職員朝礼での社長訓話集 一つ戻る 最新版へ戻る
12月20日 ファンタレモン
職員室に「ういろう」が置いてあるから、誰が名古屋に行ったの?と聞いてみると、名古屋に旅行した先生なんかおらず、そのへんで買って来たというのが真相・・・。京都名物「おたべ」、沖縄名物「ちんすこう」だって東京で手に入り、逆に東京名物が地方で買える・・・。何とも寂しい話じゃございませんか。今どき、その地でなければ手に入らないものと言ったら、八王子の「みやこ饅頭」と、青梅せんべいくらいのものですな。つい先日、埼玉県のけっこう山の方の日帰り温泉に行ったのですが、ここでも悲しい思いをしました。温泉のまん前に名産品売り場があって、とってもいい雰囲気でした。こういうのがあると、ちょっとした旅の気分になります。家族に土産を買って帰ろうと思い、いっぱいに詰まった椎茸の袋を選びました。「これ、このへんで採れたやつですか?」と聞く私に、店のおばさん元気良く「このへん、てわけじゃないけどね。青梅で採れたのを持ってきてるのよ」「・・・・・」 青梅はうちじゃんか。というわけで椎茸は却下。続いて目についたのは柿羊羹というやつ。これは見るからに美味しそう。もう質問はやめました。幻滅しそうな答が返ってくるのが恐かったので、今の気分だけを大切にして、とにかく買っちゃおうと決めました。家に着いてから、やっぱり気になるので、羊羹に貼ってあるラベルを見ると、そこには「製造元:東京都品川区・・・」とありました。ああ、もうイヤだ。一体あの店は、どういう意味があって存在してるのでしょう。こんなこと怒ったら、じゃあお前はどういう意味があって、品川の羊羹を山で買ったんだ?と聞き返されるだけです。だからこの事は別に、もういいです。昔は「地域限定」の品は、もう少しその縄張りを守っていたように思います。ファンタという炭酸飲料はその昔、東京都内ではオレンジとグレープだけしか売ってないのに、神奈川県に一歩足を踏み入れると「ファンタレモン」があるのです。この販売政策の根拠は未だに謎。東京都日野市の小学生だった私たちが、この幻のファンタレモンを求めて、神奈川県相模原市まで10キロ走るのは当然のことです。数台の自転車で国道16号を南下。大量のファンタレモンを購入して、翌日は、一人心ゆくまでその味を楽しんだり、友達に見せびらかしてヒーローになったり、高値で売りさばいたり、ううん素晴らしい。名産品が地域限定である方が、手に入れる喜びが大きく、その地方に向かうエネルギーを産み出すわけです。私は現在、仕事のギャラを地方の名産品で物品支給してもらうことを、大きな楽しみとしています。何でもかんでも安易に流通させないで欲しいものです。
12月16日 寿司屋の値段
「安心の皿勘定」をキャッチフレーズにした回転寿司チェーン店が、すごい勢いで増えています。自分がいくら分食べたのか、皿の枚数で一目瞭然ですが、一昔前までは寿司屋の値段といえば、不明朗会計の代名詞のようなものでした。伝票があるわけでもなく、その計算結果は、握ったご主人の頭の中にしかありません。同時に何組ものお客に、いろんなネタを握ってるから、どう考えたって正確に把握できるわけないのです。あるテレビ番組が2人のサクラを使って、まったく同じ物を違う順番で注文し、金額が一致するかどうか、というイジワルな企画をやってましたが、やっぱり大幅にずれてしまうケースが多いようでした。人を見て値段を決めている、というのは真実なのです。ただ、これには反論もあって、「オレは完全に把握しているから、一度も計算を間違えたことがない」と主張するお寿司屋さんもいます。「何をどういう順番で握ったか覚えるのは、棋士が棋譜を覚えるのと一緒だ。逆にそんなことも覚えてられないような寿司屋は、いいかげんに仕事してるヤツに決まってる。一流の寿司職人じゃない」と豪語します。まあ、そういう凄いプロ寿司屋もいるかもしれませんが、大半はやっぱりアバウトなのでしょう。
お寿司の値段とはちょっと違いますが、私も、自分の書いた楽譜などで手間賃をいただく場合に、人によって差がついてしまうことがあります。「いくらでもいいですよ」なんて、街頭募金みたいな言い方をすると、これはかえって相手を困らせます。言われた相手にしても、相場の見当がつきませんから、「じゃあお言葉に甘えて10円」というわけにも行かず、5000円じゃ安すぎる?1万円じゃ高い?とあれこれ悩むでしょう。「ズバリ金額をおっしゃって下さい」と要求されるわけです。すると私は、一応それまでの作業の大変さを思い出しながら、それに見合った値段を言いますが、これが超あいまい。相手がすごく喜んでくれてたりすると、それまでの苦労なんて吹っ飛んじゃって安い金額になりがちだし、相手がプロっぽくて他の業者と天秤にかけられそうな雰囲気だと、突然私の方にも自負心が湧いてきて、「これだけの仕事、他にできるヤツ探せるもんなら探してみ」という気持をこめて、高めの値段を言います。
私の専門とするコピー業で、専門の業者はどういう料金体系を取っているか調べてみたら、「コピー1小節300円。パソコン浄書仕上げ1頁2500円」とかいう感じで、これはなかなか客観的です。我が社も「安心の皿勘定」にしようかなあ。
12月10日 PC8001
この型番を聞いて、「ああ、あれか・・・」とピンと来る方は、もうオジサン世代ですな。いわゆるパソコンの草分け的存在というか、パソコンの歴史の幕を開いた、NECの大ヒット商品です。現在、誰でも普通に使っている32bitマシンに較べると、何と言っても8bitマシンですから、遅いのなんのって。でも出始めの頃は驚異的でしたな。私は元々、アンチ巨人、アンチTOYOTA、アンチdocomoですから、その当時もPC8001を買わず、富士通のFM7にしました。エスティマに対抗してエルグランドを買う心境です。(謎) さて、8001の時代は長くは続かず、PC8801というのが出てきて、16bitマシンのPC9801が主流になるまでアッという間。私が大学の研究室にいたのがちょうどその頃で、すでに8001は数世代前の遺物といった感じで、どこのオフィスも研究室でも使われなくなっていました。しかし、私の研究室では、その8001が常に唯一のパソコンだったのです。予算が不足してて、新機種を買えなかったわけではありません。当時の先生方と院生たちは、今考えても恐ろしく機械に強い人たちで、あらゆるプログラム、インターフェイスを自作して、実験データを自動で取り込み、解析する作業をすべて8001にやらせてしまっていました。「これで十分用が足りるから、新しいPC買うカネを他へ回そう」というわけです。ゲームくらいしかやってないくせに「FM7じゃモノ足りない。やっぱり16bitじゃなきゃ」なんて言ってた自分が恥ずかしく、大いに反省したものでした。人間の脳は一生の間にほんの何割かしか使わないそうですが、パソコンの持っている能力も、いったい何割くらいが使われているのでしょう。あの8001は、まさに使いこなされ、完全燃焼させられていた、幸せなパソコンだったと思うのです。
以来私は、機械はその能力を極限まで引き出すように心がけています。使い込んで行くうちに、マニュアルにさえ載っていない「ウラワザ」を編み出すこともできます。先日ヤマハに行った時、私が使っているシーケンサーの弱点補強について相談したら、ずいぶん前のやつでとっくに製造中止だったらしく、店員さんに半ば唖然とされてしまいました。私はその機種の能力を十分引き出している自信があるし、能力の限界もよくわかっているつもりなので、シーケンサーそのものは買い替えず、補助的に使うパソコンソフトを買いました。クラビノーバCVP65&シーケンサーDOU10という我が社の骨董品コンビが、今後も大活躍することでしょう。皆さんも、使えるものをがんばって使ってみませんか。
12月 4日 自己増殖
30日に武蔵丘高校吹奏楽部の演奏会で指揮をしてきました。現役高校生を上回るくらいの賛助出演者がいて、とっても賑やかなコンサートでした。高校生を相手に指揮をするのは、いちおう私の本業ですが、今回は自分の学校の生徒が対象ではないので、練習日(ほとんど日曜日)は当然出張扱いにも何にもなりません。青梅から練馬という、果てしなく遠い道のりの往復交通費も、すべて自腹です。ようするに趣味でやってることそのものです。私はちょくちょくこういうことをやります。高校生からしてみれば、こっちは一応先生なもんだから、教えてもらってるという意識があって、感謝してくれる場合が多く(たまに迷惑がられる)、特にノーギャラノー交通費でやってるから、神様扱いされることもあります。今年は特にそういう場が多かったせいで、なぜせっかくの休日にタダで仕事の延長をやりたがるのか、いろんな人から尋ねられたし、自分自身も考えてみました。その答は「自己増殖」!
すべての生物は、その種を繁栄させようとする性質を持っています。私は音楽を愛好する者ですから、自分と同じように音楽を愛好する人間を増やそうという、本能みたいなのがきっとあるんだと思います。特にターゲットに適しているのは、若い中学生、高校生ですな。この世代が我々に洗脳されて音楽好きになって、卒業後も一緒に音楽を楽しめる仲間になってくれる時、何ともいえない満足感があるのです。今回ステージに乗った大人メンバーは、例えは悪いですが「吸血鬼」みたいなもんで、お互い同士が吸血鬼であることは、臭いですぐにわかり、初対面でも仲良くなります。そして、その吸血鬼たちと一緒にステージに乗った若い人たちは、みんな吸血鬼に変身して、次の世代を襲いに行く・・・、そんな感じですね。そう、だから私がノーギャラでどこへでも教えに行くのは、本能的な行動なのです、って説明したら、生物の先生が「???」と首をかしげてしまい、よくわかってもらえませんでした。皆さんは、自分と同じ趣味を持つ人を、増殖させたいと思いませんか。思いますよね。ちゃんと他の仕事を持ってて、毎日曜は朝から少年野球の指導に行くオジサンとか、みんな同類なのです。うちのUnisonというバンドは、そんな吸血鬼の集合体で、しかも感染力が強いです。この冬も、新たな獲物を求めて出動します。
11月27日 風邪
風邪は1日で治す主義でございます。授業は毎日、2時間続きを含む形で入ってますから、1日自習にしちゃうと最低2人の先生が監督につくことになります。気が弱い私は、その先生たちに気を使うのがイヤだし、完治した後、たまった自習課題を採点するのも面倒なので、欠勤だけは避けたいのです。1日で治す方法は簡単。即病院へ行って薬を貰っちゃうのです。なあんだ、と思われた方、まだ話の続きがありますよ。問題は「病院選び」です。1日で治すのに適した病院とは、どんな病院でしょう? 私は永年の経験で、おおよそ4タイプの医者がいると感じています。@診察が丁寧で、薬をあまり出さない。伝説的名医 A診察は丁寧。症状に合わせた薬を出す。かなり名医 B普通の医者 C診察は超簡単。いつも同じ薬を大量に出す。いわゆるヤブ医者。
秋留台にいた時に、学校の近所の@タイプのお医者さんに行ったら、「ゆっくり休むのが一番じゃ」とか言われて面食らったことがあります。「ゆっくり休めないから来てるんじゃんか」と言いたかったですが、仕方ありません。ここは評判の名医で人気抜群だったのですが、私のニーズに合わないので、その後行ってません。Aタイプの病院も経験があります。私自身、どう考えても風邪の症状なのですが、その病院ではいろんな検査をさせられ、検査結果が出るまで風邪とは断定できないってことで、軽い咳止めかなんかしか貰えず、何日も余計に苦しんだあげく、やっぱり風邪だと言われたので、この病院もやめました。ただこの病院は、他の病院の誤診を見抜いたというウワサをしょっちゅう聞いたし、やはり名医として評判なのでした。私が好きなのは何と言ってもCタイプです。まずすいてるから待たずに見てもらえるし、診察も30秒以内で終わるから、急いでる時は本当に好都合。薬は山ほどくれて、出し方は適当そのものですが、「薬の辞典」という本を見ながら、自分に必要なやつだけ飲むので全然問題ありません。自分の体の調子は自分が一番わかってる、なんて思ってるから、このスタイルが好きなのですが、人様には絶対オススメできません。ちゃんとした医者にかかった方がいいと思います。今現在、家の近所にはCタイプの病院が無いので、ちょっと不便を感じています。懐かしいあのヤブ医者は今ごろどうしているか、時々気になりますが、たぶんつぶれることはないと思います。日本人は皆忙しいし、私のように好んで利用する人が後を絶たないに違いありません。
11月19日 音の捜査官
日本音響研究所の鈴木松美博士の異名です。ハイテク機器を駆使して、何気ない音声の裏側に潜む真実を暴く、ということから、こんな風に呼ばれているのです。先日「たけしのアンビリーバボー」を見ていたら、博士がたった10秒余りの音声から、国家の陰謀を暴く過程を特集していました。この番組の中で、博士は意外な発言をしていました。「ハイテク機器を使う前に、まず何十回も聴くことから始める」のだそうです。私はてっきり、どんな音でもエイっと機械にかけちゃえば、あとはコンピュータが勝手に分析してくれて、博士はそういうプログラムを考案した点で偉大なのだとばかり思っていました。実際は、山ほどある「どうでもいい音」の中から、ほんのわずかの「鍵を握る音」を選別するのは、人間の耳なのです。このことを知って、ううん凄いなと思うのと同時に、ちょっぴり嬉しくなりました。私がやっている、耳コピ(音を楽譜に直す作業)も、これと似ているからです。
単音の場合、マイクに向かって鳴らすだけで、どんなに速いパッセージも一発で楽譜に直してくれるプログラムが、すでに存在します。和音もこれの応用で、機械が採譜してしまう日は遠くないでしょう。ところが、メロディーと伴奏がある場合、機械は瞬間瞬間の和音を採れたとしても、どれがメロディーラインで、どれが伴奏なのかを判別することができないはずです。おそらく楽器の音色ごとにフィルターをかけて、1パートずつ採譜することになるでしょう。それもどの程度の精度でやれるかは不明。それほどの労力をかけるより、判断力を備えた人間の耳の方が、絶対に有利でしょう。耳ってすごいなあ、と改めて感心。
私が大編成の演奏を耳コピする場合も、基本は聴くことです。はじめはベースラインとかメロディーばかりが耳についてしまいますが、それらを覚えられるくらい聴きこむと、今度は目立たないパートの方に注意が向くようになります。さらにさらに聴いてゆくうちに、オーボエの下でハーモニーをつけているクラの音や、3番4番ホルン、バストロンボーンなんかの動きが気になりだします。ここまでやると、いきなり白紙の五線紙に向かって、一気に書き上げちゃうことができます。何回も聴くには、何回も聴きたくなる曲である必要があるので、好きな曲ほど完全に近いコピーが可能。それを考えると、鈴木博士はご苦労が多いでしょう。犯罪に絡んだ音声なんて、何回も聴きたいタイプのわけないですからねえ。しかも私はアマチュアなので、嫌いな曲のコピーは断わっちゃうのだ。何たる幸せ・・・。
11月 9日 洗濯もの
題名を見ただけで、前回の流れを受けた話題ということが、ヒシヒシと伝わってきますな。苦情メール殺到を予想していたのですが、逆に「参考になる」なんて言ってる人いる始末。私の一人暮らし時代の武勇伝を、皆さんもっと聞きたいのだろう、と勝手に判断させていただきます。洗濯というのは、私にとって家事の中で最も苦手なものです。(食器などの洗い物は、学校で試験管やビーカー洗うので慣れているせいか、さほど苦では無い) 一人暮らし時代に使っていた洗濯機は、バルコニーに置いてありました。しかも全自動でなく、二槽式というやつだったので、しょっちゅうバルコニーに出たり入ったりしなければなりません。夏は缶ビール片手に、夕涼みも兼ねてやるのですが、冬はもうどうしようもなく億劫です。さあ、洗濯というのは、どのくらい長期間やらずに耐えられると思いますか?答え・・・1シーズン・・・つまり冬の間はやらず、春の訪れを待って再開。その間、汚れた服はどんどん山積みされて行き、山頂が標高1m位になった頃、ついにタンスは空っぽになります。するといよいよ次の段階。その山を崩し、比較的汚れの少ないものを選ぶ。これはかなり繰り返され、3周目、4周目・・・と進むのです。パンツと靴下だけは、この方法では限界があるので、風呂に入るときに持って入ります。石鹸で泡立てた桶に突っ込んで手揉み洗いし、自分にシャワー浴びせるときに、同時にゆすげばOK。さて、洗濯しないということに最も耐えられる服とは、意外にも「正装」です。だいたい、学校の制服って便利ですよね。毎日同じのを着ているのが当たり前ですから。これが私服だったら、2日続けて同じの着てるだけで、「不潔〜」とか「どこに泊まった?」とか言われます。私はいよいよ着るものが無くなった時、Yシャツ&ネクタイ姿になっていました。もちろん同じシャツを1週間以上連続して着ます。ネクタイさえ替えれば、もう誰も「昨日と同じ服」とは思いません。白だと襟の周りの汚れが目立って来るので、軽く色の着いたのが便利です。臭いについては、前回もご説明したように、24時間着続けていない限りは案外平気なものです。イザという時は、オーデコロンやスプレーを使います。これは現代の汚ギャルがやるのと同じ方法ですね。いつもネクタイ姿の人は、「服装がキチンとしている」と好評ですが、私のような場合も有るので注意が必要です。どっかの自治体で、学校の先生たちにも制服を着せている、という話を聞いたことがあります。先生たちが猛反発して、大変だったらしいですが、内心大喜びの先生も、少なくなかっただろうと想像しています。
11月 3日 パジャマバトル
今度の土曜にUnisonのメンバーの結婚式があるので、今日は簡単な打ち合わせをしたところです。うちのバンド、20代の真ん中へんが多いから、今後おめでたい話が続きそうです。結婚してもバンド続けられるといいし、できたら家族ぐるみで参加してほしいですね。結婚すると、生活習慣のかなりの部分が変更になりますから、実際には困難も多いのです。そんなことを考えながら、私自身の生活の変化に思いを馳せてみました。今、風呂上りなのでパジャマを着ているのですが、昨日タンスから出したものなので、2日目ということになります。ここですでに「同じパジャマを2日続けて着るの〜!?不潔〜」と思った人は、この先を読まない方がいいと思います。私は洗濯したてのパリパリしたパジャマが嫌いです。柔軟材を使っていても、やはり2日目以降のフニャフニャした素晴らしい感触には勝てません。当然、2日目よりは3日目、さらに4日目5日目と日を重ねるほどに、その感触には磨きがかかってゆきます。結婚したての時、私が全然パジャマを洗濯かごに入れないので、郁恵さんは「この人は何日我慢できるのか」試す意味もあって、静観していたようですが、ついに2週間目で没収されました。「僕のパジャマが無い!今朝ここに脱いでおいたのに・・・」とうろたえる私は、「何日同じの着るつもりなの?」と問いただされ、「やっと柔らかくなってきて、これからっていう時だったのに」と答え、ガックリと肩を落とすのでした。もうそれから後は、パジャマは1日で洗濯されてしまうようになりましたが、こっちも負けてはいられません。朝脱いだパジャマを、私は巧妙に隠すようになり、それを発見しようとする郁恵さんとのイタチごっことなりました。今日は何とか1日長く生き延びたパジャマを着ていますが、これでも喜ばなければならないほど、今の私は追い詰められた状況にあります。さて、皆さんの恐るべき疑問に答えねばならない瞬間が迫ってきました。こんな私の一人暮らし時代は、パジャマをどれ位の長期間着続けたのでしょう? もう読むのやめてもいいですよ。それではお答えします。・・・3年・・・ 臭くならないのか、不思議に思われるでしょうが、脱いだ後は椅子にかけておくので、よく乾燥します。また夏場はほとんど着ないし、着替える間もなく意識不明になることも多かったので、これでやっていけるのです。記録が3年以上伸びなかったのは、ボロボロで着れなくなってしまったからです。皆さんもパジャマの着心地の変化を、一度体験してみてはいかがでしょうか。同じルーズソックス1週間、とかいう女子高生よりは、うんと清潔だと思います。
10月29日 面談
今日は幼稚園の保護者面談がありました。郁恵さん、いろいろ言われてきたようですな。「元気な子」・・・。一見誉め言葉ですが、私が保護者に対して、この言葉を使う場合は、たいてい「騒がしい子」と紙一重です。そうか、弦太は人の話が聞けない、落ち着きの無い子なのか、ということがわかり、ちょっと落ち込み。
だいたい、性格なんて見方でどんな風にでも表現できます。「おとなしい」「もの静か」っていうのは、「暗い」「消極的」と紙一重というか、ウラ返しですよね。こういうのを、保護者面談や通知表のコメントで、「騒がしい」とか「消極的」って表現する先生と、私のようにすべて、誉め言葉のオンパレードにしちゃう先生の2タイプがあります。私は、絶対に誉め言葉だけしか出しません。ウソだと思ったら、私の面談受けてみぃ!ってーか、教え子の皆さん、私に貰った通信簿で、誉め言葉じゃない表現があったら見せてみぃ!誤解されるといけないのですが、どんな悪ガキでも「いい子」にしちゃうのは、ウソを言ってるわけでは無いのです。騒がしい子は、単に騒がしいだけでなく、クラスのムードを明るい方へ引っ張る、という重要な役割も果たしているんですよね。そっちの方をクローズアップしているだけの話なのです。私が新採時以来、ずっとこの方針で通している理由は簡単。私自身が、悪い評価を受けて、それでじゃあ頑張って直そう、なんて気になったことがないからです。私にとっては、自分を誉めてくれた先生だけが「良い先生」で、良い先生の前では、よけい良い子になろうと頑張ったものなのです。だから、自分が教員になったら誉めまくろう、と心に決めていたわけではないのですが、ついつい昔の自分の気持を思い出して、誉めています。
数年前から、この「誉め言葉」への変換マニュアルが出回るようになりました。ちょうど私がやっていたような、「うるさい→明るい」とか、「覇気が無い→落ち着きを感じさせる」とか、そんなのが一覧表になっているのです。指導要録の開示請求というのが、あちこちの教育委員会や裁判所で頻発するようになり、先生たちもヘタなことを書けなくなったというわけで、こんなマニュアルが出現したようです。こうなってくると、かなりウソっぽい臭いがしますね。いくら誉められても、素直に喜べない時代に突入ですな。
10月20日 常連無理!
常連になりやすい人と、常連化を嫌って変化を求める人、この2タイプがあるとすれば、私は後者ですね。朝は時間的な制約もあるので、数パターンのローテーションを余儀なくされていたのですが、夕食となると可能性は一気に広がります。10年間全外食で、しかも次々と新しい店を開拓しようとすると、一体どれ程の範囲の、何店舗くらいを制覇することになるのか、皆さん想像できますか?通勤経路の秋川〜多摩センター間にも、たくさんの食堂がひしめきあいます。通常は奥多摩バイパスを通るところ、秋川街道で八王子を回るとか、経由地を1ヶ所変えるだけでも、かなりのバリエーションが生じます。それで尽きたら、次は高尾街道から京王線の南側へ。このくらいの範囲をカバーするのに約5年を費やしましたが、問題はここからです。それまでに通った道は、多少遠回りではあっても、一応自宅の方角を向いていました。しかし、それではもはや新しい味に出会うことは無いのですから、いよいよ自分の殻を破る必要があります。自宅と反対方向を開拓するのです。まず私は北へ向かうことにしました。羽村、小作、河辺という、新鮮な町並みが、私を迎えてくれました。ううん、素晴らしい!さらに足を伸ばし、飯能をあっさり制覇。鶴ヶ島まで進んだところで、我ながら異常だと気付き、北はおしまい。次は西です。五日市あたりまでは結構お店があっても、その先さらに西となると、ひたすら山に向かうだけ。ついに甲武トンネルを抜け山梨県へ。上野原町から20号を東へ向かうと、ううん、これも素晴らしい。ラーメン屋さんを1軒ずつ制覇し、たどり着いた相模湖畔のレストランは、今でもけっこうお気に入り。この先は高尾に戻ってしまうので、次は藤野から南下。あわや道志村というあたりに1軒の食堂を発見。ここで焼肉定食を食べながら、やはり「異常だ・・・」と思い、西も終了。ついに行き詰まった〜という話を職場でしてたら、河辺にお住まいの先生が、周辺のグルメマップを作って来て下さいました。その表題は「新しい味を求めて相模湖まで行ってしまうアナタへ」 今でもこの手書きの地図は、秋留台の職員室に貼ってあるでしょうか。私のために作られたものとは、誰も知らないでしょうし、結婚して河辺に新居を決めるにあたり、少なからず影響を与えた地図です。
今では家庭料理にありつける身分ですが、郁恵さん、私の「新しいもん好き」を知ってか知らずか、毎日続々と新メニューを登場させてくれております。本当にありがたいことです。
10月15日 常連さん
うちの郁恵さんが勤めるファミレスでは、深夜のお客さんの多くが常連さんだそうですな。ほとんど毎日来店される方も少なくないそうです。食べ物に関して飽きっぽい私には、ちょっと真似できません。と言っても、昔ファミレスの常連ぽくなってた時期はあります。一人暮らしで、カネはあるし自炊はできんとなれば、朝からファミレスのモーニングセットを行っちゃうんですな。今思えばもったいない話でございます。朝6時20分に家を出ると、学校近くの某ジョナサンには7時少し前に到着します。モーニングセットでコーヒーおかわりしまくって、家から持ってきた新聞をゆっくり読んで、8時ちょい前までいる、というパターンですが、毎日ではいくら何でも飽きるので、何軒かをローテーションさせていました。だから厳密には常連とは言えません。時にはファミレスそのものをやめて、コンビニおにぎりにしたり、リンリンのサンドイッチ(秋留台関係者だけが知っている店)にしたり、バリエーションを加えていたのです。ところが驚いたのは、いくつかのパターンを巡って最初のジョナサンに戻ると、そこには必ず同じ席に同じおじさんが、同じ「まぐろ山かけ丼」を食べているのです。そのおじさんは、バリエーションを一切拒否して、完璧な常連となっていたようです。イギリス人の多くがこういう生活を好む、という話を聞いたことがありますが、どう見ても日本のおじさんでした。朝番のバイトの女の子も毎日殆ど同じ顔ぶれですから、おじさんは席に座るだけで、メニューを見たりオーダーしなくても、まぐろ山かけ丼は、自動的に供給されました。ある日の朝ジョナサンに行ったら、そのおじさんがいないことがありました。私は、バイトの女の子と一緒に、「どうしたんだろう。病気かなあ」なんて心配してました。翌朝は他のファミレスに行かず、再びジョナサンへ行くと、おじさんは元気に山かけ丼を食べていたので、ホッとしました。やはり体調を崩して、仕事を1日休んだそうです。
昔、みんなが銭湯に通っていた頃は、毎日同じ時間帯に同じような顔ぶれが揃っていたでしょうから、こういう常連さんどうしの連帯も盛んだったと思います。最近はそういう場面が少ないですけど、朝のファミレスにも常連さんたちがいるくらいですから、どこにでもまだこういう社会が残っているんでしょうね。人間はどこかの常連になることで、落ち着けるのかもしれません。最近パ○ンコ屋へ行くと、「よぉっ。今日はどんな調子だい?」って声かけられることがあります。常連化しつつある自分を感じるこの頃・・・。
10月 7日 変な論法
最近、参加している合奏練習でよく耳にする言葉・・・「ここはしっかり指揮を見て!」。私もたまに言っちゃったりするんですけど、これって、「ここだけ見てれば、他の箇所では見なくてもいいんだよ」って言ってるのと同じですよね。テンポの変わり目でアンサンブルが崩壊する場合でも、正しくはただ単に「指揮を見なさい!」でいいわけです。大編成の合奏では、常に譜面と指揮の両方を見るべきなので、たまにはテストするといいでしょう。演奏中にサッと指揮棒を降ろして、その時止まらないで演奏し続ける者を白い眼で見る・・・これを何度かやっているうちに、みんな指揮を見るようになるはずです。うちも明日あたりやってみるか。
プロ野球の試合前に、アナウンサーと解説者が、必ずといっていいくらい「今日は大事なゲームですねえ」と言います。じゃあ、大事じゃないゲームってどんなゲームなのでしょうか?順位が確定した後の消化試合だけは、確かに「大事じゃないゲーム」です。でも「今日の一戦は消化試合ではありません」てわざわざ全試合で確認する必要も無いでしょう。
大学の先輩で凄いことを言った人がいました。物理学科の方で、あらゆる法則を解明して、他人に説明したがるタイプで、彼の言うことはなかなか説得力がありました。やはりプロ野球のペナントレースの話題で盛り上がっていた時、先輩は「リーグ戦での心得」を説明しだしたのです。「総当り戦で順位を上げていくための鉄則は、まず自分より順位が上のチームを食うことだ」 「ふむふむ、なるほど。上位チームと当たる試合が、勝負どころというわけだ」 「そして同時に忘れてはならないのは、自分より下位のチームには、絶対に食われてはならない」 「そうだよな。下位との対戦で、取りこぼしは許されないな」 私はかなりの長時間、納得したままだったのですが、よ〜く考えて見ると、先輩の理論が、極めて明快な別の言葉で表現できることに気付きました。皆さんはすぐにおわかりだと思いますが、念のために正解は「全部勝て。1つも負けるな」ですね。先輩はこれを冗談として言ったのでなく、真面目に説明してくれました。今でもこの理論を引き続き信じていらっしゃるなら、アナウンサーや解説者とともに毎試合、「今日は大事なゲームだ」と思って見ていることと思います。皆さんは、こういう「あれっ」て思う言い回しに出会ったことはありませんか?
9月30日 実験仕込みの道
文化祭が終わって最初の実験の仕込み中、トラブル発生!まあ大したトラブルでもないんですが、ゴム栓と試験管のサイズが微妙に合わないってやつで、サイズの合う古い試験管をかき集めて、何とかなりました。もしも教材プリントの印刷が終わって、そのまま安心して帰宅しちゃってたら、翌日生徒を前にしてテンテコマイという事態になるところでした。こういうことがあるから、必ず前日までに全部の器具を並べて、個数をチェックするまでは、仕込み完了できないのです。こんなちょっとしたトラブルでも、対処に何時間か要したり、ヘタすると代用品を求めて、100円ショップなんかを走り回ることになります。
新採用の年、スタートから数ヶ月経って、やや油断し始めた頃のことです。顕微鏡観察をさせる授業で、顕微鏡ならふだん他の先生も使ってるはずだし、ぶっつけで平気だろうと思って、1台ごとに確認せずにいたのが間違いでした。壊れたのやレンズがついてないのばっかりで、まともに使えるのは3台くらい。もともと10台くらいしか無くて、4人の班に1台です。多くの班が実験不可能になってしまい、かわりばんこに見るようにしましたが、3人くらいが観察している横では、ヒマを持て余した30数人が遊び始めます。私自身の全責任ではないにしても、散々でした。それにしても、不思議なのは他の先生たちです。顕微鏡なんて使ってないというならわかりますが、そうではないのです。こんな状態でどうやって顕微鏡の授業をするのか、興味半分、整備不良への恨み半分で、見に行くことにしました。新採用という立場ですから、先輩の先生の授業を見させてもらうのは簡単です。そこで私が目にしたものは!!!!!
セットしてある顕微鏡はたったの1台!先生はいくつか説明をした後、いよいよ指示!「出席番号順に顕微鏡をのぞきに来なさい。他の生徒は教科書を黙読していなさい」 で、生徒は指示された通りに整然と動いているんですな、これが・・・。なるほどこれなら器具のほとんどがぶっ壊れていても平気なわけです。参りましたって感じ。しかもそのクラスは、学年で最も落ち着きが無く、私がやっている時は常にサファリパークと紙一重でしたから、二重の驚きでした。その授業の後、恐る恐る先生に「このクラスいつもこんなにキチンとやってるんですか」と訊いたら、あっさり「そうだ」と言われましたが、さらにその直後、問題のクラスの超悪ガキ男子ども数人が、なぜか私のところへやってきたのです。「先生ごめん」と突然言われ、何を謝られているのか不明でしたが、「おれたちがあんなに静かに授業受けてるの、ショックだったでしょ」ということでした。悪ガキどもって、悪ガキであると同時に、人の気持が解る子たちすよね。
私は教員生活18年経っても、顕微鏡1台で授業を成立させることは到底無理です。そのかわり、十分な仕込によって、生徒が思わず実験に集中したくなっちゃうような環境を作るように心がけています。
9月26日 ホームラン
初めにお詫びしておきます。汚い話題です。職場旅行などの宿泊先で、大部屋に何人も入る「タコ部屋」状態の時、朝の微妙な駆け引きを体験された方は多いでしょう。たいていの人は、朝食後からチェックアウトまでの時間帯に「う○こ」をしようと思いますが、豪華な部屋でもトイレは一つです。自分が行こうとしたとたんに、誰かに先に行かれたり、自分が行ったら実は誰かが我慢の限界を迎えてた、なんてのは、是非とも避けたい事態です。そんな時、「ええっと、みんなちょっと集まってくれ。これから朝のトイレの順番を決めたいと思うんだが、今現在どの程度したいのか、正直なところを一人ずつ話してくれないか」なんてやるのは変ですし、気心知れた間柄でも、「おれ、う○こもれそう」とか、ハッキリと口に出すのもどうかと思います。そこで、修学旅行の引率等、我が業界特有の豊富なタコ部屋経験から生まれた、便利な暗号を紹介しましょう。実際に三沢中時代に、若手教員の間で使っていたものです。「今ランナー2塁」「おれまだ1塁」「おれは満塁だよ」 このやりとりで、トイレを使用する順番が決定します。しかし、お腹の状況は刻一刻と変化するので、急にもよおして来る場合もあります。そんな時は「ん!ランナー、リード大きい」などと伝えます。いよいよ危険な状態では、「3塁ランナースタート!」と叫べば、一躍トップの優先順位に繰り上がります。ところで、こうして実況をするからには、トイレから出てきてからの、事後報告も忘れてはなりません。完全にスッキリした人は「満塁ホームラン!」と興奮気味に叫びます。かなりスッキリしたが、あと少し残っているのは「走者一掃スリーベース」、少ししか出ないのは「押し出しフォアボール」という具合で、「三振」はもちろん全く出なかったことを意味します。ここにあげた例は、我々の仲間の間では、完全に通じる暗号でしたが、時々解読が難しい暗号も出現しました。「エンタイトルツーベース」・・・これ何でしょう?一見ホームランだが、残念ながら2塁打になってしまった、というニュアンスならば、出かかったのが戻ったのかも知れず。或いは、本当に実物が何かにワンバウンドして、どうにかなったのか・・・?考えると面白いので、あえて本人に確かめていません。「場外ホームラン」・・・これは想像したくありませんな。「ファウル」・・・三振の同義語と思われますが、場外ホームランの類義語という可能性も残されています。飛び出した方向が違うだけですな。
昨夜は「ナースのお仕事」最終回を見ようとしたら、阪神が9回にホームランで追いついて、最後は3塁ランナーがサヨナラの生還するのをやってて、ボーっと見ながら、「そういえば最近、自分はちょっと便秘ぎみだな」なんて思ったので、つい話題にしました。
9月21日 こだわり
「学校へ行こう」というTV番組に、実にヘンテコで面白いコーナーがありますな。ラップのグループが次々と登場して、ラップといえるのか不明なものを披露してくれます。アンコ・ザ・カン・クルーというグループが、「お前のこだわりお前のこだわり西に木を置く」なんて歌ってたのを聴きながら、ふと「こだわり」について考えてみました。「こだわり」って、他人から見ると、何でそんなことにこだわるの?って言われそうなことが多いですよね。私も、考えてみれば、そういうこだわりが結構あります。例えば、指揮する時スコア見ないとか。プロの指揮者でも、このことにこだわりを持っている人は多いようです。私の個人的な考えですが、どう考えたってスコア見ながら指揮した方が、全部の楽器の動きが常に見えているから、有利に決まっています。スコアを見ないで、音楽を正確に統率しようと思ったら、スコアを丸ごとほぼ完璧に暗譜しておく必要があります。1曲にかけるそんな労力を、他の何十曲もの分析に回した方が、効率がいいのではないでしょうか。ホルスト・シュタインさんは、フィンランディアを、スコアめくりながら振ってました。あんな大指揮者がこんな短い曲を振る時でも、スコア見ながらやるんだ〜と驚いたもので、暗譜に価値を見出さない人も多いのです。でも、一度こだわっちゃうと、こだわり続けちゃうんですよね。さて昨日今日、うちの学校は文化祭だったわけですが、ブラバンの8曲に、教員バンドの6曲が加わって、全部覚えるのはなかなかきつい状況でした。今回は、ヘンテコなラップを聞いたのを機会に、こだわりを捨ててみようと思いました。全部譜面を見ながらやることにしたのです。するとどうでしょう。特にロックバンドの方ですが、去年までは「ちゃんと覚えられてるかどうか」が最後まで心配のタネになっていたのが、伸び伸びとやれるではありませんか。逆に、覚えなくていいやと思いながら練習してたら、けっこう覚えちゃうもんですね。暗譜じゃなきゃロックじゃないという固定観念が、自分のクビを締めていたんですね。こだわりを捨てたことは、今回の結果的には正解でした。
こだわるべき場面と、こだわりを捨てるべき場面があるので、今一度自分の生活を点検してみて、不要なこだわりを破棄してみてはいかが。ただ、あまりにも次々とこだわりを捨てると、一貫性の無い人と思われてしまうので、難しいところです。
9月13日 官官接待
新学期最初の職員会議で、またもや延々と続く服務上の注意・・・。「勤務時間を守れ」「飲酒運転は即免職」など、まあ社会人としての常識みたいなことですが、最近特に増加しているのが、以前にも紹介した「汚職」に関するものですね。ところで一昔前、「官官接待」という言葉が流行ったことがあります。接待というと、普通は民間の業者が何らかの権限を持った役人を接待して、自分の会社に有利に取り計らってもらうためのものでしょう。明らかに賄賂性があるから、悪いことは一目瞭然です。しかし、役人が役人を接待する「官官接待」は、何のためにやるのでしょう。私はそのへんが全然理解できなかったのですが、数年前に自分自身「官官接待」を受けてみて、ようやく納得することができました。
それは某市の音楽祭の反省会でした。音楽祭は市内の小中高ほとんどすべての音楽系クラブが参加して、それは盛大に行われています。さて反省会の行われる場所へ行ってみると、ビールやお寿司がたくさん用意されているではありませんか。酔っ払って会議にならないんじゃないかなあ・・・なんて心配してましたが、どうやらコンサートの出来を真面目に討議するつもりなど、最初から無かったようです。市の職員の方々が、思いっきり低姿勢で「先生方、どうぞどうぞ」とお酒をついで回ります。自分たちのコンサートを、全面的にバックアップしてくれた職員の方々に、こっちがついで回るなら解りますが、なんでこんなに良くしてもらえるんだろう?と、しばらく考えているうちに、何となくピンと来ました。音楽祭は日曜日を丸一日使って行われます。顧問の先生方には、休日出勤を強いることになりますが、先生たちの場合は、厳しい業界と違って「休日出勤なんてイヤだから、うちの学校は参加しないよ」という主張が通ります。おそらく、このイベントを担当するハメになった社会教育課には、市長さんあたりから「全部の学校を巻き込んで盛大にやれ」という至上命令が下っていたのでしょう。担当職員の方々は、「来年はもうイヤ」という先生が増えることを、何よりも恐れていたに違いありません。
この時の接待は、悪いことでしょうか。休日出勤までして子供たちのステージを作った先生たちに、「ご苦労様。来年もよろしく」という気持をこめて、税金でお寿司ごちそうするくらい、別にいいですよねえ。こういった「活動の潤滑油」が次々廃止されると、世の中ぎすぎすしそうでイヤですね。でも音楽クラブ顧問の接待に限って言えば、やっぱり税金の無駄遣いかもしれません。この人種は、市のお膳立てや接待が無くても、勝手にコンサートを企画しちゃいたい人々が多いですからな。
9月 7日 デジャビュ?
デジャビュって、初めて通った場所なのに、前にも通ったことがあるような気がするとか、そういうことを言うんですよね。ここ最近、部活の指導をしながら、デジャビュの嵐に遭遇しています。言葉のやり取りや場面場面が、何年か前に経験したシーンとピタリ一致するのです! 昨日は、クラリネットの女の子を音楽室の外で特訓した後、みんなのいる部屋へ戻す時に、ハンカチで目元を押さえながら入るように指示しました。彼女は言われた通り、迫真の演技で泣きながら音楽室へ入室。予想通り、大勢が彼女の元へ駆け寄り心配そうに声をかけます。その後から私が、「次は誰の番だ? ところでみんな、廊下を歩く時に転ばないようにな。涙で滑りやすくなっとるからな。うわっはっは・・・。」 これを聞いて、みんながぞ〜っとした頃、泣いてたはずの彼女が笑いをこらえきれず吹き出して、ちょっとしたイタズラは終了。そしてちょうどこの演技のクライマックスの頃、私はハッとしたのです。このシーン、絶対に見た覚えがある・・・。
驚いてはいけません。これはデジャビュとは違います。私は本当に前にも同じシーンを見ていました。しかし、舞台と登場人物が異なります。がっかりさせて申し訳ありませんが、以前に見た同じシーンは、5〜6年前に秋留台のブラバンででした。思い出したのですが、あの時もクラリネットの子で、とてもいい演技でした。ただ、私の決めのセリフが違ってて、「みんな何か飲んどけよ。涙出すぎて水分が不足するといかんからな。は〜っはっは」だったと思います。さて、何週間か前のことですが、自由合奏(部員が好きな曲をリクエストしながら、次々合奏する)の日に、次に何の曲をやるかがなかなか決まらなくて、誰かが「曲名書いたルーレット作っとこうか」と言いました。これにもビックリしました。秋留台では実際にルーレットを使っていたのです。他にも挙げればキリがありません。秋留台で起きたことが、今そっくりそのまま登場人物を東高生に変えて起き始めているのは、何とも言いようの無い不思議です。部活の指導者が転勤すると、転勤した先の部活の雰囲気が、いつの間にかその先生の前任校そっくりになる、というのはよくあることですが、これほど似るものなんですね。私自身が成長してないってことなんでしょうか。
8月30日 遊び半分
今日は、お隣の学校の先生と生徒さんたちを迎えての合同練習でした。うちの部の遊び半分の雰囲気を見て、どう思われたか心配です。うちの生徒たちが悪いのでは決して無く、あくまで指導する側が遊び半分なのが問題です。もちろん、やる時は妥協なくビシビシ行きますが、それは数えるほど。通常は集合時間も決めず、気が向いたら楽器を吹き、飽きたら休憩の繰り返し。もちろんある信念に基づいてやってますから、そんな雰囲気の中でも、急激に上達する生徒は少なくありません。私自らいろんな楽器で合奏に入り、部員たちの目標となるプレイを見せ付け、それに追いつき追い越そうという気持になった者は、放っておいても猛練習するようになるのです。ほ〜っほっほっほ。だいたい私は、何事も腹八分目がモットーで、余裕の無いところにいいものは生まれないと思っています。常に全力疾走してたら、バテるのも早いし、視野が狭くなってしまう危険があるのです。
2〜3日前、打楽器の生徒たちと、ドラムの教則ビデオを見ながら、デイブ・ウエックルというドラマーの話になりました。けっこう真剣に話をしていたのですが、私はつい「デイブ・ウエックルの反対語は?」と質問してしまいました。皆さんもご一緒にお考え下さい。正解は「デイブ・下っくる」ですが、別解として「デイブ・ウエッ来ない」と「痩せ・ウエックル」があります。しばしこの問題で盛り上がると、生徒はもっとドラムの話が聞きたい様子になったので、本題に戻りました。付け加えると、「デイブ・下っ来ない」は二重否定みたいになるから、「デイブ・ウエックル」と同義語になるわけで、ここらへんまで発展すれば、まず間違いなくわけがわからなくなり、必然的に本題に戻ろうという雰囲気になります。今日の最終ミーティングでは、文化祭でたくさんお客さんを呼ぼう!という話をしていましたが、ついついまた話が発展してしまいました。「音楽室が超満員になったら、ソロを吹き終わった後、客席にダイブできるぞ」なんてことを誰か(?)が言い出し、「先生もサックス持ってダイブしますか?」なんて訊いてくるやつがいるもんだから、「オレはソロ吹き終わった後、口から火を吹く」なんて答えねばなりません。
まあこういうやりとりは、時間のムダと言っちゃえばそれまでですが、気持の余裕という面で重要です。幸い、うちのもう一人の顧問の先生も、こういう意味不明の会話を非常に得意とされているので、これからもうちの生徒たちは、「早く話を本題に戻そう」と努力してくれることでしょう。いよいよ秋の演奏会シーズン、2学期の到来ですな。
8月24日 立体交差
秋葉原という地名が気になりだしたのは、パソコンや電子パーツをあさりに出かけるよりずうっと昔、まだ幼稚園生の頃でした。実家の壁に貼ってあった鉄道路線図の中に、ただ1箇所だけ、不思議な図形を発見していたのです。立川、八王子のように、1つの駅から複数の線が分岐してゆくところまでは納得できるのですが、秋葉原という駅だけは分岐でなく、明らかに電車同士が衝突する形になっているのです。母に尋ねてみて、私は初めて「電車どうしの立体交差」の存在を知りました。電車の上を電車が横切る・・・。そんな衝撃的な事実を知った私の積み木遊びは、来る日も来る日も秋葉原駅の建設に終始するのでした。今でも私の意識の中で秋葉原は、電気街よりも「立体交差の駅」というイメージが、不思議と強いのです。考えてみれば、明大前、下北沢、旗の台なんかも同じ形ですけど、当時の私は国鉄(現JR)だけが鉄道だと思っていたようです。立体交差の最大の醍醐味は、交差している点をちょうどいいタイミングで上と下を同時に電車が走る瞬間ですね。こういう瞬間が無いのなら、何も立体にしなくたっていいわけですから、ちょうどシンクロした瞬間こそ、立体を設計し創り上げた人々の苦労が報われるのです。ううん、すばらしい。その光景を見るたびにうっとりしています(怪)。
立体交差に寄せる思いが人一倍強い、そんな私が車の運転を始めると案の定、電車の下をくぐる瞬間が気になりだしました。中央線みたいに、しょっちゅう来てるやつはどうでもいいのですが、八高線とかだと閉まってる踏切りに遭遇することさえ滅多にありません。新奥多摩バイパスの昭島市大神町に、八高線の下をくぐる箇所があります。ここを走る時に、ちょうど頭の上を「ぐぉーっ」と八高線が通過する確率は、恐ろしく低いはずです。昔は毎日朝夕、今でも週1回は必ず通る場所ですが、八高線を見かけたのはたったの3回。私はこれを幸運の印と勝手に決めました。関越自動車道の本庄児玉付近では、上越新幹線の下をくぐっています。新幹線はあっという間に走り去るし、こっちだって高速道路ですから、これも滅多に出会えない条件でしょう。私は、この地点で電車と会えたら、「その瞬間に願い事を叫ぶと叶う」と勝手に決め、これは何人かの人が信じて実行しています。昨年の夏に、初めて北陸自動車道を走りましたが、すごい立体交差を見つけました。富山IC付近は、富山空港のすぐ近くなので、運がいいと、旅客機が頭の上をかすめるかのように通過するのが見えるらしい・・・。飛行機に見とれてるうちに事故を起こす車があるらしく、「航空機通過。ワキ見注意」という看板があります。ワキ見するなと言われても、私はワキ見する気満々だし、するに決まってます。今までにこの場所を3往復、計6回チャンスがあったわけですが、飛行機とは一度も遭遇していません。これは不運ではなく、きっと幸運ですね。家族旅行、無事行ってまいりました。
8月14日 久々の吹奏楽コンクール
いやあ、この季節、世の高校生は勝負に燃えておりますな。とは言っても、それは部活をがんばっている高校生に限った話で、そんな世界に無縁で、バイトと遊びオンリーの高校生も多数おりますが、もったいない話でございます。さて私も今年は、第G商業とご縁ができて、吹奏楽コンクールの舞台に立つ機会を得ましたが、久しぶりに行ってみて、ますますコンクールへの思いは複雑です。12日も東京都A組は数々の名演が飛び出しました。たまたまS価高校、F村女子、T海大高輪などを聴けたのですが、もうコンクールなんてどっかすっ飛んで忘れちゃうくらい良かったです。中でもF村女子が演奏した自由曲って、たぶん新作だと思うんですが、ブラバンてこんなカッコイイ演奏できるのかぁ・・・と、あまりの感動にしばし呆然。こんな素敵なコンサートが入場料1000円なら、絶対お得ですよ。手抜き演奏してる時のプロよりも、必死にやってる分、聴き応えありますからね。満席になるわけだ。そして、演奏が良ければ良いほど、これに順位をつけることに、どんな意味があるのかなあ、と首をかしげてしまうのです。講評してくれる審査員がいてもいいですけど、「私は○○高校の、こんなところが気に入った」みたいに、勝手に好みを話してくれるだけで十分でしょう。どこが勝ちでどこが負けって決めるのは、ムリなんじゃないですかねえ。もちろん、あれほどいい演奏になるのは、「勝つため」という目標があるから、という面は間違いなくあります。でもねえ、やっぱり音楽は野球とは違うんですよ。野球では、試合に勝つことは本質的な目的ですが、音楽には元々試合と言うものはありません。(バンドが採用する人を決めるオーディションとかはありますけど) だから、発足したてのブラバンが、練習の動機付けとしてコンクールを利用するのは、たいへん結構なことですが、あんなプロみたいな演奏ができるようになったら、その中で何が何でも一番じゃなくたって・・・て思う私は、やっぱりアマちゃんですかね。
コンクール翌日の13日から、うちの学校の練習が再開。コンクールのまん真中から、いきなりコンクールと無縁の世界に戻って、何かちょっと不思議な感覚でした。お盆の期間は自由練習であるにもかかわらず、殆どが出席。自由だから遊んでたって構わないのに、みんな練習してて、ついに合奏まで始まっちゃったから、もう通常の活動と同じです。コンクールがあっても無くても、やることは同じ。お客様に喜んでもらえる演奏をして、こっちも楽しむ!さあ明日もあさっても練習だ〜。
8月 6日 汚職!?
「ストップ・ザ・汚職」なんて書かれたパンフレットが、職員室の机に乗ってるので、「政治家の汚職をやめさせよう」という趣旨の野党ビラかな?と思ったら、なんと我々下っ端公務員に対してのモノなので驚きました。それと並行して、学期ごとに「チェックリスト」が配られるようになり、提出が義務付けられてはいないようですが、普段の自分の職務内容を点検してみようってわけです。チェックリストの中身は、汚職に関するものばかりではなく、例えば「学校の備品を自宅に持ち帰って使っていないか?」なんて質問があります。子供の運動会を撮影するのに、学校のビデオカメラを借りてく先生なんて、確かにいそうですねえ。逆の質問もありました。「個人の所有物を学校に持ち込んでいないか?」 これって、ほとんどの先生はアウトなんじゃないですかねえ。ノートパソコン、電気スタンド・・・そんなのもダメってことだとしたら、ですけど。これに関して、私は完璧にアウトです。でも、あれだけの量の楽器を、毎日持ち帰るってわけにも行きませんし、監査で指摘されたら開き直るしかありませんな。さあ、問題の「汚職」です。「業者や利害関係者から、金品を受け取っていないか?」 最近はまず無いといっていいでしょう。世間の目が厳しくなってるから、業者の方も「おみやげ」を控える傾向が強くなっています。しかし、今だから言えるけど、昔はけっこう貰いました。さすがに現金は無いですけど、いろんなモノをいただいてます。初めて中3の担任を持って、私立高校の説明会に参加した時ですが、帰り際に電卓を貰いました。そこの学校名が入っててダサいのですが、ちょうど電卓が必要だなあと思ってた時なので、助かりました。電卓以外に多いのは、置き時計とかボールペンだったと思います。ボールペンは、100円の使い捨てじゃなくて、何千円かしそうなやつです。その高級ボールペンをくれた学校は、帰り際でなく、説明会の開始時に「筆記用具を配布いたします」などと言って配ったので、場内がドッと笑いにつつまれました。珍しいモノとしては、杉並区のある学校で貰った「ドライヤー」です。なんでドライヤーにしたんだろう?誰のアイデアなんだろう?と、今だに気になっています。私のちょうど前に並んでたどっかの先生は、髪の毛がほとんど無い方だったので、帰宅して箱を開けたとき、さぞ気を悪くなさったことでしょう。その中学からは、きっといい生徒は受験しなかったでしょう。懇親会というのも、たくさん出席しましたが、ビール飲み放題メロン食い放題。いやあ楽しい時代でしたねえ。でも、こんなの汚職として摘発されたらたまりませんな。ロッキード事件はあの当時5億でしょ?今でも似たり寄ったりのことやってる政治家が多いですよね。そういうお上から、「ストップ・ザ・汚職」なんてお達しが来ても、説得力ゼロですな。
7月29日 なぞなぞ
先週だったかの日曜日の朝、弦太がテレビをつけてハリケンジャーを見始めます。テレビは私の枕もとから50cmくらいの所にあり、ハリケンジャーが始まるのは7時30分・・・こっちは寝坊する気満々なのに、寝ようとしても変なセリフが聞こえてきてしまいます。これを拷問といわずして何というのでしょう。郁恵さんはなぜ寝てられるのか不思議。ちょうどその日のストーリーは、悪役が人質を取ったか何かで、なぞなぞに正解したら解放してやるとか言ってるのです。問題は「パパがいやがる食べ物な〜んだ?」 正義の味方ハリケンジャーは、当然の如く「パパイヤ」と答えましたが、なんとこれが「ぶぶ〜っ」 正解は「パパによって違う」で、「ううっ、しまった」と悔しがるハリケンジャーたち。ここまで聞いてて、私はもう笑いが止まらなくなり完全起床。弦太と一緒に続きを見ましたが、なぞなぞはもう終わりでした。
なぞなぞって、子供向けだと思われがちですが、結構奥が深いですよね。本屋でなぞなぞの本を見ると、つい買っちゃったりします。私が好きなのは、大人向け(?)なぞなぞと、今回のような引っ掛けなぞなぞです。引っ掛けで他に有名なものとしては、こんなのがあります。問(1)黄色と黒のしましま模様で、電車が来るのを教えてくれるものな〜んだ? 問(2)皮をむいてゆくと涙が出てくる食べ物な〜んだ? さて皆さんもご一緒にお考え下さい。なぞなぞは言葉の遊びというか、一種のパズルなので、解くのもさることながら作るのも面白いです。芸術に分類されるかどうかわかりませんが、人々をあっと驚かせ、その後「う〜ん」とうならせるなぞなぞを作りたいものですねえ。私がぼ〜っとしてるように見える時、例えば電車で吊革につかまってる時(乱視がひどくなるので読書はしない)などは、たいていなぞなぞを考えてることが多いくらいです。余談ですが、最近は日本語ラップの歌詞を考えることも多くなりました。意表をついた韻の踏み方を発見するのが、なかなか楽しいので、ヒマつぶしが苦手な方、是非挑戦してみてはいかがでしょう。
最後になりましたが、正解発表。問(1)線路の近くに住んでいる親切な虎 問(2)1万円で買わされたバナナ 説明するまでもありませんが、以上の答えを解答者が最初に言った場合は、問(1)遮断機 問(2)玉ネギ の方が正解になり、「君、考えすぎだよ。ほ〜っほっほ」という展開になるわけです。夏休み中に何問作れるかわかりませんが、がんばります。
7月24日 「千と千尋」評
「千と千尋の神隠し」メドレーのSax5重奏版、金管5重奏版、管7重奏版を書いて、5月の演奏会では大編成版を指揮した私が、映画そのものを見たことがありませんでした。実際のストーリーを知らなくて、よく指揮ができるもんだなあ、と我ながら不思議ですが、音楽だけを見て新たにイメージを創造する方が楽しい場合もあります。なぜ見てなかったかというと、単に忙しくて見にいけなかっただけです。郁恵さんはとっくの昔に見に行ってて、えらく感動し、最近ビデオまで買ってきて、私にも見ることを強要しました。おかげさまで、今週になってようやく見ることができたのですが、これウワサ通りの凄い映画ですね。良かったとかいう以前に、かなりショックでした。ひと通り見終わったところで、頭の中が少々「?」になります。特に私の場合、「オチ」とか「教訓」を探すタイプなので、ますます困ります。「一連の出来事は夢だったってこと?」「これはラブストーリー?」「現代社会への警鐘?」・・・特にあの「顔ナシ」というキャラクターは、何だったのでしょう?
「トンネルを抜けると、不思議な世界がある」って、幼い頃思ってたことありませんか。トンネルではないんですが、私の育った多摩平団地の北側に、私達子供を寄せ付けないような、恐ろしく長くて高い塀がそびえ立ってました。壁のむこうに、冷たい感じの建物の頭だけが見えています。しかも夕立が来るたびに、不思議とその塀の内側に落雷するので、いつしか私達は、そこは魔物の住み家に違いない、と思うようになりました。そこは今も存在する「コニカ」の工場です。また、団地の西側1kmの位置には、きれいな白い建物が見えました。それも何かの工場だったはずですが、私たちは勝手にその建物を、近未来都市の玄関口と決め付けていました。小学校に上がる前の私達だけで、その場所まで探検に行くのは勇気が要りましたが、ある日曜日の朝、探検は敢行されました。白い建物の反対側には、養鶏場でたくさんのニワトリが鳴いている姿があるだけでした。こうして私達のたくましい想像はひとつひとつ壊されて大人になるのですが、「千と千尋」はそんな私たちの、壊された世界を修復してくれるかのような映画なのです。現代音楽のように自由に展開する中で、しっかりと人間の内面的な部分を捕らえているんですね。芸術はまだまだ進歩するんだなあ、なんて思いました。絶賛!
7月19日 続・ユーモアのセンス
何人かで車に乗ってる時に、よく「ここの店はおいしいんだ」とか、窓の外を見ながら解説してくれるドライバーがいます。実は私もその解説魔の一人ですが、必然的な流れとして、「へ〜、この辺よく来るの?」なんて会話になりますよね。これに対する返事として、「もう何百回通ったかわからんよ。目をつぶってたって走れらあ」と言ってみます。この時、「そりゃあすげえや」と軽く流してくれればいいんですが、なななんと、「目をつぶってたらぶつからないの?」と真面目に聞き返されることがあるのです。初めてこの反応に出会った時は衝撃的でしたが、もしやこういう人は、案外少なくないのでは・・・と思い、度々試してます。しかし、冗談が通じない人というのは、徹底的に通じませんな。
以前、冗談交じりの軽〜い会話を受け付けない人を、敵に回してしまったことがあります。それは職場旅行のバスの中でなんですけど、私はそういう時、必ず前の方に座ってマイクを持って、ガイドさんの代わりに喋っています。「乗客がトイレに行きたいと申し出た場合、運転士はすぐに停車させる義務があるんです。そういう法律あるの知ってました?」「ええ〜っ、知らない」「うんこ〜妨害という罪で罰せられます」「なあ〜んだ」「しっこ〜妨害もあるよ」「わっはっは」なんてやってるんですが、いちいち本気にしてた一人の先生が「くだらん」とかマジギレしちゃったのです。しかし、その他全員の先生が私の味方になって、怒った先生を一斉に攻撃してくれました。酔っ払ってるから言葉もキツイです。「くだらねえとは何だ!お前も一つくらい面白いこと言ってみろ!直井とギャグ対決やれ!」「よーし、わかった。」 というわけで、車内は大盛り上がりになりました。先攻の私「天体顕微鏡」「陰ひなたの無い太陽」「猫背の犬」・・・単発ギャグのスタンダードで笑いを取ります。対する彼「山奥の火力発電所」一同「・・・・・」 誰かが恐る恐る「どういうオチなのかわからないんだけど」と尋ねました。彼は「火力発電所は海の近く、水力発電所は山奥に分布していることくらい、中1だって知ってるぞ。だから、山奥の火力発電所というのはオカシイことなんだ」と怒りながら力説するのです。「おもしろくね〜んだっつうの」「お前降りろ」とかメチャクチャ言われて可哀想でしたが、むこうが仕掛けたケンカだからしょうがないし、本人も酔ってて全然覚えてないそうなので、楽しい旅行の1コマとして、「山奥の火力発電所」は今でも語り継がれているようです。今の職場は、非常に多くのギャグが飛び交う環境なので、いつ対決に巻き込まれてもいいように、十分な備えをしておこうと思います。
7月15日 ユーモアのセンス
会話の中に常に人を笑わせる要素を持ってる人っていますよね。これを狙って実行できる人と、本人は大真面目に話してるつもりなのに、なぜかウケてしまう、いわゆる「天然ボケ」があります。そして自分では言わないが、他人のギャグにはすぐ反応して笑ってくれる人と、そういうものを一切受け付けない、「あいつは冗談が通じないから気をつけろ」といわれる要注意人物・・・。まあ、こんな感じでおおよそ4種類の人種がいるわけです。ミュージシャンには、不思議とこの中の第1のタイプが多いのです。ライブの時に楽屋なんかにいると、よくまあ次々とこんな面白いことが言えるなあ、と感心してしまいます。人を楽しませる職業ですから、本番ではない時間にも、常にそういう姿勢でいるせいだからかなあ、なんて思います。私もよく面白い人と言われますが、天然ボケではなく、あくまで狙っております。ユーモアのある人は頭がいいと思われがちですが、私に言わせれば膨大なギャグの在庫を、いつでも発射できる状態でスタンバイしてるだけで、その労力だけは敬意を表するに値します。
最近うちの近所のカメラ屋さんで、現像を頼むと単3電池のつかみ取りに1回挑戦できるサービスがありました。店のおばさんが応援してくれるので、「オレ、つかみ取りは自信ありますよ。カミソリの刃なんか、100枚くらいつかめたもんね」なんて答えます。このネタは、とっさに考えついたものではありません。私が中学生の時にラジオの深夜放送でやってたネタで、記憶にしっかり刻み込まれているため、25年の歳月を経てたまたま遭遇した「つかみ取り」の場でも瞬間的に撃てるのです。車のエアバッグみたいなもんですね。残念だったのは、おばさんが笑ってくれず、「そんな危ないのもあるの?手は切れなかったの?」と真顔で心配しちゃったことですね。冗談だということを力説し終えて単3電池を山ほどつかんだ私は、再び「昔、UFOキャッチャーの中に入ってバイトしてたんですよ」なんて言ってみましたが、空砲に終わったのは言うまでもありません。相手のペースに合わせるということが、自分はまだまだ未熟だなあ、と反省させられる出来事でした。
7月 7日 ハリケンジャー
「今日は何の日じゃ?」と問う宇宙人。会場を埋め尽くす子供たちが、一斉に声を揃えて「た〜な〜ば〜た〜」と答えると、「うわ〜っはっはは。今日は我々の地球征服記念日になるのじゃぁぁぁ」。こんな事を言われても、恐がって泣きそうになる子がいないのは、正義の味方ハリケンジャーの登場が約束されているからです。こんな出だしで始まった、ハリケンジャーショー・・・。悪い悪い宇宙人は、今度は会場の子供を何人か捕まえると宣言します。「よ〜うし。ではターゲットを決める。まずは赤い服を子供にするか」 赤い服の子供たちに一斉に緊張が走ります。「いや、そこの肩ぐるまされた子供!」 場内が凍りつきます。しかし宇宙人は「落ちないように気をつけろよ」と付け加えただけだったので、会場がどっと笑いの渦に・・・。こんな悪役宇宙人リーダーの絶妙なトークが、大人も楽しませてくれるので、30分余りのショーは退屈することもなく、あっという間でした。こういう、大勢の人を惹きつける話術というのに遭遇すると、つい真剣に「参考にしよう」とか「ワザを盗もう」と思ってしまうのは、職業柄仕方がありません。今までにも、奈良薬師寺のお坊さん、マザー牧場の「子豚レース」、鴨川シーワールドの「アシカショー」、ハワイの観光バスのガイドさんなど、いろんな場所の案内役が、私の「プロ意識」を刺激してくれました。こういう人たちは、どんな研修を受けたり、練習を積んでいるのでしょう?
最近思うのは、やはりすべては慣れというか、経験ですね。私の想像ですけど、漫才師でも何でも、新しい台本でやる最初の本番は、きっと相手の反応が読めなくて、どーなることやらって要素はあるんじゃないでしょうか。何回かやってみて、こうすればこういう反応が
帰ってくる、というのがつかめれば、あとはリラックスして、場の雰囲気に合わせて進行できるのでしょう。さらにはベテランともなれば、新しい台本でも、ある程度は反応の予測がついたりするかもしれません。よく言われることですが、学校の教員だけが、相手の反応が悪くてもお構いなしに淡々と進行させ、場合によってはそれを聞き手の責任にしてしまうことさえ許されます。授業とショーは別物だと言われたらそれまでですが、私は同じだと思ってますので、これからも自分の芸人魂に磨きをかけたいですね。今日は日曜日だっていうのに、立派な研修をした気分でした。明日はひとつあの悪役の口調で行ってみたいところですが、残念ながら試験監督です。
7月 2日 落ち着きが無い子
今日はうちの子の通う幼稚園の園児全員が、交通安全指導ということで、高校のすぐ隣りの公園にやって来ました。4F西側にある私の実験室、及び準備室は、窓からその公園全体を見渡すことができます。幼稚園でどんな生活ぶりなのか、全く見る機会が無かったので、ちょっと興味津々で眺めてました。そしたら・・・。自分でこぐゴーカートみたいなのを、みんなが座って順番を待っているようなのに、うちの弦ブーだけが立って飛び跳ねているではありませんか! そう言えば先日の保育参観でも、しょっちゅう先生から注意されて、お母さんの立場としては「穴があったら入りたい心境」だったとの報告を受けております。いやあ参った参った・・・と同僚にグチをこぼしたら、「直井さんだって、小さい頃はきっと落ち着き無かったんでしょ? 大人になって落ち着けばいいじゃないですか」なんて、暖かい慰めのお言葉を頂戴いたしました。たしかに小さい頃いい子だったのが、高校デビュー・・・なんてなるよりはいいかな、と思います。でも、子供時代から大人になるまで、一貫して落ち着きが無い可能性もあるということに気付き、やっぱり心配です。
たしかに私自身、落ち着きの無い子でした。授業参観には、小2の時に母が来ましたが、「二度と行かない」と怒って、それ以来本当に来ませんでした。授業中のおしゃべりというか、私にしてみれば場を盛り上げる役目だったと、今でも思っているのですが、そのことで母がよく学校に呼び出されていました。ベテランの担任は、こういう子を落ち着かせるには読書が一番、という自説をお持ちで、私だけに「偉人伝を読む」という特別の宿題が課されました。「リンカーン」の伝記、という人物指定までされて、母が本屋に探しに行ったのですが、なぜかリンカーン以外に、そのシリーズの何冊かをまとめて買ってきました。野口英世、エジソン、キュリー夫人、豊臣秀吉などです。うちの母は、さすがに母だけあって、「このガキにリンカーンを読ませたって更正するわけない」ことを見通していたのです。で、興味持ちそうなのも合わせて買ったんですね。秀吉以外すべて科学系というのが特徴的ですが、この選択は的中し、リンカーンだけが苦痛で、あとは面白くて何回も読みました。その中でも、特にエジソンは衝撃的で、今の私があるのはこの本のおかげかも・・・なんて思います。 今日の話題から得られる教訓て何だろう? 悪ガキを更正させるのは、やっぱり親が子供を理解しろってことですかな。