今日の一言(2009年分)

  職員朝礼での社長訓話集     一つ戻る  最新版へ戻る  

12月27日 年の瀬

 これは、我が家の2階へ通じる階段を、郁恵さんの携帯で下から撮ったものです。2階の天井や手すりが写っていますね。そして!手すりによじ登って窓に手をかけている小柄な人影が!赤い服を身にまとっていて、撮影されたのが12月25日未明・・・ということを考えると、まさしくこれはサンタ!郁恵さんが興奮気味に語ったところによれば、サンタがプレゼントを置いて逃げようとしたところへ、とっさにカメラを向けたとのこと。本物サンタを捕らえた画像としては、世界でも数少ないものの一つでしょう。6年生にもなると、級友全員が「サンタなんて親がやってるんだぜ」などと夢の無いことを言うそうで、弦太もそのような疑いを持ち始めておりました。私は、「本物サンタが来なくなった可哀想な家では、親が代わりを務めざるを得ない。我が家では幸いにもその必要がない」と、繰り返し説明してまいりました。そしてついに捕らえたサンタの姿。弦太の疑念は、今年もすっきりと晴れたのでした。しかし・・・。この写真、どうやって撮ったんだろか?というのも、実は私はこれの撮影を手伝っていなくて、郁恵さん一人で作った画像です。もちろん、聞いてみたけど教えてくれず、「これは本物のサンタだ」の一点張り。もしかして、本当に本物なのかな?私も信じたくなってきたな。

 年末と言えば大掃除・・・は普通の家庭ですが、私はここ数年は部活漬けになっていて、大掃除サボリ気味です。アンサンブルの大会は年末年始に集中していて、今日も大会だったし、次は1月の5,6です。うちの学校の練習も、年末は30日までやります。これは郁恵さんもほぼ諦めていて、私の分担は極く軽め。自分の部屋と、高いところの埃取り程度で許されるようになりました。だいたい私は掃除ほど嫌いなものはありません。物事は、やる気無いやつに頼むと、たいてい二度手間になるから、私が大掃除に参加すると、周囲は余計ストレスを溜めるでしょう。家族のためにも、年末は留守しようと思います。

 年賀状書き・・・。いやあ激減してますな。郵便局の人たちも、街頭へ出て年賀葉書を売ったりしていますが、大打撃だろうな。メールで済ます人が増えた、というのは、実は大した要因ではないと思います。一番大きいのは、個人情報保護法だな。学校で名簿というものを配らなくなって久しいです。友達の住所も先生の住所も、今や本人に聞かない限り不明ですので、年賀状書きようがないです。もちろん同僚の住所もわからん。今わからんということは、お互い転勤しちゃってから「かつての同僚」という関係になった時、やっぱりわからんだろうから、結局書かないだろうな。教員という仕事は、年賀状書きが多い代表格のはずでしたが、30代に届かない世代の教え子からは殆ど来ないので、最近は重労働ではないな。元旦に郵便受け開けた時、ちょっと寂しい気もするけどな・・・。

 このHP、そしてこの訓話コーナーは、世の中のあらゆる変化の波に耐え抜き、リニューアル無しで丸10年となりました。「ブログ」とか言わず、次の10年も「訓話」で通します。2010年もよろしくお願い申し上げます。

12月12日 続・仕分けetc.

 いやあ、愚痴のオンパレードで申し訳ないっす。科学技術の次は芸術ですか・・・。たしかに音楽やんなくたって絵描かなくたって、今すぐ死にゃしないでしょう。だからムダと切り捨ててよいものなんだろか?だったら、小中高校でやってる芸術の授業はムダだから、全部やめて国数英に振り替えろってことなのかな?だいたい日本ほど、学術文化を受益者負担させてる国は他に無いでしょう。高3の担任やってると、いろいろ見えます。お金が無くて進学を諦めるって子は、現実にいるんですよ。「甘ったれるな!自分の学費くらい自分で稼ぐの当たり前だ。昔はみーんなそうしてた」って声も聞こえてきそうですが、今の学費は、レートが昔とは全然違います。国公立大学だって、地方から出てきて家賃光熱費まで必要なら、バイトだけでは到底無理でしょう。奨学金があるだろ?と思われるでしょうが、奨学金の振込みが始まるのは入学後の5月からですから、受験料や入学金で必要な数十万は賄えません。じゃあ教育ローンがあるだろ?と思われるでしょう?ローンである以上、必ず審査があります。ローン審査にパスするってこと自体が、今の日本ではもはや上流階級ですよ。本当です。行き届いた教育を受け、芸術文化をたしなむ権利は、明らかに金持ちだけのものになっています。私が育った環境は相当に貧乏で、参考書は300m離れた本屋の立ち読みで済ませたくらいですが、下克上のチャンスは今より格段に豊富だったから、今の高校生より絶対に恵まれていたと感じています。
 非正規雇用が増える中で、最も安定した身分の公務員は、給与をうんと下げても良いのではないか・・・と、NHKの討論会でどっかの党の人が言ってましたな。景気が悪くなるたんびに出てくる話ですから、またそれかよ・・・って感じ。当の公務員である私の見解を申し上げるとですねぇ・・・極めて簡単な事です。給与をうんと下げるべき人を下げればよい!それだけです。身分が安定してるからズルいぞ、下げろ・・・ってのは、トンチンカンもいいとこだな。給与の額って、どれだけ価値ある仕事をしたかってことだから、仕事しないヤツから剥がして、良く働いた側に回すのが筋でしょう。学校もひと頃そういう動きになりかけて、私は密かに大賛成していたのですが、最近またダメになってますね。私自身だけのことでなく、校長先生たちも含めて、都庁への忠誠心の度合いで給与を決められ、仕事内容は見て貰えていないように感じます。
 最後に・・・。民主党って、天下りによる税金のムダ使いを無くせば、財源は確保できるって言ってたよな。仕分け作業で、そこらへんはどうなったんだろ?ミュージシャンに天下ってた官僚とかいたから狙われたのかな?

12月 1日 仕分け

 科学技術予算を狙い撃ちした「仕分け作業」が、やり玉に上がっています。別に、科学技術だけじゃないな。他にもずいぶんやられました。私が指導する部活が毎年参加する、スチューデント・ジャズ・フェスティバルを後援していた「子供ゆめ基金」も廃止だそうな。まあ、もっと緊急性があって、優先順位の高いものがあるって言われたらそれまでですが、当事者の私たちとしては、国の台所事情が厳しいって〜のに、呑気にコンサートなんかやってんじゃねぇよ・・・って聞こえちゃうから、ちょっと悲しいです。国立大学への補助金もどんどん少なくされているそうだし、都立高校の予算も、目に見えて減っていて、「それはどうしても今必要ですか」と聞かれて、口ごもったら最後、バッサバサ削られるご時世です。だから、吹奏楽部の楽器なんて後回しもいいとこ。永久に回ってなんか来ません。そんな中、農林高校の同窓会から、大型打楽器のご寄付をいただきました。また、国際ソロプチミストという団体から、学校全体としてバックアップをいただけることになりました。涙がでるほど有り難いことです。また、3年生の担任をやっていると、民間企業や、○○財団といった所から、奨学金の募集案内が届くことがあります。企業のイメージアップのため、というのももちろんあるでしょうが、私は素直に善意と高い志を感じます。国が教育費を渋る中で、国民の中に未来への投資を重要視する人が、まだまだたくさんいてくれるのは、たいへん心強い事です。いつの時代も、きっとこういう人々の善意によって、国は支えられてきたのでしょう。私もそのうちの一人だなんて、自惚れるつもりはありませんが、ついつい自腹を切って、生徒に投資することはあります。学校に楽器が足りなきゃ自分の(いっぱい持ってるので・・・)を貸すし、これぞというコンサートは無理にでも聴かせる(恐)。金が無いならもちろん出世払い。本当に出世して偉大な音楽家になった子は、無料でコンサートに招待してくれたり、ボランティアでコーチに来てくれたりするし、プロにならなかった場合も、子供に楽器をやらせる等、確実に音楽人口を増やしてくれるので、結局は私自身のためにもなってるな。100年後を見据えて、文化の発展のために若者に投資するのは、本当は国がやるべき事なので、民主党政権には本当にがんばってもらいたい。
 ところで、東京都は仕分け作業やらないのかな。電子黒板とか、先生方全員一人1台ノートパソコン端末機とか、絶対に今すぐ必要ないから、その分で電源装置を班の数分買って、昭和51年から使ってる楽器を修理してくれ〜。

11月13日 公開授業・研究授業

 何だか最近やたらと多いですね、本来の生徒以外のギャラリーをお迎えしての授業。親が見に来る授業参観は毎年あるとして、それ以外に年3回、校長先生が見に来ます。さらに、外部の偉い人や、大量の同僚が見に来る研究授業。これは、昔は新人だけがやらされていたと思いますが、最近は「2年次研修」「3年次研修」・・・「10年研修」って具合に、延々とやるようです。研究授業の後には、必ず反省会があって、ギャラリーだった先生は、いちおう出席して発言しますが、昔はみんな遠慮なくバシバシ批評してました。だって、自分はもうやらされる危険が無いから、何だって言えますわな。今や10年選手だってやらされるし、うちの学校みたいに、「お互いに授業を見学し合いましょう」キャンペーン期間があると、いつ逆襲されるか解ったもんじゃないから、批評も遠慮がちになるだろうな(笑) まあでも、不意打ちにもひるまないようにするのが当然なので、こういうキャンペーンは良いことです。校長先生が年3回見に来る制度が始まった頃、執拗に拒絶する先生たちがいましたが、そういうのはいかがなものか・・・。いろいろ考えはあるのでしょうが、見に来られたら困るような授業やってんじゃないの?という誤解を受けたのは確かです。私が新採で入った三沢中では、新人だけでなく、いろんな先生が順番で研究授業をやる、という風習がありました。校長命令とかでなく、たぶん自主的な感じだったと思います。ところが、絶対にイヤだ!ふざけんな!くらいの勢いで拒絶する先生が現れたため、順番ではなく志願制になりました。猛烈な拒絶だったので、何がそんなにイヤなんだろ?と思いましたが、その後「やっぱりな」と頷けました。生徒情報でしたが、見られちゃ困る本当にヒドい授業だったようです。志願制とかいって、こんなの志願する人いるのかいな?と思われるでしょうが、報奨金が出るとなれば話は別。僅かばかりとはいえ、超薄給の我々にとっては貴重です。私は毎回志願し、ずいぶん場数を踏ませていただきました。
 反省会というものについて、一つ苦言を申し上げておきましょう。今まで私にとって役だった批評は、ほとんど同僚や他校の同じ教科の先生方からのものです。こういう方々からいただいたご意見は、今度はその人の授業を逆に見に行くことで、さらに納得することができます。逆に、いわゆる偉い人が偉そうにするために言ってる事は、まったく役に立ちません。一度、私の理科を見に来た指導主事が、「グループごとに主体的に活動していたのが良い。黒板とチョークだけの授業スタイルからどう脱却するかが、これからの学校教育に求められる」とか言ってました。この人、班毎に分かれてやる実験て、初めて見たのかな?もしかして、昔の記憶を失ったんだろか?と心配になりました。お役人とか、授業というものをやらない方々からのご意見は、トンチンカンで聞いてもためにならない事が多いです。

10月24日 模擬面接

 推薦入試がいよいよピークを迎えます。推薦書の枚数も凄かったが、面接練習のスケジュールも超過密状態。昔からどこの学校でも、1回はやらせてましたが、何事も反復練習で身に付くということで、自発的にいろいろな先生の所に頼みに行き、みんな最低3回くらいは練習してるんじゃないだろか。私も既に何十回か面接官役を務めました。本番の面接試験を終えて来た生徒たちの話を聞くと、フレンドリーな感じが多いようです。落っことすためにイジワルな質問ばかりする、というのは昔の話で、全入時代といわれる中、面接も熱烈歓迎ムードが主流になったのかもな。・・・とはいえ、いつイジワル面接官に遭遇しないとも限らないので、練習時だけは試練を与えておかなくてはなりません。実例を紹介しましょう。
「では最初に、本学を志望された理由をお答えください!」 最後の「さい」をズバッと言い切る感じにします。これだけで、受検生にとっては相当な圧迫感になります。「なぜ志望されたのですか?」という問いかけ口調は、フレンドリー系の特徴で、受検生はリラックスしてしまいます。さて、志望動機は面接の核心部分ですから、細かく突っ込んでおきます。生徒「貴学で、国際化の波に適応できる力をつけたいです」 私「国際化に適応できる力とは、どんな力ですか?」 生徒「・・・語学力・・・です」 私「ならば、英会話スクールでなく、なぜ本学を選んだのですか?」 生徒「会話だけでなく、その国の文化も学ぶ必要が・・・」 私「文化とは何ですか?具体的に述べてください」 生徒「歴史とか・・・」 詰まった時に、「落ち着いて、ゆっくり考えていいんですよ」なんて助け船は出さん。しどろもどろになった瞬間に、「ハイけっこうです。次の質問です」と遮ります。これも凄いプレッシャーで、「ハイけっこうです」の後、涙ぐんじゃう子も少なくありません。こうして徹底的に突っ込んで撃沈すると、生徒が考えて来た答が、いかにあやふやで、面接用に作られただけの表面的な物だったのかが暴露されます。これをキッカケに、あらためて自分の目指しているものを、しっかり考え直し、考えて考え抜くということをやって来ると、2回戦目は見違えるように面接力アップします。中には10試合近くこなして、面接に強くなりすぎた印象がちょっと嫌味な感じに見える子さえ出てきました。この私が強いと思うんだから、相当強いはずで、きっとみんな朗報をもたらしてくれるでしょう。
 当HP内の中編小説「面接バトル」に、面接官の私と息詰まる攻防を繰り広げる生徒たちを題材にした、「模擬面接編」を追加執筆中。(ヒマですねぇ) 近日中にUPします。

10月10日 下書きせず!

 この時期、私たち3年担任は、推薦書というやつと格闘の毎日です。調査書はパソコンから自動で印刷されてくるようになりましたから、昔に比べると仕事量が軽減された部分もありますが、昔は殆ど無かった推薦書が激増しているので、トータルでは事務量大幅増です。推薦書は、各大学や専門学校の所定の用紙なので、すべて手書きで作成します。少ない所で5行、多めだと20行、10項目近い所見欄にそれぞれ10行くらい・・・なんていう恐ろしい所もあります。ここまで書かされると、試験官がちゃんと読んでくれているのかが心配になります。我々が書く内容は、その子の良い所、活躍ぶり、その進学先への志望理由と強固な意志等で、皆さん1枚あたり1〜2時間かけて頑張ってます。皆さんとか他人事みたいな言い方をするのは、私だけが1枚10〜15分程度で仕上げて、周囲から天才扱いされているからなのだ。決してテキトーに書いているわけではありません。読んでいただければ判りますが、その子の素晴らしさが存分に伝わり、ポイントをビシっと押さえています。さあ、それでは良い推薦文を速く書く方法を、今から伝授しよう。私は天才などではありません。これは誰でもできることだと思っています。
 コツはただ一つ!下書きをせず、いきなりペンで書き始め、そのまま一気に書き終えること。常々思っていることですが、ワープロを使うようになってから、文を書くときの集中力が減退しました。って〜か、集中力が皆無になったと言う方がいいくらい・・・。後でいくらでも修正できるから、とりあえず思いついた言葉を並べちゃおう、という書き方になりがちです。そうすると結局、ろくに考えずに書いたもんだから、修正に膨大な手間を要し、最初とはまるっきり違う内容になることさえあります。読み返してみてさらにがっくり・・・。あれだけ修正を繰り返したのにもかかわらず、全然ダメ。兎にも角にも、考えるというプロセスを省略して書き始めたツケなのです。ワープロを使わず、修正も効かないペン書き一発勝負の場合は、頭の中ですべての段落の内容と流れを組立て、フィニッシュまでを完全に見通しておく必要があるため、不思議と良い文章になるのです。皆さんも試してみて下さい・・・と言いたいところだが、いきなりだと怖い場合は、次善の策として、鉛筆で下書きすると良いでしょう。別の練習用紙は使わないで、初めから本番用紙に書く方が良いです。失敗したら消しゴムという命綱が使えますが、修正した先のレイアウトが大幅に変わるから、極力失敗は避けたいでしょう。その追いつめられた状況が集中力を生み、誤字脱字まで激減します。全国の3年担任の皆さん、大いなる一歩を踏み出しましょうぞ!

9月22日 続・ガーデニング

 小学校低学年の頃、アサガオの観察というのを皆さんやらされたと思います。どのくらい真剣に観察するかは、まさにその子次第。いわゆる優等生君たちは、必要かつ十分な観察を効率良く行い、誰が見ても解りやすいレポートにまとめます。スケッチに気合い入れ過ぎて、「美術の時間じゃありませんよ」とか注意される子は、真面目だけど要領が悪いタイプ。観察なんかすっぽかして、水やりも忘れて枯らしちゃう・・・というのは男子に多いです。弦太がまさにそれ。何度も枯らすので、アサガオキラーと呼びたいくらいです。では、私はどうだったかというと、究極の科学少年タイプでした。宿題だとかいうこと抜きに、徹底的に観察を続けて、毎日のどんな小さな変化も見逃さない!わざわざ早起きして、1時間以上開花の様子を追ってた日もあります。やがて私の興味はアサガオの鉢に芽を出した雑草の方へと移ってゆき、オオバコとかスズメノカタビラなんていう草を、植木鉢で育てて、母に嫌な顔されていました。こういう経歴を振り返ると、やっぱり理科系向きだったのかなあ、と思えます。
 我が家のライムの木に、アブラムシ発生!普通なら駆除するところですが、ふとこいつを観察したくなり、あえて放置。数日後、アブラムシと同じ場所にアリが登場。アリがアブラムシを食べちゃう瞬間が見られるかも。沖縄の琉球村でハブ対マングースを見た時と似た興奮だな。じっくり観察すると、どうもヘンです。アリとアブラムシは仲良くしてるようにしか見えません。アブラムシが食い散らかした所に、二次的にアリの好物(樹液?)が発生しているのでしょうか?これを確かめる方法を考えているうち、さらに数日後、今度はカマキリ登場!こいつは明らかに敵でしょう。豪快にガブッと行って欲しいところですが、まだその瞬間は見ていません。さて今度はペチュニアの方に黒い粒々が!アブラムシにしては動かないから、虫のフンかな?と思いきや、なんとこれは種でした。長年草花を扱っている人には当たり前の事が、私にはすべて新鮮なので、ますます庭観察に気合い入ります。理科教育も、短時間に知識を詰め込んだり、いきなり法則を教えちゃうと楽しさ半減で、本来はこうしてまっさらな状態で、身の回りにあって、何かしら気になるものをじっくり観察すると、自然に疑問が湧いてくるでしょう。
 (表札の付近に現れたカマキリ。表札を見て訪ねて来たわけではなさそう)

9月16日 献血

 献血手帳は常時持ち歩いてます。事故に遭ったりした時、血液型がすぐ解った方が、救急隊の人にとって便利だろう、くらいの理由ですが、今日久しぶりにこの手帳を使いました。前回(37回目)が、平成2年9月25日になっているから、実に19年ぶりの献血!献血って、忙しい時や疲れている時にやるもんじゃないから、裏返せばこの19年間、献血できない程の多忙が続いてたとも言えます。昨日と今日は文化祭の代休だったので、昨日は完全休養し、今日は午前中から立川の楽器屋さんに出かけました。ドラムのパーツをいくつか注文してから中華街で昼食。腹一杯になって改札付近に来たところで、献血ルームのお兄さんの誘いに乗りました。体調は抜群、午後も何の予定も無いという絶好の献血日和というわけです。
 さて、献血ルームでは驚きの連続!献血手帳は磁気カードになっていたぁ!受付のお兄さんが検索して、「記録は残って無いですねえ。でも、以前の手帳をお持ちなので、献血回数37回ということで新たに作成いたします」 年金記録漏れっていうのもこんな感じなんだろか? 紙から電子に移行する時、全部が全部自動的に移行してはくれないんですね。私の場合には、昔の手帳以外にも証拠物件を持っています。30回目の時、表彰状と楯を貰ったのを、邪魔っけだなあと思いつつも、なぜか保管してあります。問診はタッチパネル式で、他のドナーさん(っていうのか?)たちはずいぶん慣れている様子。くそ〜、献血初心者を見るような目をしやがって。こっちだって、かつての常連さんなんだぞ。カード見せたろか!・・・という気持ちをぐっとこらえて次へ。ドクターの面接がやたら丁寧。さらにもう一度待合室に戻されて、強制的にジュースを飲まされた!昼飯食ったばっかりで、水とお茶を飲んで来たと言ったのに、「血液の多くは水分です。献血前にしっかり水分を摂ると、後が楽になります」・・・って、そんなの初耳だな。昔はドクターなんて登場しなくって、比重測定だけパスしたら、ドカっと取って、その後にジュース1本貰ってました。まあいいや、たくさん種類があって、無料で飲み放題だから、お言葉に甘えるとしよう。その後もなかなか呼ばれないので、バナナオレ2回、アクエリアス1回いただいてもはやだぼだぼ。やっと呼ばれると、うわ!各ベッドにテレビが備え付けられてるではないか!手をグーパーくり返して血を送り出すスピードには自信があったが、そんなこともする必要なくなったらしく、ひたすらリラックスしてテレビ見てる間に400ml 献血終了です。採血量も昔は一律200ml で、私が回数を稼いでいたのは、初めて400が登場した頃です。当時は、指を2本揃えて見せて「今日はダブルで採ってくれ」なんて人がいたのも懐かしい光景です。終わったらまたまた水分を摂ってゆっくりしろと言われたので、しばらく待合室にいました。まんが読み放題、おやつ食べ放題。私が来室した時、すでに献血終了後の休憩に入っていたと思われるお姉さんが、まだいました。ちょっと観察していたのですが、ドーナツさっきから何個食べてるんだ? 私も1個取ってきましたが、1個で十分でした。女性って本当に甘い物は底なしだな。でも、これだけ居心地が良いと、献血する人増えるだろうな。私も、ゆっくり休める時期に、また行こうと思います。

9月12日 ちんぷんかんぷん

 「先行取ってライオウ召喚、爆風、脱出セットエンド。相手ダリウス召喚ライオウにアタック、攻撃宣言後エネコンでライオウを横向ける。処理後キャリア捨て爆風でダリウスをトップへ。メイン2蘇生キャリアで2伏せエンド。ドローでキャリア洗脳。2体起こしてアタック。キャリア通る、ライオウ⇒幽閉、バトル中緊テレ⇒コマンダー通る。7200、相6200でコマンダー除外、キャリア戻してエンド。相手ドローダリウス。ダリウス召喚シンクロでブリューナク。優先行使対象セットでチェーン脱出で勝ち。」 

 私は「凄く頭が良い」と自惚れるつもりは無いですが、平均的な人々が理解していることは、努力さえすれば自分にも解ると思っていました。しかし、このゲームだけは非常に敷居が高くて、未だにとっかかりさえつかめないでいます。弦太が遊戯王カードというものに熱中していて、「お父さん、教えてあげるから一緒にやろう」というので、何度か教わってやってみだが、さっぱり解らん。弦太の教え方がヘタ過ぎて、こっちに伝わらないんだろうと思って、ルールブックみたいなのを読んでみて呆然。一つ言える事は、カードの種類が膨大で、それぞれに特有の性質が備わっていることが、ゲームを複雑にしているようです。冒頭の「 」内は、このゲームの全国大会での自戦記だそうで、囲碁将棋の棋譜に相当するもののようです。いやあ、笑いたくなるくらい、さっぱり解らん。弦太は、この選手のデッキ(最初のカードの組み合わせ・・・ベンチ入りメンバーに相当するらしい)と、上記の記述を読んで、理解できちゃうらしく、えらく感動しています。すご〜く不思議なのは、弦太は将棋が覚えられません。何試合やっても、指し手のたびに、「銀は後ろに行けるんだっけ?」と訊いてくるし、「王手」って言っても逃げず、「取っちゃうぞ」って言われて初めて「あ、そうか」と気づくならまだしも、「え?どうして?」と不満そうにして、1手詰めが読めないでいるのだ。こんなに物覚えの悪いやつ、自分が小学生時代にも見たこと無いです。それがどうして遊戯王を理解できたのかが理解できん。遊戯王と将棋では、脳の異なる部分を使用しているのかもな。私がまったくダメなゲームがもう一つあって、それはドラクエです。ドラキーに勝てない。経験ポイントが・・・とか言われたけど、要するに今はどうしても勝つ方法が無いのが真実という、そのしくみが理解できなくてドロップアウト。たぶん私は、ゲームの根底にある考え方を理解してないんだと思います。麻雀にはたくさんの役があるけど、とりあえずは3つずつ4組揃えることを目指せ・・・みたいな。
 ここまでちんぷんかんぷんだと、逆に何だか面白くなってくるな。引っかかってた物の正体が何なのか、興味が湧いてきますな。また、私の物理の授業を受けてる子たちの気持ちが解るような気がして、貴重な経験でもあります(爆)。

9月 1日 ガーデニング

 「ううう・・・じじくさい」と思いつつも、もともと凝り性なもんだから、一度やり始めるとトコトン突っ走る危険性を持つ私です。だから、クリスマスのイルミネーションで家を飾る「デコハウス」だけは、絶対に始めません。電球代で確実に破産するからです。
 ガーデニングやる気なんかまったく無くて、我が家の周囲の土の部分は、常に草ぼうぼう。あんまりひどくなると、見栄えが悪いっていうより、ガスのメーター見に来る人とかが困ると思って、時々草取りをしていました。草むしりは、思いのほか重労働なので、主たる担当者は私。雑草を取り除いたら除いたで、今度は土の部分が露出するから、埃っぽくなります。それを解決するため、木を植えてみようとアイデアがひらめきました。花屋さんで、「とにかく手のかからないやつ」という言い方をしたら、「オガタマの木」というのを紹介してくれました。よくわからないけど、とりあえず1本買って植えてみたら、たしかにどんどん葉がつくし、春には花も咲いたから、なかなかいいじゃん!と思って、「ゆず」と「ライム」を追加購入。収穫した実を食べられるかも・・・という動機も半分ありました。ところが、ここで郁恵さんからご意見。「葉っぱだけでは単調である。季節感のある庭にせよ」。「しよう」じゃなくて「せよ」だから、「そうだね」じゃなくて「はは〜っ」と答え、マリーゴールドの黄色とオレンジを購入。ところが、「もっと多彩に!」「はは〜っ」 ペチュニアとか日々草とかの、赤、紫、ピンク、白等を揃えたところで、さらなる注文・・・「赤が多すぎる!」「はは〜っ」 再び黄色系を増強するために、マツバボタンのプランターを設置。こんなふうにして、うちの庭は突然カラフルに変貌を遂げました。うちの真ん前がゴミステーションですが、早朝ゴミ出しに来るおばあちゃんが、必ず庭に入って来て、「お花きれいねえ」と毎朝同じセリフを言ってくれるほどに整備。ところがしばらくすると、それらの花々に変化が・・・。なんだか、日に日にかっこ悪くなってゆくのです。伸びてほしい方には伸びず、そっちはもういいでしょっていう方向にばっかり、わざと面白がって伸びてるような感じ。さらに、花の色が薄くなってゆく・・・。いろいろ調べたら、常に見てくれの良い状態を保つには、切り戻しというのをやって、あと肥料もこまめに与える・・・つまり、日々のお手入れが必要ってことじゃんか!がぁ〜ん。でもここまできたら頑張るしかありません。郁恵さんの厳しい注文があろうがなかろうが、もはや自分との戦いと化していました。これも不思議なもんで、やればやるほど自分の要求レベルが上がってしまい、どんどん大変になっていきます。おかげで、以前より早起きして、朝の庭観察が日課になってしまいました。ううう・・・じじくさい。そして眠い。でも、面白い発見もあるので、それは次回に述べよう。

8月21日 おいしい牛乳

 能登半島の恋路海岸にある宿で、のんびりテレビを見ていたら(旅行記でご報告します・・・)、売れ行きの悪い商品を大ヒット商品に変身させる仕掛け人みたいな人のルポをやっていました。興味深かったのは、「値下げ競争に巻き込まれてはいけない」というアドバイス。「値下げを始めると、消費者は値段だけしか見なくなる。むしろ値上げして、付加価値や満足度をアピールせよ」だそうで、これには完全に納得。私自身の、買い手売り手両方の立場での経験と合致します。
 我が家では「おいしい牛乳」という名前の商品を、いつしか買うようになりました。値段が高めなのですが、名前の通り、明らかに判るほど美味しいです。倍額以上の差だとさすがに考えちゃいますが、そこまでは違わないので、少々の差なら「美味しい〜」という喜びを味わう方がお得と判断しました。明治乳業の、牛乳屋としてのプライドを感じるな。「けえってくれ!」のガンコ親父みたいな・・・。
 以前に住んでいた青梅の部屋を、賃貸用として出すことにした時、ある不動産屋さんに相談に行ったら、ショックな返事が返ってきました。「今どき狭めの2DKは人気無いんですよ。同じ建物の最上階角部屋が月6万2千で埋まってないですから、2階のお宅だとズバリ5万円台!」。私はその不動産屋が間違っていると一方的に決めつけました。相手は専門家とはいえ、この部屋の真価を解っちゃいないはずです。ここを気に入って買ったのは私で、10年住み続けたのは我が家です。始発駅からフラットな道で徒歩7分、スーパーコンビニファミレス学校病院すべて至近、南向き陽当たり極上。誰かにアドバイスを受けたわけでは無いのですが、周辺相場が弱気としか思えず、絶対に6万円以上でお客さんを獲得してやろうという気になりました。その後、賃貸住宅情報誌等で情報収集して決めた戦略とは・・・@和室のタタミを撤去し、フローリングに改造 A押入をクローゼットに改造 B他の部屋のフローリングや、壁クロスも総張り替え C防犯効果の高いドアキーを採用。このプランを提示したら、不動産屋さん掌を返したように「これはイケますよ。実はこういうリフォームの提案をしても、出費をいやがるオーナーさんがほとんどです。お宅様は先見の明がありますよ」 期せずして、私のオーナーとしての才覚を崇められることになりました。大リフォームの費用は多額は多額ですが、6万円で1年も住んで貰えれば十分に元が取れてしまうし、逆に1年空き家になって管理費分のマイナスだけが膨らむことを考えたら、もはやリフォーム戦略には躊躇ナシ。結局、家賃は私ですら想定範囲外の超強気で設定してくれて、大丈夫かいな?と思いましたが、すぐにお客さんが決まったので2度ビックリでした。
 消費者は満足度の高いものにお金を使う。値引きではなく、満足度を上げて高値で売る。ううむ、私は商売人では無いけれど、何となく元気が出る話であると同時に、社会人としての気合いを注入されたような番組でした。

8月12日 「ペガサスの飛翔」 D.シェーファー作曲

 メイ(5才の女の子)は、ペガサスの人形を大切にしていた。それは木を組み合わせた胴体が、ゼンマイ仕掛けで歩くだけの、いかにも粗末なオモチャだが、じ〜じ(祖父)に向かって、いつものように自慢をする。「おじちゃん、このペガサスはね、呪文を唱えると本当に空を飛ぶんだよ」 じ〜じも、笑みを浮かべて「そうかそうか」と応えるのを常としていた。メイの心の中では、ペガサスは呪文によって眠りから覚め、本当に空を飛んでいる。じ〜じもそれを感じて、一緒にペガサスごっこを楽しむのだった。
 陽が沈み、夜の闇が辺りを包み、メイも眠りにつく。ペガサスのオモチャは、いつものようにテーブルに置かれている。真夜中、オモチャがコトンと音を立てた。昼間に巻いたゼンマイが、緩みきっていなかったのか。すると、再び音を立ててもう一歩。そしてまた一歩・・・。ゼンマイ切れになるどころか、その歩みは力強さを増して行く。メイの呪文は、ついにこの夜、オモチャだったペガサスに生命を吹き込んだのだった!ペガサスはさらに歩みを速め、翼を広げ、満点の星空に飛び立った。自分の姿を取り戻した喜びの舞い。
 東の空が明るくなり始める頃、ペガサスはテーブルに降り立つ。メイを驚かせてしまわないよう、いったんオモチャに戻ることにしたのだ。窓から朝日が射し込み、ペガサスはゼンマイの残りを使い切る・・・。
 「おじいちゃん!ペガサスが本当に空を飛んだ!」 メイは大声でじ〜じに訴えた。夕べペガサスを置いた位置からの、数センチのずれもメイは見逃さない。いつもと違うメイの迫力に、じ〜じも何と応えてよいものか困るばかり。そんなじ〜じにお構いなしで、メイはペガサスに語り続ける。「あなたは、本当のペガサスだったのね?」 すると・・・!じ〜じは眼を疑った。オモチャは見る見る美しい天馬に変身してゆくではないか。「メイちゃんといったね。ありがとう。君の呪文のおかげで、私はこの姿を取り戻す事ができたんだよ。さあ、私の背中にお乗りなさい」 ペガサスは、メイとじ〜じを乗せて、大空を駆け抜けてみせるのだった。(完)

 ・・・という絵本になりそうな物語を作りました。昨日、コンクールで演奏する時には、これをお客さんに読み聞かせる感じでやろう、と打ち合わせておきました。物語合奏は、本番前日か前々日くらいにやります。映画音楽みたいに、元々物語のシーンがある所にくっつけられた音楽は、その情景を採用すればよいと思いますが、今回の例はその正反対で、音楽の流れに合うような物語を、後からねつ造します。作曲者の人たちって、意外と何も考えずに書いていることが多く、私が「こんな物語を作りました」と紹介したら、「いいねえ、それ。採用!今度、曲目紹介に使わせてもらっていい?」なんて言われた事があります。「物語合奏」という言葉を、他の人が使うのを聞いたことがないですが、みんなやってるのかどうか不明。でもこれ楽しく合奏できるから、おすすめです。
 コンクールは銀賞でした。ペガサスの物語が少しでも伝わったら、別に何賞でもよいです。

8月 2日 進化する

 7月27(月)〜31(金)まで、4泊5日の合宿に行ってきました。青総吹奏楽部の歴史上、4回目の夏合宿では、いくつもの新たな試みがありました。自己満足を承知で、レポートさせていただきます。
(1)プロ講師とリペア師が同行!
 なんとも贅沢な環境です。顧問の先生は、宿との折衝や生活指導に多大なエネルギーを費やすので、音楽面の指導まで全面的にやるとなると、もの凄い負担です。今回は、もちろん私自身も指揮を振るし、パート別レッスンも行いましたが、指導陣4名体制で、10倍くらい楽に感じました。また、5日間中3日間に渡ってリペア室を常設していただき、ほとんどすべての楽器の調子を診ていただくことができました。このサービスに興味のあるバンドは、ご紹介しますのでご一報下さい。
(2)パート対抗演劇大会
 昨年まではパート別アンサンブル大会だったのを、今年は演劇大会、名付けて「E−1グランプリ」に変更。アンサンブルも勉強になるし、パートの団結力を高める効果は大きいのですが、吹き過ぎ叩き過ぎに陥る危険があります。そこで、楽器を用いない内容をやらせてみようと思っていたところ、実行委員の生徒たちも非常に乗り気で企画してくれて、予想以上に面白い劇が多く、普段と違った一面を見ることができたのが良かったと思います。
(3)学年別チームでの合奏
 2年生から、なんと「1年生だけで宝島を披露せよ!」という指令が出されました。パート分けは2学年ミックスした状態で考慮されているから、1学年毎では当然バランスが悪くなる・・・どころか、不在パートさえ生じてしまいますが、そんなことはお構いなし。難しいソロが楽器を初めて数ヶ月の子に回って来るけど、それもお構いなし。自分たちで解決策を考えて、どうにかせよって事だな。驚いたのは、実際どうにかなっちゃうんだな、これが・・・。

 来年の合宿は、さらにどんな進化を遂げるでしょうか。お気づきでしょうが、私は改善という言い方をしません。改善だと、何か悪い所を直すって感じですが、すべてその年の生徒たちが一生懸命考えた最善のプランですから、悪いところなんて無いのだ。だから、進化という言葉がピッタリなんだと思います。

7月22日 太陽と雨と風とファウルボール

 この4つは、楽器の大敵です。今年の野球応援で、ファウルボールが楽器を直撃というアクシデントに見舞われました。長いこと応援演奏に参加していますが、私自身はこの手の事故を見たのは初めてでした。プロ野球ではバンバン飛び込んで来るファウルボールも、高校野球ではそれほど多くありません。単純に、ピッチャーの球が遅くて、バッターのスイングも鋭くないため、スタンドまで届きにくいのだと思います。私にとっては、「有りそうで無いこと」の一つだと思っていました。試合の直後、すぐに楽器屋さんに電話。「あの〜、今日、野球応援に行ってたんですけど・・・」とそこまで喋っただけで、店長さん「あ〜、やっちゃいましたか」。実際には、よくある事故のようです。生徒の頭とか眼とかに当たらなかったのが、不幸中の幸いですが、これはどう防げばよいのでしょう?損害保険に加入したところで、貰えるのはお金だけですから、かけがえのない身体が傷ついてしまっては意味ありません。とにかく事故を防ぐことだけが重要で、これは、今後に向けて大きな課題です。
 クラリネットに直射日光を当てたら、割れるかもしれません。水分も大敵ですから、雨がパラついてきたら避難すべきです。一度、かなりの雨の中での応援になったことがあり、楽器は避難させたのですが、譜面台は置き去りでした。そうしたら、鉄製の譜面台が真っ赤に錆びてしまいました。もしかすると、ラッカーや銀でメッキしてある楽器類よりも、譜面台の方が水に弱いかも。譜面台と言えば、野球場じゃなくたって、ちょくちょく倒れる事がありますから、みんなが立って演奏するために高めにセットしてる所へ風が吹いて、しかも密集して演奏していれば、楽器にぶつかる危険は非常に高いです。太陽、雨、風、ファウルボール・・・。これらがすべて揃っているのが野球場なのです。
 私自身は、吹奏楽部が野球応援に参加すること自体には肯定的なので、より安全で快適な応援を目指して、応援マニュアルの作成に臨もうと思います。

7月 4日 台本ナシ

 「授業は筋書きの無いドラマだ!」と言い放ち、行き当たりバッタリの授業を展開して、大ヒンシュクを買う先生を数多く見てきました。だいたい、授業の最初に、一番前の席の子のノートをのぞきこむ先生は、このタイプである疑惑が、限りなくクロに近いです。私は新採の年に苦労して以来、授業の計画は綿密に立てる路線を歩んできました。授業計画と言うと、単に50分間の時間配分を決めてるだけと思われがちですが、全然違います。何通りもの進め方を比較検討し、実験ネタや考えさせる問題も、たくさんの候補の中から絞って行くので、お笑い芸人が新ネタでステージに挑むのと似ています。当然、ステージに上がる直前は緊張します。アガルという意味ではなくて、ネタが滑らず、上手く機能するかどうかが、やっぱり心配なわけだ。我ながらずいぶん真面目に仕事してきたもんだ、と感心します。長年やってて解ったのは、授業もお笑いや芝居と一緒で、良い台本と良い演技力の両方が必要ということです。私の場合、演技力には自信があるので、台本作りに重点を置いてきたわけですが、ある欠点が前から気になっていました。それは、台本に縛られ過ぎるということです。余りにも良く練られた台本で演じる時、予定通り40分目にクライマックスが来て、49分30秒目に完結して、最後の30秒で次回の予告編・・・という完璧な流れになるのは良いのですが、聴衆との対話を重視していれば、予定通りに進まないのがむしろ普通なはず。そこで、24年目を迎えた去年から、試しにシナリオ不在の授業をやってみたのです。もちろん、まったくの行き当たりバッタリではなく、使う候補の小道具は全部用意してあって、ただしどれを使うかはその場の判断とする・・・って具合。もちろん25年分の蓄積があるからできる事で、何も無い所からは何も出てきません。アドリブとはそういうもので、膨大なネタ候補の中から、その場の雰囲気で選び出す作業だと言えます。やってみた私自身の感想はですねぇ・・・。やっぱりこれが本来の姿だな。年毎に違い、クラス毎に違い、何より一人一人違う人間に何かを教えようっていうんだから、展開も進度も毎回違ってきます。生徒のノートをのぞいて、「先週は何やったっけ?」って聞く先生の方が、生きた授業をやってるってことだな。先月、校長先生による授業参観を受けました。事前に「指導案」(台本の要約)を提出するよう指示されていたのですが、出しませんでした。始まるまで何やるかまったく未定だったので、仕方ありませんな。

6月20日 コンクール攻略法

 17日(水)の合唱コンクールでは、私のクラスが最優秀賞に輝き、相変わらず「さすがですね」とか、「担任が専門家なんだから、当然の結果だろ」みたいな捉え方もされていたようです。昨年に引き続き強調させていただくと、私が優勝監督になったのは、これが初めてであり、音楽系の部活と違って、40人の無作為集団ですから、多少音楽をかじった担任が指導したところで、即上手くなるという訳にはいきません。私の功績を挙げるとすれば、吹奏楽部で指導的な役割を経験させてきた子たちが、やっぱり合唱コンでもクラスを引っぱって行ってくれたことくらいでしょうか。でもこれは、うちのクラスだけを上手くさせたことにはなりません。短期決戦の行事で指導できることというのは、専門技術的な事ではなく、極めてメンタルな部分なので、音符が読めない担任の先生でも、十分に指導可能だと思います。今回、私が行ったアドバイスをこっそり(?)教えますので、合唱や吹奏楽のコンクールを控えた皆さん、是非お試し下さい。
 私のクラスにも、本番数日前には、やや危険な状況が訪れていました。言うなれば防衛戦・・・追われる立場というのは、ミスを無くすことが優先され、楽しむどころではなくなるもの。私が25年間、合唱コンを連覇したクラスを見たことが無かったのが良い例。2年で勝ったクラスは、3年の時にプレッシャーに潰され、無欲のクラスが逆転勝ちすることが多いのです。私は、あちこちのクラスで、または部活で、次のように話しました。
(1)急に上手くはならない。残り1日で突然良い発声になるとか、ぐちゃぐちゃだったハーモニーがビシッと決まるとかを期待すべきではない。だとすれば、やる事は唯一つ。現在の技術で、お客さんが感じるドキドキワクワク感をMAXに持って行くことだ。上手くてつまらない音楽より、ヘタでも面白い音楽を、お客さんは待っている。
(2)基準は常にゼロとせよ。プロが歌った模範演奏に、いかに近づけるかという練習はするな。そこに基準を置けば、現状は必ずマイナス値になるから、あら探し中心の練習にならざるをえない。さらにいけないのは、模範CDと瓜二つの演奏になる事こそが、ゴールであると勘違いしてしまうこと。基準をゼロ、つまり何も始めていない状態に置けば、すべてがプラスの値となる。今まで積み上げてきたプラス値に誇りを持ち、さらなる加算を目指せ。プラスにもいろいろな増やし方があるから、模範CDもそのうちの一つに過ぎず、場合によっては通過点かもしれない。君たちのクラスにしかない、君たちなりのプラス分を増やそう。
 これらのアドバイスに従った生徒たちは、必ず練習に笑顔を取り戻し、本番ステージを最高に楽しい気分で終えてくれます。

6月15日 高校生的コンサート

 13(土)のコンサートは、お陰様で好評のうちに終えることができました。3月25日の定期演奏会から3ヶ月も経たないうちに、定演かそれ以上の規模の単独コンサートとは、もはやプロ並みだな。前回同様、私の出番は極力少な目にして、企画や演出も生徒中心・・・ていうか生徒任せにしていたので、極めて高校生的なコンサートになったと思います。でも、私の出番が減れば減るほど、私が登場する瞬間のインパクトは強くなるので、かえって存在感が増したかも・・・。どんなに控えめに振る舞おうとしても、根がスターなもんだから、きっと無理なんだな。
 私が教員になりたての頃、近所の中学や高校の吹奏楽コンサートを、手当たり次第に見て回った時期があります。知ってる子が出演するわけでも無いコンサートを、わざわざ見に行くのは、中高生が演奏可能な曲目や、演奏会のいろいろな構成例を調査するという、極めて冷静な目的からでした。たくさん見て判ったのは、中学校のコンサートは、すべて先生の方針で構成されているのに対し、高校の場合は、先生流と生徒流の2通り存在する事でした。そのうち、曲目と曲順を見ただけで、「あ、ここは先生ノータッチだな」とか、判別できるようにさえなりました。どう違うかというと、生徒だけで組んだプログラムは、どうしても自己満足的です。選曲の基準は「吹きたいから」が多めで、演出も今一つ曲とマッチしない感じ。先生が全権を握っている場合は、コンサート全体に統一感があります。一番凄かった高校は、全曲お一人の先生が指揮を振り、MCは一切ナシという、クラシックのコンサート方式でした。これはこれで徹底してたから、むしろ爽やか。生徒だけでやっているコンサートの中には、明らかにヒドいものもありました。技量や編成を無視して選曲した超難曲でズタボロや、おふざけの度が過ぎる等です。その点、うちのはどう映っただろうか。お任せとは言っても、私は練習やリハには立ち会っているし、元々よく考え抜かれた構成でもあったから、自画自賛になりますが、程良い高校生色だったんじゃなかろうか。
 高校生がやるコンサートは未熟の固まりで、顔も身体も緊張でコチコチ、MCは噛みまくり、ウケる寸前に自分で笑う。でも、お客さんはそれらを承知で、若さと元気を分けて貰いに来るんじゃないだろうか。開き直り承知で申し上げれば、上手い演奏を求める人は、プロオケ、ガキっぽさが嫌いなら社会人バンドを聴きに行けばよいでしょう。高校の部活の発表会である限り、高校生的で有り続けさせようと思います。

6月 9日 続・楽しい問題

 前回、問題集の中から、不思議なシチュエーションをいくつか指摘しましたが、よくよく考えてみると、天下の数研出版が、「これ、ありえねえよな」と気づかないはずがありません。もしかしたら、数研に勤務する精鋭頭脳集団の「遊び心」かな、という気もします。私も、授業中はもっと激しくありえない問題を出しますが、やっぱりちょっとした茶目っ気でやりますので・・・。今回は私の作品から紹介。

(物理T 21年度1学期中間テストから)
 世界一高いビル(高さ490m)の屋上から、秒速8mで助走して走り幅跳びをする。地面の、ビルから何m離れた場所にトランポリンを置けばよいか?
 正解は80mですが、「トランポリンで受け止めきれるのか」等の指摘は、特にありませんでした。

(物理U 本日の授業から)
 体重50kgの人どうしが、50cm離れて座っている。2人に働く万有引力を計算せよ。
 正解は1円玉1枚を持ち上げるのに必要な力の、100万分の1程度になります。「ちょっと油断したら、隣の人に引力で吸い寄せられてしまう、という心配から、勉強に集中できないという言い訳は、今日からは通用しない。また、隣の人が急に寄って来たとしても、それは万有引力のせいではなく、別の原因、例えば惚れられた・・・等の可能性が高い。」という解説を加えました。

 難しい事をやろうとする時に、遊び心は大切です。欧米の学者が書いた本には、この茶目っ気がふんだんに散りばめられていて、さすがユーモアの本場。私なんかまだまだだな、と思い知らされます。

5月26日 楽しい問題

 弦太は算数の文章題が苦手らしい・・・。まあ、普通の計算問題より文章題の方が得意っていう人は、あまり聞いたことありません。文章題が得意な人は、数学的センスというよりは、読解力が優れていると言えます。2〜3行の文から、その場の状況を頭の中に描き出せる力・・・という事になるでしょうか。読解力がありすぎると、困ることもあります。高校の物理Tに、次のような問題が登場するのですが、私は教えながら笑いをこらえる事ができません。理数系問題集の名門、数研出版「トライアル物理T」から紹介します。

 (問131) 0゜Cの粒状の鉛1000gをびっしりつめた袋がある。この袋を床から高さ1.0mの位置からくり返し50回落下させた後、温度を測定したら3.0゜Cになっていた。(以下略)
 「間違えた人はこの問題文通り、実際にやってもらいます」って言うと、みんな頑張る。筋トレにしても相当過酷だな。

 (問133)コップを逆さまにして、ある湖の湖面から湖底までゆっくりと沈めたところ、コップの中の空気の体積は、初めの5分の2倍に圧縮されていた。(以下略)
 お風呂でくらいならやるかもしれないが、湖底までってスゴ過ぎる。しかも体積5分の2ってことは相当深いな。ちなみに答は15m!専門のダイバーがコップ片手に潜る様子って、かなり勇壮だな。ダイバーがらみの問題をもう一つ。

 (問151)水深20mにいるダイバーが海面に向かって上がっていく気泡を見つけた。その場で気泡の体積を測定したところ5.0×10-6m3であった。(以下略)
 「あっ、気泡だ!」と思って、即座に物差し取り出して直径測ったのかな。でも、20mも潜るってことは、アクアラングか何か付けてるだろうから、気泡なんて、見つけるっていうよりは、自分がいくらでも吐き出してるだろ。素潜りなのかな・・・と、深く考えさせる問題だ。締めは、非常にポピュラーな「上昇する気球からの落下」です。

 (問141)ゴンドラをつけた気球が鉛直上方に、地面に対し4.9m/sの速さで上昇している。ゴンドラの床に平行に、小球を20m/sの速さで投げ出したところ、小球は5.0秒後に地面に落ちた。(中略) 地面に静止している人から見たときの、投射直後の小球の速度・・・(以下略)
 これ危ないでしょ。20m/sって時速72kmですよ。しかも5秒もかかるって相当高い所だから、かなり遠くに落ちるはず。小球とはいえ、この高さから降ってきて当たったら、痛いくらいじゃ済まないから、よっぽど広くて誰もいない場所でやらないとね。ええっ!?地面に静止している人って、やっぱり人がいるじゃんか。その人、「あぶな〜い!やめろ〜!」って叫ばなかったのかな。

 授業でこれらの問題をやる時に、私はついつい、こんな余計な解説を加えてしまいます。念のため申し上げますが、この問題集そのものは私がイチ押しする優れたものです。今回は、わざと別角度から笑ってみました。皆さんも読解力を鍛えて、楽しい問題を発見したらお知らせください。

5月10日 バカじゃねえの

 東京都の職員は、規則通りにやらなきゃ処分されるし、規則通りにやったらやったで、知事から「バカじゃねえの」って言われた挙げ句、やっぱり処分されることがあるから、どうしたらいいんだかわからんな。(下水道局のマーク作り直し問題) 世論は、知事の方が正しい感覚の持ち主で、規則を守り通そうとした担当者を、庶民感覚からズレているとか言って攻撃していました。この一件は、東京都に勤める私から見ると、処分された人々が気の毒でならない出来事で、自分の部下をバカ呼ばわりして、守ろうともしないのは、リーダーとしていかがなものか、というのが率直な感想でした。さて、学校での話です。入学式や卒業式で、生演奏をやり始めたのは2年前ですが、体育館に演奏者用の椅子や譜面台をセットして、しばらくその場を離れている間に、椅子の向きが綺麗に並べ替えられていました。いつものように3列で、指揮者から見て最前列がフルート、クラ、2列目ホルン、サックス、3列目ラッパ、ボーン・・・みたいな、スタンダードな体型にしたはずが、全部右向きにされていて、つまり10人×3列が、3人×10列になっていたのです。なんじゃこりゃあ〜!私に一言の相談も無く、こういう事になった理由はすぐに察しがついたので、文句も言いませんでした。実は儀式的行事のマニュアルに、参列者の座席はすべて正面を向けるとあって、たぶん国旗に向かって座れってことだと思いますが、バンドも例外ではないと、現場責任者が判断したのでしょう。まあ、マーチングバンドみたいなもんだから、演奏不可能って事は無いです。でも、やっぱりやりにくいんだよな。都知事が知ったら、「バカじゃねえの?そんなの演奏しやすいように並べばいいだけの事だろ!」とか言ったかもな。
 新型インフルエンザの脅威が迫っています。一昨年、麻疹による2週間の休校を経験したので、もう休校はこりごりなのですが、今度の場合は、もし休校になったりしたら、2週間じゃ済みそうもないな。念のため申し上げておくと、休校の期間、僕ら職員は普通出勤でした。全生徒の自宅に電話をかけまくり、発熱している子が何人・・・とか、毎日集計してゆくのは、たいへんな作業でした。今回は、休校にするとかそういう事は、誰が決断するんだろうか?何週間も休校にしたら、結局全然流行する気配も無くて、バカじゃねえのって言われるかもしれないし。とにかく、最高責任者のこういう発言は、中間管理職を戸惑わせます。正しくは、「部下の起こした不始末はすべて私の責任。彼らを責めないでやってくれ」と言うべきです。リーダーの皆さん、覚えておきなさい。

5月 8日 ディズニーランド

 1日(金)は、TDLの遠足引率でした。いつもの事ながら、乗り物には一つも乗らず、バンドが練り歩いて来るのをひたすら待つ・・・。3年生の遠足といえば、昔は富士急ハイランドが定番だったように思います。最初に赴任した中学校も、たしか富士急に連れていってたはずで、自分の学年がディズニーに行くことになった時はビックリしたのを覚えてるから、初期の頃だったんだな。よく考えてみると、開園から25周年だそうだから、25年前に教員になった自分が、ディズニー遠足のハシリを経験したのも、当然ではあるな。今では、何処の学校にいても、3年生の遠足はほぼディズニーでしょう。生徒から人気があるのと同時に、治安が良いというか、スタッフの目が良く行き届いているので、我々も安心して連れていけるという事情はあります。さて、今回驚いたのは、クラスの子の中に、「参加するのに不参加扱い」という子がいたことです。既に年間パスポートを持っているから、団体入場券を買う必要が無いので、事務処理上だけ不参加扱いってわけだ。それにしても年間パスって凄いな。私も六本木のライブハウスに年間パスがあったら、たぶん買うだろうけどな・・・。日本中のテーマパークの中で一人勝ちできた原因を分析するのは、たぶん経済アナリストたちの仕事でしょうが、まあでも、ちょっと解るような気はしました。ようするに、別世界に連れ出してくれるから、日常の現実から離れられるってことじゃないだろか。鴨川シーワールドの中にいても、鴨川っぽいし、油壺マリンパーク内は、思いっきり三浦半島的ですが、TDL内は千葉臭や浦安色が感じられない。かと言って、バリバリのアメリカンでも無く、結局のところ、夢の国としか言いようがないんだな。我々も演奏活動する時は、聴衆を現実世界から連れ出してしまえるような演奏を心がけたいものです。ところで、多摩センターにあるサンリオ・ピューロランドも、なかなか息の長い活動だな。青梅の赤塚不二夫会館は、ちょっと規模が小さいのが残念・・・って〜か、テーマパークと比較するのが無理だ。私からの提案が2つあります。@ジブリランド A手塚治虫ランド 日本が世界に誇れる夢の国になること請け合いだな。TDLで、バンド演奏を鑑賞している時以外は、そんな事をぼ〜っと思いつつ、日本経済の将来を考えていました。

4月24日 ついにヒラ社員

 になっちゃいました。・・・って、今までもヒラ社員だったから、別に変わらないと言えば変わらないんだが。ご存じの方も多いと思いますが、「教諭」は今年から、主幹、主任教諭、教諭の3ランクに分化されました。私はその中の教諭なので、一番下っ端になります。新学期早々に配られた職員名簿には、この階層名もしっかり書かれていたから、あちこちで使われるうち、生徒や保護者の目にも触れないはずは無いだろうな。普通に考えると、「うわ!直井先生、いい年こいてまだ一番下なの?」とか、親同士の井戸端会議で、「○○ちゃんの担任は主幹なのに、うちの子の担任にはタダの教諭が当たっちゃったのよ。心配だわ〜」とか言われるかもな。でも、私自身は、自分の名前の所についてる「教諭」と、他の先生の「主任教諭」の肩書きを見くらべた時、妙な快感を覚えてしまいました。なんか、我ながらカッコイイなあと思ってしまったのです。み〜んな主任になってくれたら、ますます自分の肩書きが目立つかも・・・と思うと、ウキウキして、来年も再来年も受けない気満々になるな。カッコ良さとは別に、私がヒラ路線を歩む理由はあります。
 昔、主任制反対闘争というのがありました。威張り散らす主任なんかナシで、み〜んなで協力して・・・という考え方だと思いますが、20代の頃、これが不思議でたまりませんでした。だって、どう見ても学年主任や生活指導主任は大変そうだったし、誰にでも出来るって仕事じゃ無いと思います。この不思議な闘争の化けの皮が剥がれるような一件は、私が28才で学年主任にされそうになった事です。その時の学年主任選びは、PTAの役員選出なんかとは較べモノにならない修羅場で、40代以上の先生たち全員「私にはムリです、できません」の一点張り。な〜んだ、主任手当まで放出させてみんな平等とか言っておきながら、やっぱり主任は大役だって認めてるってことじゃん。「いいよ、オレやりますよ」と啖呵切って、他の20代の先生たちが拍手してくれた所で、冷静な先生たちが「いやぁ、いくら何でも、保護者が納得しないよ」・・・ってことで、最後はベテランの先生が引き受けてくれました。この経験があったため、私は主幹制度導入の時は大賛成でした。これで、いやいや主任を引き受けなきゃならない先生はいなくなるし、みんなが嫌がる大役を進んで志願した人に、多めに給料が出るのは当然の事。実際、主幹になった先生方は、見ていて気の毒になるくらい大変そうです。そのお陰で、私はマイペースで仕事させてもらえると言ってもいいくらい。「主任教諭」についても、募集時は「ただ呼び名が変わるだけ」とか言って誘ってたけど、そんなん誰が信じるかい!仕事の要求量は明らかに増大するみたいだな。最後に、私はヒラ人生を全うしますが、別に仕事をサボるつもりは無いのです。やるのとやらされるのの違いを重視しているだけなので、ヒラの身分でマイペースを保ちながら、主幹以上の仕事はしちゃうでしょう。ほ〜っほっほっほ・・・。

4月13日 ど根性ガエル

 というアニメに登場する、町田先生の決め台詞・・・「教師生活25年」というのが、ちょうど自分にあてはまることに気づいて、わお!と思いました。この4月で、25年目に突入したわけですが、振り返ってみると「なんばしよっとね」と自問自答したくなりますな(泣) 自問自答だけならいいんですが、実際に何人かの人から、そう言われたことがあります。30代後半から、40をちょっと過ぎた頃、久しぶりに遭遇した昔の恩師から、「お前、な〜にやってんだ!」 私が教員になったという知らせに最初は喜んでくれた方なのですが、「相変わらず、部活を頑張ってま〜す」みたいに言ったとたん・・・「そろそろ次を考えるべき年じゃないのか? オレも昔はインターハイ目指して熱血指導やってたが、44才の時から一念発起で頑張った」 何が言いたいかお解りでしょうか・・・。管理職試験の勉強を始めろって事ですな。「いやあ〜、私はそんなガラじゃありませんよ」なんて正直に答えたりすると、余計に突っ込まれて面倒なので、「ありがとうございます。頑張ります」とだけ言うようにしています。それから、自己申告書というやつの「研究歴」とかいう欄に「特にナシ」と書いたら、校長先生から2度聞き返されました。「研究員とか開発員とか、一度くらいやってるだろ?ええ〜っ!唯の一度も無いのか?今まで何やってたんだ。この先不利だぞ」・・・って言われてもねえ。自分の学校の生徒を教えるので手一杯だから、出張が多くなりそうな仕事をパスしてただけで、別に不利ではないな。こんな感じで、私を昇進する気になるよう仕向ける人が、一時期多かったのですが、私の25年のキャリアを振り返れば、そもそも無理だってことがわかります。新採の年に、あるベテラン先生がこんなアドバイスをしてくれました。「もう生活指導の時代は終わった。これからは進路指導の時代だ。10年後にトップに立つのは、進路畑の人間だ!」って、何じゃこりゃ〜!今もって、この先生のアドバイスの意味は謎。昇進に向けて若いうちから準備しろって事なのかな?ちょっと解説すると、先生の仕事のいろんな部署は、校務分掌といって、教務、生活指導、進路、保健などがあります。私の印象だと、教務は管制塔みたいな所で、教務を長くやってる人は、学校全体のしくみが解るだろうから、偉くなっても困らないと思うし、実際、教務主任から副校長(教頭)になる人が多い気がします。他はドッコイドッコイじゃないかと思うが、先程のベテラン先生は、進路指導部を長くやれって言ってくださいました。もう10年どころか25年経ちましたけど、本当にトップに立ててるかな?さて、私の場合、この教務と進路の2つだけは、唯の一度もやったことがありません。担任か生活指導部を行ったり来たりだから、偉くなれる要素が皆無だな。みんなで声を揃えて、「25年間、何やってたんだ!」って言ってください(泣笑)。というわけで、将来偉くなろうと思う人は、遅くとも30代前半くらいには、情報収集を行い、それに基づいた行動を開始するべきです。って〜か、そもそも、偉くなろうと思ったら、他の職業を選んでた方が、圧倒的に能率がいいと思うんだがな・・・。

4月 9日 一人歩き

 誰だったっけかな。作曲家の方が、こんな事を話していました。「自分の作った曲が、一人歩きしだすんですよ。いろんな人に演奏されながら成長して、自分の手を離れて行く・・・みたいに」。組織もそういうものかもしれません。うちの学校の吹奏楽部を、「私が作った」なんて言うのは図々しいにも程がありますが、下地のかなりの部分を整備したのは確かです。普通は、私が在職する限り、強烈な直井カラーに染まるもので、事実、今までの学校はたいていそうでしたが、うちの場合は、もはや一人歩きを始めた感あり。先日の定期演奏会も、ここ数日の新入生勧誘方法を見ても、およそ私の思いもつかない斬新な手法が、次々と繰り出され、思わず「んんん、そういうやり方もあったか・・・!」と感心してしまいます。私にとって、間違いなく勉強になっていますが、じゃあこれを次の学校で応用できるかっていうと、そう簡単ではない。お兄ちゃんを良い子に育てたのと同じ方法で、弟がグレちゃうこともあるのと同様、バンドも生き物ですからな。すべてが1回勝負です。うちのバンドも、ちょうど3年前は産まれたばかりの赤ん坊でした。それこそ首も座らず、何をするにも世話を必要とし、歩こうとしてもあっちへフラフラこっちへフラフラ、時には転んで大泣き。しかし、そういうプロセスを経たからこそ、一人歩きができるようになるわけで、過保護にしていたら、きっと今でも首が座らないままだったでしょう。転んで大泣きも必要です。一人の人間は、そのまま大きくなっていくだけですが、部活は部員が入れ替わりながら成長します。やっと一人歩きできる頃に、転んで大泣き経験者が卒業してしまうので、第1期生の苦労を、下の代にどう伝えて行くかが、今後の成長へのカギとなるでしょう。それにしても、創立メンバーの苦労は大きいな。考えてみると、過去4校みんな似たようなスタートでした。三沢中の1年目・・・フルート、クラだけで10人くらいと、打楽器1人。合奏の時は、私がエレクトーンのベース踏みながら左手を弾いて、右手で指揮してたな・・・。秋留台の1年目・・・実質クラ1、ユーホ1の2名だけが、練習に来ているようでした。青梅東の1年目・・・フルート、サックス、ギター、キーボードの4名。吹奏楽部としては不思議な編成でしたが、前の顧問の先生が、少ないなりに楽しめるよう工夫してくれて、軽音部に近い編成になっていました。そういう、組織の幼年時代を経験した部員たちは、部の一人歩き時代を経験できなかった代わりに、社会の別な場面で立派な一人歩きができるようになったのではないかと思います。

3月23日 のみにゅけーしょん

 紙オムツを始めとする衛生用品のトップメーカー「ユニチャーム」が、全部署に、月1回の飲み会を義務づけているという話を、テレビでやっていました。その飲み代は、なんと全額会社の経費だそうで、それだったら喜んで参加する人も多いだろうな。私が教員になった頃は、職場の飲み会がやたら多く、ほとんど毎日のように職員室の後ろの方で飲んでいる人もいましたが、大きいのはやっぱり月1くらいでありました。私は、同じ学年団の先生数名と飲みに行く方が、すぐに役立つノウハウを教えて貰えるので、大きい組織の方には全然行かなかったのですが、数ヶ月して、そっちのグループのナンバー2みたいな人から、思わぬお叱りを受けてしまいました。「お前、新米なんだから、○○会に参加して、教員の仕事というものをしっかり勉強しろ。ウワサによると、お前、△△や■■たちとばっかり飲みに行ってるそうじゃないか。教えを乞うべき相手を間違えるな。」 うわぁ〜。私を飲みに連れていってくれてた数名と、月1飲み会グループは、敵対する派閥どうしだったのでした。○○会の方が圧倒的に大勢だったから、長い物には巻かれろ式に考えたら、そっちに寝返るか、或いは両方に参加して八方美人に振る舞うのが得策です。でも私は、こんな時どういうわけか、反抗的・・・というより挑発的な態度に出るのが好きなので、「誰と飲みに行くかは、私の自由だと思うんですけど・・・」みたいな事を口走ってしまいます。火に油って感じですが、こういう態度を取った後はいつも、嫌がらせみたいな事はなくて、むしろご機嫌を取ろうとしてくるのが不思議です。派閥の威信をかけて、私を取り込みにかかるわけだ。まあ、飲み会イコール裏職員会議みたいな時代ですから、大まじめに教育論議を戦わせている人が多かったです。僕ら新人類以降は、プライベートタイムは仕事から切り離すタイプが多いので、「教えを乞え〜」と張り切る先輩方と飲みに行く人は、めっきり減りました。あの頃毎年あった、職場旅行と学年旅行。教科の旅行ってのもあったな・・・。年に3回くらいは同僚たちとの旅行があったわけですが、これらも急速に参加者が減少していきました。今では卒業解散旅行くらいのもんだから、高校の先生だったら、4〜5年に1回だな。これはこれで寂しいものがあります。教えを乞えとかのノリで来られると、うっとうしいですが、適度な親睦は必要だと思います。というわけで、我々2年担任団が敢行した年度末1泊お疲れさん会は、非常に画期的だな。
 アマチュアバンドも、是非、合宿と演奏旅行を毎年実施しましょう。仕事じゃなくて趣味の合う人たちどうしだから、親睦は必要ないと思ったら大間違いで、趣味だからこそ、小さな意識のズレが派閥抗争化しやすいのです。こうやって親睦行事の重要性を説くということは、オレ様の教えを乞え!って言ってることに近いのかもな。

3月16日 卒業式

 14(土)は、うちの高校の第1回卒業式でした。1組の出席番号1番の子が、代表で証書を貰うときに、「第1号」って言われていたのが印象的だったな。号泣してる生徒(・・・先生も)がけっこういたりして、なかなか感動的でした。唯一、物足りない点を挙げるとですねぇ。それは、式終了後の余韻だな。ほんと、昔は良かった・・・みたいな事ばっかり言って恐縮ですが、10年以上前の卒業式というのは、終わった直後、全職員で校内大宴会を開いていました。ちょうど昼飯時だから、お寿司やビールが山ほど用意されているわけだ。そこに全員集結して、3年生の担任を拍手で迎えて、1人1人に3年間の思い出話を語っていただくという、超有意義な会が催されていたのです。そんなスピーチが一段落する頃、PTAも別会場で待っていて、3年担任はそっちでも拍手で迎えられるわけだ。本当に落ち着くのは午後3〜4時頃で、まだ校内に多数残っている3年生と、記念写真撮ったり、卒業アルバムにメッセージ書いたりしてるうちに日は暮れて、担任団は改めて夜の街に繰り出すのです。3年の担任じゃない立場にいると、こうした光景が羨ましく思えるもので、1年担任の時は、「あと2年後、あの席でまともなスピーチができるように頑張ろう!」と気が引き締まり、副担任の時は、「おれも担任持ちたいな」と思ったので、3年担任を主役にしつつ、学校全体を元気にする効果があったと感じています。ところが、最近はこれが不可能になりました。まず、校内飲酒が禁止で、勤務時間中の飲酒が禁止。仮に全員が休暇届を出しても、公務員が昼間から酒を飲むという事じたいに、世間の目が厳しいようですから、宴会開催は無理だと思います。宴会なんて必要無し、というご意見があるのも承知していますが、そうすると3年担任の労をねぎらったりする場が無いのです。今回、私たち脇役はどうしたかというと、普通にテストの採点やったり、部活をやったりしていました。「特別な日」モードは午前中だけで、午後は完全に通常モード。これって何か寂しくありませんかね。
 卒業式が終わると、たいていその翌日くらいから、3年担任団は旅行に出かけます。これは、別名「学年解散旅行」とも言われ、3年間苦楽を共にして、4月から別々のセクションに散ってしまう同士と、心の底から「お疲れさん〜」の旅行であります。・・・が、ウワサによると、この旅行についても、圧力がかかり始めているとか・・・。もし、「卒業」に関して、そういう人間味ある営みがすべてダメということにでもなったら、「卒業」の概念を改めるしかないな。単に最終登校日として、淡々と事務的にやればいいのかも。ただ、教員という職業の魅力は、色あせる一方です。

3月 9日 部活の引退時期

 大学受験も、いよいよ大詰めの時期。ラストを飾る国公立でも、3年生は吉報をもたらしてくれました。国公立の5人を始め、志望校に見事合格を果たした子の殆どは、部活を最後まで頑張った組です。これは今さら言うまでもないことで、昔から「部活と勉強は車の両輪」と言われる通り、順当な結果と言えます。進学校ほど部活が強くて、学校行事がやたら盛り上がっているのも、実は当然なのです。学校に勤めて、部活を指導して、たくさんの生徒を見ているから、私にとってこういう現象は、まったく当たり前の出来事なのですが、我が子しか見ていないお母様方には、3年生になっても部活をやるなんて、やはり心配な事でしょう。受験戦争が激化したため、というよりは、心配性な保護者が増えたせいだと思うのですが、部活の引退時期は、昔にくらべて明らかに早まりました。
 運動部の場合は、3年生が出場できる最後の試合というのが決まっているので、引退日は必然的に決まりますが、文化系クラブではその辺が一定していません。だから、吹奏楽部の引退時期は、学校によってマチマチです。私が中学生の頃は、一応11月の市民文化祭が良い区切りでした。驚くべきは、夏のコンクールが8月末日あたりだったことです。って〜事は、夏休み全部を練習期間にできるわけで、実際そういう学校もあったようです。その後、保護者からクレームが出たのか、連盟はコンクール日程をどんどん早めて行きました。さっさと引退試合を終わらせて、勉強に専念させてよってわけで、現在は8月前半になっており、多くの中学校では、これを引退の節目にしているようです。教員になりたての昭和60年代の三沢中では、11月の市民文化祭までは全員参加でしたが、保護者からクレーム受けた覚えが無いということは、みんな上手に両立できてたんだろうな。さて高校生の場合はというと、近隣の学校の様子を聞いた感じでは実に様々で、一番早く引退するのは2年生の3月末日。そこは、下の学年に完全に政権移譲するために、3年生を強制退去させる伝統なのだとか。逆の例で、秋留台には引退という概念がありませんでした。入試前日に楽器吹いてた強者もいます。それでも、殆どの部員が学年上位って〜か、トップレベルの成績を維持していたから、むしろ引退した方が逆に成績が下がったに違いないと確信しています。結論ですが、いろんな経験上、早すぎる引退によって増えた自由時間は、勉強以外のことに向けられるケースが多いと感じています。それは、漫画を読んだりテレビを見たり、友達と街でブラブラしたり・・・。たくさん時間がある時ほど、大事な事を後回しにして、結局やらずじまい・・・というリスクが増加するので、進路希望を実現したいなら、可能な限り部活を続けた方が良いです。そこで提案ですが、吹奏楽部でもバトンタッチの時期を明確化できるように、夏のコンクールを2本立てにするのはどうでしょう。8月前半に本戦、そして下旬に新人戦(3年生の出演禁止)。引退しない3年生も多いだろうから、冬のアンサンブルコンテストは、3年生入りと、3年生ナシのブロックに分ける・・・とか。そもそも3年生入ってる方が上手いに決まってますから、こういう分け方の方が妥当だよな。

3月 2日 広告取り

 演奏会のパンフレットに、いろんなお店や会社の広告が載っているの、ご覧になったことありますよね。少ない予算の中で、大きなホールを借りて演奏会を開こうとすれば、メンバーが何十人もいるようなバンドでも、頭割り金額はすぐに、1人あたり1万とか2万とかに跳ね上がります。有料コンサートで、チケットノルマ制にしちゃえば、完売した人は全く自腹切らずに済む・・・というのは建前論で、現実は無料贈呈や大幅割引の嵐が吹き荒れるため、やっぱり相当額の自己負担が生じます。コンサート以外に、日常の活動資金や楽器購入、修理費もかかるから、全員で町内を回って廃品回収やって、数千円を捻出する中学校もあります。だから、パンフ広告に協力してくださる企業さんは、救いの神なのです。うちの高校でも、今がんばっている所ですが、この不況下にもかかわらず、協賛企業は今日現在で何と17件!ありがたい事です。
 私自身が初めて広告取りの営業回りを経験したのは、市民吹奏楽団のメンバーとしてでした。はっきり言って涙涙の物語だったな。いくら狭い日野市と言えども、東西南北全部を自転車で回ると、10kmとか20kmという距離です。それで協賛金に応じてくれるお店は、10件に1件もあれば良い方だから、疲れ倍増。まあ、今考えると、30年前で1件1万円でのお願いは、明らかに高額過ぎるな。また、バンドの活動が、普段から地元に密着していないと、こういう時だけ協力してよったって、そりゃあ無理な話です。
 大学の合唱団では、毎年20件以上の広告が載っていましたが、それらは不動の20件だった様子。「また今年もお願いできますか?」「いいよ」みたいな感じで、苦労したという覚えは無い。20件のうちの半数以上が、行きつけの飲み屋だったと思います。この辺は、他大学も同様で、ふだんからつながりのあるお店が、やっぱり協力者となってくれるのです。ところが、一橋大学のコンサートでは、様子がちょっと違いました。飲み屋とかじゃなくて、新聞に載ってる広告みたいのばっかりです。いわゆる一部上場企業のオンパレード。理由は簡単で、合唱団のOBの中に、そういう会社の重役になってる人が多いのでしょう。さすが一橋!でも東大のパンフは、不思議と飲み屋ばっかり。あそこは官庁に行く人が多いから、広告出せるOBがいないんだな。青梅総合からも、たくさん社長になってくれるといいな。そうなれば、パンフに「TOYOTA」とか「SONY」とか、1件100万円くらいで載せてもらいたいと思います。
 TAMAライフ21の時も、厳しい財政事情の中でたくさん広告を取りました。目標額を40万に設定して、100人超のメンバーにハッパをかけた以上は、まずは委員長の私も大口を取って来ないと、示しがつきません。この頃は私も30代半ばになっていて、大きな買い物もしていましたから、そんなつながりを活かして、2万円を2口取りました。目標額の1割を1人で捻出し、威厳を保つことができました。でも、もっと上がいます。秋留台で最初に大きなコンサートをやった時、目標額6万で広告取ることにしたのですが、なんとその翌日に1万円が6口集まったのです。さらに驚くべきは、取って来たのはたった1人の生徒でした。なんでも、家の近所のお店6件に聞いてみたら、全部OK即答だったとのこと。近所で小さい頃から可愛がられていた、というのが最大の武器だったようです。やっぱり最後は「ひと」の力なんだな。今年ご協力いただけることになった17件の皆様が、また来年もご協力いただけるかどうかは、演奏会の出来や、今後の活動の中味で決まるでしょう。愛される部活にならなくちゃな。

2月21日 LHR・学活・道徳

 毎週木曜日の5時間目は、LHR(ロングホームルーム)。一昨日は教科書の注文票作りに、ほぼ1時間費やしました。小中学校では学活(学級活動)という時間です。修学旅行が近づけば、コース決めとか部屋割り、体育祭や球技大会が近づけば選手決め。合唱コンの直前は、もちろん練習時間。行事の谷間みたいな時期には、進路ガイダンス・・・という具合に、年間通して、ほとんど予定は埋まります。でも、たま〜に、本当にやる事無い時間が生じて、担任としては「何をしようか」と考えますが、すぐに他のクラス担任と協議して、「じゃあ集会にしよう」とか、「テストも近いし、自由に勉強させよう」とか、誰からともなくアイデアが出されます。高校生の場合は、極端な話、「好きにしてよい」と放置したとしても、ゲーム大会を開催したり、どうにかするもので、LHRのやり方で悩んだ事は殆どありません。ところが、中学ではそうは行きませんでした。
 新採1年目、何が大変だったかって、全部大変なんですけど、中でも学活は大きな負担でした。学活と道徳というのがあって、中味が違うのが本来の姿なのでしょうが、当時の三沢中では、単に学活が週2回に増えただけという感じでした。「運動会の選手決め」みたいに、やることが決められている日は気が楽ですが、週2回もあると、そういうネタが無い日が、けっこうな頻度で巡ってきます。そんな時、不思議とどの担任も自分の手の内を明かしませんでした。みんなベテランだから、有り難いお話ネタとか、クラス内で活発に討論が起きるような題材とか、たくさん持っているんだろうな。私はそういうネタを、毎週自力で編み出す必要がありました。中にはヒットしたネタもあって、今思い出してもよくやったもんだと思います。そんな具合で、理科の授業以上に、学活道徳に多大な労力を費やしていた頃、アンビリーバブルな噂を小耳にはさんだのです。あるベテランの担任が、道徳の時間を「自由時間」にしていたらしい。何故これが発覚したかというと、クラス替えがあって、その先生のクラス出身の子たちが、学活の時間に「自由!自由!・・・」コールを始めたのだそうで、別の若手担任は、ついにそのコールに負けて、「特にやる事ない日は自由」にしちゃたそうです。真面目だった私は、「ヒドい手抜き先生もいたもんだ」と呆れたものですが、さらに驚くべき事が発覚! ちょうど自分のクラスで道徳がある日に、新採研修で出張になりました。急遽、私の代役を務めてくれる事になったベテラン先生は、進路指導研究の組織の役員か何かで、「生き方をどう指導するか」みたいな論文が、いろんな雑誌に載せてる人でした。他の先生たちの間で、「○○先生が久しぶりに道徳やるって。見学させてもらいたいな」なんて具合に、話題になったくらいです。さて出張の翌日、生徒に聞きました。「昨日の道徳は、どういう事やったんだ?」「教室から出なければ何やってても良かったです。先生もたまにでいいから、自由な時間にして下さいよ」 ええ〜っ!生き方の指導とか言ってた人が、完全自由道徳って、何じゃこりゃ〜っ!みんなが手の内を明かしたがらなかったのは、実はコッソリ自由道徳が横行してた証拠と考えればつじつま合います。私の苦労は何だったのよって言いたいですが、その後聞いた話では、道徳を道徳としてちゃんと授業している学校も、たくさん存在するようなので、私はどんな学校に行かされても困らんな。苦労は報われるのです。

2月17日 脳の回路を構築せよ

 前回ご紹介した神保彰さんを扱った番組は、ロール打ちの分析と、あろう事か神保さんに「太鼓の達人」というゲームをやらせるという暴挙の、2シーンを除けば、とても良い番組であったことは確かです。中でも、神保さんの「練習とは、脳に新しい回路をつないでゆく作業である」というレクチャーは、余りにも的を射てて、思わず次の日の部活で引用しました。言われてみれば、まったくその通りで、すぐにできちゃう事というのは、既に脳の回路がそういうふうにつながっているのです。お勉強でもそうですが、新しい事を会得しようとする場合、既に出来ることよりもちょっとだけ難しい事に向かって頑張るのが原則。つまり、既存の回路をベースにして、新たな配線をするわけだ。この時、既存回路が太い電線でしっかりつながれているほど、新配線は楽に進むでしょう。だから、常に基本練習は大切です。ところが、たま〜に、基本回路と新回路のギャップが非常に大きいケースがあります。これは単に私が、上達を急ぎすぎただけのことだったかもしれませんが、でもやり方は一緒。反復練習して、脳に配線ができて、その動きが無意識的にできるようになることを目指します。大きなギャップの経験は、私自身も非常に良く覚えていて、今思い出しても我ながら感心。最初はバイエルの何番かで、右手と左手を同時に使う曲。「ドソミソ」とか伴奏しながら、右手でメロディー弾くってやつね。バイエル上下巻合わせて半年で終えたので、多少ムリはありましたが、その後は苦労した覚えは無いです。次は中1で始めたドラムセット。これこそ究極の手足バラバラ運動。ライバルにも恵まれたおかげで、とにかく練習しまくって、当時としてはかなり優秀な中学生ドラマーになれました。そして、ここで作った回路は、エレクトーンを弾き始めた時に、絶大な威力を発揮。8ビート、16ビート、ボサノバくらいは、何の苦も無くと言ってよいほど、すぐに弾けました。手足の連動が、ドラムとそっくりな上に、ドラムよりもケタ違いに単純だったからです。既存回路のみで処理可能な楽器だったわけだ。ところが、初めて4ビートの「枯葉」に挑んだ時が、新たな回路構築でした。3日間くらい、情けない程のゆ〜っくりテンポで、つっかえつっかえ練習。ここまで1曲1週間ペースでレパートリーを増やして来たのが、「枯葉」だけ3週間要して、ようやく左足ウオーキングベースの回路を取得。ここから先は、もはやエレクトーンも苦労した記憶ナシ。次は再びピアノ。ソナチネに入った所で辞めたくせに、再開はいきなりショパンの「別れの曲」にしたから、無理ありすぎ。そして今再びドラム。弦太に追い越される事は許されないので、これまた無理し過ぎでデイブウエックルのソロコピー。以上、私は計4回壁にぶち当たってきたわけですが、良い子の皆さんは、基本から順を追って少しずつ回路を太くしてゆけば、こんな辛い思いをしなくて済みます。とは言いつつ、練習すれば回路は出来て、壁は必ず乗り越えられるから、好きでどうしても弾きたい曲があるなら、「そのうち・・・」とか思わないで、すぐに挑戦を勧めます。

2月 7日 的外れ報道

 NHKのディレクターさんが、うちの部を取材にいらっしゃいました。過去に、テレビではなく新聞でしたが、こちらの意図が上手く伝わらなくて、的外れな報道になっちゃった経験があるのですが、今回のディレクターさんは、ご自身が吹奏楽部のご出身だということがわかり、一安心。リラックスしてお話することができました。的外れな報道の例を、2つご紹介します。
 先月25日夜、ドラムの神保彰さんを紹介した番組、ご覧になったでしょうか?翌日学校に行くと、この番組を見ていた生徒は案外多くて、(みんなドラム叩ける子)、あるシーンの話題で持ちきりでした。神保さんの超絶技巧のワザを、高速度カメラで撮影し、スロー再生して分析するという部分。一般の多くの視聴者は、興味津々で見入るところかも。一般でない視聴者とは、例えば我が家のように、すでに神保さんのDVDを何枚も持ってる人。神保さんは親切な人で、自分のワザをスロー再生どころか、DVDの中で手順を説明しながらゆっくりやって見せてくれています。だから、私や弦太にとって、それほど注目のシーンではなかったのが、見てビックリ!・・・こ、こ、これは!高速度撮影されたのは、神保さんのロール打ちでした。そして、スローで見て何が判ったのかというと・・・。ナレーション「神保は、なんと、一度に2回ずつ叩いているのだった!」 弦太、笑い転げる。説明すると、これって「2つ打ち」とか「ダブルストローク」と言われる叩き方で、神保さんじゃなくても、みんなやってます。みんなって、どのくらいみんなかと言うと、吹奏楽部で打楽器やってる近所の中学1年生以上なら、むしろできないと困るっていうくらいのワザ。神保さん、放映前にチェックさせて貰うヒマ無かったんでしょうね。これ見てビックリしたと思います。
 朝刊を広げてビックリしたのは、演奏会当日の朝でした。見出しは「120人の吹奏楽、通常の倍以上、迫力に期待。TAMAライフ21吹奏楽団、今宵演奏会」。この演奏会の実行委員長だった私は、新聞記者さんの取材に対して、たくさんアピールしました。指揮者にアルフレッド・リードさんと藤田玄播さんをお招きし、ソリストや解説者も豪華キャスト。おかげで、演奏メンバーは、短期間のうちに東京じゅうから120名も集まって、交流を深めながら楽しく練習を進めてます・・・みたいに言ったはずが、その「120名」の部分だけを強調されてしまったわけです。そう言えば、120名を言った後に、質問が続いたことを、後になって思い出しました。「吹奏楽は普通は何名くらいでやるものなんですか?」 「コンクールA編成の50名くらいいれば、相当に大きいバンドですね」 「じゃあ、今回はその倍以上ってことですね」 「多けりゃいいってもんじゃないですけどね。音は合わせにくくなりますし・・・」 って具合にいろいろ話したのに、記者さんの頭には、「120名」「倍以上」が、強烈にインプットされたのだと思います。当然、私の名前が載っていましたから、まるで私が「通常の倍以上の編成でやるから、こいつは聴き逃せないよ」と言ってるように受け取られたと思います(泣) 記者の無知を責めるつもりはありません。実際、これが吹奏楽でなくて合唱だったら、多ければ多いほど良いのは間違い無いです。記者はすべてのジャンルの専門家ではありません。黒柳徹子が王貞治に、「ホームラン打てのサインってあるんですか?」とか聞いたという話もあるくらい。やはりインタビューを受ける側が、何が凄いのかを一般の方に解るように、上手く説明しなければなりません。

2月 2日 ウイルス再襲撃

 病気ネタが続くなぁ。ちょうど村上春樹の「パン屋再襲撃」を読んだ直後だったので、こんなタイトルにしましたが、今度はウイルス性胃腸炎・・・いわゆる「おなかの風邪」でした。さあ、いつもの勝手極まる自己分析だ!インフルエンザは15年ぶり。ウイルス性胃腸炎はちょうど10年ぶり。こういうのでお医者さんのお世話になることが滅多に無いので、ハッキリ覚えてます。麻疹の予防接種に賞味期限があって、高校生から大学生くらいでちょうど切れるから、若者が発症するって聞いたなあ。・・・とすると、他のウイルスにも、そういう性質があって不思議は無い。インフルエンザの免疫が15年、ウイルス性胃腸炎の免疫が10年持つとすれば、私が今年、2つを同時に発症したことが理解できる。って〜ことは、私が次に手荒いうがいを真剣にやるべき時期は、2019年と2024年だな、わっはっは・・・と、ここまで話した所で、多くの人は笑って済ませてくれますが、養護の先生からは真剣に怒られました。「ちゃんと休まないから抵抗力が落ちる。それだけ!」 休むと風邪を引きやすくなるという、私の独自理論は、検討の対象にもならず粉砕。ちーん。たしかに、言われてみれば、私が寝込むときは、恐ろしく長時間熟睡できるので、それだけ睡眠不足状態だったことの証拠かも・・・と思うことはあるな。特にこの2週間は、インフルエンザから復帰した反動で、ふだん以上に色んな事をこなそうとしたのは確かです。1月18日(日)ジャズフェス、19〜平常勤務、24(土)サッカーチーム送迎〜部活〜保護者会〜部活、25(日)弦太とドラムフェスティバルを見に有明へ、26〜入試準備・入試、28(水)入試が終わると、そのまま横浜へ直行して、5時間耐久ジャムセッション・・・。昨日2月1日(日)は、やはり朝7時にサッカーチームを乗せて、7時半に青梅の小学校で降ろしてから出勤でした。いつもなら、一番乗りで学校に着いたら、そのまま音楽室へ行って練習!というテンションですが、明らかに熱っぽく、腹も痛くなり始めて、ダメージとしては先日のインフルエンザの時より、はるかにヒドい。幸い、学校のすぐ近くに青梅の休日診療所があるので、そこが開くのを待って即受診。熱38度&腹痛。でも「これは大したことない。すぐ治るやつだ」と言われて、胃腸薬を1日分貰いました。10年前もそうだったな。薬飲んで、学校の保健室で約4時間熟睡して、スカッと爽快状態で練習に復帰。・・・で、今日からまたまた無茶な生活しようと心に決めていた所を指導されたので、大いに反省。またウイルスに襲撃されちゃったら、3度目の正直になる今度こそ、絶対に新型インフルエンザだと思うので、今日からしばらく早寝することにします。

1月20日 緊急特番 初タミフル(沖縄県産)
 ※1/18〜の3日間で執筆・掲載したものを、時系列順に整理しました。

 「修学旅行中に、病人が出たらどうするか」・・・。その症状が軽い場合、重い場合、1人か2人の場合、集団食中毒のような大勢の場合・・・すべてにおいて、対応の手順が用意されています。当ったり前だぁな、そうじゃ無かったら、安心して子供を預けられないざますわよ。しかし、病人が引率の先生だったら・・・。これは、消防署が火事になっちゃうようなものだから、想定外です。アリの這い出る隙も無いような綿密な打ち合わせも経験しましたが、「ここで○○先生が倒れた場合、すぐに△△先生が代行し、学校から☆☆先生が応援に駆けつける」みたいな話は聞いたことありません。でも、やっぱり人間ですから、引率者がパーフェクトに職務を遂行できないことはあります。ご家族が急病の連絡が入り、日程途中でとんぼ返りしていただき、後は残ったメンバーで何とかやりくりしたのが2回。出発2日前に入院してしまった先生の代わりに、急きょ私がヘルプで行ったのが1回。こういう緊急時って、生徒たちは案外、ふだんよりキビキビ行動するようにも見えたものです。私はいつもヘルプする側でした。それが今回ヘルパられる(何活用だ?)ことになろうとは・・・。それもよりによって、行った先でインフルエンザ発病、那覇のホテルに留め置きだから、ゼロよりも悪いマイナスの仕事しかしてね〜じゃんか。情けないことMAXです。本日は、徹底的に原因究明し、再発防止策を練っていきます。対岸の火事?他山の石?よくわからないが、皆さんの参考になれば幸いです。

 過信へのしっぺ返し・・・これに尽きます。どんなに大流行しても、自分には移らないという、根拠の無い自信。今回の旅行団は、先生と生徒合わせて240名くらい。私がインフルエンザになるとしたら、230人目くらいだろうと思ってたら、結局唯一人。みんな出発日が近づくにつれ、早寝早起きを心がけたり、気を付けていたんだろうな。過信の様子をドキュメントで追います。

13(火) 5:45(出発前日)
 起きた瞬間に、のどの痛みに気づく。郁恵さん風邪ぎみだったから、移ったんだな。この程度はしょっちゅうで、学校にいる間にたいてい治る。最悪でも、明日までに治せばいいんだから、楽観度100%。

 15:30
 大多数の2年生が下校し、最終打ち合わせが始まる。郁恵さんにメール「風邪薬あるか?」「ある」 のどが完治しないため、家の薬箱の在庫を確認したのだ。ここで言う風邪薬とは、パブロンの顆粒を指す。夜こいつを飲んで寝ちまえば、翌朝は間違いなくスッキリだ。楽観度100%。

14(水) 4:30(出発日)
 こんな早く起きるつもり無かったが、出かけるときはいつもテンション上がりすぎて、予定の1時間前に行動を開始してしまう。こうして目が覚めちゃった事じたい、絶好調である証拠だ。のどにはまだ違和感あるので、昨夜に続いてもう1袋風邪薬飲んで出発。

  9:20
 羽田空港での職員打ち合わせ。これは短時間で終わり、生徒集合10;00までに、昼食を買い込むのは予定の行動。おっと、ついでにノド飴を買っておこう。ふだんこんなの買ったことないから、ヴィックスのレモン味と何とか味の、どっちが美味しいか生徒に尋ねたりした。のどの痛みを抱えたままの出発・・・実はこれも過去2回経験済みだ。2回とも、もっとひどくて発熱もしていたのだが、スカっと治った、というより治してもらった。こういう宿泊行事には、看護士さんがついてきてて、強力な薬を持っている(らしい)。PL顆粒をご存じだろうか。風邪で病院に行くと、99%出される白い粉薬だ。あれの威力はパブロンの比ではない。たぶん強力過ぎるから、一般の人は買えないのだろうと思う。私の楽観度100%の根拠は、ここにもあった。出発しちゃえば、どうにかなるのである。

 11:00
 搭乗口付近で待つ間、若干の寒さを感じ始める。パブロンが切れてきたせいだ。パブロンは飲んでしばらくすると身体が火照ってくるから、その反動だろう。あと、この日は外の最高気温は10℃くらいで、かなり寒い朝だった。にもかかわらず、私は中に1枚余計に着込んだだけで、コートは着ていなかった。沖縄にいる間、コートが邪魔になるからである。だから、いつもより寒く感じたって、まったく不思議ではない。それに、私は、元々が寒がりなのだ。

 13:00
 機内も何だか寒い。「毛布はいかがですか〜」って配られてるのを、受け取ったのは初めての事だ。きっと飛行機はすでに沖縄の近くまで来ていて、外はやたら暑いんだろう。だから、機内のエアコンも「冷房」に切り替わったんだな。うちの学校のエアコンでも、しょっちゅう暖房から冷風に自動チェンジしてるしな・・・。冷静に考えたら、そんな事ありえない。沖縄ったって、飛行機が飛んでるのはう〜んと上空だ。外はマイナス何十度に決まってる。私はまだ寒気の原因に気づいていなかった。

 14:30
 那覇空港・・・やはり寒い。でも、生徒たちも口を揃えて寒いと言ってる。そりゃそうだ。いくら亜熱帯ったって、北半球で1月は真冬だ。ハワイじゃあるまいし、いきなり暑くてたまるか。バスガイドさんも、沖縄にしては寒い日だと言ってたし、再び楽観度MAXで首里城へ向かう。

 16:00
 だいたい、じっと座ってばっかりだったから寒いので、首里城の上り坂は絶好の運動だ。てっぺんで記念写真撮る頃には、適度に汗ばんでて最高に気分良かった。って〜か、今度は全身火照っちゃって暑すぎる。や〜っぱ沖縄は寒暖調節が難しいのかな。それとも、熱が上がりきった後の火照り?などと思いながら、自由散策へ。自分の発熱を、ちょっと疑い始めていた。

 16:30
 この時、うちのクラスの子が1人、体調を崩していた。飛行機酔いがひどくて、集合写真までは何とか頑張ったが、その後は散策せずにどこかで休憩しているはずであった。この事がなかったら、事態はもっと深刻な展開になっていただろう。
私は、その子を別の先生に預けて、クラス本隊と同じペースで見学を終えた。今度は集合までの残り30分で、その子の具合を見に行く。自分で歩けるか。無理ならどうやってホテルへ移送するか。そのための人員配置をどう変更するか。6台のバスが出発する17時ジャストには、その結論が全教員に伝わっている必要がある。救護室を探し当てると、彼女はベッドに寝かされてはいたものの、比較的元気そうだ。その場にいた2人の看護士さんは、17時に本隊合流可能と結論づけた。問題一つ解決したところで残り20分。ちょうどいい、もう一つも片づけちゃおう。「あの〜、私も検温していいですか?熱があるかもしれないので・・・」
 
 平熱なら万事めでたし。あっても37度5分止まりだろう。その時はPL顆粒が貰えるから、夕食後に飲んで明日からスッキリだ。「ピピピ・・・」と体温計が鳴り、数値を見た看護士さんが、「あら〜、ちょっと〜、せ〜んせ〜」。夜のお店で女の子に悪さしようとした医者か弁護士をたしなめるような言い方であった。「9度1分ありますよ」 「ええ〜っ!」 私ほとんど絶叫。2人が即座にマスクをつけ、私にも1枚させた。「生徒さんもたくさんいることだし、すぐに受診して下さい。県内ではインフルエンザ流行してますから」 もはやインフルエンザと断定するような口調。「今、当たってみますから」 テキパキと診療所に電話をかけてくれた。首里城から歩いて10分くらいの所だというので、「じゃあオレの足なら5分だ」と出かけようとしたら、「1人で行くつもり?坂道ですよ。無理無理。タクシーで行きなさい」「いいや、大丈夫。この通り、ぴんぴんしてる。今、首里城を早足で一回りしてきたばっかりだ」と2〜3分押し問答。結局自力で、本当に5分で診療所に着いた。途中クラスの子たちと何組かすれ違う。「あれ?先生、逆方向だよ」「いや、病院に行かなくちゃなんなくて」 生徒たちはてっきり、具合の悪くなってた子が病院に連れて行かれたと思ったろう。歩きながら携帯で本部に連絡。2組のバスは、17時に担任不在で発車していただくことになった。

 17:30
 診療所と言ってたけど、きれいで立派な内科医院。インフルエンザの検査で、鼻の穴に綿棒突っ込まれたりして、もう一度待合室へ戻される。結果はすぐに出ますと言われたにしては、もう30分も待っている。だいたいインフルエンザであるわけがなかった。あれって自然発生するもんじゃ無いだろ。誰かから移されてなるのだ。って〜ことは、その「誰か」が存在しない以上、なりようがない。家族にも、2年生の生徒にも、吹奏楽部にも、インフルエンザ患者はいなかった。楽観度120%! そして呼ばれた。

 「出た出た。A香港型」 「ええ〜っ!」(再び絶叫) 説明してる先生は、むしろ喜んでる風にさえ見えた。端的に言うと、インフルエンザの超初期段階で、見逃されても不思議でないケースを、長年の勘で見破った・・・という感じ。「毎日こればっかりやってるとねぇ、気配を感じるね」 職人技ということか。そして、ぞっとするような話が続く。「寒気は昼頃からか。ウイルスが本格的に増殖するのはこれからだ。そうなると症状はこんなもんじゃなくなるし、タミフルの効き目も薄くなる。今夜から飲んどけば、明日、明後日でウイルスはほぼ消えるだろう。早く気づいたのが幸いだ。」 名医っぽい、威厳のある口調だ。それも、ドクターヘリの黒田先生のような、ちょっとイヤらしい感じでなく、ベンケーシーとか、外科医ギャノンのような、正統派の名医。紹介しよう。親泊内科医院・・・首里城そばのファミマが目印。全国の修学旅行生よ、首里城で38度以上の熱があったら、まずここへ行くがよい。

 「断言はできないが、17日には他人と接しても大丈夫だろう。これからどうするかは、上司の方と相談しなさい」 病院の外へ出て、さあ目の前真っ暗、悲観度100%だ。ホテルに戻っているであろう先生方は、この事実を知って驚くだろう。こんなのは前代未聞なはずだ。私の教員生活の中で、汚点は数あれど、最大級の汚点になることは間違いない。半分震える手で、携帯電話を開いた。

 電話に出たS藤先生は、女性にしては(という言い方は不適切かも・・・)極めて冷静沈着な方。教師でなければ絶対に女医さんが似合う人だ。むむっ!中国文学専攻の女医さんはありえないか・・・。私の報告に、顔色一つ変えず(・・・って、電話だから顔色はわからんな)、「わかりました。こちらで相談して、折り返し連絡します」とのこと。ちょっとくらい、取り乱してほしかったな・・・なんていう、一抹の寂しさもあったが、気を取り直して、処方箋を隣の調剤薬局へ持って行く。
 
 すぐに先生方全員に緊急集合がかかるだろう。ホテルに着いて夕食までの間は、引率中ほっと一息つける時間帯なのに。あ〜あ、ほんとゴメンナサイ。でも、これからどうなるんだろ?私の頭に思い浮かんだシナリオとしては、とりあえず明朝の便で東京へ帰される可能性が高い。こっちにいても、役立たずどころか、いるだけ邪魔なわけだから、それがベストだろう。そうなると、入れ替わりにヘルプが来るのかな。たぶん副校長2人のどちらかだな。いや、2年生の授業を多く受け持ってる先生は、まだ大勢残ってる。でも、どうやって決める?明日決めたとしても、こっちへ来るのは明後日だろう。だったら、1人不足のまま乗り切っちゃうだろうな。でも、うわ〜、3年間のメインイベントとも言える行事の最中に、家で休んでろなんて最悪だ。さっき、最終日には本隊に戻れそうだと言われたから、16日夜か17日朝一の飛行機で、もう一度沖縄へ戻って来ることはできそうだな。なんて考えているうちに、窓口へ呼ばれた。

 「タミフル」を初めて見たが、ふつう〜のカプセルだ。でも、全然ふつうじゃなかったのが説明書の方。「副作用」という蘭がある。今まで見てきたほとんどの薬は、何か一つか二つ書いてあるだけだったが、タミフルだけは、ビッシリ5行書かれていたので、思わずそっちに目が行ってしまった。「発疹・かゆみ」に始まり、「頭痛・食欲不振・めまい」・・・このへんはまだわかるが、「精神・神経症状・興奮・振戦等」って、何じゃこりゃ〜っ! ぶっちゃけ、「これ飲んだら、何が起きても驚かないでね〜」って言ってるのと同じじゃんか! 何だか飲むのが楽しみになってきたな。タクシーをつかまえて、ホテルに向けて動き出したら、すぐにS藤先生から電話。

 「直井先生、ホテルに着いたら、そのまま予定通りの部屋に入って下さい」 簡潔な指示であった。初日の那覇エッカホテルで、私は元々1人部屋の予定だったので、そこから一歩も出ないで、明朝、全生徒が出払ってしまうのを待つということだろう。もう旅行会社は、明日の飛行機を手配したかもしれない。何時の便だとか、空港までの行き方みたいな細かい事は、ホテルに着いてからで十分だ。

14(水) 18:00
 ホテル玄関に到着。ここからが緊張の瞬間だ。予想通り、数名の生徒がロビーにいる。しかも、まずい事に、6組のH田がいるではないか。昨年、私のクラスのHR委員で、非常に活発な子だ。不思議なくらい、彼とはよく出くわすし、会えば必ず話しかけてくれる。しかし今日だけは振り切らねばならない。「あっ、直井せんせ〜」というH田の声が聞こえたが、構わずダッシュ。エレベーターを避け、4Fまで階段で行こうとしたが、その階段は2Fで終わっていて、そこから上につながる階段が見つからない。やむをえず、2Fでエレベーターのボタンを待つと、開いたドアの中に大勢の男子生徒、その中にまたしてもH田。「あっ、また直井先生。乗らないんですか〜?」 「乗らない。いいから閉めろ。行け」 先生ずいぶん冷たくなったと思われたかもな。次のエレベーターには、今度は女子生徒の軍団。しかも、またまた悪いことに吹奏楽部員だ。「なんで乗らないんですか〜?」 「とにかく行け」 3回目でようやくカラのエレベーターが来て、私は所定の部屋に滑り込んだ。

  19:00
 マスクをした先生方が、入れ替わり立ち替わり、食事を運んでくれたりした。さっさと食後のタミフルを飲む必要があったので、沖縄のグルメを満喫〜どころではなく、最小限を食べて、デザートがタミフルだ。あとはすぐに寝て、一刻も早い回復を目指すことにした。しばらくして、校長先生登場。「直井さんには、明日明後日、ここにいていただきます」 判決の主文読み上げって感じ。普段だったら「ここにいてよね」とか言いそうなキャラの人なのだが、今日のは完全に職務命令調で、威厳あったなあ。後で吹奏楽部員から聞いた話だが、校長先生は全生徒に対しても、威厳のある言い方で、私がインフルエンザにやられた事実を伝えて下さって、その瞬間、あちこちからすすり泣きが起きたという。別の子からの情報では、すすり泣きなんてもんじゃなくて、全員号泣でしたとのこと。こっちを信じるとしよう。さらに他の子の話では、「必死に笑いをこらえると、すすり泣きにも聞こえる」とか言ってる。
 結局、東京へ帰される事はなかったが、最終日まで那覇に留め置きで、ただ「ゆっくり休んでください」じゃ、ホント何しに来たんだか、さっぱりわからん。この借りを、最終日に少しでも返せるように、しっかり寝ることにした。

15(木) 9:00
 この日は、クラス毎にバスで南部戦跡巡りに出かけることになっている。その最後のクラスが出発した頃を見計らって、私は6Fの普通シングルルームに移動。本隊はもうこのホテルには戻らず、名護方面で連泊となるから、もはや完全に取り残されて1人ぼっちの入院患者だ。看護士さんの巡回が無いのと、携帯電話が自由に使えることを除けば、病室そのものである。これからの2日間は、訪問者も無いだろうから、ニートみたいな人にとっては天国のような環境だろうが、私にとっては、全くあり得ない世界。でもグッとこらえて、寝ては検温を繰り返す。

  12:00
 劇的というのは、タミフルのためにある言葉かもしれない。まさに驚異的であった。検温する度に、目に見えて熱は下がっていった。昼の時点で37度3分。熱に鈍感な私にとっては、もはや平熱。10カプセル貰ったタミフルの、まだ2つ目を飲んだところである。今日の明るいうちに完治は確実だ。問題の副作用の方だが、やはり不思議な薬なのは確かなようである。昨夜1個目を飲んで、30分くらい経ってからだろうか、身体が浮くような感覚を覚えた。身体が重たく感じるのの逆だから、基本的に快感である。これの度が過ぎれば、空を飛べると思い込むこともあるかもしれない。2個目を飲むときは、楽しみになってたのだが、不思議とそれ以降、この浮遊感は来なくなった。薬に身体が慣れちゃったのだろうか。そのかわり、ややめまいが残った。これは他の薬のせいかもしれないが、とにかく、平熱に戻っても常に眠気が残るので、テレビ見る気にもなれず、食べてはウトウトの繰り返し。

16(金)
 スカっと爽快、6時起床! 完全復活だ。この日から、食事を運んでもらうのをやめ、自分で朝食会場へ。バイキング形式で、これでもかって位、食いまくる。今日は暖かそうだから、外へ散歩に出るか、くらいテンション上がっているのだが、薬を飲むと再び眠気。結局、午前中は、メールを打ちまくった。私がすでに平熱に戻って、ピンピンしてる事を各方面に伝えると、とりわけ安堵が大きかったのは吹奏楽部であった。帰京翌日にジャズフェスを控えていたので、東京で練習中の1年生は、ずいぶん不安だったようである。

 昼も中華バイキング、夜は肉料理。これだけ食っちゃ寝を繰り返したら、さすがの私も体型変わるかもな。午後は近くのコンビニまでスポーツ誌を買いに出たが、やはり気を付けていないとフラつきそうになる。あと、ヘンな姿勢でメール打ってたせいか、視力というか、目の焦点が合いにくくなって困った。14Fのレストランから、1時間くらい夜景を見てて、ようやく治った。

 夜、学年主任のN島先生から電話が入る。生徒でも1名インフルエンザが発生し、翌17(土)午前の便に乗せたいので、付き添いを頼みたいとのこと。私が適役なのは、誰の目にも明らか。どんなに強力な予防接種にも勝る、本物ウイルスに浸ってたからな。それに最終日は国際通りの自由行動だけだから、仕事と言ったって街をブラブラする程度だ。というわけで、首里城以降ストップしていた私の業務は、明日午前10時、那覇空港にてようやく再開されることとなった。(続く)

17(土) 8:30
 この日も6時前には起床し、朝食バイキング会場一番乗りを目指す。そしてチェックアウト。3日間お世話になったこのホテルともお別れだ。タミフル慣れしたのか、副作用はほとんど感じなくなっていたが、後で考えると、やっぱりかなりのハイテンションだったようだ。那覇空港までの行き方を、ろくに調べもしないまま外へ出てしまい、はて?どうしよう?道を掃き掃除してるお姉さん(ここのホテルの人かな?)に尋ねてみる。「空港はここを真っ直ぐ歩いて行けばいいんですよね」 お姉さんのけぞり、激しく手を振るが、言葉が出てきたのは2秒遅れくらい。「ムリです!」 夕べ最上階から飛行機の灯りがすぐ近くに見えた気がしたんだが、そういうのって実は案外遠いもんなんだな。仕方ないから、モノレール駅の方角を教えてもらった。それも普通の人は歩かないという。日の出町民なめんなよ。タクシーで千円の最寄り駅までいつも歩いてんだ。って〜か、今日はやたらと身体を動かしたかった。「おもろまち」という駅まで実際歩いた結果は、あっという間だった。それより、なぜここは「おもろまち」なんだ?全然おもろく無い。
 モノレールは沖縄唯一の鉄道だ。乗客がやたら最前部に集まってたり、ドアの開閉のたびにビックリしてる人がいたり、まだまだ物珍しさでいっぱいという感じ。そこへ行くと、多摩都市モノレールで鍛えられてるオレらは、身のこなしが違うな。でも、バスを待つしぐさは、やっぱり沖縄人の方が、板に付いてる気がした。

  9:30
 那覇空港で、K君が看護士さんと共に現れる。3日ぶりに知ってる人と話せる嬉しさから、その場で30分くらい立ち話させていただいた。K君の方もタミフルの威力で、完全に元気な様子だった。飛行機は11時30分発。本隊よりも4時間ほど早く沖縄を後にする。K君は私服姿で、眼鏡とマスク姿が私と共通だ。これは誰が見ても親子だろう。K君は礼儀正しく、会話がすべて敬語だったから、さぞしつけの厳しいお父さんと思われただろうな。午後2時すぎ、羽田に迎えに来られていたお母さんに渡して、業務終了。

  14:30
 本部に終了報告のメール。返事が来るまでしばらく待つが、さてどうしよう。本隊が帰還するまで、そのへんでコーヒー飲んで本でも読みながら待とうかな。もう元気だし、最後に皆さんの顔を見て、直接お詫び申し上げたかった。でも、皆さんの頭の中では、私はまだ立派なインフルエンザ患者。待ってられても迷惑なだけだろうな、なんて思ってるうちに何人もの先生から次々とメールが。「お疲れさま。気を付けてお帰りください」 お疲れさまは皆さんの方です。こっちはただの転地療養だから、疲れなんてナシ。でもお言葉に甘えて、帰ることにした。待ってて何かできるわけでも無く、ちょうど電車も混んでくる頃に、じゃあ私と一緒に帰りましょうなんて、迷惑以外の何物でもない。この借りは別のところで返すことに決めて、羽田を後にした。

 原因の究明
 4日間ずっと考え通しだったのは、要するに何故インフルエンザになったのか、それだけだった。潜伏期間から考えて、感染したのは3連休のどこかだろう。10(土)・・・普通に部活。これでインフルエンザになるんなら、毎週なっちまう。11(日)・・・午前出初め式。500人くらい集まるイベントだったが、消防団の人たちみんなカッコ良くて、インフルエンザなんか誰もかかりそうもない。吹奏楽部の子たち全員いたが、誰もかかってない。だからこれも原因ではない。午後の合同練習も同様。・・・となると、残るは12(月)しかない。

 12(月)は、珍しく完全休養日だった。本当はジャズフェスに向けて、最後の追い込みをかけたい所だったが、さすがに2年生がきついだろうと考えた。1年生だけを集めて練習しようとすると、たいてい2年生も来てしまうので、思い切って休みにしたのである。そして私は朝9時起床の大寝坊。スーパーに買い物に行き、午後は新しい靴とズボンを買いに行ったり、普段やらないことだらけ。ここで一気に生活のリズムが狂ったと思う。私が風邪引くのは、決まってこういう休養日の後で、緊張が一瞬緩んだ時である。この日、普通に部活やってたら、たぶん感染しなかったと思う。体調管理の秘訣は「いつも通り」、これは鉄則だ。また、私が旅行の担当責任者だったら、やはり感染はしていなかったに違いない。ここ何回か担当責任者で行くのが続いて、今回は久しぶりの普通担任として参加だったから、そもそも緊張が不足状態にあったのである。

 再発防止策
 自分の反省とは別に、今回はシステムとしての思わぬ弱点を目の当たりにしたと感じている。来年の修学旅行も、この時期の沖縄に決定している。沖縄3泊4日でやる限り、費用の制限に引っかかるため、時期はここしかない。今後も、修学旅行はインフルエンザとの戦いになるだろう。今回のようなケースも、再び起こらない保証はない。本来1つのクラスに2人ずつの教員がつくのが理想的だが、都の規定ではクラス数×1.5だ。(今回は校長を含めて10名) 今回は、幸いにもほとんどの生徒が、健康に4日間を過ごせたから事なきを得たが、もしも多くの生徒が現地でインフルエンザを発症して、次々と隔離、搬送なんてことになった場合、圧倒的に手が足りない。そして、ただでも足りない所で、教員まで発症したら、もうお手上げである。そういう場合にまで備えておかなくては、冬場の修学旅行には不安が残る。やはり、引率者10名の他に、ヘルプ要員をあらかじめ数人決めておき、いつでもすぐに現地へ迎える準備をしておくことである。あと、やはり引率人数は、クラス数×2を基本とすべきである。

 (あとがき) 以上で報告と反省を終わります。心配してくださった皆様、ありがとうございました。翌18日は、元気に朝から千駄ヶ谷へ出かけ、ジャズフェスティバルに出演できました。19(月)からは、何事も無かったかのように、フルタイムで勤務しております。


1月11日 やっぱり過酷な出初め式

 2008年8月24日付け記事で三大過酷式典の一つにあげた「出初め式」が、今日ありました。(他の2つは、真夏の野球開会式と聴衆が手強い成人式) 私が出初め式の演奏に参加したのは、日野市民吹奏楽団にいた時だから、もう30年近く前のことです。実はそれっきり、出初め式から遠ざかっていました。成人式なんかと同じで、市町村が主催だから、○○市民吹奏楽団とかに入っていると、毎年のようにお呼びがかかります。私はその後、公営(?)じゃないバンドを渡り歩いてるから、出初め式も記憶の彼方に押しやられていましたが、とにかく寒い・・・それだけ覚えいます。でも、あれから30年、地球温暖化もずいぶん進んだだろうし、今日は日射しもあるじゃんか。それに、ほんの1〜2ヶ月前には、御獄山の紅葉祭りという、極限状態のコンサートを耐え抜いてきたんだ。今日はどってことないだろ・・・なんて思ってたら、やっぱりダメ。30年前の記憶がさーっと蘇ってきました。寒過ぎる・・・。成人式も卒業式も、いくら寒いったって、屋根や壁があります。出初め式は、すきま風どころか、普通の風が吹き抜けるテント。御獄山の時は、吹いてる時以外は、歩いたり走り回ったりできたが、出初め式はじっとしていなければならん。陽が当った地面が黒く変色し、やがて水でぬかるんできます。って〜事は、元は凍ってるってことよ!そんな凍結地面の上で10分もじっとしていると、まず足のつま先の感覚が無くなってきます。私は指揮だから立っていましたが、パイプ椅子に座っていた生徒たちは、腰辺りからも冷やされたでしょう。バンドマンは、式典の来客ではなく裏方です。だから中座するなんて、不適切に違い無いでしょうが、今日はさすがに無理。来賓祝辞が始まった所で、トイレに行くなり、日なたに移動するなり、ストーブの周りに集まるなり、身体を動かしてくるなりせよ、と指示しました。120分間じっとしてたら、本気でかなり危険だと思います。私もだんだん、寒さで頭の働きが悪くなっていくのが解り、得賞歌のタイミングが危うくなったりしました。ぼ〜っとなるのです。凍死寸前の人って、こんな風になるのかもな。でも、今日の市長さんや来賓の皆様は素晴らしかったです。話が短〜い!こんな簡潔な祝辞の嵐は、見たことがありません。みんな寒いと思ってたのかな。
 出初め式に、中学生や高校生が参列することそのものは、とても教育的だと思います。日々、市民が市民の安全を守るために活動している、という事実を目の当たりにして、うちの生徒たちも、みんな感動していました。だから、出初め式は4月頃にしてほしいです。

1月 3日 脱・格差

 まずは、復路の表彰です。
【最優秀選手】伊藤(城西9区)
【優秀選手】加藤(早稲田6区)、高林(駒沢8区)、大津(東洋9区)
【だめだめ】渡辺監督(早稲田)

 総合優勝したチームは、ほとんどの区間で個人記録も良くて、区間賞かそれに近いか、悪くても区間1ケタでまとまる傾向があります。あったり前じゃんか、だから優勝してんだろ!と言われればその通りです。しかし、個々の力で優位だったはずの駒沢大学は、今回ぱっとしないのは、ぱっとしないからシード落ちしたと言うより、優勝争いの蚊帳の外に行っちゃったから、個人記録も伸びなくなった、と言いたいのです。勝負事はすべてそうかもしれませんが、上位争いに参加しているからこそ余計に頑張れるし、上位に行ける見込みが薄くなればモチベーションが下がってしまいがち。いったん格差が生じると、どんどん広がる傾向になるもので、お勉強も同じだな。テスト前に補習なんか開けば、来るのは上位の子ばっかりなんて事もあります。だから、やっぱり駅伝は往路重視で、先行逃げ切り作戦の方が勝っているし、今回優勝候補が続々シード圏外に沈んだのは、序盤の出遅れが響いたと思うのです。
 そんな格差の下の方にいながら、素晴らしい記録を出した選手がいました。8区で途中棄権した城西の、その直後を走った伊藤の記録は、本来なら区間賞。何が彼を駆り立てたのだろう?ちょっと真似のできないことだと思います。駒沢の高林の区間賞も立派です。駒沢は8区の時点で、すでに放映圏外。(シード圏争いにも絡めない位置で、テレビに映るのはタスキリレーの瞬間だけ、みたいな位置) この2人の力走は、格差社会に苦しめられる現代の若者に、エールを送ってくれるようです。
 さて、勝負師根性を見せてくれたのは、山下りの加藤でした。たぶん体調が悪かったのでしょうが、復路の大砲として起用されている期待に応えるべく、意地のデッドヒートを演じました。優秀賞、最後の1人は、駅伝史上類を見ない策士、東洋の大津です。解説の瀬古さんですら、「これが監督の指示だとしたら凄い作戦だ」と驚いていました。「はい、あ〜んして」と言いながら、甘いお菓子を口元数センチの所まで持って来られて、食べようとした瞬間に取り上げられて、ガッカリしたことはありませんか?貰えるという確信を裏切られると、最初から「お前にはやんねぇヨ」って宣言されるのより、精神的なダメージが大きいものです。大津は9区の最初、いかにも不調そうなスローペースで入り、後続の朝日(早稲田)が「よし!抜ける」と確信して数mまで追い上げてきたところで、いきなり「死んだフリ」を解除、一気に置いてきぼりを食わせたのでした。終了後のインタビューでは、作戦ぽいことは話していなかったから、本当に最初調子悪くて、偶然ああなっただけなのかもしれませんが、もしそうなら奇跡的。
 運営管理車から聞こえる監督の声・・・。どうも渡辺監督だけが締まらないように思える。早稲田の渡辺監督と、巨人軍の長嶋茂雄がダブって見えるのは、私だけでしょうか。自身が選手として偉大過ぎて、しかも天才型だから、監督にはどうも似合わない・・・みたいな。私もそういうタイプなんだろうな。「そぉですねぇ〜」とか言いながら解説やってる方が向いてるかも。

2009年 1月 2日 「東京〜箱根」じゃなくて「箱根」駅伝

 新年、あけましておめでとうございます。昨日のニューイヤー駅伝のアンカー勝負といい、今日の大逆転劇といい、新年早々しびれさせてくれました。新春の社長挨拶は、今年も駅伝評からまいります。
 昔、学校の体育祭で、最終種目の「綱引き」の得点を極端にデカくしようと提案したことがあります。終盤で点差が開きすぎると、絶対に逆転不可能なチームのモチベーションが下がるので、最後の最後に一発逆転のチャンスを残したら面白いかな、と思ったのです。しかし、「逆にそれまでの種目の意味が薄くなる」「体育祭であって、綱引き大会ではない」等の反論を浴びて、否決されてしまいました。学校教育の根幹に関わる大問題でも無く、まあどっちでもいいようなことですが、今考えると、職員会議で大の大人が「綱引きの得点はどうあるべきか」を真剣に討論するというのは、ちょっと不思議な光景でした。でも、ここ数年の箱根駅伝を見ると、5区に配置した大砲がどう機能するかで、1〜4区の積み重ねが吹っ飛ぶ展開になることが多いので、正に「箱根山登り駅伝」の様相です。5分の差ををひっくり返されるとなると、チーム力というより、大砲1発の勝負っぽいから、一考の余地があるかな、と思います。では往路の表彰です。
【最優秀選手】高瀬(山梨5区)
【優秀選手】木原(中央学院2区)、関戸(順天堂1区)、小野(順天堂5区)、柏原(東洋5区)
【だめだめ】宇賀地(駒沢2区)、モグス(山梨2区)

 しつこいようですが、素人観戦者である私個人の立場から、レースを面白くしてくれた選手が優秀選手です。今回は、真っ向勝負を挑んだ選手が多くて、非常に面白いレースでした。5区の高瀬は文句ナシ。昨年の借りを返すため、先頭早稲田を猛追して、一時は逆転に成功。自分で往路優勝を決めに行ってやるという素晴らしい心意気でした。無理が響いて、結果は大きく沈みましたが、「山の神」今井さんや、今年の柏原君だって、そういうリスクを冒しているからこそ、大記録を掴めたのだと思います。
 木原vsダニエルの終盤のデッドヒートは、意地のぶつかり合いでしたな。これこそ正に私が求めていた勝負。その点、宇賀地は前評判の高い選手でありながら、見せ場を作れませんでした。ところで、宇賀地は毎年このコーナーで表彰されてるな。それだけ強いってことでしょう。Mr.リベンジは順天堂の2人です。昨年、関戸は1区最下位、小野は5区途中棄権。その悪夢の同じ区間に再登場するってこと自体、並大抵の精神力ではできないことです。結果、関戸は再びの悪夢、小野は見事なリベンジ。結果こそ明暗を分けましたが、私もソロを失敗した曲に、怖がらずに再挑戦する勇気を貰いました。
 最後に、時計を見ながら走るモグスなんて見たくなかったな。昨年も力説したように、本能に任せて爆走してこそモグスであり、その結果が自滅でも、私は山梨学院を余計に応援したくなるのです。逆に、ペース抑え目の指示を無視したという柏原は、今井さんの再来と言ってよい。彼の大爆走はファンを魅了し、来年から5区の視聴率は大幅アップでしょう。ではまた明日・・・。