今日の一言(2001年10,11月分)

  職員朝礼での社長訓話集     一つ戻る  最新版へ戻る  

世界の実情      (11・27)
饅頭こわい      (11・22)
家庭訪問       (11・19)
長い物には最後に巻かれる (11・10)
ハロウインとお誕生日(11・ 3)
続々・破獄       (10・29)
続・破獄        (10・25)
破獄          (10・22)
練習場所       (10・16)
カロリーオーバー   (10・13)
渋滞と性格      (10・ 8)
先生の服装      (10・ 1)

11月27日  世界の実情

 20代の頃の私は、生徒の家庭訪問で、世の中の縮図を見てしまうことによる、ある種の戸惑いを感じたものです。私は26才で一人暮らしを始めるまで、ずっとマンモス団地の住人で、同じ環境の友達ばかりだったので、みんなだいたいこんなもんだろうと思っていました。大金持ちったって、世界のレベルに較べればかわいいもんでしょうから、日本には貧富の差なんて、無いに等しいくらいに思っていたのです。実態を知って、本当にショックでした。
 家庭訪問に行った先で、何にも無い部屋に通されたことがあります。机と小さい食器棚みたいなのがあるだけで、その棚に入っているのも、全然飲んで無さそうなウイスキーのビンくらいのもの。どこからともなく弦楽四重奏か何かが小さい音で流れていて、本当に何のための部屋なのか不明なくせに、広さはけっこうあります。引っ越してきたばっかりで荷物を入れてないのかも・・・なんて思っていたら、これがいわゆる「応接間」という部屋であることを、帰宅してから母に教えてもらいました。他にも、どこまで続くかわからないくらいの庭の、真ん中の池に錦鯉が泳いでいたり、団地育ちにの私には理解不能な世界は、けっこうありました。逆に、たった一間のアパートに家族6人で住んでいる家、割れた窓に新しいガラスを入れることもできず、ダンボールでふさいである家、電話や水道が止められている家・・・。とにかくいろいろなのです。各家庭の経済力に、これほどの差があるとは思ってもみませんでした。ただ、一つ面白いと思ったのは、経済的に厳しい家庭でも、勉強もスポーツもできて性格も穏やかないい子がたくさんいたし、でっかい庭付き一戸建てからも、立派な悪ガキが多数育っていました。教育はカネでなく、心なんだなあ・・・としみじみ実感したものです。私のような庶民の家庭は、苦労を乗り越えてがんばって欲しいし、逆に裕福な家庭では、子供にわざと苦労させる工夫を怠ってはならないと思います。
 先日友人から貰ったメールに、こんな一節がありました。「冷蔵庫に食べ物があって、タンスに着るものがあって、家に屋根があって、寝る所があるなら、あなたは世界中の75%の人より裕福です」 私たちは普段、自分のいる環境と、限られた周辺の環境だけしか知ることができないものです。こういう時代だからこそ、世界の人々のようすを知る努力が必要だと思うこの頃です。

11月22日  饅頭こわい

 有名な古典落語の題名にもありますが、本当に「饅頭こわい」になってしまうのが、やはり家庭訪問の時期であります。私達教員は、生徒の保護者から金品を受け取ることは、キツく禁じられています。賄賂的な色彩があるから当然で、そういう下心無しにお歳暮などを贈って下さった場合には、返送するか同等の品を送り返します。ただ、家庭訪問先で出されたお茶とお菓子程度だと、そこまで神経質になる必要も無いかな・・・と思って、ありがたくいただいてしまうのですが、これが地獄の始まりになろうとは・・・。
 当時の家庭訪問は、1クラス43人をちょうど1週間で終えるスケジュールでしたので、1日7件ペースで回ります。最初の1件で出されたお茶菓子は、昼食のちょうどいい口直しになりますが、2件目3件目はその必要がありません。ところが4〜5件目にはノドも渇いてきて、時計も午後3時を回っており、ちょうどいいおやつタイムになります。6〜7件目は遠慮。・・・という具合に、自分の身体が要求するままに、手をつけたりつけなかったりすると、どういうことになるか・・・。移動の手間を最小限にするため、なるべく近いお宅どうしを同じ日に回ろうとしますから、お母さん方どうしも親しく、○○さんちの饅頭は食べたけど、××さんちのケーキは食べなかった・・・等の情報はあっという間に流れます。そして、もしも私が1日目に饅頭を食べてケーキを残せば、私は和菓子党ということになり、2日目以降のお宅ではケーキが姿を消し、饅頭オンリーになったりします。この情報網は凄さにはビックリです。こんな情報が飛び交っていることを知ってから、「茶菓子に手をつけなかったお宅が、気を悪くしたらいけない」と思い、「すべての家の茶菓子を完食する」という方針を立てました。他の先生方は正反対で、「一切手をつけない」という方針が大多数でしたが、これだと本当にノドが渇いてきて、私自身もたないと思いました。そうなれば、残された道は「全制覇」以外に無いのです。お茶とコーヒーと紅茶と和菓子洋菓子でガボガボかつパンパンのお腹を引きずって、何とか1日の訪問を終えて、全制覇達成への確かな手ごたえをつかんだその翌日、予期せぬ事態が私を待っていました。各家庭で出されるお菓子が増えているのです。次から次と完食する私を見たお母さん方が、「先生すごい大食いよ」「ケタ違いの甘党よ」「一人暮らしだから、普段ろくなもん食べてないのよ」なんて情報を流したのでしょう。その日は本当にお腹がつらくなって死ぬかと思ったので、ここに記したような事情を翌日の学級だよりで正直に告白しました。お母さん方はよく解って下さって、行く先々で「今はちょうど欲しい時間帯ですか」なんて聞かれ、「ああ・・・はい」と答えれば出してくれるという、快適な訪問の日々になりました。あのまま男の意地で食べつづけて、救急車で運ばれたりしたら、公務災害が適用されないでしょうね。先生方、何事も無理は禁物でございます。

11月19日  家庭訪問

 先週1週間は面談週間ということで、午後の授業が無く、担任の先生方はたいへんだったはずです。担任でない私どもは、ずいぶんゆとりがあったわけですが、こういう時期って、ふだん手付かずになっていた仕事を一気に片付けたりするので、案外多忙になります。この季節に思い出すのは、家庭訪問というやつ・・・。今でも小中学校では、やっているのでしょうか。私は教員1年目で中2の担任に入り、まだ右も左もわからぬ5月に、いきなり家庭訪問をやったためか、今でもそのハードな印象を忘れることができません。その後、連続5年間担任をやり、家庭訪問にもだいぶ慣れましたので、今回は「教員側から見た家庭訪問」というものをお話ししましょう。
 まず最初の大仕事は、タイムテーブル作りから始まります。これは私が経験した中でも、最高難度に属するパズルでしょう。「ご都合の悪い時間帯に×をつけて下さい」という希望調査用紙を回収してみてびっくり! ほとんど×で埋め尽くされて、1コマしか都合のいい時間帯がない家庭が相当数あります。また、非常に多いのが「その日の最後にして下さい」という希望です。「いつでもOKです」という、いわゆるオールマイティーカードはほんの数枚しかなく、これらすべての希望に沿うように組むのは至難の業ですね。夜中まで挑んでついに降参して、翌日何軒かのお宅に「どうしてもご希望の時間帯が空かないんですが・・・」と恐る恐る電話すると、「じゃあ、他の日でもいい」なんてあっさり言われることがあって、「じゃあ、はじめっから×つけんじゃねーよ!」と叫びたいのをこらえることもしばしば。組合の指示どおり、全日程を月〜金の5時までに収めようとすると、どうしてもこのパズルにぶち当たり、ストレスが溜まってしまうので、2年目からは土曜の午後や夕方6時以降にも入れちゃいました。こうすれば無理なく全部がおさまり、途中に学校に戻ってひと休みする「空き時間」を設けることさえ可能です。でも、今度は土曜を希望されるご家庭が多く、一番人気になってしまい、ついに日曜の午前に伺った家庭がありました。まあしょうがないか・・・と思っていた頃、すごい先生がいることを知りました。初日の午後1時半から30分キザミで、出席番号1番の子から順に組んでいるのです。親が働いている場合でも、休暇を取ってもらってこのタイムテーブルに合わせさせるそうです。実際に大半の親がそれで無事終わったと聞いて、なんだか複雑な気分になりました。私が「できる限りご希望に添います」なんて言ったから、「それ〜っ」とばかりにつけこまれちゃった・・・ってことですよね。進路決定のための3者面談でも、何度と無くこういう経験をしています。弦太ももうすぐ幼稚園のお世話になります。サービス精神旺盛な先生に当たっても、それに甘えないようにしていきたいなあ、と思います。

11月10日  長い物には最後に巻かれる

 私のゴルフの腕前が、口だけでないことを証明してみせたら、「直井さん、ホントいろんなことやれるねえ」と、あらためて感心されてしまいました。音楽の分野を別にしても、スキーテニス囲碁将棋麻雀、一通りかじっており、付き合い程度ならば持ちこたえられるレベルです。こう言うと、他人がやってることを何でも真似する、流行に弱い人と思われがちですが、実は全く逆です。私は昔からものすごくアマノジャクな性格で、流行りだしたことは意地になってやろうとしません。個性的に生きたい、と言えばカッコイイですが、ようするに他人が先に始めたことを後から始めると、一番になれる可能性が少ないからなのでしょう。一番になれなくても、みんなと楽しめればいいや、という境地に達することができると、態度を180度変えて熱中し、初心者指導や啓蒙活動に励んだりします。
 大学の時に私が所属していた研究室では、教授を筆頭にみんな揃って大のテニス狂でした。私だけがやったことがなくて、もちろん誘われるのですが、前述の理由により、頑なに拒みつづけていました。一度「やらない」と宣言すると、引っ込みがつかなくなるものです。その後も優しい同級生らが熱心に誘ってくれましたが、拒絶の仕方は徹底していました。研究棟のすぐウラは駒沢公園で、壁打ちの名所です。みんなで壁打ちに行くときは、一人残るのも寂しいので、一応ついては行きますが、手にしているのはラケットではなく、グローブとボールです。大勢の壁打ちの人々に混じってただ一人、壁にストライクゾーンを書いて投球練習をするのは、なかなか勇気が要りますが、卒業までついにそれで通しました。その後、三沢中の若手教員の間でテニスが流行りだし、たまたま初心者で一緒に始める仲間がいて、とりあえず初心者の中では一番になれそうな気がしたので、始めてみまたら、あっという間に熱中しました。大学時代の関係者に久しぶりに会った時、実はテニスを始めたんだ、なんて口が裂けても言えないのが辛いところです。他の競技に関しても、大なり小なりそういう経過があるので、つくづく損な性格だなあと思います。ただ最近思うのは、アマノジャクなおかげで、本当はやってみたいことを自分で自分に我慢させてしまい、「やってみた〜い」という欲求のエネルギーが、十分に蓄積された頃に始めるから、一気に熱中して上達できるというしくみなのかもしれません。音楽に関しても、最初は意地を張って自己流で通してから、おもむろにレッスンを受ける方が、私には合っているようです。「長い物には巻かれろ」で、どうせ巻かれるなら最初から巻かれるのが近道ですが、私は敢えて、十分に抵抗を試みてから巻かれるか、巻かれる必要性を確認してから巻かれろ、と言いたいのです。

11月 3日  ハロウィンとお誕生日

 ハロウィンて何なのか、全然知らなかった私が、初めてそれらしき雰囲気に遭遇したのは10年くらい前のことです。その夜はたまたま六本木にジャズのライブを聴きに行ってました。ジャズのライブはたいてい深夜までやるので、いつも高い駐車場代を覚悟の上で、車で行きます。その日も、演奏が終わって午前1時近くに車で帰ろうとすると、道路がひどく渋滞しています。渋滞の原因が何かは、すぐにわかりました。大勢の外国人が、赤信号を無視して車道を渡っているのです。それも、単に渡るというより、明らかに交通の妨害をする目的と言った方がいいような渡り方で、挙句の果てには、私の車の窓に顔を突っ込んで来る人さえいるではありませんか。たまたま一緒に乗っていた女の子が、海外生活の経験があった人で、「今日はハロウィンだから、しょうがない」みたいなことを言いました。ハロウィンの起源とか意味とか、全然知らない私もとりあえず、「今日は外国人にとって何でも有りの無礼講の日なんだな」ということだけは解りました。
 我が家が青梅に引っ越してきて、初めて向かえる秋の10月31日・・・。うちの近所にアメリカ人の住む家があるのですが、この日は夜が更けるにしたがって、その家に続々と人が集まり始め、日付が変わる頃にはとんでもない大騒ぎになっていました。大音量で音楽が鳴り響き、地響きがするかと思うほど元気よく踊り狂っています。我が家では、私がさも知った風に「ハロウィンだから、しょうがないよ」などと、悠然としていましたが、どこかのおじさんが「うるせぇ〜!」と怒鳴り込んでいるようでした。それでも、一向にやむ気配などなく、大パーティーは2時過ぎまで続き、我が家もなかなか寝付くことができずにいました。午前3時近くになってようやく眠りにつけた私は、すぐに起こされました。弦太の出産予定日を過ぎていた郁恵さんが、お腹が張って、おねしょをしたような水が出ているというのです。破水というやつで、産まれる兆候です。時計を見ると3時30分でした。すぐに病院に電話をすると、宿直の看護婦さんが、「じゃあ今から入院して下さい」とサラリ一言。まとめてあった荷物を持って、病院まできれいな星を見ながら歩いて行きました。弦太は産まれた時から頭でっかちで、なかなか出てこなかったので、産まれたのは結局11月3日の昼でした。
 大騒ぎしていたその家は、さすがにある程度は日本の習慣に従わないとまずい、と反省したのか、翌年からはずいぶんお行儀のいいパーティーをするようになりました。パーティーの音が聞こえてくると、殆ど一睡もできなかったあの夜を思い出します。今日で4歳の弦太は、超元気でうるさい子になりました。ハロウィンの雰囲気に誘われてこの世に出てきたからかなあ、なんて思うこの頃です。

10月29日  続々・破獄

 私には、小学生時代にもう一つ自慢できる完全犯罪があります。それは、トイレで「うん○」をすることです。「こんなこと完全犯罪でも何でもないじゃんか」と思われるならば、貴方は女性でしょう。小学生の男の子にとって、学校のトイレでうん○をすることが、いかに辛く悲しく、スリリングな行為であるか、男性の皆さんに今さら申し述べる必要も無いでしょう。学校でだけはうん○をしたくなることを避けるために、出かける前に何とか絞り出すわけで、なかなか出ない日の朝は悲壮感さえ漂ってきます。大も小も同じ個室でできる女の子たちを、どれほど羨ましく思ったことか・・・。どんな子も6年間のうちには、朝なかなか出ない日もあれば、体調の悪い日だってあります。しかし、いったん個室の扉を開けて出てくるところを目撃されたら最後、むこう半年くらいは「うん○マン」とか言われつづけることになるので、男の子たちはギリギリまで耐えます。そして真面目な子は授業時間中いっぱいがまんし続け、休み時間になってから個室に駆け込み、全員に見つかってむこう半年の地獄に突入します。私は最初にこの修羅場を経験した時、みんなの前で個室に出入りすることだけはできないと思いました。人目を避けるならば、授業終了直後か授業開始直前しかありませんが、終了直後では、どんなにダッシュしても後続に追いつかれます。となると、残るは開始直前しかありません。大多数の生徒が席についた頃を見計らって、後ろのドアから一気に脱出し、ひとつ離れた特別教室棟まで全力疾走したのです。コトを済ませて教室に戻れば、当然「どこ行ってたの?」攻撃。「ちょっとトイレが混んでて・・・」という供述がすぐさま怪しまれます。混んでたわけがないですし、「時間がかかり過ぎだ。もしかして、うん○だろ!」と厳しい追及がなされ、ナント、次の休み時間には「現場検証」といって、何名かの男子がトイレを見に行ったようです。結局私の行動は、限りなくクロに近くとも、状況証拠のみであるため、その後うやむやになりました。この日のことは、今思い出しても冷や汗が出ます。ところで、5年生くらいになってからの私は、もっと楽な方法で、堂々とうん○をやってのけるようになりました。授業中に、お腹が痛いと言いながら保健室に駆け込むのです。保健の先生は、100人いたら100人とも「朝、うん○してきたの?」と聞くでしょう。「いいえ。してきませんでした」「じゃあしてきなさい」ということになり、白昼堂々とうん○ができます。万が一目撃されても、どういうわけか保健の先生のお墨付きがある場合のうん○に関しては皆寛容で、うん○マンにされませんでした。あれから30年、小学校の様子も大きく変わったに違いありませんが、男の子のうん○は、今でも破獄チックなのでしょうか?

10月25日  続・破獄

 昭和の脱獄王は、鉄格子を打ち付けてある釘と手錠のボルトに、毎日毎日みそ汁の塩分をたらして錆びさせていくという、気の遠くなるような脱獄準備作業を積み重ねました。小学校時代の自分も、ここまで凄くはないにしても、ある種の共通点を感じます。
 私が残した半分のパンの中には、しっかり肉の脂身が埋め込まれていました。丸型のパンの半分を食べ、残りの半分に穴を掘ります。そこに肉を埋め、穴をふさげばいいだけのことですが、不自然なふさぎ方ではバレてしまいます。ほじくった跡がわからないように、丹念にやらなくてはいけません。私は、この作戦を思いついてから、あぶら肉が出ない日でも、必ずパンに穴を開けてはふさぐ練習を繰り返してゆきました。丸型でない、薄いパンが何枚か出る日は、マーガリンを塗って2枚を張り合わせます。この中に肉などを挟み込めば、当然真ん中が不自然に盛り上がりますので、盛り上がりそうな部分をあらかじめ薄く削ります。薄くなりすぎると今度は肉の汁が沁みだします。削り方折り方をいろいろ変えてみて、実際にいろいろなおかず類を挟むリハーサルを毎日重ねました。このパン細工それ自体は、元々器用だった私にとってどうってこと無い作業でしたが、こっそりやらなばならないという点が苦労しました。先生に見つかってはならないのは当然ですが、友達に見られるのもまずいのです。告げ口されなくとも、不器用なやつが真似した挙句、先生にバレたりしたら、こっちまでとばっちりを食うからです。話で盛り上げて、みんなの注意を私の手元からそらして、素早く正確に作業を終えなくてはなりません。しかし、私の腕は日毎に確かなものになりました。自分の努力がこれほどまでに実を結ぶのを体験したことが、他には無いと思います。細工を施したパンは、自分が見てもどこに継ぎ目があるのかわからないほどでした。
 脱獄王は、囚人に対する余りの非人間的な扱いへの抗議として、脱獄を決行し、最後は英雄視されるような風潮にまでなっています。私のパン細工も、先生の眼をごまかす不正行為には違いありませんが、「ここまでやらなくてもいいんじゃない?」という、抗議の気持ちが根底にありました。その後、嫌いなものをこっそり食べてあげる子が出てきたり、私も器用そうな子には技を伝授し、不器用そうな子のパンには、自ら細工をしてあげたり、クラスのみんなで協力して給食修羅場を乗り切れるようになりました。先生の狙いは、もしかして最初からそっちだったのかも、なんて思ったりもしますけど。ううん・・・「破獄」は面白かったです!

10月22日  破獄

 吉村昭さんの「破獄」という小説を、買ってきて読んでいます。難攻不落の網走監獄から脱獄に成功する、昭和の脱獄王Y・Sと看守たちの息詰る攻防・・・。実話に基づいて書かれた、こんな面白い物語があることを知ったのも、北海道修学旅行のおかげでした。昔、なんかの漫画であったパチプロと釘師の話や、ルパン三世と銭形警部の攻防みたいなのが好きになった背景には、私自身の体験があることは疑う余地がありません。もちろん私は脱獄の経験はおろか、捕まったことなんかありませんが、囚人と似たような気持ちを味わえる場面というのは、案外身近なところにもあるものです。
 今から30年前、私が小学校4年生の時の担任の先生は、給食を食べ残すことを許さない方でした。それはまさしく徹底的で、食べ終わったお皿を担任に見せると、片付けを許可され、ニンジン1きれが飲み込めなくて、午後の授業の間もずっと給食と向かい合っている子もザラにいました。今だったらこういう指導は、あっけなく「行き過ぎ」とか「体罰に準ずる」みたいに攻撃されるでしょうけど、当時はこういう先生は多かったようです。さて私にも弱点があって、それは肉の脂身でした。トンカツの端っこの白いところなんか特にダメで、1ミリ角くらいずつ食べてて、放課後まで残されたことがあります。給食に大きな肉が出る時は、1週間くらい前から憂鬱でありました。しかし、肉が出るたびにさらし者にされることに甘んじてもいられません。私には非常に差し迫った問題でした・・・。
 脱獄王Y・Sは、看守の交代に要する15分という時間で脱獄を決行しました。この15分が仮にゼロであったならば、脱獄は100%不可能であったはずです。私の担任は、「パンだけは半分食べればいい」という特別なルールを定めていました。牛乳も半分で良かったはずです。残すことが許されないのは、おかずに限った話なのです。その根拠なんかはどうでもいいことで、とりあえず私にとっては、これは一つの抜け穴です。ある日、私はきれいに食べ終わった肉のお皿と、半分残ったパンを見せて、悠々とグランドに出てゆきましたが、もちろん脂身は食べずに済ませました。その日は完全犯罪を成功させた満足感から、溢れ出る笑みを隠し切れずに困ったものです。さあ、私はどうやって先生の眼をごまかしたのでしょう?(答えは次回)
 今日のHeyHeyHeyに出演していた、ケミストリの川端さんが、食べ物の好き嫌いが激しいという話題になりました。なんとダウンタウンの二人は、わざわざその嫌いな品々を川端さんに食べさせるという暴挙に出て、そんな画面を見ていたら、ふと昔の自分のことと脱獄王の話がリンクしたわけでございます。

10月16日  練習場所

 ずっと昔、「ピアノの音がうるさい」ということから、近所の住民どうしトラブルになって、ついに殺人事件に発展したことがありましたけど、最近はサイレントピアノが普及したせいか、そういう争いも少なくなったのではないでしょうか。金管楽器にも、ヤマハのサイレントブラスシステムが発売されて、個人練習に革命をもたらしたかに見えましたが、やはり普通のミュートの何倍も息が苦しいので、ミュート無しでボァーボァー吹ける場の必要性は以前と変わりません。木管楽器にはミュートそのものが無く、合奏の中では小さい音だと思われているフルートやクラでさえ、ご近所から狙われるに十分な音量があります。ましてやサックスなんかをマンションの1室で吹けるわけがありません。まあピアノと違って、持ち運びは容易ですから、管楽器奏者は思いっきり吹ける場所を求めて、さまよい歩くことになるのです。実は私自身はそういう苦労をまったく知りませんでした。学生時代も教員になってからも、常に大きい音を出せる設備があったので、わざわざ蚊に刺されながら公園で吹く必要が無かったのです。しかし、最近は自分の腕を自慢するために、わざと野外でやることが多くなりました。そうやって改めて周りを見てみると、管楽器の人々ってすごいですね。どんな場所でも練習場にしちゃうし、まさか・・・っていう場所で平然と吹いています。公園の片隅とか、河原っていうのが最もポピュラーな場所ですが、意外なところでは「墓地」とか。呪われないんでしょうか? それから、日野市民バンド時代の仲間のW君は、ドラムの練習を高速道路のガード下でやっていました。雨にも濡れず、なかなか良かったそうです。一度、高速の上をまたぐ橋の上でもやったことがあるそうですが、高速を走る車の中から、みんなチラチラ見るので、危ないだろうと思ってやめたそうです。山の中というのも、人に迷惑がかからないという点では、いいポイントです。実際、町田のゴルフ場の近くで、通称「戦車道路」というところには、ずいぶん管楽器の人が集まっていました。私も奥多摩に楽器を持って行くことがありますが、クマが怒って出てくる危険があるかもしれません。あるミュージシャンに聞いた話では、クマよりスズメバチの方が恐くて、実際スズメバチは楽器の音を攻撃目標にしてくることがあるらしいです。
 もしよかったら、「個人練習の穴場情報」を交換できる場(掲示板など)を、皆さんで作りませんか?

10月13日  カロリーオーバー

 3泊4日の北海道修学旅行から帰ってきたところです。北海道というと、まっさきに札幌や函館を思い浮かべる私ですが、今回は道東エリアということで、いわゆる街には寄りません。でも、知床の断崖絶壁や湿原森林など、北海道ならではの大自然を満喫し、網走監獄を見てきたりして、なかなか面白い内容でした。さて、修学旅行の引率を終えて帰って来ると必ず、ある程度の体調不良に見舞われ、元に戻すのに数日間を要します。最大の原因はもちろん睡眠不足ですが、それにも増して手ごわいのが、意外にも食生活の変化なのです。
 私は10回以上修学旅行の引率に加わっていますが、とにかく食事が豪華です。沖縄では、これでもかとばかりに続く肉料理攻め。長崎では明けても暮れても「ちゃんぽん&皿うどん」。そして北海道では魚介類のオンパレード。1回だけなら大満足のご馳走も、毎回続くとなるとさすがに参ってきます。じゃあ、途中に適度なサッパリ系メニューを入れたらよさそうなものですが、それがなかなかできない事情があります。修学旅行は、部活の合宿のように4日間同じ宿に泊まるのと違って、場所を転々と移動してゆきます。3泊とも全部違うホテルということは珍しくないし、昼食場所となればまず間違いなく1回勝負です。当然、自慢の料理をぶつけてくるわけですね。長崎に実踏に行って、昼食場所やメニューの選定をした時、どこの経営者もご主人も、「ぜひうちはチャンポンを提供したい」と口を揃えました。長崎といえばチャンポン・・・で、うちのチャンポンはどこにも負けない・・・っていう自負を持っていますから、当然の成り行きでしょう。そんな時、「いやあ、うちの学校がここに来るのは3日目の昼だから、生徒もチャンポンに飽きている頃です。カレーライスかチャーハンにしてもらえますか?」っていうのがこっちのホンネにしても、それはとっても危険な発言になります。「チャンポンは他のいい店で十分堪能して来るから、おたくはカレーでも作ってろ」って受け取られかねないですからね。結局、すべてのホテルや食堂に対して、「是非おたくのチャンポンを食べたい」と言わざるをえず、いつ終わるとも知れぬチャンポン攻めに、自ら飛び込んでゆくことになるのです。どこでも基本的にコッテリメニューで、量的にも「あそこは品数が少なかったぞ」って言われないために、食べきれないほどの量を出してきます。食事を残せない性分の私は、ついつい全部平らげた挙句、生徒から余った刺身を貰ったりします。食後は決まって、口をさっぱりさせるために、濃いコーヒーをいつもより多めにガブ飲み。で、どういうわけか便秘になって、身体がすごく重く感じてきます。「疲れた〜」と明日1日ゴロゴロしてたら、完全にでぶるでしょう。8月に行った能登半島では、旅館は素泊まりだったので、寿司屋に行った翌日はコンビニおにぎりだけ、とか調節が可能でした。修学旅行もそういう方式がいいなあ、と密かに思うこの頃です。

10月 8日  渋滞と性格

 ハンドルを握らせると、その人の性格が解るなんて言われますけど、渋滞に遭遇した時こそモロに性格が現れるものだなあ、なんて思います。昨日は連休の中日にもかかわらず、河口湖からの帰りの渋滞は相当なものでした。渋滞の列の中から他の車を観察すると、イラついて何本も続けてタバコを吸いまくる人や、運転手のくせに後部座席のUno(ウノ)に加わって盛り上がってる人など、いろいろです。私の場合は元々冷静な性格なので、イライラしたことは無いですねえ。イラついたから早く着くってものでもないですし。もちろん路肩走行とか、反則技を使うことはしません。そういうずるい行動は、自分をおとしめることに他ならず、何の自慢にもならないからです。じゃあ黙って列の中で耐えてるのかというと、そういうわけでもありません。正しい方法でいかに渋滞を避けて行くか、というゲームに挑むのです。渋滞の先が工事なのか事故なのか、何km先まで続いているのか知る術が無く、すいてそうな道を勘に頼って選んでいたのは昔の話で、現代の渋滞回避ゲームはまさしく情報戦です。ラジオはTBSに合わせ、ナビゲーションの画面を見ながら、刻一刻と変化する渋滞情報を分析しながら、高速をそのまま進むか下りてしまうかなどを判断します。
 去年、家族でディズニーランドへ向かった日も、高速が泣きたくなるほどの渋滞でした。仕方なく高井戸で甲州街道へ下りても、同じことを考える人が多いので、新宿まで2時間以上かかりそうな雰囲気です。さあ、ここからがウデの見せ所! くねくねウラ道を進み、時には車1台がやっと通れるような所も入って行き、なんと1時間で霞ヶ関にたどり着きました。ここから再び高速に乗ればあとはスイスイ。どうだどうだ、やったぞ! 残念なことに、あとの二人は爆睡していて、この間の苦労を知らなかったそうです。
 昨日はあきらめて、ところどころウラ道を使いながらずうっと国道を走っていたら、ただでも大渋滞の高速上で、さらに「相模湖付近で事故」の一報。こういう時は、事故を起こした方には気の毒なのですが、一つのチャンスです。事故によって、そこまでの車が堰き止められるので、事故現場より先の部分の流れがよくなるのです。他の車は殆どそのまま下を行くようでしたが、私は急きょ相模湖から高速に乗り、あとはすいすい帰ることができました。結局4時間かかり疲れましたが、何となくゲームに勝ったような満足感があります。

10月 1日  先生の服装

 そもそも先生にとってスタンダードな服装というのは、何なのでしょうか?私自身は理科教員なので、白衣こそ正装であり、白衣を着ている限りどんな偉い人が訪ねてきても、服装については文句を言われないだろうと感じていますが、そうではないという見解を示す人もいるようです。私が日野市の教員として採用されて、辞令伝達式に呼ばれた日のことですが、20人ほどの新採用の人たちの中にノーネクタイの人が少しいました。当時のE指導主事は、「ノーネクタイでは社会人として通用しない!授業もスーツでやれ」と、かなり厳しく指導していました。その日は全員印鑑を持ってくることになっていたのですが、よりによってノーネクタイ君のうちの一人が、印鑑もお忘れになっていて、E氏のエキサイトぶりに、さらなる拍車をかけてしまいました。何しろ教員1日目の出来事ですから、強烈なインパクトがありましたし、私自身、すごく素直に「もう社会人なんだ。学生気分じゃいけないなあ」なんて思ったので、スーツで授業をやろうと思いました。ところがいざ新学期が始まってみると、スーツ姿は新採用の4人だけで、先輩方は極めてラフな格好です。驚いたというより、まあこれが当然だろうなと思いました。だって自分が中学生の時、ネクタイしてた先生なんて少なかったですから。それでも、E氏の教えがあったので、「とにかく自分はスーツで通そう」と思いました。ところがですねえ、1学期も終わりの頃でしたか、先のE指導主事が、何かの用事で三沢中にやってきたのです。もちろん抜き打ちではなく、予告した上での訪問で、職員会議の場にも顔を出すことが予告されていました。でも先輩の先生たちは、その日になってもスーツを着てくるようすもありません。私は密かに心配になりました。みんなEさんの恐さを知らないのでしょう。4月にノーネクタイをあれだけ注意した人です。これから何が起こるのか、想像もつきませんでした。ところがところが!E氏はやたら丁寧な口調で、もちろんほとんど全員がノーネクタイにも関わらず、そのことには全く触れないんですねえ。それどころか、逆に三沢中の重鎮みたいな先生たちから、「行政はもっと○○××せよ」みたいな要望や文句を、言いたい放題言われて、「善処させていただきます」なんてヘーコラしているではありませんか。私達純真な若手がこの日、一貫性の無いE氏の言動を軽蔑し、「なあんだ、ノーネクタイでも平気なんじゃん」という、正しい認識にたどりついたのはもちろんのことです。今では、たまにネクタイしてると、「おっ、直井さん、今日も何かの本番かい?」なんて訊かれるほどでございます。

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