職員朝礼での社長訓話集 一つ戻る 最新版へ戻る
12月25日 勝負師のプライド
レアルマドリードが東京ヴェルディと試合した時のベッカム選手が、チャンスボールをクリアしてしまうシーンを見て、サッカー観戦歴が浅い私は、その意味が解りませんでした。よく見ると相手選手が一人倒れているので、これはわざとプレイを中断させるための行動でした。ルール上は審判のホイッスルが無い限り、相手がケガして動けないスキに1点貰っちゃっても良いのですが、武士道に反するというわけです。フェアプレーというよりは、選手としてのプライドがあるかもしれません。仮に相手のアクシデントにつけ込んで得点して、ルール上では勝ったとしても、せこい手段に頼ったとあっては自分が納得行かないでしょうし、プロスポーツならばお客さんから嫌われるに違いありません。あくまで実力で相手を上回ってこそ、勝つ喜びもあるのだと思います。
株の世界には、そういうプライドをかなぐり捨てた勝負師が多いと知って、非常に残念です。新規上場株というのは、最初は上がりやすいので、抽選をクリアしないと買えないことが多いです。そんな中で、ジェイコム株が上場当日いきなりストップ安、&一度に数十万株の売り板が出現したとなれば、誰が見たって誤発注は明らか。そこにすかさず大量の買いを入れた人々は、一般大衆が気づく前にとりあえず押さえてしまい、被害の拡大を防いでやろうという、優しい人々かと思いきや、何と莫大な利益を得ただけというではあ〜りませんか。サッカーに例えれば、審判がちょっと長めに吹いたホイッスルを試合終了と勘違いして、みんなピッチから引き上げ始めた。その時!一人残った選手が悠々とシュートを決めた・・・みたいなもんですな。そんな勝ち方で嬉しいですかね。だいぶ前に、破綻した山一証券の株を1円で買い、2円で指し値売りしたらまんまと約定し、一瞬にして何百万円だか儲けたお兄さんがいました。お兄さんは、その勝ち方が急に不満に思え始めたらしく、ビルの屋上かどっかから1万円札をばらまいたそうです。ばらまいちゃったのだけは余計で、当然警察の御用となりましたが、お兄さんの勝負師としての心意気は立派です。私も細々と株をやってますが、いくら勝ったとかではなくて、自分が目をつけた会社の業績が予想通りに伸びるかどうか、の勝負を楽しんでる感じ。もちろん大勝すれば嬉しいですが、セコい手ではなく、優秀な頭脳によって勝つことに意義があるのです。負け惜しみっぽく聞こえるかな・・・。インサイダー取引なんてのは論外。あ〜いうのは、実はずる賢い連中ではありません。カンニングで高得点狙うのと同じだから、頭で勝負できない人なのです。
12月16日 続・保護者会の極意
「授業中に立ち歩く子や、注意すると暴言で返してくる子が、若干おります。」など、実態をありのままに保護者に伝えることは必要です。「とっても落ち着いてます」と言いつつ、実は日常的にサファリパーク状態・・・っていう大本営発表みたいなことしてると、たいていは問題が大きくなってしまいます。報告はいいのですが、そこに「指導上たいへん困ります。家庭でのしつけがなっちょらん!」みたいに、保護者の責任を言い出したら最後、もう反撃は止まりません。ここから先は建設的な話は影を潜め、盛大な泥仕合の開始です。家庭の責任も当然ありますが、それは50±40%位の範囲で、親とて解っちゃいるのですが、先制攻撃を受けた方としては、「お前らが100%悪い」って言われたように受け取ってしまいがちです。夫婦喧嘩と一緒ですな。「授業を整然と進めるのは教員の責任だろ!何でもかんでも家庭の責任にすんな」ってことになるでしょう。もはや外交無しの、全力ミサイル撃ち合い状態。これの裏返しで、クラスの行事が上手く行った時などに、自分の功績っぽくアピールする先生も危険です。一足飛びに結論に行くと、子供が悪い場合には「先生は親を責めるべからず」です。まず自分の力量不足を謝っておかないと、有益な議論の入り口にたどり着くことができません。夫婦喧嘩にも応用できるこの高等テクニックを、「先制謝罪」と呼ぶ・・・のは私だけ。ちなみに我が家は夫婦喧嘩殆どナシ。「先制謝罪」超得意ワザ。「攻撃は最悪の防御。謝罪は最大の攻撃なり」 同時に「先生は親を讃えよ」も忘れてはなりません。クラスの状況が良い時の保護者会では、「自分はこんなにダメ教師なのに、しっかりした子供たちに助けられている」という姿勢を徹底して貫くことです。自分の性格が謙虚かどうかは関係なく、これは礼儀と言ってもよいでしょう。さあ、これであなたも保護者会の鉄人サークルの仲間入り。
最後に補足。私がこういう保護者会の進め方をするようになったのは、最近の話では無く新採だった20年前からずっとで、誰かから伝授されたわけではありません。親がしょっちゅう学校に呼ばれて担任に怒られたという、私自身の経歴による所が大きいな。だとすると、弦太が将来教員になった場合、私と同じようなタイプになるはずだな。現在の所、呼ばれた回数まで一致してるからな。
12月10日 保護者会の極意
小学校の授業参観&保護者会がありました。国語の授業はとってもいい雰囲気で進められており、学級崩壊なんて別の銀河系の出来事じゃないの?と思うくらい、みんないい子ちゃんでしたが、なぜかその後の保護者会では、担任の先生が針のむしろ状態。同業者としては可哀想で見てられませんでしたな。私も20年以上保護者会を経験してきましたが、ハッキリ言って、火だるまにされる危険は誰にでも潜んでいます。それを回避するワザを知らない先生が、必ずといっていいほど火だるまになります。今回のケースも、他にもいろいろ原因はあるにしろ、私に言わせれば、会の進め方に大きな原因があり、火だるまになるべくしてなったと言えます。さあそれでは参りましょう。教員の皆様必見。保護者会を和やかに進めるための極意とは!
ズバリ、担任が喋り過ぎないこと、って〜か喋んなくていい。これに尽きます。「ええっ、じゃあどうすんの?」と思われるでしょう。私の場合、ほとんどこう切り出します。「ご家庭でのお子さんの様子をお一人ずつお話していただけますか。両端の方どうしでジャンケンをお願いします」。あとはひたすら親からの話を聞きながらメモを取るだけ。これでオシマイだから、何を話そうかなんて悩んだことなど、一度もありません。・・・で実際どういう風に進んで行くかというと、話の短いお母さんで30秒くらい。長い人は止めないと1時間でも喋ってそうな人もいて、勝手に話が盛り上がって行くので、私は進行役に徹しながら要所要所コメントしてゆきます。そしてこのコメントこそが最大のポイントです。多くの親は、自分の子が学校で悪さしてないか、友達と上手くやって行けてるのかが心配です。親の発言には必ずそういう部分が含まれますから、そこにすかさずコメントを入れます。親「うちの○○は、いつもご迷惑ばかりかけていませんでしょうか」 担任「○○君明るくて人気者ですよ。全然心配いりませんよ」 (もし本当に問題児で、良いコメントができない場合は、ニヤっと笑うだけにすることもある)。全体の場での悪いコメントは当然論外で、どうしても伝えたいことは後で個別に言います。小中学校ですと30人くらいは出席しますから、一周話し終わる頃にはもう終了予定時刻ですな。とにかく、親同士も保護者会を通じて仲良くなりたいと願っていますから、担任の演説はそれを単に妨害する行為と言っても過言ではありません。ところで、誰か一人が大演説をぶちかますと、たいてい終了時刻を過ぎてしまいます。開始時刻と同様、終了時刻もきちんと守らないと、参加者は一斉にイライラし始めます。開始時に「皆さん夕飯のお支度等ありますでしょうから、何があっても4時半終了ってことでよろしいですか?」と言っておきましょう。この提案は、間違いなく大きな賛同をもって受け入れられます。保護者会の極意には、もう一つ大きな柱がありますが、それは次回お話致しましょう。
11月28日 吹奏楽ブーム
「吹奏楽部の先生でいらっしゃいますか?いやぁ、今すごいブームですよね。」と言われることが多くなりました。不思議なのは、その次に聞かれることは決まって、「おたくの学校も、あんな風に皆さん頑張っていらっしゃるんですか?」です。あんな風に・・・とは、某テレビ局が放映したドキュメンタリーを指しているはずですが、その番組を私が観ていたかどうかも確認しないうちに「あんな風」って話し出すところが凄い。答は明快!「あんな風にはやってませんです。悪しからず」 吹奏楽が民放のゴールデンタイムに取り上げられたのが、今までには無かったことです。(スイングガールズの影響ですかね?) TV放映されると、他もみんなこうなんだと思う人は、やはり多いのでしょう。番組は、全国大会を目指すいくつかの吹奏楽部の密着ルポ、という形式をとっていますが、どうか誤解なさらないように。こういう吹奏楽部もある、ということであって、これが全部ではありません。
私は以前からこのコーナーにおいて、吹奏楽のコンクールというものに対して、後ろ向きな意見を繰り返し述べてきました。楽器を指導できる人材も少なく、発展途上にあった時代に、コンクールが果たした役割は計りしれませんが、もうそろそろいいって感じ。定期演奏会のプログラムに、次の年の課題曲を並べたり、自由曲候補を試運転する。他校生徒は、音楽を聴くというよりは、偵察にやってくる。OBか何かが講評・・・「みんなよく頑張った。いい演奏会だった。今年は行けるぞ。この調子で全国目指して頑張れ!」、って具合で、すべてがコンクール中心に回転し始めると、何か大切な部分が抜け落ちる危険があります。すべての顧問の先生方が立派な人柄で、そのへんを上手くバランス取りながら指導されていて、私の不安が取り越し苦労であればいいのですが・・・。
今年も武蔵丘高校吹奏楽部の秋演に出演させてもらえました。打ち上げの席上、私は最大級の賛辞を贈りました。こんなに楽しそうに練習している高校生たちを久しぶりに見たし、「根性」「協力」「感謝」・・・なんて偉そうな目標を書き並べるまでもありません。楽しいから時間通りに集まる、楽しいから協力する、楽しかったからありがとう・・・。全部後から自然にくっついて来ているのです。いやあ、ここの部は実にいい教育をやっていますな。今度3月に出演させてもらう羽村高校吹奏楽部も、似た雰囲気を持つ部です。こういう路線がブームになって欲しいもんだな。
11月22日 欠陥構造
【11月21日付「うそ新聞」より転載】 超破格&スピード納品を売りに、全国にシェアを拡大中の直井音楽事務所(東京都青梅市)が、欠陥譜面を作成していた問題で、芸術省は同事務所への立ち入り検査を行い、結果の一部公表に踏み切った。報告によれば、同社製の譜面100余点のうち、おもに5重奏以下のアンサンブル14製品について、数小節間にわたって和音の根音が不足していたり、4小節に1カ所以上の配置が義務づけられているブレスも、極端に少ないなどの欠陥が判明。ブレスに関しては、最長8小節以上の吹き伸ばし箇所も発見され、大編成の譜面についても同様の欠陥が無いかチェックを急いでいる。同事務所の直井社長(44)は、記者団の質問に対して、「吹きにくいから気づかれると思っていたが、喜ばれるだけだったので、手抜きを繰り返してしまった」とコメントするにとどまり、反省の言葉は出ていない。芸術省では、同社製の譜面が編曲基準法で定められたラインを大幅に下回っているにも関わらず、チェックをすり抜けていたことを重く見て、発注歴の多い吹奏楽団代表者らからも近く聴き取り調査を行う。同社製の譜面をうっかり演奏してしまった場合、チューバ奏者が酸欠で倒れたり、アンサンブルが自然崩壊する可能性があるという。今月26日に本番を控えている都立高校吹奏楽部では、「直井社製のポップス譜面を練習していた木管奏者が揃って腱鞘炎になりかけたので、おかしいとは思っていたが、まさかこんなことになっているとは・・・」と怒りをぶちまけた。
・・・な〜んてことがあったとしても、別に実害はありませんが(苦しければ、倒れるまでは普通吹かないだろ)、建物となれば話は別。人的被害に直結する一大事にしては、迅速な対応を取っているのが京王だけなのは何故でしょう。民対民の問題とか言ってる人がいますが、では何のための建築基準法なのか、ということになります。違法建築を未然に防ぐための法律ですから、危険なのが建っちゃった時点で行政の責任は避けられません。これが道路交通法ならば、スピード違反は誰が見ても危ないし、駐車違反は迷惑ですが、鉄骨が細いとか少ないなんてコンクリ壁の中のことなんか、誰にも判りません。工事に携わった人たちでさえ、これ危ないんじゃないの?なんて思ってなかったわけです。マンションやホテルに限らず、学校だって病院だって、安全かどうかわかったもんじゃありませんな。早急にチェックし、再発防止策を講じて欲しいものです。ところで私の編曲は、実際には安全ですから、26日は是非、東久留米中央公民館にお越し下さい。
11月18日 目立つ情報
最近、百科事典、電話帳、地図、時刻表などを開くより先にインターネット、って生活に陥っています。ネットにつないだPC1台あれば、家に引きこもってたって、世の中のたいていの情報について行ける時代になりました。こうなると、当然のことながら企業のPR戦略も変化してくるでしょう。電話帳広告ならば、でっかく載せれば有利ですが、インターネットではPC画面の大きさは一定です。それより何より、どんなにインパクトのあるHPを作っても、検索で上位に引っかかってくれないことには、見られずに終わってしまいます。いろいろな会社のHPを見ていると、広報に関するセンスの差が歴然なのに驚きです。未だにHPの一つも作っていない会社や、作るだけは作っても、中味が少なくて、ろくすぽ更新してないような会社は、よほど固定客が多くて安泰なのか、滅亡に向かってまっしぐらか、どっちかですな。ネットではない例ですが、ちょっと考察してみます。
先月新幹線に乗った時に思ったのは、沿線の看板がデカイ!ってことです。当然と言えば当然。時速270kmで走りながらハッキリ読ませるには、でかくなきゃ無理。にも関わらず、普通の在来線と同じサイズの看板に甘んじている会社もあります。非常にがんばっていたのは、SANYOだっけな。船みたいな、何だかよくわからない形の巨大オブジェがあって、思わず「あれ何だ!?」と見入ってしまいます。それから、フジテックだっけな?どデカく「世界のフジテック」と書いてありました。ソニーやトヨタみたいに、誰でもが名前を知っている会社では無いのに、「世界の」と行くところが素晴らしいですね。とりあえずインパクトを与えれば、名前を覚えてもらえます。東海道新幹線は、16両もの長い編成が数分感覚で走り、日本経済の第一線で活躍している人々で満員です。そこに向けて全力でアピールするのは当然の戦略でしょう。ところで、新幹線の沿線には田畑も非常に多いです。畑仕事をしているおじさん!あなたは、なぜ乗客にアピールしないのか?うちで取れた野菜は美味しいよ・・・と。注意しながら、ずうっと外を眺めていて、ようやく発見しました。「岡山米」・・・たった3文字の巨大な看板。でも、私が新幹線に乗ったのが1ヶ月前だから、まだこうして印象に残ってるってことは、宣伝としては大成功でしょう。
我が社のHPも開設からそろそろ5年、おかげさまで、検索で偶然発見して下さった方と、たくさんお友達になれました。友達の輪をますます広げるために、HPの強化を考えております。電車の沿線広告も出そうかな。我が社は青梅線の車窓から、0.1秒間くらい見えるから、サブリミナル効果なら期待できるな。
11月 8日 眼 & 耳
前回、スコアリーディングの訓練を・・・なんて偉そうに言いましたが、実際は「訓練」てほどの事は無く、要するに「慣れ」です。管楽器が使われるスコアでは、移調楽器が付き物です。簡単に言うと、実音が変ホ長調なのに、譜面上はハ長調だったり、ヘ長調で書かれる楽器が混在しているわけで、最初のうちは見ただけじゃ何が何だか解りません。書く場合、全部を原調で書いてから、各パートを移調して清書なんてことも必要でした。SAX4重奏なんて、ソプラノとテナーがBb管で、アルトとバリトンがEbなもんだから、スコアの隣り合う段が、必ず違う調になるので、私は必ず実音で書いてから変換していましたが、プロの先生に訊いたら「そんな二度手間やるわけねぇだろ」と言われました。ショックを受けましたが、その後スコアというものに慣れて来ると、これが本当に一目で読めるようになるし、すでに移調した状態で書き進めることが可能になるのです。可能っていうより、その方が実際の音が連想しやすく、書きやすくさえ感じるようになります。大編成のスコアでクセモノは、サックスよりもホルンでしょうか。唯一のF管であると同時に、和音が上から順に1、3、2、4という重ねが多いので、ぱっと見たところ、何のハーモニーだか解りづらいのですが、結局これも慣れ!絶対音感がある人は、かえって苦労するのでは・・・というのも、余計な心配です。ホルンのド#を見た瞬間に、頭の中に実音F#が確実に鳴るようになるものです。ここまで来ちゃえば、スコア全体の模様から、オケのサウンドを連想することは可能。眼だけで作曲できるのです。冒頭申し上げた通り、特殊な訓練というよりは、自転車に乗れるようになる過程と大差ないとさえ言えます。吹奏楽部で指揮者デビューさせられたような諸君は、是非ともそういう能力を磨くチャンスを活かしてもらいたいですな。くれぐれも、模範演奏CDを聴いて、それに近づけるように棒振るばっかりってのは禁物。スコアを見て、合奏中にあちこちのパートに「高い」「低い」「遅れる」「走る」「よくわからんけど、何か変」・・・等々、いちゃもん付け、濡れ衣着せながら音を確認して、ちゃっかりスコアリーディングの勉強させてもらいましょう。
10月31日 眼 vs.耳
昨日、早朝に車を運転しながらNHKラジオを聞いていたら、作曲家の小橋稔さんの対談をやっていました。作曲家としてバリバリ活躍中の昭和60年に、交通事故に遭って視力を失ってしまった小橋さんに、お医者さんは言ったそうです。「耳じゃなくて眼だったのが、不幸中の幸いでしたねぇ」と。音楽を職業とする以上、耳をやられちゃったらアウト! 全盲の演奏家なら、スティービーワンダーとか、レイチャールズとか、たくさん思い浮かびますから、みんなそう思うでしょう。ところがそれは全くの素人考えで、耳が聞こえなくても実は作曲は可能で、作曲家は譜面を書くのが仕事だから、眼をやられた方が本当にアウトなのだそうです。耳の聞こえない作曲家といえば、ベートーベンしか思いつきませんし、しかも余りに偉大だったため、ベートーベンだけができた技だと錯覚させられているんですね。実際、ある程度ソルフェージュやスコアリーデングの訓練を積んだ人は、譜面の画像からオーケストラのサウンドが思い浮かびます。よく映画か何かで、作曲家が、ピアノを弾いて音を確認しながら楽譜を書き進めていくシーンがありますが、あんなのウソです。余程複雑怪奇な和音数カ所程度を確認する以外に、いちいちピアノなんかは使わず、バンバン書き進めるのが普通だと思います。少なくとも私の場合はそう。最近の譜面書きソフトは、書いた音符をすぐにプレイバックする機能がありますが、これが便利なのは、シャープやフラットの付け忘れ等、単純なミスを防止するのに役立つからであって、サウンド全体の構築には使いません。なぜなら、いくら音源の質が良くなったといっても、本来の楽器の音とは違い過ぎるので、自分の頭の中で鳴らした音の方が、はるかに信頼性が高いのです。というわけで、結論! ベートーベンが名曲を数多く残した天才であることは確かですが、「耳が聞こえないのにフルオーケストラのスコアが書けた」ということをもって天才とするのは間違いです。おそらくそういう作曲家は他にも多数いたのではないでしょうか。さて小橋さんはその後、パソコンを駆使してといいますから、おそらくMIDI楽器で曲を打ち込んで、浄書だけを誰かにお願いしているのでしょう。今でも第一線でご活躍中。それどころか、「眼に頼って安易に音符を並べることが無くなった分、真剣に音に向かえるようになったし、次々いい曲が書けるようになった。自分は失明して良かったかも」なんておっしゃってます。ベートーベンが聞いたら怒るかもな・・・なんて思いました。
10月17日 新幹線らしくせよ
昨日久しぶりに乗ったので、突然こんなテーマになりました。特に鉄道好きでない人は読むに値せず!
私が初めて東海道新幹線に乗ったのは、5才だったから昭和41年。開通3年目くらいですね。その頃から電車は好きでしたが、こいつは普通の電車と違いました。全席指定!ひかり号は毎時00分発、1時間に1本のみ!かっこいいじゃありませんか。選ばれた人間だけが乗る電車って感じ。私たち家族が乗ったやつも、ネクタイをビシっと締めた、いかにも高度成長期の日本を支えてるんだぞ!という人々で満席。で、みんな新聞読んでるし・・・ちょっと恐い雰囲気。普通の電車との違いは他にもあります。それは・・・揺れるんです。しかもヘンな揺れ方。速いから当然なんですけど、左右にゆさゆさだけじゃなくて、上下にフワっ・・・とかずぅんとか、飛行機のエアポケットみたいな。これには私たち兄弟は、ひとたまりもありませんでした。「うぅぅ・・・き・も・ち・わ・る・い〜」 じゃあトイレへ行こうか、と3歩くらい歩き出したところで「げぇぇぇぇ・・・」。必死に片づける両親を、満席のビジネスマンが冷ややかに見つめる・・・。「日本経済の中枢を、ぼくのゲ○で震撼させたのかな」なんて思いました。次に乗ったのは中3の時。京都の修学旅行ですが、恐ろしさを熟知していた私は酔い止めを服用。しかし無防備だった級友たちは、やはり次々と討ち死にしてゆくのでした。あれから数十年、夢の超特急は、徐々に威厳を失ってゆきます。自由席なんてものができて、本数も青梅線より多くなっちゃってるから、もはや庶民の乗り物に成り下がったのですが、王者復活の切り札が投入されました。全席指定で本数限定!これぞ選ばれし者だけが乗車を許される電車!その名は「のぞみ号」! 必要最小限の駅以外は、情け容赦なくすっ飛ばす!絶対停まらない!・・・はずだったのが・・・。どうせこうなると思ってましたよ。新横浜に停まることになった瞬間、凋落は始まったのです。今じゃどうです、昔のひかり号よりたくさん停まるじゃあ〜りませんか。昨日乗った「のぞみ5号」は東京、品川、新横浜って停まってくんです。もはや横須賀線並みですな。大阪以西も、福山や徳山に停まってます。福山の人々に恨みは無いですけど、福山に停まるんなら、じゃあなんで姫路は停めてくれないの、ってことになるから、結局そうやって各駅停車に近づいてしまうんですね。だからガキどもになめられるんです。(何言ってんだか、よくわからなくなってきた・・・)次に投入する切り札こそは、東京の次大阪!次博多!他は絶対停めねぇぞ、という意地を守り通して欲しいですな。それが子供たちの憧れの的、夢の超特急の責任というべきものなのです。
10月 5日 片手間ミュージシャン
いやはや、凄い人がいるもんですね。読売の夕刊ご覧になりましたか?(って、読売取ってる人以外には、まさしく無意味な問い・・・)。ピアノのコンクールで、なみいる強豪を押しのけて優勝したのは、43才の数学の先生だというから、驚きじゃあ〜りませんか。私も時たま「どっちが本業なの」と言われる程、音楽三昧の生活ですが、この先生に較べたら足元にも及ばず、私の本業は「ホラ吹き」くらいなもんです。先生のHPはこちらです。
http://kanekoic-pianofactory.on.arena.ne.jp/
一番気になる「いつ練習してるの?」という点について、報告されていましたが、それ読んで2度目のビックリです。実際にピアノに向かうのは週末のみ。月〜金は通勤電車内で譜面を読むだけだというんですね。頭の中で演奏を組み立てていき、ピアノを弾く作業は、表現の最終段階ってわけです。演奏という作業の中で、「考える」という部分がいかに重要か、思い知らされるではあ〜りませんか。実は私も、演奏のレベルは置いといて、練習方法だけに限ればこの先生と似ています。昔はひたすら弾きまくるのが練習でしたが、最近は忙しいこともあって、実際の楽器に触れる時間は非常に少なくなっているかわりに、楽譜を見ながら或いは思い浮かべながら考えてる時間が多いです。情けないことに、極く最近解ったのですが、音符も実際の音も「素材」に過ぎないんですね。それを使って料理するところが、音楽なのであります。(急に偉そう・・・) 楽譜をそのまま弾いただけみたいな演奏は、肉と野菜を生でそのまま出す料理のようなもの。焼きすぎて殆ど炭化とか、塩と砂糖を間違えたんじゃね〜の?みたいなの等、多くの迷演があります。逆に名演もいろいろで、素材の良さを全面に出したもの、或いは「カルパッチョ風たらこソースあえ&○×△◆・・・」みたいに凝りまくったのとか。素材を眺めていると、いろいろなアイデアが浮かびます。自分の主張を交えながら、一貫性のあるコース料理にまとめる構想段階が、実は料理人の実力で、面白い部分なのです。編曲の場合は、メロディーを素材とした料理。作曲だけが異質ですね。あれは素材そのものを捻り出す作業だと思います。・・・それにしても、片手間の人に優勝さらわれた側は、たまったもんじゃありませんな。私がもしピアニストでこういう目にあったら、演奏の仕事へ向かう電車の中で数学の勉強して仕返しします。
9月24日 続々・キャリア教育
フリーターが増えた大きな理由は、ズバリ社会がフリーターを必要としているからですな。コストがかかる正社員の数を、できる限り抑えて、安上がりな労働力で大部分を賄う・・・利益を追及するのが目的の企業として、当然と言えば当然の戦略です。じゃあ何で昔はそうじゃなかったのかというと、企業に体力があったからですな。バブル全盛期、或いはそこに向かって登り坂にあった頃、学校ではある意味困った事が起きていました。欠席や遅刻の数がハンパじゃないような悪い子ちゃんたちも、悠々と内定を貰えちゃうので、下の学年の子たちが、「就職なんて楽じゃん」と勘違いして、気合い入れてくれないのです。窓際族なんて言葉があったのもこの頃まででしょう。戦力外と思われる人材でも、一応置いておける余力が、企業にはあったわけです。それが突然厳しい世の中に様変わりして、徹底的なコスト削減路線になりました。今はアルバイト社員の事を「契約社員さん」と呼ぶ会社が多いようですな。この言葉には、企業側のホンネが滲み出ています。「バイトの連中」みたいに見下したような言い方が、なぜ大切な皆様になっちゃうかといえば、安上がりだから貴重なわけですな。今や、フリーターがいなくなったら、やっていけなくなる会社は多いはずです。昔、中学卒業後すぐに就職する人を「金の卵」と呼んでいましたが、まったく同じニュアンスが感じられます。社会が一定量のフリーターを必要としている以上、たとえ全員が「フリーターになりたくない」と思っていても、必ずその数だけフリーターにならざるを得ません。必ず「1」を7%つけなきゃならなかった、昔の相対評価と同じ理屈です。そんな中にあって、フリーターを減らす方法は大きく分けて2つあると思います。まずは、「仁義無き戦い型」・・・全国の高卒の2割は必ずフリーターになるという前提で、「君たちだけはフリーターになるな!」と、自分の学校の子さえ良ければいいと割り切って叱咤激励するやり方。もう1つは、国が全企業に「バイトは全社員の半分以下とする」みたいな縛りをかけちゃう方法ですな。しかしこれは社会主義っぽくて、今の規制緩和路線と正反対だから、まあ現実味は無いでしょう。結局、前者のように、各学校が「キャリア教育戦」を繰り広げるしかありません。私たちも日常の進路指導の中で、「勝ち組」「負け組」・・・なんて言葉さえ容赦なく使いながら、何の目標も無く単にフリーター層に取り込まれて行くのを防止しようとしています。大量のフリーターを輩出した学校は、「キャリア教育」の成果不足として、ダメダメ学校の烙印を押されるでしょうが、企業側から見ればそういう学校こそ、無くてはならない素晴らしい学校のはずですから、何が何だかわからん状態です。
9月13日 動体聴力
動体視力って言葉はご存じでしょうか。ハイスピードで動く物体を見分ける力で、普通の視力検査とは全然異なった能力です。優れているのは、スロットマシンを「777」になった瞬間に停止させられる凄腕ギャンブラーとか、プロ野球の打者等で、訓練によって随分と向上するらしいです。私はバッティングセンター通いしたことがあるのですが、130km/hのボールなんて、もはや見えません。140km超をジャストミートしたり、往年の川上哲治みたいに「止まって見える」なんていう人は、動体視力が僕ら凡人と全然違うはずです。以前にテレビで見た人は、走り去る新幹線の窓に書かれた文字を正確に読んでいました。最近見た「ドラムライン」という映画にも面白いシーンがありました。主人公は、他人のスティックの動きがスローモーションで見えてしまい、瞬時にそのフレーズを丸コピーしてしまう特殊技能の持ち主でした。蛍光灯というのは実は毎秒50回(関西では60回)点滅していますが、こういう人々には見えてしまうのでしょうか?だとしたら、かなり不快だと思います。
さて、表題にあります「動体聴力」ですが、これは私が川上哲治に対抗するために編み出した造語です。流れている音楽を譜面に書き取るという作業を長年やっていると、どうやら動体聴力が増加するらしいことを実感しています。以前は、採譜の極意は相対音感(絶対音感はそれほど重要ではないけど、あって便利だと思うことはたまにある程度)と、洞察力だと思っていました。ようするに速いパッセージの場合、全部の音が聞こえているにしても、実際には脳が認識しきれていないのですが、核になる音を相対音感や絶対音感で確定し、残りは前後の流れや楽器の性能、奏者のクセ等から推測するという方法です。ところが最近、全部の音が判ることが多くなってきたのです。和音の場合はどうかというと、2重奏は2倍、3重奏なら3倍・・・全部の音を正確に採譜するのは難しい、というのはウソで、ハーモニーが存在する分、手がかりが豊富になりますから、洞察力は発揮しやすくなります。最高音と最低音は確実に採ってしまい、内声部はそのハーモニーに合うように適当に積むのが普通のやり方。ところが、こっちについても、最近は5重奏なら5つの音が鮮明に判るようになってきて、洞察力よりも聴力だけで片づけてしまうことが多くなりました。人間の能力というのは、鍛えればどんどん強力になるものなんだなぁ、と我ながら驚いています。今こそ私は川上哲治のように宣言致します。「32分音符が止まって聞こえる」と。ほ〜っほっほっほっほ・・・。
8月28日 続・キャリア教育
フリーターやニートが増えたのは、学校のせいですかねぇ?ハッキリ言っちゃいますが、将来どんな職業に就きたい、という展望が持てない若者が増えたのは、半分は家庭のせい。あと半分は社会のせいで、学校に責任はありません。なぜなら、学校は勉強教える場所で、「お前は家業を継げ」とか言う権限ありませんので。さて、現場の様子をお話ししますと、将来像をしっかり持ってがんばっている子も多いです。しかし、ニートへの道をまっしぐらと思わせる子もいます。この違いが何から来るかというと、ズバリ家庭の姿勢です。多くのお父さんお母さん、ドキッするでしょう?いいぞいいぞ、思いっきりドキッとして下さい。後者のニート予備軍のご家庭に共通するのは、子供の進路に関して「この子の人生ですから、この子の好きなようにさせます」という方針。親のセリフとして一見かっこいいけど、裏返せば「お前のことなんか知ったこっちゃねぇよ」、或いは「ハナっからアテにしてねぇよ」ってことです。子供が延々と親のスネをかじり続けても、ビクともしないような大金持ちの家庭なら、まあ解ります。でも多くの家庭はそうではないはず。にもかかわらず、子供がのほほんとして、学校はサボりまくった上に携帯代までせびるのは、家庭の財務状況を知らされていないからです。なぜ知らせないかというと、子供に余計な心配をさせたくないからでしょうが、これが思いっきり逆効果だということを知るべきですな。私がなぜこんな偉そうにレクチャーできるかというと、私自身が育った家庭が、幸いにも(?)家計が火の車で、そのやりくりを考えるはずの両親は計算超苦手、という二重の幸運に恵まれたからです。(戦時中の小学校では、簡単な計算すら教えてもらえず、戦争に必要な物を作らされたらしい) そんなわけで、私や弟が小学校高学年の計算力や、独学で3級取ったソロバン力を駆使して家計簿を分析し、一家全員で危機突破戦略プランを練りました。私は中卒後すぐ働く覚悟を決めていましたが、父が仕事に復帰することができたので、幸いにも高校に進めました。この頃の経験は、我々兄弟を大きく自立させたと思います。まとめると、子供は家庭という社会の一員として一人前に扱うべしってことですな。当然、経営に関する情報(ようするに家計)は一家で共有し、子供にも節約や収益向上の必要性を理解させ、お年玉の何割か拠出を迫ってもいいくらいですな。高校や大学も、「行くな」とまで言わずとも、進学によって家計がどう圧迫されるのかは、絶対に意識させておくべきです。そうしてこそ、勉強をサボることの罪悪が理解でき、何のために学校に通うのか自覚でき、それはキャリア教育の重要な部分を占めるでしょう。弦太は、我が家の貯金額から両親の給与明細から、全部知っています。絶対に言いふらすなと言い聞かせてはありますが、万一聞かれた場合は忘れて下さい。
8月24日 キャリア教育
っていうのを来年から、各学校ごとに計画を立てて、それに沿って実施しなければならないことになりました。19日にその説明会があって、朝の9時から夕方5時まで、ひたすら座って話を聞くという難行苦行に耐えてきたところです。午前中だけでも相当辛かったので、「午後の部が一人や二人減っても、誰も気づきそうもないな」と心の中でつぶやいたとたん、司会者が「午後もあらためて受付をしていただきます」としゃべったので、こちらの表情を読まれたっぽい。しかも午後の解散時には、「必ず各校の管理職に、今終わったことを電話で伝えてからお帰り下さい」なんて言ってたから、今日は余程重要な集まりなんだなぁ、と思いました。さて肝心の中味ですが、キャリア教育は要するに、将来就く職業を意識させた進路指導ということ。東大合格率等に象徴されるように、「どの大学へ入れるか」のみに重点が置かれ過ぎていた、従来型の出口指導への反省から来ています。また、「フリーターやニートが増えたのは学校の責任だ。何とかしろよ」ってことでしょう。説明会の感想としては、納得半分、「?」半分てとこですね。まずは納得部分。
確かに、昔の進路指導は出口指導でした。私自身が中学生時代、どの高校に行くかは、イコール「どの高校に受かるか」以外の何物でもありませんでした。今では信じられないことですが、偏差値的にみて余裕のある受験を希望した生徒は、先生に呼び出されて「なぜ全力を尽くさない!楽な方に流れるな!向上心を持てぃ!」みたいにお説教されてました。内申43の子は、あと一歩努力して72群(立川国立)にチャレンジすべきで、74群(武蔵三鷹)の希望は、安全策と言うよりも、手抜きと受け取られる風潮があったわけです。(昭和51年当時の計算方法と学区) おそらく、当時の校長先生を始めとして、学校全体で進学実績を上げようという、学習塾に近い意図がありました。授業中にいろいろな先生から、日野四中と日野三中が学力的に競っていて、何としても勝ちたいという発言が飛び出していたのもその現れです。高校時代はそれがさらに顕著でした。成績会議では、優秀な生徒たちにいかに高望みをさせるかを検討したといいます。私も頭が良すぎたせいで、よく議題になったと先生から言われました。大学で何を勉強したいのかなんて2の次、3の次で、一度も訊かれたことありません。受かりゃよかったのです。お恥ずかしい話ですが、私が物理分野で「どの大学が何の研究に強くて、どこにどんな教授がいる」とかを知ったのは、大学4年になってからのことです。本当は高校3年の時点で研究室巡りをして、「金属の○○について研究したいから、東北大学に行こう」とか、そういう選び方が、実際には難しい面もありますが、本筋だと思います。最近、公立私立を問わず、説明会や模擬体験授業するのが当たり前になってきました。進路選択の判断材料、学習の動機付けにとてもよいし、我々の世代からすると非常に羨ましいことで、キャリア教育のメインとなるべき取り組みでしょう。
次回は「?」部分について述べることとします。
8月18日 和楽器
トップページにも紹介してありますが、箏曲のコンサートで、私の編曲作品が発表されます。日野市近辺にお住まいで、27日(土)ご都合のつく方は、どうぞお越し下さい。ところで、箏3重奏のアレンジというのは、私にとって初めての体験で、もちろん大編成でも木管5重奏でも、必ず「初めて」の時はあるのですが、箏だけは特別な「初めて」でした。今回の作品は、今までに手がけた何百曲の中で、ダン突に難しい編曲です。箏の弦は13本。一回り大きい17弦というのもあり、今回は13弦×2台と、17弦1台の3重奏です。弦の本数だけ見ればギターの2倍ですが、弦を押さえて音階を作るという発想が無く、ハープに近い楽器です。「押し手」という、弦に圧力をかけて半音程度ずり上げる奏法があることはありますが、臨時的に使用するもので、あくまで13個の音だけで演奏するのが基本です。ということは、どうなるかというと、もしも「ドレミファソラシドレミファソラ」の13音にチューニングした場合、音域は1オクターブ半で、ハ長調かイ短調しか無理。また、ピアノであれば簡単な「ドミソド」みたいなアルペジオも、箏で間違えないように弾くのは至難のワザになります。まあなんと不便な楽器なんだろう、と思いながら書いていくうちに、簡単なことが解りました。箏って日本古来の楽器で、そもそも西洋音階を弾くようにはできていないわけだ。だから日本音階の曲なら、ピアノやギターが四苦八苦するはずの所を、縦横無尽に弾きまくれるのです。今回書いた曲は、ハ長調の易しい曲だったのですが、演奏者と相談しながらずいぶん手直しをしました。本来アルペジオで伴奏するところ、弦飛ばしを避けるために、連続したスケールに変更したり、パズルしまくりです。やはり和楽器は和音階、洋楽器は洋音階の曲を弾くのが、機能的にいいのです。でも、スケールでの動きはバッチリだから、モードジャズのアドリブなら箏は有利だな。
さあそうすると、非常に不思議なことが・・・。東京都教育委員会は、「君が代」の伴奏をテープやCDではなく、音楽の先生がピアノで弾くように命令を出しました。体育館にピアノが無い学校は、運んで来てでもやれ。音楽の先生が弾けないというなら、その理由書を提出せよ・・・という徹底ぶり。バリバリの日本音階である「君が代」を、絶対に箏で伴奏しろというのなら解るけど、なぜピアノなのか。まあ、音楽の先生に対する嫌がらせに違いないでしょうが、何よりもあの伴奏は国際的に恥ずかしいですな。右翼の人たちはよく黙ってるなあ。最近流行の「君が代独唱」(無伴奏)や、モードジャズ風に編曲した方がまだマシで、本来は和楽器以外で伴奏すべき曲ではありません。私が伴奏を命じられたら、ちゃんと編曲し直します。
8月 7日 他人事でない明徳義塾事件
明徳義塾の出場停止&監督辞任は、ついに来るべき時が来たな、という印象です。これは平成4年の「松井5連続敬遠事件」の延長線上にあり、根を同じくする問題が露呈したに過ぎません。あの5敬遠の試合をテレビで見ながら、私はむしろ「敬遠で済んで良かったな」と思ったものでした。明徳はいざとなったら、松井めがけて魔送球(星一徹の現役時代。あとは、土佐丸高校の犬飼たけぞうが里中君に対して)とか、足を上に向けてスライディング(ウルフチーフがサード長嶋にやろうとして、番場蛮に阻まれた)とか、最悪ビーンボール(アストロ球団で金田監督&成田投手が宇野球一に対して)くらいやりかねないぞ、と恐怖感を覚えました。以来明徳に対する印象は、「勝つためには手段を選ばないチーム」でした。馬淵監督個人を非難する論調もありますが、私の見解では彼も被害者の一人。野球部の成績が学校経営に大きく影響する中で、優勝請負人として雇われた監督にとっては、「スポーツマンシップに則り一生懸命やったけど負けちゃった」では済まされないのです。生徒一人一人が野球の練習を通じてどう成長したか、という一番大事な部分は、地味過ぎて周囲の関心が集まらず、ついつい結果主義に陥ってゆく・・・これは野球に限ったことではありません。吹奏楽だって同じです。コンクールの審査員がガラっと入れ替わっても確実に勝つためには、審査員になりそうな人(或いはなることが決まっている人)にあらかじめコーチして貰う、なんてズルっぽいことも行われているようです。負けちゃったじゃ済まない体質から脱却しない限り、多くの学校や部が、教育的な目的から逸脱してゆかざるを得ない・・・これは私立なら経営者、公立なら教育委員会がしっかり考えておくべきことなのですが、残念なことに、世の中は第2、第3・・・の明徳義塾を量産する方向に進んでいる、と思わずにはいられません。東京都の成果主義導入はその最たるもの。大学進学率UPや中退率DOWN等、数値目標を掲げて、実現できれば有能な教師・・・というやり方。進学率UPも中退率DOWNも、それ自体が悪いことではないのですが、生徒個々という視点が欠落しているのが大問題。中退する子の事情というのは、本当に百人百様なのです。これを機械的に「減らせ」と言われ、その至上命令に従うことだけを考える教員が増えたら、喫煙や暴力事件のもみ消しは当たり前。遅刻欠席、頭髪服装も大甘にしないと、大切なお客様は「この学校ダリぃんだよ!」と宣ってお辞めになってしまいますから、何でも自由の素晴らしい学校になってしまいます。明徳事件を機に教育界は今一度、何が一番大事なことなのか、原点に立ち返るべきですな。
7月25日 続・女王の教室
いやはや、賛否両論なんて呑気なこと言うとる場合ではなくなってきたな・・・。賛否否否否・・・くらいな感じ。打ち切りにならないうちに、話題にしておかなくては・・・。第3話以降、さらに内容が過激になりつつありますが、本業の立場からコメントしましょう。
第4話に出てくる「班の連帯責任制度」。これについて、視聴者から反響が大きいので少し驚きました。これ、経験ありませんかねえ。今でも普通にあちこちでやられていると思いますよ。私も小中学校時代は必ず班を作らされ、1日の反省コーナーでは可哀想な班長さんが、他の班長からの攻撃にさらされ、続いてその原因を作ったと思われる班員を班の中で糾弾する・・・。う〜む、怖いな。教員となってからの私も、恥ずかしながら「これは異常だ」と気づくまでの最初の1年近く、似たようなことをやらせていました。「全生研」という団体がそういうマニュアルを出していて、それに傾倒したか洗脳された先生が多く、新人の先生はいやおうなしに巻き込まれてしまうためです。指導方法は判で押したように、「班」を作らせ「競争」させ、「足を引っ張った者を追及」させます。この流派の教祖みたいな人は、おそらく並外れた力量の持ち主で、こういう際どい指導法でも、生徒どうしの心を傷つけずにやれたのでしょう。しかし、これを真似ただけの大部分の先生は、力量も無いのに危険なワザを使いまくるので、クラスは大変なことになってしまいます。教師の見ていない所で、裏の糾弾会が始まってそのままイジメに移行したり、責任感の強い子は、班長の重圧に潰されそうになったり・・・。さらなる問題もあります。その指導方法を「や〜めた。僕は普通の方法でやりま〜す」と宣言した時に、学年全体が「班活動推進派」で固められていると、「足並みを乱すんじゃね〜よ」的な攻撃がかかり、先生の方がノイローゼになっちゃう可能性があります。私の場合は幸いにして完全包囲網ではなく、何人か仲間もいましたし、先輩から何言われてもカエルの面に○○で、逆に挑発するくらいのズ太さがありましたから、今日までこの業界で生き残れていますが、神経の細い先生や生徒にとっては、学校は大変な場所だと思います。
結局このドラマは、学校や社会の抱える問題を暴き出している点に価値があります。不快だと思う方は見なければよく、教育上悪いと思われるなら、子供にだけは見せない、というのは自由ですが、実際に起きていて、目を背けるべきではない問題が多数含まれた内容だ、と思うのは私だけでしょうかねぇ?
7月18日 女王の教室
っていうタイトル・・・日テレ土曜夜9時から放送してますけど、いや〜凄いドラマが始まったものですな。3回分の放送が終わったところで、反響が異常なほど大きく、もしかすると放送中止になるかも・・・って感じ。反響を大別すると、「余りにも過激で不愉快だから中止しろ」という否定派と、「先生とはこうあるべき」という全面肯定派。あとは、「問題提起として意味がある」みたいな中立派。それから「昔の先生はみんなこんなだったなぁ」という、単純に懐かしんでる派。我々以上の世代だと、懐かしんでる派が多くなるようで、実際私自身もこういう絶対君主的な先生に習ったことがあります。その体験が、心の傷ではなく「懐かしさ」になっちゃう理由は、こういう場合必ず、暴君教師
Vs クラスの生徒全員、という対決構図が生まれ、どうやって先生をギャフンと言わせようか、みんなで知恵を絞りながら妙に団結できるのです。だから、私がこのドラマを見る時、6年3組の生徒たちが自分の小学生時代と重なり、お前らガンバレよ!という気持ちになりますな。まあそれほど「ひどい先生」という設定なんですが、同業者の視点から、一理あるなと思わせる部分も多いです。例えばテストの成績をトップからビリまで公表する・・・。私が低学年の頃は、普通にやられていたことです。考えてみれば、徒競走などは、常に順位を公表しながらやる競技だし、音痴だろうが何だろうが、歌のテストは全員の前で一人ずつ歌わされます。算数のテストも能力ジャンルの一つと考えれば、不得意を公表されることが、特別大きな問題ではありません。むしろ、自分は○○は苦手だから△△で見返してやろう、という具合に、生き方の方針を立てやすかったです。しかし最近の流れは、子供達に順位をつけ、競争させること自体が悪という風潮ですから、がんばる目標が立てにくいのは確かです。20年近く前の三沢中でさえ、クラスの成績上位10人だけを公表した先生が、保護者からのクレームを受けました。「10位以内に入れない子の気持ちを踏みにじる行為」というわけです。今の時代に成績張り出しなんてやろうものなら、大ブーイングでしょうな。でもこの場で告白すると、私は今でも、自分の科目の成績上位者張り出しをずっと続けています。競争主義はある程度は必要です。というわけで、女王先生にもがんばってもらいたい。
最後に、このドラマを一緒に見ている現役小学生「弦太」の反応ですが、「僕の担任の先生の方が、1000万倍くらい良い」だそうです。全国の小学生諸君が、現担任の良さを再発見して、円満な関係を築くキッカケになるなら、このドラマの威力は素晴らしいですな。
7月12日 続・夢を追いなさい
昨日は学年全体の進路ガイダンス。生徒を就職、専門学校、大学短大、その他、の4部門に分けて、担当の先生がいろいろ説明をしました。私の担当は「その他」。「その他」というのは、ホントにその他いろいろです。フリーター、家事手伝いなどはもちろんですが、縁故就職等も学校推薦を使わないという意味で、その他に分類されます。学校推薦を受けないで、すべて自力で進路を決めるということは、進路指導部の立場からすれば「お好きなようにどうぞ」ということになるので、ここから先は担任である私たちが世話をするという流れ。世話と言っても、特に世話できることもありませんから、私の仕事はとにかく、生徒に閉塞感を与えないことです。駄目だ駄目だと耳にタコができるほど言われたフリーターに、これからなろうってんだから、不安が無いはずはなく、自分は駄目人間なんじゃ・・・と思いこんだら本当に駄目になります。フリーターからビッグになった人だってたくさんいますから、フリーターが駄目なのではなくて、フリーターの中にたまたま駄目なやつが多く含まれていただけの話。「その他」は、夢を掴むには一番良いポジションであることを理解して、活き活きと頑張らせる・・・これは重要な進路指導です。実際、「その他」の生徒に「夢と戦略」を書かせたところ、みんな素晴らしい夢を持っていました。後はどこまで食らいついて行けるかです。とことん応援したい。
先週の土曜にニューサウンドのライブがあって、昔の教え子も来てたりして、同じような話になりました。私と出会ったがために、いったい何人の若者が人生ウラ街道を歩んでることでしょう・・・。多いのはプロミュージシャンで、中には相当ビッグになったのもいます。高3の秋に「大学行くのヤーメタ。アメリカで修行する」と言って飛び出した子や、大学1年の時に「ヤーメタ。音楽で生きていく」と言って飛び出した子や、大学を卒業してから突然「就職すんのヤーメタ。アメリカで修行する」と言って飛び出した子や、・・・私が「飛び出せ」って煽ったわけじゃないんですが、みんな飛び出しちゃうので、親にしてみればたまったもんじゃありません。誰を恨めばいいのやら・・・って、もちろん私を恨むに決まってるから、だいぶヤバかったです。でも当の本人たちは楽しくやってるので、夜道で狙われる程には恨まれていません。生徒が夢を実現してビッグに成長してくれるのは嬉しいことですが、私が他の先生と決定的に違う点は、ビッグになった教え子を再び抜き返してやろうと思ってることです。これは教え子たちも感じているらしく、私が追ってくるのを怖れてくれる子が少なくありません。まあ本気で抜き返すつもりだから、怖れるのも当然ですな。ほ〜っほっほっほ。現高3の子たちも、きっとビッグになるでしょうが、その後は私の影に怯える日々が待っているのです。再度ほ〜っほっほっほ・・・。
7月 3日 夢を追いなさい
先週でしたか、テレビを見てたら、郁文館高校の密着ルポやってましたな。外食産業の社長が理事長に就任して、学校改革を開始したというわけですが、まあ凄い凄い・・・。そのやり方について行けず、何人もの先生が学園を去ったというのも、解るような気がする・・・っつ〜より、私だったら真っ先にクビにされてますな。徹底した成果主義というのは、現在東京都が進めている「人事考課制度」と共通する考え方ですが、郁文館の方が10年先を走ってる感じでした。渡辺理事長は、まだまだ政権スタートしたばかりですから、お手並み拝見というところです。ただ、民間からやってきた校長さんの多くが、初めは成果主義に賛成しつつも、その難しさの壁に直面しています。数値目標設定と言っても、東大に何人合格させたかみたいなの以外は、あんまり意味をなさないのが多いので、無理に推進すれば、かえって志気の低下すら招きかねません。現場で働く我々だって、基本的は成果主義賛成なはずですから、(いやそれは違う、という人は、サボリたいだけの人・・・)成果がちゃんと測れる性質のものならば、何十年も昔にとっくに成果主義は確立していたに決まってます。さて、そんなワンマン理事長ですが、いいことも言ってました。「夢を追いなさい」・・・教育の場では、極くありふれた言葉ですが、理事長の言い回しは非常にキツイものがありました。「世の中そんな甘くないぞ」というセリフは、自分が夢を追えなかった、逃げてきた証拠!そんなヤツらに、夢を持っている若者を教育できるわけがない!・・・ええ〜密かに賛成です。三者面談なんかやると、本人は「音楽家になりたい」と言ってるのに、お母さんは「とりあえず大学に行きなさい。音楽は大学のサークル活動でやればいいじゃない。先生からも言い聞かせて下さいませんか。世の中甘くないってことを・・・」という展開は多いです。ここで「よし!お前はフリーターやりながら、音楽の修行しろ!」と言いたいけど(今年は何人かに本当に言った)、親から何言われるかわからないから、「まあまあまあ・・・」的な対応にならざるをえません。同じ「まあまあまあ」でも、ハナっから夢を諦めた大人に言われるのと、今も夢を追い続けている私に言われるのでは、説得力がだいぶ違うと思うのです。(ほ〜っほっほっほ・・・) 公務員やってるクセに、何寝ぼけてんのと言われそうですが、公務員やりながらでも世界的な作曲家になれると思ってますんで。(再度!ほ〜っほっほっほ・・・) 渡辺理事長は今後いろいろと軌道修正を余儀なくされるでしょうが、生徒の夢を応援する姿勢には共感するので、がんばって欲しいと思ってます。
6月27日 天気の話
土曜日のPTA研修旅行は、越生町の名物「うちわ作り体験学習」の後、昼食会(昼飲会?)。うちわ工房の見学だけでも面白いのに、オリジナル作品に挑戦できたとあって、とても楽しい内容でした。宴会の席上、20名くらいの参加者全員に、今日の感想を一言ずつ言わせるコーナーが出現!当然の流れではあっても、いつも思うのは、こういう時に皆さんさぞ緊張するし困るだろうなぁ、ということです。大勢の前で話すのが仕事の我々にとっては、どう笑いを取ってやろうかな、くらい考える余裕がありますが、こんな機会が滅多に無いであろうお母さん方には、恐ろしく酷な時間です。予想通り、最初の方が「今日はお天気にも恵まれ・・・」と始めると、もう次から次と「天気が良くて・・・」のオンパレード。超ひねくれて突っ込んでみると、「天気に恵まれて良かったことくらい、見りゃわかるんだよ。それにもういいよ、そんな何人もから念を押されなくたってさ。最初の人が言った時に、全員うなずいたじゃんか」ってことになりますが、そんなこと言われたら、ほとんどの人は人前で話すなということになります。話すことが無くて困った時に、今日の天気に触れる・・・。天気は誰の目にもわかりきったことだから、全員がうなずける・・・。天気は、万人が等しく無事にスピーチを終えるための、唯一の逃げ場なのでしょう。だから、突っ込んではいかんのです。
天気の話をしてはいけないのは、デートの時。彼女との初エートで、うまく会話を切り出せず、思わず「いい天気ですね・・・」。今時いねぇか、こんなやつ。でも、饒舌な男が増えすぎた現代においては、「いい天気」は意外性があって、モテるかもな。ところで、しゃべりのプロたる教員は、是非とも天気に逃げないでいただきたいものですな。運動会の朝の校長先生とか、絶対に言うじゃないっすか。あれ、何とかならんもんですかね。あんまり考えて来てないんじゃろか・・・?私の場合、結婚式のスピーチ等は真剣にやります。前の晩から台本作ったりはしませんが、一つ前の人がしゃべってる時など、場の空気を分析しながら、頭の中は全速力で回転しています。ちょっとしたしゃべりにもプロの意地を見せるべきですな。研修旅行では、これぞお手本ともいうべき私のスピーチが披露されました。名付けて「スピーチ・オブ・スピーチ」 ほ〜っほっほっほ・・・。楽しんでいただけましたでしょうか。
6月20日 ズタボロリハ
リハーサルは、ズタボロなくらいがちょうどいい。そう思うようになったのは、ここ2〜3年のことです。プロのミュージシャンや司会者が、リハーサルでとちりまくって、大丈夫かいな?と周囲を心配させておきながら、本番はビシッと決めるのを見て、さすがだなあと思っていましたが、自分もそのタイプになってみて、ようやくわかりました。リハで完全燃焼させてしまうと、本番のテンションが下がってしまって、よくないのです。だから、やれることをあえてやらず、スタミナも気持ちの集中力も温存しておく・・・これが本番でうまくいくコツですな。おとといの演奏会では、ソロがいくつか回ってきて、リハでは全然と言っていいくらい吹けなかったですが、これもある意味わざとがんばらなかったのだ。おかげで、本番はうまく吹けました。昔、生徒たちによく「練習は本番のつもりでやれ。本番は練習のつもりでやれ」と言い聞かせてきました。申し訳ありませんが撤回します。練習は練習だ〜、気楽にやろうぜ。そのかわり本番は完全燃焼な〜。なんて今更言ったらみんな怒るだろうな。まあ中学生相手だと、教育的配慮から、やはり「練習を本番のつもりで」と言う方が正しいような気がしますが、ある程度場数を踏んできた大人だったら、「本番にとっとく」的な態度の方が、絶対に楽しめると思いますな。もちろん、場数を踏んでない人の場合は、きちんとリハーサルしておくことで不安を取り除いていますから、あくまで人それぞれではありますが、いつかは「本番勝負」の境地に達してほしいです。
最近、放送作家という人々が失業の危機にあるとか。テレビ番組の進行を、アドリブの利くお笑いタレントがブッツケ本番でやっちゃって、その方が面白いもんだから、作家が台本書く必要がないらしい。運動会、卒業式の予行、模擬面接なんてのも、あんまり周到にやりすぎない方がいいのかもしれませんな。こんど会議で言ってみようかな。でも「適当にやっときゃいいですよ」とか言ったら、ぶっ殺されるだろうな。教育現場は、常に全力投球を美徳とする世界ですからな。だんだん教職が苦手分野になってゆく(泣)
6月14日 勉強法
高校3年生の担任なので、たまには受験勉強のアドバイスでもしましょう。「能率の良い勉強法を教えてくれ」と言われて、「学問に王道ナシ」と一蹴するのは、余りにも不親切。努力を惜しんで楽して成果をあげたい人には、この答えで十分ですが、頑張ってる人のために伝授します。昔の経験談ではなく、今現在やってる方法だから、説得力あるぞ。
私は現在、生物T、Uを初歩から勉強し始めて、難関入試問題を解けるレベル到達まで、1単元1週間ペースを目標にがんばってます。仕事上必要だからやってますが、新鮮で面白かったりもしますな。さて、先々週のお題は「代謝」。クエン酸回路の出発点付近に「活性酢酸」という物質が登場しますが、いきなり大きく立ちはだかる壁ですな。酢酸は知ってるが、活性タイプと不活性タイプがあるなんて聞いたことないぞ。なんじゃこりゃ?物理や化学の知識を動員しただけじゃ、理解不能な言葉がポンポン飛び出してきます。別の本を見ると、なんと活性酢酸という物質は無くて、そこには「アセチルCoA」と書いてある。どっちの言うことが本当なんじゃ?しかもCoは一酸化炭素?なわけねぇな、Oが小文字だもんな。んじゃコバルトかよ?ますますありえねぇっぽいぞ。さらに別の本では「アセチル補酵素A」。Coは補酵素という意味らしいな。さらにもう1冊・・・だんだん本の厚みが増してきて、説明が詳しくなってくる。「アセチルCoA(コーエーと読む)。活性酢酸と呼んだこともある」 ついでにアセチルCoAの化学式を確認。な〜んだ、酢酸とはまるっきり別物じゃんか。初耳だった言葉をだんだん納得。次は問題集。1回読んで解けない問題は即、解答を見ちゃう。すぐに別の問題集の同レベルの問題に挑むと、さっきカンニングした効果が現れて、簡単に解けるから、それでOKとします。こんな感じで、新しい言葉は5冊以上の本で調べてゆき、問題集も何冊かを並行してやります。
何かを教わるのに、一人から聞いただけで解らない時は、別の誰かに聞くと謎が解けることがあります。5人の先生から同じ事を教われば、微妙に表現が違うから、より理解が深まるってわけだ。同じ人から同じ話を5回聞くのは、丸暗記とかにはいいかもしれませんが、その他については能率的ではありませんな。最後に受験生の机のあるべき姿について。常に複数の本を瞬時に開ける状態で用意しましょう。いちいち本棚や引き出しに戻すのはタイムロスが発生します。出しっぱなしがベスト!私の机を見習いなさい。
5月28日 先生も遠足は楽しみ?
昨日は東京ディズニーランドに遠足でした。多くの高校がこの週に中間テストをやって、最後の金曜に遠足を設定します。金曜が好都合なのは、遠足の翌日に授業やっても能率が上がらないのと、先生たちも心おきなく打ち上げができないからです。というわけで、27(金)は休日並みの大混雑でしたな。さて、本日の表題にあるやつも、実によく耳にする質問ですな。「仕事でディズニーランド行けるなんて、先生ってうらやましいですね」なんて事もよくいわれます。果たして、先生方にとっての遠足は、楽しみなのでしょうか。答えはズバリNO! もしも「わーい、明日は遠足だ〜」と大ハシャギの先生がいたら、新人でまだ遠足引率経験ゼロの人だったらまあ解りますが、そうでないならば、かなりいろいろと問題を抱えた先生でしょう。普通は、全然楽しみじゃないどころか、行かないで済むものなら行きたくない、ってのがホンネなのです。実際、遠足の引率者を決める時、担任以外の先生たちの一番人気の仕事は「学校でお留守番」です。修学旅行だって、まあ似たようなもん。理由は簡単、大勢の生徒を安全に引率するという、神経の休まるヒマが無いお仕事だからです。私は昨日は、スペースマウンテンもビッグサンダーも、全然乗りませんでした。乗ったのは青梅線、中央線、京葉線くらい。じゃあ、4時間以上も何してたのよ、と不思議に思われるでしょう。皆さん、今度ディズニーランドへお出かけの際にですねぇ、プラザレストランでも、シンデレラ城が見えるあたりのオープンカフェでも、どこでもいいですから、ちょっと人間観察してみて下さい。ディズニーランドに相応しくないダサめの服装で、会話も途切れがちな数人組がいるはずです。持ち物はリュックかショルダーバッグ。読書してる人、ただ居眠りしてる人、テストの採点なんかしてる人も見かけます。これらは一目で遠足の引率とわかります。そういった、のほほんとした雰囲気がある一方で、眼光鋭く、犯人を張り込み中の刑事さんたちかな、と思わせる人たちも見かけます。こっちは中学の先生でしょう。校外行事で問題を起こしそうな子、ってゆ〜か、「ディズニーで大暴れしてやる」て予告する子でさえも、遠足に来るなとは言えないのが義務教育ですから、そういう子がいる学校の先生方は、常に臨戦態勢なわけです。あと、同じネクタイ姿でも、何となくシャキっとして見えるのは、先生ではなく旅行会社の人。というわけで、私はディズニーランドにいる間中、ぼ〜っと座ったまま、手元の携帯電話が鳴る場合に備えていただけです。あ、でもマーチングバンドが来た時だけ見に行ったな・・・。ヒマな先生は乗りに行っても全然構わないんですけど、まあそんな気分になれないのが普通じゃないでしょうかね。最後に付け加えると、引率ではなく実踏(下見)の方は、間違いなく最大の楽しみであります! これがあるから、私は修学旅行&遠足担当であり続けることができるのです。
5月22日 優秀過ぎる集団は・・・
昨日は教え子の(正確に言うと教え子の妹さんの)結婚式。お姉ちゃんの時に私が司会をやったので、今回もついでに頼まれたという、不思議ないきさつでした。会場は、泣く子も黙る(?)「椿山荘」。結婚式場の名門中の名門です。さすが名門と思わせるのは、16時から披露宴スタートというのに、司会者の集合は15時半。以前、他の式場で司会した時は、何週間か前に新郎新婦と一緒に呼び出されて、会場の下見やら入念な打ち合わせをさせられたことがあるのですが、今回はもちろんそんなのもナシ。で、15時30分に会場に入ると、「待ってました」って感じでもなく、スタッフは淡々と各テーブルの準備を進めているだけなので、私は勝手に祝電の確認と分類(どんな立場の人からかによって、紹介する順番を決める)の作業をやってました。やがて担当マネージャーがいらして、「では打ち合わせを・・・」と言ったのがもう15分前。特別趣向を凝らした披露宴ではないため、打ち合わせは5分で終了。すぐに披露宴は始まりました。部屋がやたら広くて、司会とマネージャーと音響係を結ぶ3角形がでかいから、ちょっと心細いんですが、必要がある時だけ連絡を取り合い、何ら問題なく進行。同じ指示が何回も来たり、方針が途中で変わったり、そういう無駄は全く無かったです。ところが、安心しきった私はホロ酔い加減で司会したため、ミスだらけ。皆さんからは別に何も言われませんでしたが、自己採点で30点位の出来でしたな。他の式場で、マネージャーが頼り無い場合は、当然酒なんか1滴も飲まず、会の進行をすべて自分で切り盛りする位の意識でやるから、かえっていい仕事ができる、って〜ところが皮肉なものです。
売り上げ1兆円のトヨタ自動車には、国家公務員上級合格を放棄して入社してくる人もいて、優秀な人材が集まり過ぎることが、今後トヨタの弱点になる、と週刊誌に書いてありました。現在うちの学校も、自分で言うのも何ですが、かなり優秀な集団です。普通どこの学校にも、「こいつはヤバイ」みたいな先生がいるものですが、うちは珍しくきっちり仕事できる人だけが揃ってる学校です。組織がこういう状態の時こそ、気を引き締める必要があることを、肝に銘じなくては危険です。ダメなやつが多い時は、いやおうなしに引き締まるから、かえって安全なのです。
5月15日 少人数クラス
高校3年の選択授業クラスは、普通の学級のサイズよりも少な目の人数になることがあります。〜ことがある、というのは、そうならない場合も多いだろうと思うからで、実際自分が高校3年の時の物理Uは、教室一杯40人いた記憶があります。秋留台でやった物理Uの最少記録は7人でした。でもその年、化学の方は80人くらいが取ったので、4クラスに分けてました。どこに行っても物理は嫌われるようです(泣)。さて、今年の青梅東は閉校直前のため、全校生徒数94名。分母が小さいですから、ただでも少ない理系選択者がもっと少なくなります。で、あっさり記録更新・・・化学T(4人)、物理U(4人)、化学U(3人)、生物U(2人)。この生物Uに至っては、実験室の1テーブルを囲むようにして授業やってますが、おそらく全国的にも珍しい形態でしょう。超少人数授業をやった感触はというと、これはもう、究極のやり易さとしか言いようがありません。何十人かいる授業では、ユニークな意見が出て盛り上がったりする効果もありますが、そんなの差し引いてもお釣りが来るのは間違い無く、授業は少人数が良いに決まってると言えます。まあ、強いて難点をあげれば、教室の隅々まで届くような声を出す必要が無いので、エネルギー的には持て余し気味。あと、選択授業は元々その科目が進路上必要だったり、興味のある子しか取りませんから、全員がヤル気満々で来ます。それはそれでいいんですけど、「理科大っきらい」という子を教える仕事の方が、プロとしての血が騒ぐので、少々物足りないと思うことも・・・。ま、何とも贅沢な悩みですな。
それにしても、授業の人数というのは昔から較べるとずいぶん改善されました。現在1クラスの人数は、全国どこの学校でも40人を超えることは無いはずです。私が三沢中で初めて担任したクラスは43名で、その翌々年の1年1組では46名でした。(本当は45が上限のはずが、転入生が入って46になった) この時はどうやって机を46個入れるか悩んだ挙げ句、8列配置を採用した記憶があります。当時の校長先生が「自分が新採の頃は、1クラス60名だった」とおっしゃってましたが、教室のサイズって昔も今もそんなに変わらないはずだから、どうやって教室に押し込んでたのか不思議です。
お上の教育改革は、まるで狙ってるかのように、やることなすこと逆効果ですが、1クラスの人数は目に見えて改善されてきてますので、この調子で欧米並み20人学級に追いついて欲しいものです。
5月 2日 ゆとり
JR西日本で大きな事故が起きました。暇があれば意味もなく電車に乗りに行くのが好きな、鉄道オタクの一人として、悲しい気持ちです。さっきのニュースを見ていたら、新型ATSが付いたら運転再開とか言ってましたが、そんなんで信頼回復はムリでしょう。今後、電車に安心して乗って下さいと言うには、緊急ダイヤ改正以外の道は有り得ません。少しくらい遅れても、飛ばさなくてすむように、昔並みの余裕ダイヤに全面的に組み直すのです。元々、国鉄時代というのは遅さが自慢でした。私が若かりし頃は、私鉄は速く国鉄は遅いというのが常識。京王線は昔から100キロ以上で飛ばしてましたが、レールの幅が広いから平気なわけで、国鉄が100キロ以上出すなんて考えられなかったな。中央線の特別快速でも、せいぜい90キロでしたよ。しょっちゅう一番前で速度計見てたから、間違いないです。大学生の時、普段は京王線で通う友達がたまに国鉄に乗ると、遅さに感動してました。その代わりと言っちゃぁなんですが、国鉄の方が明らかに時間は正確でした。朝の京王線は新宿駅が近づくにつれ、ノロノロ運転に。私たち国鉄組は、「渋滞する電車」と言って京王線組をからかってました。関西地区でも電車に乗ったことがあります。近鉄も阪急も速くてビックリでした。全国どこでも、国鉄は「遅い、高い、偉そう」だったのです。それがJRになってから、スピードが上がりだす・・・。あちこちで報道されている通り、私鉄に対抗し始めたわけです。中央線にも、京王線みたいな曲芸的ダイヤが出現。青梅線や五日市線が東京まで直通運転し、通勤時間帯にも特別快速が走り始めたので、どっか遅れたら全部遅れるしくみ。それで秒単位の遅れにペナルティが課せられるとなれば、運転手のプレッシャーは大きいはずです。今こそ昔のダイヤに戻すことを強く望む。八王子から新宿まで35分で走ろうとすれば、どっかに必ずムリが生じるのは当たり前。八王子は田舎なんです!都心から1時間半の場所なんだ、と認めることが大切です。
ゆとりが失われているのは鉄道に限りません。我々教員も、ミスをすれば給料を下げられ、ペナルティが課せられるようになってきました。「都研送り」といって恐れられている研修は、JR西日本がやっている再発防止研修とそっくりです。(東京都研修センターに通わされ、指導員の罵声を浴びつつ作文書いたりするらしい・・・) つい先日は若い先生が自殺したというニュースもありました。ミスをしていいとは言いませんが、ノーミスを要求して個人を追いつめるより、組織全体としてゆとりを持って仕事できる体制を目指す方が、結果的にミスも減ると思います。交通機関にも学校にも、そういう意味でゆとり回復が急務です。
4月25日 続・専門分野
新採の頃、ある社会科の先生が、「オレが卒論で研究したテーマは、教科書で言うとこの部分だよ」と言って示した場所は、200頁位ある歴史の教科書の、真ん中へんの1頁の、さらに小さな囲み記事みたいな所でした。そういう部分というのは、たいてい「余談」みたいな位置づけで、要するに「教えなくたっていっこうに構いません」的なものです。その先生の言わんとすることは、「オレの専門はこれだから、授業で教えてることの99.9%は、厳密に言えば専門外だ。だからお前も、物理科を出たから生物は教えられねぇなんて、甘ったれたことぬかすなよ」ってことでしょう。言われてみればまったくごもっとも。私は物理学科の卒業ですが、卒業研究テーマは「磁性」で、いろんな合金の結晶構造をエックス線で調べる実験でした。高校の物理の授業に、そんな分野はありませんから、物理出身の私が物理の授業をやる場合でさえ、実は100%専門外です。それはお前が学生時代、音楽ばっかりやってて、物理の勉強をロクにやってなかったから、そう思うだけだろ?と言われたら、そうかもしれません。でも、はっきり言えるのは、自分が何を専門に勉強してきたかと、生徒にどう解りやすく伝えるかは、まったく別次元です。大学での勉強は、間接的に役に立っているでしょうが、今教えている内容は、100%教員になってから仕込んだネタばかり。そう考えると教員とは、本当に大学の教員養成課程を卒業している必要があるのかどうかさえ、怪しく感じられます。コミュニケーション能力を磨いた人というのは、何を話したって相手を惹きつけますから、いきなりどっかの学校の何かの教科を教えても、そこそこやっていけちゃうんじゃないだろうか、という気がしています。
最近、民間人の教育界への登用が流行ってきていますが、密かに賛成。ただし校長にはしない方がいいかも。カルロスゴーン氏でさえ、先生みたいなワガママな集団を部下にした経験は無いはずですから、まずノイローゼになるでしょう。それより、敏腕セールスマンとか、結婚式場専属司会者あがりの先生が授業するとか、そういう方がいけるかもな。そのあおりを食って私がクビになったら、結婚式場に再就職します。
4月17日 専門分野
高校の理科の先生は、物理の先生は物理、化学の先生は化学を教えるのが普通で、これは中学校との決定的な違いです。実際、教職員名簿を見ると、私の担当教科欄には、「理科」ではなくて「物理」と書いてあります。採用試験の時も、物理のテストはありましたが、化学、生物分野は試験されませんでした。だから物理以外は何も勉強しなくて済んだし、高校の先生になったら物理だけ教えてればいいんだな、と思うのは当然のことです。ところがドッコイ、指導要領の改訂で「理科T」という科目が出現した頃から、そのへんの境目があやふやになり、物理の先生なのに化学分野を教えなきゃいけないような事態が起こり始めます。物理だけ教えるつもりで先生になった人にとっては、詐欺にあったような気分ですが、教員免許状をよく見ると「高等学校理科」と書いてあって、本来は物化生地4分野全部やるのが建前だから、文句は言えないのです。だったら採用試験の時に全分野やっといてくれよ、と言いたいですな。理科Tにどう対処したかというと、科目名は「理科T」にしておいて、実際の中味は化学だけとか物理だけにしちゃうことが、よくやられたようです。私も理科総合という科目の中で、実際には化学Tの内容を中心にやりました。ところが学校によっては、こういう得体の知れない新科目を、ひたすら若手の先生に押しつけて、長老たちはのうのうと自分の専門科目だけに安住、ということもあるようです。若手だけではなく、中学校経験者も格好のターゲットになります。私も前の校長から「お前、中学校で全分野教えてたんだろ。だから全科目やっちゃえよ」って言われたことがあります。最近の傾向として、理科や社会の先生が専門外科目を教えるケースは増えつつありますから、長老の皆さんにしても他人事ではありませんな。
さて、物理の先生が化学を教えることが、どの程度大変かというとですねぇ・・・。教室で講義する分には、そんな変わらないのですが、実験となると殆どが未体験ゾーンですから、「銀鏡反応」なんてポピュラーな実験でさえ物理の先生の多くは、やったこと無いか、やり方も理屈も忘れちゃってる人が多いと思います。生物に至っては、ほぼギブ。教科書に登場する「オオカナダモ」とか「ユスリカ」とか、生き物の名前を言われても、ピンと来ない・・・。正直なところ、生物教えるよりも数学教える方が気が楽です。私の今年の担当科目は、専門の「物理U」と、専門外の「化学T」「化学U」「生物U」、計4種類。滅多に経験できない持ち方ですな。楽器なら金管、木管、打楽器、全部人並み以上にこなす私のことですから、授業も全種類そつなくこなすでしょう。ほ〜っほっほっほ・・・。
4月 3日 敵対的買収
今なんと言っても注目のニュースはこれですな。ホリエモンの行動パターンに賛否両論あるようですが、バンドに置き換えて考えてみました。もちろんアマチュアバンドは、株式会社とは全然違いますが、プロバンドだったらありそうな話だな・・・。
いつものように合奏前のウオーミングアップをしていると、突然全員に集合がかかり、「団長を任されることになった○○だ。今日からは私のやり方に従ってもらう。あ、君たちからの自己紹介は必要ない。役員はすべて入れ替えた。まず指揮者はここにいる△△君だ。彼を中心として、よい音楽作りに励んでもらいたい。次に各パートのパートリーダーを紹介する・・・」なんて具合になったら・・・。結果、そのバンドがもっと上手くなって、みんな大喜び、になる可能性も無くはないでしょうが、やっぱりイヤですよね。そのバンドが長年培ってきた有形無形の財産が全否定されることに変わりないわけですから。ちょっと極端なストーリーではありますが、ニッポン放送の人たちが置かれている状況は、こういうことだと思います。というわけで、私自身の考えでは、ホリエモンはハナっから相手を挑発し過ぎ。ニッポン放送側も喜んで乗ってくれるような、友好的業務提携の持ちかけ方ができたはずです。
アマチュアバンドでこういう事態を迎えることがないのは、資産の過半数を握られる心配が無いからです。大きなバンドになると、団所有の楽器や楽譜で、時価総額数千万円くらいになりそうですが、あくまで団の所有物。ただ、在団20年超なんて古株の人は、それだけ長期間に渡って団費を納め続けてますから、入団したての人に較べると、総資産に於ける所有権の割合が大きいという潜在意識があるはずです。だから、古株が「オレのバンド」みたいに威張ってるのは、まあ仕方無いことなのです。余計な心配ですが、ああいう大きい団が潰れたら、その財産はどうなるのだろう?? ところで、あるトレーナーの先生が面白いことを言ってました。「譜面を粗末に扱うバンドはダメバンド!」と、ここまでならよく聞くセリフですが、続き・・・「アメリカでは、きちんと揃った譜面を300曲持ってれば、その日からバンドリーダーが開業できるんだぞ」 言われてみれば、そういうものかもしれません。譜面はバンドの最重要財産なのです。さて、うちのバンド(ユニゾン)のことですが、すべて学校関係に頼って活動しているので、資産と言えるものはゼロ。このへんの気楽さがいいのかもしれません。見向きもされんが、傘下に収められるもんなら収めてみぃ!
3月31日 演奏会の経営
以前にも「自腹」という項目で論じた内容ですが、いや凄かったですねぇ。横浜市のある高校の定期演奏会です。満席が予想されていたので、だいぶ早めに着いて、演奏が始まるまでお金のことばかり気になってました。「みなとみらいホール」って、使用料いくらかかるんだろ?青梅とか福生の市民会館て、予約の時に3万も持ってけば余裕なんですが、ここはゼロ一つ違うだろうな。ホール代が高ければ当然、付帯設備料も比例して高いはず。パンフレットはもちろん印刷屋さんが作ったであろう立派なやつだから最低でも○万。ゲストプレイヤーがいたからギャラが○万。他の細かい出費もばかにならないから、結局総額100万くらいの事業になるでしょう。そして、これが1回こっきりのものでなく、毎年繰り返される「定期」演奏会であるとなれば尚更、先生が自腹で埋め合わせするのにも限度があるので、やはり毎回きちんと黒字経営してゆかねばなりません。いったいどうやって費用を捻出しているのだろう?(謎)
10年位前の多摩らいふ21吹奏楽団というイベントは、会場(どりーむホール)使用料だけで50万、指揮者のギャラ一人50万・・・総額400万円近い事業でした。(ただし東京都が半額近く補助) 参加者が最初の1週間で30人しか集まらず、参加費の見込みに狂いが生じ、まず1回目の青ざめ。結局120人集まって事なきを得たのもつかの間、本番直前になってもチケットの売れ行きが芳しくない・・・。参加者全員に10枚ずつ買い取らせよう、という過激な案も出ましたが、最初の約束と違うことをいきなり要求すれば、「ふざけんな、じゃあ出ねぇよ」って人が続出し、イベントそのものが崩壊することにもなりかねません。結局どうしたかっていうと、私が実行委員長としての責任を取って「赤字分は、私が新車のシビックを手放して埋め合わせるので、みんな頑張って売って〜」と、情に訴えました。お陰様で2千人のホールに1600人入って、車を売らずに済みました。
今思えばこのイベントは、都から補助があるとはいえ、取らぬ狸的経営の最たるものです。これから演奏会を企画しようという、新進気鋭のブラバン顧問の先生、できたてバンドの団長さん等の皆様、くれぐれも無借金経営を心がけて下さい。現在いる部員×部費+学校からの予算+広告費等、つまり今ある金額の中でできることしかやらないことです。青梅東では、先行投資のつもりでちょぴっと立て替えたままになっているのですが、回収できないうちに廃高です。うぇぇぇぇぇん・・・。
3月21日 転勤発表の時・・・
「実は転勤することになった・・・」と告白したとたん、生徒たちが号泣・・・って、ここ数日よく見かけるシーンですね。昨日の演奏会終了後にもそんなことがあって、花粉の影響も加わって大変なことになってましたな。あ、誤解を招くといけないので、お断りしておきますが、私がこの春に転勤するわけではありません。私は4月からも青梅東におりますよ。
先生方は3月31日までは今の学校に勤務して、4月1日から新しい学校の職員となります。たま〜にですが、3月30日くらいにどんでん返しが発生することがあるので、早い時期に異動内示が出た場合でも、なるべくギリギリまで伏せておくように言われます。ただ、3年生の卒業式はうちの学校だと3月11日ですから、そこを過ぎちゃうと3年生には伝えられなくなってしまうので、多くの先生はそうした節目で告白するのです。大泣きされるのは、間違いなく生徒から厚い信頼を得ていた証拠であり、そういうシーンを見ていると、自分も異動の時に泣かれるようになりたいものだと思いますし、泣いてくれるのだろうか、と不安にもなります。とか言いつつ、私はすでに異動を2回経験しています。その時泣かれたのか、というとですねぇ・・・???でしたな。三沢中から秋留台に移る時、3月31日に吹奏楽部員全員に召集をかけ、もう一人の顧問の西村先生から発表してもらいました。一瞬、目を押さえたり鼻をすする声がし始めたかに見えました。しかし、西村先生はお話を短く終え、すぐに私に振って来たので、私が非常に軽いノリで話し始めたら、出かかった涙は止まったらしい。秋留台から青梅東に移る時は、少しシリアスに切り出したつもりだったのですが、異動先が隣りの学校ってことで、生徒にとっては準備室が2階から4階に移ったくらいの印象だったみたいです。私「実は・・・(シリアスに)、青梅東に異動するんだ・・・」 生徒「じゃあ、ユニゾン(合同バンド)の練習もトン高(青梅東高のこと)でやるんですね。どこの駅から行くんだっけ?」 私「ん〜、河辺駅北口徒歩25分。重い楽器は駅まで車で取りに行くから・・・」と、いきなり実務的な内容に入って、泣き時を逸しました。
というわけで、3度目の正直。次回こそは泣かせてやろう、と思うのですが、来年の3月は卒業式と同時に閉校記念式典で、全校生徒がいなくなってしまうわけだから、転勤は今から判ってるし、泣かせる相手がおらん。
3月 7日 昔の教え子の名前
先生って、教え子の名前をみんな覚えてるもんなんですか?というご質問にお答えしましょう。ズバリ、先生によって人それぞれです。完全無欠に覚えてる人もいますが、多くの先生は、覚えてる子もいるし忘れちゃってる子もいる・・・って具合。ま、人間なんだから当たり前といえば当たり前。忘れられた子にしてみると、自分は余程印象が薄かったんだな、と落ち込んでしまいそうですが、そう考えるのは早計です。いつどんな形で教わったかによって、印象度がまるで違ってくるからです。例えば私の場合、新採の年に教えた子は、間違いなく思い出せます。担任した子に限りません。8クラス340人余り、授業は週2時間、2年間だけの付き合いでしたが、今どこかでバッタリ出会っても、すぐに名前が出てくるはずです。ところが、2週目の学年となると、ちょっと怪しくなってくる。期間で言うと3年間の付き合いで、最初の学年より長いにもかかわらず、印象度が下落するのです。その後、3週目、4週目・・・と進むにつれ、さらに忘却度が増加。とはいえ、とっさに名前が出てこないだけで、「○○です。」と言われれば、「あ〜、△組にいた○○君ね。あの実験の時に、一人だけ面白いことやってたよな」とか、その子に関する記憶はすぐに呼び戻せます。昔の同僚で、とっさに名前が出ない時、久しぶりに会った教え子にイヤ思いをさせないためのウラワザを考案した人がいました。「君、名前なんだっけ?」「○○ですよ。忘れちゃったんですか?」「○○ね。いや、それは解ってたんだ。名字じゃなくて下の名前を忘れちゃってね」 と言うらしい・・・。これが、実際うまくいってて、彼は「記憶力の良い先生」ということで評判でした。さて、場合によっては、名前はおろか「君なんか教えたっけ?」くらいに、きれいさっぱり忘れられることもあります。私自身、中学時代は相当の個性派で、どの先生にとっても印象に残ると思いこんでいました。ところが、卒業後10年経過し、同じ日野市の教員になって、研究会か何かの場で、昔お世話になった先生方に「先生、お元気ですか」と挨拶して回ったら、一人だけ「どちら様ですか?」と聞き返して来ました。直井ですと言ってもわからん。××先生のクラスにいて、あんな悪さしたこんな悪さしたと言っても覚えとらん。どうしてここまで徹底的に完全忘却されたか、心当たりはあります。その先生の授業は、ひたすら板書しながら講義するだけで、誰かに発言させるでもなく、生徒とのやりとりは皆無でした。だから、どこのクラスを教えても、マネキンが40体座ってるのと大差無かったわけで、私ほど目立つ子でさえ記憶に無いのです。でも、もしかしたら本当は覚えてて、こいつとは話したく無いということで、知らんぷりされた可能性もあるな。そうで無いことを願いたいですが、私はみ〜んな覚えてて、知らんぷりしないから、街で見かけたら気軽に声かけて下さい。
2月21日 悪い人いい人
郁恵さんにキャッチセールスらしき電話。「個人情報を悪用されたようです。放置すると4月から年会費の請求が行きます。トラブルから貴方様を守るため、私どもで解約手続きを進めますので、印鑑と身分証持参で○○へ来て下さい」なんて語り口。怪しいに決まってるけど、向こうの言う事が本当なら行った方がいいし、ウソなら出る所へ出るための証拠収集が必要と思い、私が付き添って行くことにしました。ところが、向こうがそれを察知してドタキャン。相手の不安を煽って女性を一人で呼び出し、うんと言うまで帰れないような強引なセールスをしようってことでしょう。極めて悪質です。私の所にも詐欺メール1日20通以上。架空請求葉書も、今では全く新鮮味がありません。油断もスキもあったもんじゃない、ひどい世の中です。しかし、毎日こういう悪業をやってる人って、家族まで欺いてるんですかねぇ。子供に「お父さんの仕事は、人を陥れることだよ」なんて、いくら何でも言えないでしょうから、常に後ろめたさの中で生きてるのか、もはや完全にマヒしてるのか。悪い人に出会うと、自分のせいじゃなくてイヤな気分にさせられるから最悪ですが、そういう時、私は「いい人」の事を思い出して、元気を回復することにしています。
世の中には、絶対数で言うと、悪い人よりもいい人の方が圧倒的に多く、中には飛んでもなくいい人もいます。忘れられないのは、10年くらい前でしょうか。車が溝にはまって脱出不能になった時のことです。雨水が溢れて、しかも夜だったため、どぶが見えなくなっていたのでした。通りかかった1台の車から降りて来た人が、「これは出られるよ。任せな。」と言って、そのへんに落ちてる鉄パイプや、ジャッキを巧みに使って、車を引き上げてくれたのです。雨に濡れながら見ず知らずの人間を助けてくれた神のようなそのお方は、決して名前を教えてくれず、足早に立ち去ろうとしました。私は「お礼ができなくなる!」と思って、とっさにメモ帳を取り出し、車のナンバーを控えようとしました。それを見て、彼はようやく名刺を1枚下さいました。おかげで後日、あらためてお礼状を差し上げることができました。そのお方のお話によれば、彼も以前に見知らぬ人に脱輪を助けてもらったことがあり、それ以来、同じように困っている人を放っておけなくなったそうです。見知らぬ人から受けた恩は、別の見知らぬ人に返せばよく、それが「いい人」を増殖させ、明るい社会につながるんだから、お礼なんてその場のありがとうだけで十分じゃないですか。ってわけで今思えば、あの時しつこく名前や連絡先を聞きだそうとしたことは、彼には大迷惑だったに違いありません。
悪徳商法、詐欺等、他人を不幸にすることによって儲けている連中は、当然のことながら、厳しく取り締まった上、駆逐されるべき存在です。その前に彼らが、見知らぬ人の親切に触れて、いい人に転身できる幸運を祈りたいです。
2月14日 先生のバレンタインデーに関する質疑
第1問「先生方は、バレンタインデーは何個くらいのチョコを貰うのですか?」という質問を、私にするのは別に構わないのですが、人によっては、いきなり「うるせぇ!別にいいだろ、そんなこたぁ。ゼロだよゼロ、わりぃか、このヤロ!」と怒鳴られる危険がありますので、注意が必要です。私の場合、担当している部活動が吹奏楽部で、女生徒が多いこともあってか、かなり貰える方だと思います。女子部員が10名なら10個、20名なら20個、とまでは行かずとも、それに近い数は確かに貰っておりました。まあ、お歳暮みたいな感覚ですから、お返しはしたことがありません。第2問「やっぱり20代の先生がたくさん貰うんですか?」 答えはハッキリNo! じゃあ何歳がピークなのか、と言われても困りますが、落ち着きと渋みが出てくる頃が増えます。単に若くてかっこいいより、父親的な雰囲気を持った先生の方が、1ケタ多い数を貰って、2日に分けて持って帰ったりしています。第3問「何個貰えたか、は気にしますか?」 自分が学生だった頃は気にした、と言っても数ではなく、来るか来ないかです。教員で、何人の生徒から貰えるかを気にする人はいないと思います。でも、ゼロだった先生が、ショックを隠しきれずにいるのを見たことはあります。第4問「生徒からの本気チョコってあるんですか?」 んんんんんんん・・・・・・・あります。以上で質疑応答を終了いたします。
教員になってから、20回バレンタインデーを経験して思うこと。義理チョコは手軽なお歳暮として最適だし、生徒どうしの本気チョコも、年に一度の告白のチャンスで、女の子にとっては重要であろうし、見ていて微笑ましいものではあります。ただ、多くの人間が集団生活する学校を受け渡し場所とするにあたっては、規制というより、思いやりが必要かもしれません。貰えた人が肩で風切って闊歩する陰で、貰えなかった人もいるわけだし。女の子にしても、あげる相手がいない・・・手作りで用意したのに勇気が足りずあげ損ねた・・・最悪、受け取って貰えなかった・・・等、悲しい思いをする人がいるはずです。そこで新たな校則を提言!その@バレンタインチョコは、こっそり渡すこと。そのA貰った人は見せびらかさないこと。そのB男の子は、一日を通して、なるべく目に付きやすい場所を一人で歩き回ること。また、必ず受け取ること。これらを、生活指導部が中心となって、キッチリ守らせる事により、明るい学校生活が保証されようというものです。
2月 1日 リセット2000
というのは、2000年度の青梅東高校文化祭のキャッチフレーズ。秋頃に中学校の近くを通りかかると、「明日に向かって!」とか大きく書いてありますが、あれと同じやつ。「明日」とか「大空」とかが含まれた、いかにもありがちなキャッチコピーを抑えて、「リセット2000」が採用された時は、皆一様に驚きましたが、選定に当たった我々担当教員全員一致でした。今考えても、これ以上素晴らしいキャッチは見たことが無く、今後も出ないと思います。2000年にあたり、過去の失敗にくよくよせず、慣習にとらわれず、自分たちでもう一度新たな歴史をスタートさせよう、という気持ち。それが、ゲーム世代にとっては良く馴染んだ「リセット」という言葉で、端的に表現されているではありませんか。ここでは、100%プラスの意味で用いられた「リセット」ですが、陰の部分も存在するのはもちろんです。ゲーム機に必ず付いている「リセットボタン」は、安易なやり直しを許す、悪魔的なボタンでもあります。苦境に陥った時、何が何でも脱出する努力をする、という姿勢を奪ってしまう危険があります。
都立高校という業界も、最近よくリセットボタン押すなぁと感じます。今、統廃合というのを盛んにやっているのですが、単純に1校を閉校にするのではなくて、2校潰して別の新設校を一つ作るというやり方です。その新設校というのは、総合学科、単位制、チャレンジスクール・・・いろいろ聞き慣れない名前が付いていて、校名も地名を主としたものから、一ひねり加えたものに変わっています。例えば、「羽田」→「つばさ」、「大泉学園」→「大泉桜」、「稲城」→「若葉」なんて感じ。こういった改革が、本当に生徒のニーズに合致していて、我々もそれに応えられるだけのハード面、ソフト面の両方を備えていればよいのですが、せっかく入って来た第1期生が「なぁ〜んだ・・・」と思うような結果に終わったら、安易なリセットに過ぎなかったことになります。そうなったら、もうその先はリセットボタンを繰り返し押し続けるしかなくなるでしょう。開校してまだ年数も浅い「コース制」の学校が、早くも統廃合されたというのは、私には「2度目のリセットボタン」を押したように見えてなりません。10年後くらいには、きっとまたリセットされるでしょう。こんなことやってたら、いつかリセット操作そのものが信用されなくなる心配があります。「新しいタイプの学校!」っていう宣伝が、狼少年化するわけです。大事なのは、今まで積み上げてきた良い部分を伸ばし、悪い部分を改善する、という地味で当たり前の努力ではないだろうか・・・。
私の出身大学が「首都大学東京」になりましたが、こりゃまた凄いリセットをかけられてしまったもんですな。これどうせダメでしょうから、10年毎に再リセットすることでしょう。私みたいなロクでもない卒業生のせいでリセットされたんだと思うと、責任感じます。
1月23日 歯医者さんと譜面書き
私の歯医者通いは、物心ついた頃からの大ベテラン。特別に甘いモノが好きだったとは聞いていませんが、乳歯もほとんど治療し、当然、永久歯になってからは全部を治療済みです。だから、弦太が7才になる現在まで、1本も虫歯が無いというのが超不思議です。社会人になってからは、歯医者に行くのが5年に一度くらい。忙しいもんだから、ついつい痛くて我慢できなくなるまで放置してしまうので、行ったら最後、10本くらいの虫歯を発見されてしまいます。さて、歯医者にかかるたびに不思議というか不満に思うこと・・・それは治療にかかる期間の長さです。削って型を取って、型に合う金属を作るのに1週間以上かかるから、その間待たされるのはわかる。でも、それを今回は1本、次回はまた1本という具合に1本ずつやるから、1本治すのに2回通い、10本なら20回通う必要があるわけだ。だから完治までに軽く半年はかかるわけです。他の患者さんも大勢いるわけだから、10本いっぺんに削っていっぺんに型を取って、とまでは言えませんが、例えば型を1個はめた日に、他の1本を削るようにすれば、20回が一挙に11回に減る計算。何とかそういうふうにできないもんですかな。他の歯医者さんも同じなのだろうか・・・。
こんな文句を言いながら、私自身、同じような仕事の進め方をすることが実は多いです。譜面の依頼が何曲か重なると、全部を同時進行させるのです。頼んだ人にしてみれば、まず自分のを先に片づけてくれよ、って言いたいところでしょうが、そうは行かないのだ。3曲重なった場合、パソコンに向かったら、その日の優先順はあるにしても必ず3曲全部に手を付け、1小節だけでも書き進めるようにしています。1曲を集中して完成させちゃう方が、能率いいのは確かなのですが、その間手つかずだった曲に対して焦りが増大するので、たとえ僅かでも進んだ、という安心感を得るのが一つ。あとは単なる気分転換。そしてもう一つ大きな理由は、少し時間を置いてから見直すと、いろんな修正点が見えてくるという点。最近は、8小節書いて、翌日はその8小節に修正を入れて次の8小節を書く・・・というサイクルの方が、最終的な出来がいいような気がしています。不思議なことですが、1日寝かせてから見直すと、前日には「あ〜でもないこ〜でもない」と悩んだ箇所が、「なんだこりゃ?これで決まりじゃん!」みたいにスッキリ解決することが多いのです。
歯医者さんも、先週削ったところを見ながら、「やっぱこうだろ!」なんて削り直したくなるかもしれませんが、型を取っちゃってるから無理ですね。大変なお仕事だと思います。
1月14日 脱・緻密
箱根駅伝の伴走車が廃止されてから、各ランナーは自分の時計を見ながら走るようになりました。時計を見る理由は、「あっ、いつもよりスローペースだな。がんばらなくっちゃ」とか思うにとどまらず、あらかじめ設定した配分、すなわち○km地点を○分○秒で通過、みたいな作戦の通りにレースを進行させるためです。これは大多数のランナーが当たり前のように採用している方法だから、合理的かもしれません。もしも「時計禁止」っていうルールになったら、現代の駅伝は成立しないかも、っていうくらいです。でも私の勝手な気持ちからすると、時計に管理されながら走って楽しいか?っていう感じ。さて今年の駅伝ですが、時計を見ないで走った変わり者が3人いました。山梨学院の2区モカンバ、順天堂の5区今井、早稲田の10区高岡です。3人の成績は、モカンバ12人抜き区間賞、今井11人抜き区間新、高岡区間新と、3人共通して凄かったわけだ。時計を見なかった理由ですが、高岡の場合はシード権争いの11位にいたため、何が何でも前の1人を抜く必要があり、ようするにタイムは2の次、時計なんて気にしてる場合ではなかったのです。普通の状況だったらきっと時計通りに走り、こんな好記録も出なかっただろう、と想像できます。次は今井について。最初のうちは見ていたらしいが、途中からは抜くのに忙しくなり、ゴール近くで再び見たら、区間最高記録より2分も早いもんだから、時計が壊れたと思いこんだそうです。微妙に天然系の怖いモノ知らずが生んだ大記録でした。来年彼がこの記録を意識して、設定タイム通りに走ろうとしたら、きっとダメなような気がします。最後にモカンバですが、彼だけは初めから、「時計は見ない。前のランナーを抜くだけだ」と宣言。で、言った通りにゴボウ抜き達成ですから、カッコいいですね〜。こういう選手が大好きです。送りバントしないで全員がひたすら振り回す、蔦監督時代の池田高校野球部とか、コンピュータと異名をとった大山名人のライバル升田幸三とか、フォーメーション無しパスワーク無し、全員がひたすらボールに突進するだけなのにけっこう強い霞FC(弦太の所属チーム)とか、ジョージ川口のドラムソロとか、緻密な作戦抜きの豪快さって、ファンを魅了します。バンドの演奏も、コンクールを目指すような団体はけっこう緻密にやってて、全部の音をチューナーで合わせたり、ホールの大きさによって「地区大会用」「全国用」等、バランスを変えたりしていますが、あまりいろんなことに神経質になり過ぎると、のびのびやれないから、いいものが出にくくなりはしないだろうか、と心配になります。音程を微調整できるための基礎練習をしっかりやった上で、「オレはチューナーは見ない。気持ちのいい音程で吹くだけだ」と宣言すればいいと思います。
1月 7日 体調管理の秘訣
駅伝・・・今年もフルに見ました。今年の5区山登りにはしびれましたな。アナウンサーに「神か!いや悪魔か!」と絶叫させた、その驚異的な記録については、また次回に触れるとして、残念だったのが期待のホープ、中大1区の上野君でした。結局、肉離れを起こしていたのが原因でしたが、実況中には風邪と報道されたので、なんで一世一代の大勝負当日に風邪引くかな、と思った視聴者も多いはずです。そこで今日は、「絶対に万全の体調で臨まなくてはならない日に、絶対に万全の体調で臨む方法」について論じてみましょう。これについては、作家の山口瞳さんが著書の中で、苦い経験を報告しています。山口さんは将棋が強くて、何かの企画でプロと対局することになり、対局日に最高のコンディションにもっていくために、何日も前からいろいろ考えたりやってみたりしました。ところが結果は、医者のお世話になる程の極度の便秘になってしまい、対局どころではない位、最悪の体調で当日を迎えました。これを読んだのは私がまだ高校生の時でしたが、自分の似たような経験を思い出しました。高校入試の前の日、明日に備えて早く寝ようなんて布団に入ったはいいが、眠れるわけがない。いつもならテレビ見たり本読んでるが、それをしないから頭も目も疲れないので、よけい目が冴えてしまう。結局、眠りについたのは、いつもよりうんと遅い時刻で、翌朝は睡眠不足で最悪・・・。皆さんもそういう経験をお持ちではないでしょうか。風邪を引いたらいけないと思って、いつもより毛布1枚多く着れば、汗かきすぎて見事風邪を引く・・・。下痢したらいやだと思って水分控えれば、今度は便秘、等々。そんな経験を重ねるうち、非常に単純なことに気が付きました。いつもと違うことをするから、いつもと違う体調になってしまうのです。これが解っちゃえばあとは簡単。明日が入試だろうが、旅行の出発日だろうが、演奏会だろうが、一切構わず!普段通りのものを食べ、普段通り夜更かしして、普段通り眠くなったら自然に寝る・・・。これが、ベストコンディションで翌朝を迎える秘訣なのです。実際、大学入試以降は常にこれを実行し、何ら問題無いことを証明したので、教員になってからは生徒に伝授しています。入試を翌日に控えた中3のクラスで、「いつもと同じ時間まで起きてろ。今日だけ早く寝ようったって無理。気持ちばっかり焦るだけだ」なんて言った担任は多分私だけだと思いますが、心から正しいと信じています。体のことを気にかけて、神経質になればなるほど、体が変調をきたす・・・。マーフィーの法則みたいですが、これは真実なのです。
2005年1月1日 バレないサンタ
あけましておめでとうございます、と言いながら話題がサンタで申し訳ありません。我が家は今年もサンタさんを信じさせたまま、持ちこたえました。年末年始は、子供にとって夢の多い時期なので、以前に宣言した通り、弦太が成人するまでは信じさせておこうと思います。我が家では、サンタの正体がバレないように、弦太だけでなく親にもサンタが来るという設定です。昨年は私が貰う役で、郁恵さんは貰えずにガッカリする役を務めました。いい子には来て悪い子には来ない、というのも子供と同じ。今年は弦太にはいろいろ反省させるべき点が多かったことから、サンタさんを1日遅らせることに決定。郁恵さんが「今年は悪い子だったから来ないよ!」と言い放つ役、私は、余りにも落ち込んだ場合にフォローする役。さて迎えた25日朝、弦太は早くから目を覚まし、枕元付近をチェックしていたようですが、朝7時を回ったところで諦めて私を起こしました。私は寝ぼけたフリをしながらゆっくり起きると、ハッと我に返ったように慌てて枕元を探し始める。「お父さん!どうしたの」 「サンタ・・・サンタさんは?」 「来て無いよ」 私は郁恵さんの枕元もチェックして、プレゼントが無いことを確認すると、ガックリと膝を付き、うつろな目をしてポツンと一言・・・「ぜ・ん・め・つ・だ・・・。今年は家族全員貰えなかった・・・。」 「お父さん、早く寝ないから貰えなかったのかも。今日は9時前に寝れば、明日来るかもしれないよ」と、ショックに打ちひしがれる私を、弦太が元気づける。ここからは話の中味を、「サンタは良い子から優先的にプレゼントを配布するだろうから、普通の子かそれ以下の場合、交通事情によって遅れることは十分あり得る」という方向に持っていき、プレゼントが来る可能性を示唆しつつ、この1年間の行いを反省させます。難しかったのは、小学生ともなると、遅れた原因についても筋の通った説明を必要とすることです。「テロの影響で飛行機が遅れた」と言ったら「サンタは飛行機を使わず、トナカイで飛んで来る」と反論され、「トナカイでも空港に降りて入国審査がある」とか苦し紛れ。最終的には、羽田の新ターミナル開業のせいで、トナカイが着陸場所を間違えたのだろう、という結論で落ち着きましたが、トナカイはヨーロッパからの、いわば国際線に相当しますので、羽田でなく成田ですよね・・・。26日朝には、しっかりとプレゼントが届き、「来年はいい子にして、25日に貰おう」と誓い合うのでした。次回は、トナカイのルートを羽田から1号線、湾岸線のどっちで来るか、なんてところまで説明できるように準備しておく必要がありそうです。しかし・・・。年末年始を迎えるたびに、サンタになったりお年玉あげたり、出費がかさむので、いっそさっさとバラした方が楽なのか、という気もしています。