケジュールを終えて、ぼ〜っとした頭で、そんなことを考えながらの帰路でした。ただいま〜!
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