今日の一言(2002年 1,2月分)

  職員朝礼での社長訓話集     一つ戻る  最新版へ戻る  

面接          (2・22)
2年目のジンクス   (2・16)
粘る          (2・11)
名前          (2・ 7)
一戸建てとアパート (1・29)
大部屋と個室    (1・24)
階段         (1・19)
探し物        (1・12)
定員オーバー    (1・ 7)
正月の過ごし方   (1・ 4)

2月25日  運ぶ

 土曜が吹奏楽団の練習で、日曜がジャズの練習や家族旅行とかいう具合に、土日で別のスケジュールがあると、我が家の倉庫代わりであるステップワゴンの、後ろ半分の荷物を総入れ替えする必要が度々生じます。ドラムセットやたくさんの管楽器を、3階の音楽室に戻して、代わりにベースギターやアンプを積み込む作業は、たいてい私一人でやりますが、慣れもあるせいか、それほど大変なことではありません。ドラムセット一式は2往復で片付けます。バスドラを左手で、タム2つを右手でかかえて階段を上る私の姿を、たまたま見かけた他の先生は、「直井さん案外力持ちだねえ」なんてビックリしますが、重いものを持つのは、コツさえつかめば結構楽です。私の場合、中学1年の時から打楽器奏者で、ティンパニを一人で4階まで上げることもあったし、重い楽器を運ぶことに関しては、自然にコツを会得したのでしょう。楽器運びで苦労している皆さんのために、一つヒントを授けるとすれば、「手だけで持とうとしないこと」ですね。膝をうまく利用して、腕にかかる力を軽減します。
 世の中には、私の何倍も上手に重いものを運ぶ人々がいます。やはりコツを掴んでいるのだと思います。一番ビックリしたのは、三沢中で夏休みのプール監督をやっている時でした。ある日、プールに入れる消毒液を大量に積んだ、運送屋さんのトラックがやって来ました。たまたま私が応対し、とても暑い日だったし、運送屋さんもおじさん一人でしたから、「入り口まででいいですよ。あと倉庫に片付けるのは我々でやりますから」と言ったら、「すいませんねえ。助かります」と感謝されました。消毒液の入ったポリ容器は、1個1個ダンボールの箱に入っていて、そのダンボールが何十個かありました。おじさんは、ダンボールを2個重ねて、ひょいと持ち上げて、プールの入り口に置き、あとは同様に2個ずつどんどん持ってきて、あっという間に全部を運び終えました。「ご苦労様でした。じゃあ後は私が・・・ん?」 動かない・・・。2個重ねられたダンボールは、持ち上がるどころか、横にずらすことさえ難しいくらい重いのでした。そんなばかな・・・と、狐につままれたような心境でしたが、おじさんが「ああ、ムリムリ、1個ずつ運ばなきゃ」と声をかけてくれました。キョトンとしながらも、言われた通り1個だけ持ったのですが、これでもビックリするくらい重くて、まっすぐ歩けません。見かねたおじさんが再び、「他の先生も呼んできなさいよ」と言いました。情なかったです。
 そういえば、引越し屋さんが、アップライトピアノをたった2人で4階まで上げたのにもビックリしました。いろんな業界の人々による、「重いものの運び方シンポジウム」とかあったら、是非出席してみたいと思います。

2月22日  面接

 昨日は都立高校の入試でした。うちの高校は、国数英の筆記試験後、全生徒に面接試験を行います。先日の推薦入試では、面接官をやったのですが、昨日は警備と誘導で、内心ホッとしておりました。実は面接官という仕事は、超きついと感じているのです。
 面接を受ける子は、むちゃくちゃ緊張していて、殆どロボットみたいな動きをしている子も、珍しくありません。中学校で訓練されたとおりの動き、暗唱練習してきたと思われる解答・・・。おそらく高校入試は、人生で最初の面接試験でしょうから、ムリもありませんが、こんなんで10分間が終了してしまっては、その子の人間性を見るなんてことは、到底不可能です。そこで、あの手この手で生徒をリラックスさせようとするのですが、身構えてしまっている子にはなかなか通用しません。「今日はここまでどうやって来たんですか?」なんて、どうでもいいような質問にさえ、答えを一字一句間違えないように練習していて、悪いことにそれを途中でド忘れして、パニックになった挙句「わかりません」と答えた子もいます。緊張はしていなくても、元々無口な子、口下手な子というのも多いでしょう。そういう子たちを、全然答えられないんだから、ということで低い点にしちゃうのは簡単ですが、図々しさのかけらも持ち合わせていない、純真無垢な子なのかもしれません。やはり何としてもリラックスさせて、少しでもセールスポイントをアピールできるように、持っていってやる必要があります。しかしその難しいことったら・・・。相手のいいところを引き出すのが上手な名司会者といえば、黒柳徹子さんやタモリさんの名前が思い浮かびますが、まさにあんな感じを目指してやります。最近わかってきたコツは、相手の言ったことに対して、驚いてやるといいですね。たいてい、その瞬間に笑みが戻って、場合によっては堰を切ったように話し出してくれます。でもホント、ぐったり疲れますね。なんでこんなタモリみたいなことせにゃならんのよ。口下手な子には面接を免除して、作文を書かせるとか、マラソンコースを走らせるとか、その子が自分をアピールできる、いろんな選択肢を用意するのもいいかなあ、なんて思うこのごろです。

2月16日  2年目のジンクス

 プロ野球などで、1年目に新人王を獲るほどの大活躍をした選手が、2年目はなぜかパっとしない例が多いのを、「2年目のジンクス」と呼びます。マリナーズのイチロー選手も、今度2年目を迎えるので、注目されるところです。「ジンクスに根拠有り」を力説している私ですが、2年目のジンクスも例外ではありません。野球選手の場合、シーズンオフの間に、相手チームによってデータを分析され、2年目は集中的に弱点を攻められる、という原因はあるでしょう。しかし、最大の要因は「油断」だと確信しています。誰でも1年目は、その世界で通用するかどうかわからず、とにかく必死でやるでしょう。それが新人王なんかになると、絶対に心のどこかに「なあんだ。こんなもんか」みたいな気持が芽生えると思うのです。プロ野球に属したこともない私が、なぜこんなことを断言するかというと、教員世界にも2年目のジンクスがあり、私もそれを身をもって体験しているからです。
 新規採用で教壇に立つと、とにかく必死です。自分は40人を前にして、授業を成立させられるのだろうか、という不安と絶えず戦いながら、できる限りの努力をするので、それが案外好結果をもたらします。それが2年目になると、1年を乗り切った自信から、「このくらいやっときゃ何とかなるべえ」という、手抜き心が発生するのです。とたんに生徒の反応は悪くなるんですねえ。転勤直後もまったく同じで、中学でも高校でも、学校が変われば生徒の気質などが全然違いますから、やっぱり1年目は恐る恐るがんばるのです。2年目はダメですねえ。実は私はちょうど今、その2年目に当たるのですが、やっぱりハマりました。正直に告白しますが、去年の方がいい授業やってたと思うし、生徒の反応も良かったです。そしてこれが3年目になると、ぐんと良くなります。2年目の油断を、自分自身で戒めるせいですね。リベンジマッチになるのです。もちろん、これは私自身に限った話です。年々右肩上がりに進歩しつづける先生の方が、やっぱり多いと思うし、野球選手の場合も、きっと人それぞれでしょう
 演奏会にも似たような性質を感じるのは私だけでしょうか。どこの団体も、第1回定期演奏会って感動的ですよね。それが第2回は、いまいちぱっとしない・・・。上手いヘタでなく、やっぱり必死さが違います。第3回がその反動で、うんと良くなるか、それともさらにマンネリ化が進行して悪くなるかは、その団体の分かれ道ですね。4月から3年目の勤務、そしてUnisonの定期演奏会も第3回です。がんばらなくては・・・。

2月11日  粘る

 Unison(吹奏楽団)の練習が終わると、たいていファミレスに行きます。私は会議の必要上で出席するか、付き合い程度にちょこっと顔を出すだけの事が殆どなのですが、若いメンバーはかなり粘っているようです。前回の土曜の練習は、終了が16時30分。そこから2件のファミレスをハシゴして、最後の最後まで残ったメンバーは4人だそうですが、店を出た時刻は驚くなかれ翌朝5時。ファミレス12時間は、とりあえず私自身の最高記録と並びますが、彼らが言うには、もっと粘ることも珍しくないとか・・・。こういう経験の無い方には、「何をそんなに話すのか」という疑問が浮かぶでしょうが、その答えは当事者たちもわかりません。12時間も話してて、何を話したのか覚えてないくらい、どーでもいいことを話しているのでございます。
 ところで、バンドとファミレス粘りの関係について、私はある仮説を持っております。極めて乱暴な言い方ですが、「粘るバンドほど良いバンド」。少なくとも私の経験した限りでは、間違いありません。粘れるということは、その人間関係に魅力があるからで、そのバンドへの帰属意識の強さを表しています。非常に演奏レベルの高いバンドで、練習時間以外はまったく顔を合わせることが無い所も、数多くあります。練習には来ても、打ち上げとか忘年会の出席率は悪いというバンドですね。メンバーたちが、「私はこのバンドに、演奏だけをしに来てるのよ」「音楽を勉強するために来てるのさ」と割り切っているためで、これはこれで意識の高い、素晴らしいバンドに違いありません。ただ、我々普通の初級アマチュアプレーヤーにとっては、ちょっと淋しさを感じます。練習に来れなくても、忘年会には間に合う人たちのいるバンドの方が、私は好きですねえ。誤解されないように付け加えますが、「打ち上げに欠席するやつは組織をダメにする」なんて考えは全然無いですよ。
 時として、演奏活動とレク活動が本末転倒になって、打ち上げだけに命を賭ける団員が発生することがあります。でもそうなると、熱心な団員の方が嫌気がさして、反省会に集まらなくなり、自然と粘れなくなります。だから、粘っているメンバーがほんに一部でも、いい状態なのです。ドリンクバーで12時間じゃ、店にはいい迷惑でしょうが、みんながんばろう!

2月 7日  名前

 昔お世話になった先生からいただいたお便りに、「初孫ができるので、みんなで名前を考えている」ということが書かれていました。バリバリの音楽一家で、名前の候補も当然、音楽にちなんだものです。私の周りには、そういう名前の子供が実に多いです。うちの弦太も、もちろん「太い弦」・・・つまりコントラバスとかベースを意味した名前ですが、そういう由来だとすぐに気づいてくれる人が案外少なくて、ちょっと残念です。やっぱりもっと強烈な名前が良かったのかも、と思うこの頃・・・。音楽一家の子供の名前で、軸になる文字は、「琴」が圧倒的に多いようです。あとは、「音」「響」「律」「奏」あたりでしょうか。「弦」はやや異色の部類かもしれませんし、それ以外の字はほとんど見かけません。管楽器や打楽器奏者の子供だからといって、「管太郎」や「打男」はいませんねえ。うちの子の名前を考えるときも、思いっきり音楽系の名前に、と思っていたのですが、以上の字でバリエーションを作っても、すぐにネタが尽きてしまいます。以前、「それが答だ」という、中学校の音楽部が舞台のテレビドラマで、登場人物の生徒の名前が、全員これ系の名前でした。もうこういう名前は広く知れ渡ってしまい、今さら誰も驚いてくれないでしょう。自他ともに認めるアイデアマンの私としては、何とかしてアッと驚く名前にしたい、と思いました。
 弦太が産まれる直前、私は当時のブラバンの生徒たちにも協力して貰って、30個ほどの候補を作り上げました。ちょっと紹介しますと、虎平人(とらんぺっと)、針春(しんばる)、蛇寿子(じゃずこ)、亜土里歩(あどりぶ)、主高人(すたかーと)、富男人(どみなんと)・・・など。結局ほとんどボツで、最終的に男だったら「弦太」、女だったら「奏恵」(かなえ)にしよう、ということになったわけです。まあ、今にして思えばこれでよかったような気もします。私自身、個性的な名前のせいで、小さい頃はなかなか覚えてもらえなかったり、間違えられたりして、近所に大量にいた「ひろし君」たちを羨ましく思ったことがありました。あんまり突拍子もない名前も、どうかと思います。でも私の作品、なかなかいいので、是非誰か使って下さい。

1月29日  一戸建てとアパート

 私の貧乏性ぶりを象徴するエピソードの一つに、4才頃の「高層積み木」があります。いくつかあった小さい人形のために、「積み木でおうちを造ってあげよう」なんてやるわけで、たいていの子供がいわゆる一戸建てを造り、ダイニングの大きなテーブルの周りに人形を置くのに、私だけがいつも細く上に伸びる5〜6階建てを建設して、各階に1匹ずつ人形を入れてたそうです。母親は私のことを、団地育ちで貧乏性に育ったと嘆くことはあっても、「こんなに高く積んで、この子は天才じゃないかしら」と思ってはくれなかったようです。今、弦太もまったく同じで、ふと気づくと4階建てくらいのを建設していて、「かぶる君は203、りぼんちゃんは307・・・」とか、ぶつぶつ言いながらやってます。それは恐ろしく占有面積の小さい部屋で、貧乏性は私以上ですね。三つ子の魂とかいうやつで、弦太も私と同じように、高層階が好きな人間になるのでしょうか。
 一戸建てで育った人は、よく「地面に足が着かないようなところじゃ、落ち着いて生活できやしない」とおっしゃいますが、私の場合は逆で、地面に足が着くような所では、地面に縛りつけられていて、さらに上から見下ろされているような気がするのです。あと、自分なりに気持を分析してみると、「空へのあこがれ」って絶対ありますよね。空は飛べないけど、もともと空だった場所に立つことができるのが、高層階に登る喜びなのかも・・・なんて思います。最近では、所沢とか相模原なんて場所にまで、30階建てくらいのマンションができてますけど、思わず見とれてしまいます。まあでも、実際に住むとなると話は別で、30階建てのてっぺんじゃ、地震の時揺れるだろうなあとか、火事の時逃げられるかなあとか、出前が届くの遅いだろうなあ、なんていろいろ気になることもあるので、今の2階で満足ですけど・・・。というわけで、私自身はマンション派なんですが、我が社はゆくゆくは防音室付きの一戸建てという、遠大な目標に向かっております。一戸建てを建てるなら、自分の仕事部屋だけは、絶対に2階にしようと決めています。ただ、いつになることやら。実現するのは、2階に登るのもままならぬほど、足腰衰えた頃になる可能性が大でございます。

1月24日  大部屋と個室

 昔は寮といえば、大部屋が当たり前でしたが、今は個室でないと入る人がいないそうですな。仕事場も、通常は大部屋に机を並べていますが、みんな早く偉くなって、個室を使いたいと願っているはずです。私たち教員の業界では、偉くなくても個室を使える場合が、数多くあります。新採用で着任した三沢中には、理科の準備室が2つあって、南側のいい部屋のデスクが殆ど専用で使えました。青梅東の準備室は、とても広々として景色もよく、これもほぼ私の専用ルームです。秋留台の物理準備室だけが、ちょっと例外的な存在で、2人部屋にも関わらず、常時4〜5人が密生する社交場となっていました。それはそれで楽しかったです。私の場合、一人部屋で仕事をしていると、集中できるのは確かですが、休憩のペースがつかめずに困ることが多いです。やたら休憩が多くなったり、休憩ナシですっ飛ばして、疲れを溜めてしまったり・・・。大部屋にいると、だいたいみんなが雑談しながらコーヒー飲むのに、合わせてこっちも休憩すると、ちょうどいい感じで、雑談もいい気分転換になります。だから、私はどちらかというと大部屋派ですね。柱の少ない作りの、超だだっ広いオフィスなんかに、あこがれちゃいます。だから青梅東でも、だいたい大部屋にいます。
 学校によっては、大部屋が無いところがあります。教科ごとに職員室が分散した造りですが、そういう学校では、音楽や美術のような一人教科の先生は、完全な個室生活になります。私にはちょっと無理かもしれません。大部屋のある学校でも、保健室や図書室に常駐する先生は、完全個室ですよね。すごく大変そうだなあ、と思うのですが、どうなんでしょう?あと忘れちゃいけないのは、校長先生ですね。あれも個室生活ですねえ。だから私は校長になりたくありません。(これを言うたびに、嘲笑されます) 大部屋派か個室派かは、その人の成育歴によって決まるのでしょうか。私が大部屋派になったのは、四畳半の部屋で弟と机を並べていたからかもしれないなあ、なんて思います。以上の論理が合っているなら、子供には早くから個室を与えた方が、将来「社長室を使えるようになりたい」という気持が芽生えるはずですが、実際には個室は弊害の方が多いようです。うちは徹底的に大部屋派に育ててみようと思っています。
1月19日  階段

 3学期に入ってから、1年生も2年生も、実験中心の授業を組んでいます。うちの学校は、大職員室が1階で、物理化学の実験室は4階にあります。もうおわかりでしょう、私の泣き言が・・。1階から4階までを、1日に何往復していることでしょう。こういう場合、朝出勤してから、6時間目が終わるまで、ずっと4階の準備室を本拠にしていればいいのかもしれません。実際、そうしている先生もいらっしゃるし、大職員室そのものが無い学校では、それはむしろ当然のことです。でも、うちは大職員室と生活指導部の部屋が存在するので、たいていの仕事はそこを中心に回転します。連続の実験で無い限り、4階にいっぱなしということは、滅多にしません。中年太りも手伝ってか、この上り下りには、ほとほと閉口します。秋留台では、大職員室が2階で、物理室も2階でした。三沢中もそうだったなあ。今思うと、これほど素晴らしいことは無かったのです。職員室を2階に置いている学校は多いですが、これは極めて合理的です。4階の教室への行き来も、2フロア分の移動で済みますからねえ。5階建ての校舎も、たまに見かけます。東京ではお目にかかったことが無いのですが、神奈川県の城山高校だっけかな?たしか5階建てでした。エレベーター無しの5階建てという団地も、よく見ますよね。人間が日常生活で、当たり前のように上り下りできる限界が、5階くらいなのでしょうか。
 修学旅行生がホテルに到着すると、エレベーターを使わずに部屋へ行かせるのが普通です。何百人かが大きな荷物を持って、一斉に到着するわけですから、数基しかないエレベーターの前に行列なんか作ってたら、膨大な時間を食いますからね。秋留台の15期を長崎に引率した時のことですが、あるホテルはロビーは1階で、生徒の部屋が7階でした。もちろん、エレベーター不可!生徒諸君は、さぞやたいへんだったでしょうね。あの時は暴動が起きるかと思いました。
 超高層ビルに行くと、階数の感覚もマヒするようです。2年ほど前に、新宿都庁の16階に用事があって出かけた時ですが、エレベーターが混んでいてなかなか来ないので、しびれをきらして階段で行ってしまったのです。これが16階建ての建物なら、どんなに混んでいても根気よく待つのに、60階中の16階だと、たいしたこと無いように錯覚したんですね。(ただのマヌケかも) 6階くらいまで上った時にふと我に返って、「これはもしかして、大変なことを始めてしまったのかも」と青ざめましたが、後の祭り。途中階では、尚更エレベーターに乗れる可能性が低いので、とりあえず完走して、タスキリレーを終えた直後の駅伝ランナーみたいになりました。来週から、また階段生活がんばります。

1月12日  探し物

 大掃除大嫌いの私が、この年末に「掃除やってよかった」と感じる出来事がありました。パソコンラックを掃除して、配線を戻そうとしたら、コードがラックの裏側の、はるか下の方に行ってしまったので、アクロバット的な体勢でバランスを取りながら手を伸ばしていたのです。すると、コード以外に紙のような手触りを感じるではありませんか。紙キレの端っこだけが、かろうじて手に触れる位置にあって、その先はラックの下側へ吸い込まれています。この時気づいたのですが、このラックの一番下の板は、ほんのわずか床から浮いてて、紙の2〜3枚くらいなら入り込む隙間があったのです。つまみだした紙は、どうでもいい印刷ミスでした。無造作に床の上に放置したのが、何かに押されて隙間に入り込んだのでしょう。細い棒を突っ込んでみたら、手ごたえがたくさん返ってきます。他にもまだまだいろんなゴミが入り込んでいるようです。発見してしまった以上は仕方ないので、そこも掃除することにしました。出てきたものの大半は、同じような印刷用紙か、何かのチラシみたいなものばかりでしたが、その中から思いもよらぬものが出てきたではあ〜りませんか!何だと思います?それは、やはり薄い紙です。大きさ的には普通のB5だかA4だか、その位のものですが、細かくミシン目が入っています。な〜んてナゾナゾはこのくらいにしましょう。それはズバリ、郵便切手でした。未使用50円切手200枚、金額にして1万円分です。2年前の暮れに、オリジナル年賀状を作ろうと計画し、それに貼るための切手を買っておいて、なくしてしまったやつです。あの時は、けっこう必死で探しましたが、どこに消えたかまったく謎のまま、ついに諦めて切手は買い直しました。それが今ごろ出てくるとは思いもしなかったので、儲かった気分です。
 もっとウワ手を紹介しますと、秋留台時代の同僚S氏は引越しの際に、タンスの裏から預金通帳を発見したことがあるそうです。「完全に忘れてたから、ここで発見しなかったら無効になってたなあ」なんて言ってましたが、その額は100万円を超えていたとか・・・。独身貴族の金銭感覚って、こういう面があるもので、私も今は信じられない世界ですが、何となく理解できます。皆さんも、がんばって掃除すると、いいことがあるかもしれません。

1月 7日  定員オーバー

 4日の夜に、3つのバンドのジョイントライブを見に行ってきましたが、超満員になりました。たぶんこれほどの人が集まるとは、誰も予想していなかったのでしょう。ライブハウスのキャパの何倍かのお客さんが来場し、主催者側の判断で急遽、椅子も机も撤去し、全員立ち見に変更したのですが、それでもまだ通路や階段に人が溢れる状態でした。これで何かの拍子に将棋倒しにでもなったら、横浜の福袋に続く、今年2番目の新聞記事でしょう。そんな中でも楽しい演奏を聴きつづけようと、私は27cmの足の置き場だけは確保しながら、ふといろいろな修羅場を思い出していました。
 かつてスキーブーム全盛の頃、どこのスキー場でも昼食場所の混雑は想像を絶するものがありました。中でも忘れられないのは、かぐらみつまたスキー場の、かなり上の方にある「和田小屋」という食堂です。下界に下りればいくつか食堂がありますが、再び大行列のリフトを待たねばなりませんから、1日中上の方で滑っていたい人は、何が何でも和田小屋で昼食を済ませるわけです。その和田小屋で私は、食券を買った直後、前にも後ろにも進めず、四方八方から挟まれて、しかも重いスキー靴とスキーウエアを身に付けてるので、まったく身動きができない状態になってしまったことがあります。朝の中央線の、三鷹から新宿の間みたいな感じです。ただ満員電車と唯一異なるのは、そんな状態の中で、なんとラーメンの乗ったお盆を持った人がいたことです。その人はやはり身動き不能になり、席まで移動できないわけですが、移動できたにしても、もはや座席なんか一つも空いていません。ラーメンが自分の方にこぼれないように祈りながら見ていると、その人は信じられない行動に出たのです。なななんと、そこで食べ始めた!!・・・。人間て、どんな状況の中でも適応して生きて行けるものなんだなあという実感は、父母から戦時中の話を聞かされた時以上のものでした。まあここまで混雑してませんが、満席の時に立ったまま、左手でお盆を支えて食べる技は、おかげさまで私も会得することができました。札幌国際スキー場などでは、ずいぶん役に立ちました。今はどこのスキー場も広くなったし、スキー人口もひと頃よりは減少しているらしいですから、きっと快適な昼食タイムを過ごせていることでしょうが、このようにキャパ以上の人数が殺到すれば、どんな場所でもたちまち修羅場と化します。演奏会等の主催者は、チケットの発行数をあらかじめ決めておくなどの措置が必要でしょう。ディズニーランドのように、シビアに入場制限するのも、結局お客さんのためなんですね。

2002年 1月 4日  正月の過ごし方

 皆様あけましておめでとうございます。私たち公務員も今日から「仕事始め」です。「お前ら教員はまだまだ休みだろ」と思われがちですが、部活の方が主である私などは、当然4日が仕事始めであります。本当だったらもっと早くスタートしたいくらいなのですが、さすがに生徒たちの家庭にもそれぞれのお正月っていうものがありますから、どんなにハードな部活でも3日までは休むものです。さて我が社の年末年始の生活も、だいたいパターン化されてきた感があります。12月29日から休みに入ると、一気に大掃除モードに突入し、台所には仕事分担表が張り出されます。もともと掃除なんて大嫌いな私は、最終的に帳尻が合えばいいだろうから、自分の分担は31日にやっつけようなんて思いますが、それは許されませぬ。郁恵さんの分担とは密接に関わってくる部分が殆どなので、どうしても29日からの開始を迫られます。郁恵さんの分担だけが進行している時は、私は好きなことをやっていられるかというと、そうも参りません。作業を妨害する可能性の高い弦太を連れ出して、どこかで時間をつぶすという、これまたハードな業務が待っています。こうして31日午後のフローリングワックスがけが完了するまで作業は続き、ようやくコタツでみかん食べながらテレビを見られるようになります。1日妻方実家、2日お世話になっている叔父さん叔母さん宅に親戚大集合、3日私の実家・・・と、訪問が続きます。訪問は午後からですから、100枚以上になる年賀状の返事書きは、早起きして駅伝見ながら午前中に行います。こうしてみると、この6日間というのは、もっともくつろげる期間のようでいて、実は最も時間的な制約の多い期間と言えるでしょう。
 というわけで、何を主張したいのかというと、結局「何か勉強したいことがあるなら、若いうちですよ」ということなのです。年をとると体力が衰えて、頭も硬くなるから進歩が遅いという、よく言われる説には、私は反対です。やる気と時間さえあれば、何歳の人だって進歩する、という実例には事欠きません。若いうち(独身のうち)が有利なのは、自由な時間が多いからだと思うのです。若い皆さんは、是非今のうちに、どんどん勉強していただきたい。そして、家庭人となった皆さんは、もはや自分勝手は許されませぬ。私のように家庭での仕事を十分に果たした上で、自分の時間を捻り出す努力をしましょう。ほーっほっほっほっ・・・。