長編小説 「愛と誠」(職員室編)

第4話 貴方を誠とは呼べない

世間で新年度の始まりである4月1日、学校はまだ春休みの真っ最中だ。
この期間は、多くの教職員にとって有給休暇を消化するための、数少ない機会である。
新年度、職員に全員集合がかかるのは、始業式前日であり、「前日出勤」と呼ばれる。
今日、4月5日が、新年度の実質的なスタートなのだ。
その日、上北台高では、朝9時から職員会議という予定が組まれていた。

誠は、初日に女王の奇跡の現場に居合わせた幸運で、
職員室の多くのメンバーと、話題を共有することができた。
そのため、あちこちで自己紹介を済ませていたが、
9時少し前に、ほぼ満席になった会議室を見渡すと、
やはり初めて見る顔の方が多かった。

愛の方はといえば、相変わらず自然体で振る舞っていたが、
自ら自己紹介のために、愛のところに来る者が何人かいた。
新しい職場でも、早くも女王としての地位を築きつつあることを伺わせた。

会議の冒頭は、当然だが、まずは転入者紹介から始まる。
ここでも、自身も転入者である、校長が最初に自己紹介した。

「皆さん、お早うございます。この度、縁あって上北台高校の校長を
仰せつかりました、シゲルと申します。本名はあえて申し上げません。
カタカナでシ・ゲ・ルです。どうぞよろしくお願い申し上げます。
では引き続き、転入された先生方から、簡単にひと言ずつ頂戴いたします。
まずは、国語の西条孝之助先生、お願いいたします」

「え〜、原宿高校から参りました、西条と申します。
20年ぶりに多摩地区の学校に戻ってまいりまして、たいへん懐かしく思ってます。
今朝もですねぇ、モノレールの窓から、山がきれいに見えまして・・・」

「どうして教員はみんな、話し出すとダラダラ長くなるんだろう・・・」 
誠はそう思いながらも、一つ安堵したことがあった。
校長は自分をシゲルと紹介したが、西条はふつうに西条だった。
どうやら、勝手にマコっちゃんにされる心配は無さそうだ。
ならば先手を打っておこう。誠はある作戦に出ることにした。

いよいよ誠の番が回ってきた。

「次は保健体育科の台場先生、お願いします」
「ハイっ!阿佐ヶ谷高校から参りました、台場誠です!
自分は、取っつきづらいって見られるんですけど、意外と絡みやすい性格なんで、
早く皆さんと仲良くなりたいっス!誠って呼んでください。カタカナ3文字、マ・コ・ト」
「・・・・」
静寂が訪れた。
誠は周囲を見渡したが、誰も笑っていなかった。
「えっ?なに?」 誠自身が、思わずそう呟いた。

「台場先生・・・」 校長の声だった。
他の教員は、哀れむような目で誠の方を見ていた。
「うわ〜、すいません。場を和ませようと思って、
校長先生と同じフレーズ使ってみたんですけど、
考えてみたら失礼っスね。ごめんなさ〜い!」
しかし、校長の顔は険しいままだった。
「台場先生、呼び名については、今後の重要な検討事項になりますから、
くれぐれもご自身で勝手に名乗って、先走ることはお控えください」

誠は真っ赤になった顔を、愛の方に向けた。
愛は無表情で、誠が滑ろうが何しようが、眼中に無いという態度だった。
ガム子を見た。ガム子の目は「アンタ、ほんと空気読めないわね」と言っていた。

自己紹介が終わり、そのまま会議の議題に移ってゆく。
初めは、新年度の校長所信表明演説だが、
先程来からの、シゲル校長のただならぬ緊迫感には、
何か爆弾発言を予感させるようなものがあった。
司会に促され、シゲル校長の演説が始まった。

「では、まず始めに、本校の学校経営計画について述べさせていただきます。
ご存じのように、本校は愛称表記試行校となって、5年目を迎えました。
しかしながら、この取組みの意義が都民に理解されているというには程遠く、
愛称使用希望校も、未だゼロのままという現状でございます。
本校は試行校としての、責任を全うしなくてはなりません。
私は全力で愛称表記の推進に務めてまいる所存です。そこで・・・
本年度は、本校全職員に愛称使用の徹底をお願いしたい」

場内が一斉にどよめき、質問のための挙手が同時に何カ所も上がった。
司会者はあわてて順番を決めて指名しなければならなくなった。
「はい、じゃあ、有明先生からどうぞ」
「はい。校長先生にお尋ねしますが、それは強制ですか?」
「強制と致します。全員で取り組んでこそ効果が上がるものと考えます」
「強制的に別の名前を名乗らされるというのは、基本的人権の侵害になりませんか?」
「具体的な愛称につきましては、ご本人と相談の上、決めさせていただきますので、
私が勝手に決めてしまうことは御座いません。」

「次、木内先生どうぞ」
「はい。私はやはり反対です。生徒との信頼関係って、そういうものじゃないでしょう。
私が淳ちゃんて名乗ったら生徒と心が通じ合う・・・なんてのは貧困な発想ですよ。」
「先生方、愛称について多少誤解があるように思います。
フレンドリーな名前に限る必要はありません。
例えば木内先生は、カタカナでキウチでも一向に構いませんし、
プロ野球オリックスバファローズのT岡田選手のように、
J木内などでもよろしいかと思います。そういうことですので、
先生方のできる範囲でご協力いただきたいと考えております。」

他にも何名かのベテラン連中が発言し、すべて反対意見だったが、
結局、シゲル校長はこの件に関して、一歩も譲らない覚悟のようだった。
副校長は、あらかじめ印刷してあった「希望愛称記入用紙」を配布した。

職員室に戻った誠は、総務部の愛のところへ行った。
「どうしたの?マコっちゃん」
「え〜?愛さんまでマコっちゃんとか呼ぶの、勘弁してくださいよ」
「ふふっ。生活指導部ではそう呼ばれてるんでしょ?よく聞こえてくるわよ」
「それを防ぐために、誠って呼んでくれって言ったら、
な〜んかさっきはあんなヘンな雰囲気になっちゃって・・・。
ほんと、この学校よくわからないです。
ところで、愛さんはさっきの紙に何て書くんですか?やっぱりアイアイですか?」
「その通り。私はアイアイよ。何か文句ある?」
「いや、文句ってわけじゃないけど・・・。何か合わないな〜と思って。
ア〜イアイ、お猿さ〜んだよ〜って歌、思い浮かべちゃいません?
もっとカッコいい名前、考えましょうよ」
「余計なお世話。そんな事より自分の心配をした方がいいんじゃない?
あなたが漢字1文字で『誠』って名乗れる可能性は限りなく低いわ」
「えっ・・・?それ、どういうことですか?愛さん。
また何か、オレ一人だけが知らない事があるんですか?」
「置いてきぼりはあなただけじゃないわ。シゲル校長もよ。
愛称試行校としての、これまでの経過をちょっと調べてみれば、
すぐにわかることなんだけどね。とにかく、もう貴方を誠とは呼べなくなるわ」

愛の表情は、この先何が起きるのか見通しているような微笑だった。
誠は、それ以上の質問をやめ、生指部のエリアに戻ることにした。
愛に頼っているだけでは、いつまでも愛に近づけないのだと悟った。
少しでも愛と対等な関係に近づくために、自分の力でこの不思議な潮流の中を
泳ぎ切って行かねばならないのだと思った。
(続く)

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