長編小説 「愛と誠」(職員室編)

第3話 7分間の奇跡

生活指導主任じきじきの出迎えを受けた誠とは対照的に、
愛が配属された総務部のエリアには、誰もいなかった。
愛はそんなことは一切気にせず、黙々と机の本棚に書物や書類を並べていた。
ここをさっさと終わらせ、国語科準備室の方にも手をつけておきかったのだが、
一人の男が、無言のまま愛の隣の席に腰をおろした。
何かとても失礼な感じを与える仕草だった。

数秒経ってから、男はチラリと愛の方に顔を向けると、
「シオトメさん?」とだけ言った。
「そうですが・・・」
愛もそれだけしか答えなかった。
もし、これだけで会話が終了しても、一向に構わない。
ここで甘い顔をして、この先ずっと威張りちらされるくらいなら、
喜んで、一切口をきかない隣人になることを選ぶ・・・。
愛には、そういうところがあった。

男は、信じられないほど高圧的な口調で、続きを喋り始めた。
「おれが総務部主任の柏田(かしわだ)だ。
あんた、総務部が何するとこか解ってるか?」
愛は仕方なく、最低限の答を返そうと思った。
「校長先生から、ある程度は伺って参りました。
でも、なにせ今日着任したばかりですので、
これから一つ一つ覚えていきます。」

この愛の言葉尻を捕らえて、柏田の言い方は、さらに攻撃的になった。
「ふふふ。一つ一つ覚えていったんじゃ追っつかない。総務部は実質2人。
おれとあんただけだ。それでいて、年度当初の細かい仕事が山ほどある。
総務部をなめてもらっちゃ困るんだよ!」
「・・・・」 
愛は下を向いた。

誠の耳元で「マコっちゃん!」と小さく呼ぶ声が聞こえた。
「なぁんだ、ガム子さんですか。そのマコっちゃんはやめてくださいよ」
「なぁんだとは何よ!それより、見てごらんよ」
ガム子は再び声の音量を落とした。
「マコっちゃんの大好きな愛ちゃんが、柏田のオヤジと対決するわよ」
「えっ!?」
誠は、すぐに愛のいる方角に視線を移動して、うつむいたままの愛を確認した。

柏田はいつの間にか立ち上がり、憎悪の塊のような言葉を投げつけ始めていた。
「だいたいなぁ、女王だか何だか知らないが、いい気になるな!
あんたが残してきた進路指導の成果とやらは、前の学校での話だろ。
ここにはいろ〜んな生徒が来てる。他校の実績なんざぁ通用しねぇんだよ。
それに、ここは進路部じゃない。総務部だ。ソ・ウ・ム・ブ。
あ〜っはっはっは。残念だったなあ、女王様。進路部に入れて貰えなくて。
校長も粋な計らいをしたもんだ。
女王女王と奉られて、進路の仕事しかできないくせに天狗になっちまった、
そんなあんたの目を覚まさせようとしたんだろ。親心ってやつだ。
おまえ、総務は雑用係だとか思ってるだろ。
教務、進路、生指からこぼれたやつがやる仕事だと思ったら大間違いだ!
とにかくここでは、あんたは女王じゃない、ただの新人だ。
今日からオレのやり方に従って一から勉強し直してもらうから、
そのつもりでいるんだぞ。わかったか!」

誠はもう我慢ならなかった。この状況から愛を救い出さねばならない。
しかし、駆け出そうとした時、ガム子が素早く制止した。
ガム子の目が鋭く光り、誠は金縛りに遭ったように動けなくなった。
ガム子は何かを見通したようだった。
その目が「愛ちゃんは大丈夫。見ててごらんよ」と語りかけていた。

愛が何も言葉を発せずに、じっと下を向いたまま30秒くらいが過ぎた。
柏田は、興奮状態からなかなか我を取り戻すことができない様子だった。
ふいに愛が顔を上げた。誠は驚いた。
愛が泣いているのだとばかり思ったが、泣くどころか、
うっすらと笑みさえ浮かべているではないか・・・。

「柏田先生、1回大きく息を吸ってください」
「な、何だと!」
「いいから、言われた通りに!」
柏田は愛の指示に従い、深呼吸をさせられた。

「そう、それでいいわ。どう?楽になったでしょう。もう大丈夫」
「何が大丈夫なんだ!」
「柏田先生、あなたが怖がっていたのは、あなた自身の影です。」
「??・・・お前いったい、何を言ってる?」
「私は総務部をさげすむようなことを一言も言っていない。
なのにあなたからは、私を責める言葉が泉のように湧き出てきた。
なぜだと思いますか?」
「・・・・」
「総務部が雑用係で、総務への配属を左遷だと考えていたのは、
柏田先生、あなた自身です。私はそれを映す鏡の働きをしたに過ぎない」
「な、なにぃ、そんなことが・・・」

愛はすっと立ち上がった。目線の高さでは、柏田の方がやや上にあったが、
柏田は、なぜだか見下ろされているような威圧感を感じた。
「さあ、いじけてる場合ではありません。あなたはこれまでに、教務や進路でも
立派にやってこれた人のはず。総務でも、あなたにしかできないことをすればいい。
私、総務っていう名前が好きだわ。すべてを束ねる部署っていう響きじゃない?
どこにも無かった、まったく新しい総務部を作って、総務から学校を変えましょうよ。
柏田さん、あなたならきっとできる。一緒にやりましょう」
「ううっ・・・シオトメさん、あなたって人は・・・」

柏田はガクっと膝をついて、そのまま床に座り込んでしまった。
そして、程なく嗚咽が聞こえ始めた。

「すげえ・・・。ひ・れ・伏・し・た」
誠がつぶやいた。
すぐ後ろから、「これが女王か・・・」という、感嘆の声が聞こえた。白川だった。
あちこちから口々に、「奇跡だ・・・」という声が上がった。
いつの間にか、総務部の周囲に、二重の人垣が出来上がっていた。
「あの柏田が、初対面から屈服させられるまで、たったの7分。さすがね・・・」
ガム子がそう言い置いて、その場を去ろうとすると、他の教員たちも、徐々に離れ始めた。

まだ立ち上がれない柏田をそのままにして、愛も職員室から出ていった。
すぐさま誠が後を追った。「愛さん!」
呼んでみたものの、特に話す内容があるわけではない。
愛は立ち止まると、誠の方を振り向いて、軽く微笑んだ。
そして、右手の人差し指を1本立ててみせた。
「うふふ。一丁あがりよ」
愛は、それだけを言うと、再び国語科準備室のある方へ向けて歩き出した。

「ふっ、一丁あがりか。ちょっと違うかな。オレも含めて二丁あがりだよ」 
誠は、遠ざかる愛の後ろ姿に向かって、そうつぶやいた。
(続く)

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