今日の一言(2004年7〜12月分)

  職員朝礼での社長訓話集     一つ戻る  最新版へ戻る  

12月28日 ありえねぇ〜スクール・オブ・ロック

 っていう映画、ご存じですか?21日にうちの学校の鑑賞教室で観てきて、帰宅後その話をしたら、郁恵&弦太はとっくにレンタルして観てたとのこと。なかなか評判の映画らしいので、ちょっと評論しておきます。役者さんたちは、子役も含めて演技力があったし、演奏もまあまあで、全体としては楽しめるのですが、学校現場に勤務する者の目からは、日本の「金八先生」同様、荒唐無稽の固まり、という印象がありました。鑑賞教室が終わって学校に戻った先生方は、「ありえねぇ〜」という叫びで持ちきりでしたな。重箱の隅をつつくようで申し訳ないのですが、本業の先生たちの感想をいくつか紹介しましょう。(1)専任者がケガをした時、すぐに臨時教員を雇うだろうか?通常、その学校にいる他の先生たちでカバーし、入院が数ヶ月に及ぶ見通し・・・といった場合に臨時採用するもの。(2)指導方法について引継ぎがあるはず。本来の担任が作った掲示物を破り捨てるなど言語道断。(3)小学生くらいだと、学校での出来事を毎日親に報告する子も多い。初日に一切授業をやらなかった時点で、その事実は親に筒抜けとなり、クレーム殺到のはず。本来の勉強が遅れてしまうことを心配する子もいるだろうから、2週間に渡ってカリキュラムを全面的に逸脱し続けることは不可能。(4)授業時間帯にこっそり生徒を校外へ連れ出す。ううむ・・・私が小学生だった昔でさえ、せいぜい雪の日に校庭で雪合戦させてくれた程度でしたな。まあ、そんなこんなで、アメリカがいくらおおらかな国とはいっても、ここまでは「ありえねぇ〜」と思うわけです。ただ、我々が反省すべき点が無いわけではありません。「金八先生」や、この映画がウケるということは、こういう型破りな教師の出現を待ち望んでいる市民が多い証拠で、裏返せば我々に対する失望感でもあります。「金八先生」が実在したら、その学校はどうしようもない程に荒れる、と確信する私などは、いつのまにか型にはまってしまい、学校を楽しい学びの場にする工夫を怠ってるのかな、なんて一瞬考えさせられました。
「金八先生」が学校を荒れさせる、という持論は翻すつもりはありませんが、慣習や他校の動向にとらわれず、私たちなりに頑張らないと、次から次とこういう映画が作られ、それに感化された若者が教員になって、本当に授業すっぽかしてロック教えたりしちゃいそうなのが心配です。

12月14日 大局観

 というのは、囲碁将棋用語・・・でもないですが、部分よりも全体を見渡して、優先順位を判断する能力のことです。将棋元名人の中原誠さんは、対局中いつもきちんと正座して、背筋もシャキッと伸ばしているので、なんとお行儀の良い人だろう、と思っていたら、これには理由があったそうそうです。盤面に覆いかぶさるようにしていると、部分しか見えなくなってしまうから、なるべく盤全体を遠くから見るように心がけていたら、正座で背筋シャキッが一番良い角度だったとのお話。なるほど・・・ですな。この話を聞いてから、私は飲み会の席で正座でいることが多くなりました。「直井さん、足崩しなよ」とよく言われますが、料理全体を見渡して、バランス良く取ってゆく作戦上、正座は非常に有利ですな。
 作編曲作業も、和音を積んで行くときは、とりあえずその音符のある1拍分なり半拍分を見ています。どの瞬間にも、コードの構成音が一番カッコよく響く積み方を目指すのは、まあ当然。ところが、8小節くらいできあがったところで見回して見ると、いつの間にか全体の音域がだんだん上や下に向かってたり、クローズド(密集)だったのがスプレッド(展開)になってたり、統一感というか首尾一貫性に欠けてしまうことがあるのです。こうなると、いくら瞬間瞬間がいい音でも、通しで聴いいた時に違和感ありあり。プレイヤーからも「なんだか吹きにくい」という漠然とした苦情が発生します。で、結局その8小節全体に渡って、壮大な修正作業が必要となります。パソコンで作ってるのがまだ救いで、うちのマンションみたいに大規模改修工事くらいで済みますが、手書きだったらうちの実家(築45年の公団住宅)みたいに完全にぶっ壊して建て直すところ。こうした二度手間を避けるためには、やはり最初から8小節先までの見通しを持って書き始めるしかありません。しかしさらに苦難は続く。メドレーものとかの場合、ある曲には気合いが感じられて、別の曲はどう見てもヤッツケ仕事・・・という、アンバランスな出来になることがあって、これも工事の対象ですな。国立のマンションみたいに、7階から上を切り取れ!くらいの工事になることもあります。結論。効率よく作業するコツは、モーツアルトみたいに、全部を頭の中で完全に組み上げておくか、中原名人みたいに、書きながら常に全体を見渡しているか、です。私の場合は、この両方を使い分けてます。自分の好きな曲は、頭の中で作ってから一気に書き、頼まれたりして、得意分野とは言えないような曲をやる時は、まず書き始めちゃうことにしています。正座でやってみるかな・・・。

12月 5日 経験ポイント

 ドラクエというゲーム・・・私はついに熱中することなく終わりました。スライムベスというのをやっつける所までは、難なく進んだのですが、次に登場するドラキーにどうしても負けてしまい、勝てる見込みすら無いので、何というつまらないゲームなのだろうと思い、その先はやっていません。その話を何年か経ってから数人の人にしたところ、あっけにとられたような顔で「経験ポイントを積めば勝てるんだよ」と言われました。経験ポイントという言葉は、その時初めて聞きました。経験を積むほど上手くなり強くなる、というのはドラクエに限ったことではなく、スーパーマリオだって、最初のうちは1個目のモンスターを飛び損ねたりしますが、経験を積めば要領が解ってきます。ドラクエの経験ポイントは、単にそれを数値化、システム化したところが画期的なのかな、と思ったりしました。
 音楽分野の編曲業、コピー業は、1つ仕事をこなすたびに、明らかに経験ポイントが増加します。普通、自分の実力以上のことにチャレンジすると強くなれて、それはもちろん当然のことなのですが、大楽勝の仕事でも、やれば必ずその後の仕事に役に立つ、という印象を持っています。この理由ははっきりしていて、要するに音楽ジャンルの幅が広がるんですね。音を聞き分ける作業だけなら簡単でつまらなくても、今まで聴いたことない曲に触れるので、編曲技法の幅が広がったりします。最近、弾き語り用ピアノ伴奏譜作りをやったのですが(依頼主は郁恵副社長・・・社員割引きで1曲250円)、アイコと平井堅では、同じバラード系の曲でも、ずいぶん伴奏のパターンが違うんですね。アイコのライブ版では、本当に弾き語りしてるから、伴奏は非常に易しいですが、堅のは誰か上手い人が弾いてるらしく、難しめだけどカッコイイ。これらを丸コピする経験を通じて、私の頭の中には、弾き語り向きの平易な伴奏形と、専属伴奏者向けの難しいパターンの2種類が形成されます。こうして確実に1頁増えた頭の中の辞書は、依頼主のニーズによって、書き方を使い分けたり、自分で弾くときの基本パターンとして、大いに威力を発揮するのです。それに較べると不思議なことですが、実際の演奏活動の方では、経験ポイントの増加があるにはあるのでしょうが、コピー&編曲ほどには強く感じません。音楽分野の勉強は、練習と同等かそれ以上に、「聴く」ということが重要だと思います。学校の先生業はどうかと言うと、これまさしく経験ポイントのみの世界と言ってもいいくらいだな。毎年同じ事繰り返してても、経験ポイントは上がらないです。全日制普通科の高校だけに何十年も居座る先生がいるのはどうかと・・・。いろんなタイプの学校を回らせる、という人事上の制度は良いことだと思いますな。

11月29日 無冠の帝王

 一昨日の武蔵丘高校吹奏楽部・秋の特別演奏会は、曲目、出演者、運営方法・・・どれ一つとってみても特異な存在であることは間違いありません。ごく普通の高校の吹奏楽部が、人数も特別不足してるわけでもないのに、部員数以上のエキストラを入れ、その中にはプロ級の人が多かったり、本物のプロまでいたりして、ノーギャラどころか全員平等に参加費千円払ってる・・・。隣に座って吹けるだけで光栄・・・みたいな方々とタダで共演できて、通常あり得ないような大曲続きのプログラムを演奏できるわけだから、当然生徒は大喜び、お客さんも大喜び(かどうかは不明)。出演者数が増加の一途なのは事実です。この学校は、3年前からはコンクールに出ることもやめてしまい、夏休みいっぱいこの演奏会に向けて練習しています。他の学校が、なぜこういう演奏会を企画しないのかの方が、むしろ不思議なくらいですが、まあ仕方ないでしょう。秋の演奏会をやっても、部が全国的に有名にならないし、校内でさえ注目される材料ではありません。コンクールだったら、地区大会C組の銅賞でも、とりあえず朝礼台で表彰だけはありますから、「うちの吹奏楽部すごいね」って話になっちゃいます。全国大会にでも出ようもんなら、2000人のホールで入場料とって2回公演やっても、まず満席間違いないでしょう。何の世界でもそうですが、大多数の人々は門外漢であって、その門外漢に解りやすいのが、ある権威によって与えられたお墨付きなのですね。
 そういう肩書き、戦績が無いのにすごく強い、無冠の帝王みたいな、伝説になりそうなタイプの人がたまにいます。羽生竜王より将棋の強い人が、どうやら日本にはいるらしい。聞いた話では、やくざの一種で、賭け将棋で生計を立てている人らしいです。本当だとしたら、何ともかっこいい話ではあ〜りませんか。私は最近、根性がねじ曲がってきたのか、アウトロー気質が強くなってきて、権威主義のにおいを感じると、拒否反応を示すようになりました。資格や級みたいなのも、嫌いになりつつあります。
 秋の演奏会の打ち上げでは、さっそく来年は何の曲やろうか、なんて話をしてました。私自身の中長期的な目標としては、コンクールの権威に依らずに、この演奏会を全国区に、つまり他県からわざわざ見に来てくれるようなものにしたいですね。これってビッグマウスですかね?やっぱそうですよね。でもマジです。

11月20日 氷山の水面下

 阪神タイガースが誇る代打の神様、八木選手が、引退に際して一番多く受けた質問が「1試合1振りの仕事なんだから、もうあと何年か出来ないんですか?」というやつ。これに対する八木選手の回答・・・「1振りは氷山の一角で、そこで結果を出すための膨大な練習が必要なんです。気力体力が衰え、その練習が不足するようになれば、当然結果も出ない」 素人の我々を納得させる、非常に明快な説明です。氷山の一角という言葉は、指揮者の岩城宏之さんも使ってらっしゃいます。「指揮棒を振るのは、指揮者の仕事の氷山の一角に過ぎない」 きっと何事もそうなのでしょう。その道の素人というのは、氷山の一角だけを見て、あの仕事は楽そうだとか思っているわけです。さて、学校の先生の場合はどうなんでしょう。他の先生はどうだか知りませんが、私の場合、授業だけに限っても、生徒や保護者の目に触れている部分は、たしかに氷山の一角です。誰かが、「1時間授業をやるためには、2時間の準備が必要」なんて言ってましたが、これは本当かどうか不明。時間で測れるものじゃないと思います。
 私が1時間(50分)の授業を組み立てる時、最初の10分はこうして、次の10分はああして、なんて順番ではなく、まず中心に据えるネタを決めます。それはあっと驚く演示実験だったり、意外性のある問題だったり、生活に即役立つことだったり、いろいろ。10個位の候補から2〜3個に絞り、どれをメインに置いてどれをサブ的に使うかを考える。それが決まれば、1時間の筋書きは必然的に決まります。ネタを集めるのは、ネタ本をあさったり、最近ではインターネットが強力な武器になりますが、面白そうな実験でも、自分の学校に器具が揃っているとは限らないし、揃ってたとしても、ネタ本通りの結果にならないことも多いです。というわけで、物理室にこもって実際にやってみる、または代用品を探したり組み立てたりする。結局上手く行かなかった時は、残念ながらその候補ネタは捨て、次候補をやってみる。この作業だけでも、夜遅くまでかかったり休日出勤で腰を据えてやることが多い。ネタが決まったら次は演出。どういう順番で、どういう問題の出し方をするか、ですね。これはひたすら頭の中で組み立てます。道を歩きながら、風呂に入りながら、寝床で、等。新ネタを投入する時などは、演出パターンをいくつも考えてから絞り込むので、特に多くの時間を費やします。こうして見ると、私が教室で演じている内容とは、私が考えたことのほんの数%でしかありません。
 先生の仕事はスポーツ選手とは違うので、引退せず生ける屍のように仕事を続けることも可能ですが(実際たくさんいる)、「氷山の水面下部分」が面倒くさくなってきたら、キッパリ引退すべきですな。なんて言ってる自分が、数年後にはヤバかったりして・・・。

11月15日 スペシャリスト

 職員室のメールボックスに、面白いパンフが入ってて、その中の「授業力スペシャリスト」(じゅぎょうりょくすぺしゃりすと)という言葉が、ひときわ目を引いたので、ついつい読みふけってしまいました。これ、何のことかと思ったら、「校長教頭という、いわゆる先生の出世街道には乗らないけど、授業がすごく上手くて、若い先生たちに授業のノウハウを指導できる人」に与える称号だそうです。そういう人を集めて、東京教師塾というのを設立するんだそうですな。なるほど、どの業界にもスペシャリストと呼ばれる人がいます。ノーベル賞の田中さんなんて、間違いなくその分類にあてはまる人でしょう。彼は、社長になってと言われても絶対に引き受けないで、研究を続けることを希望するはずです。さて、先生のスペシャリスト制度は、果たして上手く機能するのだろうか・・・。ついつい余計な心配をしたくなります。なぜなら、スペシャリストを自認する私自身が、もしもそういう立場になることを要求されたら、絶対に引き受けないと思うからです。理由は大きく分けて2つ。理科嫌いの生徒に勉強を教えて目覚めさせるのが私の仕事で、今私がやってる事は私にしかできないから、大人の面倒なんか見るヒマ無い。もう一つは、教師塾の効果について。そこへ入ると本当に指導力がアップするとしたら、先生の仕事ってずいぶん簡単で、ほとんど誰にでもできそうなレベルだな。校内研修にしてもしかり。教員として栄養を貰えるのは、表面的、一時的な研修の場じゃないんだよな。飲み会とか、タバコ部屋の雑談とか、そういう日々絶え間ない研鑽の場を通して、我々は成長するのですよ。というわけで、この計画は破綻するでしょう。スペシャリストと奉られて得意になって出てくる人の中には、多数のニセ者が混じると思われます。スペシャリストってプライド高いですから、本物のスペシャリストほど、「うるせぇ!オレの仕事させろ!」って感じで、余計な肩書きや称号は嫌うものなのです。本物である私が言うんだから間違いない。ほ〜っほっほっほっ・・・。
 だいたい、こういう計画が出てくること自体が最高に不思議。今までも、先生たちを指導するのがお仕事の、「指導主事」という立派な職があったはずなんですけど・・・。あの方々は、役に立たないということで全員クビですかね?

11月 5日 金銀黒青緑橙黄白

 これを頭に叩き込むのに30分近くかかりました。家族で近所の回転寿司に行ったのですが、くら寿司やスシローみたいに全皿100円均一ではなく、ひと皿の値段がまちまちで、それが色で分けられていたのです。金は500円・・・うに、大トロなど。銀400円、黒300円。ここから先は黄色100円まで50円刻みで、最後の白は子供用のサビ抜きです。私の座った席からこの皿値段一覧表を見るには、いちいち後ろを振り返らなければならず、これは大変な苦労でした。回転寿司屋という場所は、ただでも目配りが忙しいものです。食べている最中でも、レーンに注意を向けておかないと、次に食べたい皿が通過してしまう。かと言って、ずーっと注視しているわけにもいかないから、ちらっちらっ位に見ます。高速道路運転中に、ミラーを見るくらいの感じ。それにプラス、値段を確認するという作業が加わるのだから、もう緊張の連続です。この時の脳内回路を説明すると、食べたい皿が来た→色は緑だ→緑はいくらだっけ→振り返って確認→200円だ→もう一度皿を見て、200円に見合うネタか判断→No!→見送り・・・という具合。郁恵さんも、非常にキッチリと色確認しながら食べていました。ゲンタは、いちいち値段を声に出していました。この1ヶ月間の節約生活で、すっかり貧乏性になったわけですが、お金の正しい使い方というのは、こういうものでしょう。1000円分以上の価値を1000円で買うのが上手な買い物。100円分の価値が無さそうなものに100円惜しむのはケチではありません。だから、レーン上の位置を刻一刻変える皿を目で追いながらも、瞬時にその価値判断をすべきなのは当然です。さあ、そうなると、この色ランキングには疑問が残ります。なぜもっとお客さんに解りやすい順番にならないのでしょう。金銀まではいいけれど、その先はどう考えてもすんなり頭に入る順番ではない。じゃあ代案はあるのか、と言われても、たしかに困る・・・。昔、小学校の時、クラスカラーというのがあって、1組は必ず赤でしたな。運動会の時も、1等賞の旗の色は赤でした。でも待てよ、水泳の級では赤線1本は8級(バタ足10m)だったな。1級は黒線2本でした。(昭和40年代・日野第六小学校限定の話です) こうしていろいろ考えて行くと、金銀以外の色の価値に差をつけるのは難しく、寿司屋の色順番は案外マシな着地点だったのかもしれません。でも私としては、いっそのこと皿にズバリ値段を印刷してくれた方がいいな。皆さんの感覚では、金銀の次に来る色は何ですか?いいアイデアがあったら、寿司屋に提案しようと思います。

10月28日 リフォームの匠

 とかいう人が登場して、古い家を見違えるようにリフォームしてしまう番組を、思わず見入ってしまいました。新築と較べて、元々ある家をリフォームする場合、住んでいる人の生活様式を、より考慮する必要があります。部屋に愛着もあるでしょうから、どんなに古くなっていても、ぶっ壊して真っさら状態にしてキンピカの建物にすればいいってわけではなく、以前の面影を残したりするわけです。「匠」と呼ばれる建築士が、そこらへんのアイデアを絞るところに、この番組の面白さがあったし、同時にリフォーム作業は、編曲業と非常に似ていました。作曲が新築ならば、編曲はリフォームでしょう。新築は建築法規さえクリアすれば、設計士の自由な発想で、思う存分腕を振るえます。まあ実際は、注文建築なら依頼主がいるし、建て売りならテキトーにやるらしい(?)から、完全に自由ではないでしょうが。一方編曲とは、演奏者の編成に合わせて設計する作業のことですが、それ以前にとにかく原曲というものが存在します。あまりにも改造し過ぎて、原曲のイメージとは似ても似つかない、まったく別の曲になってしまっても困るわけです。やはりその曲の「本質」を見失ってはいけません。だから、けっこう突飛な編曲をやる場合でも、絶対に活かさなければならないメロディか、対旋律か、伴奏形か、何かしらありますから、まず何を中心に据えるかを決めます。先日の番組では、広い牛舎と狭い居住スペースの家でしたが、私も建築士になったつもりで考えて、「この家の基本は牛舎だ。僕だったら牛舎を中心にリフォームの方針を立てるな・・・」と思ったら、「匠」が本当にそうやりだしたので、「おっ、僕と同じ感覚をしてるとは、さすが匠だな」と思いました。
 私自身、作曲より編曲の方が好きですが、嫌いな編曲(?)もあります。いわゆる単純トランスというタイプ。つまり「オーケストラのスコアを吹奏楽版に直せ。原曲に忠実にやってくれ」とかいうやつですな。忠実ですから、新しい音を書き足したりしたら反則なわけで、どの楽器を何に代用させるか、しかアイデアの余地がありません。「匠」だって、この場所にこれと同じ物建ててくれって言われても、ヤル気出ないでしょう。要するに単純作業に近いわけで、短時間で完成するのですが、あまり頭を使わないから、つまらないし出来も悪いです。こないだ試しにスコア見ないで、耳コピから始めた方が、よっぽどいいアレンジができた・・・。「本質」を活かしつつ、斬新なアイデアを織り込むのが楽しい創作活動。ううん・・・素晴らしい。

10月16日 引率道の極意

 廊下に展示した修学旅行のスナップ写真の周りには、休み時間毎にたくさんの生徒が群がっているのを見ると、十分楽しんでくれたことがわかり、企画した方としても嬉しいひとときです。教員もサービス業ですから、結婚式場のスタッフと同じで、我々にとっては何十回目でも、お客さんには最初で最後。いい思い出にしてもらうために、全力を尽くさねばなりません。前回は、ハイテク化による運営効率化を述べましたが、最終的な成功のカギは、やはり職人芸による部分が大きいと思っています。ここの読者層には、教員の皆様も多いようですので、今回は特別に「引率道」の極意を伝授いたしましょう。ほ〜っほっほっほ・・・。
 10月5日夜9時、1日目夜の室長ミーティングでの伝達事項・・・「翌朝の出発時刻を15分早めて7時45分とする」。室長は24人いました。さあ、翌朝ちゃんと来れるでしょうか。一つでも遅刻する班が発生すると、全体の出発が遅れ、その後の全行程に支障が出ます。ただ、この指示を徹底するのに、もうワンチャンスあります。翌日の朝食会場。みんなが食べ終わった頃を見計らって私自身が登壇し、マイクで連絡。「今朝は出発時刻が変更になっています。昨夜の室長会で伝えた通りでお願いします」 この私のセリフこそ、行事成功の決め手となる奥義の一つです。24部屋あれば、連絡が回ってない部屋の一つや二つあるでしょう。それを心配して、私があの場で「出発は7時45分」と言ってしまったら・・・もうこの行事は終わりでした。翌日から、室長会では誰もメモを取らなくなり、話も聞かなくなるでしょう。「なぁんだ、どうせ先生が言ってくれるじゃん」てわけですね。ところが、何も言わないと本当に遅刻してくる班が発生する可能性があります。だから「時間変更」・・・これだけ言えば、そんなの知らねぇぞ、という子たちが慌てだし、「室長に連絡済み」という発言によって、責任の所在がハッキリし、知らなかった生徒も確認ができます。で、翌日の室長会には、非常に良い緊張感が生まれ、その後の指示はすべて一発で通るようになります。結局、指示は多すぎても少なすぎてもダメで、生徒の状況を見ながら、常に「必要かつ十分」を把握してゆくのです。心配性の添乗員さんが出しゃばって余計な指示を出せば、やっぱりブチ壊しになりますし、バスガイドさんの出す指示も、教員のコントロール下に置かねばなりません。
 引率道を極めるには、何度も引率団に入って、先輩方と一緒に仕事をする実地訓練以外にありません。てゆ〜か、教員の仕事は全部昔ながらの職人芸で、親方の下で修行しながら技術を身につけるものだ、と私は思いますな。新採者を研修漬けにしてもムダムダムダ〜。20年研修もたぶんムダ〜、だと思うから行きたくない。机上のお勉強でいい先生作ろうなんて、発想そのものが甘過ぎると思うんですが、いかがざんしょ?

10月 8日 本部の今昔

 先ほど修学旅行引率から帰ってきたところです。11回目になる今回は、最も楽な引率でしたが、その原動力の一つが携帯電話です。だいたい修学旅行等で、生徒を自由行動させたり、クラス単位とか2派以上に分かれて行動する時の、相互の連絡方法というのは、一番の悩みのタネでした。班別自由行動では、何か困ったことがあった時、本部に連絡させます。本部には必ず誰かが待機していて、必要があれば事件現場に急行したり、巡回の先生は本部に定時連絡をします。そういった機能を考えると、本部は通常、行動範囲の中心付近に位置しているべきで、普通は宿泊先のホテルを本部にしますが、長崎の夜景自慢の宿みたいに、高台にあるホテルだったりすると、本部要員の交代が一苦労です。だから長崎ではたいていグラバー園の真ん前の、でかいカステラ屋さんの2階を1室借りてました。本部にはひっきりなしに、とまで行かずとも、けっこうな本数の電話がかかってきます。お店の人は、それをいちいち私たち教員に取り次がなくてはならなくて、むこうだって商売ですから、こんなのボランティアでやってくれるはずありません。東京駅近くの喫茶店を本部にした時は、本部使用料としてきちんと5千円くらい払ったはずです。カステラ屋さんの場合は、その店の注文用紙を全生徒に配布する、というのが交換条件でした。本部要員はひたすら待つのが仕事。学校によっては校長先生一人をそこに残して、先生達もみんな自由行動・・・なんて所もあると聞きますが、たいていは担当責任者が一番長く本部に詰めます。さあ、これが最近ではどう様変わりしたかというと・・・。今回、本部は私の携帯電話でした。私は札幌テレビ搭あたりにいるよ、と宣言してありましたが、別に必ずいなくてもいいのです。狸小路の方までちょこっと買い物に行きましたが、迷って見学地にたどりつけない班から入った電話には、商店街を歩きながら対応しました。個人の携帯番号を公開するのがイヤなら、旅行業者が携帯電話を貸してくれますが、私の番号はすでに大多数の生徒が登録しているので、一刻を争うような連絡で、いちいち新しい番号を入力してられません。で、逆に生徒がどこへ行っちゃったか不明の場合、昔でしたらこれはお手上げのケースでした。高校生の間で、現在くらい携帯電話が普及していると、たいていこちらからの連絡が可能です。たまたま携帯を持たない子が単独行動していて、さらに迷う、というのは極めて珍しい事例になってしまいます。というわけで、携帯電話が多くの不安要素を取り除いてくれた修学旅行でしたが、逆に増えた緊張もありました。私の電話が4日間の生命線ですから、不通になる瞬間があってはなりません。落ちないよう、ポケットに深く突っ込む、なるべく地下街に入らない、電波状態のいいトイレに入る・・・等、いろいろと心がけ、ホテルを出るときは「充電器・・・」とずうとつぶやいてました。次に私が修学旅行を担当する頃は、どんな本部になっているのでしょうか。生徒を管制塔から自動操縦できると便利だが・・・。

9月20日 続・文化祭

 文化祭の期間中、最低一度はブチ切れるのが、担当責任者の先生と、美術の先生と、家庭科の先生です。うちの学校の場合、これが兼ねているから、きっとブチ切れ度は他校の比では無かったでしょう。さて、担当者が苦労するのは、これはどこの学校も同じ。では、なぜ美術と家庭科なのかというと、どらえもんのポケット代わりに使われるからなのです。文化祭と言えば、展示と調理は付き物。いざ作業が始まると、「ありゃ。ポスターカラーが足りない。細いハケが1本欲しい」「砂糖と塩と油が無いぞ〜」なんて具合に、あちこちで計画段階の甘さが露呈してくるんですな。で、そういった品物がふんだんにストックされてそうな場所と言ったら、誰だって知ってますから、当然のように「貸して下さい」と行列ができるわけです。この時、生徒が勝手にやって来たのなら、「貸さねえよ」で済むのですが、担任が借りてこいと命じている場合だと、非常に面倒。生徒を門前払いにしても、先生がやってきて「何とかしてよ」と懇願するならまだいいですが、合い鍵使って勝手に持ってっちゃったりする先生も登場します。そうなると、テンションは一気にレッドゾーンまで上がり、普通の学校ではこの時期しか見られない「職員室内怒鳴り合い」に発展します。なぜ私が、これらの科目の先生方の苦労を話すかというと、私にもまったく同じ経験があるからです。秋留台では、美術以上に被害を被っていたのが、意外にも物理なのでした。物理準備室は4階の奥の方とかじゃなくて、職員室のすぐ隣り。担任の先生たちも、気軽に「直井先生の所へ行け」と命じていたようなのです。物理室で人気があったのは、ダントツ1位が延長コード、2位工具セット、3位針金、4位文房具、5位絵の具・・・。1〜3位は何となくお解りいただけそうですが、4位以下はちょっと事情があります。片づけが苦手な私は、文化祭が終わると、絵の具などクラスで余った品物いっさいがっさいを、そのまま準備室に放り込んでました。もう一人の先生も同じタイプ。だから、普通の学校の美術室なみに塗料がありました。また、身近な品物を使った実験をたくさんやっていた関係で、いろ〜んな文房具や小物が揃ってて、お箸を忘れた生徒も、よく物理室に割り箸をもらいに来てたくらいです。さあ、私はどうしたでしょう。貸したら最後、半分以上は返ってきません。一切貸さねぇよ、と宣言したらバトルになるし、筋としてこっちが正しくても、なんか気分良くありません。そこで私は、在庫があるのにもかかわらず、「貸し出し中。全部出払っちゃってるよ。もうちょっとだけ早く来ていれば、貸してあげたかったんだけどねぇ。」と言って追い返しました。自分が悪者になることを避けながら、科の備品をガードするには、これしかありません。実技教科の先生方、来年から是非、実行してみてはいかがでしょう。

9月18日 文化祭

 が終わりました。今年2年1組は喫茶店でした。私は高校生の担任が通算7回目。うち4回が飲食関係で、2回が巨大展示、1回がゲーム系です。クラス演劇は一度もやってません。秋留台にいた頃は、「士農工商」ならぬ「演展食ゲー」という、厳然とした階級が存在しました。(演劇、展示、飲食、ゲームの順に偉い) クラスの出し物を演劇に誘導し、最後まで指導しきる担任が一番優秀で、安易に縁日や飲食店に流れようとするのを止められない担任は無能力、というわけです。だとすれば私なんか教員失格と言ってもいいくらいだな・・・。一応私にも言い分はあって、飲食店が安易と決めつけるのはどうかと・・・。やってみると仕事量はすごく多いし、とにかく赤字にするわけには行きません。赤字になった時、担任がひっかぶることが多いですが、原則はクラス全員で頭割りです。そうなるのは誰しもイヤですから、仕入れの量や額、内装や宣伝の工夫等、みんなで知恵を絞るのです。当然、いろんな意見がぶつかり合うし、経営が上手くいかない時に、責任のなすり合いみたいな場面も出てきます。そして、それを乗り越えて、千客万来完売御礼黒字決算を実現した時は、演劇に劣らない達成感と、協力する喜びが残ります。今年の場合は、2年1組の立地条件が、校舎のどん詰まりという悪条件。そんな所へ2年2組がまったく同業の和風喫茶、2年3組がカラオケ喫茶で参入と、喫茶乱立状態に。さらに2組はなんと営業拠点を一等地の中庭に移し、3組は飲み物1杯30円という、いつぞやのマクドナルド以上の低価格路線を打ち出して来たではあ〜りませんか。対するうちは、宣伝力強化で対抗することにし、女子を浴衣、男子を女装としました。メイン会場の中庭では、30分弱のゲームイベントを主催し、お店のCMをふんだんに流す。ロックコンサートで飛び跳ねて喉が渇いた群衆に、すかさずドリンクの行商。そんな経営努力が実って、終わってみれば余裕の黒字。何とか2年生喫茶戦争を征することができました。こういうのって、ホント生きた社会勉強ですな。
 飲食店を嫌う極端な例を挙げると、私の出身高校では飲食店の出店が認められていませんでした。文化祭期間中、校内の飲食店は1カ所だけ。「パーラーしらかし」とかいう名前の、学校直営みたいな雰囲気で、社会主義っぽかったな・・・。逆に飲食店乱立の学園祭と言えば大学でしょう。こちらは、多くがサークルの活動資金を捻出するための出店であり、収益があるか無いかはサークルの死活問題です。そういう世界に進学するならば、高校生のうちから経験を積んでおくのも悪くないと思います。

9月 6日 ナルシズム

 昨日おとといと、サッカーの試合でした。もちろん私のではなく子供の。小学1年生の男の子ばかり7人乗せた車の中って、どんな世界になるかご想像できますか?キャーキャー声×7プラス相乗効果無限大・・・ドライバーとしては、とにかく隣の小学校に着くまで、耐え忍ぶことだけでした。計5試合を応援してきましたが、ゲンタの活躍ぶりはというと、何度かボールをとって敵陣に向かってドリブルしてゆくのですが、さすがに相手も鍛えられてますから、あっという間に取り返される。本人もさぞ口惜しいだろうなぁ、せっかく始めたサッカーを嫌いになってもいかんし、どうフォローするかな・・・なんて考えていると、試合を終えてこちらに向かってくるゲンタは、満面の笑みを浮かべているではあ〜りませんか。「どう、お父さん。僕のプレーは凄かったでしょ。×○△▼・・・(自分の活躍が、チームを勝利に導いた、という論旨)」 そうか、試合中は夢中になってるから、自分のプレーを客観的に分析することなど、できるはずもない。今はいい気分にさせといて、後で冷静になってから反省点をチェックするか・・・。帰宅後、さっそく試合の様子を撮ったビデオを鑑賞。ところが、ビデオを見た後でさえも、本人のコメントは変わらないのです。どうしたらそこまで完全に自分のプレーに惚れ込めるのだろう・・・。まあ、心当たりはあります。私もよく演奏中に、自分はひょっとして世界で一番上手いんじゃないか、という錯覚に陥ることがあります。好きなミュージシャンとか指揮者とかを訊かれて、口ではいろいろ答えるのですが、本心は「自分です」と思ってることも多いです。ゲンタの自惚れも、きっと遺伝性のものなのでしょう。ところで、人間を2タイプに分けた時、ゲンタや私のようなナルシスト型と、まったくその逆タイプがいます。つまり、誰が見てもなかなかいいプレーをしてるのに、本人は自分をダメだと思いこんで、常に落ち込んでる自己嫌悪型ですな。この2つ、どっちが楽しいかといえば、間違いなくナルシスト型ですから、自己嫌悪型は一時的に薬の力を借りて、ナルシストになったりするわけです。ゲンタや私の場合は、麻薬を使わずに、麻薬を使ったのと同じ効果が常時現れていることになるので、とっても得した気分ですし、これは良い遺伝だったなと思うのです。ただ、何事も度を超すと良くないですので、時にはチクリチクリと現実に目を向けさせる処置も必要です。昨日のゲンタ語録より、「オレのシュートは、カーン以外には止められない」 ※カーン・・・世界最強のゴールキーパー  この発言を見る限り、かなり症状が進行しております。私の場合は年齢的に見ても、もはや矯正不可能。真のナルシストに登り詰めた者は、何を言われてもめげないのも特徴です。ゲンタの今後については、どうしたものか悩み中。

8月26日 電子永住

 「転居しました」という葉書を受け取ると、すぐにそれを登録するという、マメさがどうも私にはありません。以前と同じ住所に年賀状を出しちゃって、最悪戻ってきたりして、「あっ、そう言えば引っ越したって言ってたな」と気づくこともあります。これは私に限らないようです。事実、私は2度の引っ越しで、かなりの人に行方不明扱いにされています。ちゃんと転居通知出した相手までが、わざわざ実家に転居先を問い合わせたりしてくれてます。メールアドレスも、言ってみれば住所の一種ですから、変更することは、メールをくれようとした人に、余計な手間をかけさせるか、最悪の場合、連絡を諦めさせる可能性もあります。まあ、転勤とか子供が大きくなったとか、引っ越しの事情はそれぞれです。メールアドレスの場合も、プロバイダを変更すれば変わりますから、引っ越しするななんて言えないし、仕方のないことです。ところが!そう言った必要性が無いのに、やたらとメールアドレスを変える方々がいらっしゃいます。若い方に多いようですが、@の前を、いろんな言葉で飾って楽しみたい気持ちはわかります。しかし「メアド変わりました!登録おねがいしま〜す」なんて同じ人が月一度くらいのペースで送ってくると、もうムリ!そんなのいちいち登録するわけないから、こっちからの連絡は事実上不可能になるのです。「登録お願いしま〜す」と言うからには、私からメールが来ることを期待してるとまで行かなくとも、拒否する気持ちは無いはず。だとしたら、なるべく同じアドレスを長期間使う方が有利ではないでしょうか。
 古くさい考えのオヤジだと思われついでに、もう一つ苦言めいたことを言わせてもらうと、一見誰のだか不明なアドレスも困りものです。こっちがちゃんと名前を登録すりゃいいだけなんでしょうが、アニメのキャラクターの名前とか、曲の名前の後に@が付いてると、「ありゃ?誰だっけな・・・」と思ってしまいます。私がずぅっとメインで使ってるアドレスは、もちろんnaoi@でございます。先日yahooに切り替えた時にも、同じnaoi@にしようと思ったらダメで、1文字くっつけなければなりませんでした。naoi_f@でOKになりましたが、気に入らないので、こっちは使ってません。携帯のアドレスも、単純なのが良かったんですが、あんまり短いと迷惑メールのターゲットになるので、不本意ながら少し長くしましたが、絶対に私だとわかるアドレスにしました。評判は最悪・・・。私のことだから、何か一捻り加えた名前にするだろうと期待されてたようですが、結果が「なぁんだ、そのままやん・・・」ということらしいです。なんが悪かと!私はパソコンと携帯使い続ける限り、今のアドレスを変えないことを、ここに誓います。電子永住宣言だな。だからど〜したって感じだがな・・・。

8月13日 合宿所

 「東京が35℃だって。ご愁傷様〜」なんて、遠く離れた苗場で、テレビの天気予報を見ながら会話してた3泊4日が終わり、灼熱地獄に舞い戻って来ました。気候はもちろんですが、練習場、食事、料金等を総合的に判断して、我々一行が泊まった「ふじやホテル」は、5つ星ですね。最大の要因は何と言っても、経営者夫妻の細やかな気配りでしょう。
 私自身が過去15年間に参加した合宿は数え切れないですが、けっこう苦労してきました。運動部と合同で行く場合が最たるもので、音楽の練習環境が皆無みたいな場所に連れて行かれることも少なくありません。ある程度の覚悟はして行っても、たいてい予想を上回るトラブルが待ち受けています。ある年、「音楽ホールが無い宿だから、現在使われていない体育館を用意しました。5日間貸し切りですよ」と言われて、まあ一安心して行ったら、本当に数年間放置されてた建物で、カギはかからない、電灯つかない、窓ガラスはあちこち割れたまま、しまいに歩いて太床が突然抜けた! これはあんまりでしょ、と言ったら、きれいな体育館に替えてくれて、ほっと一安心したのもつかの間。そこは夜間にいろんな団体が借りてて、今夜は剣道のサークルが来るとかで、並べた楽器、椅子、譜面台をいちいち片づけることになったり・・・。まあさんざんですが、宿の方も申し訳なく思ってか、少しでもいい練習環境を提供しようと、賢明になってくれるので、腹が立つことなく、こちらもやれる範囲で何とかやろう、という気持ちになります。仲介業者に紹介された宿が、最初のふれ込みと全然違った・・・なんて時が目も当てられん。音楽ホールのはずがただの体育館で、グランドピアノがあるというけど、在るというだけでホコリをかぶってて、当然調律なんかされてない。ついでにそのピアノは、体育倉庫の一番奥にしまい込んであって、膨大な量のマットと跳び箱と、なんと柔道用の青タタミ30枚を移動しないと出せない・・・とか。あと、貸し切りのはずが、平然と他の団体が泊まってて、さらにひどいのになると、練習場の大広間が僕らの食事会場と寝る場所を兼ねてて、普通の客室は他の団体に回されてたなんてのもあります。豪華そうなのは宣伝用の写真だけで、網戸がぶっ壊れてて虫が入りまくってる・・・くらいじゃ、もはや怒らなくなってしまいましたな。新しい宿はちゃんと下見をしてから決めるべきです。それでもいろいろなことが起きますから、よりよい合宿所を求めて新規開拓しようと思う場合は、博打だと思って臨むことですな。で、8割方満足の行く宿に巡り会ったら、よほど団の事情が変化しない限り、毎年使い続けることです。音楽団体用合宿所格付けとか、ブラックリストとか、そういう情報を誰か発信してないのかな・・・。

7月27日 職会屋

 またまた、教員以外の皆様から受ける質問の上位・・・「職員会議って、何を話し合ってるの?」ってやつについて。答は、まあ「いろいろ」で、非常に細かいことから、学校の将来を左右するような一大事まで様々です。会議というからには、議長がいて賛否両論を闘わせて最後に採決、というのが一般的な方法で、もめる時は徹底的にもめる・・・。最近は「いちおう皆さんのご意見は伺いますが、最後は校長が決めます」というやり方が主流で、もめる場面も無いから早く終わるかというと、今度は校長Vs全員という対決で、やっぱりもめる所はもめてるようです。うちの学校の会議は、全都でも最速じゃないかな・・・と私は思うし、皆さんも口を揃えてそうおっしゃるから、たぶん間違いないでしょう。本当にありがたいことです。さて、軽い議題はすんなりで、一大事の時だけもめるかというと、実はそうでもないのです。会議の直前には、トイレで横に並んだ人と、「今日は短そうだな」とか予想するのですが、予想はたいていハズれ、もめそうもなかったはずの議題で、思わぬ紛糾が待ち受けているものです。私が経験した中では、「身体測定の係り分担が気に入らない。白紙撤回せよ」とか、「運動会の綱引きの得点を20点にするか40点にするか」で、延々と議論したことがあります。会議が長引く原因を作っているのは、ハッキリ言って数人の先生です。私は「総会屋」ならぬ「職会屋」と呼んでいましたが、とにかく1回の発言が長い!どんな小さな問題について発言する場合でも、非常に深い教育論まで発展させ、悦に入って蕩々とお話されますし、誰かが反論したら最後、待ってましたとばかりに倍返しの刑ですから、たまったものではありません。職会屋は、良い結論を導きだそうというよりも、発言することそのものに生き甲斐を感じているように見えます。こんなこともありました。会議中はよく内職(採点やら読書やら)をしてる人もいるのですが、ある職会屋の方が発言に立った際、読書してる先生を怒鳴りつけました。「オレが意見言う時に読書とは何事か!」ということですな。言われた方も負けてません。「お前の意見はくだらないから、聞くに値しない」と言い返したら、「くだらないとはどういうことだ!」と、完全にエキサイト。議長は運悪く私だったのですが、「あの〜、そのケンカは後回しにして、早く意見言って下さい」と催促するしかありませんでした。どんな会議でも、執拗に発言を繰り返して長引かせてくれる人がいます。ふだんよほど誰からも相手にされてない人なのかなあ・・・と思わずにはいられませんな。

7月19日 野球応援

 今年は青梅東と、業務提携校の羽村が、ともに1回戦に勝ったため、野球場で吹く機会が3日もありました。加えて、コールド負けが無く、どれも手に汗握る好勝負でしたから、お腹いっぱいになるまで吹いた・・・。甲子園で優勝するチームのブラバンは、これのさらに10倍くらい吹くことを考えると、ある意味ゾっとしますな。夏の高校野球で吹き始めて15年になりますが、私の独断で「効果的な応援演奏」を伝授しますので、明日からまだ試合が続く学校の皆さん、どうぞ参考になさって下さい。「効果的」というのは、ようするに私自身が脅威を感じる応援です。
 まずは編成。応援と言えばトランペット・・・と誰しも思いがちですが、実は違います。トランペット3人に対し、トロンボーン4人くらいの方が絶対に強力。これにさらにチューバがいたら最強。同じ音域が大勢いるよりも、何オクターブか重ねて厚い方がいいのです。相手の応援席にチューバケースを1個でも見かけたら、その日は応援でやられる危険がありますから、要注意です。バリサクも侮れない・・・。学校によっては、ふだんの編成そのままでやって来るところも多いですが、はっきり申し上げて、クラやフルート、ましてやオーボエなどを応援に使うべきではありません。直射日光にさらされる危険と引き替えにするほど、応援演奏への寄与が期待できないからです。応援はバカでかい音の楽器だけを用い、サックス以外の木管は、メガホンを持って声出す方が、相手に与える脅威は増すでしょう。ただし例外あり。ピッコロという楽器だけは、バズーカ砲の中に紛れ込んだカミソリの刃みたいなもので、必殺の秘密兵器です。フルート奏者はピッコロを吹くか、超ハイトーンでピッコロ音域を吹くとよいでしょう。ところで応援歌のアレンジには、ひたすらユニゾン型と、交響型がありますが、もちろんユニゾンのド迫力に勝るものはありません。ホルンは後打ちなんかやってる場合ではなく、チューバも無理な音域は承知の上で、メロディーを吹きましょう。長い音の最後は、きれいに減衰させろと教わっているでしょうが、この日だけは完全に忘れていただき、激しくトリルをかけてブチっと切りましょう。とまあ、細かいことを言い出せばキリがありませんが、とにかく大切なことは、相手の上を行くことです。相手と同じ曲があったら、相手よりデカい音で吹くか、それが無理な時は、相手より速いテンポで吹きます。テンポ200以上でも、応援の場合には決して速すぎではありません。個人レベルで最も気持ちを強く持たねばならないポジションは、もちろんトランペッターです。「必殺仕事人のテーマ」をやられたら、必ずやり返します。相手より半音、または1音上のキーで吹いて、撃沈してやりたいところですから、普段からいろいろなキーで「仕事人」を練習しておきます。野球部の監督さんたちの中には、吹奏楽部が応援に来たから勝てた・・・来なかったから負けた、という実感を持っていらっしゃる方が少なくありません。引き受けた以上は責任重大であり、少なくとも、相手校の応援団に気持ちで負けてはいけないのです。では皆さん、がんばって!

7月 6日 続・信じられねぇよな

 だいぶ昔の話です。A先生が血相を変えて私の方に駆け寄って来て、「ちょっとちょっと直井さん、凄いものを見てしまいましたよ。」内容はまだ聞いてないので解りませんが、分類は想像がつきました。A先生は、よく笑い話を提供してくれていましたが、笑い話と言うには少し意地が悪くて、他の先生の失敗をニュースとして広めるのがお好きなタイプです。例えばどっかの授業がサファリパーク状態になっているのを発見すると、すぐに報告してくれていました。その意図はよくわかりませんが、校長先生に密告はしないし、ウワサになってる先生をどう支えて行くかを考えているわけでもないので、単に自分よりヤバい先生がいることを報道して、安心したかったのかもしれません。・・・で、その日の内容はというと、「○○先生の授業が始まる時、たまたま廊下を通りかかったらね、いやそれは驚きましたよ。ザレイなんですよ!」 「・・・」 皆さんは、この「ザレイ」に漢字をあてはめられますか?私はその時は、この新語が全く理解できませんでしたが、答えは「座礼」つまり起立せず、座ったまま礼をするという意味です。この時の用法では、生徒側の礼の仕方を指していますから、結局どういうことなのかというと、「○○先生は、起立!気を付け!礼!とするべき所、起立を省略して、いきなり気を付け、礼で授業を開始している事実が判明した!」というのが、今回の大スクープなのです。A先生の報道の論旨は、「生徒を立たせもしないで授業に入れば、そりゃけじめもつかないに決まってる。ほんとに困ったもんだ」ということでしょうか。私もビックリ仰天の表情で「座礼ですかぁ。それは信じられませんねぇ・・・」なんて返しましたが、さあ皆さん、もうお判りでしょうか。この時の私は、全身の毛穴から汗が吹き出し、太陽系から逃げ出したいくらい動揺していました。座礼が、そんなに悪いことだったのか。じゃあ私は・・・・・・懲戒免職かも。その頃の私は、授業の始まりの礼をまったくしない・・・そう、座礼すらさせていなかったのでした。実は今もそうで、始まりも終わりも礼そのものをしません。じゃあどうするのかというと、いきなり教室に入って出席簿を記入すると、すぐにその日の問題を黒板に書いたり、プリントを配り始めます。私自身はその方が授業の雰囲気に入りやすいと思っています。昔は「起立!礼!」をやってた時期もあるのですが、起立させたからけじめがついたとは全然思えなかったし、礼の最中に「こら!しっかり立て!」「やり直し!」なんてバトルってると、せっかく楽しく進めようと思ってたこっちのテンションまで下がってしまうのです。授業の終わりは、ノートを書いたり問題を解いてる最中の子もいるので、立たせて中断させるのがしのびない。それに全員が一斉に起立する時の、椅子のグァ〜ッて音がうっとうしい。という具合にいろいろ私なりの理由があって、ここ10年くらい「無礼」で通しちゃってるのです。でも、卒業式当日のHRの終わりだけ、起立礼させてるな。3年間でただ一度だから感動も大きいです。私の「無礼」は、うちの学校の何人かの先生には、すでにばれています。なんてったって校長先生、教頭先生は何度も授業参観にいらしてますから、完全ばればれですが、特別に糾弾されたりしないのは、うちの職場の包容力ですねぇ。いや、単に私のことなんか眼中に無いってことかもな・・・。

7月 1日 信じられねぇよな

 って調子で始まったウワサ話の内容が、自分にも当てはまった時ほど、困ることはありません。「うんうん・・・ほんと信じらんねぇ」と相づちを打ちながらも、全身冷や汗ものです。ずっと前に来た教育実習生の中に、二日酔い状態で、保健室にリポビタンDを貰いに来たツワ者がおりました。保健室の先生からあっという間に情報が広まり、職員室じゅうで驚きの声がささやかれていたのですが、「信じられねぇよな」と言ってる先生方の中に、一人だけ同じ経験を持つ者がおりました。それは私です。
 今から20年前、私の教育実習の思い出はたくさんありますが、とにかく飲みました、というか飲まされました。毎日ひたすら飲んだのです。今考えても、こんなひどい実習生を他に見たことがありません。よく単位が貰えたものだと思います。私は部活目当てで教員になろうとしていたので、実習初日から学活が終わると一目散に音楽室へ行き、合奏を指揮していました。他の実習生はなんだか忙しそうに実習ノートを書いているのが不思議でしたが、指導教官の先生だって5時には帰るわけですから、それまでに今日の反省と翌日の指導案を書いてハンコ貰うのは当然で、私はそんな事もすっかり忘れてたのです。しかし私の指導教官であるO島先生は、そんな私を怒るどころか、「好きなだけ部活やって来い。何時まででも待っててやる」と、真っ赤な顔しておっしゃって下さったではありませんか。先生は職員室の自分の席で、日本酒をチビチビやりながら待っているのでした。そして私が部活から戻ると、「では今日の反省から行こうか・・・うぃ〜ヒック」と、私にもコップになみなみとついで下さいました。反省が長引く日は、「場所を換えよう」と言って、豊田駅前あたりに繰り出しました。慣れない早起き、週21コマの授業と2コマのLHR、そしてこんなアルコール漬け反省会が毎日続き、実習も終盤にさしかかった頃、ほんとにヤバくなり、保健室に駆け込んだのでした。「二日酔いに効くの・・・何かありませんか〜・・・」 職員室じゅうのウワサになったかどうかわかりませんが、それにしてはこの件で私は誰からもお叱りを受けなかったので、もしかしたら飲ませた側の責任であるという共通認識があったかもしれません。日を追う毎に私の反省会には、いろんな先生が合流するようになってましたから。ただ、こういう見方もできます。リポDのお世話になるほど飲まされながら、私はいろんな先生方から、2週間としては最大級の勉強をさせてもらえました。だから、ひどい実習生であると同時に、こんなに恵まれた実習生も珍しいと思います。
 最近はどこの学校でも、校内でお酒を飲む光景は見られなくなりました。先生たちの仕事量も、昔とは較べものにならないくらい増えています。教育実習生に酒飲ませながら、じっくり先輩としてのアドバイスを話してあげたり、できないのが心苦しいです。