長編小説 「愛と誠」(職員室編)


第1話 辞令伝達前の風景

「校長はただいま打ち合わせ中ですので、辞令伝達は8時40分頃からになります。
もうしばらく
、ここでお待ち下さい。」

2012年4月2日、月曜日の朝だった。
汐留 愛(しおとめ あい)や台場 誠(だいば まこと)らは、
殺風景な会議室に案内され、そう告げられた。
ここは東京の多摩地区にある、都立上北台高校。
ここに集められた8名は、今日からこの学校の職員になるメンバーである。
他校からの転入、いわゆる横転(よこてん)だけでなく、新規採用者が含まれる場合もあるが、
この時点では、まだお互いの経歴は不明なままだ。

年輩の2人だけが、どうやら以前に同僚だったことがあるらしく、
初めから親しそうに会話を弾ませている。
時計はまだ8時20分を少し回ったところだったから、あと20分近く待たねばならない。
前の同僚に早速の愚痴メールを打つことに没頭していれば、20分なんてあっという間だが、
周囲に与える印象は悪いだろうな、と誠は思った。

自分自身は、何もせずにこの気まずさに耐えることは、別に何ともないのだが、
他にも同じような気まずさを感じている人がいるなら、積極的に話しかけようと思っていた。
誠はそうした気配りが得意なタイプの人間だった。
室内を見渡しながら、話しかけるべき相手を物色していると、
少し離れたところに座っている、30歳前後と思われる女性教員と目が合った。

誠が軽く微笑んで会釈すると、彼女も会釈した。
すると彼女の方から、すっと立ち上がり、誠の方に近づいて来た。
話しかけようと思った相手が、しかもなかなかの美人がこちらに歩いて来る。
誠は、初っぱなから大きな幸運に恵まれたと感じた。

彼女は誠から1メートルくらいの距離まで来ると、いきなり言葉を放った。
「私、汐留(しおとめ)愛。君は?」

誠は初対面の相手に対して、よくこういう接し方をするため、チャラいと評されることが多い。
今日は完全にそのお株を奪われた気がしたが、すぐに友達になれるに越したことはない。
誠も、いつものノリで返すことにした。

「その前に・・・おはようございま〜す。僕は生徒に、まず挨拶からって教えてるもんでね」
「私が先に自己紹介したのよ。恥かかせる気?」
「おっと、そんなつもりはないよ。アハハ。オレ誠。台場(だいば)誠っていうんだ。よろしく」
誠は右手を差し出したが、愛は握手には応じず言葉を続けた。
「台場さんね。よろしく。」

「台場さんて、何か、そのぅ・・・。なあ、誠って呼んでくんない?オレも愛って呼ぶからさぁ」
「勘違いしないで。私、貴方とお友達になろうっていうわけじゃないの」
「え、ちょっとちょっと、君の方がいきなり話しかけてきたんだぜ。」
「だから馴れ馴れしくしてもいい、って言った覚えはなくってよ」
「いやぁ、でも、オレに興味があんのかな、とか思うじゃん・・・。ねぇねぇ、愛もここが2校目?」

愛はいきなり、誠と反対の方に向きを変えて歩き出した。
「話しかける相手を間違えたわ。気安く愛なんて呼ばないで」
その瞬間だけ声のトーンが上がってしまったのか、室内にいた人々が一斉に愛の方を向いた。

愛は少し離れた位置から、再び誠の方を振り向いて話し出した。
「私はこう見えても3校目よ。あなた、進路指導部にいたことある?」
「いや、ない。オレ、生活指導ばかりだったからな」
「じゃあ無理もないわね。私のことを知らなくても・・・」
「何だよ、まるで自分が有名人みたいみたいな言い方じゃんか?」
「ふふふ。人は私を、進路指導の女王って呼んでるわ。」

「ええ〜っ!」
室内から、一斉に驚きの声があがった。誠だけが、状況が飲み込めないでいた。
歓声はすぐにヒソヒソ話へと代わり、その内容は誠の耳にも届いてきた。

「あ・・・あの方が進路界の帝王、泣く子も黙る愛女王様か・・・」
「まさか、女王様と同じ職場になれるとは・・・」
誠は、自分だけが蚊帳の外に置かれていることを自覚した。
だから一層、黙ってはいられなくなった。
元来物怖じしない性格の誠は、愛の方に歩み寄って、ストレートに訊いた。

「愛さん、いや、汐留先生。あんた、どんな偉い人なんだい?」
「まずは、その馴れ馴れしい話し方を改めてからね。
私のことだったら、じきに判る。っていうより、
貴方も私の前にひれ伏すことになるわ。」
「ああん?あんた、何言ってるんだ?」
「生徒は全員、私を神と崇め、教員は全員がひれ伏すのよ。」

「おい!お前、ゲームのやりすぎで、頭おかしくなっちまったんじゃねぇか?」

最後は呆れ顔になってしまった誠に、愛は何も言葉を返さず、少し離れたソファに腰を下ろした。
誠はまったくもって納得が行かなかった。
今の話が、愛の単なる妄想癖だとかなら、別になんともない。
しかし、他の教員たちの表情は、これが紛れもない現実の話であることを示していた。
「一体、何なんだ。公立学校の中に、女王だの神だのって・・・」
誠はブツブツつぶやいていた。

そんな誠の肩をポンと叩いた者がいた。
振り返ると、初老の男性教員が2人並んで立っている。
初めから親しく会話していた、あの2人だった。

背の低い方の1人が口を開いた。
「私は国語科の西条じゃ。あんた、幸せもんじゃよ」
続けて、もう1人の痩せ形で眼鏡をかけた教員が言った。
「女王様から声をかけていただけるとは、教員としてこの上ない栄誉だ」

誠は苛立ちを隠そうともせず、2人の先輩教師に詰め寄った。
「あのう、さっきからみんなで女王女王って、何なんですか?
こっちが頭おかしくなりそうなんですけど!」

「詳しく話すには、時間がいくらあっても足りん。
ただ、これだけは言える。奇跡じゃ。奇跡が起きるんじゃよ。
わしらの言葉を今すぐ信用してくれとは言わんが、
これから数ヶ月の間に、ここ上北台高校で起きることを、よ〜ぅく覚えておく事じゃ。
わしも、あんたも、上北台高校の全員が、伝説誕生の瞬間を目の当たりにして、
歴史の証人になるんじゃよ。」

誠は、再び愛の方に目をやった。
そこには、足を組んだまま何か考え事をしている愛の姿があった。
こんな華奢な体つきのどこに、奇跡を起こすパワーが秘められているのだろうと思った。
もしさっきの年輩教師たちの言うことが真実なら、
自分は愛に対して、非常に失礼な発言をしたことになる。
誠は、心底反省する気持ちになれたわけではないが、
何となく謝った方がいいような気持ちになっていた。

「汐留さん・・・。汐留さんは、きっと本当に凄い人みたいですね。なのに、オレったら、」
「あら、誠くん。もうひれ伏す気になったの?それならまだ早いわ。
私の力を見てもらってからで十分よ」
「すみませんでした。正直、まだよくわからないけど、
汐留さんの仕事ぶりを見るの、楽しみになってきました。」
「ふふふ、だったら私たちはもう仲間ね、誠くん。
愛って呼び捨ては許さないけど、愛さんならいいわよ」

その時、呼び出しが来た。
「お待たせしました。ただ今より、辞令伝達を行いますので、校長室へ移動願います」

愛は誠に向かって、「さあ、いくわよ。私たちの戦場へ!」と一声かけると、先に歩き出した。
誠も、遅れないように後に続いた。
これからこの学校で、どんなドラマが待っているのか、想像もつかなかったが、
愛の後ろ姿を追いながら、誠の胸は期待に高鳴っていた。
(続く)


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