職員朝礼での社長訓話集 一つ戻る 最新版へ戻る
12月29日 負け方
一昨日、アンサンブルフェスタというイベントに、生徒たちを連れて参加してきました。年明けに連盟主催のアンサンブルコンテストがありますが、元々はそれに向けた、練習試合のような意味合いで始まった行事だと思いますが、今や吹奏楽界の一大イベントといった雰囲気です。うちの吹奏楽部は、地域の演奏では人気急上昇中。創立2年目にしては、非常に活発にやっている方だと思いますし、その中でも今回出場した金管4重奏チームは、一番練習熱心な子たちです。しかし、アンフェスの厳しい世界では、手も足も出なかったという感じ。採点されて表彰がある以上、うちの学校は惨敗でした。
コンテストやコンクールに何度も関わった中で、良い勝ち方、悪い勝ち方、良い負け方、悪い負け方の4通りを経験しました。運動部の試合、運動会の徒競走、学力テスト・・・すべてに共通だと思います。相対評価ですから、相手より強ければ勝つし、相手の方が強ければ負けます。「努力は必ず報われる」というのは妄想で、現実は、努力しても勝てなかったり、ろくに努力しなくて勝っちゃう人がいる事を知っておくべきです。私の経験上、一番始末に負えないのが、この「たいして努力しないのに勝っちゃった」場合。そんなことあんのか?と思われるかもしれませんが、そりゃあるでしょうよ。勉強してないくせに、いつも自分より成績上位のお友達・・・いますよね。
私が学生時代にコーチに通っていたある中学校では、コンクール直前になっても生徒の集まりが悪く、そもそも生徒が先生の言うことをきかない雰囲気でした。私がコーチしていた打楽器のメンバーは、真面目な子ばかりでしたが、ラッパを中心に男子部員の多く、しかも3年生が、合奏中に勝手に出ていって休憩・・・とか、規律やマナーが崩壊した中でのコンクール出場です。この年、中学校には人数別のA〜C組の他に、無差別級に当たるD組が新設されました。無差別級だから100人超のバンドとか向けかと思ったら、そんな学校はたいてい人数を50人に絞ってA組に出ますから、無差別級はむしろ極少人数向けで、演奏レベルもかなり危なっかしい学校が多かったです。その崩壊中学は、60人くらいの部員数でD組に出場し、見事「金賞」受賞。「金賞」というのは、取ってみると解りますが、メンバーにとっては、やっている事すべてを肯定されたと受け取りがちです。ぐうたら部員たちは、顧問の先生だけでなく僕らコーチの言うことにも耳を貸さなくなりました。「うるせえ事言うなよ。オレたちゃ今のやり方で金賞取って来たんだぜ」って事だな。悪い勝ち方の典型で、むしろコテンパンにやられてた方が、その後の指導はやりやすかったはずです。って〜か、先生の指導方法に問題があったって〜のがすべてだけどな。
悪い負け方・・・の方には苦い経験があります。私が解散させたと思い込んだ生徒達は、その後1時間以上にも渡って、会場付近で勝手にミーティングを続行していました。話がだんだんヒートアップしてきて、「銅賞は私のせい」と泣き出す子とか、もはや修羅場と化し、夏休み中に部員の半数が退部。コンクールに出る意義や結果の受け止め方・・・という事前事後の指導が足りなかった、すべて私の責任。今も悔いが残ります。一昨日の負けは、変な言い方ですが、最高の負け方でした。むしろ、勝ったチームより多くの収穫を得たかもしれません。この子たちを心底、誇りに思います。ブラボー!だな。
12月19日 節約術
と言っても、家計の話ではなく、実験で使う薬品類です。いやあ、一昔前に較べると、本当に学校の予算が少なくなり、教材を揃えるのさえ一苦労です。理科の予算だけ見ても、15年前の秋留台高校と、今の青梅総合高校では1ケタ違います。要するに、10分の1の予算で同じ内容を教えているわけだ。普通に考えて、予算が10分の1なら、やれる実験の規模も教育効果も10分の1ですが、そうでもないんだな。これは全国の理科の先生方に、是非知ってほしいことです。教科書に載っている実験の薬品使用量は、たいてい多すぎる!のです。青梅総合高で私がやった実験での節約ぶりをいくつか・・・。まずは「ナイロンの合成」。混合する2種類の薬品の使用量は、教科書によっていろいろです。試験管に10mlずつとかが主流ですが、ビーカーに50mlなんて豪快にやってる例もあります。アジピン酸ジクロリドとヘキサメチレンジアミンを1班1mlずつ使ったとしても、10班で10ml、6クラスで60ml。これらの薬品は特に高価で、25ml入りの小瓶が5000円くらいしますから、うちの学校でこんな使い方をすれば、ナイロン一発で理科の年間予算の何割かぶっ飛ぶ計算だな。さて私はこれらを、各2mlしか使わずに11班×4クラスに実験させました。できたナイロン糸も、全班1時間で巻き終わらないくらい十分な量。25ml入りの瓶1本で10年もちますな、ほ〜っほっほっほ。この秘密は非常に簡単なことで、混合する容器を変えただけです。試験管のようなずんどう型ではなく、下が細くなってる逆三角形の、パフェのミニチュアみたいなやつ。つまり、教科書に載ってるやり方では、ムダになる分の方が多いのです。
同じ結果が出るなら、いかに少ない量で済ませるかは、安全性の面からも重要です。先日も水素を発生させてたフラスコが破裂した、というニュースが報じられていました。水素の性質を調べるなら、試験管から発生する程度の量で十分だったはずで、フラスコで大量に作る必要は無かったでしょう。酸・塩基の実験も、やたら濃い塩酸を使う先生がいますが、リトマス紙やBTBの色なんか、なめて平気な濃度でも十分変色します。後は、教育効果という点から、あえて少量で済ます方がいい場合もあると思います。使い捨てカイロのしくみを学ぶ実験も、以前は全員に一つずつ材料を配って作らせていましたが、最近は演示にしています。3択問題を考えさせてから、私がビーカーの中で反応させて、生徒に持たせて回す方がインパクトも大きいです。最少のコストで最大の効果を狙うことを追究する・・・これは、私が大学時代に学んだことでもあります。都立大理学部の研究室には、何かの工場かと間違われるほど、いろんな工作機械があって、先生も院生たちも恐ろしく器用でした。買えば何百万円もする実験装置を、数十分の1の材料費で自作してしまうのが当たり前。こんな環境で学べたおかげで、「買えない」と嘆く前に作っちゃおうという根性が備わったと思います。ダメダメ学生を自認していた私だが、けっこう勉強してたってことだな。これからも安い実験やりまくります。
12月 9日 千の風になって
って、よく出来た歌です。湿っぽい話が続いて申し訳ありませんが、今日は「納骨」「位牌入魂」「墓石開眼」という儀式を執り行ってもらいました。
今日は昼間はよく晴れていて、日なたにいると、風もそれほど冷たく感じないくらい。「ふじ君、今日も晴れとるぞ」という、父の例の声が聞こえてくるようです。続けて「もう紅葉も終わりだな」とか言えれば、いっちょまえのロマンティストかもしれないが、そんなの絶対言わない。「晴れとる」という、ただその事実だけを簡潔に伝えるので、直井家の人々以外は、「だからどうした?」としか返しようがありません。そんな父に、今や「晴れとる」ことは伝わりませんし、明日雨が降っても、明後日が雪になっても、それどころか、地球が滅びて銀河系が爆発したって、それを感じることはありません。「ふじく〜ん!○×△★・・・」と、大騒ぎしなくてよいのです。では、父は宇宙と隔絶された「あの世」とかいう所に移ったのかというと、そうではなく、自然そのものの中に帰っていった、というか溶け込んだのです。生物は皆、自然の中からやってきて、自然の中に帰ってゆく・・・。「晴れとるぞ」とか言ってた父は、今は「晴れさせとる側」に回ってるんだな。だから「千の風」なんだな・・・なんて思いました。「お墓の中に私はいません」・・・これは、そうだと思います。でもだからと言って、お墓が不要ということにはなりません。お骨は父そのものではありませんが、時計や眼鏡よりももっと長く、肌身離さず身につけていた持ち物と言えます。そんな愛用品を永久的に格納し、その人の思い出のシンボルとする事は、理にかなっていますから、季節毎にちゃんとお墓参りしよう、と思います。
最後に物理学的な発想が頭をよぎる・・・。死者を「いなくなった」という過去形で考えるのは、いかにも三次元的です。私が1965年のある日に、悪いことして閉め出されて、ドアの外でぎゃあぎゃあ泣いて「いた」のは、四次元世界から見れば、「1965年ある日の日野市のあるアパートのドアの外」という時空の座標上で、今も私がぎゃあぎゃあ泣いていることになります。父は1930年から2007年の座標上にしっかり存在し、このことは銀河系が爆発した程度じゃ消えない事実なのです。私たちは未来を見ることができないと教え込まれていますが、自然界はまだまだ解らないことだらけ。時空のワープゾーンなんかがあって、ひょっこり未来を覗いちゃったりできる人が、いないとも限りません。うちの父は、超能力者と間違われるくらいの変わり者でしたから、1980年くらいからワープゾーン通して、2020年の私を観察するくらいの事、やりかねないな。「天国の親父が見守ってる」って、かなりSF的だけど、本当にあるんじゃないだろか・・・。
お経を聞いていると、死後の世界について、いろんな想いが頭の中を巡りますが、やっぱり一番大事なのは今だな。自然に帰る前に、この時間軸上をみんなと共有しているうちに、少しでも多くの足跡を残そうと思います。
11月28日 読書
いやあ〜、何十年ぶりですかな、こういう読み方したのは。こういうってのは、つまりこういうこと。常に持ち歩いて、電車を待つ間も乗ってからも読む。パソコンが起動するまでの間に読む。次の授業までまだ5分あるな、と思ったら読む・・・。要するに、余りに面白すぎて、寸暇を見つけては読み進めるってことです。私は昔はなにげに読書家で、特に学生時代はよく読んでました。忙しくなってからは、よほど面白くないと読破できずに挫折するし、特に最近はちょっとした調べ物なら、インターネットの方が強力です。だから、今回はよっぽど面白かったってことですが、さて気になるその本とは・・・。
「東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編
」 菊地 成孔 , 大谷 能生 (著)
ジャズの歴史を面白おかしく喋った講義録で、誰が読んでも面白いという類ではありませんので、どうか皆さん、衝動買いしないで下さい。面白いというのは、同時に、私にとって役立ったということでもあります。ジャズについて、いろいろ知ったかぶりしてる私ですが、体系的に学んだことなんて無いもんですから、「かっこいいアドリブだな」「綺麗な進行だな」と思ったら、自力で分析を試みては、自分のプレイや編曲に応用してみることの繰り返しでした。それが、これを読んだら、目の前のもやがス〜ッと晴れていくようで、次に分析すべきプレーヤー、聴くべきアルバム、読むべき本への指針が得られたのです。というわけで、またまた私を目標に頑張っている皆様、お疲れさまでした。2008年は私の「飛躍の年」にさせていただきますので、どうかご無理なさらないように。ほ〜っほっほっほ。
ちょっと真面目な事を言うと、本はただたくさん読めばいいとは思えません。ご飯と一緒で、食べたいときが美味しいときであり、栄養にもなります。私がこの本を非常に面白いと感じたのにも、伏線があったはずです。たぶんそれは、日々いろんな音の組み合わせに対する探求心、向学心であり、脳が栄養を求めて空腹状態になっていたわけです。探求心の無いところでは、何を読んでもきっと面白くないでしょう。さて、私のこの本との出会いは、人から薦められたで済ませてしまえばそれだけですが、名指しで熱烈に薦められました。「直井さんが読んだらきっと面白いだろうと思う本があるんですが、今度持って来ましょうか?」 とおっしゃって、貸して下さったのは、同僚でドラムの達人、K先生です。私はいつも飲み会の席上、K先生に「ドラム対決か。しっかり練習して来たら受けたるわぃ」なんて挑発ばかりしてるらしい(記憶には無い)ですが、そんな私に対して、なんて優しい! 今回は本当に感謝しています。もう失礼な事は言いません。次の飲み会までは。
11月16日 父の思い出(親子の対話)
私と弦太が話をしていると、それを聞いていた人から「お友達どうしみたい」なんて言われて、ドキっとする事があります。私の精神年齢は10才ってことなのでしょうか。もちろん親らしく真面目に話す場面もあるのですが、通常はすべて私が冗談で返し、弦太が再度突っ込んで来るという応酬です。亡くなった私の父は対照的で、口数の超少ない人でした。この世代には、「めし、ふろ、ねる」しか言わないお父さんが多かったようですが、まさにその典型。真面目人間で、冗談なんて絶対に言わなかったし、相手と共通の話題を見つけて、会話を展開させて行くという、器用さも持ち合わせていませんでした。うちの母は、よくこの人と夫婦でやって来れたな・・・と感心しますが、そこらじゅうがこういう人だらけだったんだから、まあ普通だったんだろうな。さて、私は幼少の頃から既におしゃべりでした。その私をもってしても、父との会話を持続してゆくのは難しい、って〜か不可能。プロ野球観戦に連れて行ってもらった時は、父は野球に集中!私も弟も集中!会話ナシ!直井家ではこれが普通。
ところで父は船乗りでした。一度出かけたら1年くらい帰って来ないのは当たり前ですが、日本にはちょくちょく寄港します。ある時、自宅まで戻るヒマが無いから、東京駅に荷物だけ取りに来てくれと言うことがあったので、小学生の私が行きました。豊田から約1時間乗って東京に着くと、既にプラットホームに父の姿。ドアが開くやいなや、大きな箱を手渡され「これ頼むぞ。じゃあな」「はい」。数ヶ月ぶりに会った親子の面会時間・・・5秒! 我々家族はこれが普通だったので、「寂しい」などとは全然感じていなかったのは本当です。今思えば、普通の父親は「おう、元気だったか?学校は楽しいか?」とか、いろいろ聞くわな。
出張が1年くらい続くので、休暇も1ヶ月以上連続します。つまり、ずうっと家にいる期間があるわけだ。狭いアパートに親子4人詰まってるから、さすがに1ヶ月無言は無理で、父も私たちに話しかけて来ます。しか〜し・・・その内容は、毎日の天気予報のみである。「富士くん!(こう呼ばれていた) 今日は雨が降るぞ」「はい」、「富士くん、明日は晴れだっちてゆうとるぞ」「はい」、これが日課に・・・。きちんと返事をする所が重要で、これを省略することが多かった弟の方は、延々と念を押され続けてました。平和な毎日ですな。
ある日のこと、私が小学校の校庭でドッジボールをしていると、遠くから全力疾走してくる父の姿。「富士く〜ん!○×△★・・・」と絶叫を繰り返しているではないか。自宅から小学校までは500mくらいあって、それを全力で走って来たらしいから、息が切れててよく聞き取れない。よ〜く聞くと、「玉の海が死んだぞ!」「えっ?」「今ニュースでゆうとる」「あ・・・そう?」 父はそれだけを伝えて帰ってゆきました。この頃、私たち兄弟は相撲に大ハマリで、北の富士と玉の海の2大横綱が君臨する「北玉時代」。その片方である横綱玉の海が現役中に死去したのだから、大ニュースには違いありませんが、緊急度MAXかというと、そこまででも無い。父のこういう行動の数々は、父が変わり者であることを示すエピソードでしか無かったのですが、自分が父親になった頃から見方が変わってきました。
毎日の天気予報を伝えることは、子供とコミュニケーションを取るため、超不器用なりの最大限の努力だったのではないか・・・。子供が興味を持っている相撲界の、トップニュースが舞い込んできた以上は、何が何でも今すぐに知らせてやりたい・・・。これは超不器用なりの、我が子への愛情表現ではなかったか・・・。5秒で面会終えても、やっぱり子煩悩だったんだな、と思わずにはいられません。
一見変わり者のご家族をお持ちの方は、是非そういう気持ちを読みとってあげてください。口べたでニコリともしない親父や、近所中で有名なガンコじじいも、きっと深い家族愛を持っているに違いありません。
11月11日 葬儀とは
事後報告になって申し訳ありません。父が78才で他界し、「葬式はやらんでいい」という本人の意向により、本日近親者のみで葬儀を済ませました。一昨日の9日、時刻で言えば1時間目の途中くらいでしょうか、母から「父が救急車で運ばれた」と連絡が入り、それだけなら今まで何度もあったことでしたが、病院から「息子さんを呼びなさい」という指示があったというので、すべてを放っぽらかして、立川の病院に駆けつけました。私が着いた時は、救命救急病棟の処置室から、既に霊安室に移った後で、そこでは母と警察の方が話をしていました。この日、いつもの時刻に起きて来なかった父の異変に気づいた母が、すぐに救急車を呼びましたが、睡眠中の脳梗塞だったようです。父は40才を過ぎた頃から、あらゆる成人病を持っていて、医者から「明日死んでも不思議でない身体だ」と言われ続けました。63才の時には癌を発見され、8時間を超える大摘出手術。この時も私は呼ばれて、「5年先の生存率25%」と宣告されました。それが15年生き延び、その間にも車にはぶつかる、ガラスには突っ込む、餅をノドに詰まらせる・・・10回位死んでもおかしくない状況から生還しているので、ここまで頑張った、というか頑張らせた母の努力は、驚異的とさえ言えます。ただ、さすがにここ1ヶ月位は急激に弱っていて、寝たきりとまでいかないが、壁をつたい歩きのような状態で、母も「年を越せるかどうか」と感じていたようです。最期はまったくの寝顔のまま、おそらく痛くも苦しくも無かったことでしょう。典型的な昭和1ケタ世代で、僕ら家族のために働き続けるだけだった人生。本当にお疲れさまでした。
霊安室前のロビーでは、母も私も落ち着いて、警察の方に応対しました。自宅で亡くなった場合、必ずこうして警察がやって来て、遺族に対して細かい質問を連発し、事件性の有無を確認します。死亡診断書も警察から来た検死官が書きます。うちの父は高齢で、こちらもある程度の覚悟ができていたから、これだけ冷静でいられるけど、若い人が突然亡くなったような場合は、直後の遺族は半狂乱状態だろうから、この面談はかなり酷な気がします。まあ遺族にとっては、すべてが酷ではありますが・・・。続いて看護士さんがやってきて、今後の流れを説明。いちおう退院は退院ですから、料金精算や所持品の引き渡し確認等、いろいろあります。母には休んでもらい、窓口は私が回る。病気を治すための手続きなら、どんなに面倒でもがんばれるが、これは敗戦処理そのものです。次は葬儀屋さんの手配。私の小学校時代からの友人K君(小学校時代、ころ君と呼んでた)が葬儀屋さんです。電話をすると、「よお!直井か、久しぶり。元気か?」と言われ、「おれは元気なんだが、親父が逝っちまった。頼めるか?」「よしわかった。検視中か?今から寝台車ですぐ向かうから場所を教えろ。心配いらない、後のことは任せろ」 私も他人の結婚式に関しては、よく「俺に任せておけ」と言います。多くの人を集めて、親族の意向に沿ったセレモニーにするという点では、結婚式もお葬式も共通点は多いですが、決定的に違うのは、結婚式は何ヶ月も前から日取りが決まっていて、それだけの準備期間があるのに対し、お葬式は突発的だという点です。K君は間もなく到着しました。とりあえずの遺体安置を、葬儀社の冷蔵室でお願いすることにし、病院から車で移動。事務所で打ち合わせ開始。葬儀の日取り、場所、規模・・・等々。当然、こちらの一方的な希望だけでは決まりません。会場の空き状況、お坊さんの都合等、K君が逐一電話で確認を取っていきます。棺、骨壺、弔問客にお出しする食事メニュー、「ご会葬御礼」のハンカチの色に至るまでを、カタログの中から決定してゆきます。優柔不断な人だったら一日二日では終わらないでしょう。スカッと決めるタイプの私でさえ、すべての段取りを確定し終えたのは、午後4時半過ぎ。今朝職場を飛び出してから、飲み食いしたのは、葬儀社の事務所で出されたお茶だけ、という事に気づきました。
5時過ぎに母と一緒に実家へ戻ると、今朝まで父が寝ていた布団も、今日着るつもりだったらしき衣類も、すべてがそのまま。本人だけがそこにいなくて、ちょっと出かけただけのような雰囲気なのに、もう帰って来ないことが決まっているこの不思議。遺体に対面しても冷静だった母が、ここで初めて涙を流しました。身辺整理を完璧に終えてから亡くなる、という人は殆どいなくて、死はいつも突然です。私の方は泣くヒマも無く、K君から指示された仕事を続行。親類への電話連絡、戒名を付けて下さるお坊さんに父の生前の様子を連絡、遺影に使う写真選び、棺に入れる物、骨壺に入れる物を何にするか・・・等。遺族というのは、遺族であると同時に式の実行委員長でもあるわけなので、「こういう時こそ、長男のお前がしっかりしなきゃあな」と、いろんな人が言ってくれましたが、自分が一番自分にそう言いたい気分でした。本日、滞り無く父を送り出せたことを感謝申し上げます。
11月 8日 大連立政権
民主党の小沢一郎さん、この人は元々、自民党の主流派だったはずですが、何だかよくわからない寄せ集めの「新進党」を立ち上げ注目されてから、味をしめちゃったのでしょう。自由党、民主党・・・いつも自分が中心になって、新しい組織を作ったり再編する快感に目覚めちゃいましたから、絶対にまたやると思ってました。公明党を寝返らせて、共産党も巻き込んで、対自民の大連合くらいかな、と思ったら、その自民と連立とは、さすがに驚きました。でも、こういうインパクトのある行動が、小沢さんらしくていい。しかし、今回は未遂に終わりましたので、たぶん小沢さんは次の行動に出たくてウズウズでしょう。無責任を承知で予想を述べると、民主党を真っ二つに割る級の謀反を起こして新党立ち上げ。その新党は、たちまち他の党と手を組んで、衆院第2党くらいになる・・・。ようするに、同じことの繰り返しだな。私はそんな小沢氏を見ていて、「あ〜あ」と思いつつも、自分と共通点も感じるので、何だか嫌いになれません。
音楽に限らず、何かのサークルを運営する人には、2つのタイプがいます。ひたすら内政に力を注ぐ人と、やたら外とのつながりを広げたがる人です。私の場合、三沢中で教えてた5年間は内政型でしたが、秋留台に移ってしばらくしてから、急激に外向型に変身しました。部員数が少なかったので、ジョイントコンサートに参加することが、大編成のサウンドを体験する唯一の機会でもあったわけです。あるジョイントコンサートが上手くいくと、必ず「仲間に入れてくれ〜」という団体が現れます。「よっしゃ、入れてやる」っていうのは、その団体を傘下におさめることで、逆に「仲間に入れて下さい」とお願いに行くのは、軍門に下ること。傘下におさめた組織を拠点に、さらなる進出を目論む・・・。う〜む、まるで戦国武将だな。こんな風に言うと、音楽を道具にして権力欲を満たすみたいに聞こえてしまいますが、ちょっと違うな。組織や演奏会の規模が大きくなれば、参加者にもそれだけ喜んでもらえます。私としては、演奏するみんなの笑顔が、さらなる進出への原動力。今も、さかんに近所の小中学校と同盟を結び、いろんな連盟に首を突っ込もうと画策していますが、結果的に友達の輪を広げ、楽しさ倍増の活動になると確信しています。
小沢氏も、あれだけ組織再編が好きなのは、ヘンな下心というより、自分を取りまく支援者、党員の笑顔が見たいという、純粋な気持ちが強いだけじゃないかと、超好意的に見てあげたいところですが、さすがに今回は暴走気味だったな。全国民の笑顔のために、足下を固めて出直してもらいたいな。
11月 1日 引退しません
先日27(土)のコンサートで、「ベテランの意地を見せた〜。若い者にはまだ負けん!って〜か、若い者に真似できない、ベテランならではのステージ運びを見たか。ほ〜っほっほっほ・・・」なんて、自画自賛しましたが、上には上がおりますな。ゴルフの青木功プロが、8バーディ1ボギーの65で回って優勝だってさ。ご年令も何と65才。その談話が興味深いです。息の長いゴルフ人生のコツは「なるべく練習せず、スタミナをためておくこと」。(読売新聞より引用) うわぁ〜、何てこった。たいてい「若い者に負けないスタミナを維持するために猛練習・・・」とかじゃあないっすか。なるべく練習しないなんて、上手い人の言葉として、普通は考えられないことです。でもまあ、世界の青木さんが言うんだから、重みもあるしウソとも思えません。裏返せば、猛練習は若いうちに済ませとけってことですね。年齢を重ねたら、それまでの練習の蓄積と、経験が生んだ力で勝負してゆくというわけだ。演奏家もそうかもしれないな。スタミナが続くうちにハードな練習して、60才過ぎたら余り練習しないでも上手く演奏できるように、頑張っとこうかな・・・なんて思いますが、それ以前にやっぱり、青木さんに較べたら自分はまだまだ。まだ50前のくせに半分引退気分になってる自分に気づきました。最近、指揮する曲は難しい方を若手に任せてるし、演奏は代役ばっかり引き受けて、自分から「この曲のソロは絶対にオレが吹くんだ〜」とか主張することもしない・・・。元々、他人を押しのけてどうこうとか、「オレがオレが・・・」って自己主張が好きじゃないので、ついつい「わしゃあ、ええよ。」になりがちなのですが、これじゃいかんな。青木さんの優勝に刺激されて、もう一度自分がスポットライトを浴びることを宣言いたします。65才の時に、「やっぱりこの曲のソロは直井さん以外に考えられない」と言わさなくてはな。・・・というわけで、私を目標に頑張って来た皆さん!お疲れさんでした。目標は再び手の届かぬ所へ移動を開始いたします。ほ〜っほっほっほ・・・。
10月28日 教員免許更新制・・・きゃぁ〜!
まずは産経新聞からの引用をご覧ください。
(見出し)教員免許更新制 5段階で絶対評価 「不適格」排除は疑問 ・・・(中略)・・・
今春改正された教員免許法では、幼稚園から高校まですべての現職教員に10年ごとの講習を義務づけ、教員養成課程がある大学などで行われる30時間以上(5日間)の講習を受けさせる。(中略)
必修の内容は4つの指標を提示。(1)報道や世論調査、統計の動向に関する「教職についての省察」(2)学習障害(LD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)など子供の発達をめぐる科学的な課題に関する「子供の変化」(3)学習指導要領改定や教育改革の動向に関する「教育政策の動向」(4)校内外での自身の役割や子供の安全確保に関する「校内外での連携協力の重要性」−の理解・説明力を問うとした。選択では、各教科の指導法や指導技術について最新の内容を理解、説明できるかを問う。
修了認定は筆記試験か実技試験で行いリポートのみは不可。評価は(1)ほぼ完璧(かんぺき)な「S」(90〜100点)・・・(中略)・・・(5)到達目標に及ばない「F」(60点未満)−の5段階。F評価は不合格とする。(引用終わり)
教員免許は、教員採用試験に受からなくても、非常勤講師等でいつでも教壇に立てますよ、という性質の物です。車の場合、公道を走らせたら危険と思われる状態になった人に、免許は持たせられませんから、最長5年で更新するのは妥当。同様に教員免許も、子供達の前に立たせたら危険な人から、免許を剥奪する仕組みが、今まで無かったのが不思議なくらい。(そういう自分が、真っ先に剥奪されてたかな・・・) だから10年更新制に、特に反対するつもりはありませんでしたが、上の記事を見ると、何だこりゃ?って感じ。見出しから解るように、産経新聞も、この内容に疑問を抱く立場です。授業を全く成立させられないとか、教科書そっちのけで偏向教育やりまくりとか、生徒や保護者から見て最も困る先生でも、講習の内容をきちんと理解して説明できさえすればOKってことだな。また、熱血先生たちは、更新の時期が近づいたら、授業の準備や部活なんかやってる場合じゃないぞ。生徒は一時放ったらかしといて試験勉強しないと、免許剥奪になっちまう。私の解釈が歪んでいるのかもしれませんが、そう読めました。この改革も、生徒の事を最優先するような先生たちの、足を引っ張るだけの効果しか期待できないでしょう。お役人の妨害にもめげずに、日々の仕事をこなして行くことは、なかなか大変ですが、若い先生たちは、私なんかの数倍耐えてるんだろうから、弱音吐いてる場合じゃないな。
10月18日 職人芸的実験術への道
1年生の理科総合Aは、いよいよ酸化・還元ゾーンに突入しました。ここは私自身も好きな所。毎年必ずやってみせる「テルミット反応」の演示は、あっと驚く系の中でも、1,2を争うインパクトの強さです。簡単に言えば、強力な花火みたいなものですが、還元された鉄が猛烈な高温のまま、水中でも燃え続けるのが何とも美しい・・・。昔は庭に穴を掘って、そこに薬品をセットして噴火させていたらしい。教室内でやって失敗したら、チャイナシンドロームまでは行かずとも、床に穴が開くか、火災報知器が作動する覚悟くらいは必要な過激実験なのです。この実験は、全国の化学の先生方の努力でずいぶん改良されて、前述のように、溶融した鉄を水で受け止める方法等、室内でも安全にできるノウハウが紹介されています。私が初めてこれを伝授されたのは、たしか13年くらい前。物理の先生なのに、臨時で化学を教えることになった年のことでした。当時の印象としては、なかなか難しい実験で、成功率は5割程度だったようです。5割ということは、4クラスでやってみせようとすると、うち2クラスでは不発に終わって、生徒たちが「なんだよ、期待させやがって・・・」と不満顔になる状態。他の実験でもたまにそういうことはありますが、やる側としては一番惨めな結末。教えて下さった化学の先生も、成功率を少しでもUPさせるため、いろいろと努力していました。薬品が湿気ているとダメだろう・・・と、丸1日乾燥剤と一緒に置いたり、いろいろ。私もその年以来、ほとんど毎年化学分野も教えるようになったので、何とか「テルミット」だけは百発百中でやれるようになりたいと思い、練習を繰り返しました。すると、回数を重ねるにつれ、いろんなことが見えてきました。成功、失敗の原因をそのつど考え、仮説を立て、それを確認することの繰り返し・・・ううむ、まさに科学だな。たどりついた結論は、マグネシウムリボンが、だら〜っと垂れ下がったような感じで、火が薬品の表面に当たると、必ず着火すること。着火剤のKMnO4は、1カ所に固まらせず、少し分散気味にさせておくこと等。こういったポイントさえ押さえれば、薬品が湿気てようが、混ぜ方がいい加減だろうが、全く関係なく成功することがわかりました。青梅東高校での1年目に、1クラスだけ不発やっちゃったのを最後に、以後8年間は連勝記録を更新中。今年ももちろん4クラスで打率10割!化学が専門じゃありませんが、「テルミット」に関しては、絶対の自信を得ました。全国の化学の先生〜、教えてあげよっか?
楽器の練習も、結局はそうやって実際に繰り返しながら、頭も使って、良いポイントを会得していくのでしょう。教本読んでその通りやったらすぐに上手くなった、なんてことあるわけないのです。やっぱり練習あるのみ!
10月 9日 オリジナリティ
「学ぶ」とは「真似ぶ」ことから始まる・・・って、よく言われます。私も、「アドリブできるようになりたいんですけど」という相談に対しては必ず、「好きなプレーヤーのアドリブをコピーすることから始めよう!」と言います。でも、これって何だか物足りない・・・。真似ることが近道なの解っていても、「編み出す」ことへの誘惑に負けてしまいます。最近、家でドラムの練習を再開しています。ドラム関連のビデオ、DVDはたくさん持っているので、それを会得すれば早いのですが、あえて、自分のオリジナルフレーズや、リズムパターンを創作することに熱中しています。理由は簡単、その方が楽しいから。試行錯誤を繰り返しながら、偶然かっこいい手順を発見した時は、ほんとに嬉しくなります。「このフレーズを使うのは、今んとこ世界でオレ一人だな。直井スペシャルとでも命名するか。」とか思います。もしかすると、すでに誰でも使っている、ありきたりのフレーズかもしれないのですが、自分でたどり着くところに喜びがあるのです。1時間くらい叩いてると、新作パターンが2〜3個は作れるので、この調子で頑張れば、年間1000パターンくらいは編み出せるな。1000個中900個が駄作で、残る100個のうち90個が誰かの2番煎じだったとしても、まだ10個残るから、直井スペシャル誕生は夢物語とは言い切れ無いでしょう。考えただけでワクワクものです。ピアノで弾く和音やコード進行も、出尽くしたとは思えません。まだまだ誰も聞いたことのない、面白いサウンドができる可能性は、たくさん残されていると思います。料理と似ているかもな。初めてマグロとアボガドを混ぜてサラダにした人は誰なんだろう?最初に生ハムとメロンを一緒に食った人や、酢豚にパイナップル入れた人も尊敬する・・・。ああいうのを発見した時の驚きと喜びは、何とも形容しがたいものだったろうなあ。私も、音楽界のアボガドマグロ作りを目指して、日々試行錯誤に励みます。
10月 1日 真剣に遊ぶ
「大貧民」というトランプゲームが大好きです。2時間続きの「物理Tβ」という授業の、途中10分休憩の時、いつも生徒たちがやっているのを見て、「先生も仲間に入れてくれ〜!」と言いたいのを我慢するのに一苦労。このゲームの面白さを心から満喫するには、10分くらいじゃ全然足りません。夜を徹してやるくらいじゃないとダメだな。スキーに行った時の夜なんかに、徹底的にやります。自分が熱くなりやすいので、周囲にも当然全力プレイを要求。大富豪は座布団4枚重ねの上に座って、大貧民はタタミに正座。ついでにみんなにお茶をついで回らなければならない・・・みたいなルールにしておくと、自然と盛り上がります。「Uno(ウノ)」も好きだな。だんだん熱くなってくると、「ウノ!」のかけ声も自然と大きくなってきます。一度、眠気のせいか酔いが回っていたせいか解りませんが、舌が回らなくて、「うのなろー!」と絶叫したことがあって、その後しばらく語りぐさにされました。「ウノだ!このやろー」って言おうとしたんだと思います。遊びだからこそ、みんなが真剣に熱くプレーすると面白いのです。
音楽も正にこれと同じ。play the piano はピアノで遊んでいるわけであり、数人で合奏することは、大貧民やUnoと殆ど変わらない感覚だと思います。音を媒介とした、感性と頭脳の格闘技とでも言うべきだな。曲が仕上がってきたら、突然新しいワザを仕掛けるのは迷惑だろうから、格闘技のノリでやれるのは、おもに練習の初期段階です。(ジャズだったら、本番が格闘技そのもの) だから、なるべく初見力を強化して、初期段階に思いっきり自己主張できるようになっておくと、演奏の楽しみは倍増します。上手い下手があるのは当然ですが、それは大貧民だって同じだから、とにかく熱く遊んだもん勝ち。さて、昨夜は久しぶりにビッグバンドでのドラムを担当しました。幸い、連絡を受けたのが前日だったので、心の準備をする余裕が丸1日ありました。私のドラムの腕前は、私より上手い人から見ればヘタで、私よりヘタな人から見れば上手いです。よって、自分の腕前を心配することは単なる時間のムダ。そんなヒマがあれば、少しでもテンションを上げておく方がいいです。昨日の出来を自己採点すると、初見力の低下が我ながらショックでしたが、攻めのプレイに徹することができた点は、合格点だったと思います。以前ライブで、突然客席から呼び出されてピアノ弾かされたことがあります。そんな場合でも、数秒間でテンション上げて、「よし!真剣に遊んで来るぞ!」と思ってステージに向かえば、何となく楽しい演奏になるものだと、最近感じています。皆さんも是非、熱く遊び、「うのなろー」を上回る名言を発して下さい。
9月24日 熱く語る時・・・
というのは、緊張します。先生なんだから、生徒にカツを入れるのは、日常のお仕事だと思われていますが、そうではありません。例えば、集会で整列が遅かったり、ザワついてたりする生徒集団に、「コラ!」と怒鳴る時なんて、頭の中は冷静そのもの。これは、実は怒ってるフリをしているだけという、仕事上のテクニックに過ぎません。良いタイミングとトーンで「コラ!」とやれば、静かになることはわかってます。あの打者は、外角低めにカーブさえ投げておけば、必ず空振りする・・・ってわかってるような感じ。しかし、時には仕事上を超えて、一人の人間として自分のホンネでぶつからざるをえない事があります。相手に本当に解ってもらいたい時は、小手先のテクニックじゃなく、全力で話さなければ通じません。ストレートを打つ気満々の打者に、ど真ん中の直球勝負を挑むようなもの。リハーサルの無い1回勝負で、失敗も許されん。明日の学活でクラス全員に全力説教するぞ、と決めた日の夜は、まず眠れません。頭の中では、激しくシュミレーションが繰り返され、アドレナリンか何かが分泌されまくるのでしょうか、あちこちの神経が痛んだりします。「別にいいじゃん、相手は子供なんだし、ハメをはずすことくらいあるぜ。お前が説教した所で、すぐ忘れられるんじゃねえの?」という、悪魔のようなささやきも聞こえてきたり・・・。でも、自分の信念を伝えたいのに伝えない・・・って〜んじゃ、この職業をやってる意味そのものを否定するようなものだから、疲れるけどやるしかない。熱く語るのは、怒る時だけとは限りません。例えば、卒業式直前の3年生に向かってとか、転勤直前の最後の授業で、とか。「お前は何のために生きてるのか。人生とは・・・」なんて大難問に、人生の少しだけ先輩として、自分の答を堂々と述べておきたいのです。「オレも頑張ってるから、お前らも負けるなよ〜」というメッセージとして。語った直後というのは、急激に不安になります。聞いた側はどう感じたんだろう?不用意な言葉で傷ついた子はいないだろうか?本気で語った分、訂正なんて絶対に効きません。くよくよ考えたって仕方ないことなのは解っちゃいても、3日間くらいは神経の高ぶりが続きます。
今の学校に赴任してから、生徒たちが結構しっかりしているせいもあって、熱く語る必要も無いかなと思っていたのですが、先日ついに部活の場で独演会をやってしまいました。しっかりしているように見えても、所詮は16〜7才です。楽な方向に流れ出すと、なかなか自分の力だけでは止められないし、誰か止めてくれ〜と叫んでいるようにさえ見えるのです。今までの自分の手抜きを恥じ、熱く語りました。まだホルモンの具合(何じゃそりゃ?)がヘンです。これからも熱く語ります。疲れるけど、それが自分の仕事・・・。
9月17日 監督の仕事
2日間の文化祭が終わりました。クラスのお化け屋敷は、ちょこっと買い出しを手伝ったくらいで、企画から当日の運営まで、すべて生徒任せ。実行委員が非常にしっかり者だったので、こういうスタンスで臨んだのは初めてです。吹奏楽部のステージも、創立2年目ですが、昔からの私の知り合いも数多くご覧になっていて、皆さん一様に「あれ、直井さんがいない・・・」と不思議に思ったらしい。私はスターとしての資質があるらしく、生徒と一緒にステージにいると、そんなに出しゃばるつもりが無くても(無くはないか・・・)、生徒を押しのけて自分が目立っていたので、撮影係に徹していた今回は、よほどの異常事態だと思われたようです。実際、自分がステージに登場しない文化祭というのも、初めての経験です。でもこれは、ようやく本来あるべき姿が実現したと思うのです。
サッカー日本代表のオシム監督は、ベンチから観戦して、日本がゴール決めたら喜ぶ。後は、途中の選手交代の指示を出す。試合中にやれる仕事はこれだけ。野球だと、いちいちサイン出したりするから、試合へ直接の影響力という点では、サッカーよりも大きいかな。でも、主たる仕事は試合中ではなく、練習やミーティング中だと思います。ところが吹奏楽となると、顧問の先生(監督)が指揮者として、一緒にプレーするのがむしろ当たり前。指揮者はただのメトロノーム代わりではありません。指揮者が違えば、明らかに演奏の出来は違ってきます。監督が指揮者をやるって、ヘンな例えですが、オシム監督がフォワードとして登場したり、王監督が打席に立ったりするようなもんだな。まあそれは言い過ぎにしても、やっぱり監督とは、普段の練習中にアドバイスすべき事はすべてアドバイスし、試合が始まったらベンチでハラハラしながら観てるべきだな。というわけで今回そうしました。練習中はホント言いたい放題だったから、みんなイヤだったろうな。「偉そうな指示ばかりじゃなくて、見本見せろよ!」なんて言えるはずも無い。だってホントに見せちゃうからな。
観てて気づいたのは、吹奏楽の監督はサッカー以上に影響力が無さ過ぎる・・・。次回からは、一つのコンサートあたり、3人の選手交代枠でも作るかな。バテてきた奏者を引っ込めて、大黒みたいに、終わり間際で元気に登場する「アンコールの仕事人」を投入する・・・とか。あと、判定にクレームつける。お客さんの拍手が少なかったら、突然監督席から走り出してきて、「今の演奏、どこが気にいらないんだ! ブラボーだろ!」とわめき立てる。度が過ぎると退場を命じられる・・・なんて、どうでしょう。3月の定期演奏会では、どういう監督になるか考え中ですが、本当に判定に激怒するかもしれないので、惜しみない拍手をお願いします。
9月13日 授業が楽しいわけないだろ!
最近、吹奏楽部の子たちが非常に練習熱心なのは良いが、「授業無しで部活だけだったらいいなあ」なんてデカい声で話してるもんだから、先生としては困りもんです。本筋としては、「勉強と両立してこそ、充実した学校生活である」と諭すべきところですが、じゃあお前の学生時代はどうだったんだ?と言われたら、ハイそれまで。大学では殆ど授業に出席せず、サークル棟に登校し、サークル棟から飲み屋経由で下校の毎日。高校生の時も、授業中は内職ばかりで、きちんと受けてるというには程遠い状況でした。私自身、小中高を通じて、授業が楽しいと思ったことは殆どありません。例外を2つあげると、小学校高学年の時の理科の先生。毎時間、実験道具が配られるだけで、あとはすべて自分で考えて、自由に実験する・・・という授業。むちゃくちゃオッカナイ先生で、実験レポートはビッシリ書かされるから遊ぶわけには行かず・・・。かと言って、多くの子は何をしていいか解らなくて、途方に暮れていましたが、私はこの「自由実験」の時間が大好きでした。もう一人は、高校の時の数学の先生。最初の5分くらいは授業をするのですが、すぐに野球の話になり、そこから社会情勢や人生論に発展し、とてもいい勉強でした。肝心の数学がチンプンカンプンにならないのかというと、数学は自分で問題解いてナンボの科目ですから、授業50分間ていねいに説明してくれても、90%以上が世間話でも、結局のところ、できる人はできて、できない人はできないでしょう。そう考えると、授業ってもの自体に意味があるのか、ということになってしまいますが、意味はあると思います。(・・・じゃなかったら、私自身の仕事が無くなっちゃうわな。) 「北海道では、カニが美味しいよ。北海道に行くには、羽田から千歳まで飛行機が便利だよ」 これが授業。そして、実際に北海道に行ってカニを食べるのは貴方自身。授業は、楽しい世界の入り口まで案内することだと思っています。そこから先の本当に楽しい世界は、自分の足で踏み込んで行った人だけにしか、わかるはずがありません。だから、僕らの仕事というのは、いかに「北海道に行ってみたい」と思わせるか、です。生徒側の立場から言うと、50分間全部×全科目に集中する必要なんか無くて、気楽に受ければいいんです。そのかわり、ある科目のある部分で「おっ、面白そうだな」と思ったら、自分でその内容に関する本を探してきて読むっていうのが、学問を楽しめる方法であり、勉強好きな生徒はたいていそのタイプだと思います。自分の足で苦労して探し回ってこそ、面白い本に出会えるから、授業に頼ってばかりじゃダメだな。楽器も同じ。上手くなって、より楽しい世界に踏み込めるのは、自分から進んで練習した人だけでしょ。というわけで、これからも音楽・理科の両面で良い案内人目指していこうと思いますな。(まともな締めくくりだ。だいぶ疲れが出ているな・・・)
9月 5日 テンポと間(ま)
今日は、若い若い英語のM先生の研究授業を見物。私は元々、結婚式や演奏会の司会を進んで引き受けちゃうくらいで、「話し方」には自信を持っています。だから、他の先生の授業を見に行くと、たいていは「オレだったら、こうする」みたいな、授業の中味はどうあれ、話し方に関する部分だけは、自分の方が数段上手い・・・と感じたものです。でも今日だけは、「ん、なかなかやるじゃん」と思いましたな。M先生あっぱれ。このオレ様に「なかなかやるじゃん」と言わせた第1号です。おめでとう!
私は英語の先生ではないので、シナリオの善し悪しは解らないですが、45分間教室内には常に適度の緊張感があり、生徒が意欲的に参加していた最大の要因は、M先生の絶妙な「テンポキープ」と「間の取り方」にあったことは間違いありません。そこらへんを、今からオレ様が解説いたします。「テンポ」とは、まさに話すスピードそのもの。授業、講演、朗読・・・すべて、ゆっくり話すのが良いと思われがちですが、これは間違いで、ゆっくり過ぎる話し方は眠気を誘うだけです。難しい所、強調したい所だけ大幅に緩めて、他はむしろテレビに登場するお笑いタレント並みに飛ばすくらいが、緊張が持続します。「立て板に水」の方が絶対に良いのですが、先生というのは、人前で話すのが商売なのに、意外と「横板に水飴」の人がいます。
次に「間」ですが、これも使い分けが重要で、ずっしり響かせたい言葉の直後に大きな「間」を取りますが、間が必要な無い場面では、逆に「煽っていく」くらいがちょうど良かったりします。これらは音楽作りにもまったく同じことが適用できます。基本のテンポ設定、リタルダンドの加減、フェルマータの長さ・・・等、曲のスピードに関する要素は、ちょっと違うだけで、演奏の説得力が激変します。1フレーズ歌い終わって次のフレーズに移るタイミングも、落ち着いて行ったり、突っ込んで行ったり、もったいぶって行ったり・・・色々。M先生は、単語の発音練習で、生徒の発音の余韻が消えるか消えないかのタイミングで、もう次の単語を発音しました。あと僅かでも早いと、完全に早すぎ・・・というギリギリの突っ込み型。ジャズでは、本来小節頭で変わるコードを半拍前に弾くと、曲が前へ前へと進む感じでソリストを引っぱれます。M先生がリズムセクションでリードし、生徒たちがそれに乗って軽快なフレーズを演奏してる・・・そんな情景を連想させるような「間」でした。誉めすぎは良くないから、最後はいつものように締めよう。これで少しオレ様との距離を縮めたので、引き続き精進するように。ほ〜っほっほっほ・・・。
8月30日 棒高の女王
世界陸上・・・全部の種目に関心は無いので、ここ一番に絞って観ることにしています。今回絶対に見逃せなかったのは、「世界新記録更新なるか!」。女王イシンバエワの棒高跳びです。歴史が塗り替えられる瞬間は、どうしても見たいですな。さあ〜て、その女王ですが、なななんと寝てる!これは彼女流の精神統一法なのかもしれませんが、普通に見たら明らかに他の選手をなめきってるか、挑発するポーズだな。或いは、余裕ぶっこいてる所をアピールするための、一種のパフォーマンスってところでしょうか。このやろ!って思ったかもしれない他の選手たちの追い上げも及ばず、結局女王一人が4m80cmをクリアしたため、あっけなく優勝。・・・で、いよいよワンマンショーの始まりです。バーを5m02cmに上げて、唯一人で競技を続行する・・・。うわぁぁぁ、これ、気分最高じゃないの?優勝は決まったのだから、勝敗に関わる部分のプレッシャーからは解放されている。そんでもって、全世界が自分一人の大記録更新だけに期待して注目するって、こんな贅沢ありなの?って感じ。これでもし世界記録更新が実現して、もし自分があの場の女王の立場だったら、もはや危険だろうな。昔、パチンコ屋で「7」が3つ揃った瞬間に、喜びの余り心臓マヒで亡くなった人がいたらしいけど、私もそうならない自信はありません。(もちろん、海物語の確変大当たりくらいで逝っちゃうことは無いと思う) でもワンマンショーやりたいな。クラス対抗の合唱コンクールでは、優勝クラスが最後に再演するのをよくやりますが、あれはもう一度同じ事をやるだけだから、根本的に違います。僕らがやってる音楽で、今回のイシンバエワに一番近い事って何だろう?と必死に考えてみて、意外に簡単な答にたどりつきました。答えは「全部」。僕らは元々勝ち負けの世界にはいないので、残る仕事は単に「お客さんに期待させ、その期待に応えること」だけなのです。下準備として、「いい演奏をして、何度もお客さんに足を運んでもらう」・・・つまりファンになってもらう。そして次の演奏会のチラシが出回ると、「おっ、あの暴れ指揮の直井が、ついにディープパープルメドレーを振るってよ。指揮台から落ちるか、肩の関節外すか、こいつは見逃せねえ」とか。当日のホールは、ハイテンションの度が過ぎて客席に転落する直井を一目見ようと、開演前から長蛇の列。・・・で、直井は期待通り、いや期待を上回る大暴れにより、3度に渡り転落し、客席を熱狂の渦に巻き込んだ・・・なんて具合。もちろん、演奏技術でお客さんを魅了できるのがベターですが、プラスαの要素はいくつあったってOKです。そんなプレーヤーを目指して、日々研鑽に励もうと思います。
8月15日 過酷な環境戦
夏の全国高校野球で、甲子園出場校を応援する人たちは皆、優勝を願っている・・・と思われるでしょうが、極く一部、「できれば準々決勝くらいで負けてほしい」と願っている人々がいます。投手が、将来プロでの活躍が期待されるほどの逸材という場合、甲子園での連投で肩を壊す危険があるので、その投手の将来まで含めて期待するなら、「適当な所で負けてくれ〜」というのがホンネ。大会日程の都合上、準々決勝から先をすべて中2〜3日空けるなんてできるはずもなく、まあ仕方ないことではありますが、一人の投手が全試合投げるような学校にとっては、将来を棒に振りかねない過酷な環境です。理想的には、甲子園球場に集めちゃうのをやめて、それぞれの対戦をホーム、アウェイで計2試合やるとか・・・。優勝が決まるまでに3ヶ月くらいかかるか・・・。無理だ。
さて、吹奏楽のコンクールも、過酷な環境という点では、甲子園の上を行きます。肩を壊すとか、健康上の問題は無いのですが、少なくとも、演奏のステージを経験された方には、信じがたいことだらけです。いくつか挙げてみると、まず、@会場で音が出せるのがたったの20分間!もちろんチューニングまで済まします。プロの管楽器奏者が、ろくにチューニングしないとは言っても、舞台袖でけっこう吹いてられるし、ステージに上がってからも出せます。ふだんウオーミングアップに30分以上かけてる子は、コンクールまでに体質改善の必要があります。Aコンサートにはリハーサルがあります。実際に演奏する場所で、実際に並んでみて音を出してみて・・・打楽器のバランスを考えたり、並び方を変えたり、最高の本番を迎えるために不可欠な作業。リハ無し本番なんて、吹奏楽コンクールくらいのもんじゃ無いだろか。お金のある学校だけが、事前にコンクール会場を借り切って、丸1日くらいリハーサルしますから、あんまりフェアじゃ無い気もする。B打楽器搬入口を見ていたのですが、これから演奏する学校の楽器を入れて、終わった学校の楽器を出す・・・これを同時に1〜2分でやってのけます。搬入口にトラックの荷台がぴったり付けられる構造なのに、それができないスケジュールなので、各学校とも炎天下の直射日光の下で、打楽器を全部降ろしての組立て作業。見ていて可哀想でした。
野球も吹奏楽も、どこが強いか決めたいのなら、各校の最高の状態を較べてあげられるようにしたらいいと思います。各校がいつも定期演奏会をやっている、いわゆるホームグランドで、朝からずうっとリハやって、本番の時間になったら審査員一行がそれを見て回って採点するというのはどうだろう。無理だな・・・。でも、野球や吹奏楽の強さと別の物を、較べっこしてるように感じてしまうのは、私だけでしょうか。
8月 1日 「漂流教室」
昨日まで3泊4日の合宿引率。泊まった宿舎「北軽井沢民宿」のロビーの、2つの壁面には、漫画の単行本で埋め尽くされた巨大な本棚がありました。生徒たちは、不思議とあまり読もうとしていませんでした。「合宿に来てるんだから、マンガ読むヒマがあったら練習しろ」と言われるのを怖れた、というよりも、マンガ自体が古くて、今の高校生が知らないものばかりだったせいでしょう。その中に「漂流教室」を発見して、背筋がゾォ〜っ!30年以上前に小学生だった私たちを震え上がらせたその本を、思わず手にとって読み始めたら、ついついそのまま読破。今読んでも別に怖くないし、むしろ「今だったら、この漫画は一瞬で発売停止だろうな」なんて思いながら読んでましたが、これを初めて読んだ時の「怖さの思い出」みたいなのが、鮮明に蘇ってくるのが、何だか面白かったです。
漂流教室が連載されてたのは、たしか僕らが小学校高学年頃で、登場人物と同じ年頃だったと思います。お化けの話なんてちっとも怖くなかった私も、タイムスリップのSFは、妙に「ありそう」な感じで、さらに物語の中で大人が次々発狂していく様子も、リアル過ぎて本当に不気味でした。簡単にご説明すると、一つの小学校だけが荒廃した未来にタイムスリップして、主人公の小学生たちを次々と苦難が襲う物語。最後は現代に帰って来れるかと思ったら、なんと帰って来れずじまいなのですが、絶望的というよりは、読者に勇気を与える「感動のラスト」です。マンガで怖いと思ったのは、ほんと、これだけですが、時期を同じくして、追い討ちをかけるかのように、「ノストラダムスの大予言」(結果的にはハズレた)、小松左京の「日本沈没」が登場。きゃ〜、もうダメ。放課後は、しょっちゅうみんなで深刻な顔して、怖い話で盛り上がって・・・っつ〜か、心底怖がっていたから、盛り上がるという状況ではなかったな。「ハレー彗星が地球に衝突するのは避けられないって本当なのか?直井、どうなんだ!?」って、私に聞かれてもねえ。いくら理科の得意な直井君だって、そんな何でもかんでも答えられるわけないけど、とりあえず図書室に行っていろいろ調べて、「過去に巨大隕石が衝突した歴史はあるようだが、ハレー彗星の衝突を断定的に予測した記述は見られない」ことを報告すると、みんなすごく喜んでくれたので、勉強すると人の役に立てるなあ、と思いました。ついでにタイムスリップの可能性についても勉強させられて、ブルーバックス「タイムマシンの話」を読んだのが小6の時だから、今の私があるのも、これら怖い本のおかげだな。でもやっぱり、漂流教室の真の怖さは、あの関谷というパン屋のオジサンに代表される、人間の描写だろうな。ふだん優しい人が、極限状態ではこんな風になっちゃうかも・・・みたいな。あ〜怖い。怖い話を読みたい人、今からでも「漂流教室」読んでみて下さい。
7月24日 教科書読み比べ
なんて、まずやったことある人いませんよね。たまたま電車の中で、よその学校の友達が勉強してる隣りに座って、「あ、うちの学校より難しそうな教科書だな・・・」なんて思う程度でしょう。学校の先生は、自分が教科書を使って教える立場だし、どの会社のを使うか選ぶ立場でもあるので、じっくり読み比べ・・・てはいなかったです。昔は・・・。国語や英語の教科書は、載っている文章そのものが違うので、読み比べたら面白いのかな・・・という気もしなくはないです。ところが数学や理科となると、どれもこれも同じ内容。そりゃそうだ。教えなきゃならない項目や、教え過ぎちゃいけない項目は、国の基準で細かく決まっていて、検定にパスした本だけが市場に出回るのだから、内容的に同じになるのは当然です。ぶっちゃけ言うと、少なくとも私の場合は、どの教科書を使っても、同じように授業を進めることが可能。じゃあ、来年使う教科書を、どうやって決めるのかというと、大きい要素は、慣れとフィーリングですかね。慣れというのは、怠慢に聞こえるかもしれませんが、前に使ったことがある教科書だと、どんな図や表や写真が、どのへんの頁にあるか知っているので、安心して授業に臨めるというわけ。ずうっと同じ会社の使い続けると、授業もマンネリ化して、本当に怠惰になる危険があるから、適度に入れ替えは行います。フィーリングとは、まさにフィーリング。持ち運びに便利な大きさや表紙の色とデザイン。外見だけで生徒をヤル気にさせる本と、その逆パターンは、絶対にあります。私が高校1年生の時、初めて手にした教科書は、全教科フィーリング的に最悪でした。肌色とか、濃い〜オレンジとか、深緑とか、じっとり暗くて、もうダメ。2年に上がると、物理が薄いブルー、化学が鮮やかな黄色。この2科目が得意になったのは、絶対に教科書の第1印象のせいです。というわけで、昔はスカっと決めていた教科書ですが、最近はそうも行かなくなりました。何年か前から選定理由書の提出が義務づけられました。なぜその会社のを選んだのか、詳しく書かなきゃいかん。その前段階として、発行されている全ての教科書を読み比べる、という仕事があります。物理T、物理U、理科総合A、それぞれ10種類位ずつ見比べて、「内容、分量・・・」とかいう項目ごとに5段階評価し、良い点悪い点を列挙してゆきます。部活が終わった土曜日に、夜9時くらいまでかかって、本当にやり遂げたましたよ。やり遂げて思うこと・・・「意味ない」。教科書をずら〜っと並べて、表紙だけ見えるようにして、生徒たちに投票させた方が、いい結果が出ると思います。日本中の先生たちが、この仕事(他にも似たような仕事は多い・・・)に膨大な時間とエネルギーを費やして、生徒指導に手が回らないというのは、やはり一種の「税金のムダ」だと思いますが、いかがでしょう。
7月13日 職階
って、要するに「社長、専務取締役、部長、課長、係長・・・」みたいなやつのことですが、学校という所は、唯一と言っていいくらい、こういうのと縁の無い業界でした。校長、教頭が1人ずついて、残りは全部ヒラ社員という構成は、よく「なべぶた型」と言われますが、最近、これをピラミッド型に近づけようという動きが、急速に進みつつあります。業界通の方はご存じかもしれませんが、東京都の職階制は現在、校長、副校長、主幹、ヒラですが、今度新たに主任教諭というのが入るらしい。ランクは主幹とヒラの隙間だから、お相撲で言えば、前頭の上で関脇の下・・・つまり小結だな。それでさらに、統括校長というのができるらしい。これは校長の中でも特に偉い校長。名誉横綱とでもいうんでしょうか。この制度改革で、学校という場所がどのように様変わりするのか、今のところ不明ですが、私の見解を申し上げておきましょう。
私が昔通っていたヤマハ音楽教室には、かなりハッキリとした職階制がありました。年功序列ではなく、実力制だったと思います。まだ若い先生なのに、上手い生徒の個人レッスンばかり受け持つ人と、チイチイパッパのグループレッスンばかり受け持つ人がいて、月謝のピンハネ率も全然違ったらしいです。一生徒の目から見て、明らかに威張ってる先生と、小さくなっている先生がいたわけです。私は4年間のうちに、先生が5人代わりましたが、代わるたんびに、その威張り度が増すのでした。威張る根拠は単に実績で、先生自身が凄腕のプレーヤーか、或いは教え方が上手で、コンクールの本戦に毎年何人も送り込んでる人なのでした。こういう実力の世界で、先生の中に階層が設けられていても、別に違和感はありませんでしたが、普通の学校ではどうなんだろ? 生徒の学力が驚異的に伸びたとしても、いろんな授業を受けているし、担任や進路の先生や保健室の先生や、多くの先生のサポートがあればこそですから、誰か一人の功績ではありません。一生懸命がんばって成績を上げた子は、来月から小結先生の授業を受けられる・・・とか、そういうことでも無い。また、小結、関脇への昇格は、誰かが引っぱり上げてくれるのでは無く、先生自ら願書を出して面接試験を受けるので、面接官に好かれる答をスラスラ言える人が有利。ついでに、昇格すればするほど給料は上がるでしょうが、その分多忙になります。主幹くらいになると担任からも外れることが多く、会議が爆発的に増えるから、部活指導もおろそかになりがち。だから生徒を直接指導することにやり甲斐を感じている、熱血型の先生ほど、昇格に魅力を感じないはずです。ところがそういう先生だけが、給料上がらない。以上から導かれる結論は、都民の皆様をガッカリさせて申し訳ありませんが、職階細分化は完全に逆効果です。
では最後に私案。先生たちを上手に操りたければ、昇格という余り美味しくなさそうなエサをぶら下げるよりも、働きの内容にきちんと報いるべきですな。生活指導部とか、お行儀の良くない学校での担任とか、休日出勤とか、みんながやりたくない仕事に対して、十分な手当てをすることです。こんな生意気言ってる私も、50才過ぎて30代そこそこの上司にアゴで使われるようになったら、考え方変わるかな?いや、心配ないな。余りにもグレイトな私の前では、30代の青ケツ上司は即刻ひれ伏すと思います。ほ〜っほっほっほ。
7月 4日 感謝の気持ちを忘れるな・・・
なんて、生徒にお説教するたびに、我が身を振り返っては赤面するものです。労働基準法なんて、あって無いような業界・・・休日出勤当たり前の1日12時間勤務で給料安い・・・とかボヤきたい心境の時は、とりあえず定職に付けていて、しかも公務員で、仕事の何%かは趣味と一致という、希にみる恵まれた境遇にいる自分を、戒める日々です。たまたま入ったファミレスで、頼んだメニューが「ん!、マズい!」と思った時は、店長を呼べ!とすごむ前に、3度の食事にありつける事に感謝すれば、自然と気持ちも落ち着くというもの。ちょっと違うかもしれんが、でもまあそういうものです。今ある環境を当然のように思いこみ始めると、さらなる欲求が実現されない事への不満ばかりがつのり、そういう時は、ハッキリ言って不幸です。
今、瞬間的に作ったフィクション。『生徒が学校で犬を飼いたいと言い出した。先生たちは、動物は手がかかり過ぎるからダメだ、アサガオの栽培くらいにしとけ、と言う。でも諦めずに嘆願を繰り返すうち、ついに許可が下りた。生徒達の熱意が伝わり、学校はエサ代を予算化し、犬小屋を作ってくれたばかりか、犬好きの先生を顧問に、飼育クラブを発足させた。これで念願の犬が飼える!生徒は喜んだ。しかし大きな問題が起きた。学校にやって来たのは1匹のブルドック。実はチワワを飼いたかったという子たちが、飼育係を降りてしまったのだ。やむを得ず、ブルドック好きの子たちで日々の飼育を続けていたが、再び問題は起きた。実はメス犬を飼いたかったという子たちが、降りてしまった。ブルドックはオスだったのだ。さらに、飼育クラブを2分するような大問題が発生した。犬に着せるのは赤い服がいいという子たちと、青い服がいいという子たちが、互いに一歩も譲らず、多数決は僅差で青い服派が勝利。赤い服派は、一斉に飼育から離れた・・・』 う〜ん、何じゃこの物語は? 要するに、赤い服か青い服かは、犬を飼うという大目的に対しては、ほんの些細な部分に過ぎないから、犬が飼える事への喜びと感謝さえ忘れていなければ、解決できるレベルだと言いたいわけです。1日置きに赤と青とか、中をとって紫とか、妥協点を探ることは可能です。教訓に溢れる話だな。「教室に冷房無いし、学校ダリぃよ」なんて言い始めた諸君は、高校に合格した時の喜びと、授業料払って通わせてくれる保護者の方々への感謝を、思い出しなさい。最後は思いっきり先生っぽかったな。
6月25日 マスターロール交換
ていう題名を見て「ギクっ!」とされた方は、リソグラフ(印刷機)ユーザーですな。学校で配布するプリントは、ほんの何枚かだったらコピー機ですが、10枚以上は印刷機(昔は輪転機と言ってた・・・)を使います。発行頻度が少ない人でも、週に2〜3回は印刷室に足を運び、リソグラフを使うと思います。ちょっと横道に逸れて、印刷機の歴史を振り返ると、私が小学校低学年の頃は、プリント作りは「謄写版でした。鉄筆で傷を付けるようにして作った版に、ローラーでインクを塗りつけて1枚1枚丁寧に作っていたと思います。小学校高学年になると、文集作りか何かで「ホワイトミリア」とかいう用紙に、ボールペンで書かされた記憶があります。結局はこれも、紙に傷をつけて、インクの通り道を作るという原理は一緒。さてさて教員1年目の昭和60年には、鉛筆で普通に書いた原稿を、ドラムに巻き付けてスタートボタン押すだけで、自動的に版が出来上がりました。1枚の版を作るのに、3〜5分位はかかっていましたが、それでも随分感動したものです。そして現代・・・普通の原稿をコピー機並みの速さで製版!キャッチフレーズは、「リソグラフはコピーを超えた!」でしたが、んんん・・・さすがに超えてはいないでしょう。
最新のこの機械は、古い版を撤去して、あたらしいマスターをセットするのも、自動でやってくれるのですが、その作業が無限に続くわけはない。「廃版ボックスのマスターを捨てて下さい」の表示が出たら、そのボックスの中味をゴミ箱に捨てに行かないと、次の作業が続かない仕掛け。ボックスは小さいので、このメッセージにはしょっちゅう遭遇しますが、まあ大した手間ではありません。そして、最も恐ろしい瞬間!それは、「マスターロール交換」です。トイレットペーパーと同じで、最後芯だけになる時が、必ずやってきます。芯を外して、新しいロールを開封して丁寧にセット。それだけと言えばそれだけですが、遭遇確率200分の1位なので、これに当たった時ばかりは、自分の運の悪さに泣きたくなります。実はここからが本題。確率200分の1にしては、非常に不可解な事が・・・。私は最近、やたらこれに遭遇するのです。2日続けてやられたと思ったら、次の週にまた・・・くらいの勢い。単なる不運と呼ぶにはひどすぎる。よ〜く考えてみたら、うちの学校リソグラフが2台あるのです。ロール交換が表示された印刷機に遭遇した先生は、何もそこで「くそ〜、この忙しい時に・・・」なんて思う必要は無いのです。もう1台の方を使えば良いわけだ。そして、何食わぬ顔で立ち去る・・・。私のように、運命をすべて受け入れるタイプの教員だけが、実際に交換作業を行うので、他の先生方は「誰かが交換してくれてるみたいだな」と安心し、益々やらなくなる・・・。こういう事じゃないですかね?誰かがやってくれてる、その誰かはわしじゃよ、ゴルぁぁ!でもお陰で、ロール交換超慣れたから、先日私の作業を目の当たりにした先生が、その鮮やかな手際を誉めてくれました。これからも進んでマスターロール補充します。その誉めてくれた先生は、「直井にロール交換させる会」の一味だった可能性はあります。
6月18日 教育実習!
私のクラスに実習生が来て1週間が経ちました。もしかして、当人がこれを読んでいるかな?(汗笑) 非常に真面目で、私の大ボラ吹き、無理難題にも全力で立ち向かうので、1日ごとにどんどん先生っぽくなっていくのが、見ていて驚異的です。あと2週間もあるから、最後の頃には、どっちがホンモノの先生だか解らなくなってて、クラスの子たちから「おじさん誰だっけ?」と言われるのが心配です。何度か実習生を担当する中で、いつも感じるのは、自分がいかにダメダメ実習生だったか、ということ。何たって、二日酔いで保健室のお世話になった実習生なんて、まず聞いたことないですからねえ。私の時と較べて、もう一つたいへんだろうなあと思う要素は、実習生が一人しかいなくて、本拠地が職員室内ということです。私の時は、中学校だったこともあり、実習生は6人いて、職員室とは別の、たしか放送室か何かを、臨時の実習生部屋にしてワイワイガヤガヤ・・・。厳しい指導教官にビシビシやられて、凹んでいる子を、みんなで励ましたり、気分転換に雑談したり、学生会館の雰囲気がありました。最後の方の研究授業も、大学から来た偉い先生や校長先生の厳しい視線に混じって、実習生仲間からの応援の眼差しがあると、ずいぶん勇気づけられたものです。それに較べると、孤軍奮闘は辛いだろうなあ・・・。唯一、私の方が大変だった点は、理科の指導教官が「授業は筋書きの無いドラマだ!」と言い放って、計画というものを全くと言っていいほど立てないで授業をする方だったことです。さすがに私は、実習生という立場上、指導案を書かなければなりませんでしたので、書いて持って行くと、「うん。なかなかいいぞ。まずはオレがこれを使って授業やってみるから、お前は見てろ」・・・って、何じゃそりゃ〜。自作のシナリオを他人に初演されてしまったわけですが、「筋書きの無いドラマ」とか言ってたのは、どこの誰よ?って感じ。でも、シナリオ書いたこと無い人が教官だったおかげで、私は計6時間分のシナリオを、誰の助けも借りずに(むしろ、助けながら?)書くという、貴重な経験をしました。大変だ〜と感じたことほど、後で役にたつものなのです。
さあ〜て、あと2週間、なるべく大変な思いをしていただこうと企んでおりますが、「ホームルームは筋書きの無いドラマだ!」・・・ダメだな、こんなのは。まあ、どんなに私が悪巧みしても、うちのクラスみんな良い子なので、大変にはならないでしょう。ほ〜っほっほっほ。
6月 8日 見抜けるかな?
弦太がまたまた「宿題忘れが多い」との注意を受け、打ちひしがれております(泣)。私が小学生の頃は、宿題なんて持ち帰ったためしがない。遊ぶ時間を確保するために、すべて授業中に終わらせる主義でした。お互いに見せっこするなどして助け合い、家に持ち帰ってまでやるなんて、よっぽど要領が悪い子に限られていたのです。ただ、宿題のタイプによっては、そういう助け合い運動が通用しないことがありました。質より量の反復練習というやつ。小2の時の国語だけは、やたらそれが多く、同じ1つの漢字をノート1頁に50個も書かされたり、ちゃちゃっと済ますことが不可能でした。漢字は得意な方だった私にとって、それは当然耐え難い作業。さらにやる気を無くさせたのは、先生の採点は1頁全体に大きなマル1つ。今思えば、50個全部をチェックする必要ないのは解りきってますが、当時の私にしてみれば、苦労して50個書いたのに、チラッと見ただけでシャッ!ハイ次・・・っていうのが納得行かないのです。そこで私は抗議行動に出ました。「前」という漢字のパーツである「月」の部分の、横棒を1本多くしたニセモノを、50個中1個だけ混ぜてみたのです。案の定、採点は大きなマルでした。「うわっはっはっ。やはり気づかなかったな」 ニセモノの割合を徐々に増やして、10%超までいっても結果は同じ。漢字の得意な直井君、というネームバリューが効いてて、先生は微塵の疑いも持たずにマルを付けてしまうようでした。・・・となれば、次の段階へ進まざるをえない。私は友達にこの事実を吹聴しました。期待通り、多くの友達が「自分も試してみよう」という気になってくれて、ここから先はご想像にお任せしますが、先生はその後慎重に採点してくれるようになりました。
学校の宿題は、先生のチェックが甘かろうが辛かろうが、きちんとやることが自分のためになります。しかし、最近学校で書かされる書類の多くは、生徒のためでも自分のためでも無い、どう考えても意味不明のものが多いです。書かずに済ます気満々だったのですが、チェック係の人が来校するというので、渋々書きました。意味の薄いもののために、これだけ面倒な手間をかけさせられたんだから、ちゃんと隅々までチェックしてくれるんだろうな。どうなんだろ?・・・というわけで、小2の時と同じ感覚で試してみました。やっぱり全然見てないことが判明しましたが、さらにテキトーに書いてもきっとOKでしょう。いつの時代でも直井ブランドが効いてるんだろうな。これを読んだお役人の方々が、次回の私の提出物を、眼を皿のようにしてチェックしてくれることを期待します。ほ〜っほっほっほ。
6月 6日 名札
を首からぶら下げてる人が、やたら目に付く世の中になりました。初めてこういうのを見たのは、何10年前くらいだろうか?確か、何かの寄付を集めに来た人が、「私はニセモノじゃないわよ」という印に、身分証明書を首から下げてたのを見て、なるほどこれは合理的だ、と思いました。今では、どこの会社や役所に行っても、みんなぶら下げてるし、昼休みともなれば、オフィス街に近いレストランは、名札下げた人だらけです。外出する時に、いちいち外すのも面倒なんだろう、と想像できますが、これだけぶら下げたまんまの人が多くなると、逆に何も下げて無いと、「あいつは不審者?いや、ニート?」なんて思われやしないかと、かえって心配になるかもな。
学校の先生も名札をぶら下げるようになりました。最近できた学校では、みんなぶら下げているようだったので、「うわ!あんなのイヤだな」と思っていたら、うちも新設校だから、予想通り常時着用を言い渡されて、しぶしぶ付けていたのですが、んんん・・・これ、もう手放せません。ぶら下げてみると解ります。周囲の眼が暖かい!ほんと。私の場合、顔つきが不審者系なせいで、すれ違う人々を警戒させてしまうことが多かったのですが、名札を付け始めてから、安心感を与えているようです。学校の中で知らない人と会っても、名札があるせいで、「ああ、この人はこの学校の先生だな」ということは一目瞭然。非常に便利です。そして、何と言っても威力を発揮するのは、他校に訪問した場合。高校だろうが中学だろうが、研究授業だろうが部活の合同練習だろうが、必ずぶら下げて行きます。最近はどこの学校も、外来者へのチェックが非常に厳しく、「外来者」とか書かれた備え付け名札もありますが、学校名と氏名が書かれたマイ名札が一番!会う人会う人、「ご苦労様」とか「お疲れ様です」なんて言ってくれます。こんなに待遇が変わるんなら、家の中でも名札しようかな・・・なんちゃって〜(最近聞かなくなった言葉だな・・・) 名札したまんまちょっと外出、ということも、よくやるようになっちゃいました。近所のコンビニで、レジのお姉さんが私の胸元を見つめていることがあります。「うわ!名札チェックされた!数日後、告白されたりするのかな?それとも、学校の先生のクセにアイス食ってんじゃねえよ、とか思われてるかな」なんて心配になります。まあそれは冗談として、本当に心配なのは、名札の威力があり過ぎることです。偽名だろうが他人の名札だろうが、名札してるってだけで安心され、ほぼフリーパスじゃないだろか。いろんな会社名の入った名札をとり揃えた、事務所荒らしの下見係とか、いても不思議じゃないな、なんて思います。
5月31日 買い物・・・
を誰かにお願いしたら、頼んだのと違うの買って来ちゃって、「オレが欲しかったのと違う!」「なんだよ、せっかく行ってやったのに!」ってなること、ありますよねえ。結局どっちが悪いのかっていえば、大切な買い物を他人任せにするのが悪いんです。自分でお店に行けば、目的の品物が無いとき、「じゃあこれで我慢するか」とか、お金が足りないなら、「今日はこれとこれだけ買っておこう」とか、「お金が貯まってから出直そう」とか、微妙な判断をすべて自分で下せるわけです。なんでこんな当たり前の事を言いだしたかというと、今、学校の買い物は「オレが欲しかったのと違う!」が起きやすいのです。これは公費についての話ですが、今年も不思議なことが起こりました。コントラバスが裸の状態で届けられる!ソフトケースに入ってないので、楽器屋さんがどうやってここまで運搬したのかも謎。そして、ジャズしか弾かない人だったらまあ分かるが、普通は弾くためには弓が必要です。それも付いていない・・・。ほんと謎だらけだったので、事務室に確認。「弦バスの残りの付属品は、いつ頃届きますか?」「いや、あれで全部みたいですよ」 「ええ〜っ! まあ仕方ないな。部費で追加注文しますから、納品した楽器屋さんを教えて下さい」・・・。その楽器屋さんは、初めて聞く名前の店でした。事情を話して、付属品の見積もりをお願いすると、楽器屋さんも笑っていました。「いやあ、ヘンだなあと思ってましたよ。弓もケースも要らなくて、本体のみ買うって、どんな団体だろうってね」・・・。さて振り返ってみます。もちろん私は、弦バスと付属品一式を、セットで注文しました。私の注文を受けた学校事務室は、昔はすぐに馴染みの楽器屋さんに注文したものですが、今はこれを経営支援センターという所に送ります。センターはいくつかの楽器屋さんに競争入札させ、安い店と契約します。そのため私は、どこのお店で、いくらで買ったのかも知らされないまま、品物が届くのを待つことになります。今回は、途中のどこかの段階で、「予算オーバー。付属品は削って本体だけにしておこう」ってなったのでしょう。「本体しか買えないみたいだけど、どうしますか?」なんて、ちょっとくらい相談してくれりゃいいのに、そんなの絶対ない。もう一つついでに言うと、弦バスを買うにはやや不足気味の額が、弦バス購入費として予算配当されていた事も、私は知らずにいました。お店と直接コミニュケーションが取れれば、「おじちゃん、タイ焼き50円に負けてくれる?」「坊ず、そいつはさすがにムリだ。50円あるなら、チロルチョコにしとけや」「うん、そうする」みたいにできますが、「とにかくタイ焼き50円分を」ってことになると、あんこ無しの皮だけしか来ないこともあるわけだ。公費だから、いろんな手続きが必要なのは解るが、もっと現場教員の裁量が入りやすくする方が、限られた金額を都民のために有効活用する、ってことにつながるはずです。
5月29日 給食費滞納問題
滞納の話題が出たところで、今話題になっている給食費等々について。これって、今に始まった事じゃないってご存じでしたか?「最近の親は・・・」みたいな言われ方をしますが、私が教員デビューした23年前から、立派な(?)滞納親が存在していました。最初は学校の事務室が電話をかけたりして督促しますが、そんなのへーちゃら。何せ向こうは、小学校以来ず〜っと払わずに済ませてきている、百戦錬磨の大ベテラン。所得に応じた減免制度は、昔からありますので、ここで言う滞納者とは、当然のことながら「払えるのに払わない親」です。事務室がギブアップすると、担任にも相談が来ます。私も何件かのおうちに電話をしました。ここで何割かが支払いに応じてくれます。担任に知られたということで、ちょっと恥ずかしいと思う、まあ普通の神経の方が、何割かいらっしゃるということですな。残る大物たちからも、不思議と逆ギレだけはされたこと無く、「すいませんねえ。来月にはまとまったお金が入るので、そしたら必ず払いますから」と言いつつ払わない、いわゆる「のらりくらり型」です。そんな状態が続いて、担任もギブアップすると、もはや打つ手は無いかと思われるでしょうが、うちの学年では最後、全員完納して卒業しました。必殺の最終手段は、意外にもPTA役員さんによる家庭訪問。イヤな役だと思うのですが、快く引き受けて下さいました。滞納家庭に複数で押し掛けて、「お宅のお子さんの給食費は、今のところ私たちが立て替えている状態です」と説明すると、これが効果てきめんでした。なぜこの方法が有効だったのか考えてみると、ついに他の親たちにもバレている、というプレッシャーはあったでしょう。そして、被害者が明確になったことで、ようやく罪悪感が湧いたのだと思います。他人の財布を盗むのは悪いと思っても、税金を踏み倒すのは平気とか、本屋で万引きはしなくても、図書館の本は借りっぱなしとか、そういう人いるじゃあないっすか。給食費を払わなくても、公金で穴埋めされるだろう、くらいに思ってるから払わないわけです。しかし、今思い出すと、なぜあんな丁寧な手続きを踏んだのか、よくわからん。もっと単純で良かった気がしています。払えるのに払わない親が増加している最近の状況について、「モラルの低下」とか言われていますが、これって「モラル」とかいうレベルなのか?泥棒と何が違うんだろうか、と思いますがいかがでしょう。極めて簡単に、給食費を払いたくない家庭の子には、お弁当持って来てもらえばいいし、保育料の場合は、滞納者に即時お引き取り願って、待機児童1名繰り上げ入所。これで何がいけないんだろう? これらは「断固たる」とか「毅然とした」なんかではなく、普通の対応としか思えないので、厚労省の横槍は意味わからんです。保険証を没収されて医者に行けなくなった人がいるとかで、共産党の小池議員が政府を責めていましたが、これも???だな。再三の説得にも応じず、保険料払えるのに払わない人を、いざという時に助けてやれってのは、「キリギリス様は安心して寝こけてろ。アリはキリギリス様の万一に備えておけ。」に等しくありませんかね?正直者がバカを見るのだけは避けたいですぞ。
5月27日 田舎の苦労
共同アンテナってご存じですか?マンションなんか、屋上に1本アンテナ立てて、そこから各戸に線を引き込んでるわけですが、一戸建てでも、共同アンテナが必要な場合があります。高いビルに囲まれてたり、山間部で電波が届かない地域だと、やっぱりみんなでお金を出し合って、でかいアンテナを1本立てる必要があります。我が家がまんまとそれに該当する事実を知ったのは、引っ越して来て、ご近所に挨拶回りしたその日でした。ある親切なおじさんが、「アンテナの高さや位置をいろいろ変えて、何度もチャレンジしたけど、やっぱりムリだったね。全然映らん。加入するしかないよ」と教えてくれました。むむ・・・。なるべくなら加入したくなかった、というニュアンスだな。って〜ことは、何かあるってこと・・・。その何かとは、予想通り「入会金4万円。年会費5千円」 うわ〜! 私一人だったら、テレビ殆ど見ないから迷わずNoだが、うちの家族テレビ無しじゃ生存の危機だから、やむをえません。入会した挙げ句、いきなり地区の理事に就任させられ、今日は理事会の会合で「地上デジタル移行」に向けて話し合ってきました。理事会とか役員会というと、PTAでも何でも貧乏くじという印象がありますが、面倒くさい反面いろいろ分かってくることも多いので、ついつい委任状を出しそびれて出席する習性が、私にはあります。今日のメンバーは、そんな習性の人が多いのか、理事○期目のベテランや、理事長経験者もいて、共同アンテナ設立当時(30年前)やそれ以前をご存じの方も、数多くいました。私が昨年引っ越して来たばかりの新参者だと判ると、ある理事さんが、歴史を熱心に話し始めました。「昔はみんなテレビ見るために、自分ちから山のテッペンまで、100mくらいアンテナ線を引っぱったもんだ。それも雪が降りゃ重みで切れる。下草刈りの鎌で切れる。鉄砲で撃たれて(恐!・・・猟銃?)切れる。この組合を作って、ようやくそんな苦労から解放されたんだ。」 なるほど、すべてが整備された後に転入して来た人は、すでにテレビがよく映る状態を当然のように思うだろうから、出てくるのは文句ばかり、ということになりがちだろうな。どの組織も集団も似たようなもんだ・・・。
夏には施設点検(電線のそばに木の枝が覆い被さってたりしないか、等)があり、秋は私の担当エリア15世帯の集金。いろいろありますが、今日の話を聞いて、だいぶモチベーション上がりました。先人のご苦労に報いるためにも、総勢200世帯の共同アンテナの維持管理に協力してゆこうと思います。最後に、今後田舎暮らしを考えていらっしゃる皆さん。入会金の相場はだいたい5万円位。山間部ではこういう出費も覚悟しておく必要があります。集金は楽ちんだと言ってたな。滞納者なんているわけない。滞納したら設備はずされてテレビ見れなくなるだけのこと。おまけに入会金が返金されずに退会扱いですから。
5月17日 教育実習と少子化問題
6月になると、どこの学校にも教育実習生が来て新鮮な空気に包まれますが、そのちょっと前には、実習のお願いに学生さんが来るのを、よく見かけます。これは、「来年度、おたくの学校で教育実習をさせていただけませんか?」ということで、今来ているのは、平成20年6月の予約です。たいていは母校に行きますが、「ご挨拶」ではなく「お願い」なのは、断られるケースもあるからです。教員になりたいという意欲をアピールできずに断られるのは、まあ仕方がないにしても、「定員オーバーなのでダメ」とか、「母校実習はお断り」なんて言われたら、目の前真っ暗なはず。私の教え子にも、こういう断られ方をした子が、少なからずいました。しかも断ったその学校から、ご丁寧に「これは本来、教育委員会にお願いすべきことですよ」なんてアドバイスまでいただいたとの事。じゃあってんで市役所に泣きついてみたら、「とにかく熱意を見せることです」と言われ、実習先を確保するのは学生自身の責任、という対応だったとか。学生にしてみれば、まさにたらい回し状態。受け入れる学校としては、余計な仕事が増えるのはイヤだから、なるべくなら断りたいっていうのが本音でしょうから、教育委員会が知らん顔を決め込んでは、熱意はあるけどコネが無いという学生から、教員免許取得の機会を奪うことにもなりかねません。国として、教員に優秀な人材を確保したいと本気で思っているなら、この業界七不思議の一つである、実習先確保のプロセスをまずきちんと制度化して、希望するすべての学生に実習の機会を保証すべきでしょう。
似たような印象を持ったのが、保育園のこと。実は私も保育園の入所について、市役所に相談に行ったことがあります。その時の役所の対応の冷たさには、ちょっとビックリでした。入所待ち人数の一覧表を見せられ、入所できる優先順位について説明され・・・。「仕事してるなら入れてやる」という制度なのは解るが、「保育園に入れることが決まらないと、仕事が決められない」うちみたいな場合は? ニワトリと卵の関係だなあと思っているうちに、要するに「お前んとこなんか、一番後回しだぞ。奥さんどうしても働かなきゃやっていけないってわけでもないんだろ?いいじゃんか、専業主婦で。」ってことだけは判ってきました。な〜んか、「子供なんか作ってごめんなさい」って言いたくなる気分でしたな。ところで某市役所では、私と同じような思いをした母親が、たまたま議員の知り合いがいたので、何とかしてくれと泣きついたら、数分後に入所OKの返事を貰えたそうです。議員の権力って凄いんだな、って〜のと同時に、こんな議員たちが、市民と同じ目線で問題に取り組んでくれる事を、期待する方がどうかしてますな。
5月 8日 エビで鯛を釣る
近所の店で面白い張り紙を見つけたので、コメントいたします。「携帯電話の充電、お断りします」 いかにも充電しそうな、学生が集まる店ではなく、10人も入れば満員になりそうなラーメン屋さんの、テーブル席横にこの張り紙はありました。そこには2口コンセントがあって、テレビや扇風機等は他のコンセントを使っているから、通常はいつも空いてる電源です。ここからはすべて私の想像・・・。お昼になると、毎日同じそのテーブルに座る会社員がいた。彼はいつも座るやいなや、携帯と充電器を取り出して、その壁際のコンセントに差し込むのだった。食事の時間を利用して充電を済ませてしまう・・・これが彼の日課となっていた。いつからかこれに気づき始めたご主人、「一体こいつは、うちのラーメンを気に入ってるから来るのか、充電目的で来るのか」と考えたかどうか判らないが、ある日ついに口を開く。「お客さん、充電は自分ちでやってくんねぇか」 会社員は素直に謝って、充電器をしまい込んだが、その後二度と店に姿を現すことは無かった・・・。もしこんなストーリーだったとして、考察してみましょう。まず、電源の無断借用がいけないことなのは当然。書類送検された人だっているくらいだし、学校で教室のコンセントを使った充電も、普通は禁止です。だから、悪いのは会社員で、ラーメン屋のご主人が正しいのは明白。しかし、お店の経営という観点から見ると、最善の策は他にあったように思えるのです。携帯充電時の電力は、せいぜい数ワット程度。1時間充電したところで、電気代は1円に満たない勘定だから、昼食1食分の純利益の方がデカいはず。利益だけを優先するなら、この会社員の行動に目をつぶってやった方が得策でしょう。ご主人はそれを承知で、でも悪いことは見逃せない、と考えたなら、それは立派な事だと思いますが、会社員は別の所で同じ行動をとるかもしれないし、お店にとっては単純にマイナス。私はむしろ「電源、ご自由にお使い下さい」という張り紙をすることで、両方が得した気分になり、万事解決すると思いますが、いかがでしょうか。ただし、実際に得するのは、ほぼ一方的にラーメン屋側です。全国の飲食店経営の皆さん、エビで鯛を釣ってみましょうぞ。そして、なるべく自宅以外で充電しようと企んでいる皆さん! それで一体いくら得するのか、考えてみましょうぞ。数十円にもならない、数円のために、後ろめたい思いをしたり、エビで釣られる鯛になるのは、お得ではありませんな。
5月 3日 高野連と特待生問題
いやはや、大変な事になってまいりましたな。公立学校に勤務しているから、金で勝利を買う行為が、ここまで蔓延しているとは存じませんでしたぞ。ただ驚き呆れるのみ。「学費の減免」と言えば聞こえはいいですが、本来払うべきものを払わずに済ませてもらっちゃうわけだから、単に「金品を受け取ってる」のと同じ事。それも家計が苦しいという理由じゃなくて、野球が上手いからなんでしょ?一生懸命練習したチームよりも、金に物を言わせて全国から名選手をかき集めたチームの方が強いに決まってる、そんなのって真っ当な教育活動と言えますか?学校側が「特異な才能を伸ばすため」とか言い繕ったところで、甲子園で勝つことで学校宣伝に役立てたいという下心は見え見え。選手自身も、実は学校宣伝の道具にされているだけで、ちっとも大切になんかされていない、ということに気づいてほしいですな。特待生で入ったはいいけど、ケガでもしてプレーができなくなった場合、お払い箱同然の扱いを受けた例も数多く聞きます。高野連の今回の対応は、私は当然のことと考えますが、今朝の読売新聞は「時代錯誤の高野連」と評していました。他のスポーツでは特待生は当たり前。むしろ、それが無かったら、各競技の国際競争力向上は見込めない・・・って感じ。確かにそれは当たっているでしょうが、「国際的プレーヤーへの登竜門が主として高校の部活」ってことが、私は一番の問題だと思っています。国際競争力を言うのなら、この際国語も数学も何もやらず、朝から晩まで野球だけやってりゃいい学校、というかプロ養成所を作っちゃえばいいでしょう。タイガーマスクを生み出した「虎の穴」みたいな・・・。あとは、昔から言われていることですが、学校に頼るのではなく、地域のクラブチームがその役割を担っていく方が良いでしょう。
しかし、いつも可哀想なのは生徒たちですな。今回の特待生たちにしたって、「野球さえ上手けりゃオッケーみたいな学校へ行くぞ!」と、初めから考えていたんじゃなくて、学校側から甘い言葉で誘われて、その気にさせられたに決まっています。履修漏れの時と同様、該当の学校は大いに反省してもらいたいし、今回のことをまるで他人事のように冷ややかに見ている高体連の皆様も、学校教育の場に「一芸特待生」が相応しい物なのかどうか、よ〜く考えていただきたい。
4月26日 部活が本務に
先週くらいでしたか、朝のNHKニュースで報道されていたくらいだから、かなりの大ニュースだと思います。東京都ではついに、「部活動は先生のやるべきお仕事」と定義づけました。部活顧問というのは、従来はボランティア的色合いが強く、それがいろいろ問題のタネになっていたのは事実。教員側は、本来の仕事じゃないと思っていても、生徒や親からすれば、何でうちの先生は熱心にやってくれないの?と思ってしまうから、大きな認識のズレがあり、管理職が頻繁に板挟みになっていたわけです。従来は、管理職は教員側の立場に立って、保護者を説得してくれることが多かったように感じます。だが今後はどうなるんじゃろか?私たち、いきなり校長室に呼びつけられて、「君、練習試合が少ないと保護者からクレームが来とる。休日は毎週試合を入れるように!」と怒られたり、「君は理科が専門だろ。吹奏楽部なんてやってる場合じゃないぞ。科学部をやれ。研究発表させて文部科学大臣賞取って来い」なんて言われる可能性、無きにしもあらず。「部活大好き先生には朗報だろ?ようやく苦労が報われたんだからな」なんて言われることがありますが、実際はそうでもないのです。今まで通り、好きにやらせてもらいたいな、と密かに思います。
東京都が部活の重要性を認めて、支援しようと動き出したこと自体は評価しますが、方法として最優先させるべき事は、外部指導者を頼みやすくすることでしょうか。指導者を雇うための報償費というのが、余りにも少なすぎて、これこそ正にボランティアで教えに来てくれる人に頼っている状況。或いは保護者から高額の月謝を集めたり、顧問がポケットマネーでギャラを支払っている、なんて場合すらあります。先生方を「本務です!」で無理やり部活に縛り付けるだけでは、お客様の満足度が上がるとは思えん。
最後に。部活指導の即戦力かどうか、が教員の採用基準となることは、昔からありましたが、今後ますますその傾向を強めるでしょう。そういう下心抜きにしても、部活があるからこそ教員の仕事は、他には無い魅力があるのだと思うので、教員を目指す人は、大学でしっかりサークル活動に励み、「高校生ごときに、これだけは絶対負けん」という特技を身につけておくことです。ただし、私みたいに飛び抜けたレベルになってしまうと、できない子の気持ちがわからなくなってしまうので、ほどほどで良いだろう。
4月13日 続・白が黒
白だと言われてたことが、ある日突然黒になる・・・。そりゃ戸惑いますわな。中学から高校へ上がって、中学時代にやっていた部活を続けようとするとき、必ず出くわす壁です。特に楽器の場合、そういうことが多いような気がします。うちの部も新入部員を迎え、今年も多くが中学時代からの経験者ですので、その壁をどう乗り越えさせるかという、非常に難しい問題に挑みます。
私が最初にピアノを習った時の先生は、指使いを重視していました。「1」の指示(親指で弾け)を、人差し指で弾くことは、無期懲役くらいの重罪みたいな意識を植え付けられていたのですが、エレクトーン教室の先生は「手のサイズは人それぞれ違うんだし、自分が弾きやすいように弾けば?」とかおっしゃるので、まさにベルリンの壁崩壊くらいの大事件。ところが次の先生は、私の弾き方を見て一言・・・「信じ難い指使いだな・・・」 もう何が何だかわからん。私の好きな二人のプロドラマーは、お互いの事をクソミソにけなしあってました。「あいつはジャズってものを勘違いしてやがる」くらいまで言ってましたが、二人とも第一線で活躍していたことから見て、どっちかが正しくて、ってことではなく、どっちも正しかったのでしょう。好みの問題です。昔、吹奏楽部のチューニングと言えば、私たち打楽器奏者にとっては瞑想の時間でした。音程を合わせるには、とにかくチューニングが生命線ということで、B♭ばかり平気で30分以上かけてましたが、最近そういうバンドは殆どありません。プロの管楽器奏者に、「オレら、チューニングなんかしねぇよ。弦の連中は、開放弦弾かなきゃなんねえから真剣にやるけどよ」と言われた時は、やはり世界大恐慌、ニューディール政策、アダムスミスくらいのショックでした。ということは、教えを受ける側の心得として、誰か一人の信奉者になりきるのではなく、いろんな人の言うことを聞き較べて、どれを取り入れるかを自分で判断することが、上達の早道になるでしょう。高校で部活を継続するならば、中学時代の顧問の先生の教えも、新しい高校の顧問の先生の教えも、すべて「One of them」。そう思っていただかないと、すぐに不適応になってしまうでしょう。他の先生の教えを肯定しつつ、「直井の言うことも尤もだ」と思わせなければなりません。大変ですが、がんばるっきゃない。まあでも、私のカリスマ性をもってすれば、何とかなるでしょう。
4月 6日 音色
は、その人の直筆サインだ!(聞いただけで、誰の音か判るようなもの) だから、音色に磨きをかけるように! な〜んて、誰の受け売りだか忘れましたが、日頃私は偉そうに言ってます。高い楽器と安い楽器を同じ人が演奏すれば、当然高い方が良い音がするでしょう。ところが、この「良い音」というのは主観的で、「良い」と感じる人が多数派である、というのが正しいと思います。だから、人によっては、安い楽器の方が自分の気に入った音を出せる場合も多く、ここいらが楽器特有の買い物の難しさ。でも楽器以外でも同じかもな。私はポルシェとか運転しても(実際はしたことない・・・)きっと疲れるだけで、ステップワゴンの方が運転しやすいと感じるに決まってます。
昔、新宿にライブを見にいった時、某テナーサックス奏者の使っていた楽器は、見るからにボロボロで、音もカスカスでした。ところが彼がMCの中で言うには、「これぞ幻の名器!音が違うでしょう?」 場内も何だか納得しているようでした。私は、疲れたような音色よりは、艶のある音を、サックスらしい良い音と感じます。いろんな人に聞いてみると、やはり好みが二極分解しているようです。うちの学校に最近買ったスネアドラムが2台あります。値段的には片方が10万円超で、もう一方は1万5千円。私はどうしても10万円超の音色が好きになれず、(調整の仕方が悪いのかもしれん)、ついに先日の本番直前、10万超を封印して、1万5千円の方を使うよう指示しました。サックスはセルマーを吹いてますが、実はヤナギサワかヤマハの音が好きです。クラリネットはヤマハよりもクランポン、フルートはミヤザワ派、トロンボーンはバック派ですな。ヤマハのトランペットは、最高級のゼノという機種から、安くなるにしたがって音がキンキンというかパリパリに近くなる感じがします。しばらく郁恵さんのゼノを借りて吹いてましたが、どうも好きな音が出せず(これも自分がヘタなだけだな・・・)、今はだいぶ下のランクの4335GSという機種を、非常に気に入って吹いてます。ホント、人それぞれ。
指揮者は、自分で音を出さないくせに、他人の音色にまで介入してしまいます。その権限たるや、金総書記どころじゃないでしょう。日常「もっと柔らかい音を!」って要求し続けると、ヤマハを吹いてるクラリネット軍団が、いつしかクランポンの音色になってゆくのです。だから指揮者はやめられん、て要素の一つかもな。学生諸君、どんどんガクシキに立候補して、強大な権力を満喫したまえ。
3月27日 ガクシキ(学識ではない・・・)
学生指揮者のこと。わざわざこういう呼び方をする理由は、やはり指揮者というのは偉い人がやるものだから、生徒なり学生がやるのは特別な事、っていうイメージがあるからでしょう。つい先日の演奏会では、私の推薦によって、その部史上初となる学指揮2名がデビュー。堂々たる指揮っぷりで、初舞台にしては120点の出来でした。学校の部活動では、マエストロ顧問も数年で飛ばされますから、各学年1名以上は振れる人材を育成しておかないと、やがて部の存亡にかかわります。それに、社会人バンドの指揮者の多くは、学指揮経験者。多くの中学生や高校生に指揮を経験させることは、アマチュア音楽界全体の底上げにもなるはずです。
さて大問題なのが人選。初めて入部してきた生徒を、どの楽器に割り当てても大差無い、というのが私の持論ですが、指揮者となるとちょっと話は別。ハッキリ向き不向きがあると思います。内気過ぎて、みんなの前で話す事が苦痛・・・という子に指揮をさせるのが酷なのは当然のこと。責任感が強すぎる子も、演奏が上手くいかないのを全て自分のせいだと思い込みますから、指揮がストレスになってしまいます。そう考えると、指揮者向きの性格というのは、今述べたのの逆・・・。私なんかピッタリだな・・・と思うのは、「上手く行ったらオレ様のお陰。失敗したらオマエのせい」と思いながらやれるからです。そうでもなきゃ、「私はそんな風に振ってない。よく見ているように!」なんて絶対言えないっしょ。大学の合唱団で2年に上がった時、私は学指揮候補にされていました。誰に決めようか、先輩たちは人選でずいぶん悩んだようですが、当時の私は、余り目立ちたがり屋だと思われていなかったようで、結局ならずに終わりました。人間の本質を見抜くのは難しいものです。高校生の場合はなおさら、ナルシストの資質が現れているケースは少ないので、人選で困った時は、とりあえず希望者か、いなければ全員に代わりばんこにやらせるのが良いと思います。味をしめてその後もやろうとするのが向いてる子。もう二度とやりたくないというのが向いて無い子でしょう。でも、何とか本番までこぎつけた指揮者は、味をしめるケースの方が多いかもな。だって曲が終わった後の拍手を、自分一人で受けているような感じだし、その瞬間、奏者は完全に手下に成り下がってるからな。多くの子たちがその喜びに目覚めて、学指揮ポストが取り合いになるくらいだと、部の未来も明るいでしょう。うちの学校では、私が偉大過ぎるのが災いして、なかなか希望者が増えないのですが、何とか育成に励もうと思います。
3月23日 価格より担当者
厳正な競争入札によって、最も安い金額を提示してきた業者に、実は決めたくない!って場合があります。入札させる業者は、ある程度の実績が必要だから、名前も聞いた事の無いような怪しい業者が突然落札、ということはありません。ただ、人事異動により、同じ会社でも、名前も聞いたことのない担当者になっていることがあります。これはハッキリ言って、会社そのものが代わったに等しいから、大事な仕事を任せるのはもはや博打です。だいたい卒業アルバムにしても修学旅行にしても、非常に長い準備期間を経て完成させる性質のもので、業者側担当者と学校側担当教員の、絶妙のチームワークがあってこそ、生徒にとって満足の行く仕事になります。打ち合わせの回数なんて、そりゃもう数え切れん。その間、大事な約束をすっぽかされたり、学校側のニーズを余り聞いてくれずに適当にやられたりしたら、こりゃたまらん。また業者側も、○○高の直井っていう担当者は、我が儘で扱いにくいから気を付けろ、とか思っているのは十分に有り得るな。相性っていう要素も大きいですが、要するに担当者が良いと、次々にアイデアを貰えて、製品がどんどん良い方向に膨らんで行きます。それは、金額に現れない部分でありながら、実は最大の価値なのです。昔はそこらへんを考慮に入れて業者を決める余地がありましたから、何百円かの差なら、迷わず担当者の信頼度を優先したものです。今は、一番信頼の置ける担当者が落札してくれることを、ひたすら祈ることしかできません。厳正な競争入札は、総合的に考えた時、生徒にとって本当に得なのか疑問に思います。
学校に限らず、どんな職業でも、最後は「人」が決め手。巨大なショッピングセンターの近くにあっても、人柄の良いご主人のいる個人商店は繁盛します。値段で勝負したら割高であっても、そのご主人のきめ細やかなサービスという付加価値を考慮すれば、むしろ割安だと感じる人が多いからこそでしょう。「教育は人なり」と言われます。新設校に勤める我々も、ピカピカの校舎、設備、カリキュラムなんか自慢してる場合では無いな。どんな先生が教えてくれるのか・・・これがすべて! 正社員が少なくて、パートをこきつかう、いわゆる「人」への投資をケチるような会社は、当然お先真っ暗で、やがて潰れるでしょう。
3月10日 談合
ってやつが、あちこちで摘発されて、公正な入札制度に改善される動きが加速中。学校でも、昔は談合があったかどうか知りませんが、談合できないようにするしくみが急速に進んでいて、そのせいかどうかも判らんけど、、信じられない程の低価格化が実現しています。学校が入札制度を採用する最大の契約は、修学旅行と卒業アルバム。このうち、卒業アルバムについてお話すると、皆さんは自分が学生時代の卒アルに、いくら払ったかご存じですか?たいていは積立金からいつの間にか支出されるから、スポンサーである保護者でさえ、よく知らないと思います。私も当然そうでしたが、大学卒業の時だけは自腹だったので、ハッキリ覚えている。「1冊1万円。買うか買わないか選択OK」のお知らせに、「買わない!」と即答しましたので。中学や高校も、似たような金額だったと想像できます。22年前の1冊1万円・・・。アルバムは高価なのです。だから、ほんの数年前に1万円でお釣りが来る見積書を見た時は、ちょっと驚きました。その年に敗退した業者が、腹立ち紛れみたいな感じで、「最近、非常識的な低価格で入札する業者がいるから気を付けて下さい。ハッキリ言って、うちの出した金額より下は、何かしら手を抜くとしか考えられない。安かろう悪かろうになって後悔しますよ」と言い残しました。その業者さんですが、昔「非常識」と言い放った価格の半分以下で、最近は立派にお仕事をされているようです。一体何を信じて良いのやらって感じですが、やはり昔のアルバムは高すぎたと考えるのが妥当でしょう。あくまで想像ですが、談合組織があって、「○○円以下では入札しない」という決まりや、「今年は△高校はうちが取るから、☆高校はお宅にあげる」とかやりながら、相場の維持と共存共栄に努めてきたのではないでしょうか。最近はそれが非常にやりにくくなった結果、業者どうしの仁義無き戦いとなって、価格破壊が生じたと思うのです。ではアルバムの適正価格は、本当に昔の半分以下かなのかというと、これは正直疑問。いろんな学校の話を聞くと、安かろう悪かろうによるトラブルは増加中。契約を取りたいために、明らかに無理な価格で入札してくる業者がいて、学校の経理担当としては「こりゃ怪しいな」と解っちゃいても、余程の理由が無い限りは安い方に決めざるをえません。僕ら教員の立場では、3年間受け持つ生徒たちの思い出の品が、失敗写真だらけで薄っぺらいのになっちゃったとか、開いた瞬間にバラバラにぶっ壊れたとか、最悪できないまま業者倒産とか、絶対に避けたいです。(本当にある事例) 実績のある業者への安心料として、少しくらい高くても仕方無いじゃんかと思いますが、いかがでしょうか。談合があるのも、談合を全て排除するのも、どっちも問題あります。じゃあどうすりゃいいのよって、それが解ってれば苦労ないな。
3月 2日 ライフプラン
サンシャ(産業社会と人間)という授業で、「ライフプラン」という課題を学年全体でやらせています。「20年後の自分から今の自分への手紙を書く」なんて課題は、ちょっと新鮮で興味深かったりもして、な〜んか先生たちまで自分を振り返る機会になっています。でもどうなんだろ?幼い頃から夢に向かってまっしぐら、という人もいるでしょうが、私自身について考えてみると、全然そうではなかったな。高校1年生の頃に、学校の先生になるとは夢にも思っていなかったし、その場その場で興味のある事に夢中になってただけだな。理数系の勉強だって、将来に備えてやってたわけではなく、単に興味があったからに過ぎん。そう考えると、私が高校生に向かって「明確な目標を持って日々を過ごしましょう」なんて、説得力ゼロです。だから、正直に「自分はまだ将来の事は考えられない。夢中になれる物を探したい」って書いた子に、むしろ共感してしまいます。私の場合、一貫して音楽活動に夢中になれてたのが幸いでした。夢中になれるって事は、少なくとも不向きでは無く、そこから何かしら道は開けてきます。大学4年の頃、ようやく「音楽部の顧問をやるために、理科の先生になろう」という、歪んだ目標が定まりました。
ライフプランを、自分が一生を賭ける職業探しと考えると、私のそれが定まったのは、40才過ぎてからじゃないだろうか・・・。四十にして惑わず、っていう言葉が実感できました。20〜30代の頃は、学校の先生やりながら、「自分はこれに向いてないんじゃないか」という疑問を常に引きずってました。最近になってようやくそれが晴れて来たのは、教え子達からの励ましのお陰です。吹奏楽部だった子たちはもちろんですが、「高校2年で初めて勉強って面白いって思いました。マジっすよ。うちの息子に、父ちゃん物理だけは得意だったって自慢してますよ」なんてのも嬉しいじゃぁないっスか。こういう暖かい言葉の蓄積から、「自分がやってきた事は、世の中の役に立ってたんだな。間違ってなかったみたいだな」という自信を貰って初めて、「よし!じゃあこれからも続けて行こう」となって、自分のライフプランは確立すると思います。だから、ぶっちゃけライフプラン作成は40才からで良い。な〜んて言ったら、怒られるかな・・・。
2月26日 自分は大丈夫と思ってる人が、実は一番・・・
前回、前々回の訓話でお解りのように、現在当社は中古楽器の大量買いに動いております。お陰様で、楽器を買い換える予定の知人友人から、中古を格安で譲っていただけたり、リサイクルショップで掘り出し物を当てたり、ネットオークションにもバンバン入札。この1ヶ月で5本の管楽器を買いましたが、ま〜だまだこれからって感じ。ところが・・・1本来ないやつがあるんですよ。あれっ?オークションの主催者に問い合わせると「警察へ届けて下さい」だって。これってもしかして、振り込め詐欺ってやつ?わお!
いやあ、ビックリしました。まあパチンコ1回負けた程度の金額だったので、何百万も振り込んじゃった事例に較べれば不幸中の幸い。でも、何が驚きかって、自分は絶対大丈夫って思ってたのが、コロリとやられたことです。「振り込め詐欺」はご存じのように、お年寄りを狙う事が多く、学校の先生は特に要注意です。「体罰で生徒にケガをさせた」とか、「女生徒からセクハラで訴えられそうだ」とかで、その先生の実家に電話がかかってくるケースが、多数報告されていて、職場でも注意を促されていますから、私は実家に寄るたびに、両親に念押ししています。うちの親は「お前は子供の頃から冷静だから、カッとなって体罰・・・はあり得ないの解ってる。でもセクハラって言われたら信じるかもな」とか言ってるので、「とにかく、ヘンなのが来たら必ず確認してくれ」としか頼みようがない・・・。まあでも、うちの親は大丈夫だと思います。本当にセクハラで示談金が必要になって、私本人が頼んでも、「自分で払え。それができんのなら、刑に服して来い」くらい言いそうだからな。
今回は、やられて悔しいとかより、「ああ、こうやってやられるんだぁ」みたいに、妙に感心しています。皆様のために、反省点を2つ挙げます。まず、やられる時は異常心理状態になっています。オークションなら、本当に欲しい品物を落札できた瞬間とか、寸前で割り込まれて取り逃がした瞬間とか、喜怒哀楽で冷静さを失っている時間帯があり、まさにそこが狙われます。冷静さを取り戻してさえいれば、詐欺かどうか確かめる方法はいくらでもありました。難しいですが、頭の90%で興奮し、残り10%をクールに保つことです。もう一つ。催眠術に一番かかりやすいタイプは、「自分は絶対かからねえぞ」という自信満々の人だとか・・・。何事も過信は禁物で、世間で起きていることはすべて、明日は我が身と考えましょう。
2月19日 景気回復???
とか言って、庶民にその実感は無い・・・と、連日マスコミが報道していますが、部活の予算一つ取ってみても、それは明らか。吹奏楽部がらみのお金の話をしましょう。吹奏楽部一つ作るのに、どれくらいお金がかかるか想像できますか?答:○百万円。私の経験した範囲では、20年前に三沢中で創部した時、たしか市から400万の予算が付きました。楽器は高価です。ティンパニ1個で30〜40万位だから、400万でも全てを揃えられるわけではありません。それでも、他の部活から見れば明らかに法外な金額で、「なんでブラバンばっかりあんなに優遇・・・」って思われるのは当然。これも今だから話せるのであって、当時はとてもじゃないけど大っぴらには言えません。まだ続きがあります。スタートは400万ですが、その後何年かに一度、100万くらいの特別予算が付きました。個人で楽器を買う子も少なからずいましたが、フルート、クラ、サックス、トランペット、トロンボーン・・・まあ、そこまでだな。チューバ、バスクラ、バリサクを買う中学生なんて絶対にいるわけない。だから部員数が60人を超えてきた頃からは、そういう個人で買いそうもない楽器を集中的に増強しました。バリサクバスクラ各2本ずつ持ってた中学校も珍しいだろうな。ホルンは7本あったな。こういう金食い部活は、高校も同様でした。数年に一度は100万程度が配布されていたし、毎年の部活予算の中で、小型の楽器はたいてい1本くらい買えてましたから、楽器の整備に不安はありませんでした。さて、ここまでは大昔の話で、今にして思えば「夢物語」なのです。ここ最近の部活予算(備品)は、まず間違いなくゼロ!部活のみならず、学校の予算全体が大幅に削られているのです。備品費ゼロということは、新たに楽器を買い足すことが不可能なわけだから、みんなどうしてるんだろ?まさか楽器所有を入部の条件に、なんてできないだろうから、何かしら他の財源に頼って、どうにかしてるんだろうとは思います。もう一つ不思議なのは、これだけ予算を削ったということは、昔あんなにばらまいてた予算は、今はどこへ行っちゃって、何に使ってるんでしょう?受益者負担とかで、高校や大学の学費は上がるくせに、教科の予算もどんどん削られてますよ〜。本当。安上がりの授業やれってことです。景気回復の裏でこうした現実を、「教育再生会議」の人たちは、どう思ってるんでしょうかね?
2月 7日 中古品
を買うのは、まあ勇気のいることです。特に楽器の場合は・・・。新品でも、同じ型番に個体差は当然あって、3本くらい取り寄せて貰って開封して、自分で吹き較べて買うのが一般的。高い買い物ですからねえ。中古だったら尚更、どういう人が使ってたかで、コンディションは千差万別のはずだから、普通に考えて「当たり」を掴める確率は極く僅かでしょう。でも私の場合、これがどういうわけだか、結構いいのを掴んでます。・・・と思い込んでるだけかもしれませんが、本人が気分良く吹いてるんだから、放っといてくれ!
初めて中古で買ったのはラッパでした。ネットオークションなんて無い時代。バンド雑誌の「譲ります」コーナーで見つけて連絡を取り、同じ東京都内だから、取りに伺います、ってことになりました。定価10万ちょっと位のラッパが、新品同様で5万円。後悔するような品物だったら、5万円丸損だと思うと、ちょっとドキドキでしたが、都内の駅で待ち合わせてお会いした若いOLさんは、とても第一印象が良く、「この人だったら丁寧に使ってただろうから、大丈夫!」と確信。喫茶店に移動して現品確認。音は出してみませんでしたが、本当にピッカピカで、可動部もスムース。「高校時代にやってて、最初の給料で衝動買いしたはいいけど、仕事が忙しくて吹く場所も無い。このままじゃ楽器も可哀想」というお話。(新品同様の楽器を売りに出す動機は、ほぼこのパターン) 結局、ラッパの扱いがちゃんと解った人が、2〜3回吹いただけの楽器を、半額以下でGET。これで味を占めた私は、同様の手口(?)で、クラ、サックス・・・と次々入手。個人売買は一見危険なようですが、電話や手紙から伝わってくる人柄が良ければ、まず商品もOK!これが私の経験則。
最近では、あちこちにリサイクルショップが増えて、そこで中古管楽器をチラホラ見かけるようになりました。これがどういうわけか掘り出し物が多く、先日も大当たりを引かせていただきました。目の肥えた楽器店では厳しく査定されちゃうけど、普通のリサイクルショップは、見た目キレイなら案外高値で引き取ってくれるし・・・ってことで、流通量が増えてるのかもしれません。注意点は、リサイクルショップの店員さんは、まず管楽器の動作確認なんて知りませんから、基本的なチェックを自分でやれない場合は、当然危険な買い物です。金管は可動部(ピストン、ロータリー、スライド、チューニング管)の動きと凹み。(ベルのデカい凹みより、細い部分の小さい凹みの方がヤバい) 木管はタンポの隙間と、キーの動き。(一度もキーオイルを注したことが無さそうなやつは、見えない部分の摩耗が凄いかも) ちゃんと見抜かないと、修理代の方が高くつきます。世の中リサイクルブームで、「中古全盛時代」になりつつあります。いいのを当てれば本当に最高のお買い物ですので、選定眼を鍛えてがんばろう!
1月28日 実技試験
をやりました。うちの高校では今回から吹奏楽推薦が始まったのです。他の高校でも、例えばサッカーで全国大会へ行った久留米高校はサッカー推薦とか、その学校の特色を活かした入試をやるわけです。正式名称は「文化スポーツ推薦」といいますが、先生たちはみんな「ぶんスポ」と略すので、ちょっと困ります。この響きを耳にするたびに、ジャイアント馬場を思い出して、笑いをこらえなければなりません。「アポ取り」という言葉を聞いた時にも、同様に反応してしまうのですが、私だけだろうか。さて、うちの高校は出来たばっかりで、コンクールにも出ていないから、本当に何の実績も無い・・・。なのに文スポ推薦というのも不思議な話で、誰か受けてくれるんだろか、と思っていたら、定員を上回る志願者が来てビックリしました。来たからには試験をやらなければなりません。入学したら吹奏楽部に入る宣言してくれてる子たちの中で、誰かを落とさなくてはならないというのは、ハッキリ言って20年以上のブラバン人生の中でも、屈指の辛さです。でも学校の方針として実施する以上、やらなきゃならん仕事です。
一昨日、音楽室でリハーサルをしました。私が生徒役で、トランペット持って入室。1本ぽつんと立てられた譜面台の前に歩み出ると、正面に面接官がずらり並んでる・・・。この時点でかなりのプレッシャー。メトロノームが鳴り始め、指示にしたがって音を出してると、何がなんだかわからないうちに10分経過。「だ〜めだ。緊張しちゃってムリ!」 「直井先生でも緊張するなんてことあるんですか?」 「単なるリハーサルの生徒役だって解ってやってるのに、凄い圧迫感だったもん。満員のホールでソロ吹くよりも恐いっすよ。これ全員泣いちゃって試験にならないな・・・きっと」 どうやって受検生をリラックスさせようか・・・。一晩考えた末の策は、(1)受検生の向きを変え、正面には審査員席でなく、外の風景(山)が見えるようにし、「山に向かって吹くつもりで」と指示する。(2)私が受検生のすぐ隣りの位置で、ハーモニーディレクターを操作しながら指示を出す。(3)ノックをして入室させるのではなく、私が招き入れる。・・・というものでした。きっとそれでも相当に緊張はしていたでしょうが、泣いちゃったり震えが止まらなくて吹けなくなっちゃう子は、一人も出ずに済みましたが、ホッするのと同時に、プレッシャーにさらされる貴重な機会を奪っちゃったかな、という気持ちもあります。長い人生の中では、もっと強烈なプレッシャーを跳ね返さねばならない場面も多いでしょう。入試はあくまで鬼になりきるべきなのかもしれません。いろいろ考えさせられる文スポでした。
1月19日 宣伝
年明け早々、今季ラストの中学校営業回りへ。高校や大学への進学が「狭き門」で、待ってるだけで高倍率になったのは昔の話。今や都立高校だって、お願いして来ていただく時代。推薦の出願が来週に迫っているこの時期に、最後のお願いに回るというのは、まあ一般的な営業戦略です。我々が宣伝を受ける立場で考えても、教科書選定が間近に迫った頃には、必ず何社もの出版社が見本を持って、最後のお願いに現れるし、選挙だったら投票日前日が宣伝カーのうるささが最高潮に達するからな。しかし、「最後のお願い」は本当に効果があるんだろうか・・・? 私の場合、教科書を始めとした学校出入り業者に対しては、完全に中味の使いやすさだけで決めているので、最後のお願いだろうが最初のお願いだろうが、まったく効果ナシ。むしろしつこ過ぎるのに対しては罰を与えます。自宅に電話してきた候補者には絶対に投票しないのだ。私だけがあまのじゃくなのかもしれませんが、とりあえず私の訪問を受ける相手も、同じ気持ちだろうと勝手に推測して、一番忙しくなさそうな6時過ぎ(部活終了直後くらい)を狙って、「資料だけ置いていかせてください。すぐ帰ります」くらいの感じで、ひっそりと訪問してきました。
だいたい、いくら宣伝が効果的で新規客を獲得し続けたとしても、中味が良くなかったらリピーターにはならないから、経営が悪化するのは当然。カンフル剤打ち続けて突っ走るだけでは、そのうちカンフル剤まで効かなくなってしまいます。体質改善して基礎体力を向上させることが何より大切。とらやの羊羹、西益屋の灯籠もなか(熊本)、グランクリュの純生ロール(多摩センター)、シャロンのケーキ(青梅)、みさとの鰻重(これも青梅)、最後に直井音楽事務所の譜面! 学校も、そういう経営をしてこそ、100年続く安定した経営基盤を得られようというものですぞ。ほ〜っほっほっほ・・・。
1月10日 助っ人外国人選手
を入れてチームを強くすることには、賛否両論あると思われます。私自身は、ある時は賛成派、またある時は反対派の、完全な日和見主義。(日和見に完全てあるんだろか?) 駅伝ひとつにしても、山梨学院のエースが必ずケニア人留学生なのは賛成。もはやこれが無いと、箱根の面白さは半減だな。ところが、高校駅伝の現状には反対。有力校には軒並み助っ人がいて、もはや外国人ナシで優勝候補に上がることが不可能な感じ。1区なんて完全に外国人だけの勝負と化しています。ファンを喜ばせるプロスポーツならOKで、教育の一環である場に、勝利至上主義で助っ人を入れるのは嫌だな。箱根駅伝なんて、30%近い視聴率だし、ほとんどプロみたいなもんでしょ。また程度問題でもあります。箱根に、10区間全員ケニア人のチームがエントリーして勝ったら、そりゃつまらんだろうな。
私が初めて助っ人外国人というものの存在を知ったのは、プロ野球でした。カークランド(阪神)、アルトマン(ロッテ)あたり。(古い・・・) 私は外国人選手が実は大好き。なんたって豪快です。デーンと4番に座り、バットをぶん回した結果は、ホームランか空振り三振のどっちかで、チマチマした駆け引きナシの力勝負。大洋ホエールズに来た、シピン&ボイヤーの二人なんかは、どっちかというと繊細な感じで、余り好きではありませんでした。山梨学院の留学生たちも、豪快さがカークランド並みで、あれは日本人ランナーの出せない迫力です。さて、助っ人を入れるのは、ズルいことなのか・・・。これがまた微妙な問題。プロ野球では、外国人枠が決められていたことからも、たくさん入れればそれだけ有利、という共通認識があったはず。巨人軍だけが頑なに純血主義を保ち、それも人気の一因だったと思いますが、弱くなり始めてからは方針転換して、助っ人を入れています。山梨学院が、初代助っ人(故オツオリさん)を入れた時、猛烈な批判を浴びたのは、上田監督は心外だったそうです。当時のオツオリは大リーガー級ではない無名選手であったにしても、留学生が常に大砲なのは事実。ずるいという批判(やっかみ)は免れないところでしょう。
音楽界では、不思議と助っ人外国人の話を聞きません。アフリカ人は、先天的にリズム感が良いし、世界中探せば、ハイトーンを出すのに適した身体能力を持つ民族とか、いないとも限らんな。吹奏楽も、これだけコンクールが盛んで、勝利至上主義が蔓延してくれば、そのうちソリストは全員外国人留学生・・・なんて時代が来るかもな。
1月 3日 顔に現れる性格
地元の亜細亜大が勝てなくて、ちょっと残念でしたが、気を取り直して復路の表彰を行います。
【優秀選手】 鷲見(日体7区)
【特別賞】 専修大学
【解説】 私がもっとも労をねぎらいたい団体は、何と言っても専修大学。ここしかありません。昨年の優勝校が10位に沈むような「戦国駅伝」の中にあって、予選会から来た専大が常に10位以内キープは本当に立派。たしか、シード権確保も久しぶりじゃないだろか。これほどの大健闘にもかかわらず、専大がTVに映る場面がほとんど無く終わったのは、まさに不運としか言いようがない。今日はあちこちでデッドヒートが繰り広げられました。中でも、10位近辺の4校の争いは、先頭の順天堂以上に長く放映されていたし、繰り上げスタートの危機が迫った学校もクローズアップされました。専大のいた7〜9位あたりが、ちょうどその谷間にあたるのか、不思議なくらい映らないのです。このことが今日一番納得行かなかったので、緊急提案!6位までを「入賞」と決め、豪華商品を出すとかすれば、この中途半端な位置を走るランナーも脚光を浴びられるかもな・・・。
さて、個人賞はあの「ロケットスターター」鷲見君です。7区に回されたウサを晴らすかのような快走でした。「回された」というのは、私の想像であり、実際のところはまったく知りません。でも、これまでの鷲見を見てきた限り、希望は1区か2区で、7区は彼にとって左遷人事に決まってると私は思います。彼は絶対に目立ちたがり屋で、新聞の見出しになるようなことを狙いたがる「顔」をしています。箱根駅伝では、注目度の高い区間と低い区間があるのは紛れもない事実。2区、5区、10区などに較べると、7区はかなり地味な区間で、きっと視聴率も下がる時間帯。目立ちたがり屋は、目立てる時間帯に走りたいに決まっているから、鷲見は「ふざけんな、何でオレ様が7区なんじゃい!こうなったら、大記録樹立で見出しを飾ったるわい」と言わんばかりの激走。監督がここまで読んで7区に起用したならば、流石としか言いようがありません。早稲田の全盛期にいた武井君も、同じような雰囲気を持っていました。彼が7区にエントリーされた時も驚きましたが、鬱憤を晴らす走りで区間新記録樹立。まったく正反対なタイプが同じ早稲田で同学年の櫛部君。
人間の顔つきを見れば、だいたい性格も読みとれるもの・・・なんて偉そうに言う私ですが、そんなに大きくハズレることも無い。吹奏楽部の新入部員のパートを決める時は、とりあえず本人の希望を聞いた後は、顔つきが決め手。武井君タイプはトランペット、櫛部君タオプはクラリネット・・・みたいな目安で、たいてい間違いありません。
2007年 1月 2日 ファンの願い
あけましておめでとうございます!早速、本日往路の表彰を行いますので、駅伝に興味の無い方は、読み飛ばすこと。
【優秀監督賞】 大崎監督(東海)
【最優秀選手】 北村(日体5区)
【優秀選手】 大西(東洋1区) モグス(山梨2区) 上野(中央3区) 今井(順天5区)
【憎たらしい賞】 竹沢(早稲田2区)
【特別賞】 徳本一善(解説者)
【解説】 すべて、1人の素人ファンの独断であることをお断りしておきます。
まずは作戦面。東海大は、2区佐藤、5区伊達で来ると誰もが予想したウラをかいて、1、2区に投入。勝負所で駒切れになる危険を承知で、序盤に飛車角を使い切るという勝負に出ました。今回のレースを面白くしてくれた大崎監督に拍手。
続いて選手部門。圧倒的に強いという前評判の選手と同じ区間で、しかも、ほぼ同時にスタートする場面を迎えた時、あなたならどうする?勝負に行く?それとも尻尾を巻いて逃げる? ファンの気持ちとしてはですねぇ、是非とも勝負して欲しいんですよ。そりゃ、自滅すればチームに迷惑がかかりますから、暴走気味のランナーは無理に追わず、安全に自分のペースを守る方がいいのは解ってます。でも、はなっから「あの人は別格だから・・・」と、勝負の対象から除外するようじゃいかんし、「我も人なり。彼も人なり」って言うじゃあないっすか。相手が大物なら尚更、そこで勝負できることを幸運と思うべきですな。そういう気概を見せてくれたのが、超大物スターの今井に勝負を挑んだ北村です。2秒くらい遅れてスタートした北村は、即座に今井の真横にポジションを取り、あからさまに挑戦。多分これに奮起したのでしょう。今井が「ワシを誰や思うとんねん!ワシと併走なんぞ10年早いわ」と言わんばかりのぶっちぎり。こういう勝負を私は待ち望んでいたのです。今日一番の見どころを作った二人をまず表彰したい。同様に、1区のスーパースター佐藤(東海)に、ただ一人勝負を挑んだ大西も立派!他の18人が情けなく見えてしまった。2区モグス・・・懲りない性分とは、まさしく彼のこと。レース前の談話で、昨年は前半飛ばしすぎて失敗したから、今年は抑え目にする」と言ってたくせに、始まっちゃえばすっかり忘れて大暴走。去年の再現でやっぱり失速。でも、安全運転のモグスなんて見たくないのだ。来年も再来年も、暴走を見せてくれるでしょう。だからこそモグスなのです。中央の上野も暴走気味でしたが、記録に挑戦する姿勢は、単に安全につなぐことを目標にしているランナーより断然面白い!そういう意味で、私の期待を裏切ったのが竹沢。区間賞を取ったから、結果的には頭脳的走りと言えるが、モグスにあんなにあっさりと抜かれていいのだろうか?モグスvs竹沢は、2区の双璧対決だったはず。少しでもいいから、二人の併走、目と目の火花散らし合いが見たかったなぁ・・・。
最後に、徳本さんのTV解説に特別賞。彼は法政のエース時代、金髪にサングラスという憎まれ役スタイルでいながら、むちゃくちゃ強く、それもただ強いだけじゃなくて、私の好きな暴走タイプのランナーでした。お相撲さん並みに口べたが多い陸上界の中で、彼はなかなか話上手。徳本さんのように、ファンが何を望んでいるか理解し、それに応えてくれる選手が、今後もたくさん出てきてほしいですな。私の場合は、常にステージというものを、そのように考えております。本年もよろしく!