長編小説 「愛と誠」(職員室編)
第6話 シゲル、アゲイン!
午後の予定は、13時〜分掌(ぶんしょう)部会、14時〜教科会という具合に変更された。
人によっては非常にタイトなスケジュールになるところだが、
愛の所属する国語科は、3月末に大まかな打ち合わせを済ませていたし、
実質2人だけの総務部では、隣りどうしの会話で事足りてしまう。
愛が、15時30分からの学年会開始まで、歩いて校内探検でも
してみようか思っていた、ちょうどその時、総務の内線電話が鳴った。
主任の柏田が取り、「今すぐですか?ちょっと待ってください」と答えて、愛の方を向いた。
「副校長からだ。総務部2人一緒に、すぐに校長室に来いと言ってる・・・」
校長室には、シゲル改め戸田校長と、佐川副校長が顔を揃えていた。
「ああ〜どうもどうも。どうぞ、そちらにお掛けになってください。」
校長も副校長も、総務の2人を、やたらと丁寧に出迎えた。
柏田は、顔に現れる警戒心を隠そうともしなかった。
副校長の笑顔は、これから面倒くさい仕事を頼みますよ、
という意味に違いないことを、柏田はこれまでの経験からよく知っていた。
「え〜、総務部のお2人にわざわざお越し願ったのは、」
と、校長が言いかけたとたん、愛が口を挟んだ。
「用件は解っています。校長先生、今すぐ都教委の愛称担当部署に電話をしてください」
「えっ?な、何ですか?いきなり・・・」
「シゲルの却下には応じられない。シゲルの使用がどうしても認められないなら、
残念ながら本校は試行校から撤退する。そう伝えるのです」
「えっ!」
「私たちをここに呼んだのは、愛称問題が行き詰まったから、
智恵を貸してくれ、ということだと思いますが、違いますか?」
「うっ、そ、それは・・・。」
「助けて差し上げます。私の言うとおりに、今すぐ電話を!」
校長と副校長は、お互いの困惑した顔を見合わせたまま、動けなかった。
「柏田さん、時間のムダだわ。行きましょう」
柏田も、どうしたものか困った様子だったが、愛は構わずドアの方に歩き出した。
愛が校長室を出る寸前に「汐留さん、待ってくれ!女王の力を貸してほしい」と、
校長が懇願した。愛は立ち止まり、「電話、してくださるんですね」と言った。
「わかった、電話はしよう。しかし、何とか上と喧嘩しないで、
上手く交渉できるやり方は無いだろうか・・・」
「考えてあります。今あなたが失う物は何もありません。
どうぞ安心して、女王である私の作戦を信じてください。」
管理職と総務部の会合は、これだけで解散してしまい、
校長室には、愛と校長だけが残って、都教委と交渉する内容を詰めることにした。
電話をかけると校長は、丁寧な言葉を選んでこそいたが、
ほぼ愛に言われた通りの内容を、正確に伝えた。顔面は蒼白になっていた。
「上出来だわ。次は・・・」
愛は、さらに校長に何かを言おうとした。校長はよほど緊張したのか、
「待ってくれ。次の電話は、もう少し後でさせてくれないかな・・・」と願い出た。
「電話はもういいの。今度は校内の事よ。
愛称問題検討委員会を立ち上げてください。私たち総務が取り仕切ります。
他のメンバーの人選も総務に一任していただきます。」
校長たちは、そもそも、どうしたらいいか全く解らないからこそ、
女王にすがろうと考えたのだったから、今さら反論の余地も無い。
愛に言われるがままであった。
愛が職員室に戻って、本当にすぐだった。再び総務に内線電話が入った。
通話を終えた柏田が、ポカンとした様子で愛に話しかけた。
「校長からだ。都教委から回答があって、却下が取り消し。
つまり、校長の愛称はシゲルで決定。その他の申請についても、
学校側と再度協議をすることになったそうだ。
シオトメさん、いや、女王。いったいどんな魔法を使ったんだい?
私はあなたと相対する間に、自分の弱い部分をすべて見抜かれた
みたいな気持ちになったもんだが、都教委の役人とは、一言も話をしていない。
なぜ見えない相手を屈服させられたんだ?私にはそれが解らない」
「ふふふっ」 愛のいつもの、ミステリアスな笑い方だった。
「柏田先生、都教委の行動から読みとれる本音は、たった一つ・・・」
「ん?何なんだ?」
「彼ら役人たちは、愛称表記に見切りをつけようとしました。」
「何だって!あんなにゴリ押ししてきた事を、いきなり手を引くだなんて・・・」
「5年経ってもなかなか進展しない。だから、攻撃の矛先が自分たちに向く前に、
何とかオシマイにしたかったんでしょう」
「そうか!うちの校長に無理難題を押しつけて、詰め腹切らせようってことか・・・」
「そんなところね。だから私は反撃に転じることを提案しました。
私たちの側から試行校を辞めると宣言すれば、逆に一番困るのが都教委なんです。
「シゲル」の名前が入った印刷物とかゴム印の製作にかけた税金と、
5年の歳月が丸々ムダになるわけだから、文句無しの大失態。」
柏田は徐々に納得してきた。
「失敗の原因は、やる気満々だった校長の愛称を、お上が却下したせいってわけだ」
「そう。着任したばかりのシゲル校長が、失敗の責任を問われる心配などありません」
愛と柏田は、次の作戦に向けて打ち合わせを始めた。
柏田は、校長が職員室に現れたのにも気づかないほど熱心に、
愛の話の内容に集中していた。校長が喋り始めていた。
「え〜、いらっしゃる先生方にお知らせ致します。
臨職でお伝えした件で、訂正がございます。
愛称が却下された、とお伝えしましたが、シゲルが認可されました。
先生方の愛称についても、再考していただけることになりました。
私の愛称は、最初の自己紹介で申し上げました通り、シ・ゲ・ルです。
今一度、シゲルと呼んでください。シゲル、カムバ〜ック!
シゲル、アゲイ〜ン!以上です」
職員室は、まったくの無反応だった。校長がスベったというより、
多くの教員にとって、もはやどうでもいい事になっていて、
聞いている者が殆どいない、という方が正しかった。
誠も、ガム子の「ガムを噛むと頭が良くなる」という話の方に興味があって、
校長の話は聞き流していた。愛称なんて、もう自分には関係ない話だった。
ガム子に勧められて貰った1枚をくちゃくちゃ噛みながら、
「オレもガム夫になろうかな?」なんて呑気に話していたが…。
そんな誠が、ここからたった1時間後には、愛称問題の渦中の人になろうとは・・・。
この時は愛女王ですら気付いてはいかなかった。
(続く)